【これどうよ?】憲法九条を世界遺産に

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636名無しさん@3周年
「外一島」について、もう少し詳しく解説すると、

島根県が「松島」と言ってるものを、わざわざ太政官が「外一島」
と代名詞で呼んだのは、「松島」の存在があやふやだったからだよ。
この「松島」は、白人の伝えた架空の島(アルゴノート)か鬱陵島、
もしくはチュクトである。

日本ではそれまで、鬱陵島と竹島の存在は知られていたが、白人の
言うアルゴノート島は知らなかった。日本人はそれを、明治維新前後
の白人文明に対する畏怖から、間違いであると断定できずに混乱して
しまった。その結果として、鬱陵島と竹島の他に島があるものとして、
それまでの知識をむりやり当てはめて、竹島(鬱陵)、松島(アルゴ
ノート)、リャンコ島と呼ぶようになったんだよ。
1867年の勝海舟識「大日本沿海略図」にも、竹島・松島・リャンコ島
の三島が描かれている。

島根県は「次に一島あり 松島と呼ふ・・・樹竹稀なり 亦魚獣を産す
永禄中 伯耆國 會見郡 米子町商 大屋(大谷)甚吉 越後より歸り 颶風に
遇ふて 此地に漂流す」と表現している。これは「竹島渡海由来記
抜書控」からの引用だが、原書では「越後国より帰帆之砌与風竹島江
漂流」と、島名が「竹島」になっている。甚吉が漂流したのは元和三年
(1617年)だから、これは鬱陵島のことである。
しかし島の様子を表した「樹竹稀なり・・・」は現在の竹島に類似し
ている。この様に島根県も知識が混乱しているわけだ。