官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’

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251名無しさん@3周年
生きる」では反捕鯨側の主張にもかなりスペースが割かれている。長くなるので内容の検証は省くが、ここでもリリーの名が出てきており、朝日内部の反捕鯨派がリリーを論拠の一つにしようとしていたらしい、というのは憶測の域を出ないが、このマッド・サ
イエンティストをまともに見てしまう視点が紛れ込みつつあったのは間違いない。繰り返すが、リリーの説はこの頃にはすでに時代遅れのシロモノになっていたのであり、これは朝日の記者がいかに不勉強であったかの証拠と言わねばならない。この頃の朝日の
姿勢が揺らいでいた事実を端的に示しているのは、93年の社説である。京都のIWC総会について2度社説が載ったのである。まず最初は、5月4日付けの「南極海をクジラ研究聖域に」である。標題から分かるように、この年フランスから出された、南極海を鯨
の聖域にしろという提案を支持したものだ。もっともこれまでの経緯をふまえて書かれており、鯨をとるのは全面的にいけないと主張しているのではない。「クジラだけを偏愛する保護論には賛成しかねる。再生産力がある自然は、そのおこぼれをありがたくい
ただいてもいい。」と一応鯨イルカ真理教には一定の距離をおいている。その上で、「日本がいま公海での捕鯨にこだわることが、資源・環境外交全体のなかで、果たして賢明な選択なのかどうか。」と、主として政治的戦略の視点から、南極海の捕鯨からは撤
退し日本沿岸の捕鯨については再開を求める方針がよかろうと述べている。ただし先に引用した87年社説とは違って、IWCが「クジラ愛護クラブ」、すなわち特定の動物観に支配された宗教団体のごときものになっているという認識はあるものの、改善案はま
ったく示されていない。「南極海をあきらめれば、〔日本沿岸の捕鯨については〕加盟国の理解が得られるのではないだろうか」というきわめて無責任な希望的観測を述べるだけである。聖域案に加担したこと自体よりもこの点において、社説の知的レベルは87
年に比べて大幅に後退していると言わざるを得ない。しかしその12日後の5月16日、IWC総会の直後、捕鯨問題に関する再度の社説が朝日に載った。「どこへいくクジラ論議」というものだ。書き方はいつもの例に漏れず両論併記的ではある。