【人類】新種の人類化石発見 シベリア南部の洞穴--マックス・プランク進化人類学研究所など
それに5万年前ごろにはまだジャワのホモ・エレクトスも残っていたという説もある。
そうすると5万年前ごろの地球には
・現生人類
・ネアンデルタール人
・ホモ・エレクトス
・ホモ・フローレシエンシス
・デニソヴァ人
この5種のホモ属がいたことになるが、最後の2つは21世紀になって見つかった。
多分まだ見つかるんじゃないかな。5万年前に10種類以上いてもおかしくないと思う。
たとえばホモ・フローレシエンシスの先祖がボルネオやスラウェシあたりにいて
そこからフローレス島に渡ったのが100万年前とすると、渡らなかった連中もいた
はずで、95万年たてば別種になっているだろう(体も少し大きいだろうし)。
そういうのがこれから見つかる可能性は高い。フローレス島の発掘者は周辺の島の
洞窟にも目をつけているから。
それにアフリカでも5万年前に現生人類が他の種族を滅ぼしつくしていたかどうか。
森林の中などでアウストラロピテクス属も細々と生きていたかもしれない。
その化石が見つかるかどうかはわからないが。
118 :
名無しのひみつ:2010/04/11(日) 10:10:23 ID:A5NJGCCl
>マックス・プランク進化人類学研究所
研究所名がかっこいい
>>116 人類の10万年史?では
インド大陸の東西で遺伝的分断がある
その原因としてトバを推定してたよ。
でも、貿易風でそっちにいくんかなぁ。
>>118 人の名前だよ。
その研究所はホビットのDNAを勝手に持ち出して
モーウッド達に猛抗議を受けてたぞw
>>119 >>113のモーウッドの説明ではトバの噴出物はなぜか西に流れたという。
「トバ山の噴火に関しては、火山灰のほとんどは西のインド方面へ飛ばされ、少しは
北のマレーシアや南シナ海へ行ったようです。リアン・ブアの層位からはではトバの
火山灰と識別できるものは見つかっていません。しかしほかの火山の噴出物はたくさん
あり、その一つは1万7000年前ごろのもので、ホビットとステゴドンの絶滅に関係していると
思われます」
この火山灰は『ホモ・フロレシエンシス』(NHKブックス)では1万2000年前とあったが
(邦訳下巻45ページ)、再測定で年代が変わったのかどうか。
赤道付近では東から西に気流が流れてるのが普通じゃないかな?
中緯度地帯で西から東に気流が流れてるのが普通なことの裏返しで。
それとさ5万年前位までは様々な人類がいたらしいてのは
暗に現代人の祖先がアフリカをでたらそれらを駆逐(あるいは殺戮)したてことかな?
違う人類を殺すのに抵抗もなく、長けていたタイプの人類だけが生き残り現代人はその子孫て思うのは嫌だけど
嫌とかそういう問題じゃないんだよな。
>>121 そうだった。貿易風が東から西へ吹いているんだった。
5万年前にいろんな人類がいて今はいないと書いたのは、必ずしも現生人類が
それらを殺戮して絶滅したという意味ではなく、同じニッチ(主として平地で
狩猟採集を行う)では優秀な技術を持つ現生人類が優位に立ち、他の種は次第に
隅に追いやられて減っていったのだろうと思う。
フローレス島のエブ・ゴゴの話がホモ・フローレシエンシスの骨とよく合うことから
みれば、この島では共存期間が長かったのかもしれない。
しかし最後に見られたのが19世紀だとすると、今もいる可能性は小さいだろう。
もっとも北米のビッグフットやモンゴルのアルマスなど、現在でも直立歩行する
人間型生物がいるという報告も絶えない。
これらについては、もし捕獲されたり死体が見つかったりすれば科学者も信じる
だろうし、今でもその存在を認める人類学者もいる(故グローバー・クランツなど)。
ただもし複数種が現存するとしてもそのすべてが絶滅危惧種であることは間違いない。
>>120-121 風が北東から吹くのはしってるんだけど
インド大陸を直撃するコースなのかについては
自信無かったんだよね。
インドに火山灰の層があって
それがトバのものだということは
知識としては分かってる。
あとインドで見つかったカタストロフ中の生活跡ってどうなったか知ってますか?
