【考古学】「卑弥呼、九州でしか成立しえない」近畿説を一蹴…佐賀女子短大・高島学長

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★「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 高島学長が講演

 「邪馬台国九州説」の佐賀女子短大、高島忠平学長(69)が29日、佐賀市のアバンセで講演し、
 勢いづく「近畿説」を時代・習俗に合わないと一蹴(いっしゅう)した上で、「卑弥呼という存在は
 北部九州でしか成立しえない」と持論を展開した。

 「邪馬台国論争最前線」をテーマに講演した高島学長は「(邪馬台国の)所在地を巡る論争は当時の
 国家の成立過程を検証する意義がある」とし、九州説、近畿説が持つ国家成立史観をそれぞれ紹介。
 近畿説は邪馬台国を大和朝廷の前身、九州説は数ある有力国の一つが邪馬台国ととらえていると述べた。

 その上で、「当時の鉄器や文物などの資料が豊富に出土される九州説の方が自然」などとし、逆に資料
 が貧弱な近畿説や九州から近畿に移ったとする「東遷説」は中央史観から逆算された説と批判した。
 さらに九州説の論拠として、重要資料と位置づける「魏志倭人伝」に、環濠集落の記述があることなど
 5つの材料を上げた。

 近畿説の新たな根拠として注目されている奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡の建物については、
 同時に見つかった鐙(あぶみ=乗馬の時に用いる足乗せ台)をポイントに挙げ、「騎馬兵が用いるもので、
 戦闘に馬を使ったのは邪馬台国より後の時代」と反論した。

 講演会は県内の2大学、3短大と放送大学佐賀学習センターでつくる「大学コンソーシアム佐賀」が主催。
 約百人が聴講した。

http://www.saga-s.co.jp/var/rev0/0102/2282/takashimasan.jpg
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1485053.article.html
2名無しのひみつ:2009/11/30(月) 00:58:32 ID:5w0vRrVy
卑弥呼という存在自体が成立しえない。
3名無しのひみつ:2009/11/30(月) 00:58:52 ID:jNZiXuyr
まきむくで決着
4名無しのひみつ:2009/11/30(月) 00:59:52 ID:zj5CleYl
長野のリニア問題と同じ匂いがするwww
5名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:05:34 ID:bVhdxQbj
邪馬台国が「一箇所」
卑弥呼が「1人」
と先入観を持ってる以上、真実には辿り着けない。
6名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:06:15 ID:X+MaNgYI
なんか必死やね。

   気持ちはわからんでもないが・・・・・・。


   
7名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:06:40 ID:EJfyl0NS
必死すぎて勝手にしろと思ってしまう
8名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:07:17 ID:HbU4xLed
簡単な話。

同時期の九州の遺跡と近畿の遺跡の規模を比べればいい。

小さな国が当時日本を統一してたとは考えられないから規模の大きいほうが邪馬台国。
9名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:07:23 ID:KhDje3/5
この論争に決着つけたら歴史ミステリーがひとつ減るから曖昧のまま日本がなくなるまでずっと論争しといてくれw
10名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:09:32 ID:gMBn2jsr
近畿だとなんか困っちゃうのかな?
11名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:09:33 ID:2hsLGMQZ
わしは『鉄』が鍵だとにらんでおる!!
12名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:09:57 ID:HXvNnZyu
どちらもはずれ
旅行日程から考えて大地震で海に沈んだ謎の大陸が正解
13名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:09:58 ID:0lxVlnIy
九州でしか成立しえない とかゆっといて
後ろの方で 九州説のが自然 とかかなり後退している
14名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:13:19 ID:Z62LNXB2
もう無駄な抵抗はやめとけよ
15名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:13:39 ID:DANMKMGF
とりあえず考古学者以外は黙ってよーな
16神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/30(月) 01:14:37 ID:JttM32Fc
邪馬台国は奈良県桜井市にある纏向遺跡です。国宝の「海部氏勘注系図」によると
卑弥呼は9世孫・日女命です。後継者の台与は11世孫・日女命です。
箸墓古墳の周濠から出土した「鐙」は堆積物の上部から見つかりました。
これを遺跡の撹乱と言います。つまり、高島とか言う学長はアホ・馬鹿です。
17名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:15:33 ID:5Yp8SaHY
卑弥呼まんじゅうとか卑弥呼携帯ストラップとかの売り上げがかかってるんだから九州も近畿も譲れない戦い。
18名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:19:23 ID:tFLVHdRV
住所不定 卑弥呼
19名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:20:17 ID:YU0M4oY0
じゃあ、オラは、卑弥呼Tシャツを販売するぞ。

え、先に販売してる奴、いるって
20名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:24:59 ID:cw1K03uW
まあ、金印が何処から出ればほぼ確定的な証拠となるけど、それまでは
延々と議論は続くでしょうな。
21名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:30:01 ID:Jj1DQlh+
何で人は自分に関わりのある地域(出身地、出身大学etc)に近い所を邪馬台国の場所と
思いたがるのであろうか?近畿出身だけど九州説支持とかっていう人は見ないよね?
22名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:30:20 ID:X+MaNgYI
金印の行方が分かれば決定的やね。

  しかし、この問題だけは、否定するには具体的な資料を突きつけないとね。

  気持だけでは・・・・・・・・・・・・・・意味ないし。
23名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:31:19 ID:H4h6bC3f

卑弥呼って何ですか? スナックのママ?
24名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:34:26 ID:z6VQHu4b
本当は、群馬県にあります
25名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:37:53 ID:D3vQyS7L
佐賀・吉野ヶ里必死すぎてバロスw

こんなんまで作っちゃいましたw

吉野ヶ里遺跡公園
http://morimori.txt-nifty.com/kyusyu/yoshinogari/yng_10.jpg
26名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:38:40 ID:n+Pp1kEM
実はこの人、近畿説派なんだよな。
でも、恩師から『おまえは九州説を立てろ』っていわれて、
仕方なく九州説派って言ってた
27名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:46:12 ID:D3vQyS7L
纒向遺跡から日本中の特徴のある土器が出土してるって事を考えると、
当時、各地の遺跡の間で何らかの交易(流通手段)があったんだろうな。

九州が地理的に中国と近いから邪馬台国は九州にあったって言うのはあんまり意味無いね。

同じ時代に日本に吉野ヶ里以上の栄えた都市が無かったなら九州説もありえるかもしれんが、
吉野ヶ里程度の街は、日本中にあったんじゃないのかな?
28名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:53:53 ID:kKY+6hZn
間違いないのは、北海道9区ではないことだな
29名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:57:04 ID:t7o7VM+I
30名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:59:28 ID:xJbxJm2F
>>20>>22
封泥が出れば決定的。
31名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:11:31 ID:pJIYX0T8
AV?
32名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:13:34 ID:FLh1dP7b
で、どっちがきのこの里?
33名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:27:17 ID:C30qjy3X
なんだかんだ言って島根辺りにあったんだろ?
34名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:38:10 ID:LRQmhkuN
奴国王の金印が九州からでてるのに、物証を無視して奈良にするって無茶苦茶だと思った
35名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:38:46 ID:juHfzBfP
>>1
そもそも、魏志倭人伝に記載された邪馬台は、日本名の“ヤマト”を中国風に記述したもの。

ヤマトは、もともと盆地の奥にある土地「山戸」の意味であるから、
それに該当するのは、奈良盆地にある近畿説しか考えられないだろう。
36名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:43:16 ID:DZfWVPMc
気候的に九州な気もしなくもないが…
台風の被害を考えると近畿側のが安定しそうだなぁ。

平城京とか近畿だったよね?
都がポコポコ移るとも思えないし、やっぱ近畿なんじゃねーかなぁ。
まぁ、どっちでもいいけどさ
37名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:44:00 ID:bAAfFT/9
>>35
呼び名で一致するからうちのもんだって理論はチョンが大好きだが

俺はどっちでも良いんだがな
おまえの証明の仕方はキモい
38名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:44:49 ID:xJbxJm2F
>>34
それが何の証明になるのか説明してみ
39名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:45:58 ID:juHfzBfP
>>37
オイオイ、キモいのはいいがな、
言いたいことがあるなら、理屈を言って見ろよw

オメエはただの低能か?
40名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:47:22 ID:ZjdRm+AN
金印の出土は難しそうだな。
邪馬台国は晋とも付き合いがあるから、魏の金印は返却したって話もあるからなあ。

魏志倭人伝の記述なんてあまり当てにしちゃいけないと思うのだが。
あえて畿内説の俺の説をでっち上げるなら
行程の後半、日数表記になってる部分は魏人が計った物ではなく、倭人からの伝聞。
北九州に迎賓館があるから、その先に行けなかったのだろう。
また最後の陸行一月は一日の誤植。日本列島で一月も歩くことなどあり得ない。
一日ととらえると、畿内がぴったりくる。
東と南の食い違いは、倭人は天文に詳しくないので方向を間違えていたか
あるいは君子は南面するとの考えから、あえて南方をでっち上げたか。
41名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:48:51 ID:/yexZQw9
魏が海の向こうの国と同盟を結ぼうとするのを蜀が黙ってみているわけがない
どう考えても孔明の罠
42名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:49:32 ID:LRQmhkuN
ヤマトは九州にもありますよ。ヤマト、ヤメなど似たような地名もある。大和の漢字は知ってのとおり
当て字で、正確には山戸。川戸、水戸と同じ形態の地名で、戸は周辺を表す接尾語。日本中どこに、ヤ
マトの地名があったっておかしくないよ
43名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:50:11 ID:i6yfSTzp
一応言っておくけど九州説を支持している学者は一割いないよ。

この人がまともではないだけ。
こういう人がいてもいいけど、知らない人がこういう変人の説明を信じてしまうのも困りものだ。
高島さんも困った人だ

44名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:50:34 ID:xJbxJm2F
>>42
何の証明にもならないねw
45名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:51:48 ID:0oPCr24I
そうやって過去の栄光にすがってるから山口と九州は没落したんだよ
46名無しのひみつ:2009/11/30(月) 02:54:59 ID:juHfzBfP
>>42
盆地は奈良だけじゃねえから、山戸が日本中にあったって不思議じゃねえがな。
しかし、今は九州と近畿の比較を考えるのみ。

どちらに盆地があるかはオメエにも分かろう?
47名無しのひみつ:2009/11/30(月) 03:23:18 ID:DANMKMGF
地名の由来で確定するなら、考古学いらねーんだよ ド低脳
48名無しのひみつ:2009/11/30(月) 03:52:17 ID:k/I4vak1
「邪馬台国はどこですか」によれば東北
49名無しのひみつ:2009/11/30(月) 04:43:06 ID:X4DSHSld
てかいまだに九州説を唱えてる学者は10%以下
50名無しのひみつ:2009/11/30(月) 04:48:13 ID:fiQxxAHs
埼玉県だろ
学会の常識だよ
51名無しのひみつ:2009/11/30(月) 04:58:26 ID:bAAfFT/9
10%だろうと1%だろうと
真実である方が正しい

真実の探求に多数決なんて無意味
52名無しのひみつ:2009/11/30(月) 05:00:36 ID:Ok9oQfXZ
ヒミコなんてイナイイナイ
53名無しのひみつ:2009/11/30(月) 05:02:15 ID:bAAfFT/9
>>39
似た地名なんて何の証明にもならないって暗に意味してるんだが
それを読みとれない低能はおまえだろ

チョンの学者と同レベル
54名無しのひみつ:2009/11/30(月) 05:23:57 ID:U2IYfAt3
いまどき九州説なんて唱えてる学者は現実が見れない人間だよ
なぜなら九州説には物証が何もないからw
実際に学会ではヤマタイ国はほぼ畿内でまとまってすでにどう大和朝廷に繋がったかを調べる段階だ
55名無しのひみつ:2009/11/30(月) 05:32:39 ID:Jq61dFc7
>2で終了
56名無しのひみつ:2009/11/30(月) 05:44:04 ID:GVFesBQR
>>1
涙拭けよw
57名無しのひみつ:2009/11/30(月) 06:11:44 ID:q08hWxrM
三国志に半島南が和国の北限と記されている
58名無しのひみつ:2009/11/30(月) 06:43:47 ID:NnW818/o
新説しかも最終的な結論をここに提示する。

邪馬台国に匹敵する勢力の強い国は近畿・九州の2カ所以上に存在した。
魏志倭人伝の作者はそのうちの一つの伝聞を著述したが存在場所は本人も
わからないほど不確かな情報であった。卑弥呼の存在は日本史のその後の
男系社会を考えても創作である。 以上 竹島女子短大学長
59名無しのひみつ:2009/11/30(月) 06:46:08 ID:2hsLGMQZ
卑弥呼は10代〜20代。または20代〜50代。恐らくは女性。
60 [―{}@{}@{}-] 名無しのひみつ:2009/11/30(月) 06:46:44 ID:B69RaXmk
>>27
縄文時代だって日本中、朝鮮、樺太と交易しまくってたからな。
61名無しのひみつ:2009/11/30(月) 07:26:55 ID:9Nz94hei
昔から首都がいろいろ移転してるし、邪馬台国も小刻みに移動してたんじゃね?
62名無しのひみつ:2009/11/30(月) 07:33:17 ID:FD0v9Q6K
卑弥呼って更迭ジーグの悪役だろ・・・・・
63名無しのひみつ:2009/11/30(月) 07:35:25 ID:VdY71Ids

高島忠平学長は歴史学会の田嶋陽子だな。卑弥呼論争を面白くさせる薬味だよ。
64名無しのひみつ:2009/11/30(月) 07:36:47 ID:fiQxxAHs
>>59
鋭い推理に脱糞しましたw
65名無しのひみつ:2009/11/30(月) 07:38:08 ID:Ok9oQfXZ
66名無しのひみつ:2009/11/30(月) 07:58:59 ID:QDejtfMS
きのこの山 対 たけのこの里 

レベルの論争だったりしてなw
67名無しのひみつ:2009/11/30(月) 08:08:43 ID:teqVOdRq
魏志倭人伝に記載されている倭人の使っていた道具などの遺物は、北部九州から
圧倒的に出土しているらしいが。決定的なものがどちらも  ?か。
68名無しのひみつ:2009/11/30(月) 08:17:20 ID:cw1K03uW
九州説が正しい。
神武東遷はやはりあったんで、
邪馬台国が奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡に遷都したんだよ。

奈良邪馬台国説だと日本国の統一政権が3世紀に出来ていたことになり
あまたの矛盾が出てくるぞ。

69名無しのひみつ:2009/11/30(月) 08:19:50 ID:ro//wnDp
九州贔屓をしたいのがわかるが、考古学者なら考古学者らしく
物理的根拠と証拠理論を掲示してから言え。
子供の喧嘩かよ、この学長バカ?
70名無しのひみつ:2009/11/30(月) 08:30:42 ID:KztDMvyY
まずはヤマトゥ・祭から始めようか・・
71名無しのひみつ:2009/11/30(月) 08:31:37 ID:WSj0oRl+
邪馬台国自体が架空の国なんじゃないかと言う気がしてきた。
72名無しのひみつ:2009/11/30(月) 08:36:03 ID:C0LiC+xG
全力で否定する歴史学者程、信憑性が低い

なんか戦中日本否定論者と同じにほひがする
73名無しのひみつ:2009/11/30(月) 08:58:22 ID:trLqjwGQ
三国時代、魏が倭国に興味を持ったのは軍事上の理由から。
魏の使節は倭国を実際に訪問していると考えるべきだろう。
当時近畿から九州まで統一する国家が存在したとは考えにくい。
九州以外の事は記述できなかったと思う。
74名無しのひみつ:2009/11/30(月) 09:22:59 ID:i6yfSTzp
九州説の人ってアホしかいないの?
75名無しのひみつ:2009/11/30(月) 09:25:17 ID:D3vQyS7L
九州だけが、特別に発展したって思い込みたいんだろうな。

吉野ヶ里遺跡公園
http://morimori.txt-nifty.com/kyusyu/yoshinogari/yng_10.jpg
こんなん作って必死に観光客呼ぼうとしてるw
でもこれって半島の民度と同じだろwww
76名無しのひみつ:2009/11/30(月) 09:48:15 ID:WZOZMNPy
弥生後期に西日本の統一国家あるいは連邦国家があったとして、何か問題があるのだろうか。
しばらく前に戦乱があったのは考古学的にもあきらかだし、戦乱があればやがて統一に向かうのは自然な流れだと思うけど。
77名無しのひみつ:2009/11/30(月) 09:51:02 ID:WZOZMNPy
>>75
吉野ヶ里が大規模集落なのは別におかしくないだろう。
当時は数万戸のクニがいくつかあったようだし、その一つってことで。
78名無しのひみつ:2009/11/30(月) 09:51:32 ID:/6y5dDOR
マルコ・ポーロの虚言癖
79名無しのひみつ:2009/11/30(月) 09:53:57 ID:kQn9ZEpA
まあ、佐賀何も無いし
邪馬台国くらいあげてもいいんじゃねwwwww
80名無しのひみつ:2009/11/30(月) 09:55:04 ID:EtoBHqXN
ヤッターマンで、ヤメタイ国のヒメコというのがあったから、
九州はそっちの方にしたらいい
81名無しのひみつ:2009/11/30(月) 09:56:56 ID:TVOgpO6V
ドMバカシマw
82名無しのひみつ:2009/11/30(月) 10:02:58 ID:eXdvBnO/
倭人伝によれば日本に上陸してから邪馬台国まで一月以上の道のりだから
これが九州説の泣き所だな。北九州にあったとすればどんな場所でも
1週間もあればいけるだろう。
83名無しのひみつ:2009/11/30(月) 10:03:31 ID:q08hWxrM
関東に日本王国があった
チョン猿並みの誇大妄想を発病したテレビ東京には勝てまい。
84名無しのひみつ:2009/11/30(月) 10:07:10 ID:P3B3JawD
青森の縄文時代三内丸山遺跡復元でも地元は六本柱跡を大神殿にしたがって学者と丁々発止
妥協した姿が今のやぐら組んだ中途半端な復元
考古学はどこも地元ナショナリズムが入ってきて大変
85名無しのひみつ:2009/11/30(月) 10:11:19 ID:W005b1wx
中世の中国や朝鮮が作った、東アジアの地図を見ると、九州が北、青森が南にあるんだが
ほんとマジで

南北が全く逆転してるわけじゃないが、/の角度のはずの日本列島が
\の角度で描かれてる

ということは魏志倭人伝当時の魏の使者はやっぱり大和地方へ行ったのでは?

86名無しのひみつ:2009/11/30(月) 10:23:21 ID:9gCsSknu
もっと直接的な証拠が出るまでは、何を言ってもいいと思うぞ
「邪馬台国は近畿だよ☆ 卑弥呼」とか書いてある物が出土すれば、すっきりするんだけどな
87名無しのひみつ:2009/11/30(月) 10:26:15 ID:Qk1lyCIZ
大陸と仲良しだったとか、当時の国々や人間が穏やかだったとか考える方がおかしい
大陸に近い場所に本丸を作るわけねーだろ
護り難く、簡単に攻められるじゃねーか 馬鹿野郎
九州には窓口的な藩を作ると考えるのが理に適ってるだろう
88名無しのひみつ:2009/11/30(月) 10:31:10 ID:+Rl4QhAk
もうこの人だけなんだよな。
89名無しのひみつ:2009/11/30(月) 10:36:48 ID:mlxGkbBQ
もう金印つくっちゃえよw
90名無しのひみつ:2009/11/30(月) 10:51:15 ID:+T131h+5
爺は頑固だから、自説を自分で否定はできないからなw

引っ込みがつかなくなっているw
91名無しのひみつ:2009/11/30(月) 10:53:53 ID:bYQeGSsJ
まあ、確定したら仕事無くなるしね。
92名無しのひみつ:2009/11/30(月) 10:53:54 ID:bYQeGSsJ
まあ、確定したら仕事無くなるしね。
93名無しのひみつ:2009/11/30(月) 12:14:05 ID:jF6p2jCW
奴みたいに金印が出てくればいいんだけどね。
94名無しのひみつ:2009/11/30(月) 12:23:42 ID:D5FkLv6/
歴史学者っていいよなー、なに言ってもお咎めなし
間違ったこと言ったら罰金せいにしたほうがいいな
95名無しのひみつ:2009/11/30(月) 12:29:54 ID:WSj0oRl+
個人的には邪馬台国=大和国で畿内説支持だけど、対論がないと他の地域の発掘調査が低調になって、
下手をすると貴重な遺跡が大規模開発などで破壊されるなどという事態になるぞ。

そういう意味で、こういう人は貴重。
飛鳥以前は分からないことが多すぎるから、発掘調査に期待するしかないんだから。
96名無しのひみつ:2009/11/30(月) 12:46:18 ID:iGysMBaz
九州説は戦前からあるけど、今では政治的学説だからね。
戦後になって猖獗を極めたのはそのためなんだ。

そういう人たちは支那史料は正しくて記紀はウソばっかりという偏見で見てる。
三世紀の日本は野蛮な土人国だったって言いたいための学説だよ。
97名無しのひみつ:2009/11/30(月) 12:48:49 ID:YI7e51La
九州の人は九州だと言い、関西の人は畿内説を唱える。
そういうもんです。
当該地域に縁故の無い者以外は研究禁止にすればいいよ。
98名無しのひみつ:2009/11/30(月) 13:14:16 ID:5iStzCod
>>79

以前、会社の佐賀出身の奴が「世界バルーンフェスタ」が佐賀で開催されると
自慢していたが、開催地選ばれた最大の理由は、「日本一電柱が少ない地域である」
という事だそうな。その後「佐賀県を探せ!」という佐賀県のキャンペーンが始まり
「佐賀、佐賀、佐賀、サーガー」のCMが流れ出し、彼は無口になった。
99名無しのひみつ:2009/11/30(月) 13:21:41 ID:FYHArmuY
「至る」と「到る」から伊都国までが魏と交流があったと考える方が自然。
伊都国は北九州でほぼ確定でしょ?
ゆえに風俗・習慣は北九州あたりのモノを記述したと考える。
邪馬台国自体はそこから遠くに在った。
行程の記述もさることながら、その距離の記述伊都国数百里内周辺では官の名称が似ているあるいは同じだが、
水行二十日の投馬・水行十日陸行三十日の邪馬台国ではかなり違う。
この件では、伊都国も同じ官の名称が違う印象がある。
一大卒の存在もさることながら、伊都国は倭連合国の中で特別な存在だったと言う事も推察できる。
よって、魏と直接交流があったのが伊都国だったとしても不思議ではないと思う。
となれば、文物の出土が北九州に集中する事も自然と言える。

ついでに言えば、魏との交流で力をつけた伊都国が東に勢力を伸ばしたのが神武東征ではないかと思う。
纒向で鐙が見つかったというのも、騎馬戦力を用いた伊都国に征服され東の支配拠点とされたからではないか?
支配拠点にされると言う事は、それまでも何らかの拠点だったとしてもおかしくはない。
支配するのに都合の良い地勢条件が無ければ拠点とはならないから。
と言う事で、纒向が邪馬台国であっても良いと思うけど・・・
個人的には、北関東辺りにあってほしいなぁ。いや、根拠は無いんだけど・・・日本海側から陸行30日ならそのあたりかなぁ、と。
100名無しのひみつ:2009/11/30(月) 13:30:44 ID:EN6RlZY/
>>99
北関東はそこに出てくる狗奴国=毛野国だよ。
いまの栃木と群馬で首都と思われる場所は現在の栃木県さくら市。
そこには大和に匹敵する巨大古墳がたくさんある。

この毛野国も魏と独自に外交していた大国で、
大和とは大きな戦争もなく支配下に入った。
当地の古墳が巨大であることも考えると、
大和の有力者家族との婚姻による閨閥形成でもあったのではないか。
101名無しのひみつ:2009/11/30(月) 13:38:12 ID:AeVOaRBe
吸収説を唱えていた人って、この前テレビで
「あれは渋々もりあげるための選択」ってゲロってなかったっけ?

