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名無しさん@3周年:
1966年引揚援護局はA級戦犯の「祭神票」を靖国神社に送り付けた。
しかしこの当時の宮司、筑波藤麿は、天皇家や宮内庁内の空気を知っていたが為に
それに配慮し合祀を差し止めた。事態が急変したのは、その筑波宮司が急逝し、
後任の宮司に東京裁判否定派の松平永芳が就いてからだった。
1978年松平は宮司預かりとなっていたA級戦犯合祀を行うことを決意し、
合祀者名簿を天皇のもとへ持って行く。それを受け取った徳川侍従次長は、
天皇の意向に基づき相当の憂慮を表明したが、松平はそれを無視し、
独断で合祀を強行してしまう。結果、昭和天皇はこれに反発し、
以降靖国参拝は取り止めとなってしまい、今に至るというわけだ。