【考古】ヤマト政権の勢力まざまざ 新潟の遺跡が古代史変える
黒々とした靫(ゆぎ)、巨大な木棺…。新潟県胎内市で発掘された「城の山古墳」の主体部は、まるで畿内の古墳を
見るようだった。奈良盆地から直線距離で約500キロ。初期ヤマト政権が、この地まで影響力を及ぼしていたことに
驚かされる。
「大彦命(おおびこのみこと)を北陸に、武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海道に、吉備津彦(きびつひこ)を西海に、
丹波道主命(たにわのみちぬしのみこと)を丹波に遣わされた」
日本書紀の崇神(すじん)天皇10年9月には、大和から東西に4つの遠征軍(四道将軍)が派遣されたと記されている。
崇神天皇は実在が確実視できる古代の天皇に一人で、その治世は3世紀後半から4世紀初頭とされる。
一方、古事記の記述では、大彦命は阿賀野川をさかのぼり、会津で太平洋側から遠征してきた武渟川別と出会った。
「会津」(福島県)の命名伝承だ。それを裏付けるように、会津盆地には会津大塚山古墳など4世紀代の古い前期古墳が
築かれている。城の山古墳の畿内的要素が確認されたことで、これらの伝承の背景となる史実の存在も浮上してきた。
これまで、越後には直接、畿内と関係した副葬品や埋葬主体を持った古墳はないとされていた。この説を覆す今回の発見に、
研究者らは驚きを隠さない。越後地方の古墳に詳しい橋本博文・新潟大学教授(考古学)は「未盗掘なので、畿内や東国の
他地域との厳密な比較が可能だ。人骨のDNA研究など自然科学的な分析もできる」と大きな期待を寄せる。
大化3(647)年、大和朝廷はいまの新潟市東区付近に、蝦夷(えみし)征討のための城柵を設けた。この時期すでに
ここは古代国家の日本海側の最前線だった。
城の山古墳は、それより300年前。この地にヤマトの影響が及んでいたことを物語っている。古代史像は間違いなく
書き換えられることになった。
ソース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120906/art12090616460003-n1.htm
2 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 18:12:39.85 ID:+PyUDdyo
えみし
3 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 18:13:35.90 ID:D8uyPHZC
混ぜ混ぜ
4 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 18:14:15.30 ID:IX9mSZUI
渟足柵だっけ
5 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 18:17:09.53 ID:POOtOKlb
脱解は東北の方角に何千里の国出身
とかだったはず
つまり新潟出身?
このあと新羅の王になるんだよね
つまり新羅は倭系になる
6 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 18:21:08.98 ID:8G6dmyq+
歴史の残ってない韓国は日本が羨ましい
7 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 18:21:40.71 ID:AOSjEsQ8
彌彦神社(いやひこじんじゃ)の主祭神は天香山命ではなく、大彦命ではないかとの説がある。
いやひこ神社の「い」は元来「伊」であり(伊彌彦神社)、それは「大」を意味するという。
つまり大彌彦神社だということだ。
まあそれゆえ大屋彦(イタケル五十猛イタキソ、または家宅六神の別神)説もあるわけだが・・・。
彌彦神社の社家はずっと高橋氏であり、これは安倍氏同様に大彦命の子孫であるのも大彦命主祭神説の傍証となっている。
だがこの神社の高橋氏は別系統で尾張氏であるという説さえある。
越後一宮彌彦神社は謎につつまれている。
8 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 18:44:06.13 ID:UKu2viVM
八切止夫は、昔の庶民の住居とからめて「オケラ」という言葉の意味を説明している。
オケラは土中に穴を掘って棲む昆虫だ。
また競馬場でスッテンテンになって、駅までとぼとぼ帰る道をオケラ街道と呼ぶらしいが、
「オケラになった」とは持ち物が全てなくなったことを言う。
藤原王朝時代(平安時代)には、平家系・源氏系の在来日本人は「根」と呼ばれた。
鎌足をはじめとする藤原氏は支那からの進駐軍、いわばGHQだったのであり、
在来日本人=反体制派を武力で抑えて賤民に落としていたわけだが、
その反発から来る反乱を封じなければならなかった。
おとなしく従う日本人には農業、漁業をやらせていたが、
あくまで帰順しない者はいわゆる差別して部落に押し込んでいた。
時に彼らを皆殺しにすることを「根絶やし」と称したのである。
岩手や青森あたりに「一の戸(へ)」「二の戸」…「八戸」とあるのは、バリケード(関所)のことで、
そこで中央政府(藤原氏)が在来日本人を出てこられないように阻止していた。
そうすることを「根」にフタをするから「根蓋」といった。
今のネブタ祭の起源である。
中央政権=藤原氏が派遣した、在来日本人を討伐する司令官(征夷大将軍)の
坂上田村麻呂の絵によってネブタ祭の山車を飾るのは、お上の命令に従っているのだ。
本当は自分たちの先祖を虐殺した軍人である坂上田村麻呂を祭るなんて、悲しいことだが…。
9 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 18:45:49.45 ID:UKu2viVM
征夷大将軍の征夷の「夷」とは、アイヌのことではなくて、われら日本原住民の先祖のことである。
それを征伐した朝廷と朝廷軍のトップはほぼ全て外国人であった。
だからネブタ祭の田村麻呂の絵は、関羽・張飛のような中国の将軍みたいな顔をしている。
ねぶた祭のHPを見ても、キレイごとしか書いていない。都合が悪い事はみんな蓋をしている。
さてその討伐の仕方が残酷で、降伏しなかった日本原住民は穴居縄文人だったので、
穴に火のついた藁たばを放り込まれて蒸し焼きにされた。
米軍が第二次世界大戦中、日本軍が守備する島嶼や沖縄で
洞窟に立てこもる兵を、火炎放射器で焼き殺したのと同じである。
これによりみな焼け死んだ。
それで完全に処理したという表現を「オケラにした」と言うようになったそうだ。
そういえば! と、みなさん思い当たるでしょう。
今も中共がチベットや東トルキスタンで悪虐のかぎりをつくして在来民族を痛めつけているのを。
藤原氏は支那から派遣された軍人だったから、わが祖先らをこういう残酷な仕打ちにしたんだなと。
やつらのDNAは変わらないという事である。
10 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 18:53:46.64 ID:8M6AVtbD
ヤマト政権よりヤマト車検だな
11 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:00:01.22 ID:C1CrppQ5
ですら〜〜
12 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:00:09.18 ID:eA1Yum1q
>>9 しかし、征服した側の弥生人はニダー顔なので現代では差別される
13 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:03:20.99 ID:m+z8HzBc
その大和政権が近畿に影すら無かった頃から九州北部には
伊都国や倭国など日本最古の都市国家が栄えていた。半島南部など
を勢力下においてもいたし。文化など日本から渡ったものも多い。
どれもチョンコには残念な歴史だな
14 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:05:29.72 ID:Vr+CNnu1
鎌足が支那からの進駐軍ってソースは?
15 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:24:23.50 ID:VW0gmqnT
胎内市・・・
16 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:30:00.37 ID:FnXUsAl2
お、驚いてなんか無いんだからね
17 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:36:27.95 ID:Frec2Cp3
>だからネブタ祭の田村麻呂の絵は、関羽・張飛のような中国の将軍みたいな顔をしている。
関羽は漢民族じゃなく異民族説があるね。
18 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:41:49.34 ID:LvnW9mxW
>>6 ウリナラの歴史は1万年前から歴史に残っております。
20 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:44:27.62 ID:IX9mSZUI
>>19 最近の研究じゃ7万9千年じゃなかったっけ?
21 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:46:14.08 ID:jLiavkwy
新潟まで完全に勢力圏だったなら福井の親戚って本当に親戚だったんだろうな。
22 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:46:42.95 ID:8KlnTJVI
>>20 いや宇宙の起源唱えているから200億年前だろ
23 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:50:07.65 ID:VW0gmqnT
武渟川別
ぬな川と言えば、松本清張が糸魚川の姫川のことで、姫川上中流は
翡翠の産地と言ってたな。
その頃、すでに親不知を越え、越後まで勢力を伸ばしていた可能性がある。
24 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:58:06.71 ID:0g9KWO46
銅鏡とか、日本各地から出てるじゃん。
新潟に墓があったら驚きなの?
25 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 19:59:55.90 ID:8oXm/GRY
三国史・・・・・・・・・・・朝鮮半島南「狗邪」は「倭国の北限」
宋書倭国伝・・・・・・・・・朝鮮半島は倭が支配している
広開土王碑・・・・・・・・・倭国が海を渡り百済と新羅を臣下にした。
日本書紀・・・・・・・・・「391年 神宮皇后が百済と新羅を日本領土とした。」
宋書・・・・・・・・・・・・倭国が朝鮮半島南部を領地にした。
随書・・・・・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬った。
朝鮮南部に日本式古墳がある、半島南部は古代から日本領地なのは世界の常識。
26 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 20:03:18.86 ID:AOSjEsQ8
白山神社は堀氏が国替えで入ってからいきなり白山比売命を祀るようになった。
それ以前はスサノオを祀る出雲系の社であった。
大国主の沼河比売伝説、建御名方伝説、出雲崎の地名や弥彦のイタキソ伝説で知られるとおり、大和朝廷以前の新潟は出雲勢力が支配していたといえよう。
新羅は元々倭人の国であり、日本人が興した国であるが、出雲勢力との関係は強いものがあった、と見て良いだろう(両者の共通項がスサノオであり四隅突出型墳丘墓でもある)。
歴史のロマンを考えるのに史料・考古資料・それに準じた学説を元にするのは当たり前の話なのだが、ラノベや宗教がらみのトンデモ本を引用してくるのだけは勘弁してもらいたい。
オカルト版ででもやって欲しい。
27 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 20:25:07.75 ID:yd2FmIyL
>>14 黒須紀一郎の伝奇小説「覇王 不比等」(全3巻)でも読めばいい
作品そのものは伝奇小説に過ぎないが
様々な実在の文献を元に話が構築されており
当時の東アジアに於ける日本の情勢が垣間見えるつくりになつている
28 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 20:25:54.29 ID:/TUcogUM
未盗掘か
すごいな
29 :
"":2012/09/06(木) 20:31:25.94 ID:RAt5e2A4
何でカタカナで「ヤマト」なんだ?
30 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 20:32:42.46 ID:KclRhjLS
同じ時代に中国の王朝はどれぐらいの範囲を支配していましたか?
31 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 20:33:47.24 ID:tsl5Yo6X
>>21 継体とその前代の大王って何親等離れてんだっけ?
32 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 20:33:49.76 ID:twhrAFWv
>>26 白山を神として祀っているのは、越前、加賀、美濃の3拠点だけど、
越前と美濃はイザナミ=白山妙理大権現で本地を十一面観音を主祭神としている
シラヤマヒメは加賀系列だけの祭神で、白山神=シラヤマヒメに統一されたのは
明治時代に加賀が3拠点の中心とされてから
33 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 20:36:12.71 ID:twhrAFWv
>>29 6世紀までは漢字が無い時代だし、漢字が伝来してもしばらくはヤマト=倭だったから
今ではカタカナ表記が主流になっている
34 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 20:39:20.55 ID:AOSjEsQ8
中臣鎌足はその死の床で、たいして天智天皇の役に立てなかったことを悔いていたという。
そのとおり、乙巳の変でもほとんど見ていただけ、元々朝廷の神祇官の家系なので武官としても天智天皇の治世にも役立てなかった。
後付けで実在もしない官位やらなんやら受けたなどと飾りたてられたが、実際のところは上記が本当のところだろう。
帝からは死後に「藤原姓」を賜った程度だろう。
そして天智天皇のご落胤説もある藤原不比等も忘れられた存在だった、と言えるだろう。
もちろん兄帝を恨んでいた? 天武天皇の御代は大人しく隠れているしかなかったかも知れない。
そんな彼を拾い助け後の藤氏の権勢の礎を作ったのが、天武天皇の大后ながら父帝天智天皇の政治を、側近を、呼び戻した持統天皇であった。
藤原不比等が政治の中央に踊り出たのは単なる偶然だったのである。
そんな歴史の常識すら知らない輩がトンデモ本を語るのは見苦しいことこのうえない。
35 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 20:40:54.37 ID:E658DFIr
36 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 20:48:25.16 ID:VW0gmqnT
37 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 21:38:38.59 ID:yJtoBVEb
寒冷化で北からだんだん降りて来たんだろ
38 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 21:50:41.61 ID:AOSjEsQ8
埼玉の稲荷山古墳から大彦命銘が彫られた鉄剣が出土した。
大彦命は第八代孝元天皇の皇子であり、これまで「欠史八代」などと貶められていた皇統が実在する可能性が高まったのだ。
北陸道将軍大彦命は越後の姫を娶り建沼河別命(後の東海道将軍、父将軍と合流した地が「会津」という逸話あり)を設けた。
そうした話を聞くと、大国主が翡翠を求めて越入りして妻に求めた沼河比売の神話やその息子の建御名方の諏訪入り神話も単なる作り話と思えなくなってくる勢いだ。
そしてこの建沼河別命を祖とするのが、東征で有名な阿倍比羅夫や陰陽師の安倍晴明の安倍氏と越後国造高橋氏である。
だが、彌彦神社の社家高橋氏の本当の出自は越後国造家ではなく(尾張氏説もある)、物部支族の高橋氏(料理の祖<部>をうたっている)ではないかと疑っている。
39 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 21:57:33.03 ID:yKcZxnEa
40 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 22:02:30.88 ID:yKcZxnEa
>>8 イワユル在日とは朝鮮人のことかと思ってたが
在来日本人のことだったのかw
41 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 22:02:54.78 ID:jF4qUaJh
>>29 大和 戦艦
ヤマト 宇宙戦艦
やまと 独立戦闘国家
42 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 22:29:53.14 ID:eSDjEUuD
ちなみに未だに大和朝廷なんだよなぁw
43 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 22:42:35.43 ID:8fVevXm0
>>9 日本の原住民は縄文人(旧モンゴロイド)かつ、アイヌ人だよ。
アイヌ人が縄文人の血が濃いことは、YAP遺伝子で証明されている。
縄文人やアイヌ人は、ほりの深い顔していて、
弥生人(新モンゴロイド)は、平たいのっぺりした顔をしている。
現在の日本人は、縄文人と弥生人の混血で、
ほとんどの人が弥生人の、のっぺりした顔を引き継いでいる。
自分の顔を鏡で見てみな。あんたも大陸系が入ってるよ。
根拠の無い陰謀論を吹聴して、そんなに楽しいのかなー
44 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 22:52:48.33 ID:UUdQW54z
45 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 22:54:38.88 ID:kzNDUOqU
朝鮮人に侵略されつづけてきてたんでしょ古代においては。
46 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 22:58:56.07 ID:AOSjEsQ8
>>45 朝鮮人(穢族)はまだ満州で漢族と戦ってる頃
朝鮮穢族のご先祖の粛慎(みしはせ、ジュシン)は東北まで? にも入り込んできた。
47 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 23:00:11.68 ID:knKIwugI
ワープは甘え
48 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 23:07:09.75 ID:qcHr9Hlt
古墳の場所を調べているんだが、どうも日東道の中条ICの近くらしい。そこは時々通ることもあるが、
平野で見通しがいい場所で、新聞掲載の写真等でもわからん。海河川由来の地名が多いのだが、
調べて見ると、そこには塩津潟という広大な湖沼があって、そのほとりにあったような感じ。その場所は
江戸時代に開拓されて平地となったが、湖沼になる前の状態があって、9-10世紀に地震があって
地盤沈下して湖沼になったらしい。なので古墳時代は普通の平地というわけか。道路工事前の調査で、
付近には縄文時代の大規模集落の跡や平安時代の遺跡(地震後壊滅)もあったという。その少し北には
海側の高台に岩ケ崎遺跡(縄文)があって、道路工事に発見され、大部分が農地なので発掘できなかった?
みたいな案内看板があり、そこからは磐舟柵があったとされる方面が見下ろされるよ等、中々の場所。
古代ランドって小レジャー施設もあったが廃れているらしい。久しく通ってないな。
49 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 23:07:36.52 ID:cVDWulW0
邪馬台国きたか
やはり近畿ですな
50 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 23:30:52.72 ID:AOSjEsQ8
>>48 新潟平野は山の瀬、川の瀬は昔からのひら地だけど、その他は泥沼のような湿地帯ばかり(それゆえの沼河比売、建沼河別命の名前)・・・。
その上そのひら地も堆積層が増えてくから遺跡発掘・保存状況は厳しいものがある。
丘陵地帯の方が良く見つかっているね。
51 :
名無しのひみつ:2012/09/06(木) 23:51:33.61 ID:z71b8M2R
52 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 00:14:32.72 ID:i0xcFYRo
>>49 近畿原理主義学者のオナニー
九州説派も東大も認めてませんw
53 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 01:25:05.45 ID:Lvw0NTH9
>>20 ゴキブリと同じだろうから、二億年でどうだ?
54 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 01:39:55.29 ID:2IkWTref
これで3〜4世紀の記紀の記述の正確さが実証された訳だから、
当時の朝鮮半島における任那(直轄領)、百済・新羅(属国)の記述も認めるべきだな?
ちなみに好太王碑に記述されている倭国の朝鮮半島蹂躙が4〜5世紀。
55 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 01:45:16.46 ID:DboG55Dc
会津って、ここでばったり会ったから会津なのか。
それにしても読みづらい名前だ。
56 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 01:47:42.09 ID:uB0ED0E2
対馬でも縄文遺跡があって、縄文人が暮らしてたんだから
朝鮮半島南部が縄文人のテリトリーであることは、明白。
縄文時代から、飛鳥時代までは、朝鮮半島南部は、日本人の土地だった。
57 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 01:52:32.43 ID:qA4BA6Nq
>>52 新潟までヤマトの版図が伸びてたなら
九州なんて余裕で平らげられていたに決まっとる
いいかげん諦めろクソチョン
58 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 01:53:02.24 ID:rVAzpq/+
邪馬台国新潟説はもはや常識
59 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 03:31:55.08 ID:FSCTFeFP
60 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 04:43:54.31 ID:toopQVPL
日本神話でさ、根拠地と思われる高天原はアマテラス、海はスサノオ管轄のあとに、
問題起こしたスサノオが追放されてか、山陰に降り立ったってあるよね。
で、そのあと、アマテラスの子?がスサノオの子?から支配地を譲り受けて高千穂まで
到達した?みたいな話があったと思う。
高天原が朝鮮南部か北九州か知らないが、中国地方に進出したあとに
中部九州や近畿を併呑していったのかなあとか想像した
61 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 04:46:42.62 ID:toopQVPL
現在から考えればスサノオが「山陰地方に降り立つ」、ってのがどうも面白い
62 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 08:22:41.39 ID:lAf1utEw
>>60 『日本書紀』によると須佐之男が追放された黄泉の国が朝鮮半島
息子の五十猛(イタケル・イタキソ)が高天原の木の実(水稲でしょ)を植えてみたものの土地は痩せ低温すぎて育たなかった。
須佐之男はこんなところ嫌だと新羅を捨てて、出雲に天下りし直しました。
そしてイタキソ(木の神)は日本中に高天原の木の実(水稲だよ)を撒き広めました(実際日本沿岸のあちこちに漂流神として祀られている)。
長江の温帯ジャポニカ水稲は日本で粗放栽培されていた熱帯ジャポニカ陸稲と偶然に交雑。
寒冷耐種の「早生ジャポニカ」が誕生してあっという間に(紀元前500年頃)青森まで広がりました。
『記紀』を知っている日本人なら高天原が朝鮮半島でないことは誰でも知っています。
古人骨形質と遺伝子・土器・稲の遺伝子から弥生人が長江以南から来たことは今や常識です。
高天原もきっと長江以南にあったのでしょう。
華南・東南アジアの少数民族には日本と同じ鳥居と高床式住居を残した文化が今でも見られます。
63 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 08:34:19.07 ID:Tp5mGtuc
>>4 よくそんな言葉がすぐ出てくるな
地元民か?
64 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 08:51:46.70 ID:lAf1utEw
>>63 自分は
>>4ではないですが地元でも、渟足柵も後の沼垂城のことも教わりません。
後に本を読んで知りました。
新潟も万景峰号の関係でだいぶあっちの帰化人に侵食されていますから。
新潟の民主党議員なんてみんなツングース顔です。
65 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 09:06:13.14 ID:c2tek6E0
昔のご先祖様は強かったんだな、今みたいに朝鮮に舐められるような事もなかったし。
67 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 09:11:22.27 ID:ntxDSHWg
三国史・・・・・・・・・・・朝鮮半島南「狗邪」は「倭国の北限」
宋書倭国伝・・・・・・・・・朝鮮半島は倭が支配している
広開土王碑・・・・・・・・・倭国が海を渡り百済と新羅を臣下にした。
日本書紀・・・・・・・・・「391年 神宮皇后が百済と新羅を日本領土とした。」
宋書・・・・・・・・・・・・倭国が朝鮮半島南部を領地にした。
随書・・・・・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬った。
68 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 09:25:29.26 ID:v31uYlj4
宇宙戦艦? 運輸? >ヤマト
69 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 09:46:52.40 ID:abrRHGCD
大国主命が越八口を平定してっから、出雲か出雲吉備連合の形跡じゃね?