ほとんどの人は畿内で納得してるけど、
意図的にもりあがらせるためだっけ?

こうやっって歴史はねじまがっていくんだね。
慰安婦問題みたいw
102名無しのひみつ:2009/11/30(月) 13:50:32 ID:/q0A93j8
九州説は「大和朝廷」が支那に朝貢していた事実を
否定する為に創られた学説


103名無しのひみつ:2009/11/30(月) 14:00:35 ID:T2bUNfCo
九州説はもう無理と思うが、九州であって欲しいと思うのがオレ
104名無しのひみつ:2009/11/30(月) 14:03:23 ID:AeVOaRBe
希望で歴史が
ねじ曲がる
瞬間を目にした
105名無しのひみつ:2009/11/30(月) 14:03:48 ID:EN6RlZY/
だったら九州は熊襲や隼人の遺跡でも発掘しろよ
なんで大和にストーカーすんだよいいかげんにしろ
106名無しのひみつ:2009/11/30(月) 14:04:09 ID:H21NB6PP
実は全然予想外のところにあったらおもしろいのに
107名無しのひみつ:2009/11/30(月) 14:07:04 ID:2CtHRNlg
「驚天動地!南米ギアナのジャングルに邪馬台国の末裔を見た!」
108名無しのひみつ:2009/11/30(月) 14:17:12 ID:mjCx6zPM
神社建築の構造と内部の間取りなどが、
出雲大社などの作りと類似点もあって、
近畿説が、ものすごく有力ですね。
109名無しのひみつ:2009/11/30(月) 14:22:12 ID:G69fmBJl
むしろ対馬かもしれないw
110名無しのひみつ:2009/11/30(月) 14:23:01 ID:xlNwpuI9
間をとって大都会岡山に落ち着くのはどうだろう?
ここにいる皆も納得するんじゃないかな。
111名無しのひみつ:2009/11/30(月) 14:27:54 ID:EN6RlZY/
>>110
岡山は土蜘蛛だろ
112名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:03:25 ID:m7b2fhJZ
昔の中国の人からすれば九州が北ってイメージがあったんだろうなぁ。
日本列島がくの字に折れ曲がってるとか、そこまで分からんだろう。
113名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:04:32 ID:bTmunEsk
金持ちが別荘持ってたり最高権力者が遷都したりするなんて
珍しくないんだから、両方にいたって事でいいじゃんかよ。
片方じゃなきゃ駄目なのかよ
114名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:06:28 ID:U2IYfAt3
纒向が水垣宮とすると卑弥呼の弟は崇神天皇となるな
初めは象徴としてのトップである卑弥呼や台与が行っていた神道の祭祀をそのうち天皇が兼ねるようになったんだろうな
実権は一貫して弟が握っていたが魏の使者が巫女というものを理解できず女王としてしまったと、そんなとこか
115名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:14:35 ID:EN6RlZY/
116名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:17:03 ID:m7b2fhJZ
>>114
俺もその意見に大体同意する。日本って古くから天皇=権威と象徴。
おそらく卑弥呼の時代からそうなんだろう。実際の支配者は別。
遣隋使の頃も推古天皇じゃなくて王のようになってたし、実権は太子とか
蘇我氏とかだろう。その後も天皇いるけど実権は藤原氏だし。
現代に置いてもそうでしょ。日本は2千年近くまえからあまり変わってない。
117名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:20:26 ID:d39ZQN7r
おお・・・いやまったく
118名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:27:01 ID:CyqPo4cX
佐賀県は町おこしで金掛けてるからなあ。
119名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:33:24 ID:EN6RlZY/
>>114 >>116
だから卑弥呼が弟に御託宣を授けてる姿をシナ人が見て
卑弥呼を女王と思っちゃったんだろ

中国では「天壇」で祭祀を行うのが大昔から伝統的に皇帝本人だからな
シナ人の常識感覚では祭祀の長は政治の長に決まってたんだよ
120名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:39:54 ID:D3vQyS7L
3世紀後半から始まった巨大古墳群見ても関西・関東にかなりの都市があった事は間違いないんじゃないか?

当時の日本の人口は300万〜500万って言われてる。
関西圏だけの人口は日本全体の10分の1ぐらいか?
121名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:41:55 ID:U2IYfAt3
常識で考えて力こそすべての古代社会で女がトップに立って戦乱を収められるわけないからな、ましてや卑弥呼は巫女なんだし
まあお飾りだよな、もちろん当時の人間は真剣に卑弥呼の占いを聞いてたろうが・・

でもそうなると欠史八代ってのはあながち間違ってないとなるな
崇神天皇の記述から急に増えるのも倭国大乱を収めたのなら当然といえる
122名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:55:54 ID:PumfSBae
どうせなら山陰とか北関東にしといてあげろよ 観光地ないんだからさ
123名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:03:11 ID:J7HqorOL
女系天皇古事記や日本書紀の編纂前には女系天皇は珍しく無かった可能性は
高いんじゃないかな。大和朝廷の成立が今の予想よりずっと早く初期の頃は
女系(巫女)天皇制が基本だったと考えれば、男系天皇制に切り替える為に
初期の頃の歴史を敢えて捨てたのかも。それだと近畿かな
124名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:04:51 ID:fhT9Ac50
>同時に見つかった鐙(あぶみ=乗馬の時に用いる足乗せ台)をポイントに挙げ、「騎馬兵が用いるもので、
> 戦闘に馬を使ったのは邪馬台国より後の時代」と反論した。

なぜ「その時代に既に鐙を使った乗馬の習慣があった」と考えない?
125名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:08:01 ID:Qgtai6jf
卑弥呼 名前が卑しいから九州でいいよ 別に
126名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:16:28 ID:U2IYfAt3
>>123
いや、むしろ昔のほうが男系はしっかり守られてたろう
巫女は処女だから子供はいなかったはずで、それに巫女は巫女で天皇(大王)とは違う
倭人伝に女王とされているのは上で話してたような魏の勘違いだろうし
127名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:25:13 ID:M7jOo8R6

天照は女神


128名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:28:39 ID:GPyxWQMQ
畿内に「九州」って書いておいてあげたら?
129名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:30:19 ID:vNG6hWH/
>>125
そりゃ魏があえて見下す意味の字を当てただけだから。
意味通りに字を当てるなら「日巫女」
130名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:30:56 ID:S4bVwpwi
小林よしのりに調査してほしい。
131名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:42:17 ID:nUOGvRG9
132名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:44:16 ID:nUOGvRG9
133名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:53:48 ID:aPaL3jB8
もう勘弁してやれよw
サガ人のほとんどが、畿内説のほうが正しいと思ってても、認めれないんだよ。
1つの産業になっちゃってるからな。
確定的な邪馬台国を示す出土品が無ければ、例え畿内>>>>佐賀でも最後まで認めないと思う。
134名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:54:30 ID:eZ1H9iQF
卑という漢字を当てるところに
当時の中華思想を見た
135名無しのひみつ:2009/11/30(月) 17:04:57 ID:9TXkPCAN
中国からの邪馬台国までの経路で個人的に考えることは、
中国人の役人が交通費を水増し請求するために経路を大幅に延長した
韓半島から先は未知の場所だからいくらでも水増し可能だったと思われる
中国人なら普通にやりそうなことだと思う、
だから九州説が正しい。
日本上陸後、経路を1/10にする。
136名無しのひみつ:2009/11/30(月) 17:12:39 ID:GX0rnLMg
>>135
短くしたり長くしたり九州説って大変だねw
137名無しのひみつ:2009/11/30(月) 17:12:48 ID:2VL0AyHA
偏った視点は何の意味も持たない て事がよく解る
進歩のない研究なんて 辛いだけだ
138名無しのひみつ:2009/11/30(月) 17:26:08 ID:i6yfSTzp
◆纒向遺跡=東西2・5キロ、南北1・5キロの範囲に広がる、3〜4世紀では国内最大の集落遺跡。
関東から九州まで各地の土器が出土しているほか、近くに「卑弥呼の墓」との説がある箸墓(はしはか)古墳など多くの大型前方後円墳があり、大和王権誕生の地とされる。
139名無しのひみつ:2009/11/30(月) 17:26:52 ID:Z62LNXB2
>>119
日本って遥か昔から
象徴天皇の総理大臣制で政治やってきたとこあるよ
140名無しのひみつ:2009/11/30(月) 17:39:54 ID:GQ6wCttK
>>135
韓国人が言いそうな論理だね。
それにいつから「韓半島」に名称変更したの?
朝鮮半島だよ。
141名無しのひみつ:2009/11/30(月) 17:42:11 ID:xR2koDno
何にもない佐賀県が必死だな
142名無しのひみつ:2009/11/30(月) 17:44:21 ID:liOyFu9W
佐賀人としては邪馬台国は九州でないと困るんだよ!

というわがままですね?
143名無しのひみつ:2009/11/30(月) 17:47:50 ID:XbLVyGPJ
それが九州であっても近畿であってもどうでもいい。
仮に九州であったなら今の生活がよくなる事もないんだから。
こんなのただ考古学者などの仕事のネタになってるだけ。
宇宙の起源や探索してるのとくわらん。
144名無しのひみつ:2009/11/30(月) 17:53:40 ID:kFRX1YJP
下鴨神社に聞くのが一番早いんじゃないか?
145名無しのひみつ:2009/11/30(月) 18:09:27 ID:x5emMX/q
卑弥呼はいなかったで全て解決
146��:2009/11/30(月) 18:25:55 ID:6c+RieYS
概ね同意だけど北九州、と言うのは現在の北九州市の事では無く、北部九州
と言う意味だね。遺跡跡を調査し再現した佐賀県東部吉野ヶ里公園など
邪馬台国かどうかはわからないが、大規模な古代都市国家の存在を裏付けている。
魏志倭人伝にあるように、日本最大の鏡も見つかっている伊都の国からおそらく
背振山地経由などで一行が向かったので日数など現在の平野部街道などのコース
より目的地に時間もかかったのだろう。当時の人間の食料確保や体力もあったはず
九州以降、関西方面までの紀行の詳細な記述は無い。
やはり佐賀東部ー久留米ー大宰府ー筑豊南部付近が古代国家邪馬台国の存在が濃厚だろう。
工事などある度に古代遺跡が沢山出て来る,福岡空港敷地の板付遺跡なども周辺共々興味深いが、
あれは時期も違うか。久留米ー八女の磐井一族はどうだったかな?
マキムク、マキムクと時期などを主張して関西塵墳墓な当時の古代都市国家の遺跡など
見つけて無理矢理タマタイ国認定をするのは無理があり過ぎ。まあいづれにせよ
流刑やアイヌ先住民族の歴氏程度の北海道では何とも羨ましい話ではありますな。
古代国家遺跡なんか何もないもの。やはり関西や九州方面の進んだ古代国家の歴史は
間違い無い事実だね。
147名無しのひみつ:2009/11/30(月) 18:38:54 ID:WW/vMT8H
>>143
おまえが吉野ヶ里近辺のみやげ屋をやっても、そういうこと言ってるなら許す
148名無しのひみつ:2009/11/30(月) 18:42:45 ID:DANMKMGF
オナニーは楽しそうだなぁ
149名無しのひみつ:2009/11/30(月) 18:59:04 ID:bMPNMVBr
3〜9世紀の巨大古墳の分布図見ると310m以上の物は、近畿と岡山県にしかないね。
古墳の大きさは少なからず都市の規模に比例すると考えていいと思う。
巨大ならいいのか?とか反対意見出るかもしれんけど、
http://www1.uploda.tv/v/uptv0052184.jpg
この分布図見たら明らかじゃないか?
150名無しのひみつ:2009/11/30(月) 18:59:51 ID:DXACin6+
必死やんw
九州なんか地理的にみても昔も今も将来も何かの中心たりえない地方なのに
まるでなにかにつけ起源を主張するどっかの半島そっくりやね。
151名無しのひみつ:2009/11/30(月) 19:02:26 ID:mD9331Fk
専門家でもないわしらでも知ってる考古学の問題ってこれぐらいしかないから

ずっとわからないままの方が考古学会全体のメリットになると思うんだけどねぇ。
152名無しのひみつ:2009/11/30(月) 19:07:29 ID:fweD1tvH
竹島にあるんじゃね
153名無しのひみつ:2009/11/30(月) 19:24:29 ID:q5/AA4Yk
>>150
ヒント:北九州は朝鮮の近く
154名無しのひみつ:2009/11/30(月) 19:38:01 ID:Iuskv3U3
九州説とか真顔で主張したら頭の回路を疑われるレベルだよなw
155名無しのひみつ:2009/11/30(月) 19:53:56 ID:jF6p2jCW
邪馬台国だけなんで殊更論争になるの?
古代日本に幾つもあった国の中の一つてだけで
中国と直接交流があったのも邪馬台国だけじゃない。
156名無しのひみつ:2009/11/30(月) 19:57:01 ID:YI7e51La
>>110
マジレスすると邪馬台国は別として古代吉備周辺って興味深いね。
あれだけ大量の遺蹟群がありながら注目度が低すぎる。
日本の考古学界がいかに偏向してるかの象徴みたいなものだな。
鬼ノ城なんて学究の対象としては相当な代物のはずなんだけどね。
157名無しのひみつ:2009/11/30(月) 20:00:37 ID:BLOYwHcs
大学を出た後に奈良国立文化財研究所(当時)に入り、
邪馬台国シンポジウムなる催しに参加させられたはいいが、
そこで九州説を支持する奴が一人もいなかったので、
上の奴から「おまえ、九州説でいけ!」と言われ、
しょうがないから九州説を唱えたら、
ちょwww 九州とか無いわwwww でその場は終わった。





こいつが九州説を始めたきっかけなんてこんなもん。
ソースは本人がテレビで言ってた。
158名無しのひみつ:2009/11/30(月) 20:04:58 ID:60EJ5cAC
もう解決済みの話なんだが…。
159名無しのひみつ:2009/11/30(月) 20:06:37 ID:sljLEtmp
邪馬台国は常識で考えれば奈良以外ありえないけど
関西人嫌いなんで九州説を支持しますw
160名無しのひみつ:2009/11/30(月) 20:18:30 ID:WkdLhrgC
>>157
あぁ、学者の中では九州説などその程度で真剣に主張している奴はいないのを彼らは知っている。
で、九州説など主張したら馬鹿もの扱いか、同情されるのが関の山だからな
161名無しのひみつ:2009/11/30(月) 20:30:17 ID:AeVOaRBe
ナブンケンの中の人です。
質問があればドゾー。

おまいら意図的な情報に惑わされすぎ
162名無しのひみつ:2009/11/30(月) 20:39:37 ID:Oxy8kCV5
埋蔵金が邪馬台国に消えて行くわけですね。
わかります・・・・
邪馬台国が九州にないと困ります。
163名無しのひみつ:2009/11/30(月) 20:49:00 ID:P3B3JawD
秩父原人と九州邪馬台国が手に手を取って猿のですか
164名無しのひみつ:2009/11/30(月) 21:09:03 ID:2KgArXw7
日本の文明なんて兄国の韓国から全て教えてもらったに決まってるんだから
朝鮮半島に近い九州説でFA。
これが純粋な日本人としての素直な意見。

証明終わり
165名無しのひみつ:2009/11/30(月) 21:22:16 ID:DXACin6+
>>164
朝鮮から金印もろたわけちゃうねんからそんな乱暴な証明あかんわ(((哄笑)))
166名無しのひみつ:2009/11/30(月) 21:50:22 ID:dKwHIHx6
>>161
では質問なんですが、おいら達が惑わされている「意図的な情報」って具体的に何?
167名無しのひみつ:2009/11/30(月) 21:52:13 ID:08xtsAvs
>>161
桜井市教育委員会の源田刑事によろしく言っておいてください
168名無しのひみつ:2009/11/30(月) 22:09:56 ID:WW/vMT8H
>>159
関西嫌いならせめて東北説だろw
九州選ぶはもっとバカだろw
169名無しのひみつ:2009/11/30(月) 22:10:41 ID:WW/vMT8H
>>153
福岡オリンピック開催は
裏で韓国が熱烈に支援してたんだよなw
170名無しのひみつ:2009/11/30(月) 22:37:59 ID:nfvWHtzY
マクモニーグルは霊視で面白い説を出している。
卑弥呼が九州から奈良(桜井市、桧原神社)に連合のシンボルとしてつれて来られたという説だ。
(卑弥呼=アマテラス説に結果としてはなる?)

近代天皇家が京都から江戸(東京)へ移ったのに似ており、現実的な説だ
と思う。
171名無しのひみつ:2009/11/30(月) 23:04:30 ID:WW/vMT8H
大宰府に卑弥呼がいて、首都は奈良だった。っていう説もあるよ。
172名無しのひみつ:2009/11/30(月) 23:43:36 ID:osSIWXAb
考古学とはいかに非科学的か良く分かる。


(イヤ、こんな人ばかりじゃ無いと思いたいが…) 
173名無しのひみつ:2009/12/01(火) 00:00:24 ID:NKaS/SFs
世界的に見ても考古学は政治と切り離せなかったりするのであった
174名無しのひみつ:2009/12/01(火) 00:12:11 ID:ramfxjQu
日本の巨大古墳100
http://www.asuka-tobira.com/kofun/kofun.html
175名無しのひみつ:2009/12/01(火) 00:36:37 ID:cMX6y0xN

近畿説の根拠が今いち。
176名無しのひみつ:2009/12/01(火) 01:53:56 ID:QLbE4Y85
>>175
もうそう言うの通用しない。
177名無しのひみつ:2009/12/01(火) 02:00:46 ID:NSZjEoEo
>>175

釣りにすらならない
178名無しのひみつ:2009/12/01(火) 02:17:38 ID:PBbAj2Pl
バカかおまえら
ヒミコはジパングの女王
その正体はやまたのおろちだって常識だろ
堀井雄二も鳥山明もぺぺぺぺぺぺぺもそう言ってたぞ
179名無しのひみつ:2009/12/01(火) 08:22:03 ID:y90L3XDm
卑弥呼の末裔が所有する蔵書を読めばすぐに分かること
180名無しのひみつ:2009/12/01(火) 08:51:54 ID:vSw3HFvE
纒向=水垣宮=邪馬台国というのはほぼ間違いないだろう
となると卑弥呼の弟=崇神=倭国大乱を鎮めた人間となる、あとは狗奴国=毛野国=現群馬ってとこか
やはり倭人伝を編纂したときに当時の地図にあわせて行程を記述したため方角が狂ったんだろうな
大王と呼ばれるレベルになったのはやはり崇神からできっかけは魏からの金印、倭国大乱からまとめた人間とすれば
のちの記紀に超重要人物として記されてるのも納得がいく
もちろんその祖先をさかのぼって行けば欠史八代にあたる人間もいたんだろうが
181名無しのひみつ:2009/12/01(火) 08:54:09 ID:aHurZ7bR
「魏志倭人伝」には倭人は鉄の鏃(やじり)を使うとあるのに、近畿では鉄鏃が極端に少ない。
だから倭人伝の描写は九州で、卑弥呼(=統合のシンボル)を境に権力は近畿に移譲されてい
ったということだと思う。

卑弥呼の冬の居城を山口県、夏の居城を奈良とする、マクモニーグル『邪馬台国発見』は興味深い。
(山口を圏に含む九州説、畿内説は両方正解なのだ)
表紙の右上の女性が遠隔透視でマクモニーグルが描いた卑弥呼像。
http://ecx.images-amazon.com/images/I/51jWGapmLJL._SS500_.jpg
youtubeに取材中の動画もある。
182名無しのひみつ:2009/12/01(火) 09:24:46 ID:y88pS2RY
鉄鏃だけじゃなくて、植生も奈良ではあり得ないことを書いてある。
倭国の社会描写は九州、それ以外は伝聞を書いただけ、とするのが妥当だろう。
183名無しのひみつ:2009/12/01(火) 09:43:00 ID:y9z0YZKA
たかじんお番組でこの人と畿内説の学者が出て言ってたけど、
数十年前にまだ新人学者だったころに、学会で討論会をすることになって先輩に頼まれて
九州説派に立って付け焼刃の知識を武器にディベートを始めたらボコボコの袋叩きにあって、
そのときの怨念だけで九州説を唱え続けてきたと言っておった。
184名無しのひみつ:2009/12/01(火) 10:08:46 ID:khnP2HV9
タイムスリップしてひめこをFUCKしてやったぜ 
所在?
そんなのおれの子孫に聞きなベイベー
185名無しのひみつ:2009/12/01(火) 10:13:26 ID:BHzxbtm0
また短大の馬鹿教員か
186明るく楽しい大阪城 ◆V9NFYlHDBE :2009/12/01(火) 10:29:18 ID:CBNlchK3
歴代天皇が都を近畿圏においていたのからみても
九州はどうもうさんくさい。

吸収は反乱も多かったしな。そんな地理的にあやうい最前線に都を置くだろうか?

