「首都機能移転なき地方分権」は地方切り捨て
− 地方の自立:一極集中の是正と分権 −
東京のみに有利な経済社会システムの根本的変更を 評論家八幡 和郎
「地方分権の推進」には誰も異議をとなえない。しかし、あらゆる制度やインフラが
東京への集中を促進するよう構築されている中で、
石原知事もまた「地方分権」を歓迎していることは、その大義名分の裏に、
実は「(関西も含めた)地方切り捨て」が潜んでいるのでは、と疑う視点が必要であろう。
地方交付税による財源調整を縮小すれば、東京都のみに圧倒的に有利となる。
地方独自税についても、銀行への外形標準課税やホテル税論議に見られるように、
企業や出張者に逃げられる心配なく住民以外から税金をとれるのは、首都である東京だけである。
「大阪府内で集めた国税の地元への還元率が低い」といった護論もあるが、東京への還元率
はもっと低く、これに拘泥すれば、「大阪は東京に比べて不当に有利に扱われており是正すべき」
ということになる。問題にすべきは「一人あたりの還元額」で、これについては、神奈川、愛知、
大阪などは最低ランクであるのに、東京は全国で中位にあり、
大都市の中で例外的に優遇されている、というアンバランスなのだ。
かつて「規制緩和で関西は復権する」という主張があったが、
規制緩和の結果、産業再編成が起こり、企業の本社はますます大阪を去って、
東京へ移っているのが現実だ。逆に、近年大阪に新しく設立された大企業の本社は、
JR西日本とNTT西日本で、いずれも国によるイニシアティブで大阪に設立されたものである。
地方主権の論理を体現し、関西など日本を構成する各地域が自立できるような国家を創り上
げるには、規制緩和や権限・財源の委譲だけでは全く不十分で、
「政治や経済社会システム全体を分権国家にふさわしく再構築」することが不可欠である。
そういう前提で私が提案しているのは、
「首都機能移転」「道州制」「市町村合併」の三点セットである。
首都機能移転の本質: 「小さく中立的な首都」を指向。単なる土木事業ではない。
首都機能移転を時代遅れの発想という人もいるが、これは「新しい都を創る」ということを
土木工事としか捉えられない貧困な歴史観に基づく。世界史の大きな流れは、
東京のように他地域に優越して君臨する古代からの仰々しい首都像から
「分権国家の中での小さく中立的な首都像」へと向かっている。
EUでは、事務局はブリュッセル、議会はストラスブール、裁判所はルクセンブルク、
中央銀行はフランクフルトというように、
ゲルマンとラテンの境界であるライン渓谷に沿った中都市に敢て置かれている。
パリ、ロンドン、ベルリンといった大都市に首都を置けば、そこへの一極集中が起こるのを避け難く、
構成する諸国家が平等に扱われないという考えからである。こうした首都像は、
18 世紀の米国でワシントンが建設された頃からの大きな歴史的うねりであり、
「ここ10 年や20 年の流行の問題」としてしか捉えられない首都機能移転反対論者の理解は、
浅薄としかいいようがない。
もっとも、現在の首都機能移転論議が本格化したのがバブル経済下であったことから、
細部について、その時代の雰囲気に引きずられた部分があったことは否定できない。
その意味で、現在の状況をも踏まえ、
移転に伴う諸課題の解決策等も盛り込んだバージョンアップが求められている。
第一は財政問題である。これについては、
国が不動産売却で利益を得ることへの反発の強かった当時と異なり、
東京の官庁等の跡地、さらには移転地の開発地域の売却・賃貸・信託などと合わせて、
首都機能移転を採算性の高い事業とすることは容易である。
物価が高い大都市都心部からの脱出は、行政コストも下げるだろう。
より採算性を上げる検討を行い、むしろ積極的に財政赤字解消に役立つことを事業計画で示すべきだ。
第二に、東京の「世界的な経済文化都市」としての、より具体的な再生策の提示である。東
京は、都心部における魅力的な生活・文化環境に欠け、郊外は乱開発で防災上極めて危険な
状態にあるし、首都機能移転による土地の放出で再開発を行うことは、新政治首都建設以上に
大きなビジネスチャンスでもある。
第三に、規模は予定より縮小してもよいのではないか。
従来の構想では、できる限り他の大都市から離れた方がよいとされてきたが、
いまとなれば、名古屋圏や関西圏の機能が活用できるところの方がよいのでは、
ということである。これは、当初評価が低かった三重・畿央地域への評価が
上がっている背景でもある。
道州制、市町村合併の本質: 国 の機能の受け皿。単なる「経費節減」論ではない
「道州制」の問題も、経費節減のために都道府県を合併するというのでは、後ろ向きの意味しかなく、
逆に国の権限・人員・予算を受け取る受け皿として構想されてこそ意味がある。
また、ドイツ連邦銀行の理事に各州の代表が一人ずつ入っているように、
国政のあらゆる問題について各地方ごとの意見集約がまず行われ、
その積み重ねで国家としての方針を決めるようにすべきである。
交通網などのインフラにしても、東京からの放射線状ではなく網の目型になるだろうし、
イベントの開催や政府機関の配置も、各州間でのバランスが最優先される。
こうした方法は、47もある都道府県を基礎としている限りは困難で「道州制」の実現が不可欠である。
市町村について、現在は3000 以上ある市町村の合併が議論されているが、
これも「経費節減のため、何でもよいから減らせ」という哲学なき進め方では、
半減がよいところだろう。400 程度にまとめる代りに、
国は、新しい400 市が自立できるだけのインフラや財政基盤は保証するという
「ギブ&テイク」が示されるべきだ。
都道府県については、道州制と市町村合併の結果、かなりの機能が吸収され、役割の整理と
組織のスリム化の必要性はあると思うが、廃止はデメリットの方が大きい。
たとえば、琵琶湖の問題に取り組むのに、市町村では小さすぎ、道州では大きすぎる。
自治体人事の抜本的改善も必要だ。殆どの職員が小さい組織で一生を過ごし、50 歳を過ぎて
ようやく課長といった極端な年功序列では、活力は生まれない。自治体間または民間との人事交
流や転職の活発化、部長クラスの若返りなど、工夫を望みたい。