官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-10’
『連帯』のセーガンを知る者には、少なすぎて目立つほどだ。その中で鯨類が高知能であることを述べたのは一カ所だけである。
この基準〔鏡に写った自分を識別する能力〕から見て、チンパンジー、オランウータン、イルカには意識も心もあるのだ、と〔心理学者〕ギャラップは結論する。
ここだけ読むと、鯨イルカ真理教信者は「やっぱり」と飛びつきたくなるかも知れない。しかしちょっと待っていただきたい。この本全体の中で右の記述がどういう意味を持つかを見なければならない。
この本の「薄い壁」の章でセーガンはヒトと動物の違いに言及している。例えば、クモの行動を自動機械と見て、ヒトの行動はそれとは違う「意識」の産物だととれるだろうか? セーガンはこの問題について、「ヒトだって〔他の動物と〕似たよう
なものだともいえる」と述べる。そしてついには次のように断じる。「ダーウィンが、イヌ、ウマ、サルなどヒト以外の生物にも備わっている感情として挙げたのは次のようなものだ。楽しさ、苦痛、喜び、悲しみ、恐怖、疑い、偽り、勇気、臆病、不
機嫌、上機嫌、復讐、無私の愛、嫉妬、愛や称賛を欲しがること、誇り、恥じらい、謙譲、寛大、ユーモアのセンス……。」
実際、その後著名な論者からの引用がいくつか並んでいるが、新しいものほどヒトと動物に明確な境界線を引くことに懐疑的なのである。
また、ネズミは過密状態で飼われると攻撃的になるが、チンパンジーはむしろ平和的共存を目指すと述べ、ヒトはチンパンジーよりネズミに近いのではないかとも言う。
以上のセーガンの記述から何がうかがえるか。ヒトを生物として他の動物から決定的に分けるものは存在しない、という確信である。ヒトと動物との差はあくまで相対的なものであり、本質的な境界線などないというのが彼の考えなのだ。それでも、チ
ンパンジーを始めとする霊長類には特別に章を設け、
ヒトとの近縁性について詳細に論じているが、鯨類についてはそういう扱いはなされていない。
『はるか』の最後近く、「人間とは……」の章で、彼はヒトと動物に本質的な違いはあるかという問題を再度取り上げている。そしてプラトンからヘーゲルに至るまでの、人間は動物とは根本的に異なった存在だという見解に次々と反駁してみせる。セ
ーガンの考え方はその章で引用されているダーウィンのそれに近いだろう。「我々は、自分たちの奴隷にした動物たちを、人間と同等だとは見なしたがらないものだ。」
では、先ほどの鏡の自己像を見分けるイルカの話はどう受け取るべきか。確かにそれは知能の話として出てはいる。しかしこれは種々の動物が人間に劣らない能力を持っていることを列記した中で、一例として出てくるものに過ぎない。この部分だけで
ルカを特権的な生物だとセーガンが見ているとは到底言えないのである。そもそも記述のしかた自体、「……と〔心理学者〕ギャラップは結論する」という、自己判断を避けた用心深い言い方になっている。
繰り返すが、『はるか』でセーガンは、ヒトと他の動物との間に決定的な違いはないと考えており、その中でどうにか(ヒトに近すぎるという)特権が認められているのはチンパンジーなどの霊長類であって、鯨類ではない。
さて、以上のような『はるか』でのセーガンの姿勢を見ると、彼が鯨から手を引きつつあるという事実、そしてその理由も浮かび上がってくるだろう。同時に彼の限界もである。彼は生物学に深い関心を寄せるが、それはあくまでアマチュアとしてであ
って、自分で専門的な研究をしているわけではない。むしろ彼の本領は、生物学の最新の研究成果を分かりやすく一般に向けて紹介するところにある。この頃、霊長類の知的能力に関する研究が盛んになると同時に、DNA鑑定技術が進んで、チンパン
ジーとヒトの遺伝子上の差がわずか 0.4パーセントであることが明らかになった(この事実には『はるか』も言及している)。日本で立花隆が91年に『サル学の現在』を出版したのも、世界的な霊長類研究ブームを背景としてのことである。
一方、鯨の知能に関する研究は、前回も述べたとおり50年代から60年代にかけてがピークであり、
その後目立った進展がなかった。これは、一般には反捕鯨運動などを通じて鯨類への関心が過熱したことを考えるなら、つまり鯨の知能を研究するムード
が高まったことを考えるなら、きわめて重大な事実と言える。例えるなら、大衆の熱狂的な支持を受けているプロ野球打者が、金銭的にも施設面でも恵まれているのに、さっぱり打率が上がらないようなものだ。セーガンは恐らくそれを敏感に察知した
に違いない。啓蒙家たる彼は、鯨からチンパンジーへと、時代遅れの波から最新流行の波へと乗り換えたのだ。 77年の『エデン』でもその兆候は見られたが、90年代の彼は乗り換えを改めてはっきりした形で行ったのである。『はるか』で鯨類への言及
が異常なまでに少ないのは、かつて『連帯』などで怪しげな説を鵜呑みにしてしまった自分を隠すためととれなくもない。
彼が鯨から撤退した理由はもう一つ考えられる。右で見たように、この本で彼はヒトと動物との間にはっきりした境界線を引くことはできないのだと主張している。ヒトの持つ能力は多かれ少なかれ他の動物も持っていると述べて例を並べたてている。
とすれば、鯨をヒトと同様の特権的動物だとして捕獲禁止を主張することはできにくくなる。なぜなら、家畜たる牛や豚や鶏もそれならヒトや鯨の連続線上にあるのではないかという疑問がすぐに浮かんでくるからだ。『連帯』でもそうだったように、
口当たりのよい啓蒙家の常として、彼は家畜なら屠殺してもいいのかといったきわどい、しかし優れて哲学的な問題には決して触れようとしない。せいぜい先に見たようにダーウィンからの引用という形で簡単に言及する程度である。
そして次の著書『惑星へ』(94年)となると、セーガンの鯨からの撤退はいっそう鮮明になる。この本で鯨という単語が出てくるのは、宇宙探索機ボイジャーに人間の言語などと一緒に鯨の声も入れたレコードを積んだという事実に言及した箇所だけ
である。後はいっさい触れていない。『連帯』や『コスモス』が、同じように宇宙や惑星研究を扱いながら鯨を特権的に取り上げていたのと比べると、格段の違いである。なお、ボイジャーが打ち上げられたのは77年であるから、セーガンが『連帯』
(73年)や『エデン』(77年)で鯨類高知能説をおおっぴらに主張していた時期と一致することも付け加えておこう。
セーガン最後の著作となった『悪霊』(96年)にも、鯨という単語は一つも見あたらない。この本は米国に充満する反科学的雰囲気やエセ科学に警報を鳴らしたものだが、例えば米国内の科学博物館にも良質のものとそうでないものがあると述べ、
悪いものは進化論に言及していないとして、「解剖学上およびDNAからみるかぎり、ヒトとチンパンジーとゴリラはほとんど同じなのだが、そうした証拠も展示しない」と言う。チンパンジーなど霊長類だけを特権化する方向性は『はるか』から変
わっていない。この本が鯨に触れていないのは、ある意味では当然であろう。なぜなら、アメリカなどの反捕鯨運動は、減少した野生動物類の保護という域をとうに逸脱し、ここでセーガンが厳しく批判している神秘主義・エセ科学・反科学主義にむ
しろ近づきつつあるからだ。アメリカはキリスト教原理主義、そしてそこから派生した神秘主義がきわめて強い勢力を持つ国だ。(進化論を学校で教えるのにクレームがつく国なのだ。)加えて国の豊かさから来る青少年の反知性主義、学校優等生へ
の嘲笑といった現象もある。セーガンはそういった反科学・反知性主義に反駁しつつ、懸命に科学の価値を訴えかけようとしている。
例えばセーガンはUFO信者を批判する。セーガン自身宇宙人との交信計画を推進した人だが、宇宙人が地球にやってきた痕跡があるとかUFOを見たとかいう話にはきわめて慎重な対応を示している。地球に宇宙人がやってきた証拠は現在のところ
見あたらないというのが、『悪霊』以前の著作からの彼の一貫した立場なのだ。しかし現実にはその種のトンデモ話はマスコミに充満している。セーガンはそれを批判して、「古き良き時代には、UFOに連れ込まれた人たちは核戦争の危険性につい
てお説教されたそうだ。一方、近ごろの宇宙人たちは、もっぱら地球環境の悪化とエイズにこだわっているらしい」と言う。
要するに「宇宙人の発言」なるものは、その時どきの社会問題を反映するという話なのだ。この点をより鮮やかに分析してみせているのが、岡田斗司夫の『東大オタク学講座』(講談社、97年)である。それによれば、UFOは「宗教の神秘性が失墜
した社会」に生じた空隙を補填する役割を持っているのであり、
、「宇宙人のメッセージ」のパターンが何年かごとに変わることこそその証拠である。 50年代の宇宙人のメッセージは「ロシアに注意せよ、君たちアメリカがその正義をもって地球のリ
ーダーにならなければならない」であり、次は「宇宙はフロンティアだ、地球人よ早く宇宙に出ておいて」となり、次に「原爆反対」、そして「地球に優しく」、そして「DNA」、そして「鯨を守れ」が来る。「鯨やイルカは我々がアルタイル恒星
系から運んできた生物だ、大事にしろ」と宇宙人は言ったそうである。「宇宙人」はその時代で最も流行している社会問題を口にするものなのだ。
さて、岡田とセーガンの認識は一見すると一致しているように見える。しかし天文学者セーガンの発言は、「宇宙人の発言」と本当に違うのだろうか。右で出てくる「宇宙人」の言説は、実は反ロシアの勧めを除くとどれもセーガンの著作にも出てく
るものばかりなのである。無論、彼は権威づけのために「宇宙人がそう言った」「鯨はアルタイルから運ばれた」などと虚言を弄したりはしない。彼の権威づけは、それが科学者の責任ある発言だというところにある。つまり岡田の言う「宗教の神秘
性が失墜した」部分を、セーガンは科学の権威性で補填しようとしている。だがその結果の言説が「宇宙人の発言」の内容と違わないというのは、何故なのか。
彼が専門の天文学を別にすれば所詮は啓蒙家に過ぎないこと、「鯨は叙事詩を歌っている」式のトンデモ話を一時的にせよ鵜呑みにし、ある場合には詐術的な論法でそれを著作の中で展開したことはすでに見てきた。つまり、彼の専門外の発言は、そ
の時どきの流行を反映するという点で「宇宙人の発言」と同じなのだ。口当たりがよく、一般の良識に逆らわない内容の話題が、一方は「宇宙人の発言」として、一方は「科学者の発言」として流通する。構造的には同じではないかと思えてしまう。
セーガンの著作を読んでいると、一見該博な知識の裏に、きわめて単純な部分があると分かる。
私たちはあまりに小さく、また私たちが設けた国境はあまりにあいまいで、地球と月のあいだにいる宇宙船から見ることなどできない。こうしてみると、私たちが執着するナショナリズムといったものに、何の根拠もないことが分かる。(『惑星へ』)
この種の発言は随所に見られるのだが、ならば、宇宙船からは地上の人間や動物も見えないから、その生命など大した価値はないと言えるだろうか? 彼の論法はだいたいがこうしたもので、天文学少年の域を出ない。ある意味でそれは羨むべき境遇か
も知れない。私自身そうだが、大抵の男の子は天文学の図鑑に夢中になる時期がある。少年期の夢をそのまま実現できた人間、それがセーガンなのである。その才能と幸運は素直に慶賀したいが、彼の大ざっぱな世界観では片づかない問題も世の中には
あるのだということを、少なくとも自覚はしておいて欲しかったと思う。彼は宇宙について(何なら生物学を加えてもいい)おびただしい知識を披露してくれるが、それに比べると人間社会に関する知識はきわめて平板・単純・お粗末である。天文学や
生物学への彼のアプローチは、社会の複雑な実相を見ることからの逃避なのではないかと思えるほどだ。少し意地の悪い設問を考えてみよう。セーガンが従事した宇宙探索事業には莫大なカネがかかる。しかし、一方で地球上には栄養失調や医療施設の
不備のために命を落とす子供が多数存在するのだ。仮にある人が「何の足しにもならない宇宙船より、低開発国の子供を救うためにカネを使ったらどうか」と言ったらセーガンはどうしただろう。「研究への先行投資を行えばいずれは十分な見返りがあ
る」というような答え方をしたろうか。しかし現在では先端的な科学研究に要する費用は余りに巨額で、将来それに見合うだけの見返りがあるとは信じられなくなっている。実は、セーガンは『惑星へ』の中でそうした問いに答えようとしている。NA
SAの全予算は米国国防費の 5パーセントだなどと述べて、宇宙探索の費用がとるに足りないものであることを強調している。(似たような弁明は、『連帯』や『コスモス』でもなされている。)だが死にかけた子供の救済と比較して宇宙探索が焦眉の
急とは言えない事業であることも、彼には否定できない。最終的に彼が使う論理は、要約するとこうだ。「宇宙探索は魅力的なものであり、多くの人々がそれに賛同してくれる。人類にはフロンティアが必要だ。それが人類の新しい活力や飛躍につなが
るからだ。」無論、こういう結論を出す彼の口調は、少なくとも学者として宇宙の様々な現象を啓蒙的に説明する時ほど歯切れがよいわけではない。好意的に見れば、
その歯切れの悪さに彼の良心が現れているのだと言える。しかし、それが逆に私には偽善的に見えるのだ。私自身は、一方で飢えた子供がいても、先端的な科学研究に巨額のカネを使うことがあっていいと思う。それは科学研究が将来への先行投資だか
らではない。知的好奇心とはそういうものだからだ。飢えた子供を救えるカネがあるのに知的好奇心の充足のために使ってしまう、そういう残酷さが世の中には否応なく存在する。人間はその残酷さを背負ってしか生きられないと思うからだ。(残酷さ
を維持・放置しろと言っているのではない。念のため。)いったいセーガンにそういう残酷さの認識があるだろうか? セーガンの本を読んで感じるのは、この人は知的世界に充足しきっていて、世の中には知的ならざる、しかしそれなしでは社会が動
かない人たちの分厚い層があるのだという単純な事実が見えないのではないかという疑問である。例えば彼は『悪霊』の中で、アメリカの学校の反知性的雰囲気を是正しなければと訴えている。私もその意見に基本的に反対ではない。知的な子供がバカ
にされるような風潮が好ましくないのは当然だ。しかし本当に知性的な子供であれば、周囲の風潮に流されることなく上級学校に進学して自分の能力に合致した勉強を続けるだろうとも思う。少なくともそれを可能にする奨学金の類はアメリカでは十分
整備されているはずだ。だが一方で、知性をバカにすることによってプライドを保つ人たちが、そしてそういう人によってしか担われない領域の仕事というものがこの世には存在するのである。社会学者ポール・ウィリスはその辺の事情を見事に明らか
にしている。世の中はセーガンのような知的エリートによってだけ動いているのではない。セーガンは知的であることによってプライドを充足できる。他方に反知性によりプライドを充足する人々がいる。人間はプライドなしには生きられないという観
点からすれば、どちらも等価である。或いは、彼は『コスモス』で低開発国の子供が高等教育を受けられないと言って嘆いている。確かにそれは知的世界に従事する人からすれば損失であろう。だが、あらゆる地域で才能ある子供全員が上級学校に進学
することは本当に百パーセントの善なのだろうか。仮にそうなったら、貴重な労働力が奪われて地域社会が崩壊してしまうかも知れないのである。
これは机上の空論ではない。現にアフリカでNGOが直面しているのはそうしたジレンマなのだ。そしてこういった事実にセーガンが思い至らないという時、彼の知性の質そのものが問われねばならないだろう。それは、小説である『コンタクト』(85