187名無しのひみつ:2009/12/01(火) 10:55:12 ID:fwqyxenn
地理的には九州で間違いないかな
まぁどっちでもいいがw
188名無しのひみつ:2009/12/01(火) 11:54:34 ID:zeRXskBh
本当に謎なのは
何故卑弥呼や邪馬台国だけ特別視するのか?
だよ。
巍志倭人伝だけが古代の日本について記した書物ではないのに
189名無しのひみつ:2009/12/01(火) 12:51:54 ID:KQPYs3R3
>>188
一番商売にしやすそうだから。
グッズとか映画とか。
190名無しのひみつ:2009/12/01(火) 12:52:32 ID:y88pS2RY
>>188
魏志倭人伝に匹敵する古代の書物ってある? 日本についての記述だよ
191名無しのひみつ:2009/12/01(火) 13:26:09 ID:mhduxUN9
ドラクエIIIでも、畿内に卑弥呼が住んでる。
192名無しのひみつ:2009/12/01(火) 13:52:05 ID:d+XkmCA0
地方の短大ごときの学長ってのが一般人や学会の反応だろうな
193名無しのひみつ:2009/12/01(火) 14:14:40 ID:4Hd2WapU
この人たかじんの番組に出てたな
実は自分も近畿説派だったんだけど九州説を唱える人間がほとんどいなくなって
上の人間にお前九州説派になれって指示されて今は九州説やってますとか
194名無しのひみつ:2009/12/01(火) 14:17:50 ID:OhI5gjQp
魏志倭人伝って通称。
具体的に魏志倭人伝の何ページ?とか
したり顔で言ってる奴に突っ込むと面白いよ。
195名無しのひみつ:2009/12/01(火) 14:23:05 ID:QohUXLIp
とりあえず、このスレとマキムクのスレはイタチ害だろよ。
196名無しのひみつ:2009/12/01(火) 16:04:42 ID:MstkBH7M
大昔、奈良は九州にあった
ということで万事解決
197名無しのひみつ:2009/12/01(火) 16:21:28 ID:hMirnD3T
この学長さんは元は佐賀の教育委員会で九州説で食ってた人だからね。
畿内に決まっちゃったら、人生困るんでしょう。
しょうがないね、地方の教授はこういう地方利権がらみの三流ばかりだから。
198名無しのひみつ:2009/12/01(火) 16:35:04 ID:wen1lKzI
>>35
元が地形を示す一般名詞だったからこそ、地名「ヤマト」は日本中にある。
まあ漢字では「山門」表記が多いがな。
ちなみに、対義語の「水門」こと「ミナト」は「港」として現代一般名詞に残ってるな。
199名無しのひみつ:2009/12/01(火) 16:37:51 ID:OhI5gjQp
いきなり荒唐無稽な九州説の本を書く→儲からない

マスコミを動員して九州説を盛り上げてから本を書く
→九州の人と情弱が馬鹿みたいに買うので儲かって仕方がない
200名無しのひみつ:2009/12/01(火) 17:06:46 ID:6LXrM4yr
>しょうがないね、地方の教授はこういう地方利権がらみの三流ばかりだから。

考古学会のまともの研究者の間では,
九州説はすでに否定されて久しいが
どういうわけかマスコミはそれを隠して
未だ議論が両説に分かれているかのような報道が多いのは
そのほうが売れるからなのだろう。
それをいいことに,
地元の名士であるための九州説なんだろ
曲学阿世もいいところだ
201名無しのひみつ:2009/12/01(火) 17:20:00 ID:RoI/qZbM
>>200
学会の3周、4周遅れで世間がついてくる。
202名無しのひみつ:2009/12/01(火) 17:51:02 ID:te3/8I6u
>>194
三国志ヲタなら、三国志魏書東夷伝倭人の章 は常識だぜ
203名無しのひみつ:2009/12/01(火) 17:51:36 ID:bjF8RtbT
北海道って大穴に1000ペソ
204名無しのひみつ:2009/12/01(火) 17:57:02 ID:pIUGqzHF
>>202
えーっと、普通に高校の教科書に載っているので、普通の受験生なら当然知ってますよ
205名無しのひみつ:2009/12/01(火) 17:58:07 ID:wkFtSuao
>>202
章ではなく条な
206名無しのひみつ:2009/12/01(火) 18:02:44 ID:29lfpCs9
九州説が成立し得るのは、地方勢力が日本の王と騙って
自分たちの権威付けにやった可能性くらいでしょ
207名無しのひみつ:2009/12/01(火) 18:23:49 ID:uoP6/26e
埼玉だった説に5億北朝鮮ウォン
208名無しのひみつ:2009/12/01(火) 19:23:30 ID:OxMzxt2+
卑弥呼ノマゲしたから記念age
209名無しのひみつ:2009/12/01(火) 19:32:45 ID:NKaS/SFs
>>190
例えばこゆのに出ているかな
ttp://dl.rakuten.co.jp/prod/105002764.html
210名無しのひみつ:2009/12/01(火) 19:37:56 ID:T+K1DmXR
>>183
若干違う。そのような経緯があるので
「実は畿内派なのではないか?」といわれたりする。
という話だった。

>>193
だいぶ違う。「実は自分も近畿説派だったんだけど」
なんてことは一言も言っていない。
211名無しのひみつ:2009/12/01(火) 19:45:35 ID:4u61c1+t
卑弥呼の時代って紀元前なんかじゃなくて中国の三国志時代と重なるんだよね。

なんでこんなに分からないことが多いんだ?
212名無しのひみつ:2009/12/01(火) 19:53:15 ID:VWbsi8+a
卑弥呼の時代には、既に畿内のほうが先端地域だよね。
畿内より規模の大きい遺跡は九州にないし、既に2世紀には九州は衰退し畿内が反映しているのは明らか。
しかも、九州説には物証がないwww
アホだろとしかいえないわ九州説なんていまだに主張している学者は。
まぁ、本音では無理があるのを分かってしがらみとか利権とかで九州説を主張しているんだろうけど、
本来の学者のスタンス、姿勢ではないわな
213名無しのひみつ:2009/12/01(火) 20:13:44 ID:NKaS/SFs
そもそも明治時代に東洋学者で京大の内藤湖南が畿内説を唱えた(箸墓を卑弥呼の墓と言ったのは彼)
のに対し東大の白鳥庫吉が九州説を唱えたので
京大学派と東大学派の争いと言われてもいたりするのであった
214名無しのひみつ:2009/12/01(火) 22:05:53 ID:0Jamf7Xa
てか卑弥呼が九州であれ近畿であれ、
その後に仁徳天皇の高津宮や応神天皇の宮があるからな。
特に仁徳天皇の高津宮は規模としては最大級を誇ったらしいし、天皇の系譜としての存在は、仁徳天皇からが確実視されてるから、
九州であったとしてもそこから近畿にどう繋がったかだよな。問題は。
215名無しのひみつ:2009/12/01(火) 23:00:13 ID:wen1lKzI
北部九州にある神社の大半はホムタワケ大王とオキナガタラシ日女関係だな。
216名無しのひみつ:2009/12/01(火) 23:14:58 ID:L0RJLT/2
>>214
畿内大阪にて世界最大級規模の仁徳天皇陵を生み出すに至る、卑弥呼からの変遷は興味深いな。
217名無しのひみつ:2009/12/02(水) 01:24:13 ID:KgeXU13v
>>214
東方征服の前線基地へ首都移転したと予想
その東方が狗奴国と呼ばれた邪馬台国の敵対国なのかどうか
218名無しのひみつ:2009/12/02(水) 01:32:22 ID:KgeXU13v
まあ、おまいら、あと2000年もすれば
20世紀の日本の首都はどこだったかきっと論争になるぜ
219名無しのひみつ:2009/12/02(水) 02:01:42 ID:EKwRPqt/
>>217
どうして九州を出発点に考えるの?
そういう蓋然性はないと思うけど。
220名無しのひみつ:2009/12/02(水) 02:12:05 ID:855YnMFP
さすが韓国の出張県だけはある。あ、出張大学かw
221名無しのひみつ:2009/12/02(水) 02:18:54 ID:GZMgxDe9
そんな下らん事よりもまず”卑弥呼”っていう蔑称の方をどうにかしろ
222名無しのひみつ:2009/12/02(水) 02:38:11 ID:GCpOshr+
もはや九州説=チョンの言いがかりレベル
223名無しのひみつ:2009/12/02(水) 02:54:59 ID:F2sCbFSI
>>221
魏志倭人伝では3世紀の倭人語の *pi の音を全て「卑」で統一表記しているだけであって、陳寿に他意はない。
224名無しのひみつ:2009/12/02(水) 08:20:59 ID:hrU3dCpZ
当時の中国人の立場上
どう見ても文明的に劣る周辺国には
その発音を卑しい文字に当てなければならなかったんだろう。
大和国の日巫女なんて字をあてる訳にはいかない政治的事情は考慮すべき。
225名無しのひみつ:2009/12/02(水) 09:03:33 ID:Q9PjR+G5
>>218
江戸時代の首都なんかは決着つかないかもですよね。
226名無しのひみつ:2009/12/02(水) 10:41:25 ID:u5k4cFgZ
詳しい人に聞きたいんだが、
この人が魏志倭人伝を信用して、古事記や書記の神武東遷を無視しているのはなぜ?
最初に九州説ありき、だから?

あと、馬の伝来は古墳時代だから、邪馬台国の遺跡から出たとしてもおかしくはないと思うんだが、ちがう?
魏の使者が持ち込んだか、倭国からの使者が持ち帰ったかしたのなら問題ないと思うんだが…

それと、仮に邪馬台国が九州にあったとしたら、
・倭人伝に書かれた後はヤマタイ国はきれいさっぱり滅亡した。大国だったはずなのに、古事記・書記に記述なし。
・大和地方にヤマト王国がヤマタイ国とは別個に発達した。
・倭人伝の頃には奈良のヤマト王国も大国だったはずなのに、一切記述なし。
・ヤマトとヤマタイの発音が似ているのは偶然。
・古事記、書記に書かれている神武東遷は中央史観によるでっちあげ。

ざっと思いついただけでもこれくらいの矛盾や疑問があるんだけど、どうなのかなぁ…

ど素人なんで、とんちんかんな質問だったらゴメンよ。
227名無しのひみつ:2009/12/02(水) 10:47:10 ID:u5k4cFgZ
>>226
東遷じゃないや、東征だたorz
228名無しのひみつ:2009/12/02(水) 10:56:11 ID:ofS6sbJl

その当時の畿内の人々が、刺青を入れていたか?
229名無しのひみつ:2009/12/02(水) 11:09:46 ID:q8Y8b2PD
朝鮮ってことでいいんじゃないか?
230名無しのひみつ:2009/12/02(水) 11:11:20 ID:5rLfqCUL
三種の神器ってなんで九州にあるの?邪馬台国と関係ない?
231名無しのひみつ:2009/12/02(水) 11:12:01 ID:rabJVhqM
ひみこは朝鮮からきた
嘘じゃないかも
232名無しのひみつ:2009/12/02(水) 11:25:01 ID:ht4yuTeL
朝鮮半島との戦闘で敗退したヤマトは、いつ今後とも敵が攻め込んできた
場合に、たちまち滅びかねない九州北部から撤退して、内陸の船で瀬戸内海を
渡らなければ辿り着かない近畿地方に中心地を移したのです。
ここなら、九州に見張りを置いて、敵が上陸してきて本拠地の近畿地方まで
やってくるには兵站がネックになるし、時間もかかる。何より瀬戸内海の
要所に撃退する陣地を作って舟を襲うこともできる。陸路から来る場合も
道を押えておいて、海岸付近の平地を通れば山側から襲える。
233名無しのひみつ:2009/12/02(水) 11:30:47 ID:9mGSzDpn
>>224
大和にしろ巫女にしろ、書記された文字からは
「やまと」や「みこ」とは本来的には読めないはずだよ。
最初に古い日本の話し言葉の音だけがあって、
だいぶ後に大和や巫女という大陸伝来の字が
使われるようになったのさ。
邪馬台国、卑弥呼、いったいどんな
読まれ方をされていたのやら。
234名無しのひみつ:2009/12/02(水) 11:48:39 ID:Tp++q4wL
>>230
天皇家の所有物が福岡になぞ有るわけ無いだろw
235名無しのひみつ:2009/12/02(水) 12:04:24 ID:ofS6sbJl

刺青は、シャーマニズムと共に縄文時代から邪馬台国にも引き継がれた
古代日本の文化。
大和朝廷では、刺青文化は見られない。
もともと両者は別のクニで、力をつけてきた大和朝廷が邪馬台国を滅ぼした
可能性も考えられる。
琉球やアイヌは近代まで、刺青・シャーマニズム文化を残していたね。
大和朝廷も邪馬台国から続いたものであるなら、刺青文化も残したのでは
ないかと思われる。
236名無しのひみつ:2009/12/02(水) 12:09:55 ID:Tp++q4wL
>>235
畿内の土器から刺青入った人型も出てるのだがw
237名無しのひみつ:2009/12/02(水) 12:22:18 ID:ofS6sbJl
>>236
少ないだろ。1つだっけ?
当然文化交流もしくは、負けた邪馬台国の人間が奴隷となりそれをかたどった
埴輪なのかもしれんだろ。

とにかく『大和朝廷』には、刺青文化は見られないよなぁ・・・という話。
九州では、ずいぶん後の時代まで刺青文化が残ってたそうだが。
238名無しのひみつ:2009/12/02(水) 12:24:12 ID:RCwhRGy3
>>237
刺青は明治新政府が禁止するまで、日本全国で一般に行われていた風俗なんだが。
239名無しのひみつ:2009/12/02(水) 12:31:29 ID:ofS6sbJl
>>238
一部の人間だろ?
琉球やアイヌのような、近代まで慣習として残っていたものと違って。

邪馬台国では、男子は皆刺青してたんだよな。
240名無しのひみつ:2009/12/02(水) 12:40:24 ID:hrU3dCpZ
そもそも倭人の定義が
刺青で剃髪な蛮民
だからな。
241名無しのひみつ:2009/12/02(水) 12:53:44 ID:sczpBea8
「日本人は、電車では寝るか本や新聞を読んでいる。」
「アメリカ人は刺青とピアスをしており音楽がダンスに興ずる」
「鹿児島人に西郷さん悪口を言うと怒る」

こんな感じ?
242名無しのひみつ:2009/12/02(水) 13:08:01 ID:Tp++q4wL
>>239
文明発達して無いから蝦夷は
文明が発達して刺青風習が衰退しただけだろ。
243名無しのひみつ:2009/12/02(水) 13:51:06 ID:dfMijl4w
>>225
江戸時代は難しいな。
帝の京都
経済のなにわ
実権の江戸

と言う事で九州でOK?
244名無しのひみつ:2009/12/02(水) 13:51:53 ID:RCwhRGy3
>>239
一部じゃなく、広く一般に行われているから風俗と言うんだが。
それに、皆刺青してたという言い方なら、江戸時代の町人は皆刺青をしていたということになるが。

公的制度としての刺青が、罪人などに対して行われるものぐらいになったのは、
大和政権が律令国家導入の際に、シナのシステムを取り入れたからで、
行政システムは以後の時代もシナからの影響を受け続けている。

245名無しのひみつ:2009/12/02(水) 13:55:23 ID:fD9okRuX
>>235
だいたい古代ヤマタイと奈良の大和王朝を隣接させるからややこしくなるんだよ。
その間には河内王朝が挟まれている事を明記すれば違和感がなくなるのに。
246名無しのひみつ:2009/12/02(水) 14:04:03 ID:EKwRPqt/
単にヤマタイと大和王権を同一主体にすればすんなりいく
247名無しのひみつ:2009/12/02(水) 14:24:50 ID:fD9okRuX
>>246
ヤマタイも河内王朝もヤマト王朝も一緒くたかよw

まあどれも連綿と一つのものが場所を移しつつ続いているんだろうけどサ。
248名無しのひみつ:2009/12/02(水) 14:25:26 ID:zpkxZalA
学会では九州説は絶滅危惧種と聞きましたが
249名無しのひみつ:2009/12/02(水) 14:39:05 ID:iTr3AWzd
>>214
その高津の宮は一向に見つからんのだが
案外今の難波の宮の下かも
250名無しのひみつ:2009/12/02(水) 15:18:56 ID:R/HcLbsa
>>249
それは以前から言われてるな。
つーか大阪城近辺の上町台地には、難波京、難波宮が重なっている上
そのもっと深い地層には高津宮があるかもとは言われてるな。
高津宮の遺跡が見つかったら、そりゃあすごいだろうな。
ある意味ヤマタイ国と張るだろ。
神代と事実との境目みたいな部分に実体が加わるんだから。
251名無しのひみつ:2009/12/02(水) 15:50:15 ID:Tp++q4wL
>>250
あっこだけ異常に丘だからなw
何が埋ってても驚かないけど

大阪城の下の石山本願寺の下とか興味あるわw
252名無しのひみつ:2009/12/02(水) 16:08:51 ID:4c2rax8U
高津さんの家なら上町台地に沢山あると思う
253名無しのひみつ:2009/12/02(水) 16:11:07 ID:cDgmUIs0
>>250
現実問題として中世以前の大阪は上町台地を始めとする断層崖の上か摂津丘陵辺りにしか人の住める陸がなかったからな
254名無しのひみつ:2009/12/02(水) 17:26:45 ID:R/HcLbsa
>>253
だからほとんどの史跡遺跡があの界隈に埋まってるのに掘り返せないんだよね。
掘り返すと他のを潰してしまうから。
惜しいよな。
あの界隈を徹底的に調べたら、かなり古代史の謎が明らかになるんじゃないかと思うのに。
255名無しのひみつ:2009/12/02(水) 17:28:44 ID:BVN1yO5l
歴史の事はよくわからんが、高津宮って大阪城のすぐ近くに今もあるで。難波宮のすぐ南西側。
256名無しのひみつ:2009/12/02(水) 17:40:08 ID:bMmV/DM+
>>253
元来河内湾に突き出した上町台地で、その後河内湾が河内湖へと変化していく過程で多くの島々、つまり八十島を形成した。
それが今の大阪の一部をなしているんだよな。
近松門左衛門の網島心中も舞台の一部が島だし、大阪中、島と言う地名の多いこと。
ちなみに古事記の、多くの島々が生まれ、という記載は大阪の地形をあらわしているとも言われているが、はてさて。
257名無しのひみつ:2009/12/02(水) 17:59:13 ID:ZBQRMMvM
ヤマトの国のヒメミコ、
と考えるのが普通だろ
258名無しのひみつ:2009/12/02(水) 18:06:28 ID:2f1DsxnQ
>>212
九州説って、日本の文化は全部朝鮮伝来ニダ って言ってる連中とよく似てるんだよねw
もしかして九州在住の渡来人の末裔とかじゃねえの?w
259名無しのひみつ:2009/12/02(水) 18:14:24 ID:MCEbYexG
吉野ヶ里とかでも、観光客誘致のために渡来人説を言って朝鮮半島の客をホルホルさせまくってる連中はいる。
いわゆる日光江戸村の忍者アトラクションみたいなもんだが、
積極的に勘違いするだろうな。


260名無しのひみつ:2009/12/02(水) 18:27:02 ID:a0yIn7Wl
邪馬台国は宇佐で決着している
261名無しのひみつ:2009/12/02(水) 18:41:57 ID:5sN8b5Cg
邪馬台国が大和なら、なぜ記紀に一切記述がないんだ?
262名無しのひみつ:2009/12/02(水) 18:50:54 ID:COvO1nXp
>>261
神武東征という記述があるからなぁ。
大和朝廷は西からの征服者によって成立したと言う事だろ。
もともと、そこに在った邪馬台国を正統として記述は出来ないんじゃね?
でも、三国志魏書東夷伝には邪馬台国の記述があることは解っていた。
整合性を取るために神功皇后なんて者を創作したとするのが合理的じゃね?
263名無しのひみつ:2009/12/02(水) 22:06:20 ID:3/Fhm+xq
日本書紀の記述だと、神武天皇が大和の橿原に小さな領地を獲得し、崇神天皇で畿内統一。
九州に進出開始したのは景行天皇のころからで、仲哀天皇で北九州が完全に大和朝廷に服属。神功皇后が朝鮮半島へ軍事進出。
大和朝廷が北九州に支配を及ぼし始めたのは4世紀ころから。

邪馬台国が畿内にあり、大和朝廷とつながるのであれば、なぜ九州地方との交流や大陸との外交の記述が無いのか?
邪馬台国が畿内にあったとしても大和朝廷とは関係ないのでは? 弱小勢力だった大和朝廷が崇神天皇のときに
急激な勢力拡大した際に邪馬台国は滅ぼされ、大陸との外交が絶たれ「謎の4世紀」になったのでは?

