資本主義というOSは不具合が多発だ!part13

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565名無しさん@3周年
>>564
>自由市場は、空想の産物でしかない
>現実にあるのは、単なる市場だ

楽市・楽座
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E5%B8%82%E6%A5%BD%E5%BA%A7
概要
 既存の独占販売権、非課税権、不入権などの特権を持つ商工業者(市座、問屋など)を排除して自由取引市場をつくり、座を解散させるものである。
 中世の経済的利益は座・問丸・株仲間によって独占され既得権化していたが、戦国大名はこれを排除して絶対的な領主権の確立を目指すとともに、税の減免を通して新興商工業者を育成し経済の活性化を図ったのである。

沿革
 天文18年(1549年)に近江国の六角定頼が、居城である観音寺城の城下町石寺に楽市令を布いたのが初見。
 各地の大名によって城下町等に布告されたが、なかでも織田信長は、自分自身が美濃国・加納、近江国・安土、近江国・金森に楽市・楽座令を布いただけでなく支配下の諸大名に伝達され、各城下町で実施された。
 (ただし、安土を除いては既に楽市は行われていた。信長は、加納や金森が持っていた「楽市」という特権を保証したのである。)
 地方都市において継続している朝市や昼市、地名に市の名を残す十日市などはその名残りである。

欠点
 この時期に問屋業者が増え、店自体の売上が均一化し、多くのぬけ荷品が闇市場に並ぶといった所があげられる。それらの欠点は豊臣秀吉時代の末期には露呈した。

その他
 「楽市楽座は信長が安土城で始めた」という認識があるが、上記のように実際は中世の門前町や六角氏により開始されている。
 また、楽市楽座政策をもって彼の先進性と見なす向きもあるが、戦国期に畿内を中心とした土地を大規模な範囲で支配出来たのは信長が最初であるという事情もあり、むしろ経済史の流れに沿っている側面も強いことに注意が必要である。