年)からも読みとれる。この作品はSFとしてそれなりに面白いし、また80年前後の米国インテリの知的モードを知る上でも興味深い(ただし捕鯨問題は出てこない)。だが躓きの石はヒロインのエリーで、これがどうにも好感の持てない人物なのであ
る。ハーヴァードとMITに同時合格し前者を選んだ知的エリートとして設定されている彼女は、頭脳明晰ではあっても独善的で冷淡な性格の主にしか見えない。最終的に四人の仲間と宇宙に飛び立って(この作品は少し前に映画化されたが、映画では
筋を単純化するためにヒロイン一人が飛行士に選定される設定になっていた。原作では世界各地の老若男女諸民族から五人が選ばれる)、宇宙人と会話を交わし、おのれの独善性を反省するというオチになっているが、この反省も自分の両親との関係な
ど狭い領域に向けられるに過ぎない。小説の語りは主にヒロインの視点に添いながら進められるので、彼女の限界はそのまま作者の限界ではないかという、多分セーガンが予想しなかったであろう疑念が湧いてくる。『悪霊』に戻ろう。反科学的な風潮
や原理主義的宗教を批判し科学の価値を訴えるセーガンの姿勢そのものには、私も共感するところが多い。日本人も他山の石として肝に銘じるべきだと思う。しかしセーガンに考えてもらいたいのは、自分も宗教的原理主義者などと同じ過ちを犯さなか
ったかどうかということなのである。彼は『悪霊』の中で、科学者も時として誤りを犯すと述べて、自分の誤りについても実例を挙げている。だがその大半は、地球上の観察から予想していた天体の実体が、探索機を飛ばしてみたら違っていたといった
類の話である。例外は、中東戦争で油田に火が付けられた際に環境への悪影響を予想してはずれた事実を述べている箇所だけだ。遡れば、『コスモス』(80年)で地球寒冷化説を唱えていたことも付け加えていいかも知れない。地球温暖化説が猛威を振
るっている昨今からすると隔世の感があるが、実は科学の仮説というものはこの程度なのだということは知っておいた方がよい。現在の温暖化説にしても異論もあるのだが、なぜか温暖化しか騒がれない。
日本でも75年には『地球は寒くなるか』(講談社現代新書)なんて本が出ていた。話を戻すと、セーガンが自覚しているらしい誤りは、データが揃って検証されれば明らかになるものばかりである。その程度の誤りはどんな大科学者でも犯すことがある
し問題ではあるまい。だが、彼は大嫌いなはずの原理主義宗教やナショナリズムに似た誤りを犯さなかったであろうか。彼は『悪霊』でチャールズ・マッカイ『群衆心理の錯覚と狂気』から引用する。どんな時代にも、その時代特有の愚行がある。(…)
そこにあるのはある種の狂気だ。そしてその狂気は、政治的、宗教的、あるいは双方が絡み合った大義のもとに作り出されるのである。 これは十字軍について述べたもので、セーガンは学生時代にこの部分を読んで唸ったという。しかし十字軍のような
愚行は今も絶えてはいない。私は、マッカイのこの文章は反捕鯨運動を描写するのにぴったりだと思う。鯨の資源量を冷静に論じる雰囲気もなく、特定の動物に一方的に思い入れをし、自分の主義主張を通すためには手段を選ばない。ヤハウェやキリスト
の代わりを鯨がしているだけだ。エルサレムは南極海、もしくは「野生」という観念だろう。先に私は、知的ならざる人々の分厚い層がありそれによって担われる仕事もあると述べた。これには、お前は反知性主義を認めるのかという批判があるかも知れ
ない。それは違う。私の考えでは、非知性的な説明原理は、限られた範囲のものであれば害にはならないし、放置しておけばいい。セーガンが精力的に批判しているUFO信仰や占星術も、それで心理的に安定した生活を送れる人間がいるならやらせてお
けばいい。ただ、それが外部への攻撃的な行動につながったり、学校教育や国家間の交渉のような場に持ち出されるとなれば話は別である。そういう時こそが「知識人」の登場すべき場面であるはずなのである。ところが米国では逆に知識人が反捕鯨運動
のような反知性主義の片棒をかついでいるのだ。十字軍への反省など微塵もない。マッカイの警告は、過去の歴史を説明するためではなく、新しい誤りを犯さないためにこそあったはずだ。なのにセーガンは『連帯』を始めとする著作で、反捕鯨主義とい
う新しい十字軍を使嗾したのである。彼はマッカイから何を学んだのだろう。或いは、最後の著書のタイトルに引きつけるなら、セーガンは悪霊を野に放ったのだ。
その罪を自覚せずに死んだらしい彼に、反知性主義を批判する資格があったのだろうか?(訳者からの簡単な解説)以下は、ドイツの代表的な週刊誌"Der Spiegel"98年第35号(8月24日)に掲載された記事の全訳である。
捕鯨問題には、「鯨・イルカ類は賢い」という神話がつきまとっている。もとよりこの記事でイルカ類の知能の全容が明らかになったわけではないし、そもそも頭の良しあしを一律の基準で決定し得るかどうか、私は疑問を持っている。ましてや、基準
の曖昧な知能の度合いで捕獲の可不可が決定されるなどはナンセンスであろう。ただ、ここでは鯨類に関する神話を崩す一助として、参考までに訳出してみたにすぎない。タイトルの「愚鈍なバンドウイルカ」は、原文では"Tumbe Tuemmler"となり擬似
的な頭韻を踏んでいるのであるが、日本語ではその種のニュアンスを出すのは不可能なので、意味だけとって訳しておいた。
愚鈍なバンドウイルカ
(イルカは、実際にはどの程度賢いのだろうか? ネズミの方が利口であることを、脳研究者がつきとめた。〉
伝説によれば、太古の昔、彼らは人間であり、人間に混じって目立つこともなく暮らしていた。それがある時、ディオニュソス神の命令により海に入り、魚の外観をとるようになった。しかし陸上に残った仲間である人間に対しては、彼らはいつも親し
みを感じ続けている。
今日に至るまで、この人なつこい海の居住者は、人間の友人と見られ――そして動物界には稀な知能の所有者とされてきた。例えば国際捕鯨委員会の一員であるイアン・スチュワートは次のように主張している。「イルカは、陸上の我々人間がそうであ
るように、海中で最高度に発達した生物種である。」
微笑を口元に浮かべた遊泳の達人である歯鯨類〔イルカ〕は、卓越した賢さを有している、ということはつい最近まで科学者の間でも疑われていなかった。しかし、アルゼンチンの海洋研究所「ムンド・マリーノ」でイルカ類の脳と知能を研究している
二人の学者が、これに冷水を浴びせるような研究結果を公表した。すなわち、海の賢者と言われてきたイルカ類は、より低い知能の主と格付けされねばならないというのである。
この二人の学者、〔ドイツ・〕ボーフムのルール大学の生物心理学者オヌア・ギュンテュルキュンと、ニュルンベルクの動物行動学者ロレンツォ・フォン・フェルゼンは、小型鯨類の脳を研究し始めた頃は強烈な印象を受けたという事実を隠さない。
「私はそれまであんなに大きな脳を見たことがなかった」とギュンテュルキュンは言い、「人間の脳はこれに比べれば原始的な感じがするほどだ」と述べた。調査結果は、従来の研究者が発見して卓越した知能の証拠と見られてきた事柄を証明するよう
に見えた。例えば、体全体の重量に対する脳重量の割合は、認知能力の評価基準となっているが、極地以外のあらゆる海に生息し最もよく知られたイルカ種である大型のバンドウイルカ(Tursiops truncatus)の場合、チンパンジーにおける割合より明
確に高く、人間よりわずかに低いだけである。感激した鯨類研究者たちは、脳の他の数値からも、イルカ類が人間の精神上の兄弟ではないかと予感したのだった。例えば、大脳皮質の表面から見える面積に対するシワを含めた全面積の割合は、鯨類では
非常に高いのである。人間の場合、脳のシワは高い知能の証拠と見られているのであるから。しかし、イルカのホルマリン漬けの脳を薄く切って顕微鏡で観察し、解剖学的な研究をさらに重ねていくと、ギュンテュルキュンとフェルゼンは失望すること
になる。▲歯鯨類は、大脳に対して大脳皮質(Cortex)の重さがきわめてわずかである。
▲大脳皮質は、進化史上最も新しく獲得された部分であり知能の宿る場所であるが、イルカ類にあっては極端に細胞数に乏しく、薄い。およそ 1.5ミリメートルで、人間の半分しかない。▲脳皮質の解剖学上の細部構造は――陸上の哺乳類と比較して―
―かなり単純なようである。いくつかの皮質層がほとんど分化しておらず、成長した個体では、層が完全に欠落している。
無論、バンドウイルカの新生児ではこの層はまだ存在している。ギュンテュルキュンとフェルゼンは、鯨類の脳は、かつて陸上の哺乳類だったものが海中に移行した際に、徐々に退化したのではないかと推測した。脳の全容は実験室での詳細な研究により明らかになる
であろう、と。両研究者はそこで、英国の神経解剖学者アンソニー・ロッケルとロバート・ハイアンズの研究結果を参照した。 80年代初め、ロッケルらは哺乳類の大脳皮質に小さな柱状構造を発見した。その統一的な構造は際だっていて、表面から白質部分にまで達し
ており、基底部の厚さは数ミクロンしかない。大脳皮質は、こうした何十万という隣接し合う細胞柱により構成されているのである。ロッケルとその協力者らは、この細胞集合体の中にあるニューロンの数を数えた。すると、ネズミであれネコであれマカク〔ニホンザ
ルなど〕であれヒトであれ、大脳皮質の細胞柱は一つあたり平均して108の神経細胞を含んでいた。 ――この数字は、陸上の哺乳類にあってはばらつきの極めて少ないバイオ定数である。ギュンテュルキュンとフェルゼンが鯨類の大脳皮質の様々な部分をプレパラート
化して得たデータは、これに比べると著しく劣っていた。イルカの細胞柱には一つあたりおよそ30の神経細胞しか含まれていなかったのである。 ――地上の哺乳類のざっと3分の1に過ぎない。イルカの脳は極めて大きいが、三つの部分の占める割合が高い。まず中脳の
聴覚中枢。これが発達しているのは、聴覚を用いて狩りをする動物すべての特徴である。次が小脳で、ここでセンソモーターな〔感覚・運動双方の協調的な〕学習が行われる。最後が前脳の基底神経節で、これは動作を制御する機能を持っており――イルカはこの部分
が巨大に発達しているので、シンクロナイズドスイミングのような技巧的な泳ぎには長けているわけである。 ギュンテュルキュンとフェルゼンによれば、バンドウイルカの学習能力には、こうした研究結果に矛盾するところも一部見られる。イルカたちはほんの数時間
の訓練で、フリッパー・ショウで観客から賛嘆されるようなアクロバティックな芸を身につける。また、トレーナーの身振りによる指示に従って、複雑な動作を連続して行うことができる。しかし水中スポーツの得意なイルカたちも、それ以外の事柄に関しては理解力
に乏しい。
例えば、三角形と四角形を区別することができるようになるまでに、彼らは数カ月を要する。ギュンテュルキュンによれば、ネズミ、そしてハトもこれと同じことを学習するし、「しかもイルカより早い」そうである。
「反捕鯨の病理学」第5回をWhaling Libraryに転載するにあたって、一言お断りしておきたい。ここでは捕鯨問題に対する朝日新聞の姿勢を論じているが、途中で社内の勢力争いや社説の書かれ方に言及した箇所がある。私は無論、朝日新聞社内部の事情に
通じているわけではないので、あくまで紙面から類推して書いたのであるが、論中でも触れた朝日新聞の元編集委員・土井全二郎氏にこれをお送りしたところ、丁寧な返事をいただき、内部事情についてもご教示いただいた。その結果、社内事情や社説の書か
れ方は必ずしも私の推測どおりではないことが判明したが、ここでは一応元の形のまま転載する。 土井氏のご教示は、将来これを別の形に公でする機会があれば、活かしていきたいと考えている。
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6 捕鯨問題報道に見る朝日新聞の堕落
前回までしばらく米国知識人が捕鯨問題についてとっている反知性的姿勢を追及してきたので、ここで日本国内に視点を戻すことにしよう。今回は報道の問題を、朝日新聞を例にとって考えてみたい。
(1)朝日新聞の奇妙な対外姿勢
遠回りするようで申し訳ないが、最初にこの新聞の一般的な論調を検証することにしたい。その前に、なぜ特に朝日新聞を取り上げるのかを述べておこう。まず私が新聞を読めるような年齢に達して以来ずっとこの新聞を読んできたから、という単純な理由が第
一。
現在は産経新聞と併読しており、必要があれば大学で他紙を見ることもあるが、どういう論調の新聞であるか十二分に分かっているのは朝日である。第二に、朝日新聞での捕鯨問題の報道には、ある種の日本知識人の姿勢が典型的に現れているからだ。思考
のタイプというものを明らかにするには、この新聞を見るのが一番いい。第三に、朝日は日本を代表する新聞と内外から見なされており、その報道を検討することは日本のメディアが海外にどう影響するかを知るためにも欠かせない。戦後間もない頃、日本が三
流国と見なされていた時分とは違い、現在の日本は様々な面で外国から見られている。政治家の放言が外国のメディアで報じられて批判されたりするのも、日本に対する注目度が高まっているからだ。ならばチェックすべきは政治家などの発言だけでなく、報道
機関の論調も当然その対象に入るだろう。政治家の話が外国人の日本観に影響するなら、日本を代表するとされる新聞の報道がどうしてそうでないはずがあろう。さて、そこで最初に、直接捕鯨問題に関係はないが、朝日新聞の報道姿勢の奇妙さを最近の事件を
例に見てみよう。オランダに対する小渕首相の謝罪問題である。これは、この新聞の歴史認識や欧米に対する姿勢を典型的に示した事件であった。第二次大戦中、オランダ領東インド(現インドネシア)在住のオランダ人を日本軍が残酷に扱ったとして、一部の
オランダ人は現在も損害賠償を請求しており、2000年5月に予定されている天皇訪欧にあたって天皇がこの件で謝罪するようにと求めた。これに先立ってオランダのコック首相が来日した際、小渕首相は謝罪を表明し(2月21日)、コック首相側もこれを了解した。
まず事実関係を簡潔に述べると、大戦中の日本軍はオランダ領で軍人・民間人計13万人を収容所に抑留し、うち2万人以上が病気などで死亡した。戦後オランダは連合国の一員として日本人のBC級戦犯226人を処刑、さらに51年のサンフランシスコ条約で戦争被
害者に対する補償を求め、56年の日蘭議定書で見舞金の支払いが行われた。その額は当時のレートで48億円であり、これは現在の貨幣価値なら一千数百億円になる。戦後処理としてはこれで幕となるはずが、どういうわけかこの問題はその後も何度も蒸し返され
ることになった。それで過去にも竹下、村山、橋本といった首相が謝罪の意を表明している。
236 :
名無しさん@3周年:2009/01/11(日) 20:48:06 ID:v7bftpvj
237 :
名無しさん@3周年:2009/01/11(日) 20:54:57 ID:v7bftpvj
証拠もないのに「無灯火で来た」って無責任なこと言ったって
年収一千万以上は確保ネ♪
んで何年か先には何千万もの退職金が控えております。
そして次に“渡って”行かれます。
238 :
名無しさん@3周年:2009/01/11(日) 21:01:00 ID:v7bftpvj
“国と特に密接な関係がある”を否定して“公益性”を強調したいようだが
どうして調査捕鯨に“公益性”があるなんて言えるんだい?