のちに日本書紀編集の際、魏志倭人伝の卑弥呼の記述に戸惑い、神功皇后のこととしてしまった?
おまけに年代も無理にあわせるようなことをした?
264名無しのひみつ:2009/12/03(木) 01:04:32 ID:rSUWiDqB
間をとって出雲でいいよ
265名無しのひみつ:2009/12/03(木) 01:10:23 ID:x7FJu7fN
崇神天皇と、ほぼ同時代同地域に居たから問題ない。
「邪馬台国」は滅ぼされたわけではなくて「大和国」そのもの。
266名無しのひみつ:2009/12/03(木) 01:30:33 ID:rSUWiDqB
邪馬台国の時代、出雲はすでに大きな勢力があったと思うがどうだったんだろう

九州と畿内の2つの説、出雲との関係が結構大きいと思う
出雲はいうまでもなく天皇家と並ぶ古い歴史があり、記紀に多くの記述を残し、
出雲大社は平安中期に焼失するまで日本最大の建築物であり、
古墳時代(律令成立まで?)は日本海側の広い範囲に勢力を誇っていた
九州説だと、この時代の出雲は完全無視だけど、それでいいのか?
日本海渡るとすぐ朝鮮に行くことが可能だが

出雲の国力は、個人的には国譲り神話の時点で大和:出雲=2:1程度と思っている)
いったん同盟したら日本海側の交通の安全は確保できたのではないだろうか
卑弥呼を盟主とした邪馬台国の連合に出雲が加盟してたら、畿内説がむしろ自然なのでは?
267名無しのひみつ:2009/12/03(木) 01:38:08 ID:rSUWiDqB
あっ、ちなみに出雲は投馬国の説があることも言及しておく
投馬国までは水行20日、方角がおかしいけど朝鮮半島の帯方郡を起点にすると適当な距離
(邪馬台国までは水行10日と陸行1月なので、九州上陸で陸路か?)
「投馬」を「ツマ」と読み、最初に「イ」を加えるんだけど
中国語では最初に子音のない音の単語はないそうだから「イ」が消えたという説
268名無しのひみつ:2009/12/03(木) 02:11:34 ID:fq/69Jdy
>>266
邪馬台国より下った時代に出雲は勢力を持っていたんだろう。
邪馬台国の時代には九州は廃れ、吉備、畿内が繁栄している。
269名無しのひみつ:2009/12/03(木) 02:27:09 ID:KtFNQrzR
国譲り神話は有史以前の神代の出来事
270名無しのひみつ:2009/12/03(木) 02:32:54 ID:o3JzP9GI
>>268
九州は邪馬台国以前に一度繁栄してそれからなぜか廃れたということですか?
繁栄とは畿内や中国地方(出雲・吉備)との相対的な評価だよね
それとも比較する相手がなくても繁栄って言ってる?

>>269
神代と邪馬台国の時代と、どっちが古い?
271名無しのひみつ:2009/12/03(木) 02:53:04 ID:KtFNQrzR
神代は現実ではなく神話上の仮想の世界であって歴史上に位置づけは出来ない
神代における出雲の役割の重要性は史実よりも
記紀編纂当時の出雲の国力の強さを反映しているのではないか
(というのは元は津田左右吉説だが・・・
272名無しのひみつ:2009/12/03(木) 03:20:03 ID:fq/69Jdy
>>270
九州に遺跡がない。
吉野ヶ里遺跡を見ると長い期間に渡っての遺跡だが最盛期は2Cまで。
それ以降は衰退している。
最盛期の規模でもマキムクより小さい。
卑弥呼の時代(3C〜)から以降の遺跡は圧倒的に畿内に多く、卑弥呼の墓と言われる箸墓などの初期の前方後円墳も畿内から出現し、その後の時代に吉備、九州、出雲と広がっていった様子が見てとれる。古さと数も段違い。
出雲に現れる古墳はもっと後の時代の5Cとか。
そしてマキムクでは各地の土器が出土し中心だったことがうかがえるほか、中国で貴族が使っていた超貴重な紅花染料の成分が大量に出ている。交易で手に入れ権力者が使ったのだろう。
そういうのは九州にはなにもない。
九州説には実態がない。
なので九州説をとなえる学者は一割もいない。
ほぼ全ての人は畿内を想定し、ヤマタイと大和王権の繋がりを考える段階なんだ。
そして邪馬台国=プレ大和王権と考えられてきている。
273名無しのひみつ:2009/12/03(木) 03:30:25 ID:rg0BL7tS
邪馬台国の話を深入りして話す人は痛い人ばかりだということはわかった。



274名無しのひみつ:2009/12/03(木) 04:00:34 ID:nZk0/V3J
漢鏡の出土量も、紀元を当たりに、九州より本州の方が多くなってくる。
その差も開く一方で古墳時代に続く。

このあたりで人口や力関係が逆転したと想定されてる。
275名無しのひみつ:2009/12/03(木) 05:15:04 ID:O9vg0Sk2
>>272
都市遺跡の数や大きさはあんまり当時の人口を考証する参考にならないよ。
纏向や吉野ヶ里で遺跡が出てくるのは古代に捨てられた後、ずっと
廃れっぱなしだったからにすぎない。
街が完全に放棄された場合のみ遺跡として残ることができる。
古代から現代まで一貫して人が住み続けてたら、地形改良し続けられて何も残らなくなる。
九州最大級の集落だったであったろう「奴国」中枢部は今の福岡市街地。
久留米や鳥栖も恐らく古代集落以来だろうな。
太宰府の位置にも、元から何かあったんじゃないかという気もするが。
倭人伝に出てくる対馬から奴国までの大規模集落の遺跡が出てこないのは、それらの
集落が存在しなかったからじゃない。現代までずっと人が住み続けてるからだ。
そもそも、纏向はあくまで、現在知られている畿内最大級の遺跡ってだけで
当時も畿内最大の集落だったかどうかはわからん。
平城京や藤原京の造営時に本来最大だった筈の遺跡が破壊されていたとしても
おかしくないしな。
276名無しのひみつ:2009/12/03(木) 08:41:01 ID:OMMd70vv
奈良は当時湿地帯が次第に乾燥して山辺の集落が次々に捨てられたという地理的条件が幸いして
遺跡がたくさん残った、とも考えられる
277名無しのひみつ:2009/12/03(木) 09:46:01 ID:yhGqxer9
九州はねーよw
だってあそこ朝鮮じゃんwww
278名無しのひみつ:2009/12/03(木) 12:32:38 ID:LD74Ccyd
一蹴じゃなく必死と表現するべきだな。

なんせ、長い時間かけて築きあげてきた地位がゴミになるんだから。

結局これも、もう逃げ場が無くなった九州説唱える人間の悲鳴なんだけどな。
279名無しのひみつ:2009/12/03(木) 13:12:42 ID:OMMd70vv
人をけなす暇があるのなら、奈良では不都合な記述についてきちんと説明しろ
陸行1月 刺青の風習 奈良ではあり得ない植生 など
280名無しのひみつ:2009/12/03(木) 14:00:17 ID:HCf9PCbo
>>275
エジプトでは古王朝からプトレマイオス朝以後まで数千年にわたって多層に重なった遺跡が残っているし
日本でも飛鳥では何層かの宮跡が重なって見つかっている。近代のような重機を入れての大土木工事をしない時代では
都市部でも驚くほどの遺跡が残される。 ちなみに東京とかでも江戸時代・時代の遺跡がちゃんと出ている
281名無しのひみつ:2009/12/03(木) 14:15:45 ID:4JGg9bAp
江戸くらい新しいと出やすいから良いよね。
282名無しのひみつ:2009/12/03(木) 14:48:33 ID:DguW0hwR
>>8
当時日本列島が統一されていた証拠はないし邪馬台国が最大の国だった証拠もない
魏と交流してた連中を統一してたのが邪馬台国だっつうだけ
283名無しのひみつ:2009/12/03(木) 14:51:46 ID:x7FJu7fN
>>279
何で奈良に限定するの?西日本一帯が邪馬台国(大和国)の連合地域なら
別に問題ない。
284名無しのひみつ:2009/12/03(木) 14:58:41 ID:glrSDZtU
出雲の卑弥呼の神殿 関西に大王(おおきみ)の宮殿があったんじゃねえの?


九州? 朝鮮や中国が攻めて来たときの前線基地だろ
285名無しのひみつ:2009/12/03(木) 15:05:17 ID:Fc/9fi5J
>>1
昔大和朝廷が九州遠征して「隼人」の技術者を近畿へ奴隷として連行した
近畿で出る鉄器や土器は略奪品やその奴隷が造ったんだろ?
卑弥呼は九州だろ?

瀬戸内海から近畿への海路の説明できない近畿説
286名無しのひみつ:2009/12/03(木) 15:07:40 ID:p8FTRe9Z
>>285
言い分が朝鮮人そっくりですねw
287名無しのひみつ:2009/12/03(木) 15:09:20 ID:Fc/9fi5J
>>286
朝鮮人は奈良を造ったのは朝鮮人と昔から言ってるね(苦笑)
お前在日だろ?
288名無しのひみつ:2009/12/03(木) 15:31:57 ID:ZMuMdqqv

九州説の人は良いが、北九州と書くと、現在の北九州市門司や小倉の端っこ
みたいな印象を素人が受ける。あそこは当時辺鄙なとこでます無いんだからちゃんと「北部九州」
と書くべきだな。


289名無しのひみつ:2009/12/03(木) 16:27:26 ID:p8FTRe9Z
>>287
九州説はまずは邪馬台国の位置を指定してから言えよ朝鮮人w
290名無しのひみつ:2009/12/03(木) 16:45:53 ID:xR0OP1eU
卑弥呼じるしのお土産物の販売権を巡り大バトル
291名無しのひみつ:2009/12/03(木) 16:54:06 ID:exRd3BB+
決着付いたら、
九州派も近畿派もメシのタネが無くなる。
決着つけようとしている奴は暗い夜道に気をつけよう
292名無しのひみつ:2009/12/03(木) 17:19:02 ID:WDbHO1D6
>>275
遺跡の規模は国力、それを支える人口を反映している。
293名無しのひみつ:2009/12/03(木) 18:35:27 ID:ByYsmPqY
邪馬台国は常識で考えて九州だと思うね。
記紀に邪馬台国のことは載せてないだろ。
大和地方が邪馬台国じゃなかったからだよ。
294名無しのひみつ:2009/12/03(木) 18:41:43 ID:kYkTr8Fp
>>285
瀬戸内海が弥生前期には既に重要な海路になっていたのは確実なんだが・・・
295名無しのひみつ:2009/12/03(木) 18:50:16 ID:glrSDZtU
>>292
九州説信者は
九州が首都で機内は経済の中心地(ワシントンとニューヨーク キャンベラとシドニーみたいな関係)
って思ってるんだろw

296名無しのひみつ:2009/12/03(木) 19:24:16 ID:bjDsv9FJ

卑弥呼(邪馬台国の人々)は、風習からして縄文系色が濃い。
大和朝廷は、何やら渡来系ぽい。
297名無しのひみつ:2009/12/03(木) 19:35:05 ID:kYkTr8Fp
>>296
そりゃ、大和朝廷は中央集権国家を目指して国家建設をしたから、そのお手本である支那に似るのは当然だわな。

ちなみに、縄文→弥生文化への移行は、民族の入れ替えのような極端な動乱があったのではなく、
大陸からの少数の渡来人がもたらした農耕技術などを、倭人が受け入れた結果だと、今では考えられている。
この場合、縄文系、弥生系の骨格の違いは、江戸時代と明治時代の違いのように、食習慣が変化したためということになる。
298名無しのひみつ:2009/12/03(木) 19:39:45 ID:Y8yEDsSk
銅鐸は出雲近畿が主体だが、九州でもごく少量生産されていた。
そんな古い点在都市を持つ小規模国家群。
卑弥呼が共立だったように、それぞれの小規模国家は、後の大和
朝廷研勢力のように、広域の中央集権国家としてまとまる発想は
持っていなかった。
299名無しのひみつ:2009/12/03(木) 20:08:22 ID:WQARYr6p
ほぼ近畿確定っぽいんで九州が焦ってファビョりだしたわけかw
300名無しのひみつ:2009/12/03(木) 20:18:21 ID:O9vg0Sk2
>>292
だから、「たまたま見つかった集落」を見るだけじゃ、その集落の人口が分かるだけで
地域の人口はわからんの。
その集落の当時における相対的位置、同規模の集落がどれだけあったかが
わからんと。
ちなみに、登呂遺跡も発見当時は「都市遺跡」と思われていた。
今じゃ当時においても、ただの村規模でしかなかったことがわかってるがな。
たとえば、文明滅亡して、1万年後になんとか文明復興した人類がたまたま北見の
都市遺跡を見つけたら北見が日本の首都だったなんてことになりかねないぞ。
今の人口密集地はほとんど沖積平野だから1万年もあれば、ほとんど海に沈んでても
おかしくないw
301名無しのひみつ:2009/12/03(木) 20:26:21 ID:yU8nN8FH
>>297
それでは以下のような自然人類学での知見をどう説明する?

今から2300〜1700年前の弥生時代、この蒙古襞のある人々(渡来系弥生人)が
対馬海峡を越えて日本列島に渡ってきたということです。
彼らの多くは北九州から瀬戸内海沿岸、そして畿内に住み着いた。
表には京都の女性の65.2%には蒙古襞があるとでています。
つまり畿内の奈良や京都は渡来人の都だということです。

それに対して、目頭から目尻までくっきりと二重になっている二重瞼は、
縄文系の特徴です。弥生人の渡来以前から日本列島に住んでいた縄文人には
二重瞼が多く、蒙古襞は余り見られないのです。縄文系とされるアイヌの人の
96.8%が二重瞼なのに対して、朝鮮南部では二重瞼は42.1%しかいない。
沖縄の人も縄文系だと言われてきたが、今はちょっと違うんじゃないかと
いわれています。
302名無しのひみつ:2009/12/03(木) 20:27:37 ID:bjDsv9FJ
>>297
食糧が安定供給されて身長が伸びることはあるだろうが、顔つきまでは
そうそう変わらないだろw
渡来系とあまり血が混じらなかったであろう現在の沖縄や南九州の人達は
今でも濃い顔つきだよな。
303名無しのひみつ:2009/12/03(木) 20:37:26 ID:bjDsv9FJ
>>301
あれ?この記事↓ではミトコンドリアDNAの型を調べると、沖縄の大半の人達は
母方のルーツが縄文系だって言っているよ。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080804/trd0808041444013-n1.htm
↑に近畿のデータが無いのは残念。
304名無しのひみつ:2009/12/03(木) 20:56:02 ID:fq/69Jdy
>>301
さりげなく対馬海峡とか言ってるw
なんだ倭人の起源まで主張し始めたのか?あっちの民族はw
土井が浜や吉野ヶ里なんか中国からの渡来人なのは明白じゃないか。

305名無しのひみつ:2009/12/03(木) 20:57:51 ID:AyDWJIyl
>>301
何にも対立してないんだけど、何を説明して欲しいのかな?

蒙古襞があるのは当然。渡来系と言われる人々は、縄文〜古墳を通じて
日本列島に移住してきたのだから。
昔は彼らが武力を以て縄文人を駆逐し、あるいは支配をしたという説だったが、
現在は、全般の傾向としてはそういう事実はないということになっている。
それはそれとして、現在の京都の女性に対する調査結果を
2000年も昔の話にそのまま適用してはおかしな事になると思うんだが。

二重瞼が縄文系というのは、単に定義の問題でしょ。
現実に、生きた縄文人を見た人はいないわけだし。
アイヌ=縄文系という先入観を強調しすぎていると指摘せざるを得ないね。
それに、朝鮮南部で二重瞼が云々というのは、朝鮮半島を含めた大陸での
民族移動を無視した比較考察で、何らの意味を持たない。
古代大和政権の東北地方への侵出を考察に入れていないのも指摘したい。

ともかく、貴方の引いてきたそれは、雑過ぎるよ。
決めつけが多すぎる。定義も曖昧。

>>302
顔つきは、食べ物によって大きく変わるよ。
306名無しのひみつ:2009/12/03(木) 21:30:53 ID:0ZJ9r32r
豆知識

弥生時代の畿内は、巨大銅鐸作りが盛んだった。大国主の時代。

丹後の籠神社に天火明命が降臨する。鏡を伝えて銅鐸作りをおわらせる。

奈良に天火明命がきてニギハヤヒと名乗る。奈良を繁栄させる。

九州・日向の土豪が、奈良に移住する。ニギハヤヒから王座を奪う。

神武から十代後の崇神天皇の畿内王権が勢力を伸ばして、吉備・丹波・尾張を服属させる。

畿内の巫女が、魏に朝貢して金印をもらう。これが卑弥呼。
307名無しのひみつ:2009/12/03(木) 21:31:51 ID:fq/69Jdy
そもそも縄文と弥生の融和は何百年間に渡っての話だしね。
縄文後期から弥生時代の何百年の話。
まして、縄文人と弥生人が共同で集落をつくっていた事例まである。

ちなみに縄文時代の人口比率は遺跡の数などから西日本が1に対して東日本は20から30と考えられている。
308名無しのひみつ:2009/12/03(木) 21:36:30 ID:5arwds9v
>>305
そろそろアイヌ=縄文系も怪しくなってきましたものね。
あと蒙古襞についてですが女性が大陸系の割合に近く、全般的に男性は低いことから(朝鮮では男女とも62.8%と同率)、
「渡来人は全員女だった」説に通じるものがあって興味深いです。
309名無しのひみつ:2009/12/03(木) 21:45:56 ID:WVb8PAbW
ここに集まる君らって学者なの?
推移を見守ってんだが
ああ決まりだ!っていう決定打は何が必要なんだ
箸墓古墳を掘ればいいんか
310名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:03:48 ID:O9vg0Sk2
>>309
まともな学者なら「決定打なんかあるわけないだろ」で終わり。
そもそも1次テキストの魏志にそんなもんが無いから、こんなことになってる。
親魏倭王印でも出てきたら別だろうが、その時はその時で「本物かどうか」の
議論で揉めるだろうな。
「奴国王印」が出てきた時代と違って、漢代様式の偽造印を作るのに必要な資料が
いくらでもある時代だしw
ま、親魏倭王印も魏が滅びた時点で何の価値も無くなってるだろうから、その時点で
鋳つぶされて装飾品にでもされたんだろうな。
奴国王印がたまたま残ったのは、漢が潰れて無価値化する前に、何らかの理由で
隠匿されたからだろう。
311名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:08:52 ID:KtFNQrzR
> 箸墓
皇族の誰かが「掘る」と言えば法的には自分の先祖の墓だからどーどーと掘れる
とH成H爾氏がゆっていた
(「皇太子は腰砕けになっちゃった」らすいが)
312名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:20:43 ID:BKWDMo+H
幕末に本物の皇太子は暗殺されて明治天皇として即位したのはどこぞの部落民だそうで古い墓なんか意味なくなっている。
313名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:28:47 ID:p8FTRe9Z
>>312
だそうで(笑)
314名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:53:57 ID:O9vg0Sk2
一目で古墳とわかるような墓は中世初期の段階で盗掘されまくりだから
ろくなものは残ってないよ。
後期の横穴石室型なら、盗掘後もある程度密閉性が保たれるから、盗掘者が
放置した副葬品が残ってる可能性もあるが、箸墓みたいな初期の竪穴埋葬型は
一度開けられたら野晒しになるから、何か価値のある物が出てくる可能性は絶望的だな。
そもそも、政治史に影響を与えられる史料となると、銘付きの鉄剣や鏡みたいな文字史料が
出てこないと話にならないわけで。たとえ未盗掘でも、そんなものがたまたま副葬されてる
可能性は極小。後世の歴史学者の為に副葬品が決められたわけじゃないからな。
普通の鉄剣や鏡や勾玉が出てきたところで、これらの様式分類用史料が
少し増えるだけの話。
315名無しのひみつ:2009/12/03(木) 23:16:03 ID:x2auROMQ
黒塚古墳や闘鶏山古墳のような、未盗掘の古墳も発掘されてる。
だから、そんなに悲観的になることもないよ。

盗掘されていたとしても、新たな発見はあるものだろう。
ホケノ山古墳からだって鏡がでてるし、桜井茶臼山古墳だって凄かったじゃないか
316名無しのひみつ:2009/12/04(金) 04:35:33 ID:lg0Wl93G
邪馬台国って表札でも出ないと九州説の人はどうしようもない。
317名無しのひみつ:2009/12/04(金) 08:29:35 ID:0ZB3BrrJ