だから大和の最前線より先の地域に、大和が出張る以前からあるんだろ?なんもおかしくない
>>62 さらっと個人的な妄想をまぜんなw
70 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 10:06:40.06 ID:lAf1utEw
>>69 >(水稲でしょ)、(水稲だよ)、高天原もきっと長江以南にあったのでしょう。
以外は全て現代の常識ですよ。
71 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 10:41:37.30 ID:Ck0+UIVt
えみし=戦後小沢民主と北海道社会党勢力を支援した朝敵東北人、今もかわらんな。
72 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 10:48:35.33 ID:lAf1utEw
>>71 小沢さんとか社民党とかY-C3-M217の人たちは日本人にはほとんどいないよ。
(本当にわずか、アイヌの1/4はウィキタ・ニブフなどの粛慎ミシハセ系が入っているけど)
73 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 11:00:08.54 ID:PZZsySBH
>>68 宇宙戦艦ヤマトは沈没戦艦大和の外側を偽装利用して、改造というか新造した区別的な設定。
で、大和朝廷・中央政権と漢字表記された時代より前の古墳時代に成立してたらしので、
うまく区別する方法は、表音であるカタカナのヤマト政権と表記したのだろう。だけど、
漢字導入後に作られた仮名であるカタカナだと、時代の流れを思うと妙な感じだ。
ローマ字を用いて、表音であるYAMATO政権としてもいいのかもしれんが、よい表記を
思いつくわけでもないしね。○×□を魏志倭人伝的読みだと邪馬台〜だろうし、
大和とかいて○×□と読むにしようとなって、その後漢字をくずしてヤマトとも書ける様になった。
74 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 11:07:23.60 ID:Xl1F3dPu
>>8 × 藤原王朝時代
○ 藤原政権時代
政権は時代によってめまぐるしく変わってるけど、日本の場合は中国と違って王朝自体は2600年間変わってないっての。
75 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 11:16:04.69 ID:abrRHGCD
>>70 その木を植えて回ったのが水稲になってんのもだけど
>須佐之男が追放された黄泉の国
もな〜
76 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 11:34:51.64 ID:767ZVK0k
>>74 歴史学的には王朝が変わっていないとある程度信頼されているのは1500年間くらいの話。
それ以前は系図に信頼性を与える考古学的証拠や、外国の史書の言及がない。
77 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 11:38:22.62 ID:vqcnU/kv
うまし国ぞ あきつ島 大和の国は 春日ではない、邪馬台とは「ヤマト」て
発音すると思う。
78 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 12:00:12.98 ID:lAf1utEw
>>75 もう一度『記紀』を読み返してみましょう。
てか「黄泉」・「根の堅州国」をググれば一発。
>>76 「大彦命」・「稲荷山古墳」をググッてみましょう。
旧世紀の日教組自虐史観はいいかげん捨て去りましょう。
本当かどうか知らないけど、このヤマト勢力存在を示す胎内の遺跡も1700年前などと推定されています。
79 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 16:16:56.78 ID:abrRHGCD
>>78 >もう一度『記紀』を読み返してみましょう。
オマエがな〜。黄泉って言葉の意味すら知らないんだろw
黄泉って殯する場を含む域を表す言葉だぞw
嘘だと思ったら日本書紀のイザナギが黄泉津比良坂を登ってイザナミの居る所に行った箇所を確認してみろ
「伊弉諾尊欲見其妹 乃到殯斂之處」=イザナギは嫁さんに会いたくて殯斂の場所にやって来た。
って書いてあるからな。殯ってのは今で言う通夜と同じで万一の復活を期待する場。古代は魂呼びとかもして積極的に復活を祈った=イザナギはコレをしに行った
80 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 16:40:19.96 ID:lAf1utEw
>>79 イザナギなんてどうでもいいから、『記紀』の須佐之男の所を読み返してみましょう。
81 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 17:33:47.45 ID:4xiKPcqV
>>76 魏志倭人伝の記述によると邪馬台国(2〜3世紀?)のころは話し合いで大王を決めてたわけだし、
次の壱与も血の繋がりはないしね。初期のヤマト政権(3世紀か4世紀?〜)もはじめはそうであった
可能性もある。あるいは邪馬台国もヤマト政権に含めるなら確実にそうであったわけだし。
82 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 17:51:38.46 ID:abrRHGCD
>>80 記紀っていうなら日本書紀を読み返しても変わらねーよ。
高天原を追放されたり、底の根の国に追いやられたりはしても、日本書紀中どの一書にも
>須佐之男が追放された黄泉の国
なんて表記は無いよw
>ググれば一発。
なんて言って記紀をちゃんと読んでないから、ググった先にある「根の国=黄泉」を信じこんで恥かくんだよ。
通夜(現代の殯)とか葬儀の最中に息を吹き返した。って話があるだろ?
蘇生する=蘇る=黄泉帰るっつうのはそういうことで、体が腐りおちたり白骨化したのが土の下から這い出して来るって意味じゃないんだから
原文の字を知らなくても、普通に考えて言葉の意味から黄泉って言葉の意味は分かるんだがね。
あと反論しようとして中国語の黄泉の意味を引っ張り出したら恥の上塗りだよっと
83 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 17:56:27.92 ID:tcTOW/Ut
天皇陛下ってバリバリ戦った指導者の子孫なのにすごい穏やかな顔つきだよね
84 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 18:03:58.53 ID:lAf1utEw
既に第八代孝元天皇の実在は揺るがないし、どういう形であれ皇統は実在していたんじゃないかな。
異常に長い即位期間とか怪しいけれど、緩やかに九州から東に移動していく中でのひとつの王朝の名称が七代までの天皇名のどれかだったりとか。
または
>>81の人の言うように、新しく加わった豪族などとの連合王国的な代もあったかもしれない。
つまり本当に神武帝の先祖は日向に天下った。そこから東征がはじまり、代を重ねながら、または王朝変遷もあったかもしれないながらも、大和に東遷したと見るのが本当なのかもしれない(神武帝自らは大和入りしていないかもしれないということ)。
自分はあまり万世一系にはこだわっていない。
今の皇室は濃いお顔立ちでうわばみ揃いの間違いない縄文系。
だけど瓊瓊杵尊は多分弥生人と思う。
そこから東征の間に、南方縄文人の熊襲・隼人族やら、出雲海人族(南朝鮮倭族系)やら、瀬戸内文明人やらと連合、王朝変遷しながら大和入りしたんだと思う。
大和入りでも本当は物部や尾張氏が正当皇統だった可能性するある。
そして応神朝の明らかな王朝交代、さらに継体帝も応神帝の子孫とも思えない。
簒奪であった応神朝を元の血統に戻したのが継体帝だった可能性さえゼロではない。
そして明治でも、なんてとんでも話さえある。
それでも日本の天皇の歴史は軽く紀元前を突破する、と考えている次第である。
85 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 18:14:27.25 ID:lAf1utEw
>>82 君は母国を流刑地の黄泉の国とされたのがだいぶ頭にきたのかもしれないが、
須佐之男が流されたのが根の国(根之堅州國)すなわち黄泉の国であることは日本人の常識だぞ。
一体どこにそうじゃないと書いてある文献があるっていうのか?
持ってきたまえよ、自分が調べたところではどこも根の国=黄泉の国だぞ。
韓国の教科書とか言うなよ、そこには須佐之男が流された新羅(だいたい新羅は倭人の国だ)はパラダイスとか書いてあるのかい?
それともそもそも高天原が朝鮮半島で天津神は日本を占領した、などと言い出すのかい?
あんまりバカなことを言い出すものじゃないよ。
須佐之男が流されたのは新羅、黄泉の国である根の国だよ。
だから須佐之男はそんなとこが嫌で出雲に天下りし直したんだよ。
86 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 18:19:34.85 ID:HkPIrS2j
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1347005232/l50 日本の歌である『君が代』を、「君が代の起源は韓国」と韓国の慶一大学校総長、
李南教(イ・ナムギョ)氏が主張しているのをご存知だろうか。
イ氏は韓国毎日新聞に連載していたコラムで韓国語が語源とされる日本語を紹介していた。
そのなかでイ氏は天皇の祖は韓国人であり、君が代は「”キム家の世の中”という意味」だとした。
紙面では詳しく君が代の起源について説明しているのだが、簡単にまとめるとイ氏の説明は
以下のとおりになる。
<イ氏の君が代韓国起源説要約>
日本語では相手を指す言葉で「君(キミ)」と言うが、これは「金(キム)」が変わって
なった言葉
↓
韓国から日本に上陸した「朴(パク)」氏が大阪周辺の明日香に「耶馬台国(ヤマトグク)」
を建国、また九州では「金(キム)」氏を王とする「狗耶国(クヤグク)」という国が作られた
↓
その後いろいろあってキム氏が統率するクヤグクが日本の覇者となり、天皇の姓が金海金氏となる
↓
日本の国歌『君が代』は「王様(天皇)の世の中」という意味だが、キム氏が日本の覇者であり
天皇の姓の元祖なので、本来は「キム家(君)の世の中」ということ
つまりイ氏は「君が代は天皇をたたえる歌」という前提のもと、天皇の祖は韓国から渡来した
キム氏だから「君が代=キム家の世の中=天皇であるキム家の歌」なので君が代は韓国起源だと
しているのである。
87 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 18:22:29.07 ID:W96AoTJS
歴史すれ系では何故か藤原氏は朝鮮人だのシナ人だの言う人が出てくる。
おまけに藤がつく苗字の人もすべてそれに含めようとする。
何故だろう。考えてみようか。
88 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 18:35:10.29 ID:qA4BA6Nq
そういう民族だからだろ?
そうやって何千何百年と生きたきたんじゃねえの?
ウリらは中原の皇帝の末裔ニダ、大清国属ニダ
天皇はウリらの同胞ニダ、孔子もキリストも同胞ニダ
知り合いに大金持ちが居るニダ、政治家も知り合いニダ
自分に取柄が無いから他人に縋る寄生虫だよ
89 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 18:35:24.11 ID:LRmggsrE
民団 電通 フジテレビ
日本に巣食う 寄生虫
早くみんなで 駆除しよう
はびこる悪に 鉄槌を
90 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 18:58:27.18 ID:abrRHGCD
>>85 まず俺は地元の図書館の蔵書でルーツが平安時代まで辿れる程度には日本人だ。
レスの文脈から見るにオマエこそ「黄泉が朝鮮半島」って何に書いてあるか教えてくれ。あと記紀のどこに「素戔嗚尊を『黄泉に』追放した」って書いてあるのかもな。
こっちの黄泉が殯斂の場ってのは日本書紀に「殯斂之處」と書いてある。と、さっきも書いた。日本書紀の中の話を語るソースに日本書紀を出してるんだからこれ以上のソースは無いだろw
調べた範囲って記紀の外を探してどうすんだよ、またググったのか?オマエ自身が言ってたように、ちゃんと記紀を読めよw
自分は記紀の黄泉の舞台は出雲か紀伊半島はじめイザナミの墓所とされる日本国内のどこかと思ってる。
オマエは水稲の種と妄想を書いてたが、書紀には「朝鮮半島を攻めるのに船を作る木材が要るから」とか実用の為に「木の種」を播いてることも含めて
>根之堅州國が朝鮮半島
ってのは俺も考えてる。高天原でも「葦原中国でもない」場所だからな
91 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 19:00:22.74 ID:i0xcFYRo
>>57 はあ? 何世迷い言認定をしてるんです。尖閣竹島北方四島は
日本固有領土ですよお爺さん
92 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 19:10:32.23 ID:UvBfWeqo
>>8 > あくまで帰順しない者はいわゆる差別して部落に押し込んでいた。
東北に部落民はいない。
これは東日本大震災復興大臣に就任した松本龍が、解放同盟流の恫喝をマスコミに行なったが、
東北のマスコミに解放同盟流の恫喝が全く通用せず放送され、松本龍が辞任に追い込まれた事実からも判る。
八切史観は憶測が大半で現実に即しておらず、共産主義者の「日本解放」の名目の役割しか果していない。
93 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 19:40:32.23 ID:abrRHGCD
>>85 どうせググるなら「国立国会図書館」ってググってみ。
そしたら、やたらと蔵書量の多い図書館のホームページが見つかるはずだ。
今はどうか知らないが、以前そこでデジタル化された原文がみれたぞ
94 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 19:55:14.21 ID:KwmjmTB6
95 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 20:21:18.09 ID:BfAv/jzD
>>81 > 初期のヤマト政権(3世紀か4世紀?〜)もはじめはそうであった可能性もある。
記紀によれば、有力豪族の合議制です。
一番極端なのが継体天皇。
96 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 20:27:55.22 ID:5RKF5l9Z
>>85 > 須佐之男が流されたのが根の国(根之堅州國)すなわち黄泉の国である
逆に、こんなことがどこに書いてあるのか、そっちの方が知りたい
97 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 20:39:15.22 ID:5RKF5l9Z
ちょっと調べると、紀神代上第八一書四には「五十猛神を率いて新羅に降りた」というのはあるけれど、その後やっぱり出雲に行ってる。
そこにも「根の国=朝鮮」なんてどこにも書いてないし、黄泉の国に行った記述もない。
98 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 20:40:45.97 ID:abrRHGCD
>>96 暇なんで横レスごめんね。
Wikipediaとか見ると確かに「根の国=黄泉」ってあるから、それに乗っかって「根の国に追いやった」って書紀の記述を読んでるんだと思う
Wikipediaがどういうものか知ってたら、普通の人は参考にはしても鵜呑みにはしないけどねw
ついでに書くとWikipediaの「根の国」のとこには「海の向こうの国」みたいなコトも書いてあるけど出典は知らないw
99 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 20:54:05.19 ID:abrRHGCD
>>97 これは100%自分の想像なんだけど仮に根之堅州國が朝鮮半島だとして
新羅とかを倭人が建国(三国遺事だっけ?)してたり、朝鮮半島南部を倭人が支配(宋書とか)って部分の倭人は出雲勢力だと思います。
その出雲を大和が取り込む際に「出雲が朝鮮半島にも支配地を持ってる」のは、出雲建国の祖であるスサノオを『天照をはじめ大和の祖神達』が高天原は元より「葦原中津国(日本列島)」から追い出したからだ。
って感じに「大和>出雲」になる理由説明と大和の権威付けじゃないかな?
と思います。
100 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 21:15:53.18 ID:abrRHGCD
ついでに妄想を垂れ流すと卑弥呼は天孫降臨の地である日向(ヒムカ)の人だと思います。そして天照大神の誕生地は日向の橘の小戸だと日本書紀に書いてあります。
で神話だと先ず海幸・山幸で隼人=南部九州を支配下に置きます。
で、卑弥呼の後継者が卑弥呼をヒムカとしたと同様に、トヨなら豊の国(北部九州)・イヨなら日向の真向かいの伊予の国を支配下に置きながらの東征ではなかったのかな?
と、崇神期頃に本格的に出雲吉備連合を取り込むまでは大和の優位同盟だったのかな?
と日本書紀を読んでます。
101 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 21:42:32.64 ID:lAf1utEw
なんでID:abrRHGCDは
>>62の考古学事実や歴史考察には突っ込まず、どうとでも取れる神話解釈にムキになってくるんだろう?
ご飯を食べながらつらつら考えるにID:abrRHGCDは宗教がらみのトンデモ本大好きな人なんじゃないかと思った。
そういえば自分は
>>26>>34で宗教がらみのトンデモ本を批判していた。
まあそれで頭に来ているなら、自分には宗教を貶めるつもりはないことを伝えておこう。
そうとったなら詫びておこう、ごめんなさい!
でも、宗教を信じるあまりに歴史や歴史に関する神話を捻じ曲げるのはいただけないよ。君がやっていることは語彙の定義に屁理屈を付けてこねくり回しているだけの、いかにも宗教学的・哲学的思考法で、それを他分野の論理的科学に持ち込んだらだめだよ。
君が
>>79で引用したイザナギの黄泉行はギリシャ神話のオルフェウスの冥府行きの流用なんだよ。
これはどちらも蘇り(黄泉帰り)の話で、その冥府とは黄泉でもあり、根の堅州国のことでもあるんだ。
そして『古事記』には黄泉の入り口も根の堅州国の入り口もどちらも黄泉平坂と書いてある。
<古事記原文>
爾、千引石引塞、其黄泉比良坂。其石置中、各対立而、度事戸之時、伊邪那美命言、「愛我那勢命、為如此者、汝国之人草、一日絞殺千頭。
これは黄泉の国のイザナミが黄泉平坂でイザナギを罵倒する件だね。
さらにもう一つが大国主の根の堅州国行の話だ。
<古事記原文>
云可参向須佐能男命所坐之根堅州国、必其大神議也。
大国主に必ず根の堅州国の須佐能男に会いに行くように伝えているわけだ。
<古事記原文>
故、爾追至黄泉比良坂。遥望、呼謂大穴牟遅神曰、
根の国から逃げていく大国主に向かって、須佐之男が黄泉平坂で追いついて呼びかけたわけだね。
君がどう思うかは知らないが、古事記にもあるように日本人のほとんどは、黄泉の国と根の国、堅州国や冥府は同じところと考えているよ。
そして仏教の影響かもしれないけど、当たり前のように死んだ人間も違う形で(輪廻で)死の国から黄泉帰ると考えているよ。
あんまりシャチホコばって言葉の定義を考えても意味ないよ。
結論をもう一度、『古事記』に黄泉と根の国が同一と書いてあるね。
日本人のほとんどもそう考えているよ。
102 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 22:05:09.69 ID:ntxDSHWg
韓国は哀れよのう
ローマ帝国の時から日本は日本
こんなかっこいい国他にないからね
103 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 22:13:52.99 ID:abrRHGCD
>>101 >イザナギの黄泉行はギリシャ神話のオルフェウスの冥府行きの流用なんだよ。
最初にそう考えて、それに違和感を感じて現代語訳を読みながら試行錯誤の末に…原文をみたら考えた通りの「殯斂」の字があっさり書いてあって衝撃的だったわw
オルフェウスの流用だと思うと簡単でワクワクするだろね。ラノベのカンピオーネ!でも読んでろってレベルにね
そういう先入観を捨てて、なるべく合理的に読むと似てるけど遺体の扱いからしても根本的に違う話だと解る。
合理的に考えるって具体的にどうか?ってーとオルフェウスとナギナミ両方に通じるけど「其処の食い物を食ったからダメ」ってどういう意味か?
その答えは死体はドコから腐るか=外見的にも蘇生が望めなくなるか?
そんなコトの繰り返しと積み重ね。
別にこんなコトを書きたかったワケでも何でもなくて、「木の種を蒔いた」を「水稲の種を蒔いた」とか、直接的に「黄泉に追放した」なんてドコにも書いてないことを
知らない人が見たら本気にしかねないように書いてるのが気に障っただけ。
だから、やりとりの発端は「さらっと妄想を書くな」ってことだよw
104 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 22:23:30.44 ID:abrRHGCD
>>101 書き忘れ、自分は彼の水稲の伝播とかは否定してないし
>どうとでも取れる神話解釈
を書いてる部分は「自分の妄想」と前置きした以外は、記紀神話に「直接的に書いてあるか否か」しか追求してないよw
あと素戔嗚尊が大国主命を黄泉津比良坂まで追ってきた話は、根本的に系統が別の話だからw
その話は素直にアルゴナウタイ輸入盤みたいなもんだと思うよ。煽りじゃなくて根本的に日本の話じゃないもんw
105 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 22:31:08.62 ID:lAf1utEw
>>96>>97 >>101で『古事記』に、黄泉と根の堅州国が同じところ、と書いてあるのと同様に、
須佐之男が根の堅州国に追放されたことも『古事記』に書いてあるよ。
<古事記原文>
故、伊邪那岐大御神、詔速須佐之男命、「何由以汝、不治所事依之國而、哭伊佐知流。」爾答白、「僕者欲罷妣國根之堅州國。故、哭。」爾、伊邪那岐大御神大忿怒、詔「然者、汝不可住此國。」
根の堅州国へ行きたいと泣く須佐之男に父イザナギが「ここにいなくていい!」と根の国に行かせたわけよ。
須佐之男が追放された根の国が新羅であり、そこを厭い出雲に天下りし直した話。
そして同行していた息子の五十猛(イタケル・イタキソまたは大屋彦)に新羅で芽の出なかった高天原の木の実を日本中に撒きに行かせた話は『日本書紀』にあるよ。
<日本書紀原文>
一書曰、素戔嗚尊所行無状。 故諸神、科以千座置戸、而遂逐之。
是時、素戔嗚尊、帥其子五十猛神、降到於新羅國、居曾尸茂梨之處。 乃興言曰、此地吾不欲居、遂以埴土作舟、乘之東渡、到出雲國簸川上所在、鳥上之峯。
時彼處有呑人大蛇。 素戔嗚尊、乃以天蝿斫之劔、斬彼大蛇。 時斬蛇尾而刃缺。 即擘而視之、尾中有一神劔。 素戔嗚尊曰、此不可以吾私用也、乃遺五世孫天之葺根神、上奉於天。 此今所謂草薙劔矣。
初五十猛神、天降之時、多將樹種而下。 然不殖韓地、盡以持歸。 遂始自筑紫、凡大八洲國之内、莫不播殖而成青山焉。 所以、稱五十猛命、爲有功之神。 即紀伊國所坐大神是也。
ラノベやらトンデモ本に洗脳される前に自分で調べてみて本当かどうかをちゃんと確かめると騙されないよね。
106 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 22:36:59.27 ID:lAf1utEw
>>103 神話解釈など結構
自分は考古学や歴史の方に興味がある。
ご高説で歴史や記紀を捻じ曲げて解釈しないでね。
ご自分の宗派の中で教義でも哲学でもこねくり回してください。
記紀に書いてあることが全てで歴史学者が最有力説と捉えていることを自分は書いてある。
あなたの妄想はご自分の巣でどうぞ!