>>125 それです。
あと気になってるのはアダムとイヴの年齢差なんですけど
ボトルネックをアダムの誕生日と勘違いする可能性ってあるのでしょうか?
>>126 Y染色体アダム説には詳しくないんですが、トバ噴火で人口が減ったという説でも
そこまで減ったとは考えていないんじゃないかと。
ホビットはどこからどうやってフローレス島に渡ったのだろうか。
流木の上に乗ったりして漂着したとすると、海流の向きからスラウェシ島が一番の
候補地だという説がある。
しかしスラウェシもウォレス線の東なので、ボルネオとの間は氷河期でも海だった。
だからフローレスに行くには2度海を渡る必要がある。もしチモールまで渡ったなら
3度だ。
筏を造ったという説もあるが、100万年前に筏を造るほどの知能がある種族がいたら
そのころに世界を制圧していたろう。現生人類の出る幕はなかったのではないか。
まあしかし筏を造れない象のステゴドンもフローレス島に渡っているのを見れば、
あまり気にする必要もないのかもしれないが。
129 :
名無しのひみつ:2010/04/14(水) 00:17:26 ID:Mz/B25oC
確かに象も泳げるからねえ
>>128 洪水の時に流された木にたまたましがみついていたんだろうね。
一年に一度、洪水があるとすれば、10万年の間には、
10万回そんな機会があったのだろう。
ハワイやイースター島ならまだしも、あれほどの島が多い
海域なのだから、偶然の可能性はあるのでは?
普通にマレーシア、ジャカルタ経由でしょ。
スラウェシにリングが見つかってるならともかく。
スンダランドの一部だったボルネオ島には遺跡は無いのかな?
デュボアがジャワ原人発掘したジャワ島にしろ
ホビットのフローレス島にしろ、大スンダ列島なわけだけど
ホモ・エレクトゥスはスンダランド全域に広がっていた可能性
があるから、広大なボルネオ島から何か出てくるような
気もするんだけど。
この地域はまだまだ調査が足りないよな
>>131 ジャワ島から東へ向かうと、島々の間を南へ流れる強い海流に押し流されて
インド洋に押し出されてしまう(モーウッド他『ホモ・フロレシエンシス』
邦訳下巻91ページ)。
そこで海流のままに漂っていけるスラウェシ起点という説が出るわけ。
>>132 ボルネオではニア洞窟というのがあって、4mの深さまで発掘されたが
(5万年分ほど)、堆積物の深さは数十mあるという(同書下巻176ページ)。
津波というのは考えられるかもしれない。一度に何十人も沖へさらわれる
ことがありうるし、流木も多いはずだから、泳ぎが上手で運がよければ
同じ島にまとまった数が漂着することもないとはいえない。
その場合、海流に沿っている必要があるが。
大陸の形風系海流は4氷河期と後氷期では比較ができない。
136 :
名無しのひみつ:2010/04/17(土) 18:32:00 ID:Ph8QxnRM
しかし、ホモエレクトスってしぶといな。
分布域は現生人類に負けるけど、
生息していた期間は百数十万年だもんな。
現生人類なんて解剖学的ホモサピエンスの時代
も含めたって二十万年程度だからね。
あと百万年も現生人類が繁栄できるかといったら疑問。
137 :
名無しのひみつ:2010/04/17(土) 18:39:55 ID:1jiahJ6I
全部白人が全滅させたんだろ。
>>136 範囲が広いから白人、黒人いたんだろうなぁ。
逆にエスキモーとかの中途半端なのは
時間軸的に存在しないんじゃ。
139 :
名無しのひみつ:2010/04/17(土) 20:41:31 ID:Ppbtdk/s
>>1 ネアンデタール人にしても新たに発見された古代人類にしても我らが祖先の新人類が喰ってしまったんだろ?