卑弥呼が埋葬された径100余歩の円墳は、亀山です。
318名無しのひみつ:2009/12/04(金) 10:00:29 ID:aBHV4oee
殉葬の人骨でも出れば大騒ぎになるのにね
319名無しのひみつ:2009/12/04(金) 10:34:25 ID:uawBQEc1
>>310
漢がとっくの昔に亡くなって
奴国の直系てわけでもなさそうな現代日本でも
金印は最上級の国宝だろ。
巍から金印を授かっていたなら
それが実務上外交的価値を無くしても
やはりそれは単なる金塊以上の価値を持っていたはずだと思うんだ。
そもそも実務上の価値より象徴的価値を重視したものだから金でできてるはずだし。
320名無しのひみつ:2009/12/04(金) 11:32:34 ID:Dx9YnIpb
>>306
卑弥呼ってのは当て字で本当は
日巫女ってことですか?
321名無しのひみつ:2009/12/04(金) 11:50:53 ID:wTF7JnWS
>>319
晋が魏が与えた印綬を回収しているはずだから、親魏倭王の印自体は日本にあることは
ありえないはずだという説もあるみたいだね
322名無しのひみつ:2009/12/04(金) 11:56:58 ID:/mJA3B9b
トヨだかイヨが晋と付き合いがあったんで、回収要請があったら返してただろうな。
323名無しのひみつ:2009/12/04(金) 12:19:36 ID:srnOHhXL
朝鮮半島で成立した可能性もある
何しろ宇宙の起源は(ry
324名無しのひみつ:2009/12/04(金) 12:29:25 ID:YAVpiXs6
チョンは全員頭の中がイカれてしまってるから
あいつらとは一切係わり合いにならないほうがいい
325名無しのひみつ:2009/12/04(金) 12:38:44 ID:adt3KCGr
邪馬台国は佐賀にあげればいいよ
その代わり、佐賀は福岡と長崎で分割統治
326名無しのひみつ:2009/12/04(金) 12:48:20 ID:YAVpiXs6
佐賀って存在自体が希薄だからな
もう分割でいいよ
327名無しのひみつ:2009/12/04(金) 12:54:12 ID:F9TnPonZ
井沢元彦氏の話では邪馬台国は「やまど国」と昔の中国の発音では呼ぶらしい。
学長残念でしたね。
328名無しのひみつ:2009/12/04(金) 13:02:05 ID:7GIWZWuJ
>>327
江戸時代やらは普通にヤマトって言ってた
329名無しのひみつ:2009/12/04(金) 13:51:40 ID:aBHV4oee
当初の記述は邪馬一国で、後世の人が誤記か訂正か何かの都合で邪馬台国に変更した、とかいう説も聞いたことがある
330名無しのひみつ:2009/12/04(金) 14:36:42 ID:TdvTYOaM
>>320 姫子とかじゃない?
331名無しのひみつ:2009/12/04(金) 14:39:22 ID:yKqGelcz
高島さんは吉野ヶ里が邪馬台国と言っているんだぜ。
ただの電波じゃないかw
332名無しのひみつ:2009/12/04(金) 14:59:54 ID:YAVpiXs6
>>331
あの人は佐賀観光協会の会長みたいな人だから
333名無しのひみつ:2009/12/04(金) 15:01:59 ID:T71dJs32
景初3年の鏡は、そういう年が無いから偽造だという説もあるが、
次のように考えられないか?
 予め先回りして生産してストックしていたのが、年号が代わって
しまってパーになった。しかし廃棄するのは惜しいので、棄てた
ことにしたか金属スクラップ材料として、廃棄業者に流したところ、
それが出回ってしまい倭国では(年号の件を知らずに)に舶来品として
ありがたがって。。。
334名無しのひみつ:2009/12/04(金) 15:07:22 ID:n3TmlPLS
    |┃
    |┃三    ,ィ, (fー--─‐- 、、
    |┃.    ,イ/〃        ヾ= 、
    |┃   N {                \
    |┃  ト.l ヽ               l
 ガラッ.|┃ 、ゝ丶         ,..ィ从    |
    |┃  \`.、_    _,. _彡'ノリ__,.ゝ、  |     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |┃三 `ゞf‐>n;ハ二r^ァnj< y=レヽ    <  話は聞かせてもらったぞ!
    |┃.    |fjl、 ` ̄リj^ヾ)  ̄´ ノ レ リ     |   早く医者に行け!
    |┃三  ヾl.`ー- べl,- ` ー-‐'  ,ン       \____________
    |┃      l     r─‐-、   /:|
    |┃三     ト、  `二¨´  ,.イ |
    |┃     _亅::ヽ、    ./ i :ト、
    |┃  -‐''「 F′::  `:ー '´  ,.'  フ >ー、
    |┃    ト、ヾ;、..__     , '_,./ /l
335名無しのひみつ:2009/12/04(金) 15:09:10 ID:MmYFREAP
>>1
今更だが、「一蹴」って言葉の使い方間違ってると思うんだがw
客観的事実から言って九州は厳しいんじゃね?
それなのに「一蹴」はないだろp
336名無しのひみつ:2009/12/04(金) 17:57:48 ID:bKmJwuvh
>>319
奴国王印が国宝になってるのは2000年近く経って歴史遺物になってるからだ。
おまえのゴミ箱の中身だって、そっくり2000年も保存しとけばなんらかの歴史的価値が
あるだろうよw まあ、40世紀の世界に文明と歴史学というものが残っていればだが。
滅亡王朝の官印なんてのは、期限切れのカードみたいなもんで、同時代にはただのゴミ
でしかないんだよ。
貴重な金を遊ばせておくようなことはまずない。
そもそも、この時代からずっと後の律令国家時代には、国内で様々な官印が大量に
鋳造された筈なんだが、それらですら、ことごとく鋳つぶされて、ろくに残ってないんだからなw
ま、古代の金属塊ってのはそれぐらい貴重で、実用価値を失った官印はそれぐらい
どうでもいいものだったってこった。
奴国王印だって、歴史学の原型が成り立った江戸時代に出てきたから保存されたわけで、
室町以前に発見されてたら残ってないw
337名無しのひみつ:2009/12/04(金) 18:39:41 ID:T71dJs32
今の御名御璽の金印はいつの製作?
338名無しのひみつ:2009/12/04(金) 18:43:33 ID:bKmJwuvh
>>337
今使ってるのは明治製
339名無しのひみつ:2009/12/04(金) 19:01:38 ID:Xx5Mxk/d
俺には親から貰った金淫が2個ある。
340名無しのひみつ:2009/12/04(金) 19:05:19 ID:kpsTEDtH
邪馬台国が大和だと困る奴らがいるんだよ。
要は天皇家の歴史が古いのが気に入らない連中。
341名無しのひみつ:2009/12/04(金) 19:07:12 ID:S4DLQ/4C
九州の卑弥呼は、AV嬢の方で我慢してください
342名無しのひみつ:2009/12/04(金) 19:26:47 ID:uawBQEc1
>>336
それなら何故、金印(漢の倭の奴国王)は
当時鋳つぶされずに残ったんだ?
てか再発見が畑を耕してたらでてきただっけ?
わざと残した派としてもそれはよく説明できないが。
343名無しのひみつ:2009/12/04(金) 20:11:23 ID:aeUYEklY
> 大和朝廷は西からの征服者によって成立したと言う事だろ。

つまり邪馬台国と大和は全く無関係だってのは認めるわけだw
344名無しのひみつ:2009/12/04(金) 20:11:36 ID:CUWhTJ5C
>>340

逆だよ逆!
九州説唱えたのはバリバリの国士様ですよ
345名無しのひみつ:2009/12/04(金) 20:13:10 ID:Ot18qT1W
>>344

なるほど、九州説を唱えれば、自分は国士だ!と、勘違いしてたわけか。
346名無しのひみつ:2009/12/04(金) 20:24:31 ID:vnBCEMcF

俺は多分邪馬台国も卑弥呼も支那人のデッチアゲだと思う
347名無しのひみつ:2009/12/04(金) 20:27:15 ID:bKmJwuvh
>>342
だから、漢の滅亡以前の段階で当時の人間にさえ所在不明になってたってことだ。
政変か何かで誰かが隠したのか、あるいは、保管場所を知ってた人間が
伝達前に急死して保管場所がわからなくなったのか、理由はわからんがな。
そもそも考古学が未発達な時代だから出土状況もよくわからん。
当時から偽造説が絶えなかったが、後に南方や西方諸国から発掘された
漢代の印と比較した上で現代では本物だろうと考えられてる。
江戸時代に中国印として偽造されたものなら、清や明の様式に近い物に
なってる筈だしな。
348名無しのひみつ:2009/12/04(金) 20:41:03 ID:CUWhTJ5C
>>345

マジレスすると
支那に朝貢していた邪馬台国・卑弥呼が
大和王朝・天皇家の先祖であっては困る人達が作り上げたのが九州説
349名無しのひみつ:2009/12/04(金) 21:05:32 ID:iM/rkk0z
とっとと決着つけて欲しい。邪馬台国の卑弥呼よりも次の謎の女性、神功皇后のほうがタブーもあって楽しい。
謎めいた女性というのは魅力的。
350名無しのひみつ:2009/12/04(金) 21:09:46 ID:LmDDh3GV
>>343
釣り針がデカすぎて口に入りませんw
351名無しのひみつ:2009/12/04(金) 21:14:00 ID:+AIyzs+g
>>347
埋納という呪術的習俗があってな。
現代でも無いわけではないが、まあ、神道によほど詳しくないと知らなくても無理はない。
簡単に言えば、結界を結ぶために、境界となる場所に呪具を埋める行為などを言う。
その他にも、所有を放棄し、常世と仮想される地下に埋めることで、ケガレを清める意味合いなどもある。
銅鐸や銅矛などが古代のクニの境界線と思しき場所で大量に出土するのは、このためだとされている。

さて、金印は第一に呪具としての機能を持つ。
皇帝とは地上にある神で、金印はその権能を象徴するからだ。
しかし、ある時点で、何らかの理由で、皇帝の力を食い止める結界を結ぶ必要があった。
そのために、博多湾の境界線に位置する志賀島に金印を埋納した。
とまあ、あくまで想像だが、神道思想の方向からはそのように解釈できる。
352名無しのひみつ:2009/12/04(金) 21:30:21 ID:Li9J1zm7
卑弥呼はフィクションだと何回言わせるんだ、この老害ヴォケ
353名無しのひみつ:2009/12/04(金) 22:12:12 ID:T71dJs32
邪馬台国は八幡にあったとしたら。
八又大蛇とは八幡にいた大和政権か出雲勢力に楯突いた蛮族。
354名無しのひみつ:2009/12/05(土) 01:35:45 ID:sjjxzNvv
卑弥呼の時代、九州は小国が乱立してたけど
中国地方や近畿は大国(邪馬台国や出雲や吉備)でかなり統一されてたんじゃないかな?
敵対してた狗奴国ってのは中部か関東の勢力だと思う
355名無しのひみつ:2009/12/05(土) 07:40:08 ID:kdFdMesv
金印の出土は、当時戦争がはじまる前に、奪われたり焼けたら困る
大事なものを予め何か目印となるものに入れて、たとえばどこかの
樹の根元に埋めておいた、などとかじゃないか?
 あいにく国が敗れて金印の存在を知っていたものは皆殺しになって
しまっただとか。
356名無しのひみつ:2009/12/05(土) 08:27:49 ID:UWtFozsW
このタイトルは秀逸

http://www.eic-av.com/detail_44634.html
357名無しのひみつ:2009/12/05(土) 08:30:42 ID:2mJrvFLM
>>355
それじゃ負けて皆殺しにされること前提で開戦したことになるぞ。

王族の誰かが、敗戦後に金印を持って逃げ延びようとしたと想像しても、
逃げた先が志賀島というのは不自然。
捲土重来を期して、有力な国家へ逃げるのが当たり前だろう。
博多湾近辺の国を攻め取ろうと思うなら、攻め方は水軍も用いただろうから、
その点でも海上へ逃げるという発想は不自然。

仮に畿内勢力との戦争で、博多湾が最後の領土、四面楚歌の状況で、
なぜか海上への逃げ道は確保されていたとしても、
逃げ延びる先は対馬国か朝鮮半島南部の国のどれかだろ。
わざわざ危険な志賀島に停滞する理由が無い。

金印がそれほど重要なら、負けて皆殺しにされるよりも、
金印を差し出して停戦調停に持ち込むんじゃないか?
何せ、漢という超大国のバックアップがあるんだから、
とにかく停戦してしまえば捲土重来は十分可能な目だ。
358名無しのひみつ:2009/12/05(土) 18:02:41 ID:ohWVDzp8
>>348
聖徳太子以前は普通に朝貢してましたが?
359名無しのひみつ:2009/12/05(土) 18:08:14 ID:RLr29fF1
当時は九州とか近畿とかいう地名・地域名もなかった。それだけは覚えておこう。
360名無しのひみつ:2009/12/05(土) 18:33:29 ID:FBv6NYuX
エゴイスト
361名無しのひみつ:2009/12/05(土) 18:44:33 ID:kdFdMesv
>それじゃ負けて皆殺しにされること前提で開戦したことになるぞ。

自分から開戦したとは限らないし、皆殺しにならなくとも、一時的な
戦局でもって貴重なものを奪われたり焼かれることはあるだろ。
今でも銀行の貸し金庫ではなくて、自宅の床下や庭に大事なものを
埋めている人が居たりするし。
362名無しのひみつ:2009/12/05(土) 23:32:39 ID:RAxto1eN
漢委奴國金印は「江戸時代の金印ブームの中発見された。」
これがすべてを物語っていると思うんだが。
363名無しのひみつ:2009/12/06(日) 03:24:59 ID:G10D5Fg9
すべてを物語るのは考古学における科学的な分析と研究だよ
364名無しのひみつ:2009/12/06(日) 07:53:14 ID:HqfMThjN

狗奴国が後の大和朝廷かも。
365名無しのひみつ:2009/12/06(日) 09:34:57 ID:dPjVpP7R
高島忠平単なる変質狂
366名無しのひみつ:2009/12/06(日) 11:49:34 ID:e7t5RkfB
ネタをネタと見抜けない人にネットを使うのは難しい。
367名無しのひみつ:2009/12/06(日) 11:54:52 ID:07FP4W2R
倭=邪馬台国=九州
日本=大和=奈良=ウリナラ
368名無しのひみつ:2009/12/06(日) 12:18:12 ID:avXETIB3
間を取って、備前国・岡山ということで手打ちしましょう
369名無しのひみつ:2009/12/06(日) 13:46:35 ID:sCCIouz2
どうにもわからない。
それじゃあ、それはなかったんだろう、ということで手打ちしましょう。
370369:2009/12/06(日) 13:48:21 ID:sCCIouz2
確かにあったんだ!
という確たる証拠が出てくるまでは、ね。
371名無しのひみつ:2009/12/06(日) 14:06:15 ID:BVaL03A3
朝鮮臭がする
372名無しのひみつ:2009/12/06(日) 14:21:30 ID:E1Dh1Sh6
古代史研究においては、資料研究の限界に近づきつつあるのだろう。

語源的なものからすれば、邪馬台国=大和の語源だろうと推定されている。
日本書記にある、天皇記においては、年号等が無理になっていることが挙げられている。
しかしながら、稲作の東方拡大から考え合わせると、その稲作とともに、朝廷が移動したとするのが良い。

よって、集団農業や集団漁業によって、集落が生まれ、集落共同体としての村が生まれ、
交易地としての町が生まれた。相互に交易が盛んになるにつれて、村村を統合する者が出てくる。
それが、国になる。国長が豪族となり、豪族の連合体としての大和朝廷が生まれる。

問題は、邪馬台国=大和朝廷なのか?という議論になる。

斑鳩の白い砂の上に、興味深い記述を見つけた。飛鳥の語源が、渡来人によるものであることを。
強大な朝廷を支えたのが、当時先進文明地であった、百済や新羅、隋などの文明地。
よって、任那南下説が以外に正しいのかも知れない。

そうやって考え合わせると、邪馬台国=九州説に軍配が挙がるわけ。
373名無しのひみつ:2009/12/06(日) 14:23:25 ID:sCCIouz2
邪馬台国 台湾説
邪馬台国 沖縄説
邪馬台国 サハリン説
邪馬台国 ハワイ説
邪馬台国 ミクロネシアのどっか説

これだけ揃うと、「邪馬台国などはなかった」のほうが信憑性があるな。
374名無しのひみつ:2009/12/06(日) 14:25:25 ID:sCCIouz2
役人の作文に、惑わされている。それだよな。それに違いない。
375名無しのひみつ:2009/12/06(日) 14:39:01 ID:8KRTWYNA
天皇陵を学術調査すればかなり古代史の新発見があると思うんだけどね。
宮内庁は馬鹿で困る。
376名無しのひみつ:2009/12/06(日) 14:44:30 ID:CwItWQC9
こういう事言うのならそうたりえる物証をまず見つけて提示すべきだと思うのだが。
仮説を立てるのはタダとはいえ、他の意見を完全否定するのなら
相応の物ださないと。
377名無しのひみつ:2009/12/06(日) 14:47:13 ID:UhqTKaVA
>>375
馬鹿なのはお前だ。
天皇陵みたいな新しい古墳を調べても邪馬台国については分からないよ。
378名無しのひみつ:2009/12/06(日) 14:48:39 ID:E1Dh1Sh6
>>375
最近の天皇陵ならば、あまり問題は無いような気がするけど・・。
奈良周辺の継体天皇陵や仁徳天皇陵以前では、中身が怪しそうな気がする。

江戸期の国学や明治期辺りに、無茶な伝承によって天皇陵を勝手に決めているので・・。
結構、大昔の天皇陵は、破壊されてしまって痕跡を残していない可能性がある。
なぜならば、明日香村の石舞台古墳が上げられる。

資料等によれば、室町時代の新田開発期に、あの辺りを開墾するために、土砂が動いている。
よって、そのあたりを勘案すると、探しても何も出てこない可能性は否定しない。
379名無しのひみつ:2009/12/06(日) 15:00:19 ID:7eo84LQP
九州っていう広域なのが何とも言えないバカバカしさだなw

近畿はもう限定的なのにw
380名無しのひみつ:2009/12/06(日) 15:05:20 ID:E1Dh1Sh6
>>379
まあ、佐賀の吉野ヶ里遺跡という巨大な証拠が出てきているからね。
同じく、青森の三内丸山遺跡というのも、故司馬氏のオホーツク海交易説を裏付けるものだし。

古代史における、年号測定もやっと精密な方法で確立しつつあるから、これからもこの論争は終わらないような気がする。
381名無しのひみつ:2009/12/06(日) 15:06:32 ID:7eo84LQP
>>380
吉野ヶ里遺跡(笑)
382名無しのひみつ:2009/12/06(日) 15:11:02 ID:UhqTKaVA
>>380
三内丸山遺跡とか何時の時代の遺跡だと思ってるんだよ。
オホーツク人が南下して北海道に定住したのは紀元後の事だし
釣りにしても酷いぜ。
383名無しのひみつ:2009/12/06(日) 16:06:36 ID:A6nN0y2j
ヤマタイの姫巫女

こう書くとまったくイメージが違うなww
384名無しのひみつ:2009/12/06(日) 16:14:36 ID:G10D5Fg9
>>380

おいw
恐ろしい釣りだな吉野ヶ里ってw

吉野ヶ里がヤマタイなどというのは電波レベルに近いよまい言なのを知っていて言っているのだろうがそれじゃあ流石に釣れないぞ
385名無しのひみつ:2009/12/06(日) 16:26:28 ID:66S2HqC7
近畿はほじくり過ぎるから出てくるだけ
386名無しのひみつ:2009/12/06(日) 16:29:48 ID:7eo84LQP
>>385
箸塚は奈良のど田舎でも更にど田舎なんですけどw
387名無しのひみつ:2009/12/06(日) 16:39:50 ID:7Jjdevrt
まえに嵐山で卑弥呼みたよ
めちゃくちゃかっこよかった
388名無しのひみつ:2009/12/06(日) 16:51:38 ID:0jOKALWG
>>377
邪馬台国については判明しなくても、当時の日本の状況が分かってくるだろう。
そうすれば大和王権だけではなく、邪馬台国自体にも繋がってくる。
天皇陵は古代の人が残してくれたタイムカプセルなんだよ。掘らんでどうする!
389名無しのひみつ:2009/12/06(日) 17:04:27 ID:E1Dh1Sh6
>>388
あまり、人のプライベートを暴露するのはよくない気がするので。
将来的に、今の皇太子が即位した時代には許可が下りそうな気がする。

宮内庁の書稜部や奈良の正倉院事務所以外に、文物調査課のような組織が出来れば良いんだけどね。
そうなれば事務手続きが簡単になって天皇陵の調査が行えるようになるはず。

今のプロシージャーだと、組織が存在しないため、全ての政府関係の許可が居る。
390名無しのひみつ:2009/12/06(日) 17:17:57 ID:E1Dh1Sh6
故人という意味ね。

ヨーロッパなどで有名人の墓の調査が可能になったのは死亡記録をつける時代になってからのこと。
死亡記録が残っていないや死亡理由が不明確または嫌疑が存在する場合に、故人の一族の許可を経て可能になっている。

例えば、モーツアルトの墓に、モーツアルトが居なかったというのも、それで分かった話。
391名無しのひみつ:2009/12/06(日) 18:18:48 ID:lP5Ja8XG
仮に「卑弥呼の墓」が未盗掘で存在するとする。
そこから何が出てくるのかは今までの考古学成果でだいたい見当が付く。
大量の鏡、おそらく初期型三角縁神獣鏡、そして勾玉を始めとする装飾品類がいくらかだな。
ただし、この時代の墓から「銘」の入った遺物が出てくる可能性は皆無。
つまり、「卑弥呼の墓」が未盗掘で存在しても、そこから「3世紀半ばの有力首長の墓」
以上の情報を引き出すことは不可能。
んで、そんなことは、わざわざ掘らんでもわかりきったことだw
つまり、未盗掘の「卑弥呼の墓」を掘ってもそれが「魏志の卑弥呼」であることを同定できる
史料が出てくる可能性はほぼ皆無なのだよ。
どうも、古墳の副葬品に過剰な幻想を持ってる向きがあるようだが。
唐の墓みたいに墓誌でも入ってるとか思い込んでるんだろうか?
392名無しのひみつ:2009/12/06(日) 18:41:29 ID:Uq/RC04Y
>>388
>天皇陵は古代の人が残してくれたタイムカプセルなんだよ。掘らんでどうする!

