【テレビ】日本子ども虐待防止学会、日テレ「明日、ママがいない」を批判 要望書を送付

このエントリーをはてなブックマークに追加
65 ◆UxQ8uxJMok
>>29
重要な点は、この作品がフィクションであり、情報の正確さを要さない点にある。
ドキュメンタリーで間違った情報を流すのは避けねばならないが、本件は違う(行政の広報ドラマでもないし)。
また、このドラマには問題点など1つとして存在してない。
まず最初に、抗議側( 全国児童養護施設協議会 = 全養協と、全国里親会と、熊本県の慈恵病院 )には、一切の正当性がない。
抗議側が守秘義務を守らなかった結果として素性のバレた子供が標的になったので、落ち度は「抗議側にだけ」ある。
アダ名の件は、家庭事情やその他諸々の事情をネタに他者を攻撃する(子供を含めた)加害者および育て親の責任であり、
日テレおよび当該ドラマ内容(提供側)には何ら責任が無い話であり、抗議側の論理は「筋違い」だということ。なぜならば、
提供側は「 この作品を観て、家庭事情やその他諸々の事情をネタに他者を攻撃しよう。」って内容などで作ってない。
つまりこの状況は、喩えるならば、提供側が包丁を与え、視聴者が包丁を料理に使うか、殺しに使うかって問題でしかない。
提供側は、飽く迄も作品を与え、その作品をどう用いるかは受け手自身の問題だ。
受け手が抗議側のような薄汚いクズならば、攻撃のネタに使うであろう。だが、受け手が真っ当に教育された人間であれば、
決してそのような卑劣な行為はやらない。 「里親利権」を貪る抗議側は、包丁の製造者や販売者が悪いって責任転嫁する。
結論から言えば、抗議側の親がクズで、きちんと抗議側を教育できなかったから、遺伝的にクズな抗議側が、クズに育った。
それだけのことだ( ̄ー ̄) フッ

家庭の事情やその他諸々の事情をネタに他者を攻撃する行為を糾弾しない抗議側および、加害者の「人間性」の問題であり、
それを正すことの出来ない養護施設の職員や、両親や教師や上司の能力と、熱意の問題であり、
日テレおよび当該ドラマ内容(提供側)には何ら責任がない。
ゆえに、「 どれだけ取材に努めたか 」「 どれだけ現実と同じか 」「 配慮が必要か 」は、争点にすら成らない。