“公益性”なんかない。全ては自分たちの既得権益の保持のためにやっていること。
239 :
名無しさん@3周年:2009/01/11(日) 21:04:32 ID:v7bftpvj
特に最近は酷い。補正予算ってことで余分に税金をブン取ってる。
もう見境ないというか節操がないというか・・。
ところが今年、西暦2000年にまたオランダ側から同じ話が出され、小渕総理が謝罪の意を表明するという結果になった。要するに、いつまでたっても戦後が終わらないのである。政府は永遠に謝罪ゲームを繰り返すのだろうか。そもそもこの問題に奇妙さがつき
まとうのは、日本軍の行為そのものは確かに残酷だったとしても、それがオランダ領東インドで起こったことだからである。オランダ人は最初からインドネシアに住んでいたわけではない。インドネシアを侵略して自国領にしたのである。その支配は350年間に
及ぶ。また、オランダの植民地支配は、ベルギーのコンゴ支配と並んでその過酷さ故に悪名が高い。本国に好都合な商品作物を強制的に栽培させたため、原住民は主食である米を作る農地も余裕も失い、長期の飢饉で大量の餓死者を出した。強制収容所もあった
。インドネシア最初の大統領となったスカルノは、独立後20年を経て出した自伝で、「オランダ領の時代に私たちの寿命は35歳であった。今日ではそれは55歳に達している」と述べているという。今回のオランダの日本に対する謝罪要求は、すでに述べたように
天皇訪欧を目前にして出てきたものだが、95年にインドネシアを訪れたオランダ女王は、自国の過酷な植民地運営について謝罪めいた文句は一言も発していない。この問題について、オランダの文筆家カウスブルックは『西欧の植民地喪失と日本』(草思社、原
著95年)の中で次のように批判している。「われわれオランダ人は、過去40年間の長きにわたって日本人に対する不満を述べ続けてきているが、(…)自分たちが手を下して殺害したり、虐殺して死に追いやったりしたインドネシア人には心を砕くこともなく、
彼らの名前は永遠に誰の知るところでもない。」さて、この問題に対して朝日新聞はどういう態度をとったか。それを明らかにする前に、まず対照的な産経新聞の報道姿勢を見ておこう。産経は2000年2月24日付け「主張」(他紙の「社説」に当たる)でこの問題
を取り上げ、「賠償はもう終わっている」と題して、日本がすでに膨大な賠償金を支払い戦犯も多数処刑された以上、この問題は決着済みのはずだとして、「これまで日本は政府は首脳会談などの席でひたすら謝罪することによって、その場をおさめようとして
きた。しかし、そうした姿勢は、相手国の際限のない補償要求の火に油を注ぐ結果にもなりかねない」と述べた。
さらに産経は、オランダのインドネシア支配について別に詳細な記事を載せて、オランダの対日要求が第二次大戦後植民地を喪失したというルサンチマンに基づくものであり、そこには過去の帝国主義に対する反省の片鱗も見られないことを報じたのである。一
方朝日新聞は、2月20日付け「社説」で、「歴史ふまえた友好を」と題し、オランダ人兵士が日本政府に損害賠償訴訟を起こしていることを述べた上で、次のように書いた。「日本、オランダ政府とも、第二次大戦の法的請求問題はサンフランシスコ講和条約など
で解決済みという立場だ。/国家間はそれでいいかも知れない。けれども、戦争被害を受けた人たちの心の傷をどういやしていくかという仕事は、まだ終わっていない。」曖昧な書き方だ。しかし、方向としては賠償に応じた方がいいのではないか、と読める。
朝日では、さらにそれに先だつ2月2日にも外報部記者・磯村健太郎が「私の見方」欄にこのテーマで執筆している。ただし磯村の文章はオランダの提案した「日本占領下の記憶」展が日本のいくつもの都市で拒絶されたことにも触れており、この点では私も異論
はない。展覧会が持ってしまうかも知れない政治的宣伝性は言論によって批判すればいいのであり、開催そのものを拒絶するような態度はよくない。これでは原爆展を抑圧したアメリカを非難する資格もなくなってしまう。それはさておき、問題なのはオランダ
とアジアを見る磯村の論調である。「オランダのベアトリクス女王は91年の来日時、宮中晩餐会で天皇陛下の前で〔オランダ人捕虜問題は〕『お国ではあまり知られていない歴史の一章です』と指摘した。」「天皇皇后両陛下は今春、オランダを公式訪問する予
定だ。アジア諸国の戦後処理を優先してきた日本政府も、オランダとの歴史問題は避けて通れないだろう。」この記事で特徴的なのは、日本の「アジアとの戦後処理」に触れながら、オランダのアジアでの植民地主義には一言も触れていないところである。つま
り、オランダがインドネシアを植民地化し残虐な支配を長期にわたって行っていたという事実を完全に無視しているのだ。まるでオランダがインドネシアを力ずくで植民地化するのは正当で、日本軍がインドネシアに侵攻するのだけが不当というかのようではな
いか。加えて磯村の記事は、戦後日本側が多額の賠償金を支払っり戦犯が処刑されたりしたことにも全く触れていない。
来日時には日本の戦争犯罪に言及しながら、インドネシアでは自国の過酷な植民地主義を一言も謝罪しなかったという、オランダ女王のエゴ丸出しの態度をおかしいと見抜く目もない。私は小渕首相がオランダ首相に謝罪するのも不当だと思うが、それは仮に措
いてもよい。朝日はせめて、「われわれは戦時中犯した行為を何度でも謝罪するから、その代わりオランダは自国の帝国主義についてインドネシアに深く謝罪してはどうか」と提唱する程度の社説がどうして書けないのであろうか。この文章の読者の中には、「
朝日」「産経」というブランドに最初からある種のイメージを抱いている方もおられるかも知れない。産経の記事は要は自国の戦争犯罪の言い訳として書かれたのだと思う方もおられるかも知れない。そういう方は、一度図書館で両紙のこの問題に関する記事を
虚心坦懐に読み比べてみられることをお勧めする。先入見を捨てて読むなら、産経の記事はポスト・コロニアリズム時代の知的潮流を的確に捉え、また調査が隅々まで行き届いているのに対し、朝日の記事は視野が狭く情緒的で、真の知性からは程遠く、まるで
小学生の作文であることが分かるはずである。右で引用したカウスブルックの本も、ポスト・コロニアリズム時代と言われながらヨーロッパ人が過去の帝国主義をさっぱり反省していないという告発の書として書かれたものである。オランダ人でも、心ある人に
はそうした倒錯した事情が明瞭に見えているのだ。彼はこの点について次のように述べている。「戦争当事国がお互いに怪物だとか野蛮人だ
とか言って相手国を罵倒するのは、もちろんいかなる戦争にもつきものだが、極東戦争においては、植民地支配の事情とそれにつながる人種偏見のために、この戦争像が一段と複雑なものになっている。日本軍のオランダ領東インド侵攻は侵略戦争としてだけで
なく、ある種の”違反”とも見なされた。つまり、西洋の国を攻撃するとは身分不相応なことであり、そのうえ負けることを知らないとはなんと礼儀知らずで謙譲の美徳のなさよ、と見なされたのである。」「日本に攻撃されたのはオランダ人であるが、彼らは
本国にいたのではなく、戦争の舞台となったインドネシアに武力侵入して植民地化し、軍事支配の上にあぐらをかいていたのである。 (…)彼らの戦後の幾多の歩みは、自己の潔白を装った姿での、
完璧な犠牲者という身分にしがみつくための戦いであった、と見ることができよう。」そして彼はこの後で、オランダ人は日本人と同じ尺度で測られることを侮辱と見なすと述べている。つまり日本人の戦争犯罪はケシカランが、自分たちの植民地主義はそうで
はない、自分は日本人とは別なのだということだ。こうした二重基準が、オランダ人・ヨーロッパ人ばかりか、日本人の思考法をも蝕んでいるとは何としたことであろう。それも日本の代表的新聞と目される朝日においてなのだ。朝日は、このことがもたらすか
も知れない悪影響について考えたことがあるだろうか。二重基準が骨の髄までしみ込んだヨーロッパ人は、朝日の記事を読んで満足してうなずくだろう。そうだ、自分とアジア人は同じ基準で測られてはならないのだ、何しろアジアの経済大国日本を代表する新
聞も同様の見解なのだから、と。自国政治家の不注意な発言が外国に与える悪影響に敏感であるなら、自分の論調がヨーロッパ人の偏見を助長していないかにも同様に敏感であるべきだ。朝日はこの点を厳しく自己検証すべきであろう。私は別の話題に深入りし
すぎたかも知れない。しかし、以上のような朝日新聞の摩訶不思議な姿勢をまず知っておかないと、捕鯨問題に関するこの新聞のおかしな態度も理解できない。要は、歴史認識や国際関係感覚においてどこか狂っている人間・団体は、捕鯨問題を正しく捉える能
力にも欠けている、ということなのである。(2)朝日新聞の捕鯨問題報道 さて、本題である。捕鯨問題に関する朝日の報道を見る上で注意すべきは、(1)どの程度のスペースを割いているか (2)どういう欄で扱っているか(署名記事か無署名か) (3)どういう
スタンスを取っているか、である。なお以下で引用する記事の日付は基本的に新潟配布版(夕刊なし)によっているので、東京本社版とはズレている可能性があることをお断りしておく。また、ここではスペースの制約上、87年以降を扱うことにする。87年、捕
鯨モラトリアムの実施により日本が調査捕鯨を行うとした際に、朝日は「調査捕鯨の強行は避けよ」という社説を掲げた(7月20日)。その論拠として挙げられているのは、国際的に強い反発を招くから、貿易摩擦にもさらに悪い影響を及ぼすからというのが第
一、日本の調査捕鯨計画にも無理があるから、というのが第二であった。
(調査捕鯨は、当初の計画ではミンク825頭、マッコウ50頭とされた。しかしその後ミンク300 - 400頭で実施されている。)この社説を通して読むと、朝日の社説に特有な曖昧さが目立つ。基本的な主張は題のとおりなのだが、捕鯨から全面撤退せよと言ってい
るわけではない。「国際会議の体をなしていないと、捕鯨国の間で不満の強いIWCだが、今度の総会でも数にものを言わせる強引なやり方が目立ったらしい」「関係者の怒りは分かるが」と捕鯨国側に配慮した言い回しもある。また、鯨資源の調査は続行しな
ければならないとも述べている。総じてこの時の朝日はまだまともだったと言ってよい。調査捕鯨への懐疑は、(1)で述べた朝日の姿勢に近いが、IWCのあり方がおかしいということは明言しており、「IWCについても、国際会議にふさわしいものに改組
するなり、FAO〔国連食糧農業機関〕など他の適当な国際機関のもとでクジラ問題を扱うなり、抜本的な改革をはかるべきだろう」と提言している。また、社説以外では、反捕鯨国の偏見やIWCの奇妙さを指摘する署名記事がこの前後には多く掲載されてい
た。編集委員・土井全二郎のものが目立つが、それ以外にも「私の言い分」に捕鯨協会事務局長・高山武弘や捕鯨砲手・田中省吾が「私の言い分」に登場したり(86年6月1日、87年11月29日)、捕鯨船乗組員・松田清忠や弁護士・渡辺法華が「論壇」に寄稿した
りしている(87年3月24日、7月29日)。もっともこの頃でも違った論調の署名記事もある。編集委員・石弘之の記事だが、これについては後で取り上げる。ところで、同時期の朝日に面白い社説が載ったので、捕鯨問題とは直接関係はないが紹介しておこう。 8
6年3月21日掲載の「国連を疑うスイスのこころ」だ。これは、スイスが国連へ加盟すべきかどうかを国民投票にかけたところ、圧倒的多数で否決されたというニュースに関して出されたものである。「もし日本で『国連に残っていてよいか』という国民投票をし
たら(…)賛成が圧倒的多数になるのは、まずまちがいない。」「あらゆる組織と同じように、国際機構も硬直やたるみをまぬがれない。とくに巨額予算を抱える寄り合い所帯の国連には、その危険が大きく、加盟国の監視や批判はぜひ必要だ。/ところが、われ
われ日本人は国際機関にたいして敬意を持つあまり、批判を避けがちだった。 (…)われわれはもっと自主性を持ちたい。
/その点で、スイスの国連加盟拒否はまさしく『わが道をゆく』ものだった。 (…) 一つの興味深い考えかたとして尊重したい。」なかなか
面白い社説である。面白いと私が言う意味は、この主張自体にはほぼ賛成だが、朝日がこういう社説を載せたのは、当事者がスイス、すなわち外国、それもヨーロッパの国だからではないか、という疑いがあるからだ。仮に日本で、社説冒頭で言われているよう
に、「国連に残るべきか」という国民投票をしたとしよう。そしてもし「残るべきでない」という結果になったら、朝日は同じような社説を載せただろうか。私は、載せないだろうと思う。恐らくその場合は、「色々国連にも問題はあるが、内部改革に努めるべ
きだ。世界の孤児になるような真似は慎もう」というような社説になったのではなかろうか。すなわち、独自路線を一点の曇りもなく朝日から認めてもらえるのは、日本以外の国だけなのである。国際機関と言うのにもためらいがあるIWCが日本の調査捕鯨に
対して向けた非難を受けた先の社説と比較してみれば、それは明らかだろう。いずれにせよ、それから数年間、朝日新聞の論調には基本的な変化はなかったと言ってよい。反捕鯨国の横暴に対して日本を初めとする少数の捕鯨国が様々な手段で抵抗しながら功を
奏さないという事態が延々と続き、それが比較的詳細に、主として土井全二郎により報道されたのである。 それが変わってきたのは93年になってからだ。まず、1月23日に神谷敏郎の「クジラ類とどう付き合うか」という一文が掲載された。この年、IWC総会
が京都で開かれるにあたってジョン・C・リリーが来日したのを機として掲載されたものである。リリーは、前々回から本論に登場しているが、鯨類高知能説のマッド・サイエンティストだ。神谷は医学者で、92年に中公新書から『鯨の自然誌』を出している。
この本を読むと、彼の鯨イルカ問題へのスタンスがよく分かる。例えばイルカの知能に関する章では、リリーのように積極的に高知能を主張する説と慎重派とがあるとしながらも、こう述べている。
「なかにはイルカ語の解読に成功したという報告すらある」「近年の目覚ましい科学技術の進歩、特にニューロ・コンピューターの開発や応用による高度情報分析技術の進歩によって、近い将来に人間と動物の音声情報交換の実現の可可能性は高く、
21世紀初頭においては(…)イルカやチンパンジーと自由に対話を楽しむことも、あながち夢物語とは言い切れない。」イルカ語の解読に成功したという報告」はどこから出されたのだろうか。もしそれが真実なら、鯨イルカ真理教が蔓延している反捕鯨国ではすぐさま「イルカが
訴えていること」とか何とかいう本が出されそうなものだが、寡聞にしてそういう話は聞かない。また、前回のカール・セーガンについての分析で述べたように、鯨類高知能説の最盛期は50年代後半から60年代にかけてであり、セーガンは一時それに乗りながら、80年を過ぎると
霊長類高知能説に乗り換えて鯨類高知能説を口にしなくなった。 80年以降、動物の知能に関する学問の主流は完全に霊長類に移ったのである。米国のイルカ学の泰斗が91年に出した本で鯨類高知能説を否定していることにも前回触れた。こうしてみると、リリーのようなマッド・
サイエンティストを引用しながら書かれた神谷の本の位置が分かるだろう。「遅れてきた青年」というノーベル賞作家の小説名に倣うなら、神谷は「遅れてきた鯨類高知能説学者」なのである。彼が遅れて登場したのにはそれなりに理由があろう。日本では70 - 80年代には反捕鯨
国の横暴に対する批判が強く、鯨イルカ真理教的な本は出る余地が少なかった。ところが90年代になるとかつてのような捕鯨は再開不可能なのではないかという気分が国内に広まり、また捕鯨が盛んだった時代を直接知らない若い世代も増えた。そこに鯨イルカ真理教徒的な論者
が登場する余地が生まれたのである。しかし彼の登場は、繰り返すが、学問の流れからすれば時代遅れであった。裏を返せば、鯨イルカ真理教的な論者には人材がいなかったということになる。 もっとも、神谷は朝日新聞に載せた文章ではリリーへの評価をかなり厳密に行ってい
る。 「リリー博士は当時、10年以内にイルカ語が解読され〔人間との〕会話は実現できるとしたが、その後、この研究は進展せず、博士が主宰された研究所もいつしか閉鎖されてしまった。」「現時点で神経科学者にイルカとの会話の実現性を問えば、答は『ノー』であろう。」
