ほい
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/070704/plc0707040805000-n1.htm 【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(2)「鈍さが工作員を取り逃がした」2007.7.4 08:05
(略)
この男を、日本は二度取り押さえるチャンスがあった。
「辛はあれだけしゃべっている。なぜ捜査を前に進めようとしない」。 1985年夏、ある警察関係者に韓国の捜査官から、いらだった声で国際電話が入った。
その半年前に韓国の国家安全企画部(現・国家情報院)が辛をスパイ容疑で逮捕した。
辛は韓国捜査当局の調べに対し、80年6月、大阪府在住の中華料理店員、原敕晁(ただあき)さん(43)を宮崎県の青島海岸に連れ出して工作船で拉致し、同人名義の日本旅券を不正に取得の上、対韓工作を行ったことを詳細に供述した。
韓国側はこのとき、日本側による辛の取り調べを認めると打診してきた。ソウル五輪を控え、ぎくしゃくした関係を改善したいというシグナルでもあった。
まもなく警察庁の捜査員約10人がソウルに飛んだ。10日間の滞在中、韓国当局の立ち会いの下、辛を直接取り調べた。
ただ辛は拉致の容疑を日本の捜査員に認めようとはしなかった。(略)
韓国側は段ボール箱いっぱいの捜査資料を提供した。帰国した捜査員は一定の手応えを感じていた。事件としての立件は無論、辛に協力した総連のネットワークも追及できるからである。
ところが、しばらくして、奇妙な展開になった。警察と検察が協議した結果、立件を見送ったのである。
検察側は韓国側の調書について「証拠価値は低い」「この調書を証拠にすることは日本の刑事訴訟法にはなじまない」と主張したとされる。
(略)
起訴できないとの結論の前に警察庁幹部は首をうなだれるしかなかった。
当時、朝鮮総連などの動向を監視していた公安調査庁調査第二部長は、先月28日逮捕された緒方重威元長官であった。
(略)
その関係者は今、こう唇をかみしめる。
「日本の警察、検察幹部は拉致問題への感覚が鈍かった。自制して後ろ向きになっていた。政治が動かないことにわれわれは安住していた」
役人のことなかれ主義を象徴するかのように、段ボール箱は役所のどこかに22年間放置されたままである
(つづく)