「靖国」の背景を考える★9

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638 ◆CByzlSeA0w
> A級戦犯が合祀されたのは昭和54年、合祀後初めて参拝した首相は大平。
>  それ以前の三木から昭和60年の中曽根まで首相の終戦日の靖国参拝は普通に行なわれていた。
>  中・韓の干渉により、それ以後の首相の終戦日の靖国参拝が無くなった。

ええ、だって大平なんて日中国交回復の時の田中内閣の外務大臣だもの。
親中派ばりばりの人間を中国が蹴落とす必要なんて無いでしょうに。
その大平の時にA級戦犯を祀っておいて、中国に厳しい中曽根の時にここぞとばかりに発動。
見事な連携プレーですなぁ。

靖国の公式参拝への、日本遺族会や靖国神社の首相に対する政治圧力が
親米派首相の時にだけ異常なほど強くなるのはどうしてなのでしょう?

橋本派や堀内派の政治圧力団体なんですよ、日本遺族会や靖国神社ってのは。