しかしその一方で神谷は、リリーの説は否定もできないとして、イルカの知能研究が進まないのは「今日の国際的規約からみてイルカの神経系の実験はもはや許されないからである」としている。そして「人間の脳をもしのぐ複雑なひだを持ったイルカの脳」という表現で、将来
への期待をかき立てているのだが、ここには奇妙な自己撞着がある。すなわち、イルカが尊重されていて不自然な実験が不可能だから知能が解明されないのだと彼は言うが、しかしイルカへの尊重とは高知能が検証されなければ出てくるはずのないものではなかろうか。証明すべ
き論点の先取という論理的誤謬がここにはある。またこの頃すでにチンパンジーなど霊長類の知能研究が相当進んでいたことを考えると、イルカの知能が解明されないのは手段が制約されているからだとする彼の論理はどうにも苦しい。 神谷はあからさまに捕鯨を攻撃するような
論調は避けているが、最後に「鯨類との共生」という表現で暗に反捕鯨側の主張を喧伝している。それは、マッド・サイエンティストたるリリーの名を真面目に引用していることと並んで、彼の基本的姿勢を表すものであると言っていい。 そもそも、著書『鯨の自然誌』の「あと
がき」からして、国際文化の政治性にこの人がいかにナイーヴであるかを示している。そこで彼は、漁業で網にかかったイルカがかつては殺されたり食肉として売られていたものが、なるべく海に戻すようにというふうに日本の行政指導が変わってきたことを、「国際的なマナー
をそなえた嬉しい芽生え」と述べている。彼にとっては欧米の習慣は何でも「国際的」なのであり、それが他国に浸透するのは国際政治の力関係に寄るところが大きい、という基本的認識すらないのだ。私が連載第1回で三島由紀夫から引用した、若い日本人作家には傲慢に話しか
け、欧米人には卑屈に笑って「オー・イエス」を繰り返す老学長と同じような態度が、この医学者に見られるのは偶然なのだろうか。 ともあれ、神谷の登場は捕鯨問題に対する朝日の態度に変化が起こったことを示す徴候であった。もっとも一気に180度転換したわけではない。
4月には捕鯨の町・宮城県牡鹿町のルポが載り、さらに「私の紙面批評」では五十嵐邁(信越半導体社長・日本蝶類学会会長)が「歪められた自然保護思想と対決を」と反捕鯨国を厳しく批判した。しかしその一方で、IWC京都会議を前にした特集「クジラと生きる」では反捕鯨
側の主張にもかなりスペースが割かれている。長くなるので内容の検証は省くが、ここでもリリーの名が出てきており、朝日内部の反捕鯨派がリリーを論拠の一つにしようとしていたらしい、というのは憶測の域を出ないが、このマッド・サイエンティストをまともに見てしまう
248 :
名無しさん@3周年:2009/01/11(日) 21:37:59 ID:v7bftpvj
本物の基地外には打つ手なし・・と。w
視点が紛れ込みつつあったのは間違いない。21世紀初頭においては(…)イルカやチンパンジーと自由に対話を楽しむことも、あながち夢物語とは言い切れない。」「イルカ語の解読に成功したという報告」はどこから出されたのだろうか。もしそれが真実なら、
鯨イルカ真理教が蔓延している反捕鯨国ではすぐさま「イルカが訴えていること」とか何とかいう本が出されそうなものだが、寡聞にしてそういう話は聞かない。また、前回のカール・セーガンについての分析で述べたように、鯨類高知能説の最盛期は50年代
後半から60年代にかけてであり、セーガンは一時それに乗りながら、80年を過ぎると霊長類高知能説に乗り換えて鯨類高知能説を口にしなくなった。 80年以降、動物の知能に関する学問の主流は完全に霊長類に移ったのである。米国のイルカ学の泰斗が91年に
出した本で鯨類高知能説を否定していることにも前回触れた。 こうしてみると、リリーのようなマッド・サイエンティストを引用しながら書かれた神谷の本の位置が分かるだろう。「遅れてきた青年」というノーベル賞作家の小説名に倣うなら、神谷は「遅れ
てきた鯨類高知能説学者」なのである。 彼が遅れて登場したのにはそれなりに理由があろう。日本では70 - 80年代には反捕鯨国の横暴に対する批判が強く、鯨イルカ真理教的な本は出る余地が少なかった。ところが90年代になるとかつてのような捕鯨は再開
不可能なのではないかという気分が国内に広まり、また捕鯨が盛んだった時代を直接知らない若い世代も増えた。そこに鯨イルカ真理教徒的な論者が登場する余地が生まれたのである。しかし彼の登場は、繰り返すが、学問の流れからすれば時代遅れであった。
裏を返せば、鯨イルカ真理教的な論者には人材がいなかったということになる。 もっとも、神谷は朝日新聞に載せた文章ではリリーへの評価をかなり厳密に行っている。「リリー博士は当時、10年以内にイルカ語が解読され〔人間との〕会話は実現できるとし
たが、その後、この研究は進展せず、博士が主宰された研究所もいつしか閉鎖されてしまった。」「現時点で神経科学者にイルカとの会話の実現性を問えば、答は『ノー』であろう。」しかしその一方で神谷は、リリーの説は否定もできないとして、イルカの知
能研究が進まないのは「今日の国際的規約からみて
イルカの神経系の実験はもはや許されないからである」としている。そして「人間の脳をもしのぐ複雑なひだを持ったイルカの脳」という表現で、将来への期待をかき立てているのだが、ここには奇妙な自己撞着がある。すなわち、イルカが尊重されていて不自
然な実験が不可能だから知能が解明されないのだと彼は言うが、しかしイルカへの尊重とは高知能が検証されなければ出てくるはずのないものではなかろうか。証明すべき論点の先取という論理的誤謬がここにはある。またこの頃すでにチンパンジーなど霊長類
の知能研究が相当進んでいたことを考えると、イルカの知能が解明されないのは手段が制約されているからだとする彼の論理はどうにも苦しい。神谷はあからさまに捕鯨を攻撃するような論調は避けているが、最後に「鯨類との共生」という表現で暗に反捕鯨側
の主張を喧伝している。それは、マッド・サイエンティストたるリリーの名を真面目に引用していることと並んで、彼の基本的姿勢を表すものであると言っていい。 そもそも、著書『鯨の自然誌』の「あとがき」からして、国際文化の政治性にこの人がいかに
ナイーヴであるかを示している。そこで彼は、漁業で網にかかったイルカがかつては殺されたり食肉として売られていたものが、なるべく海に戻すようにというふうに日本の行政指導が変わってきたことを、「国際的なマナーをそなえた嬉しい芽生え」と述べて
いる。彼にとっては欧米の習慣は何でも「国際的」なのであり、それが他国に浸透するのは国際政治の力関係に寄るところが大きい、という基本的認識すらないのだ。私が連載第1回で三島由紀夫から引用した、若い日本人作家には傲慢に話しかけ、欧米人には
卑屈に笑って「オー・イエス」を繰り返す老学長と同じような態度が、この医学者に見られるのは偶然なのだろうか。ともあれ、神谷の登場は捕鯨問題に対する朝日の態度に変化が起こったことを示す徴候であった。もっとも一気に180度転換したわけではない。
4月には捕鯨の町・宮城県牡鹿町のルポが載り、さらに「私の紙面批評」では五十嵐邁(信越半導体社長・日本蝶類学会会長)が「歪められた自然保護思想と対決を」と反捕鯨国を厳しく批判した。しかしその一方で、IWC京都会議を前にした特集「クジラと
生きる」では反捕鯨側の主張にもかなりスペースが割かれている。長くなるので内容の検証は省くが、ここでもリリーの名が出てきており、朝日内部の反捕鯨派がリリーを論拠の一つにしようとしていたらしい、というのは憶測の域を出ないが、このマッド・サ
イエンティストをまともに見てしまう視点が紛れ込みつつあったのは間違いない。繰り返すが、リリーの説はこの頃にはすでに時代遅れのシロモノになっていたのであり、これは朝日の記者がいかに不勉強であったかの証拠と言わねばならない。この頃の朝日の
姿勢が揺らいでいた事実を端的に示しているのは、93年の社説である。京都のIWC総会について2度社説が載ったのである。まず最初は、5月4日付けの「南極海をクジラ研究聖域に」である。標題から分かるように、この年フランスから出された、南極海を鯨
の聖域にしろという提案を支持したものだ。もっともこれまでの経緯をふまえて書かれており、鯨をとるのは全面的にいけないと主張しているのではない。「クジラだけを偏愛する保護論には賛成しかねる。再生産力がある自然は、そのおこぼれをありがたくい
ただいてもいい。」と一応鯨イルカ真理教には一定の距離をおいている。その上で、「日本がいま公海での捕鯨にこだわることが、資源・環境外交全体のなかで、果たして賢明な選択なのかどうか。」と、主として政治的戦略の視点から、南極海の捕鯨からは撤
退し日本沿岸の捕鯨については再開を求める方針がよかろうと述べている。ただし先に引用した87年社説とは違って、IWCが「クジラ愛護クラブ」、すなわち特定の動物観に支配された宗教団体のごときものになっているという認識はあるものの、改善案はま
ったく示されていない。「南極海をあきらめれば、〔日本沿岸の捕鯨については〕加盟国の理解が得られるのではないだろうか」というきわめて無責任な希望的観測を述べるだけである。聖域案に加担したこと自体よりもこの点において、社説の知的レベルは87
年に比べて大幅に後退していると言わざるを得ない。しかしその12日後の5月16日、IWC総会の直後、捕鯨問題に関する再度の社説が朝日に載った。「どこへいくクジラ論議」というものだ。書き方はいつもの例に漏れず両論併記的ではある。
「今日、IWCを脱退してまで、クジラを食べさせてほしいと願う国民は少ないと思われる。/だが外圧によって捕鯨が撤退に追い込まれる現状は情けないし、『クジラを食べるのは残酷だ』と非難する一部の反捕鯨勢力に対する反感も国内に強いようだ。」
しかし南極海の捕鯨については、「南極海のクジラは当面、産業活動ではなく、研究活動の対象と考えたい。 (…)南極海を全面捕鯨禁止にするサンクチュアリ案には、私たちも賛成できない。以前にサンクチュアリとなったインド洋のように、クジラデータの暗
黒海域になるおそれがあるからだ。」 繰り返すが、リリーの説はこの頃にはすでに時代遅れのシロモノになっていたのであり、これは朝日の記者がいかに不勉強であったかの証拠と言わねばならない。 この頃の朝日の姿勢が揺らいでいた事実を端的に示してい
るのは、93年の社説である。京都のIWC総会について2度社説が載ったのである。まず最初は、5月4日付けの「南極海をクジラ研究聖域に」である。標題から分かるように、この年フランスから出された、南極海を鯨の聖域にしろという提案を支持したものだ。
もっともこれまでの経緯をふまえて書かれており、鯨をとるのは全面的にいけないと主張しているのではない。 「クジラだけを偏愛する保護論には賛成しかねる。再生産力がある自然は、そのおこぼれをありがたくいただいてもいい。」 と一応鯨イルカ真理教
には一定の距離をおいている。その上で、 「日本がいま公海での捕鯨にこだわることが、資源・環境外交全体のなかで、果たして賢明な選択なのかどうか。」 と、主として政治的戦略の視点から、南極海の捕鯨からは撤退し日本沿岸の捕鯨については再開を求
める方針がよかろうと述べている。ただし先に引用した87年社説とは違って、IWCが「クジラ愛護クラブ」、すなわち特定の動物観に支配された宗教団体のごときものになっているという認識はあるものの、改善案はまったく示されていない。 「南極海をあ
きらめれば、〔日本沿岸の捕鯨については〕加盟国の理解が得られるのではないだろうか」 というきわめて無責任な希望的観測を述べるだけである。聖域案に加担したこと自体よりもこの点において、社説の知的レベルは87年に比べて大幅に後退していると言
わざるを得ない。 しかしその12日後の5月16日、IWC総会の直後、捕鯨問題に関する再度の社説が朝日に載った。「どこへいくクジラ論議」というものだ。書き方はいつもの例に漏れず両論併記的ではある。 「今日、IWCを脱退してまで、クジラを食べさ
せてほしいと願う国民は少ないと思われる。/だが外圧によって捕鯨が撤退に追い込まれる現状は情けないし、『クジラを食べるのは残酷だ』と非難する一部の反捕鯨勢力に対する反感も国内に強いようだ。」 しかし南極海の捕鯨については、 「南極海のクジ
ラは当面、産業活動ではなく、研究活動の対象と考えたい。 (…)南極海を全面捕鯨禁止にするサンクチュアリ案には、私たちも賛成できない。以前にサンクチュアリとなったインド洋のように、クジラデータの暗黒海域になるおそれがあるからだ。」 として、
捕鯨の研究的側面を強調しつつ、聖域案を否定している。 実は12日前の社説とこの社説がどの程度違うか、かなり微妙なところがある。というのは、前の社説は南極海の聖域化を訴えてはいたが、研究目的の捕鯨がどう扱われるべきかには触れていなかったか
らだ。しかし鯨イルカ真理教側にとっては「聖域」の意味は明瞭である。鯨は聖獣でありいかなる理由であれいかに資源量が豊富であれ捕獲はイケナイというのが彼らの論理なのだから、聖域案とは理由の如何を問わず捕鯨は禁ずるというものでしかあり得ない。
2度目の社説はそれをふまえ、フランスの言う「聖域」案は否定し、しかし前の社説との整合性も何とか保った、という体のものであろう。ともあれ、この社説では聖域という言葉は肯定的には使われていないし、最後には、 「初期のIWCでは、早い者勝ち
で捕獲量を競う『捕鯨オリンピック』が非難の的になった。いま、参加することだけに意義があるかのような『IWCオリンピック』のあり方が問われている。」と、IWCの現状への皮肉も述べられていて、前の社説とのスタンスの差が浮き出ている。中11日
をおいて2回社説が載り、しかもそのスタンスが違うという事態はどうして起こったのか。内部事情を知らない私は推測するしかないが、二つの要素があったのではないか。まず、朝日内部の捕鯨派と反捕鯨派の抗争である。最初の社説は後者に配慮して書かれ
た。しかしフランスの聖域案はこの年のIWCでは通らなかった。そうした結果をふまえて、2度目の社説は前者の主張に配慮して書かれたのではなかろうか。 ここに見られるように、この頃から朝日の社説が状況追随的になっている(これが第二の要素なのだ
が)のは悪い意味で注目に値する。批判能力が減退し、周囲にずるずる引きずられるような社説は、日本のオピニオンリーダーたる責務を自ら放棄しつつある朝日の姿勢を暗示している。ところで朝日の内部抗争だが、それを明示する記事が4月23日に掲載され
ている。捕鯨問題について、捕鯨派の編集委員・土井全二郎と反捕鯨派の編集委員・石弘之とによる「捕鯨対論」が掲載されたのである。紙面の左右を使ってそれぞれが持論を展開するという構成であった。 石は環境問題の専門家と目されており、岩波新書か
ら『地球環境報告』『酸性雨』といった著書を出していた。この反捕鯨論を書いた翌94年に朝日新聞を退社し、96年からは東大教授になっている。彼は前述のように87年にも反捕鯨を主張する署名コラム記事を書いている。しかしそれは分量的には多くなかった
ので、本格的な持論を展開するのは初めてであった。またそれは、神谷のような外部執筆者でなく、反捕鯨派の自社記者が姿を現したという意味で、朝日の姿勢転換を示す事件でもあった。 ここでは、「畜肉ならいいのか」と題した土井の主張には多くは立ち
入らない。長年捕鯨問題と取り組んできた土井は、資源量に関わりなく捕鯨に反対するIWCの奇妙奇天烈さ、自国アラスカ原住民には捕鯨を認めながら日本の沿岸捕鯨にすら反対するアメリカの身勝手さなどを簡潔に批判している。 では石の主張はどうか。
彼は、欧米の反捕鯨論者が述べる論拠は様々だが、日本に最も伝わっていないのは「日本の水産に対する抜きがたい不信感である」と言う。その論拠として彼が挙げるのは、近年鯨の代用品として沿岸イルカ漁が増えており、資源が減少しているということなの
だ。そして鯨密漁の「うわさ」や密輸事件を挙げて、日本の水産行政は信用できないと言う。として、捕鯨の研究的側面を強調しつつ、聖域案を否定している。実は12日前の社説とこの社説がどの程度違うか、かなり微妙なところがある。というのは、前の社説
は南極海の聖域化を訴えてはいたが、研究目的の捕鯨がどう扱われるべきかには触れていなかったからだ。しかし鯨イルカ真理教側にとっては「聖域」の意味は明瞭である。鯨は聖獣でありいかなる理由であれいかに資源量が豊富であれ捕獲はイケナイというの
が彼らの論理なのだから、聖域案とは理由の如何を問わず捕鯨は禁ずるというものでしかあり得ない。 2度目の社説はそれをふまえ、フランスの言う「聖域」案は否定し、しかし前の社説との整合性も何とか保った、という体のものであろう。ともあれ、この社
