資本主義というOSは不具合が多発だ!part11

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71名無しさん@3周年
ほい

http://blog.tatsuru.com/archives/000995.php
内田樹の研究室 2006: 資本主義の黄昏 2005年05月19日
(抜粋)
NEETについてのゼミ発表のあとにレポートを書いてもらった。
15名のゼミ生のほとんど全員が実にきっぱりと「仕事というのは賃金を得るためのものではなく、仕事を通じて他者からの社会的承認を得るためのものである」という見解を述べていたので、びっくり。

よいことである。
仕事というのは「額に汗して」するものであり、先般も申し上げたように本質的に「オーバーアチーブメント」なのである。
このことは繰り返し学生諸君にお伝えしなければならない。
賃金と労働が「均衡する」ということは原理的にありえない。
人間はつねに「賃金に対して過剰な労働」をする。
というよりむしろ「ほうっておくと賃金以上に働いてしまう傾向」というのが「人間性」を定義する条件の一つなのである。

おおかたの人は誤解しているが、NEETは資本主義社会から「脱落」している人々ではない。
資本主義社会を「追い越して」しまった人々なのである。
あらゆる人間関係を商取引の語法で理解し、「金で買えないものはない」という原理主義思考を幼児期から叩き込まれた人々のうちでさらに「私には別に欲しいものがない」というたいへん正直な人たちが資本主義の名において、
論理の経済に従って「何かを金で買うための迂回としての学びと労働」を拒絶するに至ったのである。
だから、NEETの諸君にどれほど資本主義的な経済合理性を論拠に学習することや労働することの肝要であることを説いても、得るところはないだろう。

NEETにむかって学びと労働の必要性を功利的な語法で説くのはだからまるで無意味なことなのである。
それとは違うことばで学びと労働の人間的意味を語ること。
それが喫緊の教育的課題なのであるが、そのような「新しくて、古いことば」の必要性を痛感している教育者は、現代の学校教育の場においてはほとんど発言の機会を与えられていない。
NEETを生み出しているのは、このような功利的教育観そのものなのである。