ジャップは人間のくず

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん@3周年
今回の選挙、相変わらずあほの一つ覚えの名前の連呼、
地縁血縁、2世、3世議員ばかり・・・・
せっかくアメリカの配慮により民主主義をいただいたのに。
まぁ低脳で全体主義者のジャップには無理だったてことだ。
アメリカに頼んで、アメリカの州にしてもらおうよ
そしたら他国に攻められる心配もないし。
2名無しさん@3周年:03/04/20 17:53
>>1よ、いいかげん糞スレ乱立しまくるのやめろよ。
見ろ、おまえのせいで皆迷惑しているぞ。
・スレがたたんぞ・・政治版・・
http://money.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1025339951/l50
3名無しさん@3周年:03/04/20 17:54
>>1
立て逃げ厨氏ね
4名無しさん@3周年:03/04/20 17:56
>>3=>>1
ageで自白するな。
削除依頼だしとけよ。
5名無しさん@3周年:03/04/20 18:03
>>4
アフォ!
クズの1と一緒に砂!
漏れは↓のように、起て逃げ厨に注意してんだよ。

http://money.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1050096629/2
http://money.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1050151695/4
6名無しさん@3周年:03/04/20 18:50
>>5
あほか?このオナーニ野郎。
立て逃げ厨房が戻ってきて、注意されてるのを見て、反省するとでも思うのか?
削除依頼出しとけよ。
7名無しさん@3周年:03/04/20 18:55
>>6
ほぅ〜、では>>2はどんな意味があってカキコしたんだ?
独り言か?
8名無しさん@3周年:03/04/22 06:16
ガザリー・シャフェー(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)
日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑を
おかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、「どうして
そういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではない
ですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い
払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。
大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南
アジア諸国の独立も考えられないんですよ」
さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく。
「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。日本はもっと大きく
アジアに眼を開いてください。現在、日本は南方の発展途上国に対する
援助額はダントツです。押しも押されぬアジアの経済大国ではありませ
んか。『ルック・イースト』『日本に学べ』という呼びかけは、シンガ
ポールやマレーシアだけではありません。口に出しては言わないけれど、
アジアの国々のこれは本音なんですよ。かって反日感情の強かった国々
にも、次第に親日感情が起こりつつあります。そうしたなかにあって、
日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になって
欲しいのです。日本はかつてアジアに対して責任を感じ、そのために、
戦争であれだけの犠牲を払ったのです。この尊い戦争の遺産を否定する
ことは、バックミラーばかり見ているようなものです。自動車は前を
見て運転しなければ、進路を間違えますよ」
(昭和六十三年七月十九日、於赤坂プリンスホテル)
9名無しさん@3周年:03/04/22 06:18
朴 鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)
「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争
は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって
事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープ
であり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、
それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つ
よりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは
日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に
捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそう
であった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を
転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調して
も強調しすぎることはない。」
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを
はじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって
植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争
目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツ
の戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ
勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は
敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに
回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、
しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇
対象となるのである。」
10名無しさん@3周年:03/04/22 06:21
孫文(1923年)
 しかし、われわれはまだ、日本に絶望してはいない。それ
はなぜか。自分は日本を愛し、亡命時代に自分をかばってく
れた日本人に感謝しているからである。また、東洋の擁護者
としての日本を必要とするからである。ソヴィエトと同盟す
るよりも、日本を盟主として、東洋民族の復興をはかること
がわれわれの希望である。
11名無しさん@3周年:03/04/22 06:24
孫文(中国、中華民国初代大統領)
「あなたが日本に帰られたら、日本の青年に伝えてください。日本民族は自分
の位置を自覚しなければいけない。日本は黄金のような好機会を逃してしまった。
今後、逃してはならない」
「それは日露戦争の勝利です。あの戦争のときの東洋民族全体の狂喜歓喜を、
あなたは知っていますか。私は船で紅海をぬけてポートサイドに着きました。
そのときロシアの負傷兵が船で通りかかりました。それを見てエジプト人、
トルコ人、ペルシャ人たちがどんなに狂喜したことか」
「そして日本人に似ている私をつかまえて感極まって泣かんばかりでした。
“日本はロシアを打ち負かした。東洋人が西洋人を破った”。そう叫んで
彼らは喜んだのです。日本の勝利はアジアの誇りだったのです。日本は一躍
にして精神的にアジアの盟主となったのです。彼らは日本を覇王として東洋
民族の復興ができると思ったのです」
「ところが、その後の日本の態度はどうだったのでしょう。あれほど慕った
東洋民族の力になったでしょうか。いや、われわれ東洋人の相手になってく
れたでしょうか。日本は、やれ日英同盟だ、日米協商だと、西洋の強国とだ
け交わりを結んで、ついぞ東洋人の力になってくれなかったじゃないですか…」
「しかし、私たちはまだ日本に望みを絶ってはいない。ロシアと同盟すること
よりも、日本を盟主として東洋民族の復興を図ることが私たちの望みなのです。
日本よ、西洋の友達にかぶれてはいけない。東洋の古い友達のほうに帰って
来てください。北京政府援助の政策を捨てなさい。西洋かぶれの侵略主義を
捨てなさい。そして満州から撤退し、虚心坦懐な心で東洋人の保護者になって
ください」
「東洋民族の保護者として、自分たちは日本を必要としている。そして今、
自分たち同志が計画しているように“東亜総連盟”は日本を盟主として完成
するのです。それには日本が従来の謬った侵略政策を、ことに誤った対支那
政策を捨てなければなりません。それまでは、いかなる対支那政策も支那人
の感謝をかち得ることはできないでしょう。支那人は深い疑いの念をもって
日本を眺め続けるでしょう」
(1923年2月21日、第3次広東政府の大総統就任直後、鶴見祐輔との会談にて)
12名無しさん@3周年:03/04/22 06:28
日本の敗戦と同時に植民地支配からの解放を求めるベトナムの人々は、
ホー・チ・ミンとインドシナ共産党のもとに1941年に結成されていたベトミン
(ベトナム独立同盟)に結集して蝶起をしました。このベトミンの8月革命は、
ハノイ・フエ・サイゴン3大都市をふくむベトナム全土で成功し、ホー・チ・ミン
は1945年9月2日にベトナム民主共和国の独立を宣言しました。
しかし旧植民地宗主国のフランスは、インドシナ植民地を放棄する気持ちは
さらさら持っていませんでした。ベトナム、カンボジア、ラオスの独立勢力と
フランスとの緊張は次第に高まりました。
1946年12月には、ベトナム民主共和国とフランスとの間の軍事対決が全面化
して、第一次インドシナ戦争が勃発しました。
短時間で終わると思われていた植民地再征服戦争が長期化するにしたがい、
フランス国内の反戦世論も高まりを見せました。窮地に追い込まれたフランス
政府は、戦局の打開をはかるために1953年末にベトナム北西のラオスとの
国境に近いディエンビエンフーに強固な陣地を設置し、ここにベトナム軍主力を
おびき寄せ、大打撃を与えようとしました。がしかし、これは逆にベトナム軍側の
志気を高め、農民をはじめとする挙国一致の人海戦術でフランス軍を徹底的に
打ちのめしました。
1954年5月7日にディエンビエンフーは陥落し、ここにフランスのインドシナ
軍事再支配の野望は完全に打ち砕かれました。
13名無しさん@3周年:03/04/22 06:33
アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって
利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国
々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々で
ある。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前におい
て、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられて
いたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。
(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)
14名無しさん@3周年:03/04/22 07:25
日本人が朝鮮半島を侵略した言い訳として、
「日本が併合しなかったら、今ごろ朝鮮半島はロシア領になってたはずだ」と言う人が多い。

が、これは西洋列強にも当てはまる。
オランダはインドネシアを植民地にしたが、オランダが植民地にしなくったって、
スペインやイギリスが植民地にしたはずだと。それにオランダ自体がそれ以前はスペインの植民地だったのだから。
列強に囲まれた小国だったオランダやポルトガルが国家を自存するためには、植民地主義は必要悪だったということだ。
日本が満州事変を自存自衛のものだったなんて言い訳するのと同じで。

右翼はすぐ白人と一くくりにするけれど、オランダあたりからすれば国の存亡をかけて必死だったのだろう。
15名無しさん@3周年:03/04/22 21:21
板違い
政治思想板へhttp://tmp.2ch.net/sisou/
16名無しさん@3周年

  公  務  員  は  人  間  の  ク  ズ