官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’
視点が紛れ込みつつあったのは間違いない。21世紀初頭においては(…)イルカやチンパンジーと自由に対話を楽しむことも、あながち夢物語とは言い切れない。」「イルカ語の解読に成功したという報告」はどこから出されたのだろうか。もしそれが真実なら、
鯨イルカ真理教が蔓延している反捕鯨国ではすぐさま「イルカが訴えていること」とか何とかいう本が出されそうなものだが、寡聞にしてそういう話は聞かない。また、前回のカール・セーガンについての分析で述べたように、鯨類高知能説の最盛期は50年代
後半から60年代にかけてであり、セーガンは一時それに乗りながら、80年を過ぎると霊長類高知能説に乗り換えて鯨類高知能説を口にしなくなった。 80年以降、動物の知能に関する学問の主流は完全に霊長類に移ったのである。米国のイルカ学の泰斗が91年に
出した本で鯨類高知能説を否定していることにも前回触れた。 こうしてみると、リリーのようなマッド・サイエンティストを引用しながら書かれた神谷の本の位置が分かるだろう。「遅れてきた青年」というノーベル賞作家の小説名に倣うなら、神谷は「遅れ
てきた鯨類高知能説学者」なのである。 彼が遅れて登場したのにはそれなりに理由があろう。日本では70 - 80年代には反捕鯨国の横暴に対する批判が強く、鯨イルカ真理教的な本は出る余地が少なかった。ところが90年代になるとかつてのような捕鯨は再開
不可能なのではないかという気分が国内に広まり、また捕鯨が盛んだった時代を直接知らない若い世代も増えた。そこに鯨イルカ真理教徒的な論者が登場する余地が生まれたのである。しかし彼の登場は、繰り返すが、学問の流れからすれば時代遅れであった。
裏を返せば、鯨イルカ真理教的な論者には人材がいなかったということになる。 もっとも、神谷は朝日新聞に載せた文章ではリリーへの評価をかなり厳密に行っている。「リリー博士は当時、10年以内にイルカ語が解読され〔人間との〕会話は実現できるとし
たが、その後、この研究は進展せず、博士が主宰された研究所もいつしか閉鎖されてしまった。」「現時点で神経科学者にイルカとの会話の実現性を問えば、答は『ノー』であろう。」しかしその一方で神谷は、リリーの説は否定もできないとして、イルカの知
能研究が進まないのは「今日の国際的規約からみて