説では聖域という言葉は肯定的には使われていないし、最後には、「初期のIWCでは、早い者勝ちで捕獲量を競う『捕鯨オリンピック』が非難の的になった。いま、参加することだけに意義があるかのような『IWCオリンピック』のあり方が問われている。」
と、IWCの現状への皮肉も述べられていて、前の社説とのスタンスの差が浮き出ている。中11日をおいて2回社説が載り、しかもそのスタンスが違うという事態はどうして起こったのか。内部事情を知らない私は推測するしかないが、二つの要素があったのでは
ないか。まず、朝日内部の捕鯨派と反捕鯨派の抗争である。最初の社説は後者に配慮して書かれた。しかしフランスの聖域案はこの年のIWCでは通らなかった。そうした結果をふまえて、2度目の社説は前者の主張に配慮して書かれたのではなかろうか。
私は、水産行政に対する石の批判自体は当たっている部分もあると思う。問題は、IWCや南極海での捕鯨が論題になっている場面で、なぜこういう迂遠な論法を使うのかである。環境問題の専門家である彼が、鯨の資源量やIWCを直接論じないのはどうしてだ
ろうか。答は簡単だ。論じられないからである。IWCや反捕鯨国の態度を見れば、それがまともでないことは明瞭だ。朝日新聞に採用される程度の知性の主なら、いかな反捕鯨派でも、IWCが正常だとかミンク鯨は絶滅寸前だとか強弁することは不可能である
。そんな主張は太陽が月の周りを回っているとするようなものだ。だから石は直接捕鯨問題を扱わず、周辺領域に逃げたのである。石はそれを隠すために、「沿岸さえ守れない国が遠洋の資源を守るはずがない、とみられても当然であろう」と言うのだが、普通に
256 :
コピペ:2009/01/11(日) 22:42:10 ID:YqgXqrfc
わかりやすいまとめ
835:名無しさん@九周年 01/09(金) 15:08 ZyDPnLat0 [sage]
>>830 IWCの設立理念は「海産資源である鯨を国際的に共同管理する」ためで、
鯨(特にミンククジラ)は日本も受け入れた国際的休漁であるモラトリアムによって
資源数が回復しており、管理は可能であると言えるようになった。
ところが、「鯨全般」が増えたのではなく、ミンククジラなど繁殖力の強い小型鯨類は
爆発的に増えた一方で、大型鯨類はモラトリアム前からの減少に歯止めが掛からないどころかさらに減ったのでは、と言われるようになった。
モラトリアムさえすれば回復するはずという目論見は一部は正しく一部は正しくなかった。
その原因を調査するために「回復数を目視でカウント」するだけでなく、
「定められた特定品種を定められた定数ごとに持続的に捕獲する」ことで、 減少原因を突き止めようとしている。
調査捕鯨は、それまで不明だった「鯨は何を食べているか、どこで、どのくらい食べているか」
を解明したのだが、これは目視では調査不可能で、捕獲・解体して腸内の食餌分量を調べなければ解明できなかった。
その結果、「ミンククジラがその他の大型鯨類の餌と共通するものを食べており、
モラトリアムの結果として大型鯨類の餌場をミンククジラが荒らし、ミンククジラは大幅に増えたが、
大型鯨類はミンククジラに圧迫されて減った」という調査結果が出た。
ところが、その調査は「科学的ではない」というのが反捕鯨派の主張。では、反捕鯨派が主張する
目視によるカウントだけで、食べている餌や相関関係が解明でき、捕獲調査の結果に対して
科学的に反論できるかというと、それは実現不能で「可哀想だから殺すな」にすり替えられてしまっている。
牛や豚だって、無分別な放牧期などを経た後、出産数、育成可能な規模や季節などが解明されて家畜化された。
鯨についても、無分別な捕鯨時代は既に過ぎ、捕獲数調整で持続的な捕鯨が可能な段階に移りつつあるが、
無分別な捕鯨をしていた当人たちの子孫は、その原罪意識から懺悔を日本にまで要求している。
鯨の管理は可能だよ。
それを認めたくない人たちがいるだけで。ハリハリ。
考えれば事態は逆ではなかろうか。昔の乱獲時代ならいざ知らず、現在では国際的な監視の目が厳しい南極海での方が、外からの目が届かない自国沿岸より乱獲は困難、と考えるのが筋というものであろう。そもそも、日本は昔から基本的に南極海での捕鯨につい
ては規約を守っている。乱獲時代には確かに獲る側の論理が優先して規約自体が大甘であり、資源の減少を防げなかった。日本も捕鯨国としてそれに責任を負わねばならない。しかし捕鯨への目が厳しくなり、また漁業資源一般への保護意識が高まった現代、大甘
の規約を設定すること自体がすでに不可能なのだ。捕鯨頭数を遵守するために監視員を捕鯨船に同乗させるなどの措置も商業捕鯨末期には行われた。条件が乱獲時代とは全く異なっているにもかかわらず、石はそれを無視している。石はさらに次のように言う。
「公海資源は人類の共有財産として貧しい国のために役立てようという意識が世界的に高まっているときに、その主張は傲慢としか響かないだろう。/鯨肉をもはや必要としないノルウェーやアイスランドも、同じ責めを受けるべきであろう。/これだけ満ち足り
た日本に『やらない』国際貢献という発想があってもよいころだ。つまり、海外の森林を破壊しない、公害を輸出しない、そしてクジラも捕らない。」まず最初の言い分だが、これは端的に言って大嘘である。もし公海の資源が貧しい国にのみ供されるべきだとい
うなら、欧米先進国は公海での漁業を放棄しているはずだが、そういう感動的な自己犠牲を払っている国はどこにもない。それどころか、漁業水域200海里のように、資源を自国に取り込むための方策を怠りなくやっている。これを真っ先に実施したのは米国であり
、反捕鯨の急先鋒こそがエゴイスティックな資源外交を展開した張本人だったのだ。また大西洋(公海)のカレイ漁をめぐってEUとカナダの間で争いが起こった際は、発砲事件まで起きている(朝日、95年3月19日)。次に、鯨を「貧しい国に」というなら、日
本への割り当てを削ってどこかの後進国に回せばよいわけだが、無論IWCはそんなことはやっていない。話を一般化するが、石はこの一年前に出した著書『酸性雨』の中では、「日本は大気汚染の対策では世界の『先進国』と誇ってよいだろう」と言い、現在世
258 :
名無しさん@3周年:2009/01/11(日) 23:16:57 ID:R7e69x8g
>>1 だだちゃ豆公明(オクダ、なにやっとんねん?)・キャンベラ・シーシェパード
界でもっとも深刻な環境問題は「酸性雨被害とゴミ問題だ」と断言している。無論、環境問題には様々な側面があり、ある面で優れているから万事に良好とは言えないが、すでに述べたように問題を正面から扱わずに周縁に逃げているということからしても、別段
環境対策の優等生でもない外国が日本に抱く「不信感」を強調せざるを得ないところからしても、石の反捕鯨論の苦しさが分かろうというものだ。第二段落以降の主張だが、そもそも捕鯨国でもアイスランドなどは決して裕福とは言えないのである。もしそれでも
『必要ない』から捕鯨をやめろというなら、まずアメリカのイヌイットの捕鯨中止をなぜ主張しないのか。しかもイヌイットの獲っているホッキョク鯨は資源量が極めて少ないというのに。世界一裕福な国が資源量の少ない鯨を獲るのをまずやめるべきだとは、反
捕鯨派はなぜか決して言わないが、この二重基準が石の主張にも明瞭に現れている。反捕鯨派とは、どうやらアメリカの精神的奴隷らしい。そもそも、「満ち足りているから鯨は捕るな」という言い方は、「鯨を捕るのは好ましくない」という前提条件がないと成
り立たない。捕鯨国は資源量が十分である限りは鯨を捕るのが好ましくないとは全然思っていないのだから、石のこの主張は、先に批判した神谷と同じく論点先取の論理的誤謬に陥っている。反捕鯨派の非論理性はどうやら骨髄まで染み入っているらしい。
87年に彼が書いた反捕鯨記事にも触れておこう。 7月21日付け「変曲点」というコラムであるが、その主張は次のようなものだ。「著者は長いこと捕鯨問題に関心を持って欧米のさまざまな捕鯨反対グループと接触してきた。以前は、確かに非常識といっていい極
端な主張も一部にはあった。しかし最近は聞いたこともない。」「米国のカリフォルニア沖やハワイ沖などには、毎年のように何百というマッコウクジラやコククジラが回遊してくる。それを何万という人が、観光船でウォッチングに出かける。クジラには名がつ
けられ、市民の一員として愛されている。」「日本は、一方で、膨大な肉を残飯として捨てながら『クジラは日本人の重要なたんぱく源』といい、『捕鯨は日本特有の文化だ』と叫び、『〈科学的根拠〉からしてあと何頭殺せるはずだ』と、いい立ててきた。いよ
いよ過密化する地球で、野生の生き物と人間が共存するかを真剣にさぐる、という世界の大きな潮流の変化にまったく気がついていないのである。」ここにも捕鯨をやめなければならない説得的な理由は何一つ書かれていない。反捕鯨グループの掲げる理由は「極
端」でないものも全く挙げられていないし、第二段落は、米国の習慣はすべて美しく先進的に見えるという彼の不思議な性癖を伝えるだけだ。「世界の大きな潮流」といった表現は、右で見た93年の反捕鯨論で用いた「不信感」と同じく、資源量やIWCの内幕で
勝負できないがために持ち出された曖昧な美辞麗句の域を出ない。日本で鯨肉が無駄に捨てられているわけでもないのに、他の残飯のツケを鯨に回そうとするのも反捕鯨論者の常套手段である(私とWWFJとの往復書簡を参照)。 さらに、朝日の姿勢が93年に
変わったことを示すのは、「ひと」欄への相次ぐ反捕鯨派の登場であった。まず5月5日にシャチ研究家ポール・スポング(リリーも神谷もそうだが、生物学者というのはそもそも生物が好きだというところから出発しているので、動物が人間より大事に見えるよう
である)が出ているが、この記事には「鯨の言葉、本当にわかるのですか」という見出しがついていて、ここにもリリーの影が感じられる。3日後の5月9日にはWWFJ会長・羽倉信也が登場した。WWFJは5月5日に反捕鯨広告を朝日に出している(それが『nem
o』第2号に掲載した私との往復書簡の契機になった)。第一勧銀相談役でもある彼が、反捕鯨広告を出した団体の会長に前年から就任しているということは、日本の企業や財界の方向転換を暗に示すものだと考えられる。羽倉はここで「出身銀行が捕鯨会社の有力
な融資先だった時代もあります」としながら、「企業も自然と共存していくしか未来はありません」と述べて、「自国のことばかりでなく、世界全体の問題での貢献が求められる時代になったんです」と語っている。一般論としては大変美しく、誰でも賛成するし
かない言葉だ。ただ、その裏も同時に読みとれる言葉でもある。すなわち、企業や財界からするとイメージ戦略が重要な時代になったのだということである。すでに事業規模として小さくなっている捕鯨を支持するより、自然保護に味方していますという企業イメ
ージを作り上げた方が利益につながる、この頃から財界はそう判断するようになった。そのため財界トップの人間をWWFJに送りこみ、企業からの募金をしやすくしたのだ。こうした利益がらみの方向転換が羽倉の言説には見え隠れしている。私は羽倉を見てい
ると、「死の商人」という言葉を思い出す。武器を売ることによってではなく、文化差別を売ることによってひたすら利益を追求する、倫理性とは無縁の存在をそう呼びたいと思う。或いは、評論家で慶大助教授の福田和也が「僕の観察だと、政治家、知識人、財
界人、官僚で、一番ひどいのは財界人。財界人の頭はひどい。クルクルパーしかいない」と述べたこと(『愛と幻想の日本主義』、春秋社、99年)も首肯できそうな気がしてくる。実際、朝日の「ひと」欄に載った羽倉の写真は、戦後日本で最も甘やかされてきた
銀行という業界で頂点を極めた人間にふさわしく、品のない笑いを浮かべている。日本の企業が寄付したカネによって欧米の環境運動家が日本を叩く、そんな倒錯した図式ができあがったのはこの頃からである。その点で、羽倉のような節操のない財界人には重大
な責任がある。私が羽倉の立場にいたら、どうするだろうか。まず、WWFのような文化差別を内包した環境保護団体には名を貸さないしカネも出さない。そもそも欧米の団体は彼らの論理で動いているので、それに乗っかるという形では日本の独自性は出てくる
はずもないのだ。私なら、そうした認識をもとに、自前の環境保護団体を作るだろう。そして自らの判断基準に従って、必要なところにはカネも人も惜しまずに援助するが、反捕鯨運動をやっている差別意識丸出しの環境団体にはいっさい援助はしないだろう。欧
米の文物を猿マネすればステイタスが上がる、という浅薄な態度の問題性を、羽倉はまるで意識していないようである。財界人の知性が問われる場面と言えよう。ちなみにこの年の秋、10月3日・4日には「ひと」欄に神谷敏郎とライアル・ワトソンが、翌年4月8日
には海洋動物写真家のタルボットが登場した。彼らは直接捕鯨問題との絡みで取り上げられたのではないが、実質的な反捕鯨派の彼らが続けてこの欄に出てくるのは、朝日記者の人脈がかなり片寄りつつあった証拠であろう。さらに、IWC総会の終了後、「論壇
」欄に捕鯨派・反捕鯨派の主張がそれぞれ掲載された。前者は日本鯨類研究所理事長・長崎福三(6月3日付け)、後者は環境科学文化研究所長・藤原英司(6月12日付け)である。藤原の主張については、彼の資質との関連もあり別に取り上げたいと思うので、こ
こでは触れない。要は反捕鯨派がかなり紙面に登場するようになったという事実が分かればよい。またこの93年にはノルウェーが捕鯨モラトリアムを破棄し、商業捕鯨を再開した。これには独自の法的根拠があって日本も同じ行動をとるわけには行かなかったが、
IWCの調整機能が破綻に瀕していることが改めて明らかになった。翌94年1月25日、「イルカ・クジラと共存を考えよう」という記事が朝日の家庭欄に載った。これは「第4回国際イルカ・クジラ会議」が4月に江ノ島で開かれることを伝えたものだが、主催の「
アイサーチ・ジャパン」の岩谷孝子代表が「イルカやクジラは、独特の方法で人間の知らない過去の事実や知識を蓄積しているはず」と述べている、とも書かれている。繰り返し述べてきたように、リリーを嚆矢とするこの種のトンデモ話はすでに時代遅れになっ
ているにもかかわらず、それを堂々と載せてしまう朝日新聞の知性は救いがたい。オウム真理教教祖の言葉を批判的視点抜きで載せるも同然なのだが、朝日記者の不勉強ぶりは目を覆うばかりだ。またこの記事にはリリーやスポングが会議に参加するとも書かれ
てあり、前年「ひと」欄に登場したスポングという人物の正体がここからも分かる。なおリリーは4月9日付の「気になるこの人」というコラムでも取り上げられていて、朝日内部に彼のトンデモ話を信じ込んでいた記者がいたことはほぼ間違いない。「良心的」
「進歩的」な人間が意外に神秘主義に弱い、という現象をどう見るべきか。熊本日々新聞編集委員・春木進は、宇井純(東大助手時代に良心的知識人のお手本とされ、その後沖縄大学教授に転じた)がカルト集団ヤマギシ会を支持したことについて、「宇井氏の
ヤマギシ観にも、コミューンへの抜きがたい共鳴や支持の心理があるように感じられる。そして革新的な団体は人権を侵害するような行為はしないという、幻想に近い確信も――」と述べている(『カルトの正体』、宝島社、00年)。反捕鯨団体は一種のカルト
集団であるから、この見方は一部の朝日記者にも通用するのではなかろうか。94年5月のIWC会議では南極海の鯨聖域案が可決された。その数日前に朝日に載った社説は、基本的に前年の最初の社説と同じものであった。すなわち南極海からの撤退と日本沿岸
捕鯨の確保である。「反捕鯨国の代表が言うように、『これは科学ではなく、政治の問題』である。」私は、反捕鯨国がこうした非論理的な言辞を吐くのはともかく、日本を代表する新聞がこの摩訶不思議な論理に賛成することを恥ずかしく思う。朝日新聞は自
分がやっていることの意味が分かっていたのだろうか。日本は外国から差別されても我慢しよう、そう言ったも同然なのだ。いや、日本だけの問題ではない。ノルウェーなど他の捕鯨国や原住民捕鯨を行っている他民族の問題でもあるのだ。「政治」と言いさえ
すれば少数者への差別がまかり通ってもいい、朝日の社説はそう述べているのである。確かに「政治」上、論理的におかしなことや差別的な政策が通ってしまうことはある。政治家は諸般の事情からこれに同調せざるを得ない場合もある。心情倫理では政治は語
