官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’

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252名無しさん@3周年
「今日、IWCを脱退してまで、クジラを食べさせてほしいと願う国民は少ないと思われる。/だが外圧によって捕鯨が撤退に追い込まれる現状は情けないし、『クジラを食べるのは残酷だ』と非難する一部の反捕鯨勢力に対する反感も国内に強いようだ。」
しかし南極海の捕鯨については、「南極海のクジラは当面、産業活動ではなく、研究活動の対象と考えたい。 (…)南極海を全面捕鯨禁止にするサンクチュアリ案には、私たちも賛成できない。以前にサンクチュアリとなったインド洋のように、クジラデータの暗
黒海域になるおそれがあるからだ。」 繰り返すが、リリーの説はこの頃にはすでに時代遅れのシロモノになっていたのであり、これは朝日の記者がいかに不勉強であったかの証拠と言わねばならない。 この頃の朝日の姿勢が揺らいでいた事実を端的に示してい
るのは、93年の社説である。京都のIWC総会について2度社説が載ったのである。まず最初は、5月4日付けの「南極海をクジラ研究聖域に」である。標題から分かるように、この年フランスから出された、南極海を鯨の聖域にしろという提案を支持したものだ。
もっともこれまでの経緯をふまえて書かれており、鯨をとるのは全面的にいけないと主張しているのではない。 「クジラだけを偏愛する保護論には賛成しかねる。再生産力がある自然は、そのおこぼれをありがたくいただいてもいい。」 と一応鯨イルカ真理教
には一定の距離をおいている。その上で、 「日本がいま公海での捕鯨にこだわることが、資源・環境外交全体のなかで、果たして賢明な選択なのかどうか。」 と、主として政治的戦略の視点から、南極海の捕鯨からは撤退し日本沿岸の捕鯨については再開を求
める方針がよかろうと述べている。ただし先に引用した87年社説とは違って、IWCが「クジラ愛護クラブ」、すなわち特定の動物観に支配された宗教団体のごときものになっているという認識はあるものの、改善案はまったく示されていない。 「南極海をあ
きらめれば、〔日本沿岸の捕鯨については〕加盟国の理解が得られるのではないだろうか」 というきわめて無責任な希望的観測を述べるだけである。聖域案に加担したこと自体よりもこの点において、社説の知的レベルは87年に比べて大幅に後退していると言