107 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 22:42:19.12 ID:lAf1utEw
>>87 ググって見ると分かるけど、歴史トンデモ本の多くは宗教がらみが多く、その思考法は我々常人とはかけ離れていることが多い。
このスレを見ているとだいたいどういう輩か分かると思うよ。
108 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 22:43:37.90 ID:Tp5mGtuc
109 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 22:46:15.07 ID:qZ7csHJE
藤原氏は中臣鎌足の末裔、鎌足は入鹿を暗殺した。この乙巳の変で、古人大兄
皇子が「韓人、入鹿を殺しつ」と絶句しており、藤原氏が韓人(朝鮮人又は支
那人)、渡来人となる。
110 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 22:59:24.62 ID:lAf1utEw
>>109 蘇我入鹿を切ったのは中大兄皇子(後の天智天皇)です。
歴史を捻じ曲げないでください。
中臣鎌足は別に見ていただけで役にも立っていない。
役に立ったのは蘇我側の裏切り者だった。
蘇我倉山田石川麻呂、彼が裏切り入鹿勢を孤立させなければ乙巳の変は成らなかったはずだ。
そして彼はその功績で右大臣に上り詰めた。
まあ結局邪魔者扱いで暗殺されるのだが・・・・・・。
111 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 23:03:46.42 ID:qZ0sFCJl
>>6 この年代のは朝鮮のも残ってるよ。
日本に王子を人質に送ったとか、新羅城を倭が占領したとか帯方界に倭が侵略してきたとか。
112 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 23:08:47.15 ID:qZ0sFCJl
>>54 広開土王碑の「属国にした」のところを無視しても
半島各地に神出鬼没してて、倭が半島で好き勝手やってたのは明らかだよなあ・・・
113 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 23:09:05.94 ID:abrRHGCD
>>105 『古事記』に、黄泉と根の堅州国が同じところ、と書いてある
だからその
>>101のは個々には別の話だと理解出来ない馬鹿なら…俺の言ってることが理解出来ないのも当然だなw
俺が間違ってたしバカだった。あんた頭が良いし読解力は常人の域を越えてるわ!
天才過ぎると思います。ごめんなさいm(_ _)m
で、直接的に「スサノオを黄泉に追放した」って記述は無いんですか?
114 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 23:15:05.36 ID:qZ0sFCJl
日本書紀よりも古事記の方が脚色が少なくて史実に忠実なように思えるんだけど
115 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 23:21:09.47 ID:abrRHGCD
>>101 で、まだか?
>>90見たら解るよな?
>あと記紀のどこに「素戔嗚尊を『黄泉に』追放した」って書いてあるのかもな。
って俺は書いてるよな?
古事記でも日本書紀でも良いから直接的にそう書いてある部分を見せてくれよ
趣味の範囲で気軽にやってんのを宗教みたいに言われるとカチンとくるし、じゃあオマエは何なのと聞きたくなる。
ただの厨2病なら、そうと言ってくれたら良いよ
116 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 23:36:38.57 ID:abrRHGCD
>>106 IDを見落としてたわゴメンw
じゃあコトの発端である
記紀の内容に妄想(=オマエが信じてること)をさらっと織り交ぜたコト自体は認めてるんだね?
なら、それで良いよ。
知らない人がキミのレスを見て
「水稲の種を播いた」とか
「スサノオが黄泉に追いやられた」
って記紀に書いてあると思わなきゃ良い。
自分は本当にそれで良い。
記紀の内容と考古学とかを並べて見るのは自分も好きだが、それと同じに記紀の内容を先入観なく見るのも大事だと思ってる。
個々人の妄想もね。だから、記紀の内容に前置きもなく妄想 を織り交ぜるなって話。
117 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 23:41:03.33 ID:nbXotMdc
>>105 そこにでてくる地名はすべて根の国に至るの経由地だよ。
古事記には新羅国のは出てこないで出雲にいきなり降っているけど、日本書紀では新羅国に降ってから出雲
に行くという違いがある。
出雲の川上でおろち退治の大活躍があり結婚なんかもするけど、
最終的に根の国に行きそこを治め、根の国で大国主(地上に残したスサノオの子の末裔である)と出会うことになる。
逃げ出した大国主を追いかけてよもつひらさかで呼びかける件があることからも根の国が黄泉の国であることは疑いが無いだろ。
常識的に考えても追放された者が追放先が気に入らないからといって勝手に別のところへいけるわけも無いだろ。
118 :
名無しのひみつ:2012/09/07(金) 23:54:58.64 ID:QgB7TPDR
記紀には新潟の事なんか何も触れてないでしょ?
119 :
117:2012/09/07(金) 23:56:30.72 ID:nbXotMdc
勘違いするといけないので念のために書くけど
新羅国はあくまで経由地に過ぎず、堅州根の国ではないよ。
新羅国が堅州根の国であるかもしれないことを示す記述も無い。
120 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 00:06:26.02 ID:yniX48X0
ヤマト政権って、ヤクザ抗争と同じだな
はったりと人殺しと略奪と寄生
天皇は組長
121 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 00:08:10.07 ID:evRqe4Mc
>>120 アホチョンはさっさと半島へ帰れ!!!!
モンゴル帝国時代に悉くレイプされた腹いせか(笑)
122 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 01:17:40.58 ID:b9/FK9V6
123 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 02:25:57.50 ID:xdKV79Ck
ヤクザというのは、社会が生み出す価値を享受するくせに
義務を果たさない集団なんだよ。
まっとうな統治機構という上部構造の下でうろちょろしているだけだ
124 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 02:58:38.04 ID:xzIZd+9a
面白い発見だな
古墳腐るほどあるんだからバンバン調査しろよ
125 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 07:37:03.26 ID:evWb3s7G
神話を見て来たようにきめつけてるキチガイってなんなの?
スレ違い、ここは科学ニュース板
126 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 09:51:09.73 ID:qDabhHo/
新潟に弥彦山より北に五十嵐浜があり、内陸に入った信濃川支流に五十嵐神社
があるが、大屋彦(イタケル五十猛イタキソ)と関係がありますか?
127 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 11:15:48.83 ID:1dwki2H6
アホー知恵袋でそんなのに近いのを見たな
128 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 11:45:34.30 ID:NlVMUtB3
日本の都近畿
日本建国2700年の地、近畿
日本文明・日本文化を作った地、近畿
高貴公家貴族の地、近畿
日本語の発祥地、近畿
平仮名・片仮名が生まれた地、近畿
世界初の株式企業生誕の地、近畿
世界で初めて先物取引が行われた地、近畿
2000年日本経済産業の中心地、近畿
ほとんどの大企業の発祥地、近畿
ゲーム・百人一首・花札・カラオケ・落語・漫才・歌舞伎・能・和食・忍者・あらゆる日本文明起源の地 近畿
世界のゲーム・文化・芸術・芸能の中心地、近畿
国宝・世界遺産を大量に擁する地、近畿
偉大な文化・ノーベル賞・偉大な発明を次々生む天才の地、近畿
劣等朝鮮人流刑地部落 トンキン
家業盗人 トンキン
有能日本から首都天皇家企業文化ヒトモノカネを盗んだ トンキン
盗んだものを未だに返還しない犯罪者 トンキン
盗みだけで何も生み出さない無能、 トンキン
下衆なトンキンTV瓦版屋・異国の低俗文化ドブネズミー整形売春婦を垂れ流し日本人にソッポを向かれる、トンキン
日本コンプレックス・近畿コンプレックスの地、 トンキン
日本・日本企業・日本の都市の発展偉業に異常に嫉妬し妨害する部落、トンキン
勝手に戦争を起こし勝手に負けた異民族、トンキン
長崎広島に原爆を落とした張本人犯罪人 、トンキン
日本・愛国心・誇りと関係のない朝鮮部落、トンキン
政治が出来ない地、トンキン
邪鬼相憐れむ非人、トンキン
トンキンという最底辺は日本に寄生する癌 罰すべき追放すべき癌である
都近畿は 日本の礎、国を愛し国に誇りを持ち国を豊かにする宝である
129 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 12:06:57.74 ID:83L9/sQ7
奈良京都をバカにしながらその歴史を自分のもののように自慢する大阪民国人スレはここですか?
百済と大韓民国人ぐらい無関係な難波の歴史を自慢するザイニチかもしれないけど。
130 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 12:28:00.31 ID:b9/FK9V6
トンキンなんて在日用語だろw
131 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 12:30:20.92 ID:NlVMUtB3
江戸は蛮族徳川が都を盗み、不毛の朝鮮人流刑地に武蔵に置いただけだからだ道理だ
当然のごとく江戸の人間は最も貧しく文化程度も低い不毛の地、歴代の都で江戸の人間は身長が最も低い
東京のTVが流す江戸の時代劇や町は全てウソ、東京韓国は地上の楽園放送と同じ、田舎者の願望にすぎん
経済産業文化もずっと近畿が中心で規模も大きかった
大久保利通も言ってる、東京の人間は無能だが上方の人間は有能、首都でなくなれば一面焼け野原になる
132 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 13:13:12.73 ID:vQj4Lcmt
スレ一覧で見るとだな。
【宇宙】地球から約16万光年離れた大マゼラン雲にある「スーパーバブル」の画像を公開/NASA (22)
【考古】ヤマト政権の勢力まざまざ 新潟の遺跡が古代史変える
こういう順番に並べ立てた奴!あざとすぎるぞ。
133 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 13:31:11.48 ID:vQj4Lcmt
>>131 1 家康は秀吉に選ばされた。小田原・鎌倉・江戸の3択だ。
海に面し背後に山を控える点では居城として要件を満たしていた。砦としては鎌倉か小田原が良かった。
家康がショボい江戸にしたのは、山が小さく見渡す限りの平地と丘陵地帯だったからだ。
これは世界中の大都市に言えるが、大型船の水利、広い平地は最大の要件なんだ。
ある常識が常識として通用してるうちに、次の時代に求められる要件を考えて常識を打ち破って結論を出し、
その考えに間違いがなく、370年間、産業革命がなかったらもっと続いただろう点は驚嘆に値しこそすれ、莫迦にすることではない。
2 現代を除き、史上もっとも日本人がデカかったのは戦国後期から江戸初期。その後、人類史上最高のエコ社会をもってしても、三千万人のままが精一杯だった。
だから人間は小型化したんだ。食料が限定され争いが治められた動物は進化論的に小型化する。
134 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 13:50:01.30 ID:tLYNqJm/
朝鮮征伐を成し遂げ、大陸明まで脅かした大公殿下豊臣秀吉公
壮麗なる大阪城や難波の町も尾張名古屋の豊臣秀吉公が造り上げた
大阪のシナチョン市民達はこの事実を生涯深く胸の内に刻みこみ、感謝の元に生きよ
135 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 14:01:00.96 ID:evWb3s7G
>>126 五十嵐神社のルーツは三条のようです。
下記が詳しいです。
http://tsubamereki.web.fc2.com/ikarashi.htm 三条市下田地区周辺は、第11代垂仁天皇の第八皇子五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)が開拓したと伝えられ、その子孫が「五十嵐」を名乗るようになった。
とのことです。
それでもヤマト朝廷勢力に屈服するまでの新潟がスサノオ、イタキソ、ついでに大国主、建御名方がらみの出雲勢力だったことは間違いないでしょう。
沼河比売、建沼河別命(縄文以来の沼河ヒスイ勢力の存在)、居多神社(こた神社、本当の越後一宮? 大己貴命一家を祭神とする)、出雲崎、弥彦山の五十猛伝説、白山神社の前身は須佐之男主祭神、等々がその名残でしょう。
海人族や船乗りにとっては弥彦山は重要なランドマークであった。
佐渡の伊太祁曽(イタキソ、イタケルの別名)神社と能登の「伊夜比女神社(主祭神大屋津媛命イタケル妹神)」(伊夜比女が越後の男神を呼び寄せるオスズミ祭)も彼らの海の守り神であったのだろう。
弥彦山の原初の神は五十猛(イタケル、別名大屋彦命)だったのかもしれない。
136 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 14:28:30.04 ID:sqRIJV13
たかだかレス付けるのに
相手を中傷しないと出来ないなんてお里が知れるなぁ。
そういうのはν速か東亜でやってくれ。
科学ニュース板には向いていないよ。
137 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 14:32:14.83 ID:oeOuwIEl
実際会えば古事記の話しで盛り上がりそうな2人であった
138 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 15:14:27.09 ID:evWb3s7G
>>131 19世紀初頭の江戸の人口は軽々百万人を超え、ロンパリは言うに及ばず北京・広州に匹敵するものだったとのことです(その後ロンドンが急成長してトップに躍り出る)。
さらに、江戸の成人男性の識字率は70%、ロンドン20%、パリ10%と比べようも無い高度な民衆社会だったのです。
あんまり嘘を垂れ流さないでください。
139 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 15:25:34.86 ID:wz53h+M/
>>138 そいつ関西人の馬鹿だろ?ほっとけw
歴史を自慢するくせに歴史を知らない朝鮮人そっくり
10世紀の延喜式で「大国」と記載されているのは13国
そのうち5国が関東だよ
まるで江戸時代まで関東には人が住んでいなかったと思ってる低能ハゲ
日本全国、江戸時代になるまで庶民に文化なんてねえしw
室町の一部に町民文化はあったけどね
140 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 15:28:24.51 ID:xdKV79Ck
>歴代の都で江戸の
江戸を都と言うのはものすごい違和感あるな。
たまたま都に幕府を置くことはあるが、
幕府の所在地を都とは言わないのでは。
お膝元とかは言うと思うけど。
141 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 15:32:21.68 ID:wz53h+M/
>>140 >江戸を都と言うのはものすごい違和感あるな。
「東都」という表現は江戸時代からあったよ
広重などの版画にも、「東都○○景」という作品がたくさんあるでしょ?
ただし、「京」という言葉は使ってないね
明治以降、東京、東京都、京都、京都府とか・・・ わけわからなくなったw
142 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 16:01:27.10 ID:NlVMUtB3
日本の起源、日本文明を作った愛国心の中心近畿にキー局を作れば
五年で日本の風景が変わると東大月尾教授が発言したが、全くその通り
143 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 16:08:10.30 ID:xdKV79Ck
144 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 17:39:46.21 ID:D2kEaUK7
日本の起源・日本の文明をつくったとかいうけど大陸の影響を受けやすかっただけじゃん。
建物・衣服・文字にわたって大陸の影響が圧倒的に大きい。
食品がらみでもそうだ
145 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 17:44:10.75 ID:wz53h+M/
>>144 ほっとけ
関西人は、出雲族より「後から日本来た」弥生人というのは、もうバレてるんだからw
関西人の心の拠り所は、「関西に天皇がいた」という事実だけ
ま、継体天皇を調べたら関西出身じゃねえけどなw
関西人は馬鹿だから、まるで江戸時代以前に庶民に文化があったと本気で思ってるw
思考回路が朝鮮人そっくり
まるで自分が公家だと思ってるwww
146 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 18:07:25.25 ID:evWb3s7G
「記紀」にもけっこう新潟の記述はありますね。
『古事記』此八千矛神、將婚高志國之沼河比賣、幸行之時、到其沼河比賣之家、歌曰、
大国主が高志国(新潟)の沼川(ぬなかわ、糸魚川の姫川のこと)に来て沼河比売に求婚した段だね。
『日本書紀』大化3年(647年)造渟足柵、置柵戸。老人等相謂之曰。数年鼠向東行、此造柵之兆乎。
大化4年(648年)治磐舟柵以備蝦夷。
斉明天皇4年(658年)蝦夷二百余詣闕朝献<略>授渟足柵造大伴君稲積小乙下。
東の蝦夷に備えて渟足柵や磐船柵を造ったので、蝦夷が下って朝貢してきて、渟足柵造大伴君に官位を授けた、とあるね。
さらに
斉明天皇四年(658年)夏四月阿陪臣〈闕名。〉率船師一百八十艘伐蝦夷。<略>越国守阿部引田臣比羅夫。討粛慎。
阿部臣は越の姫を母とする建沼河別命を祖とする皇別氏族の軍事氏族であった。
そして東征に赴いた阿部比羅夫は越国国守の立場にあった。
討たれた粛慎(みしはせ)はそれ以前に佐渡に来航してきている。
欽明天皇五年(544年)越国言。於佐渡嶋北御名部之碕岸有粛慎人。乗一船舶而淹留。
147 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 18:50:20.59 ID:36HVLbe7
なんか文字のある鉄剣でも出てきたら良いのにね
148 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 20:59:38.33 ID:pZqz0Cq1
4世紀になれば全国のあちこちでヤマトはまだかー遅いぞヤモトの状態だったんだろ。
おらが国にもあのマラ(丸)とボウのやまを早く作りに来てくれってヤマトコール。
149 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 21:10:48.49 ID:CDB5AKY+
>>141 京は帝のおわす都しか使えないのに、明治維新のときに遷都の詔を出さなかったから
ごっちゃになってしまったなあ。
今からじゃ、今更京都の名前変えられないしなあ。
150 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 21:31:54.27 ID:IN/7uyBt
アシタカ
151 :
名無しのひみつ:2012/09/08(土) 22:18:03.54 ID:YP6o7Xev
>>146 まぁ、継体とかでもわかるように、
日本海側って意外と侮れないですからね。
152 :
名無しのひみつ:2012/09/09(日) 02:41:19.87 ID:pTZwKt9c
153 :
名無しのひみつ:2012/09/09(日) 07:08:35.35 ID:oCjC4D20
大和朝廷のことはいいから、いい加減に倭が朝鮮半島南部も支配していたことを
公にしろよ。いつまでバ韓国に遠慮しているんだ。
154 :
名無しのひみつ:2012/09/09(日) 11:05:29.91 ID:a7B/MZNZ
竹島でもわかるように、奴らが真実を受け入れるはずがない。嘘八百を言い通すだけであって、
論理的な説明や確実な証拠があっても曲解破壊するか捏造するのみ。ゴキブリより下の連中だ。
155 :
名無しのひみつ:2012/09/09(日) 11:50:35.51 ID:t7bPBOve
邪馬台国関連の中国の記録を読んだだけでも
釜山を中心に半島のある一定の範囲を占めていた狗邪韓国の存在や
日本に朝貢使を送っていたことなんて
認めてはくれなさそうだなぁ。
156 :
名無しのひみつ:2012/09/09(日) 12:10:52.90 ID:G/ETd2nH
新潟市の蒲原祭で知られる蒲原神社は、いつも負け組に巻き込まれる不運な神社だ。
元は金鉢山に鎮座した式内社「青海神社」だったが、南北朝の争いに敗れ廃滅された。
だが生き残った神官たちは、木火土金水の五行の五神を農業と自然の神として祀り「五社宮」としてかろうじて青海宮を存続させた。
そして戦国期、新発田重家が信長に付き上杉景勝に背き、今度こそ蒲原勢が勝つか、と思いきや……。
本能寺の変で、信長軍は越後侵攻を中止、またも負け戦に巻き込まれた。
さらに戊辰戦争では幕軍が金鉢山に布陣、金鉢山は焼け野原と化した。
五社宮は山の下に「五社神社」として移転したが、明治の終わりには誰もが「蒲原神社」と呼んでいたという。
正式に「蒲原神社」と改名したのは昭和58年だそうだ。
この蒲原神社の祀る祖神が椎根津彦(しいねつひこ、『日本書紀』、槁根津彦さおねつひこ、『古事記』)で、神武東征で速吸門の水先案内をして倭国造に抜擢された倭直である。
倭氏は倭直→大倭直→大倭連→大養徳忌寸→大養徳宿禰→大和宿禰と改名しながら、そこそこに出世したようだ。
平安朝の世に大和宿禰の支族が蒲原郡に封じられたというが、その出自が海人族なのでやはり船舶・港湾の運営を任されたということなのかもしれない。
大和神社、大和大国魂神社の祭神とその経緯を考えるとこちらも出雲系で、ヤマト朝廷に簒奪された疑いもある。
倭氏の新潟での名残りは、椎谷(関連ある?)という柏崎の地名・藩名・氏名や倭氏支族の青海氏に見られる。
157 :
名無しのひみつ:2012/09/09(日) 15:44:58.00 ID:7q06vd/v
先進の文物はすべてヤマトの下賜、とかチョンを笑えんよなぁ
158 :
名無しのひみつ:2012/09/09(日) 16:47:19.70 ID:G/ETd2nH
佐渡の本間氏のルーツは武蔵国造の横山党。
横山党は小野氏(小野妹子、小野篁など)を自称しているが、
実際は大半の坂東者同様に出雲国造。
埼玉の鷲宮神社の主神天穂日命とその子の天夷鳥命(建比良鳥命)を租神とする。
関東最古の神社も出雲系ということだ。
4世紀のことなのか、それ以前のことなのか、ともかくもヤマト朝廷の侵攻以前は今の新潟も関東も出雲勢力の土地だったのだ。
ちなみにお金持ちで有名な山形の本間さまは、上杉の佐渡侵攻の際、本家を裏切って上杉に付いた分家で、上杉の国替えに付いて米沢に移っていったという。
159 :
名無しのひみつ:2012/09/10(月) 00:35:24.17 ID:EG9zrKu1
>>158 もし、知っていたら教えてほしいのだが、なんで武蔵や秩父に出雲の連中が来たんだろう?
