【考古】弥生の水田は「ふぞろいの稲たち」 遺跡の土で栽培実験 奈良県立橿原考古学研究所

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1一般人φ ★
 弥生時代の水田の土で稲を栽培した、全国初の実験の結果を、奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が発表した。
土を採った場所によって育ち具合はバラバラ。「弥生時代の農村は『ふぞろいの稲たち』が広がる風景だった
可能性が高い」としている。

 奈良県御所(ごせ)市の秋津遺跡と中西遺跡では、合わせて全国最大規模の約2.5万平方メートル、
約1800枚の弥生時代前期(約2400年前)の水田跡が確認された。橿考研は6月から、
京大の稲村達也教授(栽培システム学)の指導で、秋津遺跡の水田跡の3地点から土を採取。
植木鉢に入れ、西日本で広く栽培されるヒノヒカリの苗を肥料無しで育て、現代の水田の土で育てた苗と比べた。
水田跡は洪水の土砂などに覆われた状態で、2千年以上たっても土質は大きく変わっていないとみられる。

▽画像 弥生時代の水田の土で育ったイネ。奥二つは今の土壌で育ったイネ=5日午前、奈良県橿原市、森井英二郎撮影
http://www.asahicom.jp/science/update/0906/images/t_OSK201209060034.jpg

▽記事引用元 朝日新聞(2012年9月10日12時1分)
http://www.asahi.com/science/update/0906/OSK201209060017.html


▽奈良県立橿原考古学研究所プレスリリース
http://www.kashikoken.jp/from-site/2012/akitsu_inasaku.pdf
2名無しのひみつ:2012/09/10(月) 23:32:12.64 ID:ZuM23XTW
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3名無しのひみつ:2012/09/10(月) 23:32:51.99 ID:67nrC+Vr
長期保存後の第一世代は
ほかの種子、細菌、胞子なども
不揃いの成長が普通
2世代目からの様子を見てから判断したほうがよい
4名無しのひみつ:2012/09/10(月) 23:40:00.45 ID:OJh4MDuM
ふぞろいの稲ってのは百姓の知恵だよね
5名無しのひみつ:2012/09/10(月) 23:42:44.20 ID:92R7Pr51
>3
植えたのは現代の種子。土壌が古代のもの。
6名無しのひみつ:2012/09/10(月) 23:43:19.26 ID:7X38bSWz
ヒノヒカリって、そんな品種改良の進んだ近代の稲で実験してもねー。
収穫量が数倍以上、違うもんじゃないのか?もっと野生に近い種でやらないのかねー
7名無しのひみつ:2012/09/10(月) 23:45:06.29 ID:XkvK59Rm
朝鮮人は日本に稲作を伝えてやったと主張してますが、稲のDNA調査で、日本の稲は中国南方地域の稲と
同種であり、朝鮮半島の稲とは異なることが判明しています。
8名無しのひみつ:2012/09/10(月) 23:52:04.04 ID:zk2g3hVj
>2千年以上たっても土質は大きく変わっていないとみられる。

ふぞろいなのは当たり前
むしろこの考えにおどろいた
9名無しのひみつ:2012/09/10(月) 23:54:01.16 ID:EUMjOlRF
ヒノヒカリは肥欲な品種なので、ここでは純系の朝日を使うべし。
10名無しのひみつ:2012/09/10(月) 23:56:35.28 ID:fjUaVogu
野生稲は丈が長くて、実ったら倒れるよね。
11名無しのひみつ:2012/09/11(火) 00:16:10.61 ID:wlfA5KC7
弥生人は持ち込んだ長江の温帯ジャポニカ水稲を増やすと、縄文人と取引をしたのだろう。

縄文人は温帯ジャポニカ水稲を湿地で粗放栽培した。

粗放栽培とは日本に自生していた(もしくは持ち込んだ)熱帯ジャポニカ陸稲を田に撒きっ放しにして収穫だけする農業。

縄文人はこの湿地の粗放栽培に両種(元は一緒)を混栽したらしい。

交雑した両種は偶然にも寒冷に強い品種「早生ジャポニカ」を生み出したのだ。

なんと「早生ジャポニカ」の水田耕作は紀元前のうちに青森県まで広がった。

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-25.html
12 【関電 62.8 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2012/09/11(火) 00:26:00.39 ID:ampuu4Wg
土の性能を調べましたって?

