>戦争は60年以上も前に終わった。
>戦後処理もサンフランシスコ講和条約ですべて解決済
とか言ってるのが時々いるけど、賠償とかそう言う事は既に解決済み。
問題なのは日本が戦争を清算してない事だ。
それは、外国にではなくて、国内でだ。
不戦の誓いとか言いながら、天皇万歳のキチガイ神社に参拝したり、
教科書教育で、歴史の正しい表記を禁止したり、
君が代日の丸教育を復活したり、
時代を逆行する国粋主義的傾向を強めている。
特に、教育においては、同じ過ちを繰り返すまいとする行為とは程遠いことが行われている。
戦争の張本人である天皇も処罰していない。
街頭インタビューで何もものが分かっていない若い女が、「日本が低姿勢に出ているから、中国朝鮮に舐められるんだ」
などとバカな事を言っていたが、被害者の立場に立ってものを考える事が出来ない人だね。
恐らくは歴史もろくに知らないのだろう。
口先だけで謝罪しても、国内教育で同じ過ちを繰り返すような事をしていたら、被害者感情として許せないだろう。
それは、中国朝鮮の人が気分を害すだけでなく、我々日本人がまた被害に遭うことになるかもしれないのだ。
939 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 14:36:32 ID:Rh4TfZwh
自分でしている事、してもらっている事と言うのはお互いいずれ返さなく
てはいけない。それは自然な事。
この世の中はバランスを取るためにお互いが協調し合って成り立っている
からね。そのバランスを崩す物は退治させられる。
風邪のウィルスが蔓延したらワクチンを開発して退治する。所謂、殺菌だね。
太平洋戦争では日本人はただ殺菌されただけ、人類保全のために。
940 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 14:39:06 ID:vz4lbAQB
941 :
名無し:2006/08/25(金) 15:01:30 ID:RCXNIkQ3
現実的に、裁判で首相の靖国参拝は違憲であると言っているのであるから
なにかしら、問題があり、対策を考えねばならない。
942 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 17:30:17 ID:9YO3WxKM
裁判官に問題があり、対策を考えねばならない。
943 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 17:48:39 ID:t/XV+NuW
結局、富田メモの「私」が誰であるかという客観的裏付けからも
メモの科学的検証からも延々と逃げ続けて、臨場感とか訳分からない
擁護だけもらって漠然とした印象だけ残そうとしたが、それも失敗。
944 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 18:02:03 ID:eyY3v6Yv
歴史資料として一級品や言うてるバカがおる
この程度のメモを裁判に証拠として出してみてみ
証拠能力はゼロ
裁判長が鼻で屁をこく程度のいかがわしいメモやな
読者が信憑性を疑っている限り真性だという証明を
日経はする必要がある
945 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 18:11:00 ID:9YO3WxKM
何度でも言おう
>昭和天皇、靖国神社のA級戦犯合祀に不快感
捏造解釈なり
946 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 18:12:49 ID:RWA2j93/
わかったわかった。死ぬまで言い続けてろw
947 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 18:18:31 ID:DwgBaYy1
良くわからんが、
小泉が天皇を馬鹿にしている事だけは判った。
948 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 18:20:11 ID:RWA2j93/
良くわからんが、
ネトウヨが天皇を馬鹿にしている事だけは判った。
949 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 18:39:28 ID:9YO3WxKM
日経は自信が無いんだよ
早く資料全部公開せい!
出さなきゃ捏造確定だな
950 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 20:49:41 ID:NBoORBYJ
お、またウヨの無限ループが始まったか?
951 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 20:51:57 ID:oVoeq8sJ
あのさ、富田メモは富田家の私物なの
だからどうしても全部見たいなら富田家にお願いしろよ
952 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 20:55:12 ID:bhRmtue7
>>949 いつになったら、このスパイラルの答えが出るんだ?