れないからだ。だが、高級紙がそれに同調するとなれば話は別である。政治は政治として、その決定は文化差別だとはっきり指摘することが言論機関の責任ではないのか。朝日はその責任を放棄したのである。この卑屈な姿勢は、(1)でオランダと日本の関係
に言及した朝日の記事と同じ論調だと言っていい。朝日の記者は、国際関係や歴史認識において徹底的にズレている。それは一見両論併記的な他の箇所にも見て取れる。「クジラを食べることを野蛮呼ばわりされる筋合いはない。一方、地球上最大の動物として
のクジラを敬愛する気持ちも分かる。」社説のタイトル自体が「クジラ文化の多様性を求めて」なのだが、右の文章は果たして「多様性」を求めるものと言えるだろうか。捕鯨問題の現状を見えれば、答はノーである。そもそも「鯨への敬愛」というのが、自然
から遠ざかって生活している都市生活者が、エネルギーを濫用しハイテクに囲まれた快適な暮らしを送りながら、自然を利用して生きている非都市生活者に自分の身勝手な幻想を強制するものであって、おのれの生活は棚上げして「俺は自然保護に賛成している
んだ」という自己欺瞞をでっち上げるための方策に過ぎないのであるが、それは措くとして、鯨を敬愛する人間は自分で勝手に敬愛していればよく、他国や他民族の鯨との付き合い方にくちばしを差し挟む権利はないはずである。ところが捕鯨問題とは、鯨を「
敬愛」する人間が、他国他民族の鯨を食べる文化習慣を攻撃したところに端を発している。IWCの救いがたい運営もそこから来ているのだ。反捕鯨派とは自分の意見を世界規模で押しつけ、「文化の多様性」を根絶やしにしようとする人間のことである。それ
を批判しないでどうして「多様性」が保たれるのだろうか。朝日は物事の核心部分がまったく見えていない。しかし事はこれで終わらなかった。さらに悪質な記事が載ったのである。科学部次長・石田裕貴夫によるものだ。石田は捕鯨に関して2度署名記事を書
いている。最初はIWC総会の前に「ミニ時評」欄に載せた「捕鯨をめぐる論争・何も決めないIWC」である(5月9日)。まず捕鯨論争を概観し、IWCは捕鯨派と反捕鯨派の対立で何も決まらない国際会議になっていると述べた後、「今年も何も決まらない
だろうが、商業捕鯨にこだわり続ける日本の姿勢は現実から目をそむけているとしか映らない。クジラで国のイメージをずいぶん損なっている」と結論づけている。右の記述からして石田の指向性は明らかだが、「今年も何も決まらないだろう」という予測は見
事にはずれ、総会は南極海の鯨聖域案をごり押しで通してしまった。つまり、彼はどうも反捕鯨派の事情に通じているわけでもないらしい。物事をよく知らないまま、状況に流されてきれい事を言う性格なのだ。それは聖域案が通った後、6月1日に「主張・解説
」欄に載せた長めの記事から明瞭に見て取れる。「クジラとプルトニウムが映す日本」というタイトルで、要はプルトニウム利用と捕鯨に固執する日本は「環境保護、核軍縮の世論」に逆らうものだ、というのである。プルトニウムと捕鯨を並べるのもずいぶん
乱暴な話だが、要は日本を叩くネタを並べればもっともらしい記事になると思っているのだ。第一、「核軍縮」を言うならまず核兵器を所持している米英仏等の反捕鯨国を叩くべきで、兵器としての核を持たない日本を「核軍縮の世論」に反しているとするのは
完全に筋違いである。石田は反捕鯨を「地球主義の流れ」というのだが、特定の動物を可愛いとする価値観の押しつけがどうして「地球主義」なのだろう。それは正しくは「地球全体主義」というべきだ。石田がそう言わないのは、無論そう言えばこれがファシ
ズムの一種だと露見してしまうからである。石田は、資源量を無視してかかるIWCを正当化するために、「科学も万能ではない」として、1年前に紙面に登場した藤原英司の意見を持ち出す。「野生動物がどこでエサをとるか、眠るか、お産をするかを知って
おかないと、いつか滅びる」というのだが、これほどバカバカしい見解はあるまい。例えば鯖や鰯が「どこでエサをとるか、眠るか、お産をするかを」知っておかないと漁ができないなんて阿呆な話を聞いて、笑い出さない者がいるだろうか。資源量を正確に見
積もることは大事だが、それにはエサ場や「どこで眠るか」の知識は不可欠なものではない。もし藤原や石田が本当にそう信じているなら、欧米に行って漁業関係者の前で「エサ場や睡眠場所が分からない魚はとるな」と主張するがいい。笑われなければ、袋叩
きにされるのがオチだろう。藤原の意見は要は反対のための屁理屈であり、それをとり上げた石田の頭の悪さにはあきれ果てるしかない。これが「科学部次長」なのでは、朝日新聞の知性が知れるというものである。比較の意味で、94年に南極海聖域案が通った
時に他紙が掲げた社説を見ておこう。今度は毎日新聞を取り上げよう(5月29日)。毎日は日本の主要紙の中では朝日と並んで進歩派と目されるが、社説は朝日に比べるとはるかに筋が通っている。まず、朝日と違って「鯨を敬愛する人の気持ちも分かる」など
と文化差別を容認するようなことは全然書いていない。聖域化が科学的根拠のない決定だとし、さらにIWC総会が同科学委員会の勧告を無視したことに抗議して英国人の科学委員会議長が辞任した事実にも触れている。こうしてIWCの内幕がかなり無茶苦茶
なものであることをはっきり指摘した上で、IWC脱退は避けて「主張すべきところを主張すべきだ。 (…)野生動物の持続的利用という普遍的原則を譲る必要はない。それに耳を傾ける理性ある者も現れてこよう。事実、欧米の有力紙にも、ここ1、2年、限定
的捕鯨を認める論調が登場している」と、日本の基本的主張を粘り強く訴え続けるよう求めている。理不尽な反捕鯨派への迎合はいささかも見られない。朝日の記事に戻るなら、従来捕鯨問題を精力的に担当してきた土井編集委員は6月3日の「ミニ時評」欄で自
説を開陳するにとどまった。社内の力関係が変化したことが分かる。もっとも一気に反捕鯨派の記事だけが載るようになったわけではない。「論壇」欄には鯨研勤務の三崎滋子(94年12月27日)や学研元取締役・今井建一郎(95年5月26日)など捕鯨再開を支持
する人間の意見が掲載されている。ただ、IWCの理不尽さをきちんと分析する記事は載らなくなった。そして社説の論調は、94年以降現在に至るまで基本的に変わっていない。(3)再び、朝日の報道姿勢一般について最後に、再度朝日の論調を一般的に検証
しておきたい。今度は約20年間朝日の記者として勤務した安藤博が『日米情報摩擦』(岩波新書、91年)で述べているところを借りよう。80年代末にソニーが米国コロムビア映画社を傘下に収めた際、アメリカのニューズ・ウィーク誌は「日本、ハリウッド侵略
(Invades)」というナショナリズムむき出しの特集記事を組んだ。これについて安藤は、米国の報道には加虐傾向があり日本の報道には逆に自虐傾向があると述べた上で、この問題に関する朝日の社説を「国対国の関係や大衆への配慮に関していささか過敏」
だと評している。具体的には、89年10月5日付けの「米国の心を読み誤ったソニー」だが、この社説は一方でニューズウィーク誌のような感情的な議論を戒めつつも、「日本の経済人は、なぜ米国内に強い反発が生まれたかに思いをはせるべきだろう」「先端技
術や文化に関連した分野については十分な目配りをして投資すべきだ」などと書いている。安藤は「目配り」が具体的にどのように不足していたかに社説がまったく触れていないと指摘して、この場合の取引は純粋にビジネスライクなものと捉えるべきであり、
「それ以上でもそれ以下でもない」と結論づけている。また日本の報道機関の主張性の弱さについて、湾岸危機を例に安藤はこう述べている。
「日本の新聞の社説を読んでいても、湾岸危機に対して日本が何をしようとしたのかはつかめなかったろう。海外から日本を見る目にとってわからないだけではない。国内の読者にとっても、結局どうすればよいかについての指針を得ることができなかったの
ではなかろうか。」そして朝日が「非軍事的貢献」を主張しながら、具体的な内容となるとまったく提示できていないことを逐一指摘した上で、「『朝日新聞』の〔湾岸危機に関する〕社説を約3カ月通して改めて読んでみたとき、どうしても感じざるを得ない
のは、『何をすべきか』を説くことより、『何をしてはならないか』とクギを刺すことに重点が置かれていたことである」と安藤は断じている。こうした朝日の姿勢が、捕鯨問題に関しても明瞭に見られることは言を俟たない。さて、一番最後に、日本の報道
機関の格付けということを考えておきたい。ワシントン・ポスト紙に勤務経験のある石澤靖治に、『日米関係とマスメディア』(丸善、94年)という本がある。それによれば、日本で情報の格付け機関として米国マスメディアが高く評価されているのに対し、
日本のマスメディアは米国でそのような評価を受けていない。そのため、日本では米国紙の記事がよく引用されるがその逆は少ない、という事態が生じる。情報の格付け機関として高く評価されるとはどういうことか。例えば、89年に宇野首相に女性スキャン
ダルが発覚した時、社会党の久保田早苗議員はWポスト紙の記事を掲げて国会でこの問題を追及した。しかしWポスト紙の記事はサンデー毎日での報道をもとにしていた。日本の週刊誌記事の方が先であったのに、久保田はWポスト紙の方に権威を認め、「米
国有力紙で報道されて日本の女性は恥ずかしい思いをしている」と国会で述べたのである。その方が効果的だと考えたわけだが、こうしたメンタリティは少なからぬ日本人が持ち合わせていよう。その後クリントン大統領にも女性スキャンダルが起こったが、
「日本の新聞で報じられて恥ずかしい」と米国国会議員が述べる姿は、想像すらできまい。ここには無論、アメリカと日本の国力の差も絡んではいるが、どうも日本人特有の心理も関係していそうである。外からの視点や情報をありがたがるという傾向。そし
てこうした心理は情報の受け手だけではなく、情報を発信する側にもひそんではいないか。具体的事由を挙げもせずに反捕鯨記事を書いた石弘之や石田裕貴夫にはそうしたメンタリティが認められるように思う。朝日新聞がこうした記者に左右され、筋の通っ
た主張をできないでいる限りは、日本の新聞の格付けは永久に低いままであり続けるだろう。2000年3月14日、ローマ法王は十字軍、異端審問、反ユダヤ主義などをめぐるカトリック教会の罪を認めた。カトリック教会が歴史上の総括的な罪を認めるのは史上
初めてだそうである。十字軍や異端審問からは気が遠くなるような時間が経過している。捕鯨問題をめぐる不正な態度を欧米が認めるまでには同じくらいの時間がかかるかも知れない。こうした欧米人のかたくなさを認識せずに迎合的な態度で友好が示せると
勘違いしている日本人は、ついに彼らの精神的奴隷で終わるしかあるまい。(文中敬称略)
269 :
名無しさん@3周年:2009/01/12(月) 09:16:28 ID:fL8BwStt
>>256 >わかりやすいまとめ
そうだね、捕鯨問題のことをよく知らない人間の妄想といった意味ではよくまとまってる。w
>鯨(特にミンククジラ)は日本も受け入れた国際的休漁であるモラトリアムによって資源数が回復しており、
>ミンククジラなど繁殖力の強い小型鯨類は爆発的に増えた
そのような(科学的に合意された)事実はありません。
>モラトリアムさえすれば回復するはずという目論見
そのような目論見はありませんでした。
なぜならモラトリアムの目的は「鯨不確実性の払拭」にあったからです。
>「定められた特定品種を定められた定数ごとに持続的に捕獲する」ことで、減少原因を突き止めようとしている。
そのような事実はありません。妄想。
>調査捕鯨は、それまで不明だった「鯨は何を食べているか、どこで、どのくらい食べているか」
>を解明したのだが、これは目視では調査不可能で、捕獲・解体して腸内の食餌分量を調べなければ解明できなかった。
胃内容物調査は、消化が悪くかつ直前に食べたものしか調査をすることができない、先天的にバイアスがかかっている調査方法です。
>大型鯨類の餌場をミンククジラが荒らし、ミンククジラは大幅に増えたが、
>大型鯨類はミンククジラに圧迫されて減った」という調査結果が出た。
単に鯨研がそう主張しているだけ。
主張するだけなら高校生にだってできます。
以上、基地外(涙目)の言うことなんか真に受けないほうがいいよ。
古来、動物に対する人間の見方には一定の価値観や偏見がつきまとってきた。近年そうした方面の研究が進んでいる。例えばハリエット・リトヴォ『階級としての動物――ヴィクトリア時代の英国人と動物たち』1)は英国における動物の種々なランク付けの歴史をたどり、
それが英国人の階級や差別意識、植民地主義と関わりを持っていることを明らかにしたし、ボリア・サックス『ナチスと動物』2)は、ナチスが動物保護に関してきわめて先進的であり、それがユダヤ人を虐殺した彼らの世界観と矛盾するものではなかったという事実を解明
したのである。ここでは藤原英司がイルカや鯨をどう見ているかを、彼の著書『海からの使者イルカ』3)を中心に分析してみたいと思う。最初に、なぜそうした分析をここで行うのかを書いておこう。 1982年、国際捕鯨委員会(IWC)は商業捕鯨の無期限モラトリアム(一
時休止)を決定した。しかしそこには、単に鯨資源が減少したからという客観的理由だけでは済まない要因があった。資源量とは無関係に鯨は捕獲してはならない特殊な動物、高度な知性を持つ動物、或いは神聖な動物、とする見方が混じり合っていたのである。4) つまり
、捕鯨問題とは、単に資源量やその科学的測定の問題なのではなく、鯨という動物をめぐる世界観の問題でもある。文化的な価値観とは無縁なはずの自然科学専門誌においてすら、鯨をめぐる価値観の相違は顕在化している。5) こうした問題に光を当て考察を加えるのは、
人文系の学問に属する仕事である。 藤原英司の経歴を簡単に述べておこう。 1933年東京生まれ、慶応大学卒。動物心理学専攻。野生動物に関する多くの著書や訳書で知られ、WWF日本委員会の創設にも携わるなど、自然保護運動に大きな足跡を残してきた。6) 捕鯨問題
に関しては、1993年6月12日付け朝日新聞の「論壇」欄に「環境科学文化研究所長」の肩書きで、「捕鯨活動は根本的な見直しを」を寄稿している。彼のイルカ観を分析することは、野生動物保護を訴える人間一般の思考法を分析することにもつながるであろう。
1.藤原英司と『野生のエルザ』
A. 藤原英司は、野生動物や未開地滞在を扱った洋書の邦訳者として出版界に登場した。記録に残る限りでは、マーチン・ジョンソン『シンバ 百獣の王国タンガニカへ』(白揚社、1958年6月)が最初の出版である。しかし彼の名が広く知られるようになったのは、ジ
ョイ・アダムソン『野生のエルザ』の邦訳を出してからであろう。この書物は原著が1960年に出版されて世界中で読まれ、日本でも62年に訳が出てこの年のベストセラー第11位となっている。7) 藤原はまた、『野生のエルザ』の続編二冊を邦訳しているほか、8)ジョイ・ア
ダムソンの他の野生動物を扱った著作、自伝、そしてその夫ジョージの自伝をも邦訳するなど、アダムソン夫妻とのつながりが深い。また、『野生のエルザ』は世界的に、また日本においても、野生動物というものに対する一般人のイメージを形作るのに重要な役割を果た
した書物である。そこでまず、アダムソン夫妻の人と仕事、そして彼らを藤原がどう見ていたかについて考察を行いたい。野生動物との交流を好む人物のタイプがそこから見えてきて、本論にも少なからぬヒントを与えてくれるだろうと考えられるからだ。
ジョイ・アダムソンは1910年生まれ、名前からすると英国人のように見えるが、オーストリアの出身である。「アダムソン」は、三番目の夫となったジョージの姓で、「ジョイ」というファーストネームは二番目の夫であったペーターが「フリーデリケ・ヴィクトリア」と
いう本来の名を発音しづらいという理由から嫌って、発音しやすい「ジョイ」という名を与えたところから来ている。小さいときに父母が離婚して祖母に育てられるなど、家庭環境には恵まれなかった。しかし音楽や絵画など芸術に広く興味と才能を示していた。二十代でい
ちどアフリカに出かけているが、二番目の夫がナイロビの博物館に職を得たためアフリカに住むようになる。やがて狩猟監視官であるジョージと出会い、ペーターと別れて三度目の結婚をする。この間三回妊娠するがいずれも流産に終わり、自分の子供には恵まれなかった。