埼玉県で大きな支社を持つ氷川神社も祭神は元々の荒吐を除けば出雲系だというし。
越−>毛野−>武蔵、秩父という流れだろうか?
160 :
名無しのひみつ:2012/09/10(月) 00:48:02.62 ID:nGWL8lOG
>>158 > 4世紀のことなのか、それ以前のことなのか、
そんな古いわけないだろ
161 :
名無しのひみつ:2012/09/10(月) 07:43:52.48 ID:e/oH1WkH
大和王国
三国史によると 始元年、魏使の梯儁が来日するに当たり朝鮮半島の北西から南東へ向けて洛東江沿いに陸行し
狗邪韓国に着いた際にその経路上にあった国が賣廬國である
朝鮮半島南部に和地があり 狗邪韓国は日本国を構成する30国の中の一洲である。
漢の時朝見する者あり今、使訳通ずる所三十国」
この使訳通ずる所三十国とは対海国一大国末盧国伊都国奴国不弥国投馬国邪馬壱国その余の旁国21国対海国から
その余の旁国21国まで合せて29国。 あと1国で30国このあと1国は狗邪韓国か?それとも狗奴国か?
だが狗奴国は「女王に属さず、素より和せず」だから 日本国を構成する30国は狗邪韓国になる。
162 :
名無しのひみつ:2012/09/10(月) 09:38:28.96 ID:DNvolDBY
>>159 鷲宮神社は天照大神と須佐之男命の誓約で生まれた「天穂日命」とその息子「天夷鳥命」と大己貴命を祭神とします。
天穂日命は天照大神により出雲統治に派遣されますが、大己貴命に心酔して家来になってしまった神です。
出雲国譲り後に武蔵に追放されたか、建御名方の越後・諏訪行に付き合いそこから武蔵入りしたのかもしれません。
もう一方で鷲宮神社は土師祭を行う土師の宮(はにしのみや)とも知られています。
土師(はじ)氏の祖、野見宿禰も天穂日命の子孫で出雲族です。
崇神天皇の時代に武蔵に派遣された土師氏の一族がこの社を開いたとする説も有力になっています。
崇神天皇は紀元前の人とされますが、3世紀から4世紀にかけて実在した天皇とも言われています。
※この件、安彦良和氏の『蚤の王』が面白かったです。
このヤマト文化移植済みの胎内の城の山古墳は今のところ4世紀初と想定されていますし、会津の大塚山古墳も同様です。
鷲宮神社もその頃かそれ以前の起源を主張しているわけで、整合性は取れているようです。
戦後日教組自虐史観による欠史八代やら皇統1500年説などはいいかげん忘れてください。新考古資料もどんどん出ていますし、最新科学がそれを補完して「記紀神話」が実証され始めています。
※会津大塚山古墳は4世紀の前方後円墳です。
後円部の中心から南北2基の割竹形木棺の痕跡が検出され、さらに南棺からは日本製の三角縁神獣鏡をはじめ多くの遺物が検出され、環頭大刀、靭(ゆき)、鉄製農耕具なども出土しています。
氷川神社も小野神社も出雲系の神。
昔は関東の都だった宇都宮に派遣された豊城入彦命も崇神天皇の皇子です。
そして宇都宮も日光もどちらの二荒山神社もやはり出雲系の神です。
出雲勢の武蔵入りの経緯はまだまだ研究が必要でしょうが、出雲は単なる国譲りというより大和国東遷までのどこかの段階で王権を簒奪されてしまった、などと思えてなりません。
163 :
名無しのひみつ:2012/09/10(月) 19:03:11.00 ID:o/jBF6Nr
あ
164 :
あ:2012/09/10(月) 19:04:14.20 ID:o/jBF6Nr
あ
165 :
名無しのひみつ:2012/09/10(月) 19:05:00.55 ID:o/jBF6Nr
ああ
166 :
名無しのひみつ:2012/09/10(月) 19:05:42.90 ID:o/jBF6Nr
〆
167 :
名無しのひみつ:2012/09/10(月) 20:30:59.77 ID:UKX8Meew
昔の縄文時代?の日本語って どんな言葉だったの?
169 :
名無しのひみつ:2012/09/10(月) 20:42:49.31 ID:UKX8Meew
170 :
名無しのひみつ:2012/09/10(月) 21:20:13.30 ID:DNvolDBY
<日本語は縄文起源?>
樺太・千島アイヌとも共通するアイヌ語は、シベリア先住民言語の影響もあるようだが、「日本・琉球語族」同様に基本既存の分類には当てはまらない「孤立した言語」と捉えられている。
長らく政治色の強い流言飛語も多かったが、今では「日本・琉球語族」の括りが定説となっている。
だがアイヌ語だけは「日本・琉球語族」とも別言語と考えられている。
遺伝子的にはアイヌ・大和・琉球は同じ縄文父系Y染色体を共有する同系民族だが、この染色体はとても古い「人類の出アフリカ」のYAP+型という特殊遺伝子で、日本以外でまとまって残っているのはアフリカと環地中海とチベットだけとなっている。
特に還地中海などは文明の交差点で民族の攻防と入れ替わりが多くて、グループ本来の形質や文化も失われている。
チベットにしても黄河文明の強い影響で本来のY-D系言語は失われている。
3万年前のその前後、日本に到達した縄文人たちは島国ということもあり、運よくその遺伝子と古い言語を残すことができたわけだ。
ちなみに大陸では、氷河期末期の温暖化で沈みゆくスンダランド(インドネシア周辺)から北上してきたY-NO系が東アを席巻してY-D系遺伝子と言語が失われていったようだ。
それでもY-D系染色体はチベットだけでなく、インド・華南・東南アジア・台湾の少数民族、朝鮮半島にもわずかながら残されている。
そうして日本の周りからY-D系言語が失われていったわけだが、アイヌ語と「日本・琉球語」の違いの問題が残る。
それは縄文遺伝子Y-D2系にも日本上陸ルートが違うグループがあったからと考えられている。
アイヌが保有しないY-D2a-M116.1とY-D2a1a-P42は琉球に多い。
これらは大陸から南西諸島を海沿いに九州に上陸してきたものと考えられている。
対して、北方縄文人と目されるY-D2-P37.1とY-D2a1-M125の中にはシベリア経由で樺太から北海道に上陸した一派もあったと思われる。
単にシベリア回りで言語の影響を受けたというよりも、実はシベリア母系集団も同ルートで日本上陸をしていたようだ(MTDNA-D系、MTDNA-G系)。
シベリア・ブリヤートは父系遺伝子で見るとほとんど日本人と赤の他人なのだが、母系ミトコンドリアDNAで見ると姉妹関係にあることが分かっている。
北方のご先祖様がブリヤート系女性を拉致してきたのか?
それともブリヤート系男性を日本で殲滅したのか?
はたまた病気かなにか? それは分からない。
シベリアからは言語、母系遺伝子だけでなく、細石刃文化も北海道・東北まで伝えられている。
これは5〜4万年前級のY-C系が日本から北上、氷河期最寒冷期の2万年前ころに再びシベリアから日本に逃げてきたものと思われる。
日本語は海路琉球経由で南方縄文人がもたらし、アイヌ語は北方縄文人がシベリア系の影響とともに蝦夷地にもたらした、これが最も理に適う説だろう。
それでも本州全体にアイヌ語と同系統の地名単語が多く残っている。
アイヌ語と「日本・琉球語族」の根は同じに思える。
昨今の遺伝子研究により日本民族全てが縄文系により結ばれていることが定説となったが、近いうちに言語に関してもアイヌが北方縄文言語、大和・琉球が南方縄文言語であることも定説化されるだろう。
ちなみに長江系弥生人も元はオーストロアジア語族と想定されるが、彼ら北方長江系グループは南方グループの江南・東南アジア諸民族と違って元の言語を放棄してしまったと考えられている。
http://www.scs.illinois.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf http://www.kerchner.com/images/dna/ydna_migrationmap_%28FTDNA2006%29.jpg http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/05/f0/edy7oceans/folder/1548940/img_1548940_29547291_0?20070311003652 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/2/2-12.html http://www.springerlink.com/content/p31g0300430k6215/fulltext.html
171 :
名無しのひみつ:2012/09/11(火) 13:24:35.54 ID:pS5Qb6/m
>>169 アンカー辿ったけど面白い人じゃないか
記紀を読めって連呼してたのに、書いて無いって言われたら最終的に記紀ぶん投げるとかw
172 :
名無しのひみつ:2012/09/11(火) 23:03:34.73 ID:wlfA5KC7
>>171 『古事記』に書いてありますよ。
>>101にその記述をあげています。
『日本書紀』には特に記述はないようですが……。
歴史学者の誰もが「『古事記』は黄泉と根の国を同一視して書かれている」としています。
『日本書紀』がそう記述しないのは昔は両者は区別されていたのかもしれませんが、歴史学者はむしろそれ自体より、時代背景や編者の意思を考察しがちです。
神話も国史も為政者の都合の良いように塗り替えられるのが常、だからです。
なにしろ当時も現代も黄泉と根の国は同じと考えられているということです。
まあそうでないと思う人はその人の勝手ですが。
日本独特のいびつな文化人類学・民俗学の発展による弊害かもしれませんが、神話の分類比較は民族の共通性や祖を辿るための物なのに、神話の類似性でもって神話を解釈する愚を犯すものがとても多くなっています。
手段と目的がごっちゃになって手段で手段を論じているわけで、まさに議論のための議論、否定のためだけの否定になってしまっているのです。
社会科学に、政治学や宗教のイデオロギーや哲学的思考法を持ち込むからこういうことになるのです。
日本の左派、日教組は猛省すべきです。
上記のように、史料・考古資料を傍証として考察するのが歴史学・考古学、すなわち学門です。
神話のような答えの出ない事象を、神話の分類を持って云々することは空想創作であって学門ではありません(文学ではあるかもしれないけれど)。
学門と空想創作では議論は噛み合わないし、もうするつもりもありません。
173 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 11:42:37.16 ID:f97pBhAu
>>172=
>>85さん
お疲れ様ですw
で学術()の世界の記紀に黄泉国が朝鮮半島だって書いてあるんですねw
元々あなたが記紀の内容をねじ曲げて書いてたのをツッコミ入れられたのに学会学会って錦の御旗みたいに振り回して必死ですね〜
そうかっ学会ってあなたの大事な学会ってソッチの学会だったんですね!?
どうりで宗教って言葉に拘るわけですw
犬先生の本でも読んでて下さい。
あと、学会()からは出て来ないで下さい。勧誘とか選挙時期に友人顔して押し掛けるのも辞めて下さい。迷惑です
174 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 12:18:19.34 ID:BWX6G9lW
日本海側はずっと大陸系の移民の勢力範囲だったんだよ
至るところに有名無名問わず大陸からのもたらされたものの遺跡があり、
大陸系の移民が支配者階級として暮らしていたという資料も豊富にある
これと
>>1とを合わせ考えると、当時の日本列島は大陸系の人々が支配していたことは疑いようがない
その支配者の系統が続いているというなら、今の象徴もその系統に連なる人種であるということになる
分かったか、日本人
175 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 12:24:11.87 ID:sf/qEcFi
神話に史実を重ね合わせ過ぎるのはよくないな(多少の史実反映や解釈は別だが)。
日本に限らず神話なんてよそのパクりだらけ。
当時ちょっとハイカラだと感じられた話を継ぎ接ぎしてんだろ。
176 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 12:26:01.01 ID:vggBIsrg
>>175 そんなこじつけしなくても
人間の考え出す神話の設定は
だいたい似たようなもの、というだけのことです。
177 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 14:00:05.12 ID:sf/qEcFi
>>176 いやそんなことは当然で、なおかつ不思議な細部が似過ぎてるケースがあるから言ってるわけで。
178 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 14:20:49.22 ID:7j9+lT+o
179 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 14:35:06.39 ID:3x+Ju5v4
上と下
180 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 15:43:00.03 ID:tiP2vwLm
>>175まったくそのとおり、神話にむきになるのはカルトだけ
なんで記紀の話が宗教カルトのなじり合いスレになってんの?
181 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 16:03:05.98 ID:tiP2vwLm
>>174出雲族とか海人族が朝鮮南部とも交易していて当たり前
それに出雲族や安曇族が交易していたのは朝鮮南部の倭人
182 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 21:07:50.78 ID:r7TZocT2
>>1 崇神の年代は卑弥呼=モモソヒメだとすると
もうちょっと遡って3世紀中ごろな気がする
書記でもモモソヒメが亡くなったのは崇神の治世だしな
183 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 22:09:27.62 ID:tiP2vwLm
>>182大彦命をはじめとする四道将軍を派遣したのが崇神天皇なわけで、
天皇が本当に三世紀の人としても、越後に大和勢力が定着するのにもう少し時間がかかるんじゃないかな。
この記事どおり城の山古墳四世紀ころでもおかしくないかもしれない。
184 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 22:28:15.04 ID:FLqw9AsO
四道将軍、細かい記述あるのは、畿内だけだからね。
185 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 22:35:08.09 ID:tiP2vwLm
>>184大彦命は沼河比売で有名な越の姫を娶り、東海道将軍の建沼河別命をもうけた。
その末裔が阿倍比羅夫や安倍晴明の安倍氏である。
越後一宮弥彦神社の社家の高橋氏も同様である。
さらに埼玉は稲荷山古墳にて大彦命銘が刻まれた鉄剣が出土するにいたり、大彦命実在説が浮上した。
さらにその父帝である孝元天皇の実在と「欠史八代」の虚構まで取りざたされるようになった。
186 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 22:39:12.67 ID:wZ4MWjNu
国宝の土器を見て、縄文土器って使いにくそうと思った。
弥生土器のほうが合理的だなぁ。ロマンが足りないと思うけど。
187 :
名無しのひみつ:2012/09/14(金) 23:23:43.94 ID:FLqw9AsO
大量のどんぐり煮るためのやつ見たんじゃないの?
188 :
名無しのひみつ:2012/09/15(土) 03:10:19.83 ID:plETMTrD BE:2550690465-2BP(800)
縄文土器は、言語がない時代にその土地としての主張をするために派手になったとか
弥生時代は米を炊くようになって、実用的であることが必要になったからすっきりしたとか
何処かで読んだことがある気がします
ソースは忘れましたすいません
189 :
名無しのひみつ:2012/09/15(土) 04:19:20.80 ID:WcZ2+JwO
縄文時代に言語がないとかありえんですわ
190 :
名無しのひみつ:2012/09/15(土) 05:45:02.56 ID:f8lxg4Ef
現朝鮮南部は古来より大和のものである。(笑)
191 :
名無しのひみつ:2012/09/15(土) 06:29:51.23 ID:DdOm9kjB
越と畿内なんて縄文時代から交易してたでしょ
192 :
名無しのひみつ:2012/09/15(土) 08:07:32.82 ID:wrS1gpFR
はい、越のヒスイ(糸魚川産)は国内どころか主要な輸出産業でした(黒曜石も)。
193 :
名無しのひみつ:2012/09/15(土) 08:27:26.43 ID:3T7Kzqrj
今では有名なヒスイだが、昭和13年に発見されるまで日本にはヒスイはないとされてたそうな。
地元で有名な奴奈川姫という、古代糸魚川の女王みたいな人がヒスイの勾玉をつけていたので、
ひょっとしたらヒスイがあるかもねって言う人がいたくらいだそうな。不思議なもんだ。(参考糸魚川市のHP)
194 :
名無しのひみつ:2012/09/15(土) 10:53:50.96 ID:0vrgnybI
高温で固く釜で焼く技術がなかったから大きく分厚くなっただけ。
195 :
名無しのひみつ:2012/09/15(土) 12:53:13.96 ID:+czX8iPy
>>182 >卑弥呼=モモソヒメ
伝承がなくて正史にもごまかをし書かざるを得なかった「女王」なのに、「進歩的」思想と皇国史観が融合した奇怪な妄想を鵜呑みにするのはやめとけ
196 :
195:2012/09/15(土) 12:54:19.30 ID:+czX8iPy
なんだこれorz
×ごまかをし
○ごまかしを
197 :
名無しのひみつ:2012/09/15(土) 16:05:39.73 ID:tESI2iVp
>>162 レスありがとうございました。お礼が遅くなってすみません。
とにかく武蔵・秩父の古代には出雲に関わる話が多くて不思議に思っていた。
そういった連中の話がなくなった頃に、高麗族の話が出て、さらにその後に関東八平氏と源氏関東乱入と
そういった関東/武蔵の支配階級の栄枯盛衰にはなんらかの理由があって、血縁関係があるような気がして
ならないんだが、そういった話をしてくれる人が周りにいなくてね。とても参考になりました。
198 :
名無しのひみつ:2012/09/15(土) 21:06:53.40 ID:jVARgL6g
>>162 東遷後かどうかは解らないけども、崇神期の出雲振根の項は重要だと思う。話自体も重なり合うし、神武・崇神ともにハツクニシラスだしね。
読者感想文を書きながら、他人の考えには宗教のレッテル貼りする記紀も自分で読んでない学会連呼厨は本でも読まなきゃ気付かないだろうけど、整合性を持って記紀を読んだりニュース見てたら普通に解る話だけどね
199 :
名無しのひみつ:2012/09/15(土) 23:31:27.04 ID:wrS1gpFR
>>195自分は
>>182じゃないけど「卑弥呼=モモソヒメ説」って、通説の邪馬台国近畿説の卑弥呼実在説の中では代表的な説で、定説じゃないのかもしれないけど知ってる人は多くない?
それを皇国史観だとか、妄想だとか、左翼の人ですか?
>>198は
>>195とは別の人だよね? それとも同じ人?
>>162とどう関係があるのか分からないよ。
そのレス機械翻訳? 意味が分からないよ。
なんか変な人ばっかりだね。
200 :
名無しのひみつ:2012/09/16(日) 09:21:27.31 ID:W6MJgbO8
>>197 ごていねいにどうも。
関東はその昔は未開の国で東北毛人との境界。
出雲勢力の後には朝廷から差し向けられた軍勢、軍事氏族八十物部勢が入ったことでしょう。
蘇我氏は物部守屋を滅ぼすと即座に関東に進出しています。
物部・中臣・大伴など、蘇我氏に歯向かい敗れた残党は北関東の毛人勢力地に逃げ込むしかなかったでしょう。
すなわち東征の最前線ですね。
葦原中国を平らげた建御雷神や経津主神が北関東に祀られていたのもうなずけます。
中臣鎌足も北関東出身の中臣一族のひとりで、優秀さを認められ中臣御食子の養子になったという説もありますね。
陸奥(みちのく)は過酷な戦場であり、坂上田村麻呂などの武勇が派手に伝えられていますが、現実は下っ端もののふ(物部)のサバイバル地域で、成り上がるのは大変だったと思います。
田村麻呂も東征の手柄だけでは足らずに、もっと箔をつけたくて信州の八面大王(早い話が鬼の一種)を征伐したなどとの虚飾も必要としたくらいです。
それ以前、秋田に神功皇后東征伝説がありますが、実際はその代行者の安曇族や建振熊命が毛人と戦ってます。
彼なども岐阜の両面宿儺(これも二面の鬼)を退治た話で箔を付けてます。
そんな虚飾を塗り重ねなければ、陸奥での苦労話なんて中央では大して話題にもならない詰まらない話ということなんですね(まあ実際にその地方で豪族の反乱があり、彼らの部下により鎮圧されたりしたのでしょうが)。
平安期になると落ちぶれた藤原南家や平家が関東に出稼ぎに出てそのまんま土着してますね。
高句麗亡命者たちも単に最前線に近いど田舎に送られただけで、関東に特に意味があったわけじゃないと思いますよ。
ちなみに高狗麗は中国呼称の高氏の狗の城(邦)という意味だそうで、穢貊の貊もむじなやたぬきの類で高句麗のことらしいですね。
狛江市の狛も狗と同義でコマ(高麗)でもあり、高句麗遺臣の村だったそうですよ。
高句麗は狗の字を嫌い、高麗の名乗りを中華王朝に許してもらったとのこと。
それで今でも中国は高句麗を高麗(昔の日本も同様、読みはコマ)、高麗を王氏高麗と呼んでいます。
>>198 kwsk
201 :
195:2012/09/16(日) 11:32:45.53 ID:9N/Zm6S4
>>199 現皇統は8世紀時点ですでに卑弥呼伝承を欠いており卑弥呼はヤマトと直接の関係を持たない可能性が高い
現に日本書紀では類縁中に適当な人物を見出せず卑弥呼と壱与を神功皇后に当てるという荒業を繰り出した
然るに8世紀でさえも不適切と判断されたモモソヒメを卑弥呼に当てるというのは「天皇のほかに日本の支配者は存在しない」という皇国史観が底にあるから
素人の古代史ファンがどう思おうとも、現に明治の某大家が「記紀は創作だが天皇が日本の唯一の支配者であることに疑い無し」と唱え、
帝大諸学派はそれを受け継いでいる事を明言してるわけで
202 :
名無しのひみつ:2012/09/16(日) 13:23:37.45 ID:jvX/e9Vh
>>201 単に日本古代史の詳説が記紀しかないのと、
ワカタケル大王の件などまるっきりの創作でもなく
考古学的に検証可能な程度には古代史を反映しているらしい、
というところから出てるっしょ。
とりあえず古墳があって古墳の中からいろいろ資料が得られるので、
古墳の持ち主はだれかって話になる訳で。
203 :
名無しのひみつ:2012/09/16(日) 14:34:23.96 ID:FBKJCQRP
>>201ばりばりの左翼思想ですねw
当時の三角縁神獣鏡や前方後円墳の分布で畿内王権の確立は間違いなく、
「三国志魏志倭人伝」の記述も九州の小国の話なんかじゃなく、日本という国家のありようをきちんと書いてるね。
だから歴史、考古学的には「邪馬台国畿内説」が定説なんだよね?
