彼の前提となる理解は以下のようなものである。
「自衛権を有する=自衛戦争ができる(自衛戦争を放棄していない)」
「自衛権を有しない=自衛戦争ができない(自衛戦争を放棄した)」
しかし,これは一般的な自衛権の概念を前提とする限り,完全なる誤りである。
彼は,自衛権に関する以下の二つの基礎的な事柄を全く理解していない。
A. 自衛権とは,外国からの急迫または現実の違法な侵害に対して,自国を防衛するため一定の
実力を行使する権利をいう。
B. 自衛権は,伝統的に国際慣習法上,独立国家である以上当然に有する権利である(国連憲章51条参照)。
A.からわかることは,自衛権は「自国を防衛するため一定の実力を行使する権利」であるから,
「自衛権の行使は,必ずしも武力の行使である必要はない。」
学説上,「武力なき自衛権論」というものがある。すなわち,「@外交交渉による侵害の未然回避,
A警察による侵害の排除,B民衆が武器をもって対抗する群衆放棄,によって自衛権を行使する」
とするものである。この学説も,前記の自衛権理解が前提となっており,我が国の政府,他の学説
も当然そういう理解をしている。
要するに,自衛権の行使の態様としては,例えば,警察力の行使というのも理論的にはあり得る
のであり,「自衛権が存在し,その行使が認められるからといって,自衛戦争ができるとは全く
限らない」のである。
B.からわかることは,自衛権とは「独立国家である以上当然に有する権利」であるから,自衛権
の存否と,自衛戦争ができる/できないは無関係である。自衛戦争ができない,しかし,自衛権
を有するという国家は,「独立国家である」という要件を充たす国家であれば,理論的に存在し
うるのである。したがって,自衛権の放棄は,文字通り「自衛権の放棄」でなければならないの
であって,「自衛戦争の放棄は,自衛権の放棄を意味しない」のである。
つまり,我が国の政府見解が前提としているように,「自衛戦争を含め,全面的に戦争を放棄した
としても,自衛権は存在しうる」のである。
以上のように,彼の論証は,一般的な自衛権概念の理解からすると,全く意味不明なのである。
なお,現在の我が国における9条論争の主要な争点は,「自衛隊が"戦力"にあたるかいなか」なの
である。「我が国は,9条によって,自衛戦争を含め"戦争"を全面的に放棄した」とする理解は,
学説の通説・政府見解である。