当時の種でやればいいのに・・・

13名無しのひみつ:2012/09/11(火) 00:31:15.20 ID:0J/a4T9M
黒米かなにかを植えなきゃ

14名無しのひみつ:2012/09/11(火) 01:14:53.68 ID:Oq/G3LN1
プレスリリースを読んだけど、やっぱり何がしたかったのかよくわからん。
穴だらけの「実験」だ。何も見えてこない。
15名無しのひみつ:2012/09/11(火) 01:31:11.29 ID:F7hxyj3q
ふぞろいこそ時代に相応しい結果だろ

そろってる方が異常だ
16名無しのひみつ:2012/09/11(火) 01:36:57.43 ID:JwrTPgu8
陸稲ってのが縄文時代にあったそうだが、三内丸山遺跡には栗が栽培されていたというが、
その延長が陸稲としたら、そのご水稲への以降の流れがわかる・・・って、わけでもないか。
17名無しのひみつ:2012/09/11(火) 02:08:12.63 ID:svR0BPdf
>>11
陸稲と水稲って、種というより作付手法の違いだけなんじゃないの?
いちいち温帯ジャポニカ「水稲」、熱帯ジャポニカ「陸稲」という必要なくね?
そのリンク先も書いてないし。
18名無しのひみつ:2012/09/11(火) 02:30:22.02 ID:LrkEGKQR
ger
19名無しのひみつ:2012/09/11(火) 07:55:43.39 ID:wlfA5KC7
>>17
そのとおりで、現在のインドネシアでは熱帯ジャポニカに近い水稲もあるそうだし、日本の「早生ジャポニカ」から生まれた陸稲も存在する。
でも、弥生人渡来までは日本にはその陸稲しかなくて、渡来当初水田耕作は持ち込まれた長江水稲だけだったので、一応分けておく必要がある。

ちなみにスンダランド(インドネシア近辺)の熱帯ジャポニカ陸稲が元々の種。
最終氷期後半の温暖期に島に分かれ始めたスンダランド亜大陸から脱出したハプログループY-O系(O1は台湾、O2は華南、O3は華北に順次進出)はその種籾を運びだしていた。
長江流域の湿地に粗放栽培で撒かれた陸稲は突然変異を起こして温帯ジャポニカ水稲に分岐した。
20名無しのひみつ:2012/09/11(火) 08:37:39.86 ID:svR0BPdf
>>19
品種改良が進んだ現代ならともかく、
当時から水田(湿地)用イネ、畠用イネに専用化しているとは思えないがなあ。

単に湿地に播いて育てりゃ水稲、畠なら陸稲、程度だろ。
弥生人渡来までは日本には陸稲しかない、というのは
縄文人がイネを畠で栽培する技術しか持ってなかったという意味だろ。
でなきゃ混栽とかしない。
明確に湿地用イネと陸地用イネに分かれているなら、湿地での収量に大きな差が現れるから
あえて混ぜて育てようとは思わなくなるからだ。
だから温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの区分けで十分区別できると思うが。
当時、熱帯ジャポニカ水稲と温帯ジャポニカ陸稲ってのもあったのか?
21名無しのひみつ:2012/09/11(火) 11:14:56.01 ID:MF5TfWiD
ま 洪水する場所で栽培してたなら
水稲みたいなものでは
肥料無い時代収量あげるには肥沃な土
が流れ込む場所なのは長江文明のおかげでは

でも土は同じようでも肥料成分は当時と全然違ってるですけど
22名無しのひみつ:2012/09/11(火) 11:15:29.22 ID:VXTKdRph
>>9
>肥欲な品種