高松塚みたいに破壊されてもねぇ…
現代人に、そのタイムカプセルを開ける資格があるのかねぇ…
393名無しのひみつ:2009/12/06(日) 18:44:46 ID:OfZ4khzI
愛知県出身で東京在住のオレは、どっちでもいいと思う。
カッコいいのは近畿説だな。
九州説はカコ悪い。
394名無しのひみつ:2009/12/06(日) 22:00:33 ID:zn6MC2Vd
九州の方はメンタイ国だろう。
395名無しのひみつ:2009/12/07(月) 01:18:17 ID:9QfY5U2i
>>392

ネトウヨ乙
396名無しのひみつ:2009/12/07(月) 02:03:12 ID:xaV8VBlu
また朝鮮人か
懲りない奴だなw
397名無しのひみつ:2009/12/07(月) 10:17:56 ID:iV9NwzI/
当時の日本にも漢字を使える人はいたでしょ?
文字が刻まれた埋葬品とかないの?
398名無しのひみつ:2009/12/07(月) 10:25:51 ID:Gx47xlDp
最近ニュー速なんかに誰彼見境なく「ネトウヨ」を吼えるキチガイが続出している
民主に批判的なレスをしただけで、即「ネトウヨ」認定だ
まあ民団にはキチガイしかいないから困ったもんだ
399名無しのひみつ:2009/12/07(月) 11:26:02 ID:h5u0UNcS
>>397
前の方に書いてある、後漢から贈られたと言う金印。
後は、銅鐸、銅矛、鏡や鉄剣などに刻まれている例が多いね。

さすがに石器時代及び後石器時代になると見つかっていない。
400名無しのひみつ:2009/12/07(月) 12:18:59 ID:3aY7y155
>>99 現在の地名と間違えぬ様、北九州と言うか北部九州と言う言い回しが
  正確ですね。場所は福岡市西区ー前原市糸島半島の辺りです。日本最大の
  鏡など遺跡などから多数出土。宅地化した市街地などで一括調査は難しいが
  北部九州は工事などやると遺跡が頻繁に見つかり、中断する事が多い。
  平和台球場あとのコウロカン遺跡や板付周辺など見つかったものが
  発掘や調査継続中
>>75
外出しないから知らないんだろうが、実際に大規模な柱や定礎、
環濠跡など遺跡が現地で地中から数多く出土したんだよ。それを元に当時の大規模
集落を推定して再現している。
401名無しのひみつ:2009/12/07(月) 12:19:55 ID:3aY7y155
一概に近畿説支持の人間は中傷や断定したりするの人も多いな。ヤマト→邪馬台国
なんて時代もずれてるし、九州は似た発音の地名なら多い。

金印が出て卑弥呼邪馬台国以前の時代から伊都国など古代国家が複数栄えた
文化先進地域、北部九州だと普通は考えるだろう。マキムク、マキムクと確定的
物証拠でもないのに念仏唱えてもし方がない。マスゴミ誘導など何か政治的な
アクションさへ見える。京都に負けたくないので観光資源デッチあげかな?
学者も数の割合からそれが正しいとは限らない。現状は近畿確定的と立証される
状況では全くない。捏造ゴットハンドでもされない限りはな
402名無しのひみつ:2009/12/07(月) 12:34:40 ID:gQD8Vq4+
>>401
邪馬台国が九州北部か畿内かはわからんが、大和朝廷が畿内を本拠地として、
ある程度広域の中央集権国家を建設したのは事実として確認できるのに対し、
九州北部は2世紀前半以後、勢力が低調になっていく。
したがって、九州北部に邪馬台国のような国家連合の首長国があったとすれば、それ以前の話ということになる。
魏志倭人伝に言う邪馬台国が架空の国、あるいは大きな時間的ズレがある話だということでもなければ、
邪馬台国九州説には無理があるんだよ。
403名無しのひみつ:2009/12/07(月) 14:33:47 ID:xaV8VBlu
>>401
基本的に歴史に無知なのが垣間見える文章だな
一事が万事間違えと認識不足、無知の文章

なんでこうまでも中身がないのだろうか

ヤマト→邪馬台国とかなんだよこれ
そんな政権の移行を誰が言っているの?
地名もヤマトは一般名詞だし各地に地名がある。
まぁしかし、当時からヤマトと呼ばれていた訳ではなく後の時代からがほとんど。
しかも大和王権の時代にヤマトと呼ばれていたなんてわからないのに根拠にしているし。

>マキムク、マキムクと確定的物証拠〜
これも酷いな。

物的証拠の中で直接証拠なんてあるわけがないだろうが。それをもって確定的物証がないのにと言ってしまえる知性に驚く。
間接証拠が積み上がって蓋然性が高まるんだよ
中でも蓋然性が高いのがマキムク。
もうこれより蓋然性が高いものが現状では他にないということ。様々な間接証拠が発見されている。
といっても間接証拠が積み上がっても真の確定などはない、あくまで可能性が高く、ほぼ間違いがないだろうと評価されるのみ

九州説など学者の中では一割も支持者がいない。
それには理由があるということだな。

404名無しのひみつ:2009/12/07(月) 15:13:42 ID:XDWBWICW
>>403
最後の2行が惜しいな。支持率がどうなんて関係ないだろ。
例の神の手事件だって発覚前は否定していたのは少数派だったんだぜ。
405名無しのひみつ:2009/12/07(月) 16:58:01 ID:Jos45e4V
邪馬台国なんてなかった。
あれは中国の小役人の作文なのさ。
それで一応、あきらめよう。
406名無しのひみつ:2009/12/07(月) 19:34:15 ID:mgEFPGqx
>>399
銅鐸のは「文字を元にした模様」と言った方がいい。
単体で字のように見えるものが刻まれているだけだから
そこから何らかの情報を読み取ることは不可能。
日本産の「文章」として読み取れる銘が入った鉄剣、鏡があるのは最古でも5世紀後半。
しかも、ほんの数例しか出てこない。
文字入りの銅矛は聞いたことがないな。
実例があるなら教えてくれ。
407名無しのひみつ:2009/12/07(月) 19:40:05 ID:QQvpzjGD

纒向は倭人伝に書かれた邪馬台国より、ずっと後の遺跡だな。
408名無しのひみつ:2009/12/07(月) 19:41:20 ID:Gx47xlDp
陸行一月って、どんだけノロノロ歩きなんだよ
409名無しのひみつ:2009/12/07(月) 20:42:02 ID:v4Lp3bEa
made in Yamato とか made in USA と書かれた刀剣や鏡が出てきたら要注意。
410名無しのひみつ:2009/12/07(月) 20:55:25 ID:UKfsWl0e
明治時代って、もっと大胆に天皇陵の調査していたよな。

昭和天皇「124代」も昭和になって「123代」から修正されたし、
明治時代〜大正時代の歴史学者の書いた本を読むと、
「年代が信用できるのは飛鳥時代以降」「南朝を正統とするのはおかしい」なんて
主張を堂々としているし、天皇関連で不敬罪がうるさく叫ばれるようになったのは、
昭和に入ってからだな。

まあだからと言って、日本の考古学者の調査手法が信用できるかというと・・・
正直天皇陵を調査するのなら、外国の研究者も入れて調査した方がいいと思う。
朝鮮半島の学者は絶対入れてはいけないが、アメリカか欧州、中国辺りを
一部取り込んで調査するのはありだと思う。
411名無しのひみつ:2009/12/07(月) 21:47:39 ID:2PjlW4hp
海外の日本研究者は公証と遺物から近畿説が自然だと言っている
日本人だと色々国内からの雑音が多いだろうから、外人達の研究結果は
尊重して良いんじゃないか

でも今に伝わる大和王朝の歴史には中国の史書に記載がある卑弥呼以前の
日本国内の大戦争や、卑弥呼以後壱与までの内乱の言い伝え、記録が一切無いし
邪馬台国とは違う源流国家なのだろうけど
412名無しのひみつ:2009/12/07(月) 21:58:27 ID:h5u0UNcS
>>411
以外に当たっている面もあるし、違っている面もあるかも知れない。
日本書記に目を通してみるといいよ。

継体帝の時代に、大和朝廷は断裂していたりする。
この時代には、内乱があったろうと推定されているし、断絶が存在している。
諸外国の研究の場合には、史実の客観性を担保出来る面があるため極めて重要。

まあ、あほな戦争をしなければ・・もう少しまともな日本史が出てきたかも知れない。
413名無しのひみつ:2009/12/07(月) 22:25:50 ID:3nSZfjLz
卑弥呼のいた時代、日本列島は多数の民族・部族国家が林立していた。ヤマトもそのひとつ。
後々の大和朝廷は大陸から侵入してきた倭とは異質な民族による征服王朝。
414名無しのひみつ:2009/12/07(月) 22:50:49 ID:IajHB7Yh
偏見で曇った眼では真実は見えない。
否、おそらくは見たくないのだろう。
この列島で生まれた世界最古の王朝の存在を…
415名無しのひみつ:2009/12/07(月) 23:00:30 ID:n9OC0rbD
欧米人の日本史無知は恐ろしい
律令制も知らないしカナ文字の成立過程も知らないし
考古学ではそうじゃないのだろうか・・・

ただ高松塚等壁画古墳保存に関して
イタリアのフレスコ画の保存手法が参考になるのではないか
という話は聴いたことがある
416名無しのひみつ:2009/12/07(月) 23:22:53 ID:MaXxgNrt
継体帝が新王朝を立てたというのは「もしかして史観」以外の何物でもない。

内乱があったのならそれを平定して新王朝を建てた英雄として描かれるはず。
記紀は神武天皇でもそれ以前の大和の支配者を殺して建国したとしているのだから、
同じように継体帝の即位をもって日本建国とすればよかったのにそれをしていない。

神武や崇神天皇、神功皇后のような華々しい英雄として描かれていない。

そもそも第二候補だった。武列天皇の後継は、第一候補は丹波の倭彦王だった。彼がトンズラしてしまったので継体にお鉢が回ってきた。
新王朝の創始者なら、なぜこんなことをわざわざ書く?

近江や越前から連れてきた取り巻き連中が政権の枢要の地位を占めた形跡も無い(妃は近江などの出身者が多いが)。
大和の豪族の勢力関係も大きな変化は見られない。

継体の曽祖父の妹が允恭天皇の皇后になって安康、雄略両帝を生んでいる。それほどマイナーな王家ではない。
417名無しのひみつ:2009/12/07(月) 23:55:00 ID:2PjlW4hp
>>416
神武天皇の時代はまあ神々の戦いの時代だし、派手に書いているのかもよ

中国などの例にもあるけど、人心を安定させ帝位の正当性と権威付けの為に
実際は武力でその地位についたとしても、前王や人民に乞われて
平和的に帝位についたと記録させてる例もあるよ

神話時代の初期の天皇と歴史時代の天皇で、その行動や業績から同一性が認められる
っていう考えもあるらしいし、実際の血生臭い業績は架空の神話時代の英雄に投影されて
記録されているのかも
実際継体天皇は即位してからの数十年間は、反乱鎮圧や遠征で都を定めていなかった
らしいし、帝位につくまでも色々苦労なさったかもね
418名無しのひみつ:2009/12/08(火) 00:14:59 ID:Y6WICO4D
まあ、継体の場合はどうみても実体が大伴、物部政権だからな。
傍系王族引っ張ってきて形式的な王位を継がせただけ、と見た方が
筋が通る。
基本構造としては後世の南北朝と同じだろうな。
419名無しのひみつ:2009/12/08(火) 00:43:04 ID:4rEMkRaS
継体だって天皇家の血が続いてるかなんてわかったもんじゃない
古代は通い婚が主流だっていうし
実際誰が誰の子なのかわからないからな
大伴氏や物部氏あるいは蘇我氏の子種に摩り替わってるかもしれない
それ以降の時代でも藤原氏や平清盛とか足利家とか
その時代の権力者がこっそり自分の子を天皇の子として育ててたかもしれない
可能性だけなら源氏物語にも書かれてたくらいだしな
420名無しのひみつ:2009/12/08(火) 00:57:44 ID:TcaZt6ua
継体天皇の皇后は雄略天皇の孫娘で仁賢天皇の皇女
武烈天皇の姉妹である手白香皇女
この間の子が欽明天皇(推古・用明の父・聖徳太子の祖父)
女系に注目すれば継承されている
古代人も王朝の血継続についてはなんだかんだ工夫したのである
421名無しのひみつ:2009/12/08(火) 01:00:19 ID:oY3Hn06b
>>413
遥か昔に政治的意図をもって作り上げられた、根拠が否定されている騎馬民族説みたいなことをいうなよ
笑われるぞ
422名無しのひみつ:2009/12/08(火) 01:04:40 ID:4rEMkRaS
騎馬民族説って一時期流行ったけど、今はすたれたね
423名無しのひみつ:2009/12/08(火) 01:04:58 ID:M1o+9zTr
なぜ馬が居なかったであろう邪馬台国に馬の字を当てたのかだな。
馬でも麻でも摩でも魔でも磨でも間でも麻でもよかったのでは?
424名無しのひみつ:2009/12/08(火) 01:07:40 ID:4rEMkRaS
>>423
母の意味の「ママ」を漢字で「媽媽」と書くんだが
[ma]は中国語で普通「馬」なんじゃないか?
425名無しのひみつ:2009/12/08(火) 01:14:16 ID:oY3Hn06b
>>422

> 騎馬民族説って一時期流行ったけど、今はすたれたね

半島を併合する時に日本が朝鮮を統治する際の正当化で作られたような説だからね

まして騎馬がいない時代に大和王権が出来てるのにそんな説を唱えるなんて電波以外ないしね
426名無しのひみつ:2009/12/08(火) 08:23:29 ID:+eViD6M2
>>408
古代には街道はなかったから。
海や川を船でゆく水行の方が遥かに早く目的地に到着でき、しかも運搬できる貨物も徒歩とは比較にならない。
古代文明の都市が、必ず河岸に見出されるのはそのため。
427名無しのひみつ:2009/12/08(火) 09:23:39 ID:PdEOJY11
>>426
大阪湾から奈良までがそんなに辺鄙なら、勢力がどうのこうの征服したとかしないとか
といった議論が意味をなさない孤立集落の点在じゃないか
428名無しのひみつ:2009/12/08(火) 09:32:02 ID:+eViD6M2
都市間を結合し、有機的な物流網としての機能を持つ街道が、
都市が未発達な古代にはまだなかったと言っているのであって、
道がなかったみたいなトンデモを主張してるわけじゃないんだが・・・
429名無しのひみつ:2009/12/08(火) 22:54:56 ID:TcaZt6ua
>>425
騎馬民族征服説はアジア考古学者江上波夫が戦後の1948年に発表
江上は戦前外務省の国策によって設立された東方文化学院に在籍して
内蒙古や満洲で発掘に従事し多くの成果を挙げたが
戦後日本人考古学者は中国大陸から締め出され発掘が出来なくなった
それで代わりに中近東・中南米へ発掘に行ったグループが今の早稲田や東大の海外考古学研究の基
だが中国満洲モンゴル中央アジアは共産圏だったため
90年代まで組織的発掘に入ることが出来ず東アジア騎馬遊牧民の考古学研究は頓挫せざるを得なかった
どっちかつーと
騎馬民族説は敗戦でライフワークだった東アジア遊牧騎馬民族の遺跡発掘に
従事できなくなった江上の個人的怨念で生み出された妄想
430名無しのひみつ:2009/12/08(火) 23:09:09 ID:bcfEV7NG
個人的には奈良付近に邪馬台国があった方がスッキリくるんだけど、
でも古代の奈良付近って湿地帯だったんだよね?
三輪神社や古代の重要国道と言われる山辺の道が平地を避けて
山の中腹に建設されている事からそれは明らか

大規模集落を建設維持するには、少々地形的に問題がある気もするわ
それともあえて難地形に建設し、外敵に備えた環濠集落的な発想?
431名無しのひみつ:2009/12/08(火) 23:29:26 ID:hxxCcTFb
>>430

神社が高床式住居を模してることから、湿地に住むことに不自然さは無いと思うが。
432名無しのひみつ:2009/12/08(火) 23:50:13 ID:TaXgt3T2
wiki見てワロタ 騎馬民族説の江上波夫フルボッコじゃないか

騎馬民族征服説の反論

1. 考古学の成果からみて、古墳時代の前期(2世紀後半-4世紀)と中・後期(5世紀以降)の間には、両者の文化に断絶は見られず、
強い連続性がみられること

2. 「大陸から対馬海峡を渡っての大移動による征服」という大きなイベントにも関わらず、中国・朝鮮・日本の史書に揃って、
その記載はなく、それどころか中国の史書では、日本の国家を、紀元前1世紀から7世紀に至るまで一貫して「倭」を用いており、
連続性が見られること[3]

3. 騎馬民族であるという皇室の伝統祭儀や伝承に馬畜に由来するものがみられないこと

4. 日本列島の王墓とされる大規模な墳墓には高句麗や百済の王陵である積石塚や新羅地域の王墓である双円墳がほとんどなく、
これらと日本の前方後円墳では形態等がまったく異なること[4]。つまり、王陵の形態に共通性がまったくないこと。

5. 日本独自の古墳形式である前方後円墳は、2世紀後半から3世紀前半にかけての畿内で発生していることが明らかで、
朝鮮半島や中国大陸にそれに相当する古墳は存在せず、4世紀から5世紀にかけて最盛期をむかえ、
6世紀に至るまで墳形や分布にとくに際だった断絶がみられないことから、日本の王権が畿内を発祥とする土着の勢力である可能性が高いこと、
及び副葬品も征服を示すものが皆無であり[5]、関東地方や九州で確かに馬具や轡が出土されているが、
これは戦闘用のものではなく、一般の乗馬用のものであったり、また持ち主の社会的地位や権威を誇示する威信財としか考えられず、
これをもって征服があったとはいえないこと[6]

6. 近世に至るまで日本では家畜の去勢などの遊牧民的な習慣がほとんど無かったこと[7]

7. 北方遊牧民のあいだでは短弓の使用が一般的であるが、日本では戦国時代に至るまで長弓であったこと[8]。

8. 馬は神経質な動物であり、当時の船による大量輸送は不可能であって、
現に13世紀の元寇の際にもモンゴル・高麗連合軍は軍馬をまったく輸送していないこと

9. 倭王武の上表文では、「…昔より祖禰みずから甲冑をつらぬき、
山川を跋渉して寧処にいとまあらず…(中略)…渡りて海北を平らぐること九十五国…」と記しており、
畿内大和を中心とした視点で四方に出兵したという観念が認められ、外部からの征服を主張していないこと。

などがあげられる。
433名無しのひみつ:2009/12/09(水) 01:37:39 ID:EuxAf92y
>>430
大阪の河内方面まであったんじゃないだろか。
434名無しのひみつ:2009/12/09(水) 08:18:52 ID:XaOjAMx7
>>430
湿地は灌漑によって良質の田畑となる。
高地性環壕集落が台地の上にあるのは、外敵を防ぐ意味も無論あるが、
水害対策や防疫の目的もある。湿気ていると食料が腐りやすいからね。

さらに、水路は古代にあって重要な交通網。
湿地に限らないが、都市は水路を離れて建設されることはない。

神社が山腹に設けられるのは、神道思想上の理由。
カミは春には里に来訪し、秋の実りの季節を過ぎると山へと帰る。
山は異界であって、黄泉へと続く黄泉比良坂がある場所。
そこに結界を設ける意味で神社が建設された。
無論、里には里の神社があるわけだが。
435430:2009/12/09(水) 12:44:04 ID:b08yQVmO
>>431
そういえばそうだな
でも実際遺跡とかの復元建築見に行くと、倉庫とかの重要施設は高床式建築だけど
一般人の住居は半地下の竪穴式住居だったりしない?
東南アジアみたいに一般住居も全て高床式なのは、日本じゃ見たこと無かったので
だから湿地だと不自然な気がしていたのさ
北方国である魏の使節が、見慣れない南方建築である高床式の建物を7万戸も見たら、
倭人伝にその旨書いてあったりしてもおかしくないかなとか思ってた