てか、逆に皇国史観のナショナリストは「天皇自らが直接中華皇帝に朝貢するわけない!」と九州説を取っていたんでしょ?
言ってることが逆みたいですね。
たぶん三韓の出先機関を使って遼東太守に朝貢したんで位置なんかの齟齬が出たんじゃないのかな?
それとも、記紀の年代を百年ずらすと中韓史書とぴったり合うんでしょ?
「神功皇后=卑弥呼説」も復活するんじゃない?
204 :
198:2012/09/16(日) 22:18:48.97 ID:7bvm9ksv
205 :
名無しのひみつ:2012/09/16(日) 22:26:22.36 ID:7bvm9ksv
>>203 魏志倭人伝? 東には「海を渡らなきゃ」倭種のクニに行けないのに九州四国を抜きに畿内を前提にするとかマジ畿内厨w
206 :
名無しのひみつ:2012/09/16(日) 22:30:37.95 ID:7bvm9ksv
207 :
名無しのひみつ:2012/09/16(日) 22:49:53.50 ID:7bvm9ksv
>>200 >ちなみに高狗麗は中国呼称の高氏の狗の城(邦)という意味
海幸山幸の隼人の話を彷彿とさせますね〜
208 :
名無しのひみつ:2012/09/16(日) 22:56:18.18 ID:FBKJCQRP
209 :
名無しのひみつ:2012/09/17(月) 03:22:26.50 ID:+DRz7iks
大和政権が新潟まで影響下においた…ではなくて、日本海沿岸地域の先進的な豪族、渡来人が、大和政権に影響を与えたのでは?
210 :
名無しのひみつ:2012/09/17(月) 08:10:04.29 ID:iMjfGqbi
>>209 トンデモ理論や逆転の発想でも、考古学の膨大な蓄積による知見を覆すのはさすがに無理だろう。
211 :
名無しのひみつ:2012/09/17(月) 09:39:04.60 ID:5RYmUZvi
ワカタケルは当時すでに神話になっていた可能性が若干残る。
212 :
名無しのひみつ:2012/09/17(月) 10:09:04.83 ID:j2Q/BmuZ
>>210 でもここは歴史学や考古学を解さない輩が多すぎますよ。
213 :
名無しのひみつ:2012/09/19(水) 02:23:12.42 ID:2LVx6VXQ
でも弾の価格を平気で使える程度にしろってフォーラムの流れから来てんだろう?
弓のD値上げるのは反対、弾高すぎなのは調整しろと言うのもワガママじゃないか?
それこそ弾の価格を何とかするってのは弓のメリット潰すった意味でも有る訳で、弓のD値上げるの反対ならば、
現状維持で構わんのではないかね?
214 :
名無しのひみつ:2012/09/19(水) 02:23:52.43 ID:2LVx6VXQ
誤爆したw
215 :
名無しのひみつ:2012/09/19(水) 20:08:08.21 ID:E0AnqIuF
>>14 よく言われるのは例の白村江の時に行方不明になってたという話
そのへんから新羅の王子だったのではとかいろいろ言われてるが
自分は中臣と鎌足はまた別、鎌足は中臣を語っていただけではないかと思っている
実際その後名前を変えたし、鹿島の中臣もオリジナルは自分だと言わんばかりに大中臣と名前を変える
216 :
名無しのひみつ:2012/09/22(土) 07:53:36.00 ID:JUqwaMPi
新羅の王子じゃなくて、百済の王子説だろ。
まぁ、百済の王子は長男は高句麗滅亡後に唐へ連行され、
次男は日本に残って百済王氏になったって記録が残ってるから、
単なるトンデモ説だけどね。
っていうか、鎌足以前の中臣氏なんて大した家じゃないから
わざわざ僭称なんてしないだろ。
そもそも大中臣氏の祖である大中臣清麻呂だって鎌足の甥の息子なのに。
217 :
名無しのひみつ:2012/09/22(土) 10:17:30.68 ID:G6OUu2Mf
>>216 百済の王子は本物が貴族になってる以上僭称する奴はいても隠す必要はないんだよな。
のちに僭称してる国母の実家があって天皇がその本物の百済王家をとりたてて誤魔化してる時代もあるくらいだし。
218 :
名無しのひみつ:2012/09/23(日) 04:06:10.06 ID:ecU3oRD2
>>200 そう言えば、この時代、現在の東京のあたりは、縄文海進の影響が残っていてまだ東京湾が深く入り込んでいたのですかね?
だとすれば、東海道ぞいに関東南部から毛野へ大軍で進軍するのは、箱根を超えたあたりから、途中湿地帯とかが多くて
大変だったかもしれませんね。一方、信濃の東山道系も道が細くて大軍で関東に向かうのはあまり向かない。
そうすると当時、大軍で毛野へ進軍する場合は、比較的道の整った北陸道沿いから関東北部(毛野)に進軍するのが
古代のセオリーだったかもしれませんね。
そう考えると父親の大彦命が北陸道沿いに進軍し、子の武渟川別命が東海道沿いに進軍したのは父子の位階の差による
指揮できる軍の規模の違いのためで、位階上、大軍を指揮できる父は北陸道、比較的規模の小さい子は東海道方面から補助的に
進軍したのかと想像しました。
また、だとすると、ヤマトタケルがオトタチバナを死なせてまで相模から房総へ船で渡ったのも、当時、江戸のあたりは海や湿地帯の
豊葦原状態で進軍に向かなかったためと思えてきました。この道が官道として確立するのはこの時代より後と思われますし。
> 高句麗亡命者たちも単に最前線に近いど田舎に送られた
これよりたぶん前に、吉備の国で百済出身?の温羅が反乱を起こしたので、その反省で百済出身者と同じ轍を踏むまいと
高句麗出身者は大和朝廷から遠いところに飛ばしたのかなと?
219 :
名無しのひみつ:2012/09/23(日) 06:44:16.39 ID:dcwOFKM/
温羅なんて唐・新羅の侵攻に備えて西日本各地に朝鮮式山城を建てた頃、
雄略天皇対吉備氏の戦いにフィクションが加わって成立した作り話しだろ。
崇神天皇の時代だと、楽浪郡も帯方郡も顕在だから、
百済なんて建国もされてねーよ。
220 :
名無しのひみつ:2012/09/23(日) 23:32:52.53 ID:ecU3oRD2
>>219 温羅が百済出身と言っていいかどうかわからなかったので(?)を付けました。
温羅の城と言われる鬼の城は出土物から朝鮮式山城が立ち始めたのと同時期という話もありますが、
それ以前にも存在していた(後に再利用されてその時の出土物)という説で考えていました。
その時期は
>>1 に記載のある崇神天皇の治世は
> その治世は3世紀後半から4世紀初頭とされる。 で考えています。
221 :
名無しのひみつ:2012/09/26(水) 08:22:01.65 ID:2DFHj61X
高句麗によって楽浪郡が滅ぼされたのが313年だから
帯方郡が崩壊したのはそれ以降だろうね。
その帯方郡の故地に扶余族が入り込んで建国されたのが百済だから、
3世紀後半から4世紀初頭の人物である崇神天皇の時代に
百済の王子が吉備でウロウロするなんて無理。
222 :
名無しのひみつ:2012/09/26(水) 09:25:33.22 ID:nyNUbuJb
これは嘘ニダネ。
ネットもテレビもラジオも新聞も無かった時代に、なんでこんな遠くまで・・・ニダ?
道路も無かったのにスミダ
言葉も単語も通じなかったはずニダヨ
きっと古朝鮮が日本を治めるために作った日本総督府ニダ
<・ω・>
223 :
名無しのひみつ:2012/09/26(水) 09:34:41.19 ID:nyNUbuJb
>>222 詳しい説明トンスル
古代日本がいかに朝鮮の影響にあったか、よく理解できました
224 :
名無しのひみつ:2012/09/26(水) 10:03:25.96 ID:+flZChiI
うちの方は佐川が躍起になってる。
225 :
名無しのひみつ:2012/09/26(水) 10:17:04.89 ID:ytoGTlRs
弥彦、角田山麓の古墳の調査は終わっているのでしょうか、大和政権の成り立ちや、
何か足跡が見えるようで古代のロマンを感じる、今後に期待します。
226 :
名無しのひみつ:2012/09/26(水) 12:15:07.73 ID:BLOprW91
227 :
名無しのひみつ:2012/09/28(金) 03:27:22.61 ID:A25A2DQD
>>221 百済のあった地域は、
> 3世紀後半から4世紀初頭
の国家名(三韓の馬韓?)で、呼称されていたのでしょうか?
つまり、百済の有った時代より後世の日本では、馬韓?を馬韓と呼称していたかということです。
温羅は、百済(のあった地方)に3世紀後半から4世紀初頭に存在し、後世、百済にとってかわられた馬韓?の王子が
日本にやってきた。その後の日本では、百済と百済以前の馬韓?をごっちゃにしてまとめて百済と総称していた可能性が
あるのではないかということを言いたかったんです。そのため、馬韓の王子−>百済の王子に転訛してしまったと。
中国はともかく、百済建国後の我が国では馬韓について、馬韓と呼称していたのでしょうか?
228 :
名無しのひみつ:2012/09/29(土) 08:39:28.59 ID:xu0Lz49S
それを立証する責任があるのは
百済と馬韓の呼称がごちゃ混ぜだったと主張する側だろう。
そもそも馬韓は歴史的地域名であって国家名ではない。
馬韓という地域に五十余国が存在していたわけだ。
そんな群雄割拠状態なのに、王子が日本で暴れてるってのも変な話だろ。
しかも朝鮮に近い九州ではなく、九州から3、400kmも東に行った吉備で。
さらにソースは史書ではなく民間伝承で、いつ成立した話かも不明で、
話の内容も鯉に化けたり、鵜に化けたり、突拍子もないときたもんだ。
ぶっちゃけ、論じる価値もない。
229 :
名無しのひみつ:2012/09/29(土) 20:21:55.21 ID:TYi+g2fa
>>228 孝霊天皇の鬼退治の話とも似たり寄ったりだしな
230 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 14:07:48.50 ID:HUyWxizs
神話だの昔話だのにいちいち史実あてはめようとするのはアホ。
231 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 15:49:13.26 ID:aZ6WZGB8
>>221 崇神朝の年代比定に誤りがあるとは思わないの?
232 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 16:51:19.28 ID:uiCSC2rt
百済ない。
233 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 17:11:52.50 ID:nY/T4WWz
崇神天皇の本名は辰王・沸流(フル)。
神話にいうところの、海幸彦に追放された弟・山幸彦だ。
スキタイ系騎馬民族の扶余族が朝鮮半島に流入し、高句麗を建国した。
古代朝鮮の『三国史記』によると、高句麗の始祖・朱蒙には
沸流と温祚(オンソ)という息子がいた。
この二人が山幸彦・海幸彦神話のモデルとなった。
海幸彦こと温祚(オンソ)は山側に国を創って繁栄し、それが百済となった。
対する温祚の兄沸流は海側に国を建てたが、
繁栄しないことを恥じて自ら命を絶ったという。
ここまでが神話だが、しかしその実態は
沸流は海を越えて日本に流入してきたのだ。
ちなみに神武天皇の別名はホホデミ命。
山幸彦の別名もなぜか神武天皇と同じ「ホホデミ命」。
つまり記紀では別人として描かれたこの2人の人物は実は同一人物であり、
西からやってきて畿内に政権を打ち立てた神武天皇の正体は
山幸彦こと辰王・沸流だったという事になる。
人格を分けたものの別名が同一なのは、真実の歴史を隠してはいるが、
真実を求める者には事実が手に入るように設計して記紀という暗号書を編纂したためだ。
不比等の時代に独立国家日本として生まれ変わった日本は、
大王の祖先が朝鮮由来だと唐に知られてはまずいため古代史の肝心な部分を韜晦したが、
しかし事実上の編纂責任者の不比等は記録を完全に抹殺したはせず、研究者にはわかるようにしておいたのだ。
234 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 17:16:19.27 ID:nY/T4WWz
あと関係ないが
『日本語の起源については古くから様々な説が唱えられていて、
現在でも決定的なものはない。
しかし、その中でも比較的多数の人が認めているのが、
「南方系言語を北方系言語が征服して統一した」という説である。
初期の日本民族の用いた言語には、南方系のものが多く含まれていた。
そこへ北方系(アルタイ系)の言語を持った民族が侵入してきて、
先住民である南方系民族を征服した。
だから文法(言葉の配置)は北方系となった。
言語という方向から隠された歴史を垣間見る事ができるのである。
現在でも日本語と韓国語の文法は酷似している。
日本語は [主語・目的語・述語] の順に述べる。
韓国語も同様である。
しかも「〜は」とか「〜が」という助詞もある。
当時の朝鮮半島も倭国も、先進国である圧倒的な中国文化の影響を受けて、
文字や音に漢字を用いながらも、文法だけは変わる事はなかった。
だから韓国語と日本語の間には多くの共通点がある。
また、我々が気づかずに話している言葉の中にも、韓国語は多く含まれている。
例えば「百済」と書いてなぜ「クダラ」と読むのか。
これは日本語で読めば「ヒャクサイ」であり、韓国語で読めば「ビャクジェ」である。
どう読んでも「クダラ」にはならない。
では「クダラ」とはどういう意味か。
それは韓国語の「クンナラ」(クナラ)から来ているのである。
それは「大国」という意味だ。
当時の後進国に過ぎない倭国にとって、
高い文化と軍事力を持った百済は偉大なる大国だったのだ。
だから倭国は「ヒャクサイ」とか「ビャクジェ」とは呼ばず、
百済を「クナラ」と読んで恐れ敬ったのである』
作品社 黒須紀一郎 『覇王不比等』 第2巻より
235 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 17:20:37.18 ID:HUyWxizs
↑真正のアホだな。
海幸山幸なんかよその文化園に類型神話いくらでもあっから。
236 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 17:32:24.33 ID:nY/T4WWz
『このほかにも同様の例はあるが、実際はもっと多くの言語が
その起源を韓国に持っているのではなかろうか。
今我々が韓国語または朝鮮語と称している言語の正体は「新羅語」なのである。
しかし伽耶(任那)や百済・高句麗の言語は、国の滅亡に伴って失われ、
今は朝鮮半島にはない。
そして倭国と最も縁の深かった伽耶は、
三国の中では一番早く新羅に併呑されてしまった。
そのため朝鮮半島では伽耶語は新羅の方言の一つとして吸収されてしまった。
しかし一方でその言葉は倭国に於いて生き残った。
確かに滅亡前の伽耶諸国から見れば百済は大国であった。
その言葉がそのまま倭国に持ち込まれた。
倭国には伽耶諸国つまり任那出身と考えられる大王が多い。
例えば実質的な倭国初代の大王と考えられている祟神天皇の名は
「ミマキイリヒコイニエ」であり、「任那から来た大王」という意味である。
当初祟神は伽耶諸国の言葉と文法を用いた筈だ。
言語、特に分を構成する語の配置は高いところから低いところへと流れる。
つまり支配者の用法に靡く。
だから倭国の基本的な文法は、この祟神の時代に
伽耶語に倣って基本が出来たと見られる。
大和朝廷が国の本拠地を置いた奈良にしても、「地面を“均”す」という意味で
ナラと名づけたという説は後世のこじつけに過ぎない。
朝鮮から渡来した王族たちが国を意味する言葉として「ナラ」と名づけたのだ。
古代からに日本を支配してきた大王家やその家臣は、全て半島の人間であった。
新羅では一地方の方言となってしまった伽耶後が倭国で生きていた。
だから新羅の王族金多遂 (後の天武天皇)やその部下たちが、
倭語を身につけるのにさほど時間がかからななかったのも頷ける。』
作品社 黒須紀一郎 『覇王不比等』 第2巻より
237 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 17:36:24.46 ID:nY/T4WWz
>>235 ほほー、面白い
ならそれらの神話の中で大和王権の開祖とされる
神武天皇と同じ名前の奴が当然いるんだろうな?
その神話を持つ文化圏と日本が近隣に接していて
文化が伝わった事の明確な物証が発見されているんだろうな?
その神話とやらと日本神話がちゃんとリンクしている証拠が
日本の古代史書の中に存在しているんだろうな?
それともお前、まさか単に「ちょっと似てる」というだけの
馬鹿丸出しの理由ででケチつけたわけじゃないだろうな?
だとしたらお前こそが真性のアホだよww
238 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 17:39:05.53 ID:HUyWxizs
相手すんのもアホらしい
239 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 17:46:16.13 ID:jxs+V/r/
>>236 神武天皇=祟神天皇だよ
「ミマキイリ」とは、「纒向(マキムクイ)に入った(侵攻した)」王という意味だよ
ま、外部からの侵略者という意味には変わらんが
任那とは、馬鹿丸出しだww
それと、藤原氏(中臣氏)は関東出身だから
鹿島神宮と春日大社の関係を調べたら猿でもわかるよねw
大和朝廷設立以前に、すでに出雲族が関東に来てたわけだ
下毛野古麻呂でググったらもう少し賢くなれると思うよw
240 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 18:28:27.07 ID:aZ6WZGB8
>>239 >「ミマキイリ」とは、「纒向(マキムクイ)に入った(侵攻した)」王という意味
苦しいにもほどがあるw
>それと、藤原氏(中臣氏)は関東出身
根拠は?太田亮は九州って言ってるけど?
241 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 18:31:13.65 ID:y8/MW5w8
>>159 秩父は知知夫氏(天孫系の思兼命子孫)と諏訪系(モリヤ氏)がメイン
出雲も多少はいるけど
242 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 18:38:25.31 ID:jxs+V/r/
>>240 ぜんぜん苦しくないよw
まず、「ミマキイリ」の「ミ」とは、現在で言う「御」とか「神」とか、接頭的な言葉
「マキ」は、明らかに「纒」、これは奈良
「イリ」とは、「入った、もしくは、侵攻した」という意味だよ
祟神天皇(神武天皇伝説)に限らず、「イリ」が使われてる歴代天皇(王)を調べてみ?
んで、その後の王(大和朝廷成立)から、「イリ」が消える不思議w
「イリ」=侵略者なんだよ
それと、藤原氏(中臣氏)が関東出身(出雲族出身)なのは、いわずもがなだよ
関東の神社調べてみ?どれも出雲系(スサノオ、オオクニヌシ)だよ
奈良の鹿も茨城出身
東北に行くほど(創建が新しい神社ほど)アマテラスを祭神にしている不思議
おまえが無知なだけだよw
243 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 19:00:43.78 ID:HSsw/JtM
それって どゆこと?