しかし、母を失った雌ライオンのエルザを育てて野生に帰す試みを行い、その体験を綴った書物が世界的なベストセラーとなって名が広く知られるようになった。世界中を講演旅行して歩き、またエルザ野生基金を創設するなど、野生保護の国際世論を高めるのに貢献した。
1980年、ケニアで現地人の使用人に殺されて生涯を終えている。
B. まず、彼女の最期について考えてみよう。『野生のエルザ』の著者が現地人に殺されたというニュースは当時世界的に報道され、ショッキングな出来事として受け取られた。加えて、夫ジョージも89年にやはり現地人三人の武装グループに射殺されている。野生動物保
護で世界的に名高いアダムソン夫妻がそろって現地人に殺されたという事実は、彼らの仕事の意味を考え直してみる契機として十分なものであろう。ジョージの殺害を伝える朝日新聞の記事で奥山郁郎記者は、彼と会った経験を回想しつつこう書いている。
印象的だったのは、自分のキャンプの将来について話が及んだ時だ。「私が死んだらキャンプを閉鎖するしかない」と、寂しげな表情をした。(…)後継者と思って育ててきた白人青年が現地のレンジャー(動物保護員)に何回も襲われ、キャンプを去っていったからだ。/
研究や動物保護を大義名分にしてアフリカに来ている白人に対し、現地の人びとの反発が少なからずあると聞いていた。このことが助手の襲撃になり、キャンプの閉鎖の方針にもつながったのではないか。ジョイ夫人の惨殺に続いて射殺されたジョージ氏の晩年を見ると、「
野生のエルザ」などで世界的に有名になったものの、現地の人びとの心はつかみ切れなかったのではないか、と思う。9) この推測が正しいかどうかはとりあえず措こう。ジョイの殺害について、ジョージの二度目の自伝の記述をもとに検討しよう。ジョージによれば、狩猟監
視官志望であるために夫妻と仕事をしていたザンビア人の青年ピーター・モーソンのテントから金が盗まれた。疑いはすべての使用人にかけられた。その直後、ジョイは仕事のことでツルカナ族の若い男ポール・エカイと言い争った。彼にも盗みの嫌疑がかけられていた。ジ
ョイは彼に賃金を支払って首にした。約一カ月後、ジョイが死体で発見された。警察が捜査し、当初はモーソンにも嫌疑がかけられた。彼はジョイと日頃から仲が悪く絶えず口論していたことが知られていたからだ。だがやがてエカイが容疑者として残り、逮捕され、自白した
。首にされたときに得られるはずの賃金全部をもらえなかったために恨み、その後彼女と会った際に抗議しようとして、彼女の方が立腹したので彼もかっとなって殺したという。 81年10月、裁判で殺人罪が確定したが、未成年らしい(年齢がはっきりせず)という理由で死刑
は免れた。10) 彼女のこうした最期について、藤原は訳者あとがきで次のように述べている。ジョイを殺した使用人は、金銭上のトラブルから殺意を抱いたと自ら証言しているが、ジョイの仕事を金銭感覚を通してしか理解し得なかったところに、犯人の重大な錯誤があった
(…)。ジョイの動物をめぐる活動には無私の自己犠牲と金銭感覚では計れない奉仕の精神に基づくものがあり、それを理解していた多くの使用人はジョイの活動に献身的に貢献した。(…)犯人が少しでも動物好きな青年でジョイの仕事に理解をもっていれば、不幸な事件は
避けられたにちがいない。11) 藤原は、ジョイの仕事の意義をまず前提として打ち出し、それを「理解」しなかった現地人を断罪する。はたしてそれで事件の真相は説明できたと言えるのだろうか。C. アダムソン夫妻の仕事の意味を考えるにあたって必要なのは、歴史的な
背景を知ることである。二人の活動舞台ケニアは19世紀末から英国の統治下にあり、1963年に独立した。夫妻のアフリカとの付き合いは20〜30年代から80年代にかけてであるから、ケニアが植民地だった時代から独立した時代にまたがって行われていることになる。 そうした
背景は、夫妻の著書にどの程度現れているだろうか。ジョイについて言えば、驚くほど少ない。『野生のエルザ』は雌ライオンの仔を育て野生に戻す話であるからやむを得ないが、彼女の自伝を読んでも歴史に関する話はほとんど出てこない。アフリカの大自然の素晴らしさと
恐ろしさ、野生動物との付き合いなどには文才が遺憾なく発揮されているが、社会的な動向には恐ろしく無頓着なのである。現地人を差別的に見ているというわけでは必ずしもなく、ヨーロッパ文明に冒されて民族衣装を捨てていく現地人への同情、杓子定規に文明化を推し進
める宣教師への批判、また原住民を殺戮したフランスへの批判もある。ところが英国によるケニア支配となると、ほとんど触れられていないのだ。 そもそも『野生のエルザ』が出た60年前後のケニアはどんな状態にあったのか。 30年代の世界的大不況の頃からアフリカでも労
働組合運動が盛んになっている。 44年、ケニア・アフリカ人同盟(KAU)という政治結社が結成された。そして戦後の47年にインドが独立したのを受け、50年代になるとKAU内部でも政治的独立のためには武装闘争も辞さないという急進派が、自力向上を訴える穏健派を圧倒し
始める。こうした中、52年から「マウマウ団」と白人によって呼ばれた集団が反乱を起こす。史家にも諸説あるようだが、現在ではマウマウ団は植民地ケニアから白人勢力を駆逐することを目指した解放勢力だとして、「ケニア土地自由軍Kenya Land and Freedom Army」と呼ば
れるようである。12) しかし本稿では敢えて当時世界的に流通したマウマウ団という呼称を用いることにする。マウマウ団の中心を占めていたのはギクユ族であった、それは白人専用高地の指定を受けた地域の大部分が本来はギクユ農民の土地だったからである。つまり白人に
土地を奪われた現地人が行動を起こしたのであった。マウマウ団鎮圧のために英国は5万の軍隊と警官を送り、植民地政府予算の4年分を費やした。非常事態は59年まで続いている。マウマウ団側の死者は11503名、英国側の死者は2044名(白人99名、アジア人29名、アフリカ人
1920名)であった。13) 以上の数字で分かるように、実はマウマウ団側の死者の方が圧倒的に多く、特に英国側の白人死亡者数とは100対1以上の差がある。近代的な武器を持っていた英国側に対して、人間の数はともかく敵方から奪った武器以外は持ち合わせていないマウマウ
団は劣勢であった。また英国側につく現地人もいたし、内部の裏切りもあって、最後はそれによって崩壊したらしい。加えて国内外のメディアは英国側に押さえられていたため、マウマウ団は白人虐殺を狙う恐ろしい秘密結社だという英国側の宣伝が一方的に通用することとな
った。それは映画というメディアにも如実に反映している。英国では早くも54年に"Simba"(邦題『暗黒大陸 マウマウ族の反乱』)という映画が製作されている。14) 米国でもマウマウ団を題材にした映画"Safari"(邦題『死の猛獣狩り』、56年)と"Something of value"(邦
題『黒い牙』、57年)が製作された。15) 私はいずれも未見であるが、筋書きから判断する限り、マウマウ団を凶暴なテロリスト集団としか見ていない点では同じだし、特に英国のそれはアフリカに植民する白人の優位をまったく疑っていない点で(この時点でインドがすでに
英国から独立している)時代錯誤の代物と言うしかない。英国映画では87年に制作された"The Kitchen Toto"にもマウマウ団が登場する。この作品は筋書き的には白人と黒人のはざまで揺れ動き苦しむ現地人を主人公にしていて、価値観が変わってきていることが看取できるが、
マウマウ団を恐ろしい暴力集団と見る点では変わりない。16) D. 話を戻そう。ジョイの自伝はマウマウ団に触れてはいる。しかしそれはあくまで不当なテロリスト集団としてであって、現地人が独立を求めた闘争なのだという考えからは程遠い。夫が戦いに巻き込まれた際に
は、彼らを「悪者の一団」と呼び鎮圧に協力してもいるが、これは下手をすると自分の身が危うい事態なのだからやむを得まい。捕虜となった団員を絵に描いたときには、《彼が数日のうちに処刑されることを知っていたら、わたしはけっして彼の肖像を描けなかっただろう》と
述べるのだが、これはあくまでその場限りの感傷であって、これに続く文章は単に以下のようになっている。ケニアが旧体制に代わって独立するまでに数年がかかった。しかし、その推移は平穏だった。そして、ケニアの人びとは、ただひとつ、自分たちの美しい国を発展させる
という目的のために、力をあわせてともに働いたのだった。17) マウマウ団とケニア独立が彼女の内部で結びつかないばかりではない。独立を勝ち取ったケニアと英国との多年に及ぶ複雑な関係や、ケニア人の中にも穏健派と急進派の対立がなお続いていることなど、彼女の眼中
にはまるで入ってこないのである。無論、地元にいたからこそ現実が見えなかったのかも知れない。現場では歴史の流れは必ずしも良くはつかめないからだ。また英国自体の植民地観が、上で映画を例として観察したように頑ななまでに旧弊さを保っていたことも見逃せまい。た
だ、彼女の自伝がケニア独立から14年をへた78年に出されていることを考えると、この歴史感覚の欠如は時代や場所だけの問題ではなく、ジョイという人間の本質にも根ざすものだと見ないわけにはいかない。それは、夫ジョージの自伝と比較することで明らかになるだろう。
E. ジョージには自伝が二種類ある。 1968年の"Bwana game"(邦題『ブワナ・エルザ』)と86年の"My pride and Joy"(邦題『追憶のエルザ』)である。彼はその二度目の自伝の中で、自分がアフリカへのいわば不法侵入者であること、ヨーロッパ人がアフリカに勝手に国境線
を引いたこと、それによって野生動物の移動が妨げられたことなどを指摘して、次のように書いている。それまで現地人が野獣を日用の糧として、野獣たちと釣り合いのとれた生活を営んでいたのに、それをなぜわれわれは”密猟”というのか?(…)またいかなる権利があって
わたしはツルカナ族にワニを食うのをやめよというのか?(…)ワカンバ族はなぜヤブの中で弓矢を使ってクーズーを撃ってはいけないのか?18)
彼はまた、戦争中にヨーロッパ側の指示で大量の野生動物(シマウマとオリックス)殺しが行われたことにも触れ、《わたしには植民地主義という窮極の傲慢さが二五年間にアフリカを二度もヨーロッパのつまらぬいざこざに巻き込んだように思われた》とも述べている。19) 後
年の回想だから後になって得た認識が混入されているとは言えよう。最初の自伝ではこれほど内省の度合いが強くないことは確かだ。それにしても、密猟を取り締まるだけではなく、場合によっては人を襲う野獣を殺さねばならない仕事を長年続けた彼が、野生動物は絶対に保護
しなければとか、現地人は無知だから白人が指導しなければという、白人が抱きがちな一方的な価値観もしくは綺麗事を越えた視点を持っていたことはうかがえるだろう。自分は矛盾を抱えながら生きてきたのであり、自伝ではその矛盾を余すところなく書き残しておかねばなら
ないという意識を、彼は明瞭に持っていたようだ。マウマウ団についてのジョージの記述も、妻の記述よりはるかに大局的である。まず、52年2月にエリザベス皇女がケニアを訪れたことを回想する。滞在中に国王=父が死去し、彼女は英国女王となった。野生動物を見物する施
設にいた女王はしかし《その時ケニアに渦巻き、爆発寸前だったトラブルの全容を(…)十分に把握していたとは思えない。じつはそのころマウマウ団の反逆活動が彼女の政府を打倒しようとしていたのだ。》20) そして彼らの行動を《不快きわまりない残虐な殺人活動》としな
がらも、次のように述べる。この反乱が鎮圧されるまでには、さらに二年かかった。二六人のアジア人と九〇人のヨーロッパ人、そして一八〇〇人の”忠誠”なるアフリカ人が死んだ。さらに約一万一五〇〇人のアフリカ人”テロリスト”が殺された。(…)/ギクユ族はその時
の戦いには負けたが自由への戦いには勝とうとしていたし、自分たちの国の最初の独立政府において優位を占める立場も確保しようとしていた。21) こうした視点は、最近の用語を使うなら完全にポストコロニアリズムのそれであって、彼が時代の変遷を痛切に感じ取っていたこ
とが読みとれる。もっとも、68年の最初の自伝では多少書き方が異なっている。そもそも全体が、自分の生い立ちから始まり(彼は英国人だがインド出身である)、アフリカで金鉱探しと野獣狩りを初めとする放浪と冒険の生活を送ってきたことが率直な筆で述べられていて、特
に構えずとも面白く読める本なのだ。しかしそこでも、例えばツルカナ族について、英国の政策によって不当にも荒蕪地に居住を強いられた不遇な民族だとか、彼らから英国が火器を取り上げたのはエチオピアからの侵入者が火器で武装したことを考えるとまずい政策だった、と
述べているし、22) ヨーロッパがアフリカに勝手に国境線を引いてもアフリカ人はそれとは無関係な生活をしているという指摘もある。23) また大戦中に宗主国の都合で野生動物が大量に殺された一件にはきちんと言及している。24) 英国やヨーロッパの政策を批判的に見る目を
彼がその時点で持っていたことは明らかだ。マウマウ団についても一章を設けている。概してこの集団に否定的ではあるが、最後は次のようにまとめている。こうした陰惨な思い出がどんなものであったか、それは当時、現地に暮らしてみた者でなければわからない。だが、ケニ
アの大統領が言っているように、すべての憎しみや悲惨さは、もはやことごとく過去のものである。すべてを忘れ去り、われわれは未来へむかって進まなければならない。そして、われわれが未来にむかって望むものは、このすばらしい大陸に、平和と幸福が訪れることなのだ。
25) これを先のD.で引用したジョイの記述と比較してほしい。表面的には同じように見えるかも知れないが、実は明瞭に違う。ジョイがケニアにおける争いの実体を見ずに綺麗事を言っているのに対し、ジョージは独立ケニアにあっては住民全員が国家の建設に前向きにとり組
まねばならないという大統領の訴えかけをしっかり受け止め支持しているのである。争いはあったし今もある。だが未来に向けてそれを乗り越えなければならない、そう彼は大統領と共に述べているのである。妻ジョイの先の記述の10年も前のことだ。ケニアの現実を見る目は、
ジョイとジョージでこれほど違っている。マウマウ団ばかりではない。密猟についても、ジョイにはそれが現地人の生活習慣や仕事の無さと結びついているという認識が希薄なようだ。密猟について『エルザ』第二部と第三部で考察しているが、彼女の目は表面的な部分にとどま
っていて、現地人の視点でこの問題を考えるところからは程遠いのである。26) ちなみに田島健二によれば、ジョイは現地ではきわめて評判が悪かったのに対し、ジョージは非常に良かったという。27) 夫と妻へのこの正反対の評価は、二人の資質の差を浮き彫りにしていると言
えよう。F. ジョージは妻をどう見ていたのだろうか。最初の自伝で、彼はジョイが古代アフリカ人の墳墓をあばく仕事に熱中するあまり現地人をこき使い、反乱を起こされかけたという思い出を書いている。28) また二度目の自伝では次のように述べている。
ジョイはその性格に、相手を切り捨てようとする残酷さを秘めていた。(…)彼女はいかなることにせよ反対されることを嫌った。(…)ジョイが死んだあと、〔彼女の親友〕ジュリエットはジョイのことをこんなふうに書いた。つまり、ジョイはそのすべてのきわだった業績に
もかかわらず、本当のところは常に子どもだった、というのだ。わたしはそのとおりだと思う。/(…)ジョイはチーターについての新しい本『いとしのピッパ』を書きはじめていた。そしてそのころ彼女は、イアンバシャ湖畔の自宅にやってくる動物たちに、すっかり夢中にな
っていた。庭にはいろいろな動物がやってきたが、その動物たちに接する時の彼女の忍耐強さは、人間に対する気短さとはまさに対照的だった。29) 先に述べたように、ジョイは二度の離婚をへてジョージと結ばれている。そのジョージとも一時期離婚話が出た。30) 育った家庭
環境も両親の離婚により不安定であった。ジョイは自伝の中で、アフリカと関わりを持つ人間を二種類に分類している。保守的で、欧米での生活とは全然環境が異なるアフリカにうまく順応できない人間と、逆に欧米では挫折を味わってきたためにアフリカでの自由な生活に酔い
しれてしまう人間とがいる、というのだ。31) 自分自身は後者に属する、と言いたかったのだろう。ヨーロッパに生まれながらアフリカに長年暮らし、人間より野生動物と付き合うことを好んだ女性――それがジョイ・アダムソンだった。それは別段非難されるべきことではない
