神道・仏教は国教化すべき

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13名無しさん@1周年
憲法は宗教心の教育まで否定せず(1)
ttp://www.win.ne.jp/~t-shinpo/tokusyu/kokoro1.html

それから、こころの教育の重要な柱の一つに「宗教心」の教育が挙げられる。
「日本国憲法」も「教育基本法」も、共に宗教の価値を認め、これを重視している。
しかし、「政教分離」が過度に強調され、
社会から宗教を排除するような方向にも機能してきた。
教師たちも宗教関係の教育を避けるようになった。
「宗教心」の教育とは、一つの宗派に偏らない普遍的なものである。
たとえば、生かされているという畏敬の念、感謝の心、愛、尊敬心、
善く生きようとする心などを教えるものである。
憲法はこのような意味での宗教心の教育まで否定しているわけではない。
しかし、現在の日本の学校では、宗教心の教育については否定的なところも多い。
給食の時間の始めに「いただきます」と言うことも宗教にかかわるということで
中止している地域があると聞く。
感謝の意を表す日本の伝統的習慣すら否定されているのである。
14名無しさん@1周年:02/02/16 02:01
憲法は宗教心の教育まで否定せず(2)
htp://www.win.ne.jp/~t-shinpo/tokusyu/kokoro1.html

武蔵野女子大の杉原誠四郎教授(本学教育学部卒)は宗教心についてこう言う。
「『宗教心』は最高の自己愛にかかわる心の働きなのである。
 そしてそれゆえに自己をより広く、より大きな観点から眺め、
 心を豊かにするのである。そして人間としてよりよい発達を促進させるのである。
 それゆえ『宗教心』は子供の健全な成長発達を促すことになり、
 教育的にはかけがえのない意義があることになる」
杉原教授は、神戸事件の少年A(酒鬼薔薇聖斗)が
自己流の変な神(バモイドオキ神)を立てていたことに関し、
「それは彼にある普遍的な『宗教心』が適正な宗教教育によって
 適正に育まれなかったことを明かしている」と言う。
 オウム事件に関しても「教育のなかで宗教のことをまったく教えず、
 そのために宗教について無知と飢えという負なる大きな空洞を
 育ててきた結果なのである」と指摘している。