244 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 19:08:09.56 ID:jxs+V/r/
アマテラスは「記紀」以降に作られた不思議な神ということだぬw
宇佐神宮しかり、伊勢神宮しかり・・・
記紀以前にアマテラスを主祭神にしている神社があるなら、むしろ教えてくれww
ファンタジーなしで・・・
245 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 19:11:45.46 ID:H7ln2n5K
特定のレスに向けて言うわけじゃないが
有力な仮説と定説の間には山よりも高い壁があると思うんだが
一番有力だというだけで安易に定説扱いする人が多いのはなんだかな
246 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 19:52:08.80 ID:HUyWxizs
日本神話については、一般人としてはかなり詳しい自覚はあるし、日本神話は大好きだが、
いちいち史実こじつけようとしたがるヤツは本当にアホとしかいいようが無い。
このスレにドヤ顔で書かれてるようなことや「説」はだいたい目にしたことはあるが、
暇でたまたま読んだ商業本で「日本古代史の真実!」にちょっと影響されてる時期のFラン文系私大二年生じゃないんだから、
いい加減デムパ書き散らすのは自粛してもらいたい。
だいたい日本以外の神話と神話学も学べよ。お前(ら)の神話解釈いかにあさっての方向かよくわかるよ。
247 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 19:52:24.31 ID:pPjZqZee
>>234 > 当時の朝鮮半島も倭国も、先進国である圧倒的な中国文化の影響を受けて、
> 文字や音に漢字を用いながらも、文法だけは変わる事はなかった。
一方、漢字の本家の中国では古代に「帝舜」「帝??」などという非アルタイ系語順の称号を持つ
帝王が居たが次第に文法がアルタイ化したのであった。
248 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 20:40:02.54 ID:O7DjRXMs
世界中に似たような話がある
日本版だけ特別に
○○皇子や△△姫の史実ってこと?おかしな話だわな
249 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 20:47:06.08 ID:JzUIzvz9
>>228 > そんな群雄割拠状態なのに、王子が日本で暴れてるってのも変な話だろ。
ですから、群雄割拠の中で敗北したり、新天地を求めて渡海して吉備に来た奴が縁もゆかりもない土地で
旗揚げするのに王子なんてのはふれこみを吹聴しただけかもしれません。今日ではそいつは温羅と呼ばれていると。
後世、大内氏が始皇帝の子孫を名乗っているのと似たようなもんだと思っています。
それが史実かどうかを確認するのは今のところ不可能ですし。
> 話の内容も鯉に化けたり、鵜に化けたり、
なんてのは話を面白く飾り付けするための装飾みたいなもので話半分に聞いていればいい。
問題は、吉備の巨大山城が、崇神朝の4道将軍の伝説と時代が被る可能性が出てきたこと
その山城の外観は同時代の他の城とはずいぶん違い、朝鮮山城の影響を受けた可能性があること
そして、その地域に朝鮮系の温羅という鬼伝説があるということだと思います。
で、スレの最初に戻って、今回は越後の遺跡が見つかりまして、4道将軍の補強になりましたが
それだけでなく吉備の方にも4道将軍が派遣された可能性があり、それが件の山城ではないかと申し上げたい次第です。
250 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 21:15:09.31 ID:jxs+V/r/
>>244 >記紀以前にアマテラスを主祭神にしている神社があるなら、むしろ教えてくれww
これを言うと黙るんだよ、アマテラス信仰の馬鹿どもはw
えーと、京都で一番古い神社はどこでしたっけ?上賀茂神社でしたっけ?
創建は7世紀でしたっけ?8世紀でしたっけ?w
ずいぶん新しいねえ〜ww
伊勢神宮も創建8世紀というのは、すでにバレてますがなw
宇佐神宮も言わずもがな、記紀のあとですよね?
出雲系の邪馬台国が魏から「倭国王」の金印を貰っちゃったから
「ヤマト」という名前を継承しただけのインチキ王国、それが「大和朝廷」
それを誤魔化すために、神功皇后という「女王」を捏造する始末w
ま、出雲と融合したのは認めるけどね〜〜
251 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 21:41:47.67 ID:O7DjRXMs
関裕二さんとか真に受けちゃう人多杉
252 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 21:45:07.15 ID:jxs+V/r/
皇室の祖神であるアマテラスが、なぜか伊勢の「ド田舎」に祀られているという不思議w
三輪山の麓にはスサノオもオオクニヌシも祀れらていますよ?
なんでアマテラスは三輪山の麓に祀られていないのですか?ん?ww
せめて京都にでも祀ったらいいのにねw
あ、京都で一番古い神社が創建7世紀の上賀茂神社だから無理か、ぷぷぷw
253 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 21:49:32.40 ID:O7DjRXMs
>せめて京都にでも祀ったらいいのにねw
↑これはよくわからない。横レスすまそ
254 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 21:55:12.32 ID:ay0b/T2e
京都が都でもなんでもなかった時代になんで京都重視なんだろう。
255 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 21:57:20.07 ID:jxs+V/r/
>>253 京都に「日本古来」の神社文化は存在しないという皮肉だよw
仏教伝来、神仏習合で発展したくせに、偉そうに日本文化(神道)を気取るなボケという意味だよ
京都で一番古い神社はどこ?
そこの主祭神は誰?笑わせんなってのw
256 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 22:02:32.47 ID:jxs+V/r/
さらに皮肉を言うと、祖神であるアマテラスを無視して
聖徳太子(及び嵯峨氏)はなんで仏教を受け入れたんだろうね?w
物部氏に謝れよ!
現在の皇室を含めて、おまえらにアマテラスを語る資格なんてねえし
まして神道を語るなんて愚の骨頂
神道のトップなんて笑わせるわボケ
257 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 22:13:36.64 ID:y8/MW5w8
ひとり暴れてるけどなにがいいたいのかわからない。
物部マンセー?
258 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 22:15:11.53 ID:jxs+V/r/
>>257 書き逃げすんなw
議論しようぜ
反論できない(する気ない)なら、黙ってろハゲ
259 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 22:21:26.42 ID:jxs+V/r/
>>241 >>秩父は知知夫氏(天孫系の思兼命子孫)と諏訪系(モリヤ氏)がメイン
>>出雲も多少はいるけど
暇だからレス遡ったけど
「出雲も多少はいるけど」じゃねえよw
秩父の国造も、諏訪の国造も、どっちも出雲族だっつうのw
おまえ、もう少し神社とか調べたら?
260 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 22:29:03.44 ID:jxs+V/r/
大和朝廷以前に、出雲は「とっくに」関東まで来てんのよ
神社を調べたら猿でも分かる
考古学に夢中な馬鹿は神社を軽視しすぎ
大和朝廷が成立し、出雲(さらに吉備など)と融合すると、
その後にワカタケル(雄略天皇)の使者が関東まで来るわけだ
それが、さきたま古墳の例の鉄剣
さきたま(埼玉)という名前がミソ
ここから先(北)は未開の地
出雲も大和も、開拓するのはその数百年後・・・
261 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 22:32:50.42 ID:ay0b/T2e
>>258 なんで9世紀末までただの辺境だった京都が古墳時代の文化の中心じゃなきゃいけないのさ。
262 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 22:37:50.56 ID:P22Erh4V
「神」が付く天皇の時代には大きな政変が起きている。
これ豆な。
263 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 22:48:52.07 ID:O7DjRXMs
諏訪周辺の神社の話は面白いよね
観光客は糞の下社春宮見て喜んでるけど
264 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 22:51:10.34 ID:jxs+V/r/
>>261 いや、むしろそれを皮肉ってんだが・・・
言葉不足だったら、ごめんね
京都には日本古来の「神社文化」なんてないのよ
仏教伝来から神仏習合したインチキ(?)神社だけしか存在していないのよ
それは、「京都で一番古い神社」を調べたら一目瞭然でしょ
ま、人それぞれだから、参拝する人に対して文句を垂れるつもりはないけどねw
ただここに、「ヤマト政権」のヒントなんてないよ?と言いたいわけw
祖神のアマテラスが、なんで「京」で祀られてないの?馬鹿なの?死ぬの?
それだけ軽視されていたという証拠でしょ?
普通はありえないけどね、「神道的」に
265 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 23:08:30.69 ID:jxs+V/r/
「アマテラス」という名のもとに、皇室と薩長は旧幕府に対して酷いことをしたよねw
その昔、アマテラスを無視し、仏教を受け入れたのはどこのどいつですか?聖徳太子さんよw
都合のいい時だけアマテラスを持ち出す、ウンコは死ねよ
現在の皇室こそ、日本古来の神道を盗んだ「賊軍」である
266 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 23:31:00.22 ID:aZ6WZGB8
267 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 23:32:58.14 ID:jxs+V/r/
>>266 中臣の本拠地は鹿島(神宮)ですよ
基本的な歴史をしらないなら、話にならないですね、お馬鹿さん
268 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 23:36:57.18 ID:HUyWxizs
>>267 それには結構怪しい部分もある。
まあどの説が正しいとか言うつもり無いが。
269 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 23:47:06.43 ID:y8/MW5w8
270 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 23:50:46.48 ID:y8/MW5w8
あと諏訪系つっても洩矢神のほうな
271 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 23:51:06.08 ID:ay0b/T2e
なんだ謝罪と賠償が言いたいだけか歴史とかどうでもよくて。
272 :
名無しのひみつ:2012/09/30(日) 23:54:43.88 ID:jxs+V/r/
>>268 春日大社の「鹿」は、鹿島神宮出身ですよw
春日大社は、藤原(中臣)の氏神は言わずもがなです
藤原の不比等と一緒に古事記を書いたのが「下毛野古麻呂」だよ
言わずもがな、「下毛野」がどこの出身か、猿でもわかるでしょw
ま、少なくとも、「大和朝廷」以前に、出雲族は関東まで「東征」してたということ
ま、関東の神社を見ると、よーくわかるよ
京都で一番古い神社なんて、たかだか7世紀ぐらいでしょ?上賀茂神社?ぷっw
関東の神社(鷲宮、鹿島、氷川、三峯などなど・・・)は紀元前まで遡る
んで、不思議なことに、どれも祭神はスサノオ系(出雲系)
273 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:02:13.24 ID:zN7C0Q4X
>>267 そりゃ後世に鹿島を氏神にしたってだけの話
歴史を知らんのはお前だろw
274 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:07:05.14 ID:z/bwiViI
>>273 涙目乙w
春日大社に言って「由緒」を聞いてこいよバ〜カwww
275 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:08:01.42 ID:zN7C0Q4X
>>272 お前の主張は単に出雲族が関東に進出したという、ただそれだけの話
ルーツはあくまで出雲だし、まして中臣とは何の関わりも無い
276 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:10:42.17 ID:z/bwiViI
>>275 >まして中臣とは何の関わりも無い
馬鹿丸出しワロタ
wikiぐらい調べたら?w
藤原(中臣)の本拠地は「鹿島」
利根川を挟んで香取という説もあるけどねw
ま、どっちにしてもおまえは馬鹿だwww
277 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:13:04.82 ID:S54vFF7S
時系列がむちゃくちゃだな。
278 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:14:21.12 ID:zN7C0Q4X
>>274 鹿島の神を祀ったってあれだろ?
鹿島と春日のどっちが先かなんて話はしてないの
あくまで中臣の出自の話だ
>「大和朝廷」以前に、出雲族は関東まで「東征」してた
はい、根拠よろ
因みにお前の好きな「社伝」では、神武東征以降になってる筈
279 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:15:52.71 ID:zN7C0Q4X
>>276 wikiとかwww
あと本拠って本貫とは違うぞ
280 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:24:17.53 ID:z/bwiViI
>>278 >あくまで中臣の出自の話だ
馬鹿丸出しw
藤原不比等は鹿島が本拠地だよ、おまえが無知なだけ
春日大社の鹿はどこから来たの?知ってる?
不比等は春日大社を氏神とし、鹿島から「鹿さんを招いてる」んだよボケチンw
古事記にも書かれてますがなw
もう少し調べたら?
それと、不比等と一緒に古事記を書いた下毛野古麻呂って知ってます?
下毛野って?
関東に、すでに出雲の勢力が及んでいたのは神社を調べたら明白ですよ
281 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:35:04.64 ID:S54vFF7S
そりゃ朝廷が出雲系の国造をそのずいぶん前に武蔵や下総、上総に送ってるからな。
282 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:42:17.57 ID:z/bwiViI
>>281 >そりゃ朝廷が出雲系の国造をそのずいぶん前に
まさにここだよ、ポイントは・・・
「大和朝廷成立」以前に、出雲族が信濃(諏訪大社)や武蔵(鷲宮、三峯、氷川)に来てたことは間違いないんだよ
祖神であるアマテラスを祀っていないことが、何よりの証拠
「アマテラス」が重要なら、そんな軽視はしていないさw
その後、「ヤマトタケル」とか「ワカタケル」という、出雲族を征服した王朝が現れたわけだ
(さきたま古墳の王剣しかり)
283 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:46:19.36 ID:S54vFF7S
>>282 送ったのは朝廷ですが送られたのは出雲人なので自分の神様祭っただけです。
そういう根拠ならこの話終了。
284 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:51:36.95 ID:z/bwiViI
>>283 >送ったのは朝廷ですが
その朝廷が「どこにあったのか」、それを言えないなら
確かに、この話は終了だね、お馬鹿さんww
285 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 00:57:09.67 ID:z/bwiViI
>>283 「倭の5王」の時代に朝廷も糞もないだろバカ
おまえ朝鮮人か?
286 :
明るく楽しい大阪城 ◆iq61PcZU/2 :2012/10/01(月) 01:08:36.93 ID:maRgau9I
武士の騎馬民族的性格から蝦夷は中国北方の騎馬民族の一部が
カムチャッカ半島や樺太〜北海道〜東北へ移動してきて
原住民を征服したんじゃないかと欧州のゲルマン民族大移動やアッティラ大王
や匈奴や元の侵略から妄想している。
関東の武士が強かったといわれてるのはそういう騎馬民族の伝統武技を
引き継いでいるかに違いない。
鎌倉幕府の武士は土地を子孫でわけて継承した、これは騎馬民族特有の遺産相続法
フランク王国なんかこれで分裂して、イタリア、フランス、ドイツの原型となった。
287 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 01:16:04.14 ID:z/bwiViI
>>286 >関東の武士が強かったといわれてるのはそういう騎馬民族の伝統武技を
>引き継いでいるかに違いない。
ちょ、待て待て待てw
オカルトにも程があるぞ
(ま、おれも人のこと言えないけどw)
それほど、当時の天皇には力がなかったってことだよ(シャーマン的な力?卑弥呼的な?)
そりゃ鎌倉幕府だってブチ切れますよw
いわゆる承久の乱
これは、アマテラスの話と同じこと
アマテラスが祖神なら、わざわざ聖徳太子は仏教を受け入れないだろ?
皇室みずから、「日本の神をなめてんだよ」
288 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 01:23:49.09 ID:z/bwiViI
アマテラスを卑下にして、仏教を受け入れた・・・
これは「万世一系」を唱えていた(捏造していた?)皇室としては汚点だろjk
そりゃ鎌倉幕府だってブチギレルさw
物部氏に謝れ!ってな話w
さらに遡ったら、平の将門さま・・・
東国がブチギレル理由はある
皇室は、「都合のいいように、日本の神様を利用しすぎ」
そろそろブチギレルぞと・・
289 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 01:24:02.05 ID:/fz90kUw
>>9 縄文人は穴居なんかしていない。いつの時代の縄文観だ?
三内丸山遺跡が話題になってもう二十年近く経ってる。
290 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 01:29:10.20 ID:kR3pbWmx
>>234 >>236 > 先住民である南方系民族を征服した。
> だから文法(言葉の配置)は北方系となった。
この部分がどうにもおかしくて、
征服により文法だけ変わって語彙が残るという奇妙な論理を提唱している。
征服・被征服では、征服者の言語に入れ替わって被征服者の単語が遺存的に残るか、
あるいは文法は変わらずに語彙が大量に流入するか、いずれかが普通。
例えばイランはギリシャ支配・アラブ支配・トルコ支配・モンゴル支配と
征服されていた時期が長かったにも関わらず
変わったのは大量の輸入後くらいのもので
ササーン朝時代の文献は現代イラン人でも聞けばわかる。
新羅語-現代朝鮮語と百済語は別であるという論理を提唱しつつ
現代朝鮮語である「ナラ」を平然と持ち出すし、
言語学の観点からいえば支離滅裂な文章だなあとしか思えない。
291 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 01:35:24.27 ID:z/bwiViI
>>286 >関東の武士が強かった
これは歴史が証明してるかも?
いわゆる「壬申の乱」が良い例
天武天皇が勝ったのは、「東蝦夷」の協力があったからこそ
この時代に、すでに「関が原の合戦」があったのだw
んで、やっぱり「東蝦夷」が勝ったww
292 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 01:40:46.87 ID:kR3pbWmx
>>286 「騎馬民族」ってのが謎概念で、
匈奴やモンゴルをモデルとする遊牧民族であれば
馬を生産力とみなす単語が残ってないとおかしいんだよ。
例えば、馬を屠畜したときの産物の単語が。
で、比較言語学の観点からいうと、日本語は畜産関係の語彙が欠落しているので有名。
言語の比較を行うときの標準単語セットがいくつか提唱されているが、それに含まれる
「心臓」「肺」「脳」「血管」などが日本語の固有語彙では欠落していて、借用語になっている
(中国から借用、ちなみに現代朝鮮語では中国からの借用と固有語の併用)。
あとは「皮」skinと「革」leatherの区別がない。
ついでに、馬具も"くつわ"(口輪)、"はみ"(噛み)、"たづな"(手綱)、"あぶみ"(足踏)
と意訳した単語、しかも複合語が使用されている。
(現代朝鮮語では中国からの借用語)
遊牧民の征服者を想定すると、この単語を持ち込まなかった理由が不明。
異文化の持ち込み時には単語ごと輸入されることが多いにも関わらず。
このほか、農耕民でさえ畜産につきものの去勢概念を欠いていたり、
オスとメスの言い分けをしなかったりと、
遊牧はいざ知らず、家畜さえ満足に飼ったことがない人々が
もっぱら軍用・使役用として輸入した、と考えるほうが
語彙の観点からいえば自然。
293 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 02:06:42.29 ID:p4FXH6Pt
俺のじいさん三菱財閥の誰かの愛人の子供なんだが血統いいのかな
294 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 06:26:09.09 ID:m+rAEKAk
古代史関連で長文投稿するのは大体アホ。ほとんど中二病。
295 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 12:26:48.26 ID:/d3FI9tn
バカの壁が林立するのがこの種のスレの特徴ですから
それでも無知な身としては読んでて楽しいんだけど、「ソースはWiki」だけはやめてください…
296 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 12:27:32.34 ID:81o0ekdn
古代史関連でID赤い奴はだいたい病人
そしてすぐ釣れる。
297 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 15:43:10.43 ID:BhmXXamJ
海外に領土拡張してた時期は日鮮同一民族論や日本人雑種論が流行ってた
一国平和主義で引きこもるようになると日本人単一民族論が流行るようになった
298 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 16:30:45.02 ID:/1MO+RZK
自分の発想や基準の置き方が
人間形成した時代や地域の影響を非常に強く受けているんだということに
無自覚な人間は学者の中にさえ多く、素人研究家は言わずもがな
299 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 20:43:14.03 ID:J6PnTtjb
>>280 だからそれは「藤原」になってからの話だwww
本拠と本貫の区別もつかんバカwww
300 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 21:13:16.01 ID:m+rAEKAk
春日大社の鹿程度の話でドヤ顔するヤツの知性など知れたもの。
301 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 23:48:07.43 ID:4sjeFeI8
そもそも中臣から出た一人が藤原になっただけで中臣=藤原じゃないしな。
302 :
名無しのひみつ:2012/10/01(月) 23:54:53.00 ID:dxGB6Qcy
>300
いやでもさ、自称歴史好き、歴史オタクってその程度が多いよ。
文系理系専門分野問わず、多少本読んでる人なら大抵知ってる豆チを、
さも自分だけが知ってるごたいそうな真理のように語ってくる。
303 :
名無しのひみつ:2012/10/02(火) 02:15:58.89 ID:eVGmTYi7
好きな分野のスレが立ってテンション上がっちゃったんだね
304 :
名無しのひみつ:2012/10/02(火) 21:00:01.94 ID:RaQXjwZV
>>286 源氏も平氏も秀郷流藤原氏も
有力武士の殆どが貴族の流れを組んでるのに
いまだ騎馬民族征服説なんて唱えてる奴がいたのか……
まぁ、確かに古墳時代に樺太から
北海道へ南下してきた民族(オホーツク人)がいたけど、
征服できたのはせいぜい道東、道北だけで、
9世紀に道北から、13世紀には道東から追い出されちゃったよ。
っていうか、そもそもオホーツク人は騎馬民族じゃないけどね。
305 :
名無しのひみつ:2012/10/02(火) 22:23:35.48 ID:e1L3U3Ou
ちょっと来ない間にやっぱり、宗教がらみのトンデモ本フリークだらけになっちゃったな。
学校教育が異常なんで、考古学資料や史料文献による歴史考証という学術的思考法を解さぬ輩ばかりになったんだろうね。
306 :
名無しのひみつ:2012/10/02(火) 23:06:32.17 ID:TMeBWgap
307 :
名無しのひみつ:2012/10/05(金) 12:09:07.64 ID:1FedVYJ6
騎馬民族が日本に来たって考えにくいよな。
だって騎馬民族による国家で始めて日本海に面する領土を得たのは
渤海を滅ぼして東丹国を設置した遼(契丹)だろうから、
10世紀の話になっちゃうんだよね。
その遼も渤海遺民の反乱なんかでまともに東丹国を支配できてなかったみたいだし。
東北平原より東の土地は騎馬民族向きの土地ではないんだよな。
308 :
名無しのひみつ:2012/10/05(金) 17:16:09.84 ID:XNue8n39
島国に侵攻して侵略できる国だったら内陸騎馬民族じゃなくて沿岸に住んで船舶の発達した海洋民だろうね。
馬ごと大量に運べなかったら騎馬民族なんて全然戦力にならないし、モンゴル帝国も内陸じゃあんだけ簡単に
征服を繰り返したのに日本には沿線の漁労民使ってやって来ても苦戦したくらいだし。
309 :
名無しのひみつ:2012/10/05(金) 22:25:44.24 ID:aecG1ov4
騎馬民族は来てるだろ。
日本の馬には最初から鐙がついていたし、「ウマ」は本来音読みで、訓に相当する呼称は存在しない。
誰かが持ち込まなきゃこんなことはありえない。
否定されているのは、馬を持ち込んだ連中が日本の権力を握ったという説。
310 :
名無しのひみつ:2012/10/05(金) 23:26:06.73 ID:9eYWQkOq
>>309 だから少数は来ただろうけど大軍団が来て征服したわけないだろという話。
もしかしたらウマを持って来たのは騎馬民族とはいえないウマも若干飼ってる程度の
沿岸海洋民かもしれないけどな。
311 :
名無しのひみつ:2012/10/06(土) 00:02:47.71 ID:+3dvaUwc
鐙を持っているので馬に乗っていた(騎馬)のは間違いない。
ただし、遊牧民ではないだろうし、征服者でもなさそう、という感じ
312 :
名無しのひみつ:2012/10/06(土) 01:24:28.65 ID:befMHtI8
日本海を越えて馬を大陸から連れてくるのはさぞ大変だったろうな。
馬の骨に残された遺伝子から、大陸のどの辺の馬と近縁なのかわからんものか・・・
農作物のイネだと大分研究が進んでいるが
313 :
名無しのひみつ:2012/10/06(土) 02:05:37.84 ID:fsVyZDJr
馬は日本人が自分で連れて来たんじゃないかね
九州の奴国は57年に後漢の光武帝から金印を貰ってるわけだし、
馬の存在自体は早い段階から知ってたと思うんだよな
ただ、その馬を大量に連れてくる技術や資金がなかったから、
豪族達が力を伸ばす古墳時代まで遅れたってだけで
314 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 11:42:02.49 ID:5W/XY4qh
騎馬民族(笑)
315 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 12:46:18.72 ID:kCJFVgCm
316 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 17:48:23.27 ID:+tT78HfX
騎馬民族が来たんでもなく
遊牧文化を受け入れたんでもなく
交易で馬を売りに来た奴がいたと考えるのが最も自然
317 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 18:17:18.57 ID:shdDqVED
これサイタマーにある稲荷山古墳の鉄剣の人でしょ
318 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 18:21:40.43 ID:kjLCL1vK
>>317 年代からするとその人より100年以上前になる
319 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 19:45:57.45 ID:8+sOxf84
群馬の古墳で見つかっている馬の埴輪につけられた馬具のたぐいなんかも
馬と一緒に持ってきたのかな?大陸の連中にさぞボッたくられたことだろう。
日本側の交換用の交易品は何だったんだろうか?