もう一ヶ月以上返事できないでモジモジしてるじゃないかw
オレ待ちきれないよw
┌──→ じゃあ やっぱ富田メモは怪しい! ─────┐
│ │
(右翼思想の後ろ盾喪失) (事実の証拠だらけ)
│ │
│ │
└──── じゃあ やっぱ昭和天皇は無視ね!←───┘
右翼って別に天皇陛下とは関係の無い動きをしていると思われるけど…。
天皇陛下を利用して暴力を正当化しようとしている暴力団にしか
見えませんがどうでしょう?
955 :
953:2006/08/25(金) 21:08:09 ID:9kSeAoqH
>>954 右翼の方ですか?何か社会貢献はしたことありますか?
┐(´ー`)┌
957 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 21:22:53 ID:jYx//DuX
マッカーサー回想記 (訳文)
(昭和天皇のお言葉)
「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する
、全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたず
ねした。」
私は、大きい感動にゆすぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸
事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする。この勇気に
満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人
の資格においても、日本の最上の紳士である事を感じ取ったのである。
(付記)
マッカーサー元帥は、側近のフェラーズ代将に、「私は天皇にキスしてやりたいほどだっ
た。あんな誠実な人間をかつて見たことがない」と語ったと言う。(当時外務大臣であった重
光葵氏が、1956年9月2日、ニューヨークでマッカーサー元帥を尋ねたときの談話によ
る。)
他にも、「一言も助けてくれと言わない天皇に、マッカーサーも驚いた。彼の人間常識で
は計算されない奥深いものを感じたのだ」〈中山正男氏、日本秘録98項〉
「この第一回会見が済んでから、元帥に会ったところ、陛下ほど自然そのままの純真な、善
良な方を見た事がない。実に立派なお人柄である」と言って陛下との会見を非常に喜んでい
た」〈吉田茂、回想十年〉などの記録がある。
マッカーサー元帥は、陛下がお出での時も、お帰りのときも、玄関までは出ない予定であ
った。しかし、会見後、陛下がお帰りの際には、思わず玄関までお見送りしてしまい、慌て
て奥に引っ込んだ事が、目撃されている。〈吉田茂、回想十年104項以降〉。
958 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 21:23:28 ID:jYx//DuX
マッカーサーは、終戦後、9月27日に初めて天皇陛下と会見し、この時の模様を、Re
miniscences(マッカーサー回想記)の原文P288において、以下のように述
べている。
当初の、「天皇は命乞いに来た」というマッカーサーの予想に反して、昭和天皇は、「戦
争遂行の過程において取られたあらゆる政治的、軍事的決定に対して、自分は、唯一の責任
を負う者として(マッカーサー)閣下が代表する権力に自分の身をゆだねる」とおっしゃた
。陛下の勇気あるご態度に、元帥は文字通り、「骨の髄まで揺さぶられた」と書き残している。
つまり陛下は、責任があると言っておられないが、「責任を負う」と言っておられるので
ある。
陛下のご態度は、自分が助かりたいために東京裁判で嘘をつき(嘘をついたことは、後に
自身が認めている)、責任を一方的に日本になすりつけた、満州国皇帝、溥儀の態度と18
0度異なる。Reminiscencesが出版されたのは、1964年であり、戦後20
年近くたってなお、マッカーサーが、作り話までして昭和天皇を弁護する理由は何もないであろう。
昭和天皇のお人柄は、非常にまじめであり、政教分離の原則に忠実であった。このため
、大東亜戦争を阻止できなかったという道義的責任を問う考えがあることは事実であろう。
しかし、それは憲法に則った立憲君主として御決定の結果であり、当時の憲法(大日本帝国
憲法)においては、その御決定は輔弼者たる臣下(開戦決定の御前会議に列席した東条首相
以下の政府・軍首脳)の実質的な責任において御裁可を仰いだ結果であったことは先に述べ
たとおりである。また、戦禍に倒れた人々に対するお心の痛み(内的、道義的責任)は、陛
下ご自身が折に触れ述べられている
959 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 21:26:45 ID:9YO3WxKM
>>952 もともとそんなものは存在しない
存在しないものに100年待っても答はない
960 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 22:03:00 ID:jK00JiSw
961 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 22:33:40 ID:NBoORBYJ
>>960 /seiji/じゃなくて/appli/になってんのに誰がひっかかるんだよ
962 :
名無しさん@3周年:2006/08/25(金) 23:48:29 ID:m7J4ZySU
ヒロヒトさんがA級戦犯合祀に賛成していたか、反対していたかなんてどっちでもいい事じゃん。
だってヒロヒトさんの個人的意見だもの。
アキヒト天皇が「郵政民営化反対」と言ったら郵政民営化を止めなきゃいけないの?