ボノボは人間に近いというか同じらしい。しかし絶滅の危機だ。理由は土人が喰ってるからだ。
ニホンザルも昔は猟師が捕ってた。だから山奥にわずかに生きていたのがだ、天然記念物にしたために里で
大暴れだ。今や人間の大敵だ。人類の歴史をいい加減な知識でいじっちゃいかん。誰かニホンザルを喰って
くれ。
最後は猿害相談か
141 :
名無しのひみつ:2010/04/18(日) 13:18:50 ID:45pvqB2S
>>139 ニホンザルは特定地域のみで天然記念物になっているだけなんだがな。
で、人類の歴史をいい加減な知識でいじっちゃいかんって言ってるが
これってサル狩りを全面肯定しているのか?
じゃあボノボが現地人に喰われて絶滅寸前って事も君的にはOKなんだよな。
142 :
名無しのひみつ:2010/04/18(日) 18:39:33 ID:s7sKN1qW
ボノボは貴重だ。子どもを背負って二足歩行もするそうだ。原始人類と同じだろう。生態を詳しく知りたい。
しかし土人はずっとボノボを喰って生きてきたのだ。ボノボを残すためには土人の生活保護をしなければ
ならん。その費用はどうするの? ボノボが絶滅したとしても仕方がないことだ。
北限のニホンザルは天然記念物だ。地域の人たちが被害にたまりかねて凶暴な猿の駆除を嘆願したら
君らは人間を殺せとメールなどを送りつけ、駆除ができなかった。君らはボノボの保護運動に立ち上げって
くれ。資金も気力もあるのだから。
143 :
名無しのひみつ:2010/04/18(日) 21:51:09 ID:45pvqB2S
だからボノボが絶滅しても仕方ないと言いつつ
保護運動をしろって何が言いたいんだよ
大体ニホンザルの件もどっかの平和ボケしたジジババか
偽善者ぶった動物愛好家が反対したんだろうし
そもそも土人って単語を今時使うなよな
>>143 今どきはなんていうの?
マッドマンとかかっこいいな。
145 :
名無しのひみつ:2010/04/18(日) 23:16:29 ID:DThIzoFv
人類がチンパンジーとの共通祖先から分かれたのが
700万年から500万年くらい前。
ボノボはチンパンジーと百数十万年前に分かれた。
だから遺伝子的には人間よりもチンパンジーにずっと
近いんだよ。
146 :
名無しのひみつ:2010/04/19(月) 02:26:28 ID:xPlvbHeb
ボノボの件は遺伝的な距離の話じゃなくて
チンパンジーよりもっとサピエンス寄りの進化を遂げたって
事を言ってるんだろ。
進化って言い方は不適切かもしれんが、行動とか生態とかが
現存する種の中で最も現サピエンスに近いって事でしょ。
147 :
名無しのひみつ:2010/04/19(月) 13:01:23 ID:xzbnWpz3
そういえば日本や台湾には猿がいるのに
ユーラシア大陸の温帯域に猿がいないのはおかしいな。
148 :
名無しのひみつ:2010/04/19(月) 13:02:10 ID:xzbnWpz3
ごめんなさいいることはいる。
でもね。
て感じだった。
>>139 >ネアンデタール人にしても新たに発見された古代人類にしても我らが祖先の新人類が喰ってしまったんだろ?