320 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 21:17:20.60 ID:vuSjKO81
海産物の干物だろうな
古代から中国近辺では手に入らない珍味だった
321 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 21:21:27.23 ID:/qjmY3JZ BE:1545140063-2BP(1089)
昆布ロードがあったらしい
集積地は大坂
322 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 22:39:15.86 ID:kjLCL1vK
昆布が特別に認識されて流通するのは平安時代に東北を制圧してからの話
魏志倭人伝の項目を見る限りは、日本側の輸出品は
奴隷、布、真珠、翡翠といったところ。
323 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 22:45:35.16 ID:CtOquuzF
海産物で古代支那人が一番喜びそうな宝貝も日本で採れたんじゃなかったっけ。
324 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 23:46:56.38 ID:O5KYbeX4
記紀では黄泉は死地のはずなのに懐かしい故地としても扱われている。
だが今では黄泉がなんのことか分かってきている。
三皇五帝代の五帝の最初の帝である黄帝が三皇代最後の帝「炎帝」やその臣「蚩尤(しゆう)」を大戦争の末打ち破った地を
「阪泉(はんぜん)」というが、黄帝が支配して「黄帝泉」と名付けられた。
だが三皇の末裔は帝を外して黄泉と呼んだ。
そこは同族の死屍累々の死地であり奪われた故地であるが懐かしい母なる地だった。
倭人ら東夷の祖先苗族や羌族らとともに大陸の先住種族であり
その祖先神は三皇五帝代の三皇(天皇・地皇・人皇)と後に呼ばれ
伏羲や女禍や神農などが族長だったといい、これらはシナ人の祖とは異民族だった。
325 :
名無しのひみつ:2012/10/07(日) 23:57:12.92 ID:O5KYbeX4
>>311 日本では近代まで馬の去勢は行わなかった。
また白馬は天の使い(天馬)であり竜の化身(竜馬)として神社で大切に飼われるほどだった。
水生種族の倭人は明らかに騎馬民族とは異なる。
326 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 00:27:09.23 ID:rJh7ykKH
>>325 鐙を輸入している以上は騎馬技術を持った集団と接触があったってことでしょ。
>>292も書いている通り「騎馬民族」なる概念が著しく不明瞭で、
提唱者の江上は遊牧民を想定しているが、
日本の馬文化には遊牧民的特徴が明らかに欠如している。
遊牧民とまでいかずとも、家畜を飼いならしているなら
牡bull ?x7289;ox 牝cow 犢calf
?x9A38;gelding 駒foal 駑dobbin
といった雄雌/去勢、年齢、用途ごとに固有の単語(形態素)が現れるし、
遊牧民だとこの呼び分けが相当細かくなるが、
日本語だと家畜に呼び分けが存在せず
代わりに出世魚がいる、というのが語彙的特徴なので、
騎馬技術に関してはかなり部分的な受容だっただろうと推定されると。
327 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 00:29:27.41 ID:LlWhHMCy
328 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 00:37:05.46 ID:GDLZpZvD
>>326 入手した相手は少なくとも騎乗する民族だったんだろうな、
しかし馬を入手した日本人のそのものはそれを珍重品扱するだけだったと。
ようするに物は来てもそれを扱う人間はあんまり来なかったということだよね。
329 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 00:59:55.10 ID:OjPpPz+w
天孫降臨の地は宮崎だってことになってるのに、どうして邪馬台国は九州じゃない、キリッ、って人が多いの?
もう東遷した後のクニだって言ってるの?
330 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 02:56:56.14 ID:rJh7ykKH
考古派《史書の正確性を疑っており、発掘編年を基準に史書との対応は「比定」という語を使う》
・古墳派?x2014;?x2014;奈良→飛鳥→纒向→前方後円墳と遡及しながら順につなげる学派。主流。畿内説に親和的だが、比定は最終目標ではない。
・弥生派?x2014;?x2014;広範に見つかる弥生遺跡と史書を比定しようとする派。文献対応の証拠力が弱い。九州説に親和的だが、比定は最終目標ではない。
神話派《政治的主張が先にある人が多い》
・別政権派
・新井白石派?x2014;?x2014;九州説の元祖。後に畿内政権に滅ぼされたとする。
天皇が中国に朝貢していた記録を嫌い、朝貢したのは別勢力とする政治的主張に基づく。
・多元派?x2014;?x2014;後に大和、吉備、出雲、筑紫などが連合して神話も合成したという説。文献学的な文脈解析と親和性が高い。
・東遷派《考古資料が貧弱で学会で勢力を失っている》
・記紀派?x2014;?x2014;記紀の神武天皇東遷を史実とする派。戦前の天皇崇拝の文脈で公式に支持されていた。
・騎馬民族征服派?x2014;?x2014;外国からの征服者という説。戦後の反天皇的な政治勢力に歓迎された。
331 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 10:40:15.08 ID:ZhC/XmOW
>>329 そう思う。
自分も関西だから当たり前に畿内説だと思ってたけど、自分で調べ出すと
三角縁神獣鏡は魏鏡にはほど遠いし、何を根拠に邪馬台国が畿内になるのか理解できない。
巻向移籍の発掘現場の主査さんも「ここが邪馬台国だと言われているが、その証拠がここで出るのは宝くじに当たるような確率で、自分は宝くじに当たったことは一度もない」
という言い回しでほとんど畿内説だとは思っていないようだったし。
332 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 11:05:39.51 ID:RDUrIZTP
今となっては
邪馬台国はここだ説は
どこであっても根拠は薄弱
場所に関係なく
決定的証拠が出てくる確率自体が宝くじ1等当選並
吉野ケ里 巻向クラスの遺跡でさえ決定的ではないのだからね
333 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 11:46:56.89 ID:btjHXpZs
おはよう、ヤマトの諸君
334 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 11:47:24.07 ID:XT7tt3hH
少なくとも、絹や鉄鏃などの邪馬台国時代の遺物は、北九州が圧倒的
335 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 12:30:10.98 ID:ZhC/XmOW
当時、「九州北部王権」と「吉備、讃岐、出雲、大和の王権」は争っていたし
高地性集落も「九州側からの攻勢」に対する防御の布陣だった。
巻向遺跡には農耕跡が無く政治の中枢とみられ、
吉備、讃岐、出雲、大和の炊飯土器が見つかっておりそれらの王権の連合政体があったとみられる。
一方、魏志倭人伝から魏の使者が半島西側をまわり対馬や壱岐を渡ってきたのは確実であり
当時そこは九州北部王権の支配地域にあった。
つまり本州および九州南部と敵対する九州北部王権は魏と結び、しかも大陸との交通ルートを独占していた。
おそらくは通行料を要求するだけでなく、魏をバックにして各王権に上位の首長として認めるよう求めたと考えられる。
それは本州側(と九州南部)王権に対抗する連合王権を作る必要を迫ることになる。
また対馬ルートを封鎖された本州王権は「大和→(播磨→朝来→城崎→)出雲から新羅に渡るルート」を確保した。
邪馬台国が他国と激しい戦争をしているとき魏は邪馬台国を支援したが台与の代で勝敗は決し、以後魏との通交はぷっつりと途切れた。
(もちろん大和が邪馬台国なら魏との国交はますます盛んになるはずで、魏の敵対勢力だから不通になる)
その時期は大和朝廷成立時期とほぼ合致するし、その頃の九州北部遺跡からは本州各地の炊飯土器が出土されている。
336 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 12:35:26.13 ID:ZhC/XmOW
つまり、「邪馬台国が海外の魏と結んだ」ことが引き金になり、各地王権が結束して
九州南部王権の血筋である祟神天皇を核として連合王権「大和朝廷(ヤマト王権)」が誕生したと考えられる。
337 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 12:46:30.01 ID:RDUrIZTP
長文おつかれw
現状判明していることから
そういう想定も可能であるし
そうでないいくつもの想定も可能
だからこそ確定できないでいる
338 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 12:57:24.16 ID:ZhC/XmOW
そもそもはなんで「大和から半島に行くのにわざわざ播磨から河を遡上して日本海に抜けて出雲から新羅に行くルートがあるのか」
(そこは銅鐸文化ルートでもある)
ということだったが、巻向遺跡のシンポジウムでもらった資料の「炊飯土器の変遷」をみると一目瞭然だった。
九州北部と本州側との戦乱時は巻向遺跡周辺に本州四国の各王権の土器が集中し
戦争終結後にはそれらが一斉に九州北部で見つかるようになる。
炊飯土器は交易品ではなく自分の飯を作るための土器で、すなわち各王権の人の動きに合致してる。
これを巻向遺跡の発掘チームが出してきたということは、彼らもその意味は分かってるけど
邪馬台国で町興しをしたい奈良市やJRや近鉄の手前あまりおおっぴらには言えない。
でも畿内説派の京大教授との討論では、真っ向反対は唱えないもののその説にいちいち釘を刺していて
見ていておかしかった。
339 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 13:47:15.41 ID:OlNqB78p
また馬鹿どものすくつになったか
340 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 13:56:16.57 ID:xOL5xVfB
まー本当か判らんけど、色々出てる事実を基にアレコレ推測するのは面白いわな。
341 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 13:58:43.98 ID:Ut3fmsCR
なんで邪馬台国の話してんの?馬鹿なの?
342 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 14:16:30.04 ID:ZhC/XmOW
ここでいう大和王権ていうのは邪馬台国じゃないよっていう話だよね。
343 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 18:58:20.78 ID:uSQ4J9Iw
で、言葉は何で違うんだ?(笑)
344 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 20:41:42.29 ID:Kah8Z329 BE:3433644285-2BP(1089)
うちの地元じゃないことは明らか
345 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 20:53:26.13 ID:9N47aALR
天孫降臨が宮崎高千穂っつうのは単なる神話であって、
神話は史実とは特に関係ないよ。東征だってそう。
神話と史実を無理やり結びつけたがるのは、
世界の神話学の中で日本だけの特異現象。大笑いwwwwwww
もうね、アホかと。
346 :
【関電 63.0 %】 忍法帖【Lv=27,xxxPT】(1+0:8) :2012/10/08(月) 21:01:54.51 ID:ljeHwWgY
天岩戸の先輩に習ってニ〜トやってます
347 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 21:06:21.43 ID:x4ECuAt4
>>345 神武紀以降は歴史だってことも知らないの?
348 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 21:15:18.67 ID:rgI/KCCB
349 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 21:25:44.87 ID:x4ECuAt4
350 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 21:26:25.22 ID:rJh7ykKH
神武紀以降は歴史ってのは
トロヤ戦争の原因が神々の美貌争いなのは事実とか
カッサンドラーの予言能力は実話というくらい無理がある
351 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 21:32:52.71 ID:lfBg+x8V
352 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 21:42:54.90 ID:CPSa8pn0
記紀によれば、神武は鮫と人間の合いの子だからねえ。
353 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:04:27.48 ID:GMBK7N74
で邪馬台国って何処にあるんだ?
俺のお婆ちゃんが死ぬ前に知りたいと言ってるから早く解明しろよ
354 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:14:42.97 ID:JT++u20F
科学板なんだからここまでは証拠があって確実、
ここからは推測という境界を明瞭に書いて欲しい。
仮にどんなに可能性が高く他の候補が弱いとしても、推測は推測
355 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:16:43.34 ID:RDUrIZTP
>>351 だから中国の歴史研究は胡散臭いと思われてる
つかそもそも「正史」ってのが
歴代王朝が都合が良いと判断したことを
「正しい」と決めつけてるものの集合体だしね
それと同じ事やってるってことは
自動的に胡散臭くなる
356 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:25:49.03 ID:x4ECuAt4
357 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:28:54.03 ID:CPSa8pn0
>>354 >>1の記事自体が推測に臆測を積み重ねたものだから、
この掲示板のスレッドとしてはふさわしくないのかもな。
358 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:29:25.14 ID:ZhC/XmOW
>>345 天孫降臨といったって、単に異文化人が来たというだけのことだし
東征というより東遷が正しく、別に九州から征服しながら大和まで来たわけじゃ無く
争ったのは宮崎→北九州→広島→岡山→神戸→大阪→生駒まで船で来て上陸して奈良に入ろうとして地元と争ったんだよね。
しかも兄を殺されたのに攻め滅ぼすどころか紀州半島を迂回して熊野→吉野→大和に入って
最初からニギハヤヒ頼りでかたきもニギハヤヒに取ってもらって
地元の神「三輪大物主神」の娘を嫁にもらって宮を構えただけだよね。
もちろんそれができたのは神武がただの豪族じゃ無く、
大物主神同様、神として扱われるそれなりの由来のある血筋だからだけど。
別に日本の神は西洋の「全知全能のGOD」とは無関係の「人間の神」だし。
359 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:32:05.54 ID:RDUrIZTP
>>356 シュリーマンの発見によって
神話の一部分に歴史的事実の一部が取り入れられているらしいと判明しただけのこと
発掘場所の選定において神話を盲信した結果まぐれ当たりしただけで
これをもってその神話全てが歴史であることを証明しない
事実としてシュリーマンが見つけたものは
シュリーマンが信じた時代のものではなく
より昔のものである
360 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:35:39.22 ID:ZhC/XmOW
神武らは宮崎→北九州→広島→岡山→神戸と、各王権の地域に数ヶ月から数年を過ごして
関係を深めてから大和に来た。
それから八代ほど三輪から葛城付近を転々として、十代目の祟神のときついに大和朝廷を開いたんだよね。
大和朝廷を開いた実績は確かに祟神のものだが、それはいわば実が花咲いただけで種をまいたのは古い祖先の神武だよね。
361 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:40:18.29 ID:RDUrIZTP
欠史八代という最も怪しまれる部分を事実と決めつけた上での話は意味が無い
362 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:42:23.89 ID:rJh7ykKH
考古学が先にあって「神話はどうもこれに対応するらしい」という検証はあり得るが
掘ったものを神話のストーリーに合わせて解釈するのは本末転倒、という感じ
363 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:46:10.47 ID:x4ECuAt4
364 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:48:21.18 ID:ZhC/XmOW
>>361 むしろ欠史八代は潤色の内正直な記録だと思う。
大和朝廷を開いた祟神代の記録が集まるのは当然だし、初めて大和に来た神武の大和付近での争いから三輪の神の娘をめとって宮を開いた逸話は集まるだろうけど
その子孫のことは「口伝」かわずかな「文献」に名前と住所しか無かったということ。
潤色しようと思えばいくらでもできるのにそれをしていない。
365 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 22:54:33.08 ID:RDUrIZTP
>>363 トロヤ戦争があったという神話があり
実際にトロヤが見つかったからといって
当該の神話のすべてが正しいとは限らない
366 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:05:34.74 ID:RDUrIZTP
>>364 記録という単語をずいぶん安直に使うね
古代史研究で最も優先すべきは物証であって
文書や言い伝えのたぐいは信用すべきではない
ほぼ間違いなく誰かの思惑で嘘が入っている
物証と一致するもののみを記録というべきで
証拠採用できるのはこの記録だけ
欠史八代は物証が乏しく真偽の判定ができない
従って考察に反映させるべきではなく
これを正しいとして先の議論を展開しても意味は無い
犯罪捜査と同じだよ
物証に一致しない証言を採用したり
都合のいい解釈ですすめると間違える
367 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:14:53.57 ID:ZhC/XmOW
368 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:21:04.74 ID:x4ECuAt4
>>366 ならばその嘘を峻別する作業が科学だろ
全否定は全肯定と同じ態度ではないの?