。ただ、彼女の生涯と仕事に意味を与えるときには注意を払わなければならないというだけの話である。彼女が原住民に殺されたという事実から単純に類推して、彼女が原住民に抑圧的な人間だったからだ、という論調がある。A.で引いた奥山記者の文章にもそうしたニュアン
スが含まれている。藤原英司がこの説に批判的だったのは前述のとおりであり、彼女がそれ以前には原住民の助手から信頼されていたと強調しているのだが、私は時代の変遷という数値を代入すればこの問題は矛盾なく解けると考えている。ジョイが『野生のエルザ』を発表した
のは1960年、ケニア独立の3年前、マウマウ団の決起が鎮圧されて数年後である。つまり時代の大きな変わり目である。それ以前であれば、アフリカの白人はあくまで主人として黒人に君臨することができた。黒人助手の白人に対する「信頼」も、こうした背景から来る従順さの
変形に過ぎない。いかに彼女が短気であれ安全だったのである。しかしマウマウ団決起とケニア独立によって、特に急進的でない黒人の意識も変わっていく。ただしその変化はあくまで徐々にであり、顕在化するのには時間がかかる。ジョイが殺されたのは、そうした意識の変化
が犯罪という形をとって不意に浮上したものだったのではないか。加えて、独立後のアフリカのたどった複雑な事情も働いているだろう。 60年はアフリカで17カ国が一挙に独立し、「アフリカの年」と呼ばれた。しかしやがて新興国家は壁に突き当たる。ここで詳しく論じる余
裕はないが、新しい産業興しが失敗する一方で、部族間の抗争が激化してゆく。32) 独立したての頃の希望が失われ、徐々に現実の桎梏の下で現地人の意識も鬱屈していったのである。ジョージの殺害については資料が少ない。最も信頼のおけそうなGeorgeAdamson Wildlife Pre
servation Trustのサイト33)も、" In 1989 at the age of 83, Adamson was murdered at Kora by Somali bandits."と述べているだけである。田島健二によれば、象の密猟者の大部分がソマリ族であり、それは貧しさと、大ソマリア国家建設を夢見る彼らの反政府的行動が原因
なのだという。象殺戮も、密猟者としてではなくテロリストとしての行為であって、象が政治的な駆け引きの道具とされているのだ。アフリカの現地事情はかくも錯綜しているわけである。34) またジョージ二度目の自伝の後半でも、ソマリ族密猟者とのいざこざが幾度も記され
ている。彼の死は、彼個人の資質からというよりは、こうした政治的混乱の中で起こった悲劇である可能性が高い。35)
G. 改めて『野生のエルザ』という本の意味を考えてみよう。ベストセラーになり多くの国で翻訳出版され、66年に映画化もされたこのノンフィクションは、人間とライオンの心の交流を描いた作品として素直に感動して読んでいい書物だと思う。しかし歴史の流れの中におい
てみると別の意味が浮かび上がってくるだろう。すなわち、英国によるアフリカ統治が終わろうとするときに、白人の存在理由を改めて打ち出した書物なのである。
この本では、主人公はライオンでありまたその育成や再野生化に打ち込む白人夫妻である。アフリカの美しいと同時に凶暴な自然も印象的だ。他方、本来そこに暮らしているはずの現地人の姿は影が薄い。野生動物の育成や保護と言えば、自然が破壊されつつある時代にあって誰
もが賛成せざるを得ない。また、野生動物や大自然には無条件で人を惹きつける魅力が備わっているのも確かだ。しかしこれから独立して近代国家建設を目指すケニアにあって最大の課題は、人の育成と仕事の確保だったはずなのである。 無論、人材育成・仕事確保と自然保護
とは必ずしも矛盾しない。自然を守り、それを観光資源として活かすための人材育成という道もあるからだ。ただしそれは口で言うほど簡単ではない。そもそも野生動物を保護するという思想自体が、アフリカで生業を営んでいる現地人から離れた発想であり、ジョージも述懐し
ていたように(E.を参照)、不遜さを含む考え方だったのである。しかし、減少しつつある野生動物は守らねばという訴えも説得的である。現地人の仕事を作ることと組み合わせれば、文句の付けようのない思想だ。だが、はたして『野生のエルザ』はそういう認識下で読まれ
たのだろうか。むしろジョイとライオンの交流、そしてアフリカの大自然の素晴らしさからベストセラーになったのであって、現地人の暮らしを理解し独立後の仕事を作るという課題からは逆に目をそらさせ、やや厳しい言い方をするなら、英国の積年に及ぶ不当なアフリカ支配
を忘れさせる役割を果たしたのではないか。 60年に出たこの本は、63年のケニア独立と入れ替わるようにして受容されていった。植民地時代には自分たちの利益しか目になかった欧米人が、今度は独立したアフリカの野生動物に目を注ぐ。いずれも現地人への関心が欠如してい
ることでは共通している。 71年段階で22カ国語に訳され聖書に次ぐ発行部数とまで言われた『野生のエルザ』は36)、少なくとも欧米人にとっては問題のすり替えを通して読者を安心させる効果を持っていたと言えよう。自然保護の政治性を考える上で、『野生のエルザ』は重要
なサンプルである。H. 最初にも書いたように、藤原英司は『野生のエルザ』の翻訳者として一般に名を知られるようになった。エルザ現象やアダムソン夫妻に関する彼の考え方を調べ、歴史の流れの中で『エルザ』と夫妻が持ってしまった意味と比較するなら、藤原の持つあ
る種のイデオロギーが見えてくるはずである。エルザ本や夫妻の自伝の訳者あとがき、そして入門書として著した『エルザとアダムソンの世界』(1977年)を読むと、藤原がジョイに関してはほぼ全面肯定もしくは擁護の姿勢をとっているのに対し、ジョージに対しては必ずしも
そうではないことが分かる。ジョージ批判の姿勢を最も鮮明にしているのは、彼の最初の自伝『ブワナ・エルザ』を収録した『世界動物文学全集第15巻』への解説である。まず、ジョージが生涯の大部分を捧げた狩猟監視官という職業について次のように述べている。著者〔ジョ
ージ〕は密猟者を逮捕し、その男を部下にすることによって年間に相当数の動物を救えるということを書いている。(…)今日では、こういうやりかたはしだいに影をひそめつつある。そもそも野獣殺しの張本人である白人のプロハンターを狩猟監視官に任命するということが、
今日ではもう時代遅れのものとなった。アフリカの独立諸国では狩猟監視官もアフリカ人を任命するところが圧倒的に多くなっている。その意味でアダムソンのこの物語(…)は、アフリカで白人が全盛を誇ったころの、白人にとって”古き良き時代”を語ったものといえる。37
) ここでは二つのことが言われている。まず、独立したアフリカ諸国では狩猟監視官に白人ではなくアフリカ人を採用するようになっているという、言ってみれば当たり前の事柄である。日本が明治時代、高等教育教員に当初はいわゆるお雇い外国人を採用したが、やがて日本人
の学者が育つと順次切り替えていったのと同じ話だ。しかしもう一つの点は簡単には見過ごせない矛盾を含んでいる。「密猟者(…)を部下にすることによって(…)動物を救」う方法は影をひそめつつあり、「野獣殺しの張本人である白人のプロハンターを狩猟監視官に任命す
る」のは時代遅れだ、と言っている箇所である。つまり、野獣を殺す人間は狩猟監視官やその補助には使えないというのだ。ジョージが生きたのは、人を襲う野獣や密猟者が跋扈する現実のアフリカであった。彼自身も金鉱探しや野獣狩りなど、当初は流浪と冒険を楽しむ生活を
送っていたのであり、やがて縁があって狩猟監視官という仕事に就いたのである。つまり、現代にありがちな「野生動物や自然を守れ」という理念から仕事に入った人ではない。そうした人間の行動様式は、たしかに現代から見ると矛盾含みのところもあるだろう。けれどもジョ
ージにとって大事だったのは、現実のアフリカで自分に課せられた仕事をうまく処理するということであって、そこでは野生動物の命だけでなく人間の生活も大事だったのである。自伝を読むと分かるが、彼はしばしば密猟者に寛大であり、形ばかりの罰を与えただけで放免して
いる。密猟がなぜ起こるのか、彼は知っていたからだ。密猟をするのは経済的に恵まれた白人ばかりではない。むしろ現地人に多い。彼らは貧しく、カネが欲しいばかりに密猟を行う。或いは、彼らは以前は生活習慣として狩りをしていたのに、白人が一方的に狩猟禁止の法律を
作ったために「密猟」とされてしまうのだ。こうした状況下にあって、野生動物保護に必要なのは「滅びかかっている野生動物を守れ」という理念的なお説教ではない。現地人が密猟をする必要がなくなるような社会を作っていくことなのである。無論、ジョージのしていたこと
は対処療法的な仕事であって、社会の構造を根本的に変えていく政治的な仕事ではなかった。けれども、自分の仕事が野生動物保護だけでなく現地人生活の秩序維持とも密接に関わっていることは十分自覚しており、それが矛盾を含んでいることも認識していたのである。
E.でも述べたように、彼はその二度目の自伝の中で、自分がアフリカへのいわば不法侵入者であること、ヨーロッパ人がアフリカに勝手に国境線を引いたこと、それによって野生動物の移動が妨げられたこと、現地人に猟を禁じる権利が欧米人にあるかどうか疑問であることな
どを指摘していた。無論、これは正しくはあっても、十分な見解ではない。時代の変遷によって人と野獣のバランスは変わる。場合によっては「野獣は絶対に殺すな」という理念を押しつける必要が生じることもあろう。しかしそれは「野獣を殺すな」という理念が時代と状況を
次のように言う越えた普遍性を持っているからではなく、生息地の狭隘化や人間数の増加など生態系のバランスが変化したからなのであって、少なくともかつては野獣を適度に狩る生活はいささかも自然環境をないがしろにするものではなかったのである。藤原のあとがきに戻ろ
う。彼は先の引用に続いて、最新の動物学の知識に基づいてジョージの動物観の「誤り」を指摘し、《かれら〔白人狩猟監視官〕の自然観、又は生命観は非常に問題の多い一時代前のものであり、それが”狂って”いることに気づかないまま、かれらはアフリカの自然に介入し、
アフリカの自然保護の旗手として自らを位置づけた》38)と批判する。そして最新の研究に基づいた制度が必要だとして次のように述べる。今までの白人狩猟監視官は、ただ自分の勘と、人並みの道徳観だけに頼って動物を判断し、自然保護的な行動をとろうとしてきた。それが
多くの問題をひきおこし、これからのアフリカでは、もっと違う角度から動物を見る新しい監視官、あるいは新しい監視官教育が必要だと考えられている。いわばかつての”英雄”見直しが始まり、アフリカの白人狩猟監視官は、今や自然保護の立場からは”落ちた偶像”と化し
つつある。非常に気の毒な言い方になるが、その意味では〔ジョージ・〕アダムソンのこの回想録は、一昔前の英雄が自己の置かれた立場が変わりつつあることに気づくことなく、思いのたけを述べたものともいえる。39) 一見するとポストコロニアル的な言い方のように映る。
白人の狩猟監視官は実は自然保護の本当のやり方が分かっていなかった、新しい時代の監視官や監視官教育が必要だ、というのだから。だが実はそこには二つの陥穽が敷かれている。一つはすでに指摘したように、「自然保護」という考え方自体が現地人のためになるのか、とい
う問題。もう一つは、新しい現地人の監視官はでは具体的にどのように職務を果たすのか、という問題である。 藤原は、しかしこの二つの問題に答えないままに解説を終えている。彼は批判するだけでなく、ジョージが動物に繊細な心遣いを示す箇所やライオンの美しさに感動
する場面については評価している。40) しかし肝心要の問題は放置されたままなのである。I. さて、ジョージ最初の自伝を収録している『世界動物文学全集第15巻』には、『神象の最期』という短篇小説が一緒に収められている。パキスタンの作家アブール・F・シディッキ
によるもので、筋書きは次のとおりである。老いさらばえた象が仲間の群れから見捨てられ死を覚悟するが、たまたま人間の持っていたミルクを飲んで生き延びるうちに神象扱いされ、民衆の信仰の対象となる。だがある時ミルクを持った女の首に長い鼻を巻き付けて殺してしま
う。当局は人殺しの象だということで射殺を決定し、英国統治時代に象撃ちを経験した男を探し出して依頼する。男は仲間と共に象を追いつめるが、他方から来た民衆たちが象を囲んだため射殺をあきらめる。この短篇について藤原は解説で、象を霊獣扱いするインドの習慣を知
らないとこの小説の妙味は分からないこと、インドの宗教であるジナ教(ジャイナ教)では輪廻思想に基づいて解脱のためには出家が必要とされ、あらゆる生物を殺すことが禁じられており、この思想はインドの仏教やイスラム教にも影響していること、イランのホメイニ師を中
心とした政変を見れば分かるようにイスラム教は世俗化が進む世界のなかでも行動性を保っていることなどを縷々説明した上で、次のように述べる。こうしたイスラム教的行動力と、仏教やジナ教にみられる”無害”〔殺生の禁止〕の思想がインド、パキスタンでは微妙に民衆の
深層心理を支配しており、それがゾウの神格化と結びついて社会現象を描いたのが、この作品だといえる。41) 藤原はそれに続いて、《では、この作品の中で同じインド(パキスタン)の森林当局がゾウを単なる殺し屋だと判断したのはどういうことなのか。同じインド人であり
ながら、どうして当局は民衆とは正反対の判断をくだしたのか》という問いを発する。そして、それは欧米に留学できるような一握りの裕福な人間だけが当局の役人となっているからであり、彼らは欧米から《人間生活を脅かすものは”害獣”として処理する野生動物管理思想を
吹き込まれて帰国》するのであり、象を神格化する民衆は彼らの目には無知蒙昧と映るので、力ずくでも自分たちの”近代性”を実現しようとするのだ、という。そして象が殺されない結末は、民衆の勝利を表現していると述べて、次のように書く。そしてこれこそ、じつに今日
、アフリカをふくむインド、イスラム圏と第三世界が国際世論の中ではたす新しい傾向を示しているといえよう。自然保護の世界戦略において、欧米諸国は今まで常に自分たちの理念を強引に世界中に押しつけようとしてきた。しかしその理論や近代性、そして武力などでは圧殺
できない地域特性が世界各地に存在することに、やっとかれらも気づきはじめた。そして今日、国際自然保護連合(IUCN)の世界戦略においても、地域特性を十分に考慮することという一項が盛り込まれるようになった。42) ここだけ読むと、この頃(本は1980年発行)の藤原は、
先ほど『ブワナ・エルザ』解説で白人狩猟監視官を時代遅れと批判した態度を含めてきわめてポストコロニアルであり、欧米支配的な価値観に批判的であり、第三世界の視点に立ってものを言っていると思われるかも知れない。だが、よく読むなら、それは見せかけであることが明
らかだ。藤原がここでパキスタンの世界観に肩入れしているのは、たまたまそこが象を神聖視し殺さないという生活習慣を持っていたからに過ぎない。『ブワナ・エルザ』解説での彼は、先に見たようにジョージの狩猟監視官としての仕事ぶりを批判して白人の自然保護の限界だと
していた。しかし彼は、ジョージが現実のケニア社会の中にあって野生動物を狩って暮らしてきた現地人にそれなりの理解を示してきたことについては何一つ述べていなかった。ジョージが野生動物に繊細さを示したりライオンの美しさに感動した場合に限って讃美していたのであ
る。すなわち、ここでの藤原は、野生動物を保護し殺さないという場合に限って第三世界的な価値観を擁護しているのであり、そうでない場合は、現地人の野生動物との付き合い方には触れず、野生動物を殺したりコントロールしたりする思想は白人の世界観だとして非難している
のである。きわめてご都合主義的な見解だと言うしかあるまい。そうした藤原の本音は、77年に出版した『エルザとアダムソンの世界』の中にいっそう明瞭に現れている。彼はそこで、ジョージはアフリカで暮らすうちに動物は殺すより観察する方が面白いと気づいたのだと述べて
、次のように言う。
これは私の持論なのだが、本物のハンターというのは、最後には必ず動物を殺すことにいやけがさす。つまり動物を殺すことがおもしろくてしょうがないというハンターは、わたしに言わせれば、きわめて幼稚なハンターである。(…)/生命を守ることは、生命を奪う以上に勇気