資本主義というOSは不具合が多発だ!part13

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568名無しさん@3周年
>>566
日本は、楽市楽座も江戸時代の米市もアダム・スミスより昔からやっているんだ
戦後の闇市(これこそフリーよ)も経験している

だから、市場がなんたるかは、日本人の方がよく知っていると思うよ
おいらは、日本人がきちんと自分たちに合う市場とはなにかを、もっと真剣に考えるべきだと思う

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E5%B1%8B
米市
 江戸時代、米は経済の中心的な存在であった。年貢として納められた米は藩の蔵屋敷に蓄えられ、米問屋を介して現金化された。米は諸藩の財政の根幹をなし、米価の安定は経済の安定としても重要であった。
 しかし米の価格は仲買人によって無秩序に決められ、価格は米の質や量などを正しく反映したものではなかった。
 そこで淀屋は、米の質・量・価格の混乱を収めるため、全国の米相場の基準となる米市の設立を幕府に願い出て認められる事となった。

 淀屋は自身が拓いた中之島に米市を開き、また中之島に渡るため淀屋橋を自費で土佐堀川へ架けた。
 米市に集まる米を貯蔵するため、諸藩や米商人の米を貯蔵する蔵屋敷が中之島には135棟も立ち並んでいた。
 また1620年代、全国の米の収穫は約2700万石有り、自家商品や年貢で消費される分を除く約500万石が市場で取引きされていた。その4割の約200万石が大坂で取引きされていたと言われている。

 米市の取引きは場所を取る米を直接扱わず、米の売買が成立した証拠として手形を受け渡し、手形を受け取った者は手形と米を交換するという事が行われていた。
 それが次第に現物取引でなく、手形の売買に発展する事になった。
 この淀屋の米市で行われた帳合米取引は世界の先物取引の起源とされている。