【地学】「室町時代の大津波伝説」 その痕跡かもしれない「砂の層」を発見/宮崎 気仙沼・大島

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1依頼15-200@白夜φ ★
◇「室町時代の大津波」裏付け? 気仙沼・大島で“痕跡”発見

宮城県気仙沼市の大島に残る「室町時代の大津波伝説」について、
その痕跡かもしれない「砂の層」を、同市を訪れた研究者が地質調査で見つけた。
仮に史実であれば、津波の記録が残されていない平安前期から江戸初期まで約750年の間に
発生していたことになり、三陸地方の津波周期の研究などに一石を投じる可能性もある。

調査したのは気仙沼市で11月開かれた「全国鳴砂サミットIN気仙沼」に参加するため来訪した
大阪市立大大学院の原口強・准教授。サミット前に島内数カ所でボーリング調査をした。
その結果、田中浜近くの地中に砂の層を発見した。

地元で独自に津波伝説の研究を続ける元高校長の白幡勝美同市教育長が、
近く学会で発表の準備を進めていることを知った原口准教授が地質調査を発案。
砂の層の存在を確かめ「詳しくは分からないが、津波が通った痕跡の可能性はある」と話した。

伝説によると、大島東岸に押し寄せた津波は低地を選びながら西岸まで到達した。
津波の通り道となった田中浜―浦の浜、小田ノ浜―浅根のラインで島が三つに分断されたとされている。

白幡教育長は小田ノ浜に残る津波の碑や大正期発刊の「大島村誌」などを基に研究を進めている。
島内での聞き取りで、外畑地区の「竹の下」という地名に「津波のときにタイが神社の杉に引っかかった」
との言い伝えがあることも分かり、「鯛(たい)の下」が由来とみている。
杉の切り株は数十年前まで実在したという。

「合柄(がっから)」という屋号の家も近くにあり
「津波で大量のカキ殻が打ち上げられた場所ではないか」と白幡教育長は推量している。

三陸沿岸では文献によって貞観の大津波(869年)や慶長の大津波(1611年)などが
知られているが、その間は文献に大津波の記録がない。

2009年12月03日木曜日

▽記事引用元
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/12/20091203t15035.htm
河北新報社(http://www.kahoku.co.jp/

砂の層の発見場所
http://www.kahoku.co.jp/img/news/200912/091203_osima_tunami_01k.jpg

※ご依頼いただきました。
2名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:30:13 ID:Lf1KsHZs
宮崎?
3名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:31:43 ID:bEOUmJfJ
宮崎?
4名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:33:44 ID:ALdyfA48
依頼15-200@白夜φ ★
宮城と宮崎の区別がつかないバカか?
5名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:37:21 ID:ZcluBar/
わざと間違ったろw
6白夜φ ★:2009/12/03(木) 22:38:12 ID:???
ごめんなさい。スレタイの訂正です。

誤:【地学】「室町時代の大津波伝説」 その痕跡かもしれない「砂の層」を発見/宮崎 気仙沼・大島
正:【地学】「室町時代の大津波伝説」 その痕跡かもしれない「砂の層」を発見/宮城 気仙沼・大島
7名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:47:19 ID:wzimfKsn
ブラタモリで、ブラっとすべき場所だな
8名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:51:02 ID:Z6rbe831
気仙沼のは有名だよね
9名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:52:01 ID:VXU3BLnN
そう言えば、気仙沼ちゃんてどうなってるの?
10名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:55:42 ID:SE2dVPaF
ボウリング調査
11名無しのひみつ:2009/12/03(木) 23:00:57 ID:yMq3tKkM
>地元で独自に津波伝説の研究を続ける元高校長の白幡勝美同市教育長が、
近く学会で発表の準備を進めていることを知った原口准教授が地質調査を発案。

この記事を書いた奴が小学生レベルの作文力だということは理解できた。
12名無しのひみつ:2009/12/03(木) 23:05:25 ID:O9vg0Sk2
500年程度なら口承でも案外正確に史実が伝えられるんだな
13名無しのひみつ:2009/12/03(木) 23:06:17 ID:XkVJPOa6
分断!分断!
14名無しのひみつ:2009/12/03(木) 23:06:45 ID:pwIJrbvD
>>9
気仙沼の民宿女将らしい
15名無しのひみつ:2009/12/03(木) 23:11:57 ID:5X26sQbz
>小田ノ浜に残る津波の碑や大正期発刊の「大島村誌」などを基に研究を進めている。

ここまではいいんだが。

>「竹の下」という地名に「津波のときにタイが神社の杉に引っかかった」
> との言い伝えがあることも分かり、「鯛(たい)の下」が由来とみている。

>「合柄(がっから)」という屋号の家も近くにあり
>「津波で大量のカキ殻が打ち上げられた場所ではないか」と白幡教育長は推量している。

この辺に危うさを感じてしまうのは俺だけか。日猶同祖論者に良くいる、
思い入れの余り日本語がみんなヘブライ語に聞こえてしまう先生を連想してしまうんだが。
16名無しのひみつ:2009/12/03(木) 23:18:06 ID:nTc25R6H
この伝承の事かな?
まんが日本昔ばなし 「みちびき地蔵」
ttp://www.youtube.com/watch?v=71AfncQGSis
17名無しのひみつ:2009/12/03(木) 23:29:04 ID:BEz9nnMi
ところで「安寿と厨子王」の説話は実話なのかな?
絵本じゃ当然そういう描写はなかったが
男の子と年増女の従者はともかく
ねえちゃんと母ちゃんはまちがいなく山椒大夫かその舎弟が
手篭めにしたんだろ
もとはといえば裕福な家の上物女房なんだし...と子供ながらに思ってた俺
だから大河ドラマの平将門のやつで
出自のいい娘さん役の吉永小百合が漂白の果てに
荒くれどもになぶりものにされて死んだ時にはショックだったなあ
18名無しのひみつ:2009/12/03(木) 23:42:20 ID:Zow8ybaM
実話じゃないが、そういう事は実際にあったんだろうな。
奴婢という制度があったという事は事実。
19名無しのひみつ:2009/12/04(金) 01:29:58 ID:yOixyCWq
お寺の過去帳とかを調べればなんかわからんのかな?( ・ω・)y─┛〜〜
20名無しのひみつ:2009/12/05(土) 05:16:32 ID:DLTVtd+G
>>15
資料が少ないから、とりあえず妄想で仮説を立てて研究を進めていくしかないんだろ。
21名無しのひみつ:2009/12/05(土) 05:39:26 ID:OnDhy2tf
語呂合わせで全て台なし
22名無しのひみつ
昔、詐欺師が「東日流外三郡誌」とかいう偽書を持ち出して、
「青森には昔すごい文明があったんだけど、津波で滅んじゃったんだよ」
と主張していたけど、こっちは大丈夫かな