>>431
食糧生産力の向上適地としては、たしかに湿地帯は活用出来そうだ
その考えが抜けていたよ

まあ日本じゃ神(上)様っていう位だもんな
天に一番近い場所である山頂に至る場所に神社を作ってもおかしくはないか
436名無しのひみつ:2009/12/09(水) 13:43:45 ID:7MHBzVHR
>>435
東南アジアの一般住居が高床式なのは後世になってからじゃないのか?
437名無しのひみつ:2009/12/09(水) 17:08:51 ID:ljipprrx
>>426
たしか難波宮に関係する史跡から、街道かかなり立派な大道が発見されていたはずだぞ。
438名無しのひみつ:2009/12/10(木) 06:15:32 ID:mz3MHUnf
実は、邪馬台国は日本人が中国を牽制する為に作り出した架空の国でした
439名無しのひみつ:2009/12/10(木) 17:33:16 ID:lzn1A5gR
>>438
普通に大和国なんだが、「魏志倭人伝」自体は一度忘れた方が良いね。
国内の文献、遺跡等から迫っていく方が早い。
440名無しのひみつ:2009/12/10(木) 18:55:36 ID:mDRCt4WZ
国内の文献って記紀とかのこと?
あれらに書かれてる神話の時代が邪馬台国よりどれくらい前なのか、だよね
441名無しのひみつ:2009/12/10(木) 19:13:28 ID:SBkJrIWt
>>439
だな
『旧唐書』だって記紀と合わないと所もいっぱいあるし
それより遥か前に書かれた『魏志倭人伝』が正確ってのはまずありえない
442名無しのひみつ:2009/12/10(木) 20:32:04 ID:sK7zK7tq
神話は神話で実話じゃないよ
443名無しのひみつ:2009/12/10(木) 20:38:42 ID:mDRCt4WZ
実話じゃなくても元ネタになった何らかの事件・事象はあるよね
444名無しのひみつ:2009/12/10(木) 20:40:03 ID:BVwVaqfZ
君たちは何の話をしているのかね?
445名無しのひみつ:2009/12/10(木) 21:15:22 ID:NqGOC/I3
卑弥呼は長野でしか成立しえない
だからリニアBルートを通せ
446名無しのひみつ:2009/12/10(木) 21:18:25 ID:SJefBlBV
九州説とかもはやトンデモの領域に突入しつつあるだろ
447名無しのひみつ:2009/12/10(木) 21:31:51 ID:/Gw7f9jk
素人目で見ても、九州説はイケてないと思う。
ジジくさいというか。
448名無しのひみつ:2009/12/11(金) 04:22:02 ID:XlSxBq9P
その昔・・・九州には、遺跡そのものを無かったことにする土木開発がありました。
449名無しのひみつ:2009/12/11(金) 08:17:26 ID:qjH79r6+
九州だけじゃないし、その昔じゃなくて現在進行形。
遺跡が公になるのは運がいいものだけ、と言ったら言い過ぎだが。
450名無しのひみつ:2009/12/11(金) 08:42:58 ID:oRw5j8bf
正直に申告した会社が馬鹿を見る法体系になってるからな。
政府には本気で遺跡を保護する気が無いとしか思えん。
自国の歴史をないがしろにする国が衰亡するに至るのは必然と言えば必然か。
451名無しのひみつ:2009/12/11(金) 09:40:20 ID:jqkD6MYV
だからといって九州説に可能性があることになりませんw

諦めましょう。
452名無しのひみつ:2009/12/11(金) 13:04:23 ID:SuVdajoP
邪馬台国所在地確定論議は無意味だと言う事ですね。

453名無しのひみつ:2009/12/11(金) 18:17:56 ID:kVDV1wdm
意味ないよ。畿内で決まりだからね
454名無しのひみつ:2009/12/11(金) 22:26:27 ID:NuKbruRT
当時の中国から見て、日本の九州と本州は現在でこそひとつの日本国だが、
別の土地に見えたあるいは九州しか認知されていなかっただけで、
九州に邪馬台国、山陰地方に出雲国、などがあったとすれば別に変でも
ないだろ。
455名無しのひみつ:2009/12/11(金) 23:55:50 ID:gyFc8y6L
下関が目に入らないとは。
456名無しのひみつ:2009/12/12(土) 00:32:57 ID:DaCxI/sT
巌流島が目に入らないとは
457名無しのひみつ:2009/12/12(土) 00:59:21 ID:qQBNgxb+
竹島が目に入らないとは
458名無しのひみつ:2009/12/12(土) 01:49:32 ID:CebSrrOs
>>454
「九州しか認知されていなかった」これは無いw
459名無しのひみつ:2009/12/12(土) 07:43:37 ID:XyKqPxAA
おはよう
実は近畿勢力は大和朝廷に繋がる邪馬台国の敵対勢力であり、
関東以北の荒覇吐(アラハバキ)こそ邪馬台国なのです
近畿の勢力圏を大きく水行で迂回したため、中国人の方向感覚を狂わし
魏志倭人伝の記述になったんだ

という妄想を朝ごはん食べる前の寝ぼけ頭で考えたが、よく考えたら今日も仕事だった
風呂入ってくる
460名無しのひみつ:2009/12/12(土) 13:56:48 ID:UZzHlkje
考古学に邪馬台国に代わる金づるネタが生まれないかぎり
この所在地論争は続くよ
461名無しのひみつ:2009/12/12(土) 14:01:35 ID:UZzHlkje
>>449

一般人にしてみれば自分の土地で遺跡が出ても良いことないもんな
家建てようとして基礎工事したら遺跡出ましたなんて最悪パターンだわ
462名無しのひみつ:2009/12/12(土) 14:01:56 ID:DwfRCN4D
まあ、遺跡から発掘される遺物類の時期などが、放射性同位元素などを
用いた方法など、科学技術が開発してきた手法を用いることで、かなり
正確な方法で同定されるようになってきた。

紫外線や赤外線による、壁画などの分析を初めとして、別のスレッドに
あるようにCTスキャナなどによるもの、それらによって・・

多分、以前の歴史が書き換えられることがあるはず。

言葉では伝わりきれない、当時の人々の生活も含めて・・生きている
歴史が明らかにならなければならないと思うよ。
463名無しのひみつ:2009/12/12(土) 15:27:03 ID:nCKSyTai
>>461
その昔、日ハム梨田監督が現役の頃、自宅新築時に遺跡が出てきて騒ぎになってたな。
464名無しのひみつ:2009/12/12(土) 17:24:02 ID:Z6i17AJU
でも九州にないんだよね遺跡が。
どんな過疎地でも出てるのに。遺跡なんて無数にあるのに
465名無しのひみつ:2009/12/12(土) 17:31:40 ID:NJhukNdB
ここ何十年も九州で遺跡を発掘しても、
マキムクを超える遺跡はみつからなかったと。
466名無しのひみつ:2009/12/12(土) 17:33:13 ID:pX+LEQbA
鹿児島あたりから熊襲の遺跡なんかは出ないの?
467名無しのひみつ:2009/12/12(土) 19:46:59 ID:zrPBk86r
>>464
「過疎地でも」じゃなくて「過疎地だから」遺跡が残るんだろw
奴国二万戸を探す為に博多市街を掘ってみるか?
対馬千戸を探す為に厳原市街を掘ってみるか?
遥か後代の国分寺や国府跡でさえ、まともに遺構の検出を出来る方が珍しいのに、
弥生集落がことごとく遺跡で残ってる筈という不思議な信仰はどこから来るのやら。
468名無しのひみつ:2009/12/12(土) 19:58:16 ID:Er0uBUB6
>>467
博多を掘っても何もでないだろうな
他の市街地でも出てくるのに出てこないんだから。
不思議だよなw
469名無しのひみつ:2009/12/12(土) 20:20:38 ID:zrPBk86r
>>468
別に不思議でもない。
弥生期の痕跡が未だに残ってるような所は、今は市街地でも最近まで
田圃だった所ってだけだろ。
ちなみに、「弥生」の元になった弥生町も明治初期頃は完全に農村。
470名無しのひみつ:2009/12/12(土) 21:32:00 ID:M/6zcfn1
不思議じゃない不思議じゃないって言ってて
見つかんないんじゃな〜
471名無しのひみつ:2009/12/12(土) 21:45:46 ID:Q9orgLsF
近畿地方だって本当はもっとたくさんあったんだろうね
上に市街地ができたり開発で破壊尽くされたりしたんだろうね
472名無しのひみつ:2009/12/12(土) 21:47:03 ID:rzWRMfCX
>>469
九州なにもないよね

島根だって遺跡は沢山出てるのに。
畿内では都市部だって田舎だって出てるのに。
不思議だよね。
結局、根拠は文献だけだものね九州説って。それも矛盾だらけで机の上でペンを舐めて出来たような説で遺跡がない。
全く絵空事じゃないかな。
研究者は誰も九州説なんて唱えてないし。
バカ島くらいだものね
473名無しのひみつ:2009/12/13(日) 02:12:39 ID:qjL0RNTd
そもそも「九州説」って言い方からしておかしいな。
魏志を信用するなら北部九州は確実にこの政体の領域なんだからw
地域政権説と広域政権説と言った方がわかりやすいな。
そして、広域政権だった方が記紀と関連づけて解釈できたりして、「面白い」のは確かだ。
ただの地域政権だったとすると、完全に話が止まるからなw

>>472
「遺跡がない」が根拠なら魏志にある対馬国から一支国、奴国に至るまで遺跡がないから
存在しないということになるな。そして無人地帯の北部九州にあたかも国があった
かのように書かれている魏志は完全に出鱈目ということになる。
畿内説とか九州説とか以前に「邪馬台国なんか無かった」説の根拠として唱えた方が
いいんじゃないの?
474名無しのひみつ:2009/12/13(日) 03:47:50 ID:qqKaYA2G
畿内に沢山あって九州には全くないのはなーんだ?
答えはヤマタイに相応しい遺跡
鏡すらないよねw
何故一枚くらい出ないの?不思議
475名無しのひみつ:2009/12/13(日) 09:29:04 ID:AhdhEYgB
>>473
>対馬国から一支国、奴国に至るまで遺跡がないから

意味不明?
対馬の「三根遺跡」、壱岐の「原の辻遺跡」、奴国と言われてる「岡本遺跡」を知らないの?
476名無しのひみつ:2009/12/13(日) 11:29:04 ID:R1AqhOpP

スレを読んでみてこのギョウカイ、痛いのはこのオッサンだけでは無く
同類が多数生息している事はわかった。








477名無しのひみつ:2009/12/13(日) 13:01:14 ID:giWXBAIb
唐古・鍵遺跡

弥生時代の環濠集落遺跡。
現在知られている遺跡面積は約30万平方メートル。
規模の大きさのみならず、大型建物の跡地や青銅器鋳造炉など工房の跡地が発見され、話題となった。
平成11年(1999年)に国の史跡に指定され、ここから出土した土器に描かれていた多層式の楼閣が遺跡内に復元されている。
全国からヒスイや土器などが集まる一方、銅鐸の主要な製造地でもあったと見られ、
弥生時代の日本列島内でも重要な勢力の拠点があった集落ではないかと見られている。


東奈良遺跡

弥生時代の大規模環濠集落の遺跡。

東奈良遺跡には、二重の環濠の内部に高床式倉庫など大型建物や多数の住居があり、外部には広大な墓域もあった。
発見された工房跡から、銅鐸の鋳型が35点も出土しており、ほかにも銅戈(どうほこ)・勾玉(まがたま)などの鋳型が発掘されている。
ここの鋳型で生産された銅鐸が、近畿一円から四国でも発見されている。

この集落が、奈良県の唐古・鍵遺跡と並ぶ日本最大級の銅鐸工場、銅製品工場であり、
弥生時代の日本の数多くの「クニ」の中でも、各地に銅鐸を配布することができるほど政治的に重要な位置を占めていたことがうかがえる。

纒向遺跡

邪馬台国畿内説の最有力候補地
弥生時代末期から古墳時代前期にかけてであり、邪馬台国の時期と重なる。
当時としては広大な面積を持つ最大級の集落跡であり、一種の都市遺跡である。
3世紀を通じて搬入土器の量・範囲ともに他に例がなく出土土器全体の15%は駿河・尾張・近江・北陸・山陰・吉備などで生産された搬入土器で占められ
製作地域は南関東から九州北部までの広域に拡がっており西日本の中心的位置を占める遺跡であったことは否定できないし、
人々の交流センター的な役割を果たしていたことが窺える。
このことは当時の王権(首長連合、邪馬台国連合)の本拠地が、この纒向地域にあったと考えられる。
伝承では倭迹迹日百襲姫命の墓とされる箸墓古墳があり、これは墳丘長280メートルに及ぶ巨大前方後円墳である。
それに先駆けて築造された墳丘長90メートル前後の纒向型前方後円墳も3世紀では列島最大の墳丘規模を持ち
ヤマト王権最初の大王墓であり各地にも纒向型前方後円墳が築造され、政治的関係で結ばれていたとも考えられている。

478名無しのひみつ:2009/12/13(日) 15:12:03 ID:R1AqhOpP
らる、える、られる♪らる、える、られる♪


479名無しのひみつ:2009/12/13(日) 18:31:34 ID:fgUeFfPg
北九州じゃなく、天皇の故郷の南九州の日向掘れよ、何か出てくるんじゃないのか?
480名無しのひみつ:2009/12/13(日) 19:04:13 ID:tyKha/SI
>>479
たいしたものは何も出てこないんじゃないかなあ。

「東征」に最初から参加していたメンバーは、神武天皇本人、三人の兄弟、息子、中臣氏の先祖だけ。大軍勢じゃない。
女性さえいない。
神武天皇が日向の支配者だった形跡も無い。
宮崎神宮は明治になるまで朝廷からほとんど相手にされないローカル神社だった。
高千穂神楽が天の岩戸と結びついたのも幕末だ。

天皇家には「祖先は九州から来た」という漠然とした言い伝えがあっただけなんじゃないの?九州は「出奔」した場所で
帰るべき土地じゃなく、「わが天皇家発祥の神聖なる地」という認識もなかったんじゃないかな?
481名無しのひみつ:2009/12/13(日) 19:50:51 ID:BWlISr44
何もないのにあったと言い張る九州
482名無しのひみつ:2009/12/13(日) 21:13:55 ID:fQQ54vx1
九州って恥ずかしくないの?
483名無しのひみつ:2009/12/13(日) 21:49:33 ID:cPknwPDi
邪馬台国にしがみつく九州www

サッカーで言えば0-7でぼろ負け。残り時間はロスタイムだけ。
九州「ま、まだだ、まだ終わらんよ。まだ1分ある!試合終了の笛がなるまで諦めん!」
484名無しのひみつ:2009/12/13(日) 22:16:22 ID:UUDduArQ
魔笛の二つ名を持つモレノがいれば、逆転勝利も夢ではない
485名無しのひみつ:2009/12/13(日) 23:01:13 ID:9qcxrPzr
墾田開発の過程で、多くの遺跡が田畑になって消えたと思われます。
486名無しのひみつ:2009/12/13(日) 23:42:01 ID:xq3mEWke
>>480
ところが旦那、日向が後の日向国ではないという説も有力なんですぜ。
この場合、漠然と日に向かう方向、つまり東か南の意味。
だから、神武東征が歴史的事実だと仮定しても、神武が九州から出発したとは限らないんですな。
487名無しのひみつ:2009/12/13(日) 23:45:25 ID:f8Z6uosN
「決定的証拠となる鏡が出土されない」とかいう学者がいるけど、
大切なものなら埋もれさせないで、移動する時に持っていくよね。
488名無しのひみつ:2009/12/13(日) 23:47:19 ID:BX/YpoGF
>>485
その条件は全国どこも一緒
畿内も中国地方も九州も、かなりの遺跡は墾田開発で消えてる
それでもなお残ってるのが畿内
全然出てこないのが九州
489名無しのひみつ:2009/12/14(月) 00:03:26 ID:pXJii1/u
【政治】民主・小沢氏「古代、朝鮮半島南部の権力者が海を渡り日本の国家を樹立した」 日本の植民地支配に
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1260715145/
490名無しのひみつ:2009/12/14(月) 00:11:38 ID:Sc/2TMr4
>>489
高天原韓国説ですか
491名無しのひみつ:2009/12/14(月) 03:22:58 ID:6QcqTady
ジャバダイゴク
ジャマタイコク
492名無しのひみつ:2009/12/14(月) 12:23:02 ID:d7/bJjWJ
卑弥呼がドブスだと判明したら、
こいつら掌返して、譲り合うんだろうな
493名無しのひみつ:2009/12/14(月) 12:30:01 ID:9qQ2UrV/
>>492
難しいんだよ。
「美人」の定義も時代とともに変わってくるから。
例えば、平安朝の頃の美人の定義は・・源氏物語絵巻に描かれているよう
な女性像。いわゆる、オカメ顔と呼ばれる人たち。

現代は、洋風の顎長で卵顔の人が美人とされているよね・・。

また、凛とした美しさというのは、例えば能面に現れるような、
自らには厳しく、人にやさしいというもので表現される。

だから、卑弥呼がどちらだったのかは・・不明。
494名無しのひみつ:2009/12/14(月) 12:53:34 ID:FqTHDxiA
もはや学問じゃなくて宗教
495名無しのひみつ:2009/12/14(月) 16:06:26 ID:R18eS4HD
>>493
絵巻に描かれている顔は大和絵の人物の表現の仕方の問題だけどな
高貴な人は抽象的に下ぶくれ、引き目鉤鼻で書く、身分の低いものはリアルに顔を書くというルールがあったわけで・・・
だから、身分の低い者の表情やしぐさは生き生きと個性的に表現豊かに描かれる。
496名無しのひみつ:2009/12/14(月) 16:30:23 ID:4+S9UmSS
今が混沌としてる世の中に、昔の事調べてあれやこれや議論する意味が解らん(・∀・)これから先の未来に何の役に立つの?
頭が良い人のする事は凡人には理解でき(´_ゝ`)
497名無しのひみつ:2009/12/14(月) 16:38:35 ID:tLZ1BVdi
>>495
やっぱり、当時の基準で高貴な人を美男美女に描いたということじゃないの?

ちょっとずれるけれど、高貴な人=支配者と庶民とは種族が違うという可能性もある。
中国から支配テクニックを身につけた種族がやってきて・・・またネトウヨから叩かれそうだな。
498名無しのひみつ:2009/12/14(月) 16:41:31 ID:9qQ2UrV/
>>496
歴史を学ぶことは、未来に生かすことだからですよ。
歴史の中から教訓を学び取り、それを未来に生かすこと。

イデオロギーを超えて、ドグマを超えるために。
499名無しのひみつ:2009/12/14(月) 16:48:44 ID:fdqcRXlu
佐賀大という肩書きが説得力を激減させているなw
結論ありきの見本だ
500名無しのひみつ:2009/12/14(月) 17:03:40 ID:/2vTEhaj
九州から遺跡が出てきたら今度は九州説有力になるんだろ。
この争いってそういうもんだろ。
501名無しのひみつ:2009/12/14(月) 17:12:14 ID:1k4XFuEI
九州説唱える奴にトンスラーが多いと感じるのは気のせいか
502名無しのひみつ:2009/12/14(月) 17:21:17 ID:R18eS4HD
>>497
ネトウヨとかくだらないことを言ってないでさ、高貴な人が中国からやってきたことにしようという発想になるかが分からんわ

>支配者と庶民とは種族が違うという可能性もある

こういう可能性はありません。

高貴なというのは律令制において官位が高い人ということな。
日本に亡命した百済王(くだらのこにしき)は身分が低いしね。
503名無しのひみつ:2009/12/14(月) 17:46:51 ID:yYggnrkl
もう間とって群馬でいいよ('・д・)
504名無しのひみつ:2009/12/14(月) 18:08:37 ID:75XUr4MK
>>501

近畿説をとなえる大阪民国人や京都民国人からもプンプンにおうが。

505名無しのひみつ:2009/12/14(月) 20:02:17 ID:VJ2LyLr/
>>500
相当、有力な遺跡が出てこないといけないぞ

マキムクより大きくて、権力の中心だったと考えられる全国各地の土器が出てきたり、銅鏡がでてきたり、
近隣の遺跡からも銅鏡が出てきたり、周辺地域の遺跡から製作工房がでてきたり、陵墓があったり、
近隣でも様々な遺跡が出てその地域が中心的地域として栄えていたと考えられるようなさ。


まぁこういった遺跡は畿内から出ているんだけどねwww
506名無しのひみつ:2009/12/14(月) 20:47:53 ID:RT3qHQja
>>504
お前が日本人じゃ無いって事はよくわかったが。
507名無しのひみつ:2009/12/14(月) 22:28:29 ID:8EhzCXye
邪馬台
大和
ヤマト
508名無しのひみつ:2009/12/14(月) 23:11:21 ID:75XUr4MK
>>506

で、お前がそう推測した根拠は何かな?
お前が大阪民国人や京都民国人であることはスレに対する反応から相当高い
確率で推測できるが。

509名無しのひみつ:2009/12/15(火) 00:30:11 ID:+/sLMgd0
わが国で「邪馬台」を「ヤマタイ」と読むようになったのは本居宣長以降
それまでは「邪馬台」をふつうに「ヤマト」と読んでいた
510名無しのひみつ:2009/12/15(火) 00:57:59 ID:rKP66cFJ
大和王権の前身はおそらく邪馬台国なんだろうな。


511名無しのひみつ:2009/12/15(火) 01:01:09 ID:+/sLMgd0
>>510
現在では多くの人がそう思ってると思うよ
まきむくで大勢が固まったんじゃないかな
512名無しのひみつ:2009/12/15(火) 01:11:41 ID:0/Kdw5TF
>>496
歴史スレには、この手のことを書き込む輩が湧いてくるが…
興味がないのなら最初から読んだり書いたりしなきゃ良いのになw
513名無しのひみつ:2009/12/15(火) 01:16:28 ID:gH4OeVyS
邪馬台国所在地論争のお花畑議論のせいで他の歴史議論や研究も同類とみられて
迷惑なのは確か。

