田中氏が最初に多極という言葉を使ったのは私が確認した範囲ではメールマガジンで2003年7月15日
田中氏は以前からフォーリン・アフェアーズという雑誌?を読んでおり、その中の記事を高く評価していたようだ。
しかし、911以降はその雑誌の記事には正義の戦争を礼賛するものが目立ってきたそうだ。
しかし2003年7−8月号ではアメリカだけが正義というという一極集中主義を批判し多極的な世界を目指す論評が目立ってきていると田中氏は考える。
ここからは私の推察だが、田中氏はおそらくフォーリン・アフェアーズは相当政治的な意図によって雑誌が構成されていると考えているようだ。
たとえば911以降はアメリカの方針として正義の戦争を行う。という基本的なものが出来たからその雑誌の記事もそのようになった。
そして2003年7−8月号では多極主義的な論評が目立ったので、アメリカの方針が多極主義的に変化していると考えたと思われる。
このことを田中氏はアメリカの多極主義路線が推進しているひとつの証拠として考えていると推察する。