そんなの「象徴天皇制」を定めた憲法に反するよ。
靖國神社は戦没者を祀るための平和な神社という風に感じられるかもしれませんが、
この神社の隠された(真の)イデオロギーは、平和とは正反対の恐ろしい思想にあります。
大東亜戦争を「聖戦」と位置づけ、大本営の亡霊達を「神」として讃えるのがこの神社の使命です。
このイデオロギーは絶対不変です。常に世論の動向をうかがいながら、大東亜戦争と戦犯を
正当化することに余念がありません。「遊就館」こそが靖國の真の本質だと言ってよいでしょう。
964 :
名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 01:25:35 ID:KsaWayAR
>>905 じゃあ、サクッと200年位前まで遡ったらどう?
965 :
名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 02:42:08 ID:O81BR1ap
>>963 イデオロギーに対して言えば、日本古来より、神道、仏教において死者に対し鞭打つことは不徳と考えられてきた。
現在もそのはずだ。それが日本人の美徳だ。
漢人や朝鮮人とは違い、死者に対して刑罰を日本は行わない(金玉均は死してなお切り刻まれる刑罰を受けた)。
戦争責任に関していえば、当時の日本国民がイケイケで戦争に突入した。
新聞の論調も朝日、毎日も同じだ。(言論統制は戦争突入後だ)
そもそも聖戦だなんて思ってもなく、中国に対する日清、日露戦争で得た当然の利権を死守するために行った戦争だ。
靖国に奉られている人々は、何らかの形で天皇の命令により命を落とした人々であり、奉る奉らないは靖国自体の判断だ。
国際問題にしようとしている特定メディアの悪意を感じざるを得ない。
戦 争 責 任 は 戦 争 を 支 持 し た 当 時 の 日 本 人 全 員 に あ る 。
靖国が平和施設だなんて、バッカジャネーノ
酔っぱらってっから文面がおかしいニャ〜
966 :
名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 03:19:01 ID:+/8eFTC4
>>965 >戦 争 責 任 は 戦 争 を 支 持 し た 当 時 の 日 本 人 全 員 に あ る
ちょうどさっきまで岡崎久彦氏が朝ナマで同じこと言ってたけど、
その時点で思考停止だよね。それ以上考える必要がないもの。
そういうのは愚者の論理だ。
歴史的な評価を積み重ねれば当然ながら責任の軽重ははっきりしてくる。
そもそも満州事変は日清・日露で得た権利を拡張しようとして生じたもの
だろう。日清・日露で得た権益そのものは何ら脅かされてはいなかった。
にも関わらず、政府の不拡大方針に反して関東軍が権益拡大に動き、
中国側との衝突を繰り返しては支配地域を拡大したのが真相だろう。
明らかに無視できない事実をも無視して、それで一億総懺悔であいまいに
してしまったら、歴史から一体どんな教訓を得られるのか。結局のところ
「みんな悪いんじゃ責任のとりようがないよなぁ」で終わっちゃうだろう。
967 :
名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 03:27:58 ID:cHoCqvKl
>>966 で、原爆落として非戦闘員を虐殺した米国の戦争責任について
どう思いますか?
968 :
名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 03:55:45 ID:O81BR1ap
>>967 このスレって靖国に関するすれだよね、靖国の話をしようよ
オイラも焼酎1?飲んだ時点なんで思考が回ってないんだけど、合祀云々じゃなくて
満州に言及されても困るんだけどサ
朝ナマ見てないから論点が見えないんだけど、現実問題として当時の日本人は
満州に夢を見、入植し、生計を立てていたことに対してどう思ってる?