太ると一般にどん欲になる、中凶の領土クレームのように
誤変換で本質を現す新語が出来ることが多い w
23名無しのひみつ:2012/09/11(火) 11:36:03.77 ID:60Ld5L/8
長年土中に埋もれていた土だろ?
微生物や菌類は死滅してるだろうよ
24名無しのひみつ:2012/09/11(火) 11:38:36.72 ID:IXZDKF/k
米の味より餓死の回避だろうし、儀式として米の確保が優先なんだろう
種類を限定し作付けすれば、万一、天候や病気や虫の発生で全滅する可能性がある
不揃いにすれば、この可能性が少ない。収穫量や旨さが限定されるけど
また、米の商品化も少ないため、栽培に労力をかけないのだろう
だから、新種改良を知らなかったのではなく、故意に不揃いにしたんだろう
25名無しのひみつ:2012/09/11(火) 12:04:53.23 ID:AgOn3mF8
せっかくなんだから古代米でやらないと。
現代の米は品種改良が進みすぎていて、それぞれの土地に特化してしまっている。
品種改良前の米なら土壌が違ってもこれほど顕著には差は出ないかもしれない。
26名無しのひみつ:2012/09/11(火) 12:14:08.44 ID:b5kOh5ku
>>23
イネもアーバスキュラー菌根菌と共生するんだっけ
菌がいないとリンの吸収効率とか悪そうだな
27名無しのひみつ:2012/09/11(火) 13:36:04.15 ID:KkQC/bIa
陸稲はおかぼなのに、水稲はすいとうなんだよな。
28名無しのひみつ:2012/09/11(火) 14:25:36.40 ID:zK35Df+V
小学校の校歌で「おかのわかくさ はなひらく」を「おかぼはたくさん はなひらく」と覚えている子が結構いたな
農村だったからな
29名無しのひみつ:2012/09/11(火) 16:59:32.37 ID:08Nty0cX
よく読む前に昔の稲作は遺伝的多様性があって、
病原菌に強かったのかなあとかいろいろ妄想しちまった
30名無しのひみつ:2012/09/11(火) 17:35:47.12 ID:DHXXTFwC
>>1
つっこみ所が多すぎて・・・
31名無しのひみつ:2012/09/11(火) 22:51:43.36 ID:wlfA5KC7
>>20
縄文時代は撒きっ放し栽培の熱帯ジャポニカ陸稲しか存在しなかったのですよ。
三内丸山遺跡の栗栽培もしかりですが、基本縄文人は狩猟採集で充分な栄養状態を維持できていたのです(発掘人骨から判明)。
1万年前以前のヴュルム氷期の中でも日本は暖流に囲まれ温かな森の国だったのです。

ところが、弥生人が長江から漂着しはじめた3千5百年前くらいの急激な寒冷化は、縄文海進期の温暖化で急増した縄文人口に食料危機を巻き起こしたのです。
そこに登場したのが弥生人が長江からわずかばかりだけ持ってこられた温帯ジャポニカ水稲です。
その水田耕作は驚異的(あくまでも当時のレベル)な収穫力でわずかだった種籾がどんどん増えていきました。

陸稲の撒きっ放し「粗放栽培」しか知らなかった縄文人には衝撃的な事実だったでしょう。
種籾は交易で交換したり(彼らは森と平野で住み分けしたことも遺構から分かっています)盗んだりもできますが、水田作りはそう簡単にはできません。
それゆえ湿地に撒いてみたりしたのでしょう。

縄文人も水田整備を学ぶようになると、それは一気に日本中に広がるようになりました。
紀元前の青森の水田遺構で発掘された炭化米からは温帯ジャポニカだけでなく、熱帯ジャポニカも発見されています。
最初の混栽は湿地へ撒きっ放しにした、単なる偶然だったのかもしれません。
が、彼らも両種を混栽することで穂が出る時期を早くできることを経験則として知っていた、と言うことなのかもしれません。
とすると「早生ジャポニカ種」の固定化はそう簡単には進まず時間がかかったということなのでしょうか?

なにが言いたいかというと、そのくらい陸稲しか知らなかった縄文人にとっては水稲は驚異の存在だった、ということです。
歴史学・考古学見地からも陸稲種であるのか水稲種であるのかは大きな問題となっています。
それゆえことさら陸稲・水稲を強調してわざわざ記述しているのです。

ですから基本的にはあなたの指摘はほとんど正しいです。
そして温帯ジャポニカ陸稲は無かったと思いますが、上記のように熱帯ジャポニカ水稲は存在したかもしれません(佐藤洋一郎氏『稲の日本史』)。
32名無しのひみつ:2012/09/12(水) 00:57:45.51 ID:vYwXhZlm
>>1
現代の水田だって数年も放置すれば再度そこで稲育てるの苦労するのに
たとえ表面が土砂で埋まって土壌が保存されやすかったとしても
2000年もたった土壌が変化してないとか馬鹿なこといってんじゃないよ
33名無しのひみつ:2012/09/12(水) 02:12:28.96 ID:zZj2dO4q
じゃがいもとかとうもろこしの原種に近いものを作っている人たちは、
わざと沢山の種類をブレンドして混植することで、