514名無しのひみつ:2009/12/15(火) 01:31:51 ID:XOsR42qw
全身にイレズミというからには神戸とか?
515名無しのひみつ:2009/12/15(火) 01:46:46 ID:UY22cV1m
>>514
魏志倭人伝の記述も・・ちょっと誇張があるのか・
それとも、魏に贈られた生口(現在で云う奴隷)が犯罪者だったのか・・。
よく分かりません。

しかしながら、少し前(第二次世界大戦以前)まで、刑務所に収監されて
いた犯罪者には刺青を施されていたそうです。

多少の誇張があるかも知れませんが・・・実際に大和絵の外国人も誇張さ
れて描かれている。それらを想像する事も歴史の楽しみではないかと想い
ます。
516名無しのひみつ:2009/12/15(火) 01:55:34 ID:i2j9JH8U
邪馬台国は常識で考えて北九州だろうな。
近畿なわけないだろw
517名無しのひみつ:2009/12/15(火) 01:58:48 ID:0/Kdw5TF
畿内にせよ九州にせよ、どちらにせよ日本である邪馬台国なんかより、
もっと南にあるとかいう女人国、黒歯国、侏儒国なんかの方が気になるな…

女人国は沖縄、黒歯国は台湾、侏儒国はフィリピンだと思ってる。
518名無しのひみつ:2009/12/15(火) 01:58:54 ID:7UPxsl7H
>>516
その常識がどういう常識なのか教えろwww
519名無しのひみつ:2009/12/15(火) 02:08:16 ID:i2j9JH8U
>>518
南は東の書き間違いだろってのは面白すぎるよなw
これなら何でもありだよ。
こんな事をやってるから、素人が雪崩れ込んでくるんだよw
520名無しのひみつ:2009/12/15(火) 02:33:09 ID:/tMKz1TK
卑弥呼は半島渡来とか言い出しそうな悪寒
521名無しのひみつ:2009/12/15(火) 02:56:57 ID:VWNtBrNp
>>519
九州説なら史書に基づくと一ヶ月は九州をグルグル巡ることになるからな。
九州って思ってるより広大なんだよw

まぁ魏志しか論拠にするものがない遺跡もなにもない机上の九州説らしいよね

522名無しのひみつ:2009/12/15(火) 09:41:36 ID:sO//61ns

倭人伝著者の役人に振り回され続ける日本人。

王に何人の嫁さんが居てもよいのだ。

九州もヤマト王権の王妃の都。
奈良も王妃の都。
523名無しのひみつ:2009/12/15(火) 11:41:38 ID:Ap4aDDKT
古代において、方向なんていいかげんだろ。
コンパスもない、地理の教育も受けてない、その時雨降ったり曇ってたり、道に迷ったり、伊能忠敬じゃあるまいし。
地図も、きれいな道路も、GPSもある現代の感覚で、判断しちゃいけないだろ。
524名無しのひみつ:2009/12/15(火) 12:02:17 ID:LazcITpz
巻向にそれなりの大きさの都市があり、それが大和朝廷の前身である可能性は否定しないが、
魏志倭人伝に記載している国は、また別の国だと思うんだけどなあ

記紀とはかなり合致するらしいが
今のところ魏志倭人伝に添った出土物は何もないだろ。


525名無しのひみつ:2009/12/15(火) 12:05:47 ID:/aR7ALQl
> 今のところ魏志倭人伝に添った出土物は何もないだろ。

それゃあ倭人伝自体が出鱈目だから
魏志の倭人伝以外を見ても間違いがいっぱいあるというのに
なんで倭人伝だけが全部真実を書いてるといえるんだ
アホが多すぎ
526名無しのひみつ:2009/12/15(火) 12:26:00 ID:2nXVImjk
魏志倭人伝がどのような記録に基づくのかは不明だが、
原典を記録した人物は、日本列島・倭国には来ていないことは、ほぼ確実と考えて良い。
朝鮮半島の記述はある程度正確なことから、朝鮮半島までは行ったのではないかと推測できる。

そうすると、朝鮮半島に交易に訪れていた倭人か、倭人と接触があった商人にインタビューしたというあたりが妥当か。
調査対象が何であれ、倭国をくまなく踏破していたはずがないから、倭人伝の内容は、ほぼ全て信頼に値しない。
信頼できるとすれば、せいぜい有力国の名前ぐらいか。

その有力国の名前にしても、書写したときに別の字に置き換えられたりしていることがわかっているわけで、
そのまま鵜呑みにするわけにはいかない。

卑弥呼、壱与などの名前にしても、支那歴代王朝では、外国人の名前は省略して記載することが多い。
従って、これらも鵜呑みにはできない。

結論として、魏志倭人伝でわかることは、朝鮮半島の近くに倭人の国があり、女王がいたということぐらい。
527名無しのひみつ:2009/12/15(火) 13:38:29 ID:cjYkRG7N
>>523
古代にもお日様というものはあったんだから、東と南を間違えるなんてよっぽどのバカだろ。
そんなのが使節になるはずがない。
528名無しのひみつ:2009/12/15(火) 13:42:16 ID:hxk1q7Yc
元々、日田〜国東〜大分地域に所在 → 北西部九州勢力に押し出され四国に逃れる → その後、畿内へ → 大和王朝へ

九州に所在する地名の配置が四国、畿内で共通する流れから何となくw
529名無しのひみつ:2009/12/15(火) 16:04:59 ID:VWNtBrNp
>>528
理由は分からないが何故か元々九州に所在していた。
九州にあったと何故か仮定。
現代にその痕跡を残さない謎の巨大勢力に押し出される。
戦わずに国を捨てて逃亡。家族、領民、家財道具を携え、大量の食糧を持って大移動開始。
途中で他国と戦いながら食糧を補給しついでに征服し破棄していく。

移動した痕跡、戦った痕跡を残さず、無敵の軍団は四国や中国地方ではなく遠く離れた畿内まで敵を蹴散らし逃亡。一安心。国を作る。

一連の理由が九州の地名の配置。

恥ずかし過ぎる。

530名無しのひみつ:2009/12/15(火) 17:11:31 ID:2iOrbkn/
>>521
>まぁ魏志しか論拠にするものがない遺跡もなにもない机上の九州説らしいよね

こらこらw
日本の正史と呼ばれる記紀には邪馬台国や卑弥呼は記述されていない。
そもそも支那の文献にしかない。
記紀を記した当時は邪馬台国は九州なのが常識で
さすがに、近畿が邪馬台国だなんて書けなかったんだよ。
そもそも支那にも読めるように書いてあるのが日本書紀なんだから
そこに嘘を書いたら、一発で支那人から「嘘つくな」と言われるからなあ。
日本は倭の別種だよ、わかったかw
531名無しのひみつ:2009/12/15(火) 17:18:53 ID:QU6ji9l4
>>530
新説は学会で発表してからにしてくれ。
532名無しのひみつ:2009/12/15(火) 17:24:38 ID:avl92S+x
>>530
まず日本語から頼むわ
533名無しのひみつ:2009/12/15(火) 17:54:08 ID:RR8l8iTd
小澤に頼んで天皇陵発掘させてもらえよ。
特例あるで
534名無しのひみつ:2009/12/15(火) 18:10:18 ID:+wpOPwvd
どうしていまだに天皇陵を掘ったらと言うやつがいるんだろう。
どういう結果を想定して掘ったらと言っているの?マジでさ。

話変わるが、九州にたいした陵墓なんてないじゃん。端墓より古いのもないし。
どこにいったんだよ九州の陵墓はw
まさか土に埋まったあげくに、潰されたのか?www
遺跡がでてきたら経済的損失だから土建屋が破壊して埋めなおしたか?
昔から人が住んでいて掘ることがなかっただけで掘ったら出てくる!キリッ
馬鹿かwww
初めから最後まで何もない九州www

535名無しのひみつ:2009/12/15(火) 18:12:18 ID:Ju1cfW1r
邪馬台国=大和の国じゃん。

九州説を主張してるのは九州人だけ。
536名無しのひみつ:2009/12/15(火) 18:17:28 ID:2iOrbkn/
記紀にはっきり書いてあれば良かったのに。
「ウリが邪馬台国ニダ」ってw
それと陵墓とか言ってるヤシは
邪馬台国=陵墓じゃないだろ、話を誤魔化すなw
537名無しのひみつ:2009/12/15(火) 18:19:28 ID:fu6fuIn7
九州説なんてものが、まだあったんだなwwwww
すでに、出土品を検証して近畿と決定しているのに、必死すぎwwwwwwwwww
歴史の捏造は勘弁してほしいね。
538名無しのひみつ:2009/12/15(火) 18:26:07 ID:LazcITpz
弥生時代の遺跡としては唐古・鍵遺跡の方が有望だと思うんだな。
環濠もあるし、青銅器の製造跡もある。
ただ、銅鐸も制作していたようだから、大和朝廷とは違う勢力だったのだろう。

纒向はそれより少し後世の遺跡と言える。wikipediaの記述を信じると

この遺跡からは弥生時代の集落が発見されておらず、環濠も検出されていない。
つまり纒向遺跡の弥生時代のことはほとんど分かっていない。銅鐸の破片や土抗が
2基発見されているのみである。この遺跡より南に少し離れた地より弥生中期・後期の
多量の土器片が発見されており、方形周濠墓や竪穴住居なども出土している。
さらに南西の地から多くの遺物が出土している。
539名無しのひみつ:2009/12/15(火) 18:41:45 ID:40lVJHsD
>>515
縄文時代の遺跡から発掘される土偶は、大抵全身刺青だらけだから
邪馬台国以前の日本では、ごく当たり前の習慣だったんだろう。
ヤマト政権の頃にはそれが、犯罪者・反逆者の証のようになって
しまったようだが。
540名無しのひみつ:2009/12/15(火) 18:54:47 ID:J4a4tQ7j
高島忠平の馬鹿たれが何時ものこと
541名無しのひみつ:2009/12/15(火) 19:34:02 ID:FdUVQO1Z
>>536
陵墓すらない九州
542名無しのひみつ:2009/12/15(火) 19:39:50 ID:xjhBAFwS
>>538

>銅鐸も制作していたようだから、大和朝廷とは違う勢力だったのだろう。

これ詳しく説明してくれ。教えてくれどういうこと?
誰でもいいから俺に教えて

のちの時代の大和王権の古墳の副葬品は鏡、勾玉などだから?
543名無しのひみつ:2009/12/15(火) 19:50:06 ID:Q0+ikZG+
銅鐸は記紀では使用した記録が残っていないどころが
銅鐸が出土して、得体の知れない物が出たという
記録があるらしい。

銅鐸勢力と皇統には断絶があるという説がある。
544名無しのひみつ:2009/12/15(火) 19:57:55 ID:bjMV1AN4
マツ「ヒーミーコー!」
545名無しのひみつ:2009/12/15(火) 20:03:04 ID:/aR7ALQl
>>543
それは銅鐸は宗教儀式で使う道具だったから
その内、権力者がそれを憎悪の対象にしたらしく、破壊した後がある
だから残っていなくて当然
546名無しのひみつ:2009/12/15(火) 20:35:10 ID:yN+WCc1b
>>543
銅鐸は邪馬台国の時代の前の時代
邪馬台国3C
銅鐸2Cまで
時代が違うじゃない

その時代はすでに銅鏡に変わっている
547名無しのひみつ:2009/12/16(水) 00:40:45 ID:Dzps+H8E
銅鐸と銅鏡が一緒に出てくる出雲
548名無しのひみつ:2009/12/16(水) 01:04:58 ID:pASm/NAN
あのさ、山口の土居ヶ浜遺跡の人骨は中国の江南の越人との共通点が顕著で弥生人のルーツの一つが中国の江南にあってさ、
倭人のルーツとも考えられているんだけどさ

最近、土居ヶ浜の人骨は朝鮮半島からの渡来人だと勝手に改ざんして流布されてるの知ってる?

酷い話だよな

騎馬民族説といい、吉野ヶ里の件といい、土居ヶ浜の件といいそれらしく半島にすり替えるのは止めてもらいたいね。

549名無しのひみつ:2009/12/16(水) 02:00:15 ID:mbanASyC
邪馬台国が大和朝廷だと困る人たち
渡来人の主流が朝鮮半島じゃなきゃ困る人たち
此奴らには共通点があるなw
550名無しのひみつ:2009/12/16(水) 02:05:16 ID:pASm/NAN
一方が出鱈目で一方が可能性が高いという大きな相違があることを忘れてはいけないよ。

551名無しのひみつ:2009/12/16(水) 08:07:01 ID:C8dW9bic
>>546
銅鐸は、だいたい同じ時期に全国で埋納してしまってるんだよね。
重要な祭具だったと推測されてるのに、一体何があったのやら。
552名無しのひみつ:2009/12/16(水) 12:55:45 ID:gCxmJtFl
基本的にまともな学問的態度としては九州説でも畿内説でもなく
「所在地不明」が正しい。
長々と書いてあるので幻惑されがちだが、結局魏志でほぼ確実と言える情報は
「対馬〜北部九州を領域に含む政体が使節を送ってきた」でしかないんだから。
確実なところだけ見たら、実は数行しかない後漢書の奴国記事とあまり変わらんw
記紀に合わせようとするから畿内説とか九州説になるのであって、記紀を忘れれば
出雲や吉備でも成り立つ。
ちなみに一般名詞ヤマトから成った地名は日本中にあるので、名前だけならどこでも比定
できてしまうなw
553名無しのひみつ:2009/12/16(水) 13:29:33 ID:oUgsVP7f
>>551
大友がキリスト教に傾倒した挙句、寺社仏閣を悉く破壊したのと全く一緒
一部のアホ歴史家は王朝交代があったらなどとほざくが
噴飯物でしかない
554名無しのひみつ:2009/12/16(水) 13:49:28 ID:9sur5OcN
>>552
まぁ学者のほとんどが畿内だと思っているわけだけどな
最有力はマキムク。
ほぼ確定。
555名無しのひみつ:2009/12/16(水) 14:02:23 ID:+ivLSFJy
巻向は三世紀後半突如として奈良に出現した都市だろう。
邪馬台国は二世紀には成立していたはずなので違うんじゃないか。
556名無しのひみつ:2009/12/16(水) 14:08:06 ID:YyBtOGs4
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/33144977.html
これを見る限り、2世紀後半に和国大乱で一度乱れたとはいえ
2世紀に入る頃には日本国内でかなりの意思統一がなされていたんじゃないかと思う。
邪馬台国の位置について九州説と近畿説との論点ってのは結局のところ、
九州だけの統一政権だったか、日本国内の統一政権だったかってことが争点だから
近畿説を支持しちゃうなあ。
557名無しのひみつ:2009/12/16(水) 15:21:55 ID:YyBtOGs4
>>555
魏が公孫淵を滅ぼしたのが238年で、これによって中国への安全な交通ルートが出来て
卑弥呼が魏に遣使したのも同年
公孫氏の滅亡で、中国の影響がモロに倭に来るようになって
日本でも中央集権化、中国風都城とまでは言わないけども、計画的な都市を作る動きがあったんじゃないかと思う。
それがまきむくと。
百済が滅亡して唐の脅威で日本が中央集権化を始めたのと同じこと言ってるだけだけど。
558名無しのひみつ:2009/12/16(水) 17:22:58 ID:gCxmJtFl
>>556
まあ、確かにそっちの方が記紀とかと照合できて面白いんだけどね。
ただのローカル政権だったとしたら、北部九州以外の地域がどうなってたのか、
5世紀まで全く消息不明ということになってしまうので。
しかしながら、「そうあって欲しい」って願望を基準にしてしまうと学問じゃなくなるわけで。
559名無しのひみつ:2009/12/16(水) 18:45:22 ID:0qgrRg5E
>>555
唐子・鍵から発展したんでしょ。問題なし

560名無しのひみつ:2009/12/16(水) 19:47:58 ID:GYVH0IPZ
南を東と間違えたから近畿説って…こじつけもなぁ

方向を間違えたっていくつかの事実があったとしても…なぁ

普通に経路誤魔化すために、陸路・海路の日数稼いだだけだと思うがね
561名無しのひみつ:2009/12/16(水) 20:18:38 ID:2iJio1ii
ダンダダダダンダダンダンダン
おーれがやらねばバンババン
だーれがやるんだバンババン
いーまにみていろ邪馬台王国全滅だぁ
562名無しのひみつ:2009/12/16(水) 20:25:45 ID:SmcFQ/Cc
卑弥呼
この当て字に違和感持たない輩が研究しても同じ
研究のバイタリティを先人を敬う行動に向けろ

答えに行き着く行動と等しくなる。それが結果への近道だ
563名無しのひみつ:2009/12/16(水) 23:39:09 ID:vBGcFhk/
南は東だけじゃなく西という字にも似ているな。
さすがに北には似ていない。
他に似てる字を知ってるヤシがいたら書いて見れw
564名無しのひみつ:2009/12/17(木) 01:56:38 ID:IOvur9TU
山陰・山陽・四国・新潟・東北説を主張する学者は、居ないのね
565名無しのひみつ:2009/12/17(木) 02:23:08 ID:8M3ia8OL
九州を主張する学者もいないよ
誰がいるんだ?あげてくれよ
566名無しのひみつ:2009/12/21(月) 09:23:04 ID:GKTHErxD

堂ノ後古墳、それより新しいとされるホケノ山古墳、そして箸墓古墳も
実際は5世紀前後築造の古墳だろ。
567名無しのひみつ:2009/12/21(月) 16:53:32 ID:vn9UL7TP
 築造時期については、須恵器と呼ばれる土器や円筒埴輪(はにわ)
鶏形埴輪などが見つかり、いずれも5世紀後半のものだったことから
堂ノ後古墳は、ホケノ山古墳より200年以上新しいことが分かった。
これによって、最古の前方後円墳は、ホケノ山古墳をはじめ
約1キロ北西にある纒向(まきむく)石塚古墳などに絞られることになった。
産経の記事より。
568名無しのひみつ:2009/12/21(月) 21:49:48 ID:MAf5L51w
まぁ16世紀あたりでも中国で作られた地図では日本列島が九州から下(南方向)に伸びているという認識だったから
方向間違いってのは、それなりに説得力はあるけどな
569名無しのひみつ:2009/12/22(火) 00:16:58 ID:J2zyCIeF
yamataihakannkoku?
570名無しのひみつ:2009/12/22(火) 00:52:02 ID:txjMzOrn
>>568
まぁ九州までしか用がなくて、その先は大ざっぱに形が分かれば良かったんじゃね?
571名無しのひみつ:2009/12/22(火) 02:04:10 ID:KmCnHqCN
まぁとりあえず西日本の日本海側だろうな
572名無しのひみつ:2009/12/22(火) 07:29:07 ID:jPGBg/O8
>>570
地元民に案内してもらったら済むからなぁ
573名無しのひみつ:2009/12/22(火) 23:22:17 ID:ajQ3aC45
辺境の地で方角にこだわってもしょうがないだろ
だれに役立つんだ
だれが確認するんだ
574名無しのひみつ:2009/12/23(水) 00:21:11 ID:UKAjIxEH
まだやってるのか
575名無しのひみつ:2009/12/23(水) 15:14:53 ID:tCOYE+9C
>>573
>誰が確認するんだ

その通りだと思うんだ。使者も同じように考えて、本国に帰る道中か本国に戻ってから
地図でも見ながら報告書を作ったんじゃないかな?

褒美が増えるように九州内の旅を日数や行程を大袈裟に書いたのかも知れないし、
九州が北で、本州が南に伸びる地図を見ながら本州の旅を行程に味付けしながら書いたのかは〜

確かめる術も無いけどねw
576名無しのひみつ:2009/12/23(水) 17:07:25 ID:1pqWblcb
大首領JUDO(……そんな国あったっけ?)
577名無しのひみつ:2009/12/23(水) 19:40:43 ID:EwmbN3kO
九州に朝鮮からの侵略を防ぐための防壁を作ったときに、墳墓の石材などは
再利用されたのかな?
578名無しのひみつ:2009/12/23(水) 21:23:14 ID:j+hssOV0
そんな都合よく考えては駄目
九州にはなにもないんだから
九州で陵墓が増えるのはずっとあとの時代。
畿内で増えて、吉備、出雲、関東→それからやっと九州に出来始める。
それ以前はほとんど九州にはなにもない
579名無しのひみつ:2009/12/24(木) 02:31:42 ID:FaTsmVdb
邪馬台国って
ヤマト国って読むんじゃなかったの?
いつから
ヤマタイ国って読むようになったの?
580名無しのひみつ:2009/12/24(木) 05:24:41 ID:0oXxNCZl
>>579
江戸時代の本居宣長がそう呼び始めたよ
581名無しのひみつ:2009/12/27(日) 22:10:32 ID:JS6psY69
>>578
九州邪馬台国は大和朝廷に蹂躙されて
陵墓も破壊されてしまったのだろう。
582名無しのひみつ:2009/12/28(月) 00:46:42 ID:hfjti5Lg
>>581はおもしろいギャグだと思う
583名無しのひみつ:2010/01/04(月) 10:02:40 ID:FphjBHRh
吉野ヶ里遺跡が発見される前
地元の人はたくさん遺跡を回収破壊していた
興味がなかった

住宅地に造成中に発見
いい業者だった
ほとんど地元の人は
畑や田んぼにしてしまったり
業者が知らんぷりして
造成した
584名無しのひみつ:2010/01/04(月) 19:30:15 ID:2BsbrNCR
>>583

それは全国的に条件は同じ。
585名無しのひみつ
>>584
異常に多いぞ
土井仲だったから

だからと言って
どこにあってもいいけど
ものすごく広範囲に造成等された