もちろん現時点での歴史認識と当時の利権がらみの国際情勢を同一視はできないはずだよね?
もっと言えば満州事変、盧溝橋事件を発端とした支那事変について正当化するつもりはないんだな。
それは現時点の歴史認識だから。
でも、当時の西洋列強のやってきたこととどこが違うの?
アヘン戦争、アロー戦争は正当化できるの?
日本人がやったら「黄色いサルが何しやがる!!」でいいの?
もうちょっと歴史と当時の国際法をお勉強しようネ
左傾がインテリジェンスに見えたのは1990年代まだよ。
右傾はいまだにバカばっかだけど。w
969 :
名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 04:00:00 ID:12FkXxTQ
>>966 なら、具体的に責任者および責任理由を特定してみ?
970 :
名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 04:25:09 ID:O81BR1ap
>>969 だから具体的な責任者も責任理由もないから
>戦 争 責 任 は 戦 争 を 支 持 し た 当 時 の 日 本 人 全 員 に あ る
って言ってるつもりなんだけどw
付け足すなら”当時の煽ったマスコミ”および”国民ノリノリで”
あえて言及するなら
「明治維新と西洋列強の植民地政策から支那事変に至るまで」に言及する必要がありますが?
もうヨッパライをイヂメんなよw
>>969 責任者を特定したいのなら大日本帝国憲法の一章一条を
読めばよい。非常に簡潔に書いてある。国民が支持した
内閣が決定し、天皇が承認した。
それだけの話でしょ。難しい話でもなんでもない。
972 :
名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 04:32:35 ID:SOZvC2T/
「終戦の詔勅」から天皇メモについて考えてみた。
@ 帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク 且 戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ
意訳 敗戦でひどい目にあった国民のことを思えばまことに痛切に耐えない。
感想 ここは誰しも異論はないだろう。小泉首相もこの気持ちで参拝したと言っていますね。
A 朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ 得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ 若シ夫レ 情ノ激スル所 濫ニ事端ヲ滋クシ 或ハ同胞排儕 互ニ時局ヲ亂リ 為ニ 大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム
意訳 しかし天皇の地位は安泰だったのだから、これを是としておとなしく敗戦を受け入れよ。
うだうだ言って国際的非難を浴びるようなことは慎め。
感想 例の天皇発言メモもこれと同様の考えだな。天皇は頭を上げるのはまだ早いと考えた。保守政治家はもういいだろうと考えた。
時局認識が違っているだけだ。根本的に違っているわけではないようだ。
「信義ヲ世界ニ失」ってはならない理由は侵略を反省したからではない。「國體ヲ護持シ得」たから、それがオジャンになるのを避けたかった。
天皇制存続がすべてに優先するのだ。ま、天皇だから、お家大事なんだな。
B 宣シク 擧國一家子孫相傳ヘ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
意訳 神州は不滅だ。一から出直して頑張ろう。
感想 神州だもんな・・・・。
この気持ちを持続させるための装置として靖国神社があるわけだ。
@ 爾臣民 其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
意訳 言われたとおりにしろよ。
感想 やだよ。
973 :
名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 06:04:30 ID:qG00Qdhp
マッカーサー回想記 (訳文)
(昭和天皇のお言葉)
「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する
、全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたず
ねした。」
私は、大きい感動にゆすぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸
事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする。この勇気に