多種交配と淘汰選択を同時にやっているような感じだったな。

それで病気や気候の変化でも、全滅しにくい。
むしろこっちが目的かな。

わざと不揃いにしてたな。
34名無しのひみつ:2012/09/12(水) 14:27:36.92 ID:PAajlZU/
雷は空気中の窒素を固着して、落雷した土壌を豊かにすることが分かっている。
だから過去の土壌が地中で保存されていたとしたなら、昔より条件が良くなっている可能性だってある。

天満宮の菅公以前から北野では火雷天神が祀られていた。
昔の人も落雷の火による焼畑効果に気づいていたのかもしれない。
雷神は恐ろしい天罰神としてだけでなく、田畑を耕し恵の雨をもたらす農耕神でもあったのだろう。
35名無しのひみつ:2012/09/12(水) 14:38:07.20 ID:g+WSlTmz
土が違うと育ち具合も違うって当たり前だろ。
だいたい穂だけを手で摘み取ってたんだから、背が揃ってなくても問題ないし。
36名無しのひみつ:2012/09/12(水) 16:38:43.10 ID:IeuYKgSo
その当たり前を実験して確かめたのが大事。
37名無しのひみつ:2012/09/12(水) 18:17:07.21 ID:Zf9js8x/
雷の放電で、窒素酸化物を作るってことなのかね?
それが雨で硝酸になって、土中でアンモニアかな。

微々たるもののような気がするが、そんなに影響あるのかな?
38名無しのひみつ:2012/09/13(木) 08:38:17.80 ID:IDLEeijQ
>>1
江戸時代だってそうだろうが。w

なんのために、昭和になっても延々と土壌改良やってたと。
なんだか、結論のための結論っていうか。当たり前のことを書いてあるだけ。
39名無しのひみつ:2012/09/13(木) 09:40:46.19 ID:k4aMoovA
>>1
実験した奴ら、かなりの馬鹿だろ?
40名無しのひみつ:2012/09/14(金) 00:13:02.59 ID:4tw1ym6W
>>37
いまのように窒素肥料がふんだんにある環境でない時には、
あぜ道に植えた大豆の根粒細菌の窒素固定ですら、収量に影響を与えると聞いたことがある。

だとすると、一発で何百キロと窒素酸化物を作る雷は、かなり有力な肥料源になりそう。
41名無しのひみつ:2012/09/14(金) 10:01:40.48 ID:tiP2vwLm
>>40
なる、あぜの枝豆栽培にもちゃんと意味があったわけだね
42名無しのひみつ:2012/09/14(金) 10:17:45.98 ID:YDUMmHyw
もう弥生時代って括り自体があかんと違うの
稲作伝来がメインフレームだったのにそれが否定されたんだから
43名無しのひみつ:2012/09/14(金) 10:39:48.24 ID:tiP2vwLm
2003年3月に国立歴史民俗博物館は弥生時代が3千年前に遡ると宣言した。

5千年前くらいから大陸は「サブボレアル亜氷期(欧州花粉層序)」で寒冷化し始めた(暖流に囲まれた日本の深刻な寒冷化はもう少し遅い)。
それで黄河文明が南下して長江文明を圧迫した。
長江文明が黄河文明に滅ぼされたのが3千年ほど前だが、長江文明人の逃亡がそれ以前から起きていたのは当然の話だろう。

九州北部では3千5百年前くらいから縄文+弥生ミックス土器が現れはじめる。

万年前クラスの話で縄文人が持ち込んだか、自然伝播していた熱帯の陸稲の話と、3千5百年前くらいに長江から齎された温帯の水稲の話では全く違う。
44名無しのひみつ:2012/09/18(火) 23:01:00.77 ID:6bnaV1ec
いつまでも縄文弥生ってアフォな事やってんなよ。中国が東シナ海で本気モード一歩手前の時代に日本のボンクラ学者先生よ。
45名無しのひみつ
>水田跡は洪水の土砂などに覆われた状態で、2千年以上たっても土質は大きく変わっていないとみられる。

こんな事を本気で言ってるのか?
これはありえないから、水田の土は何年もかけ、藁や糞などで
土壌改良してできた土を、貯めてあるもの
洪水にあったならほとんど流れ出たに決まってる。