>>674 >”高等教育”の最後の段落「 しかし、こう主張すると、・・」からのところだ
1.「 しかし、こう主張すると、恐らく論理の万能性を疑問視する声があがる事が予想されます。確かに、近代に入ってからの自然科学は帰納法によって築き上げられて来ました。」
これ、『国家の品格』(藤原正彦著、新潮社、2005年)を意識した記述だと思うが、帰納法と論理は車の両輪で、両方だよ
2.「数学では背理法による公理的集合論が構築され」
これ意味不明。なんか勘違いだろう
3.「ヒルベルト・プログラムは論理によって森羅万象を説明する事が不可能である事を数学的に証明しました。」
ゲーデルによる不完全性定理(1930年)だと思うが、これによってヒルベルト・プログラムは大きな修正を迫られたので、この記述は不正確(下記)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0 ヒルベルト・プログラム (Wikipedia)
4.「カオス理論は非常に複雑な条件が重なりあっているため、将来の状態が予測できないと主張しているだけであり、これもまた決定論である事に変わりはありません。」
ここも、記述が不正確。カオス理論は、微分方程式の初期値問題が、初期値のわずかの差が結果に大きな影響を与える例があるということ。初期値の誤差が増幅される。
また、先に「ハイゼンベルグの不確定性原理によって決定論は否定され」と書いた記載と、ここの記載がつながらないよ。
5.「率直に申し上げますと、全中宇宙の森羅万象はほぼ完全に決定論で動いていると私は考えております。また、現代の理論物理学の最前線である超弦理論は、純粋に演繹法的な手法で紡ぎ出されたものです。」
「全中宇宙の森羅万象はほぼ完全に決定論で動いていると私は考えております」というのは、アインシュタインと同じだが、少数意見だよ。
”補足説明 進化論の誤謬”と同じで、本筋と関係ない少数意見を書くなってこと、論文には。
超弦理論は、確かに数学的な理論だが、あれも現実と計算をあわせるために観測値によるパラメータが必要だよ。(観測値によるパラメータは演繹できない)
>>676 >5.「率直に申し上げますと、全中宇宙の森羅万象はほぼ完全に決定論で動いていると私は考えております。また、現代の理論物理学の最前線である超弦理論は、純粋に演繹法的な手法で紡ぎ出されたものです。」
補足
超弦理論では、ウィッテンさんという人が活躍していてね(下記)
彼は、”純粋に演繹法的な手法で紡ぎ出されたもの”ではなく、物理的直感で予想を出す。
そして、その予想を使って、推論し現実との対比を行う。
そんな手法で、超弦理論の研究を進めているらしい。
だから、「こういった、非常に高度な抽象論を理解する上で、論理的思考力に長けた人材を育成する事は絶対に必要なのです。」は間違っていないが、超弦理論はあまり適切な例示ではない
さらに付言すれば、ウィッテンさんが出現して、数学でも人のもつ直観力が見直されるようになったと思うよ
昔は、微分積分で「高校の微分積分は不正確で、大学ではデルターイブシロンできちんとやる」なんていわれたがね(1970年代)
最近はデルターイブシロン万能にあらずというか、微分積分ももっと直感的な捕らえ方もあるという風になってきたと思う
筆者は、理系には弱いんだから、もっと自覚して理系からの指摘には謙虚になれってこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%B3 エドワード・ウィッテン (Wikipedia)
1995年に南カリフォルニア大学で開かれたスーパーストリング理論国際会議で、仮説M理論を発表し学会に衝撃を与える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/M%E7%90%86%E8%AB%96 M理論 (Wikipedia)
1995年、エドワード・ウィッテンによって提唱されたこの理論は、第二次超弦理論革命へのきっかけとなった。
現時点ではM理論は超弦理論より更に未完成であり、現実の物理法則に合致するものも得られていないため、最終的に物理理論として成立するか不明瞭である。数学的な仮説の段階だとも言える。