満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人
の資格においても、日本の最上の紳士である事を感じ取ったのである。
(付記)
マッカーサー元帥は、側近のフェラーズ代将に、「私は天皇にキスしてやりたいほどだっ
た。あんな誠実な人間をかつて見たことがない」と語ったと言う。(当時外務大臣であった重
光葵氏が、1956年9月2日、ニューヨークでマッカーサー元帥を尋ねたときの談話によ
る。)
他にも、「一言も助けてくれと言わない天皇に、マッカーサーも驚いた。彼の人間常識で
は計算されない奥深いものを感じたのだ」〈中山正男氏、日本秘録98項〉
「この第一回会見が済んでから、元帥に会ったところ、陛下ほど自然そのままの純真な、善
良な方を見た事がない。実に立派なお人柄である」と言って陛下との会見を非常に喜んでい
た」〈吉田茂、回想十年〉などの記録がある。
マッカーサー元帥は、陛下がお出での時も、お帰りのときも、玄関までは出ない予定であ
った。しかし、会見後、陛下がお帰りの際には、思わず玄関までお見送りしてしまい、慌て
て奥に引っ込んだ事が、目撃されている。〈吉田茂、回想十年104項以降〉。
974 :
名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 06:05:15 ID:qG00Qdhp
マッカーサーは、終戦後、9月27日に初めて天皇陛下と会見し、この時の模様を、Re
miniscences(マッカーサー回想記)の原文P288において、以下のように述
べている。
当初の、「天皇は命乞いに来た」というマッカーサーの予想に反して、昭和天皇は、「戦
争遂行の過程において取られたあらゆる政治的、軍事的決定に対して、自分は、唯一の責任
を負う者として(マッカーサー)閣下が代表する権力に自分の身をゆだねる」とおっしゃた
。陛下の勇気あるご態度に、元帥は文字通り、「骨の髄まで揺さぶられた」と書き残している。
つまり陛下は、責任があると言っておられないが、「責任を負う」と言っておられるので
ある。
陛下のご態度は、自分が助かりたいために東京裁判で嘘をつき(嘘をついたことは、後に
自身が認めている)、責任を一方的に日本になすりつけた、満州国皇帝、溥儀の態度と18
0度異なる。Reminiscencesが出版されたのは、1964年であり、戦後20
年近くたってなお、マッカーサーが、作り話までして昭和天皇を弁護する理由は何もないであろう。
昭和天皇のお人柄は、非常にまじめであり、政教分離の原則に忠実であった。このため
、大東亜戦争を阻止できなかったという道義的責任を問う考えがあることは事実であろう。
しかし、それは憲法に則った立憲君主として御決定の結果であり、当時の憲法(大日本帝国
憲法)においては、その御決定は輔弼者たる臣下(開戦決定の御前会議に列席した東条首相
以下の政府・軍首脳)の実質的な責任において御裁可を仰いだ結果であったことは先に述べ
たとおりである。また、戦禍に倒れた人々に対するお心の痛み(内的、道義的責任)は、陛
下ご自身が折に触れ述べられている
975 :
名無しさん@3周年:2006/08/26(土) 10:58:36 ID:fjyrw0j4
天皇は自分が処刑されるかもしれないことについて、非常に動揺していた。
「(天皇は)天皇に対する米国の論調(死刑33%、裁判で決定すべき17%、
終身刑11%)につき頗る遺憾に思召され、之に対し頬被りで行くと云ふも
一つの行方なるが、又さらに自分の意志を新聞記者を通じて明にするか或は
マ元帥に話すと云ふことも考えられるるが如何、との御下問あり」
(木戸幸一(天皇側近)日記下巻)
これに対して木戸は、
「弁明すればする程当方の希望に反し邪道に入るのおそれあり・・・
御憤懣は充分御察し申上るところなるが・・・」と、おとなしくして
おいた方が良いと進言するも、これに対して天皇は、
「自分はファシズムを信奉していない」とか、
「こんなことになったのも自分があまりにも立件君主的に振る舞ったからだ」
とか延々と言い訳と愚痴をこぼし続けたのである。
こういうみっともない発言を繰り返していた天皇がどうして
マッカーサーに対して「私をどのようにしてもかまわない」と言うに
至ったかについては、理解しがたいところがある。
もっとも、当時大統領出馬を考えていた野心家である自己顕示欲が
強かったマッカーサーにしてみれば、連合国軍最高司令官としての
自分の業績を劇的に見せるためには、都合の良い展開であり、
占領政策のために天皇を訴追しなかったことに対する米国の批判を
かわすためにも都合の良い「美談」として「回顧録」に脚色を加えた
と考えた方が自然ではないか。
>>952 答えを出してやるから
>(事実の証拠だらけ)
早く事実の証拠を出せってばwww
何時まで待ったら証拠が出てくるんだ?
