米の原爆投下 「しょうがない」 久間防衛相

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70名無しさん@3周年
私の亡父は、昭和20年に広島市内の高校に行っていました。
当時は高校生も軍事徴用で、2班に分かれ、それぞれが勉強と軍事徴用を交代で行っていました。

8月15日は、父は広島県内のある軍需工場である兵器の部品を作っていました。

昼前に「広島に特殊爆弾が落とされた。全員救助に向かうため出発する!」という号令の下、
何十人もで不安に駆られながら広島市内の高校を目指し、汽車と徒歩で救助に向かいました。

そこで見たものは…。
広島市の原爆資料館の何万倍もの悲惨な光景で、炭になった人間らしきもの、どろどろに溶けた
皮膚で必死に水を求めて這う人、燃えてしまった子供を抱えて気が狂っている婦女、
そして大田川に水を求めて次々とやってきては力尽きて溺死するケロイドだらけの人…。
広島市にも軍需工場はありましたが、犠牲者は銃後にいた一般人、特に老人、婦女子だったのです。

大田川は一面死体が浮き、学校に戻っても校舎は吹き飛び、溶けている級友たちのうち、まだ息が
ある者だけを、板に載せて広島赤十字病院へ搬送するのがやっとだったそうです。

似島での死体処理や、その後の「ケロイドが伝染する」という噂のために身内からも遠ざけられた
人の話を聞かされて、私は育ちました。
その父も若くして「ガン」で亡くなりました。
二次被爆があったのではないかと、今でも私は思っています。

久間大臣の発言は、内容において真実かもしれませんが、
国防を司り、いやしくも第二の被爆地長崎を選挙区とする国会議員として
あまりにも呆れたものです。
私の戯言を読んでくださった方のなかに、長崎の方もいらっしゃると思います。

久間の発言を決して忘れず、来たる衆院選で、必ず今回の発言を「心底」後悔
させてやってください。お願いします。