竹島問題

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40名無しさん@3周年
>>16
http://money3.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1111774463/358-359

石島(ソクト:標準語)→独島(トクド:慶尚・全羅地方方言)で、
中央が決めた島名が地元方言の影響で変化し、
それがフィードバックされて中央でも独島(トクド)になったのなら、
「独島」呼称が誕生したのは地元民の間からではなく、中央政府の創作が起源だったということになる。

これは一体何を意味するのか?

分かりやすい例として、例えば北海道の地名を想像してもらいたい。稚内や帯広とかは全てアイヌ語が起源だ。
通常、地名というのは地元民の間の呼称がそのまま国の言葉として生き残るものだ。
竹島(元磯竹島)も、鬱陵島の「磯岳」に由来するところの地元漁民らが作った呼称だったはず。

それゆえ、韓国が竹島領有の根拠に挙げている勅令41号8(1900年)の示すところの「石島」は元来、
それにあてられた漢字が何かは別として、音韻的には最初から「トクド」でなければならないはずだ。
これは当たり前の話だろう。竹島(独島)が歴史的に韓国固有の領土だと言うのなら、
なぜ歴史的にも登場したことがなく、地元民すら知らない呼称として
島の名前が「ソクト」と、中央で勝手に確定されてしまわねばならないのか?
物事の順序として、実際に日常生活で関係してるべき地元民の間の呼称が聞き取られて
中央を通じて全国に拡散していくべきだから、韓国における竹島の呼称は
最初から音韻上、「トクド」になってるはずで、それに当て字されてたはずだ。
4140:2005/04/13(水) 01:26:06 ID:nGevomFl
つまり勅令の「石島(ソクト)」が指す島は竹島(独島)のことではないのである。
もちろん、文献上の呼称登場の順序は石島(1900年)→独島(1904年)なのだからそれも当然のこと。
すなわち、韓国政府が鬱陵島付属島嶼の一つを石島(ソクト)と便宜的に命名したことが、
地元の偉いさんが、勅令か皇城新聞で「石島」という言葉を見て現地読みでもしたのか、
数年後に住民の間で、それまでリアンコ島(日本漁民が使ってた呼称が雇われ韓国人の間に広まる)
と呼ばれてただけで、歴史的には正式呼称の無かった(=竹島の存在を認識してなかったことと同義語)
竹島に流用して広まるようになり、それが方言で訛って独島(トクド)になったわけで、
もともと地元には彼ら固有の呼称は無かったのだ。

地方で訛った地名が中央に回帰して全国化したのなら、それは北海道のアイヌ語地名同様、
まさしく「地名の法則」通りと言えよう。地名を決めるのは政府ではなく地元民なのだ。

韓国政府が当時、竹島の存在を把握できてなかったことが文献上明白である以上、
もはや勅令における「石島」はあらゆる意味で竹島ではないのである。

音韻を持ってして勅令「石島」を独島=竹島と解釈する方便は、今や音韻それ自体によって否定された。
勅令はもはや領有の根拠には成りえない。これにより、いんちき臭いと酷評されながらも、
韓国人がかすかにすがるより他ない歴史的根拠の、最後の一つに至るまで完璧に否定されたと言えよう。

*関連>>293-295


「日本語の『竹島』は『独島』に由来」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/29/20050329000036.html
『地名の由来を知る事典』のアイヌ語
http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/aynu/takemitutimei.htm
明治39年3月の島根県・神西部長一行の竹島視察と欝陵島訪問の記録と「誤報の連鎖」
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/rensa.html