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間ヌケの宮:
創価学会は、もちろん新興宗教一般と同様に、信心と現世利益を結び付けている。
新興宗教には、貧・病・闘といった、どうしようもない苦境に追い込まれた人達が、
藁をもつかむ思いで入信するのだが、中には教祖自身にカリスマ的な超自然的能力
が備わっているケースもあるようだ。
しかし、多くは催眠とか自己暗示的なイカサマに過ぎない。
では、創価はどうなのか。もちろん催眠、自己暗示という要素もあるだろう。しかし、
この教団の特異なところは、信心に対するご利益を、政治システムを利用して実現する
という、他の教団にはおよそ思い至らなかった方法を、現に着々と実現していること
だろう。
たとえば、生活保護の申請は学会員ならほとんどフリーパスという話もある。学会系
の建設会社にも、公共工事などが優先的に割り振られているようだ。おそらくこれら
の話は信憑性があるのではないか。政治システムの利用とはこのようなことだ。
その為に、公明党の国・地方議員が動員される。
一方、不信心に対する仏罰というものもある。外部から見れば、仏罰などというものは
荒唐無稽に思えるかもしれないが、それは他でもない、暴力団を利用した抹殺を含む
報復のことだ。だから、その実態を知る側近達は、震え上がる。脱会後の執拗ないや
がらせも、やはり一種の実力行使という点では同じだ。
このように、ご利益、仏罰というものを、単なる神頼みや脅しにとどめず、政治力と
暴力で現実化するシステムが創価学会なのだ。
国民の治めた税金を、政治力でぶんどって、ご利益として内輪に分配する。このような
ある意味で驚天動地のシステムをよく理解し、もう一度政教分離の原則に立ち返って
はっきりと対決する覚悟を固めなければ、やがて日本そのものが食い殺されてしまう
だろう。