物的証拠は見つかってない
ニッチが同じなので後から出てきた祖先の新人類の方が狩がうまくて
喰うものが無くなっていく
=>新人類のいない地域へ移動またはそうせざるを得ない圧迫を受ける
=>それが繰り返されるうちに良く似た隣人はいなくなっていた
って考える方が自然だろ
日本に入ってきてた大陸産のイタチやキジが問題になってるが
やつらが日本の固有種を食い殺しながら勢力拡大してるとでも思ってるの?w
>>148 ニホンザルと近縁のマカク類の分布見ると日本以外では華南が北限なんだよね。
気温だけなら青森まで行けたグループなのにってのをみると大陸側は植生とかが関係したんだろうか。
降水量とかが結構違うんだよね、そこの辺で。
福建あたりのアカゲザルからタイワンザルが分化してそこからニホンザルが分化してるようだから、
沖縄が地続きのころに南から日本に侵入したんだろうけど沖縄では絶滅してしまったんだろうか。
151 :
名無しのひみつ:2010/04/19(月) 16:25:33 ID:Xu4kRaB1
北京原人の時代には北京北西の周口店でも絶滅種のマカクが居たらしいね。
竜骨山から化石が出る。 他にもキリン、犀、アンテロープ、ハイエナ、ライオン等
の化石が出るから温暖だったんだろうな。
>>151 それどころか殷の時代さえ黄河流域は草木が茂っていて
象やサイがいた
龍のモデルと考えられているマチカネワニのような巨大鰐も
いただろう
153 :
名無しのひみつ:2010/04/19(月) 21:10:03 ID:xPlvbHeb
>>139 生き残る為の先人達から受け継がれる知識や知恵などが
現生人類の祖先の方が僅かにネアンデルタールより勝っていた。
それが数千〜数万年の時間の中で明確な繁殖数の差となって表れ
一方が絶滅したと考えるのが自然だと思うが。
研究の結果ネアンデルタールは成人になるスピードがクロマニョンより
3〜4年早かったという事が分かっている。
これはお互いにもし運よく長寿を全う出来たとしても、10年近い寿命差
が出てくる。長生きした方が色々な経験を積んできている訳だから
後人達に伝える知識の情報量も当然多く洗練されている筈だろうしね。
一世代毎に現生人類祖先が0.5%数を増やし、クロマニョンが0.5%数を減らしたと
仮定して1万6千年経過したとしたら
・現生人類祖先1000人が
20年1世代の800世代 1000人X1.005の800乗=54万567人
・クロマニョン1000人が
16年1世代の1000世代 1000人X0.995の1000乗=6.7人
実際は急激な気候変動による獲物の減少などの諸々の不測の事態で
増減を繰り返していただろうから、こんな単純な図式にならないのだけど
改めてこうして計算してみると、ほんの僅かな差でも世代を積み重なれば
膨大な数の差となって表れるのが理解出来ると思う。
>研究の結果ネアンデルタールは成人になるスピードがクロマニョンより
>3〜4年早かったという事が分かっている。
これは後になって別に現生人類と比べて大差なかったという話に落ち着いたと思ったが
ネアンデルタール人は今もいるという説があるが、その中でもコーカサスのザナの話は
有名で、ロシアの研究者が調査している。下記はモスクワのダーウィン博物館の
ドミトリ・バヤノフが書いたもので、話の種にどうぞ。
http://www.bigfootencounters.com/articles/zana.htm 骸骨はまだ地中に、頭蓋骨は地上に ザナの物語
イーゴリ・ボウルツェフ
ドミトリ・バヤノフ「ロシアの雪男の足跡」より
西部コーカサスのアブハジアでは、遺存種のヒト科生物はアブナウアユと呼ばれている。
ボリス・ポルシネフの同僚で動物学者のアレクサンドル・マシュコフツェフ教授は1962年に
報告を集めているとき、ザナの話を聞いて研究した。その後ポルシネフは死んだ仲間の
あとを継いで、彼が残したものを研究した。以下の情報はポルシネフの著作『穴居人の
探求』からのものである。
ザナは女のアブナウアユで、捕らえられて人に馴れ、調査の時点ではまだ多くの人の
記憶にある間に生きて死んだ。彼女はアブハジアのオチャムチリ地区のツヒナ村に
1880年代か1890年代に埋葬された。
捕らえられた状況はよくわかっていない。偶然の捕獲ではなかったという人もいる。
昔からの技法に慣れた猟師たちが彼女を縛りあげ、彼女が怒って抵抗すると棍棒で殴り、
フェルトで猿ぐつわをかませ、脚を丸太に縛りつけた。領主のD.M.アチバ公の所有になった