977 :
名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 13:31:20 ID:RANH8q4n
富田メモに関して
雑誌WILLが出ましたな
978 :
名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 13:35:30 ID:KsIyMurO
>公務員給与が高いのではない、民間給与が低いんだと言う主張
有名な共産のフレーズ。
誤魔化しは、「公務員給与が高いのではない」ここです。
税金をどの程度人件費に使うかが問題になってるのに、その点を一切
触れずに、何の根拠、資料も示さずに、突然高くないと決めつけるところ。
各種の高くないと言う資料を示して主張しないと、単なる誤魔化し。
人事院が公務員の給与を決定するときに用いる企業は従業員100人以上の企業のみ、これを従業員10人以上に直すと次のような結果が。
公務員 民間 格差
青森県 734万 450万 284万
長崎県 726万 463万 263万
長崎市 726万 463万 263万
大分県 743万 483万 260万
秋田県 723万 466万 257万
山県県 736万 486万 250万
岩手県 715万 472万 243万
別府市 716万 484万 232万
沖縄県 703万 471万 232万
東大阪市 886万 657万 229万
日田市 713万 484万 229万
大分市 701万 484万 217万
島根県 706万 491万 215万
熊本県 715万 501万 214万
高給だけでなく、各種手当て、豪華な福利厚生施設、優遇された年金等。
闇手当、闇給与、裏金 など盛りだくさん。
ネウヨって
A級戦犯>>>>>>>>>>>>>>>天皇
なんだよな。
980 :
名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 14:16:13 ID:tyVt1vLy
靖国神社って
岡崎>>>>>>天皇
なんだね。
981 :
名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 14:17:22 ID:p/PZn+Pm
安倍って
金正日>>>>>天皇
なんだよ。
982 :
名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 14:19:21 ID:UNB6iVRz
陛下に背く自称「愛国者」多すぎ
983 :
名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 14:51:28 ID:FFemNwgA
984 :
名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 15:07:03 ID:FFemNwgA
985 :
名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 15:17:28 ID:vIGCnvx0
マッカーサー回想記 (訳文)
(昭和天皇のお言葉)
「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する
、全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたず
ねした。」
私は、大きい感動にゆすぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸
事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする。この勇気に
満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人
の資格においても、日本の最上の紳士である事を感じ取ったのである。
(付記)
マッカーサー元帥は、側近のフェラーズ代将に、「私は天皇にキスしてやりたいほどだっ
た。あんな誠実な人間をかつて見たことがない」と語ったと言う。(当時外務大臣であった重
光葵氏が、1956年9月2日、ニューヨークでマッカーサー元帥を尋ねたときの談話によ
る。)
他にも、「一言も助けてくれと言わない天皇に、マッカーサーも驚いた。彼の人間常識で
は計算されない奥深いものを感じたのだ」〈中山正男氏、日本秘録98項〉
