アンソニー・グレゴリー
「国家が略奪と破壊を働くのを、国民の自由(Liberty)のせいにする。」より
経済の崩壊と911事件に対するワイズバーグのとらえ方で分かることは、
そのどちらについても、ワイズバーグは政府が十分でなかったからだと
非難していて、 このように世界を見る者すべてと同様に、彼が、我々と
同じ程度にイデオロギーに基づいていることだ。
ワイズバーグは、マルクス主義者になるほど、または我々の一員になる
ほど、大胆な男ではない。 しかし、彼は、我々と同じ程度に理念という
ものに傾倒しているのだ。 それは、彼にとっては保護者であり、国家の
安全を保証し、経済を安定させる存在としての、管理する、現代(近代)の
民主的な国家なのだ。 だから、経済が大失敗に終わって、政府の干渉
というものを5世代もやってきて、 それが途方もなく愚劣なものであった
ことが暴露してしまうと、 ワイズバーグは、自由を非難して、もっと国家が
やる必要があると言わねばならないのだ。
飛行機をハイジャックし、大混乱させてやろうと決意を固めている者たち
すべてから、我が家での我々の安全を確保するためだと、帝国主義者の
1兆ドルの帝国と警備国家を信用することが、まったくとてつもない災難
であることは明らかであるのに、テロリストたちの攻撃があれば、それは、
政府が単に十分にやっていなかったからだとせねばならないのだ。
こういう考え方をすることこそ、ユートピアを目指す真の空想的社会改革
理想主義者である。 人々が、平和と、自由意志による協同と、インチキ
無しの競争を通して出来ること以上に、 どういうわけだか知らんが、
もっと平等に、もっと合理的に、もっと安定した完璧な世界を、国家計画
と暴力を通して創ろうとするのだから。どんな巨大でばりばりに活動して
いる国家であっても、失敗するたびに、 その答えは常に、さらなる国家
権力を、というものだ。
578 :
名無しさん@3周年:2009/01/26(月) 19:39:26 ID:I/DppChJ
国家統制主義者が、自ら招いた大災害をリバタリアニズムのせいにして
攻撃するとき、我々はそんなにむきになって、個人攻撃と受け取る必要は
ない。数少ない、ロン・ポールのような政治的に人々を引きつける魅力ある
リバタリアンを、彼らは攻撃していない。本当に政府の権力を持っている
ようなリバタリアンを彼らは攻撃していない。なぜなら、我々は、そのような
権力を拒絶しており、 我々は誰も、そのようないかなる権力をも振るおうと
する者ではないのだから。
その代わり彼らは、我々の理念、自由そのものを攻撃し、国家を弁護する。
実際、死にものぐるいでやっている。国家が攻撃されていて、彼らの大切な
救済措置が大衆に信用されていないことを分かっている。だから、彼らは、
我々、はっきりとした信念を持つ少数派(マイノリティ)を攻撃してくる。
なぜなら、彼らが大事に思っている国家が、ついに、もはや人々に国家を
信頼するように吹き込めなくなっているのに、我々が人々の探し求める
答えを持っているからだ。
左派にしろ右派にしろ国家統制主義者たちとは違って、我々は、ウォール
街での大災難、戦争とテロとは、真っ正直にきっぱりと関わりを断ち切れる。
我々は、彼らの管理の下で失敗した世界で、彼らの罪の身代わりにはならない。
今回は、リバタリアニズムの終わりではない。まだ始まったばかりである。
我々は戦い始めたところなのだ。