ときまでに、おそらく何度か売られて持ち主を変えていたのだろう。アチバはザーダン
地方の名目的領主だった。彼女はチェロクアというアチバの家臣の一人のものとなり、
その後エジ・ゲナバという貴族がこの地を訪れたとき贈り物にされた。ゲナバは彼女を
まだ足枷と鎖がついたまま、スフミから78km離れたモクヴァ川沿いにある地所のツヒナ村に
連れて行った。(つづく)
はじめゲナバは彼女をきわめて頑丈に作った囲いに入れた。獣のように振る舞ったので、
誰も囲いの中に入って食物を与えようとはしなかった。食物は囲いに投げ込まれた。
彼女は地面に穴を掘ってその中で眠り、最初の3年間はこの野生の状態で暮らしたが、
次第に人に馴れてきた。3年後、彼女は家の近くにある雨よけのついた垣根の中に移った。
最初は鎖をつけられていたが、そのうち鎖を外され、あたりを歩き回れるようになった。
しかし彼女は食物をもらえるところから遠くへ行こうとはしなかった。彼女は暖かい部屋には
耐えられず、一年中どんな天気のときも、雨よけの下の地面に自分で掘った穴の中で寝た。
村人は棒切れを垣根に突っ込んでからかった。彼女は怒ってそれをつかみ、歯をむき出して
うなった。
彼女の皮膚は黒または濃い灰色で、全身は赤黒い毛で覆われていた。頭髪は乱れて
量が多く、たてがみのように背中に垂れていた。
彼女は喋れなかった。人間たちと一緒に何十年も暮らしたが、ザナはアブハズ語の
1単語も覚えなかった。ただわけのわからない音やつぶやきをしたり、いらいらしたときに
叫んだりするだけだった。しかし自分の名前を呼ばれると反応し、主人が命令したことを
行い、主人が大声で叱るとおびえた。
それにもかかわらず彼女は非常に背が高くてがっしりとし、肩幅が広く、乳も尻も
巨大だった。腕と脚には筋肉があり、手の指は人間のより長く太かった。足の指を広げ、
足の拇指を他の指から離すことができた。(つづく)
ザナを憶えていた人からマシュコフツェフとポルシネフが得た描写では、彼女の顔は
恐ろしかった。幅が広くて頬骨が高く、鼻は平たく穴が広がっていた。動物の鼻面のような
顎、広い口に大きな歯、低い額、眼は赤みがかっていた。しかし一番恐ろしかったのは
表情が純粋に動物的で、人間的ではなかったことだった。ときどき笑い出し、大きな白い歯を
むき出した。歯は非常に強かったので、最も堅いクルミでもたやすく噛み割ることができた。
彼女は長年の間変化を見せなかった。髪が白くならず歯も抜けず、力が強く元気だった。
その運動能力は驚異的だった。走って馬を追い越し、モクヴァ川が激流で逆巻いていても
泳いで渡ることができた。80キロの小麦粉の袋を片手で持って水車小屋から村まで
苦もなく運び上げるように見えた。彼女は木に登って果物を取り、その木のまわりで
手が届くところにあるブドウも取って満腹になった。挽き割りトウモロコシでも肉でも何でも
与えれば手づかみで食い、すごい大食だった。ワインが大好きで、いくらでも飲ませて
もらえたので、そのあとは気絶したように何時間も眠った。
彼女は涼しい池の岸でバッファローと並んで寝そべるのが好きだった。夜にはまわりの
丘をうろついた。犬に出会ったりして危険なときは大きな棒を振り回した。石と石とを
打ち合わせて割るという興味深い遊びが大好きだった。
一年中泳ぎ、冬でも裸で歩くのを好んだ。着物をやってもずたずたに裂いてしまった。
しかし腰布はほかの着物より我慢していた。彼女はときどき家の中に入ってきたが、
家の女たちは怖がり、彼女が穏やかな気分のときしか近づかなかった。怒っているときは
恐ろしく見えるし、噛みつくこともあったからだ。だが主人のエジ・ゲナバのいいつけは
きいたし、ゲナバはどうすれば彼女がいうことをきくか心得ていた。大人は彼女のことを
子供を脅すためのお化けのように使っていたが、ザナが本当に子供を攻撃したことは
決してなかった。(つづく)
彼女は簡単な家事をするようにしつけられた。小麦を粉にひいたり、薪や水を家まで
運んだり、袋を水車小屋から運んだり持っていったり、主人の長靴を脱がせたりする
ようなことだ。
だが彼女は人間の子供の母になったのだった。これが彼女の一生の不思議なところで、
遺伝学的にも非常に重要なところだ。ザナはいろいろな男によって何度か妊娠し、
手助けなしで子を産んだが、いつも産まれたばかりの赤ん坊を冷たい泉で洗おうとした。
混血の赤ん坊はそういう産湯に耐えられずに死んでしまった。
