官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’
への期待をかき立てているのだが、ここには奇妙な自己撞着がある。すなわち、イルカが尊重されていて不自然な実験が不可能だから知能が解明されないのだと彼は言うが、しかしイルカへの尊重とは高知能が検証されなければ出てくるはずのないものではなかろうか。証明すべ
き論点の先取という論理的誤謬がここにはある。またこの頃すでにチンパンジーなど霊長類の知能研究が相当進んでいたことを考えると、イルカの知能が解明されないのは手段が制約されているからだとする彼の論理はどうにも苦しい。 神谷はあからさまに捕鯨を攻撃するような
論調は避けているが、最後に「鯨類との共生」という表現で暗に反捕鯨側の主張を喧伝している。それは、マッド・サイエンティストたるリリーの名を真面目に引用していることと並んで、彼の基本的姿勢を表すものであると言っていい。 そもそも、著書『鯨の自然誌』の「あと
がき」からして、国際文化の政治性にこの人がいかにナイーヴであるかを示している。そこで彼は、漁業で網にかかったイルカがかつては殺されたり食肉として売られていたものが、なるべく海に戻すようにというふうに日本の行政指導が変わってきたことを、「国際的なマナー
をそなえた嬉しい芽生え」と述べている。彼にとっては欧米の習慣は何でも「国際的」なのであり、それが他国に浸透するのは国際政治の力関係に寄るところが大きい、という基本的認識すらないのだ。私が連載第1回で三島由紀夫から引用した、若い日本人作家には傲慢に話しか
け、欧米人には卑屈に笑って「オー・イエス」を繰り返す老学長と同じような態度が、この医学者に見られるのは偶然なのだろうか。 ともあれ、神谷の登場は捕鯨問題に対する朝日の態度に変化が起こったことを示す徴候であった。もっとも一気に180度転換したわけではない。
4月には捕鯨の町・宮城県牡鹿町のルポが載り、さらに「私の紙面批評」では五十嵐邁(信越半導体社長・日本蝶類学会会長)が「歪められた自然保護思想と対決を」と反捕鯨国を厳しく批判した。しかしその一方で、IWC京都会議を前にした特集「クジラと生きる」では反捕鯨
側の主張にもかなりスペースが割かれている。長くなるので内容の検証は省くが、ここでもリリーの名が出てきており、朝日内部の反捕鯨派がリリーを論拠の一つにしようとしていたらしい、というのは憶測の域を出ないが、このマッド・サイエンティストをまともに見てしまう