369 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:22:41.92 ID:ZhC/XmOW
理論とは今のところ最も確からしい仮説のことであって
どこまでいっても仮説に過ぎない。
重要なのは予測生。
「その仮説が正しい」とすると
「やがてこういう証拠が見つかるかも知れない。」
「こういう活動を起こすはず」
と予測が可能になる程度が高いかどうか。
神武〜祟神を「ノイズ混じりのなんらかの事実の反映」と見なすのと、
「全ては後世の創作」と見るのとどちらが予測性を高めるか、事実と合致するかを考えるのは
アプローチとしては間違っていない。
もちろん「説明ができる」だけで「証明」などどこまでいっても不可能だが。
370 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:23:17.93 ID:lfBg+x8V
レベル高いな
371 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:23:45.59 ID:RDUrIZTP
>>366 肯定する根拠がないから肯定しないし
否定する根拠もないから否定もしないよ
その情報を織り込まないで考えるしか無いと言っている
正しいと決めつけて考えてはいけないし
間違ってると決めつけて考えてもいけない
それで先へ進めないなら
「今はまだわかりません」で止まるしか無い
372 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:25:02.16 ID:ZhC/XmOW
>>368 計測屋として言えば、
ノイズをあえて洗い流さず重ね合わせていって全体像を俯瞰して構造を推測するのは実務的に正しい。
理論家には正しくないかも知れないが。
373 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:31:22.76 ID:RDUrIZTP
>>372 自然現象は嘘をつかないから
ノイズは計測誤差であり
たくさん積み重ねればかなり解消されるが
歴史は意図的な嘘が混じるので
最初に嘘を排除する必要がある
自然科学の方法論は通用しない
374 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:35:28.74 ID:ZhC/XmOW
>>362 それも正しいのだが、考古学はいわば、
発掘したゲームボーイのCPUを丹念に観察して中のゲームソフトを知ろうとするようなもの。
例え口伝でもあやふやな文献でも、暗闇で手探りしてる上ではかなり貴重な情報となる。
375 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:40:33.80 ID:rJh7ykKH
あやふやな伝承を「正しい」として挑むと全く間違ったところに連れ去られるけどな
情報理論からいうならノイズとバイアスは別物だし
・史書はバイアス入りであると考える(俯瞰した全体像が歪んでいる可能性が大)
・ノイズ入り情報として考える以上、ディテール(例えば地名)の信憑性はない
と考えるべきだろうな。
376 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:42:34.22 ID:ZhC/XmOW
>>373 オペレーションズリサーチの「嘘つきゲーム」理論や「囚人白状競争」理論などいくつかのパターンに分けて排除する方法はあるが
そこまで厳密で無くとも、
1)全て本当として解釈。
2)Aは嘘として解釈
3)Bは嘘として
4)AとBは嘘として
と見てゆく方法もある。
だが2cHで論文書くわけでもなく、説明ができるモデルが立てられればとりあえず良いというだけ。
377 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:46:36.15 ID:RDUrIZTP
>>374 ならないしすべきでない
自然科学では観測結果は真実+誤差であることが大前提だが
歴史研究では集めた証拠の中に真実が全く入っていないということがありえる
だから歴史研究でまず最初にやらねばならないことは
「その証拠は信用できるのか」の検証である
378 :
名無しのひみつ:2012/10/08(月) 23:53:23.97 ID:rJh7ykKH
>>376 チラシの裏にでも書いてろ
2chは不特定多数が読み書きするだけに
ブログよりは「査読」される覚悟が必要
379 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 00:15:23.41 ID:FeiVxUqy
だいたいシュリーマンの発掘は、シュリーマンが当初想定してた対照とは関係あるまい。
たまたま昔のモノを掘り当てたというだけで、神話に相当する史実とは証明されてないし。
380 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 00:16:48.05 ID:fJICBB0/
ロウマンだなー
でも歴史をすり合わせる相手がいない・・・
381 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 00:30:09.27 ID:RBeheto6
古い時代を証拠を持って検証する簡単な方法。
「天皇陵等の発掘」
これさえ出来れば色々分かってくる事多いはず。早く発掘すべき。
382 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 00:58:18.13 ID:jgradIL1
>>381 崇神より前は掘るべき墓がそもそもわからん。
383 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 01:05:38.32 ID:Ua2PbOR7
神話は神話だよ。
変に史実を絡めるなよ。
384 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 07:24:27.61 ID:8/QqkHnY
>>378 まあヤマト王権が大和地方であったことは確実だ。
問題はそれを邪馬台国とする説の根拠がほぼ無いことと
神武以後を否定するのは一説としては当然だが、
それ無しになぜ各地王権が結集できたかが説明することができないことだな。
385 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 07:45:44.22 ID:24vfXM68
>>384 それを説明できるようになることはないだろう
「これが出てきたら邪馬台国はそこ」というような出土品が何だかわからないし
そもそもそういうものがあるのかもはっきりしない
同時代で信頼出来る文書は魏志倭人伝だけだから
文字を持たない文明の歴史を調べるのと同じだ
物証と矛盾しない仮説はいくらでも作れちゃう
386 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 08:09:29.38 ID:8/QqkHnY
魏志倭人伝を基にしても、畿内説にはならないだろう。
別に一月かかるだけなら出雲だろうが徳島だろうがあり得るわけだし。
ちなみに「一月」は「一日」の写本ミスじゃないかという気がするが。
活字だとわかりにくいけど筆記すると「日」の下線がわずかに出れば月になるし
まさか1日の近さとは思わず1月だと解釈したのかも知れず。
387 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 08:30:03.95 ID:24vfXM68
>>386 矛盾しない仮説はいくらでも作れると言っている
畿内でも出雲でも徳島でもその途中ならどこでもOK
「書き間違い」ということなら
魏志倭人伝自体を証拠採用すべきでない
というか自説のために証拠を都合よく曲解するなら
考察自体やってはいけない
388 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 08:59:46.47 ID:FeiVxUqy
魏志倭人伝がああ読めるこう読めるなんて言って喜んでるヤツがまだ実在するとは
389 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 09:45:28.20 ID:giXIBXbe
そもそも二つの国の話が混じっているかもわからないわけだし。
390 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 15:44:37.13 ID:bmNrV45B
>>381 今の技術じゃダメにするだけだ
少なくとも100年、可能なら1000年は待つべき
391 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 21:59:54.17 ID:aIZ38tue
>>381 発掘って現役の墓だぞ。暴いていいわけがない。
それに発掘はされてないけど盗掘はされてるし、水害などで崩れて埋葬品が出土することもある
仁徳陵からは甲冑や鏡が出てる
392 :
名無しのひみつ:2012/10/09(火) 22:40:34.28 ID:5T1IPeKo
まあもうちょと頑張って非破壊で調査できる技術が進むのを気長に待つか
393 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 01:26:08.34 ID:ietg+pAQ
にんとくりょうってなんですか?
394 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 01:36:43.38 ID:vPoyjCqg
395 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 01:44:54.30 ID:ietg+pAQ
そうですね
396 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 07:44:30.74 ID:VChK/0lv
越の国 古志族
スサノオにやられたヤマタノオロチだな
397 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 08:44:49.53 ID:M/8+Q1wZ
天皇家VS考古学
ファイッ
398 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 10:10:08.77 ID:vPoyjCqg
>>396 世界中の神話や民話に大蛇やらドラゴンやら怪物やらは沢山登場してると思うけど、
それぞれ何国の何族の比喩なんでしょうか?
399 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 13:20:51.96 ID:2NOh5CEp
>>398 大蛇は基本民族じゃなくて川だよね、川を制するもの文明を制するものだし。
400 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 13:30:51.76 ID:6UeO2lUo
そのレベルでいいならどうとでも神話を牽強付会できるだろ
401 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 15:44:15.93 ID:VChK/0lv
402 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 16:55:10.59 ID:2NOh5CEp
403 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 17:22:17.01 ID:VChK/0lv
スサノオの下りだけだよ
あれは、梅原猛の説
404 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 18:16:49.15 ID:vPoyjCqg
>>399 世界中の神話、民話、伝承に出てくる大蛇、ドラゴン達は、
それぞれ何時代のどこ国の何川の比喩なのですか?
ひょっとして日本神話だけでは特別に川の比喩になるのですか?
・・・まさかいまさら出雲の川の砂鉄がヤマタノオロチの赤い腹とか言い出しませんよね?
405 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 18:49:12.09 ID:4lk0/mrj
>>404 古事記の
「是高志之八俣遠呂智」
の高志を越の国に割り当てて、
越中九頭竜川をヤマタノオロチに割り当てる人がいるのは確か
406 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 18:50:10.00 ID:4lk0/mrj
あ、越前九頭竜川でした
407 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 18:57:51.86 ID:2NOh5CEp
>>404 具体的にどの神話のどのドラゴンや大蛇について知りたいの?
世界中に古志族がいると思ってる人に聞いても無駄か。
408 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 19:02:45.17 ID:6UeO2lUo
正直この流れつまらん
409 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 19:10:18.26 ID:M/8+Q1wZ
中国の龍は遡れる限りでは遼河流域の紅山文化が起源らしいな
410 :
名無しのひみつ:2012/10/10(水) 19:29:16.61 ID:8Wa+1W15
ヤマトで戦え
411 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 00:30:07.52 ID:MzbgbcM3
412 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 01:37:16.54 ID:hsSsFE//
>>407 >世界中に古志族がいると思ってる人
↑は見当たらないが・・・
413 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 11:57:19.90 ID:FgwWHwuF
スサノオの起源はヒッタイトだからインドやヨーロッパの大蛇、ドラゴンも古志族で説明できるはずだ。
414 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 13:21:06.65 ID:MzbgbcM3
日本史だけしか見てないと、日本にしか通用しない特殊な見方してる時がある。
神話解釈を史実に無理やりこじつける態度なんかがまさにそれ。
415 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 15:15:05.16 ID:px8WW070
日本史研究には
物証より伝承を優先する
かなり異様な手法を容認する傾向があり
物証の裏付けのない言い伝えや文書を
自分の説に都合よく採用することが多い
論理学的に言ってることがおかしい時がある
416 :
sage:2012/10/11(木) 16:09:30.46 ID:wo+wpt1T
古志族を最初にだしたもんだが、
世界ですか ビックリ スケールでか過ぎ
やまとと新潟に反応しただけだよ。
古代を語る上で伝承は無視できないだろ
伝承を史実とするのは宗教だし
要は バランス感覚だろ
417 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 16:12:15.27 ID:UTPLKcjW
>>407 ギリシャ神話の大蛇ピュトンは具体的に実在の何族のこと?
具体的に実在のどこの地名のこと?
Pythonに近い地名がたまたまあればそこにあてはまるわけ?
日本史、特に古代史ヲタにはこの手の馬鹿話を平気でするアホが多数
418 :
【関電 75.4 %】 忍法帖【Lv=30,xxxPT】(1+0:8) :2012/10/11(木) 16:38:59.21 ID:YVZwn3ID
オカルト脳「ハヤトが九州の熊本だから ニギハヤトも熊本だ!」
419 :
【関電 75.4 %】 忍法帖【Lv=30,xxxPT】(2+0:8) :2012/10/11(木) 16:40:14.30 ID:YVZwn3ID
ニギ=和
420 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 16:41:11.64 ID:Y9fRPxJV
常陸と出雲以外の風土記も見つかればいいんだけどねえ
弥彦神社をよく探したら越後風土記とか残ってないのかなあ
421 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 16:44:35.18 ID:OU8y20Il
出雲国風土記にスサノオは出てこないよ
似たようなキャラは出てくるが
スサノオは記紀の捏造キャラ
422 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 16:46:27.62 ID:Y9fRPxJV
オリキャラと言うならいいが捏造キャラと言う言い方はおかしいw
423 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 16:58:01.25 ID:px8WW070
>>416 伝承を無視しろなどと誰も言ってない
物証による裏付けなしの伝承を入れ込んで
物語を作っちゃうのはおかしいと言っている
裏付けのある伝承はいくらでも使えばいい
424 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 17:18:55.75 ID:cLyYuiav
ヒントと証拠の区別を明確にということか
425 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 17:24:15.09 ID:Y9fRPxJV
まあそこは同意だね
神話を全否定する気は無いが、全肯定もおかしい
426 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 17:59:14.21 ID:v7WTZl0i
427 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 18:58:10.16 ID:LXD7W6cW
>>417 それを質問するなら相手は
>>401じゃないのその人は対立民族じゃなくて自然現症だと思ってそうだし。
428 :
名無しのひみつ:2012/10/11(木) 23:05:06.40 ID:hsSsFE//
>>416 >古志族を最初にだしたもんだが、
世界ですか ビックリ スケールでか過ぎ
神話学で世界が出てきてビックリする方がビックリ。
スケールも何も、アンタが普段いかに偏った見方してるかの傍証だよ。
という皮肉は多分通じない人なんだろうけど・・・
429 :
名無しのひみつ:2012/10/12(金) 02:04:15.43 ID:fG7Wnmcq
国譲りはホントにあったくさいな
当日勢力あった出雲勢が振興勢力畿内に国政の権利譲った
オホモはかなりカリスマあったんだろう
430 :
名無しのひみつ:2012/10/14(日) 16:38:25.38 ID:EO9ZGzZL
やはり吉備がカギを握ってると思う。
431 :
名無しのひみつ:2012/10/15(月) 16:09:16.24 ID:DV5Y82t7
まじめに調べれば、この地域から新たな古墳が見付かるんじゃねえか
432 :
名無しのひみつ:2012/10/17(水) 13:48:20.35 ID:slH6NfkP
433 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2012/10/21(日) 22:13:42.41 ID:JgS1NUAY BE:1094967528-2BP(3)
根の国の話が書いてあるが、
常識的に考えて、大国主が六代前の建国の王スサノオに根の国に会い行ったのは、
大国主は、出雲族の建国の王スサノオが正式に認めた出雲の王ですよといいたいのだろう。
つまり、出雲族から国譲りされる天皇家にとって、ちゃんと出雲の建国の王スサノオの認めた出雲の王から国をゆずりうけましたよ、
という正統性の証明なわけだ。
根の国が朝鮮半島だとかいうくだらん話は、うそに決まってる。
434 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2012/10/21(日) 22:47:11.91 ID:JgS1NUAY BE:4311430979-2BP(3)
つまり、大国主が会ったスサノオは、六代前に死んだ人だということだ。
435 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:8) :2012/10/21(日) 23:05:07.13 ID:JgS1NUAY BE:821225243-2BP(3)
わたしはこのスレをこう読んだ。
922 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2012/10/21(日) 22:24:33.95 ?2BP(3)
鍵くん、朗報だぞ。
【考古】ヤマト政権の勢力まざまざ 新潟の遺跡が古代史変える
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1346922622/ というスレで、関東人がいかに正統な日本人かを考古学に詳しい人が論じている。
なんでも、
埼玉の氷川神社を始めとして、日光もだが、
関東はアマテラス系より前に日本を支配した出雲系の領土だったらしい。
当然、出雲族の首都は、島根県の出雲だが、
京都というのは、
島根から関東までの領土を誇った出雲族を
東征した神武天皇の系列の首都らしい。
神武天皇は、三重県の伊勢神宮を祖神としているが、伊勢神宮の建設は八世紀であり、
神武天皇は、弥生系(江南から稲作をもちこんだ移民)かもしれない。
923 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:5) :2012/10/21(日) 22:28:55.69 ?2BP(3)
現代の日本人が縄文系が占めていて、弥生系はほとんどいないのは、
すでに知られている。
日本語も、縄文系だ。
つまり、出雲族系だ。
924 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:5) :2012/10/21(日) 22:55:22.04 ?2BP(3)
まあ、これが本当なら、得するのは、
日本の最古都となる出雲のある島根県と、
ニニギノ降臨の地として天皇家の祖国となる宮崎県だろう。
925 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:5) :2012/10/21(日) 22:57:37.22 ?2BP(3)
倭の奴国王は、出雲系とする説が有力のようだ。
卑弥呼との前後は難しいが、
神武東征は、金印の後と見る見解のようだ。
436 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2012/10/21(日) 23:29:37.67 ID:JgS1NUAY BE:1231837092-2BP(3)
534 名前:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:8) :2012/10/21(日) 23:28:29.70 ID:iwhF/yyl 2BP(3)
神武東征というのも、出雲族が京都より東に広がっていたなら、
簡単に解けるのである。
437 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:8) :2012/10/21(日) 23:31:42.40 ID:JgS1NUAY BE:684354252-2BP(3)
つまり、出雲族は、神武軍に攻められ、
出雲から諏訪まで敗走していったのである。
438 :
名無しのひみつ:2012/10/22(月) 00:08:45.59 ID:4PUV/fg+
同じコテハンで自作自演の報告とかいったい何をしたいのか……
439 :
名無しのひみつ:2012/10/22(月) 05:32:17.37 ID:gpd5k/2h
自作自演ってか
もう一度書くのが面倒だからコピペしたんじゃね?
確かに報告は意味分からんが
440 :
名無しのひみつ:2012/10/22(月) 08:28:24.62 ID:lrWX3MdC
自分の説が正しいとすると
神話はこのように解釈できる
だから自分の説は正しい
こんな事言う奴アホだろw
441 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2012/10/22(月) 09:46:34.27 ID:D+cK8daF BE:5543267999-2BP(3)
出雲族がアマテラスを敬わない。
つまり、出雲族に太陽信仰はない。
ということは、卑弥呼は、日巫女、つまり、出雲族ではない。
神武東征は、出雲族が支配してから、卑弥呼が君臨するまでの間に起きた。
どうだ?
442 :
名無しのひみつ:2012/10/22(月) 13:56:02.96 ID:gpd5k/2h
>>441 ところであなた、本を出版したことあるの?
443 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2012/10/23(火) 13:52:39.77 ID:SM1drRSJ BE:1231837463-2BP(3)
444 :
名無しのひみつ:2012/10/23(火) 23:53:59.10 ID:AhfyX0sK
違う固定と間違えたみたいだ
変な事言ってスマンね
445 :
名無しのひみつ:2012/10/24(水) 01:54:29.54 ID:9MOIxA71
>>441 私は、恐らく貴方よりも古代史にも神話にも神社伝承にも通じた人間だけど、
神武東征なんて所詮神話上の話だよ。
近年やたらと神話と史実を近付けて解釈すんのが流行ってるが、アホらしいの一言。
446 :
名無しのひみつ:2012/10/24(水) 09:49:52.16 ID:O0ZoFvMp
>>445 日本書紀は古代史になるの?
神話になるの?
447 :
名無しのひみつ:2012/10/24(水) 11:10:11.12 ID:pJn4guj0
記紀をフィクションとして切り捨てる方が暴論というか
古い考え(戦後のマルクス史観)だと思うなあ
もちろん100%が真実ではないが、中には真実も含まれてる
448 :
名無しのひみつ:2012/10/24(水) 12:11:41.07 ID:O0ZoFvMp
449 :
名無しのひみつ:2012/10/24(水) 13:48:41.13 ID:9MOIxA71
>>447 マルクスなんとかなんか白根ーよ。そんなジジイじゃないから。
450 :
名無しのひみつ:2012/10/24(水) 16:06:18.31 ID:hy+ymedP
>>447 証拠に基づいた歴史推定が基本で、神話のある記述はあのことを言っていたらしい、とオプショナルに結びつけるのはありだが、
神話だけ読んで「こんな事実があったに違いない」と言うのは妄想であり本末転倒。
神話をベースに派生創作のファンタジー小説を書いているのと同じ。
451 :
名無しのひみつ:2012/10/24(水) 19:11:18.13 ID:snmWa7Gm
>>449 十分では知らないうちに思想の基盤をそっち系の人に作られえちゃってるのがあの”宗教”の怖い所。
452 :
名無しのひみつ:2012/10/25(木) 00:54:00.40 ID:EtFjprSa
>>451 そんなこたぁー当然知った上で、あえてマルクス史観なんか白根〜って言ってんの。
とうにマルクス史観なんぞ相対化してる世代なんでね。
その反動としての反マルクス史観的な流れも先刻承知の助ですわ。
それでもなお、(左右問わず)神話をやたら都合よく解釈すんのは単にアホだと言ってんの。
実にシンプルな話。ちなみに理数畑ですが、バイト先ではなぜか高校日本史も教えさせられてます。
更に、実家はそこそこ有名な神社(一宮ではない)の直系でごんす。
453 :
名無しのひみつ:2012/10/25(木) 11:30:19.54 ID:brBVJMK5
454 :
名無しのひみつ:2012/10/26(金) 22:02:05.30 ID:xEKc6mEZ
■無人の半島に最初に渡った縄文人
朝鮮半島の南端、韓国慶尚南道の三千村(サンチョンチョン)の沖合にある勒島遺跡群から、
朝鮮の土器とは明らかに文化圏を異にする縄文土器や、縄文の道具類が見つかっており、
釜山広域市影島(ヨンド)区にある東三(トンサム)洞貝塚からも、7千(B.C.5000)〜3千(B.C.1,000)
年前(縄文並行期)頃の、縄文人が日本列島から持ってきた縄文土器や、交易品であった
九州産の黒曜石などが数多く見つかっている。(東北大学名誉教授 井上秀雄)
■韓国の文化と血統のルーツは日本とシベリアと中国
寒く乾燥して大河も無い半島は、温暖化のマンモス絶滅と共に人間がいなくなった。
氷河期終了後の人種形成期である1万年程前、朝鮮半島には人間がいなかったため
半島には固有の人種も生まれずこの時期の土器の使用も無かった。
人種形成期の1万年前、日本モンゴル中国は固有の人種が生まれて土器を使用していた。
朝鮮半島人とは、この日本人と中国人とモンゴル人が混ざって出来た人種である。
半島から発見される土器や文化も、この日本系中国系モンゴル系の子孫に当たるものである。
温暖湿潤で農耕に適して、朝鮮半島よりも面積が広い日本列島は古代から人口も多い。
倭の人口は記録する範囲だけでも高句麗や辰韓や馬韓よりも多い大国でした。
高句麗の人口 3万戸 辰韓の人口 4-5万戸 馬韓の人口 10万余戸
倭の人口 57万戸(実録8国15万戸+21国推定42万戸)
↓その結果大国の日本に征服された新羅と百済
●391年以来倭が、海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった。(広開土王碑)
●新羅の4代目国王の昔脱解は日本人(三国史記 新羅本記)
●73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角千羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。 (三国史記)
●121年 夏四月に日本軍が東の辺境を侵した。(三国史記)
●新羅百済は倭を珍しい物が多く大国と崇めた(隋書81巻東夷倭国)
●249年 四月 日本軍が慶州を取り囲み舒弗邯、新羅の王子于老を殺した。(三国史記)
●295年 新羅王が倭の侵略に困り戦いを挑もうと提案するが、新羅は海戦に不慣れだから無理と弘権に却下される。(三国史記)
●391年以来、倭が海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった。(広開土王碑)
●397年 百済の王が王子を人質として倭国に送る(三国史記 百済本紀)
●458年 人質の百済王女を雄略天皇が焼き殺す(雄略二年雄略紀二年)
455 :
名無しのひみつ:2012/10/26(金) 23:48:00.87 ID:fTMyO31m
456 :
名無しのひみつ:2012/10/27(土) 11:24:31.32 ID:g9wf+GKB
新潟BSNで、越後一の宮お彌彦さまを眞鍋かをりが詳しい人に聞く。がおわた
457 :
名無しのひみつ:2012/10/27(土) 16:15:03.60 ID:plHy3Low
458 :
453:
>>455 オレは
>>453が最初のレスだ。
それのどこがどう負け惜しみになっているのか
具体的な記述を書きたまえ。人に要求する前にな。