そこで、そのあとザナが子を産むと村人は頃合いを見て赤ちゃんを連れ去り、自分たちで
育てるようになった。こういうことが4回あり、子供の2人は男、2人は女だったが、人間として
育ち、完全に成長して言葉もしゃべれるし理性もある普通の男女になった。彼らが不思議な
身体的・精神的な特徴を持っていたのは事実であるが、仕事や社会生活を営む能力は
完全にあった。
長男はジャンダ、長女はコジャナルといった。次女はガマサといい、次男はフウィットと
いったが、次男は1954年に死んだ。みな自分の子をもうけ、子供たちはアブハジア中に
散っていった。
ガマサとフウィットの父親はエジ・ゲナバ本人だという噂があったが、戸口調査では彼らは
それぞれ別の名字(surname)を持ち、姓(family-name)はサベキアといった。重要なのは
ザナがゲナバ家の一族墓地に葬られたことと、ザナの下の2人の子がゲナバの妻に
育てられたことである。(つづく)
ガマサとフウィットは2人とも力が強く、色が黒かったが、ザナの顔立ちの特徴はほとんど
受け継がなかった。父親から継いだ人間的特徴が支配的で、母親からの遺伝を圧倒して
いた。フウィットは65歳か70歳ぐらいで死んだが、村の仲間からは普通の人間とほとんど
違わなかったと描写されている。ただある種の小さな違いはあった。彼は非常に強く、
扱いづらい人物で、喧嘩っ早かった。実際、同じ村の者と何度も争ったのでついに
右手を失ったのだ。しかし左手だけでも集団農場で草刈りなどの仕事ができたし、
木に登ることさえできた。年を取ってから彼はツヴァルチェリの町に移り、最後はそこで
死んだが、遺体はツヒナ村に運ばれて葬られた。
ザナの事件の次の段階は、その墓と遺骨を見つけようとする試みで幕を開ける。
ここに記すのはボリス・ポルシネフがこの方向の最初の努力について書いたものである。
1964年9月、考古学者のV.S.オレルキンと私はザナの墓を発見する最初の試みを行った。
共同墓地には草が生い茂り、丘の斜面に一面に広がる蕨の中に、10年しかたっていない
フウィットの塚だけがわかるような状態だった。それ以後は誰もここに葬られていなかった。
ザナの墓もこの近くに違いない。私たちは年取った住民や、ゲナバ家最後の子孫で
79歳になるケントン氏に尋ねた。彼はザクロの木の下を掘ったらいいとはっきり教えて
くれた。そこで見つかったのは早世したザナの孫の1人の遺骨だった。その頭蓋骨から
復元した顔立ちは、私が自分で面会したザナの現存する2人の孫にきわめてよく
似ていたからである。
それから2度調査旅行をしたが、調査団はザナの骨を発見できなかった。1965年10月の
3度目の調査で、彼らはおそらくガマサの骨だろうと思われるものを発見した。それは
この骨がわずかだが明確な古人類的特徴を持っていたからである。(つづく)
ポルシネフの没後、調査を続けるのは私の役目になった。私はザナの遺骨を探すために
アブハジアへ3度の調査旅行を率いていった。1971年、1975年、1978年だが、それぞれ
収穫があった。難しいのはそのころになるとゲナバ家の最後の子孫も亡くなっており、
ザナの墓がどこか誰も正確なことは知らなかったことである。私たちが丘を掘り返したのは
大変な回数で、ほとんど毎日土砂降りの雨があるのに、ねばねばする粘土を掘ったのだ。
私は医者にも診断のつかない重い病気になった。目撃者が描写するザナの特徴に合う
遺骨を見つけることはできなかった。
そこでザナの下の息子フウィットの頭蓋骨を掘り出すことが決定された。その墓はまだ
特定できたからである。N. ブールチャク・アブラモヴィッチ教授が発掘に助力してくれた。
私はモスクワに頭蓋骨を運び、2人の自然人類学者M.A.コロディーヴァとM.M.ゲラシモヴァが
これを調査した。その結果はヒト科遺存種調査セミナーとモスクワ自然主義者協会で
私に報告され、1987年に出版された。
(写真)
発掘されたザナの息子フウィットの頭蓋骨は現代的な特徴と古代的な特徴の組合せを
示し、人類学者の非常な興味を惹いた
(記事の最下部にあるザナの息子の追加写真を参照)
(つづく)
161 :
名無しのひみつ:2010/04/23(金) 20:30:52 ID:e6tGJ82U
人類学者のM.A.コロディーヴァがフウィットの頭蓋骨をモスクワ大学の人類学研究所の
コレクションにあるアブハジアの男性頭蓋骨と比較すると、フウィットの頭蓋骨には明確な
違いがあった。ツヒナ頭蓋骨について彼女は述べている。
.
