【国際情勢】-◆ベンジャミン・フルフォード◆11◆
スレ立ておつであるが、なんかえらいスレ消費ペースがあがったな
[604] 太田龍氏が私のことに言及しているので、私の考えを書きます。
投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/08/08(Wed) 09:12:00
http://snsi-j.jp/boards/past.cgi?room=sample1&mode=find&word=604%A1%A1%C2%C0%C5%C4%CE%B6&cond=AND&view=10 2.次に、私が、太田龍氏、お会いしたかったのは、日本における、ユダヤ陰謀論の草分けとして、評判の良い本の著者として、
ではなくて、日本の新左翼(しんさよく、ニュー・レフト)運動の創成期(1956年ごろから)の重要な人物としてである。
戦前、戦後の日本の左翼 (=社会主義者たち。 日本共産党が、カトリックの総本山のヴァチカンのように、強大で神聖であり、
戦前も戦後も、日本の理想主義の知識人層のほとんど90%以上が、日本共産党の権威に服していた。の理科系の大学教授たち
であってもそうだった。当時の日本共産党は知の権威であった。それに対して、日本社会党は、日本国の国民民衆、労働組合員
たちにとてのソフトで温和な指導者たちであった)の中から、生まれた、1956、7年の 「ハンガリー動乱」を契機にした、
反ソビエトの民衆暴動、民衆蜂起、であった東欧各国の、モスクワ・クレムリン独裁体制(=ソビエト帝国)への反抗、抵抗が
あった。それの日本への波及と余波(アフターマス)としての、新左翼(ニューレフト)運動の創成期(=日本トロツキスト同盟)
の主要な活動家像のひとりが、太田龍氏である。
このことは、ここの「今日のぼやき」の2年ぐらい前の文章に、「太田龍論」として、もっぱら、この日本新左翼運動の創業期の
ひとりとしての、太田龍氏を、書いている。私が、そのなかで、一番書きたかったのは、「やがて、革マル派、中核派、第四
インターナショナル派、として分裂してゆき、凄惨(せいさん)な、殺し合いに入っていった、日本の過激派運動の、創業期の
一人として、可哀想に、死んでいった若者たちに対して責任を感じないのか」という一点であった。そのうち、私のこの
「太田龍論」を、再度、続編も書いて、今日のぼやきに、載せようと思う。
東京の飯田橋から日大の方に降りて行ったところの、ウニタ書店という、共産党の権威に逆らって、はやい時期から、新左翼運動
を応援した経営者がいて、そこに集まった、きわめて敏感な感受性をした、若者たちがいて、彼らが、「君、この本知っている?」
「ポーランドやハンガリーで今、起きていることを知ってる?」と、語りあった者たちの中から、のちの新左翼党派の指導者たちが、
余れたのだ。革マル派(革共同、かくきょうどう)の創業者の黒田寛一(くろだかんいち)や、そこから分裂した、中核派の最高
幹部で後に、マサカリで革マル派に殺された本多延ヨシ(ほんだのぶよし)や、第四インター(=ヨントロと呼ばれた)の西キョウ
ジュたちであり、そして、太田龍氏も、そこにいたのだ。
私、副島隆彦が知りたくて本人に確認したかったのは、その一点だ。ユダヤ陰謀論のような与太話(よたばなし)など、どうでもいい。
多くの日本の若者たちが、1960年代末から70年の前半までに、「内ゲバ」と称された惨忍な殺し合いで、どれだけの多くの人間が、死に、
そして身体障害者になっていったことか。私は、あの時代の少年兵であり、目撃者であるから、すべてのことを書き残してゆく。それが、
自分の同時代人への務めだ。太田龍は、その創業期からの、歪(ゆが)んだ精神をした人間のひとりである。すべてを切開(せっかい)
しなければならない。1980年代から、自分だけ勝手に、ユダヤ陰謀論の、世界的な風潮を、目ざとく手に入れて、いち早く、日本
でのユダヤ陰謀論の主導者となって転身した、その変わり身の良さには、ひとりの日本知識人としての、連続性の表明が無い。
自分の思想転向経緯の説明が無い。
6 :
名無しさん@3周年:2009/01/07(水) 09:31:21 ID:xaHaEmWh
ここ政治板でっせ?
情勢板へのスレ立て誤爆か?
8 :
名無しさん@3周年:2009/01/07(水) 10:47:16 ID:xaHaEmWh
9 :
名無しさん@3周年:2009/01/08(木) 18:08:19 ID:cabX/062
学生運動の肉体オルグ要因なんて、ユダヤ資金がなければ雇えなかった。
10 :
名無しさん@3周年:2009/01/10(土) 15:33:24 ID:9zwW/8nq
世界と日本の絶対支配者ルシフェリアン Benjamin Fulford(原著)
¥ 1,680(税込)
出版社:講談社
11 :
名無しさん@3周年:2009/01/10(土) 16:53:37 ID:d7filiDN
上杉隆
1980年代の日本の経済力はアメリカにとっても脅威でした。
しかし、クリントン政権の後半からは、日本よりも中国を重視する政策に舵を切りました。
共和党、民主党、どちらが政権を取っても、
米中関係を中心にアジア戦略を立てるのには変わりはありません。
以前はジャパンパッシングと言われていましたが、今ではもはやナッシング状態になりました。
―2009年以降、世界的に見ても日本の影響力は薄れるのでしょうか?
2008年のG20金融サミットでも、
一国だけ置いていかれているといった印象を受けました。
世界の景気対策の特効薬は内需拡大です。
オバマ政権も2009年にはニューディール型公共投資でアメリカの内需拡大を狙っています。
中国も57兆円規模の内需拡大策を発表しました。
ヨーロッパでも、自国の資金を内需拡大のために市場に注入しています。
しかし日本は、IMFに10兆円の融資をするなど的外れなことをやっている。今回の金融サミットでは、
IMFを核とするブレトンウッズ体制を見直すのがテーマの一つのはずだったのにですよ。
世界の流れに乗っていないんですね。
あげ
13 :
名無しさん@3周年:2009/01/23(金) 00:39:47 ID:b5OoS4mO
14 :
名無しさん@3周年:2009/01/23(金) 00:41:53 ID:b5OoS4mO
15 :
名無しさん@3周年:2009/01/23(金) 00:44:03 ID:b5OoS4mO
16 :
名無しさん@3周年: