http://members.aol.com/Tetsu220/301.html 88年3月亡き河野一郎先生
「・・・この際、もう過密化しないうちに国会議事堂をどこかへ移しておくということがいいことじゃないか。
そうすれば、全部官庁はついていくからということから、日本のど真ん中、風光明媚、気候温暖と、
すべてにおいて浜名湖の奥が一番すばらしいと自分は思うということで、非常に熱っぽく
いわれたことがあるのです」
87年11月、ドン的地位を確立した金丸
「最近、1坪1億円の土地が出たのはまさに政治の貧困だ。いまからでも遅くない。
お互いに国民である以上、地価を安くできる、自分の家がもてるための方策を考えるべきだ。
翌90年1月、地元紙『山梨日日新聞』の正月特集の座談会に出席した金丸は、リニア、
遷都のドッキングについて、次のように語る。
「司会 実験線の西の端が甲府といわれたが、市内なのか。
金丸 市内か周辺かはわからんが、まあ、いずれにしても、駅が甲府にできなければ意味はない」
「金丸 駅といえば、口の悪いやつが、『金丸信がついているから、駅は(金丸の地元の)白根町だ』という。
白根の町長にその話をしたら、町長が、『そんなものができたら、町がぶっつぶれる』と笑っていた」
ドンは地元の建設業界からも相応のものを受け取っていた。盆、暮れの「上納金」はもちろん、
公共工事を落札したときには「まんじゅう」と呼ばれる特別上納金の“ごちそう”にあずかるといったぐあいだ。