ツヒナ頭蓋骨は現代的な特徴と古代的な特徴の独特な組合せを示している。…頭蓋骨の
顔面部はアブハジア型の平均に比べて顕著に大きい。…眼窩上の頭蓋の輪郭のすべての
計測値と指標はアブハジア系列の平均より大きいだけでなく、研究されている数点の
化石人骨の最大値よりも大きい(むしろ後者と比較するのがよい)。ツヒナ頭蓋骨は化石の
新石器時代ヴォヴニジII頭蓋骨にもっとも近接している。
つまるところザナ事件の最低線は次のようなことである。私たちはザナの独特な性質に
ついての目撃者の言葉しか持っていない。だが、彼女の息子の頭蓋骨の確かで特徴的な
証拠から、これらの証言をさらに固め、信頼できるようにする上で大きな進展がみられた。
本文:ドミトリ・バヤノフ『ロシアの雪男の足跡』(1996、モスクワ、ロシア:クリプトロゴス
pp. 46-52)
ザナの息子の追加写真 出典不明:
(写真)
(おわり)
これを訳した者ですが、ネアンデルタール人がこういうものだとすると
現生人類との通婚が少なかったのは無理もないかな、とも思えます。
ザナが人間の子を産んだのは、他のサイトによるとワインに酔いつぶれた
ところを犯されたという話があるとのこと。
ザナは女だったのでmtDNAは子供に受け継がれたでしょう。息子の頭蓋骨が
残っているなら、そのDNAを調べれば本当にネアンデルタール人だったか
どうかがわかると思うが、それをやったという話が聞こえないのがこの種の
物語の落ちなのかもしれません。
しかし話は詳細で、事実ではないかという気はしています。
163 :
名無しのひみつ:2010/04/23(金) 20:42:48 ID:tHLJpuwE
164 :
162:2010/04/24(土) 09:17:06 ID:YHH9MZiW
ザナのDNAの件ですが、その後ニューヨークでザナの息子の頭蓋骨のCTスキャンデータと
歯のDNAが調べられ、人間だという結論が出たとのこと。
息子の頭蓋骨はグローバー・クランツも調べており、ネアンデルタール人の
特徴はないと判断した。
息子の墓の近くでその後発掘された女の頭蓋骨(ザナのともいわれる)も同時に
調査され、これもDNAは人間で、息子のと同型なので血縁者だと判明。
ザナ?の頭蓋骨は普通の人間のと変わっているが、現生人類の範囲に収まる。
おそらく先天性の異常があり、異所発毛症などのため捨てられた人間が
野生化したのではないかというのがこのサイトの結論でした。
http://www.squatchopedia.com/index.php/Zana
165 :
名無しのひみつ:2010/05/09(日) 05:02:59 ID:O9MjiGU7
この話は面白い。
あげ
166 :
名無しのひみつ:
朝鮮人が鍋にして食ったんだろうな・・・・・。