「この第一回会見が済んでから、元帥に会ったところ、陛下ほど自然そのままの純真な、善
良な方を見た事がない。実に立派なお人柄である」と言って陛下との会見を非常に喜んでい
た」〈吉田茂、回想十年〉などの記録がある。
マッカーサー元帥は、陛下がお出での時も、お帰りのときも、玄関までは出ない予定であ
った。しかし、会見後、陛下がお帰りの際には、思わず玄関までお見送りしてしまい、慌て
て奥に引っ込んだ事が、目撃されている。〈吉田茂、回想十年104項以降〉。
986 :
名無しさん@3周年:2006/08/27(日) 15:18:02 ID:vIGCnvx0
マッカーサーは、終戦後、9月27日に初めて天皇陛下と会見し、この時の模様を、Re
miniscences(マッカーサー回想記)の原文P288において、以下のように述
べている。
当初の、「天皇は命乞いに来た」というマッカーサーの予想に反して、昭和天皇は、「戦
争遂行の過程において取られたあらゆる政治的、軍事的決定に対して、自分は、唯一の責任
を負う者として(マッカーサー)閣下が代表する権力に自分の身をゆだねる」とおっしゃた
。陛下の勇気あるご態度に、元帥は文字通り、「骨の髄まで揺さぶられた」と書き残している。
つまり陛下は、責任があると言っておられないが、「責任を負う」と言っておられるので
ある。
陛下のご態度は、自分が助かりたいために東京裁判で嘘をつき(嘘をついたことは、後に
自身が認めている)、責任を一方的に日本になすりつけた、満州国皇帝、溥儀の態度と18
0度異なる。Reminiscencesが出版されたのは、1964年であり、戦後20
年近くたってなお、マッカーサーが、作り話までして昭和天皇を弁護する理由は何もないであろう。
昭和天皇のお人柄は、非常にまじめであり、政教分離の原則に忠実であった。このため
、大東亜戦争を阻止できなかったという道義的責任を問う考えがあることは事実であろう。
しかし、それは憲法に則った立憲君主として御決定の結果であり、当時の憲法(大日本帝国
憲法)においては、その御決定は輔弼者たる臣下(開戦決定の御前会議に列席した東条首相
以下の政府・軍首脳)の実質的な責任において御裁可を仰いだ結果であったことは先に述べ
たとおりである。また、戦禍に倒れた人々に対するお心の痛み(内的、道義的責任)は、陛
下ご自身が折に触れ述べられている
987 :
名無しさん@3周年:
しかし、天皇は、本当にマッカーサーにそんなことを言ったのだろうか。
この件に関してはいろいろな人が調べているが、会見の時に通訳をした
奥村勝蔵の書いた「マッカーサー元帥トノ会見録」という文書を、作家の
児島襄が「文藝春秋」1975年1月号に発表している。その「会見録」には、
天皇がマッカーサーにそんなことをp言ったとは記録されていないのであ
る。
さらに、戦前戦後を通じて天皇の側近を務めた木戸幸一の残した日記を
見ると、天皇がマッカーサーを訪問した翌々日、9月29日に、次のような
記述がある。
「(天皇は)天皇に対する米国の論調(死刑33%、裁判で決定すべき
17%、終身刑11%)につき頗る遺憾に思召され、之に対し頬被りで行
くと云ふも一つの行方なるが、又さらに自分の意志を新聞記者を通じて明
にするか或はマ元帥に話すと云ふことも考えられるるが如何、との御下問
あり」(木戸幸一(天皇側近)日記下巻)
これに対して木戸は、
「弁明すればする程当方の希望に反し邪道に入るのおそれあり・・御憤懣
は充分御察し申上るところなるが・・・」と、おとなしくしておいた方が
良いと進言するも、これに対して天皇は、「自分はファシズムを信奉して
いない」とか、「こんなことになったのも自分があまりにも立件君主的に
振る舞ったからだ」とか延々と言い訳と愚痴をこぼし続けたのである。
問題は、ここで天皇は「マッカーサー元帥に話す」といっているが、一
体マッカーサーに何を話したかったのかということだ。それは、木戸の言
葉どおり「米国の論調」(死刑33%、裁判で決定すべき17%、終身刑
11%)に対する「弁明」でしかあるまい。
であれば、これほど、激しくマッカーサーに対して弁明したがっている
人間が、二日前には同じマッカーサーに「すべての責任を取る」とか「絞
首刑にされても構わない」などと言った、といわれても信じるのは無理と
いうものだ。「You may hang me」と本当に言った人間であれば、アメリカ
の論調がどんなに厳しくても、「頗る遺憾に思召され」たり「御憤懣」を
表したりせず、従容としてそれを受けるはずである。