官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’

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255名無しさん@3周年
は南極海の聖域化を訴えてはいたが、研究目的の捕鯨がどう扱われるべきかには触れていなかったからだ。しかし鯨イルカ真理教側にとっては「聖域」の意味は明瞭である。鯨は聖獣でありいかなる理由であれいかに資源量が豊富であれ捕獲はイケナイというの
が彼らの論理なのだから、聖域案とは理由の如何を問わず捕鯨は禁ずるというものでしかあり得ない。 2度目の社説はそれをふまえ、フランスの言う「聖域」案は否定し、しかし前の社説との整合性も何とか保った、という体のものであろう。ともあれ、この社
説では聖域という言葉は肯定的には使われていないし、最後には、「初期のIWCでは、早い者勝ちで捕獲量を競う『捕鯨オリンピック』が非難の的になった。いま、参加することだけに意義があるかのような『IWCオリンピック』のあり方が問われている。」
と、IWCの現状への皮肉も述べられていて、前の社説とのスタンスの差が浮き出ている。中11日をおいて2回社説が載り、しかもそのスタンスが違うという事態はどうして起こったのか。内部事情を知らない私は推測するしかないが、二つの要素があったのでは
ないか。まず、朝日内部の捕鯨派と反捕鯨派の抗争である。最初の社説は後者に配慮して書かれた。しかしフランスの聖域案はこの年のIWCでは通らなかった。そうした結果をふまえて、2度目の社説は前者の主張に配慮して書かれたのではなかろうか。
私は、水産行政に対する石の批判自体は当たっている部分もあると思う。問題は、IWCや南極海での捕鯨が論題になっている場面で、なぜこういう迂遠な論法を使うのかである。環境問題の専門家である彼が、鯨の資源量やIWCを直接論じないのはどうしてだ
ろうか。答は簡単だ。論じられないからである。IWCや反捕鯨国の態度を見れば、それがまともでないことは明瞭だ。朝日新聞に採用される程度の知性の主なら、いかな反捕鯨派でも、IWCが正常だとかミンク鯨は絶滅寸前だとか強弁することは不可能である
。そんな主張は太陽が月の周りを回っているとするようなものだ。だから石は直接捕鯨問題を扱わず、周辺領域に逃げたのである。石はそれを隠すために、「沿岸さえ守れない国が遠洋の資源を守るはずがない、とみられても当然であろう」と言うのだが、普通に