【考古学】卑弥呼の宮殿か?奈良の纒向遺跡で3世紀の大型建物跡出土で邪馬台国論争に一石

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邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、女王・卑弥呼が活躍
した時代にあたる3世紀前半〜中頃の大型建物跡が見つかったと、市教委が10日、発表した。

当時としては国内最大の規模であることから、「卑弥呼の宮殿だった可能性がある」とする
研究者もおり、邪馬台国論争に一石を投じそうだ。

大型建物跡は南北19・2メートル、東西6・2メートル以上(推定12・4メートル)の
規模で、柱の直径は約32センチ。掘っ立て柱の建物で、高床式とみられる。この建物を含め、
少なくとも4棟が一列に並んでいた。現場は小高い台地が大規模に造成されており、南北
約100メートル、東西約150メートルに及ぶ区画があったとみられる。市教委は「整然と
した計画に基づいて築かれた国内最古の建物群」としている。現地説明会は14、15両日午前
10時〜午後3時。

白石太一郎・大阪府立近(ちか)つ飛鳥博物館長(考古学)の話「大型建物が邪馬台国の政治や
宗教上の中心的な施設であった可能性が十分ある。飛鳥時代より前の国家的施設については全く
分かっておらず、今後の研究の重要な資料となる」

◆纒向遺跡=東西2・5キロ、南北1・5キロの範囲に広がる、3〜4世紀では国内最大の集落
遺跡。関東から九州まで各地の土器が出土しているほか、近くに「卑弥呼の墓」との説がある箸墓
(はしはか)古墳など多くの大型前方後円墳があり、大和王権誕生の地とされる。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20091110-OYT1T00860.htm
2名無しのひみつ:2009/11/10(火) 21:17:50 ID:mxAD0kPv
どんどん九州王朝説が不利になっていくなぁ
3名無しのひみつ:2009/11/10(火) 21:18:30 ID:vVBF8kFn
阿波も忘れないでくれ。
4名無しのひみつ:2009/11/10(火) 21:36:11 ID:AUROOsxg
忘れてはいないが、不利だw
5名無しのひみつ:2009/11/10(火) 21:42:50 ID:0gf68Qn+
かなりね…
6名無しのひみつ:2009/11/10(火) 23:38:02 ID:ssxWZAgp
古代日本語は母音連続を忌避するので
YAMATAIという発音は間違い
YAMATOと読むべき
とでーがくのとき某先生がゆーてた
7名無しのひみつ:2009/11/10(火) 23:41:25 ID:j/3cS3rM
>>6
そんな理由は知らないが、
台は当て字で、原文だと、当時の発音で「TO」と読む字だよ。
8名無しのひみつ:2009/11/11(水) 11:28:08 ID:V0fr7T0b
台与を「とよ」と読んでるわけだしな

壱与説だとヤマイ国
台与説だとヤマト国

って感じか
9名無しのひみつ:2009/11/11(水) 11:47:41 ID:SIaWA5IY
邪馬台国は当時いくらでもいった国のひとつに過ぎないからな
10名無しのひみつ:2009/11/11(水) 20:14:00 ID:NunaaMpl
一石を投じるとかじゃなくてもう畿内説で確定してるだろ。マスゴミはなんて九州説に気を使ってんだ?
11名無しのひみつ:2009/11/11(水) 21:06:12 ID:Pnl6zUZl
しかし、宮殿といっても
復元図見るとド田舎の農家みたいだな
12名無しのひみつ:2009/11/11(水) 21:55:49 ID:oG31oYqw
近世の絶対王政の王宮が意識に刷り込み済みだからな
13名無しのひみつ:2009/11/11(水) 22:52:22 ID:cA4IZMtR
現代の農家は、1800年前の宮殿に似ている。

ということは・・・
1800年後の農家は、現代の宮殿に似ているのでは!?
14名無しのひみつ:2009/11/11(水) 23:56:54 ID:XA7cs66J
>YAMATAIという発音

ほんとだ。二重母音があるね。言われないと気づかない。
英語にだってゴロゴロあるしー。
二重母音がある言葉は蛮族の言葉、だとかいう話を、聞いたような気がする。
15名無しのひみつ:2009/11/11(水) 23:58:37 ID:DZlNPfKo
考古学的に、三世紀中頃には東海から中国地方まで幅をきかせてたクニがあり、
これが倭の中央政権であって、恐らくは後の大和政権に繋がる。これはいいと思う。
問題はこのクニ=邪馬台国なのかな。

九州の小さなクニが後ろ盾を得る為に魏や公孫に朝貢して中央政権に対抗していて、
それが邪馬台国である、という可能性はないのかな。
本居宣長がフカしたそうだけど。
16名無しのひみつ:2009/11/12(木) 00:07:24 ID:HQ/eEBwn
英語の 「 I 」 って、めちゃ二重母音じゃないかな。
言語学とか音韻学は、全然よく知らないので投げちゃう。
17名無しのひみつ:2009/11/12(木) 00:09:44 ID:wlUqo1Wg
なんだ、また掘っ立て柱か
18名無しのひみつ:2009/11/12(木) 00:10:39 ID:HQ/eEBwn
>>15
>問題はこのクニ=邪馬台国なのかな。

よくわからない。名前が無い。勝手に名づける。名前が一人歩きしちゃう・・
19名無しのひみつ:2009/11/12(木) 02:04:01 ID:oyJsvl99
>>15
それだと対抗してる相手と名前が似てるってのがひっかかるんだよな。
Sonyに対抗してSanyという会社を作りました……ってこともあるけど
対抗というか便乗って感じだし。
20名無しのひみつ:2009/11/12(木) 12:31:29 ID:7WFf1z1e
両方 あり 同じでいいよもうw

引っ越しとか支店 でいいよw
21名無しのひみつ:2009/11/12(木) 12:46:02 ID:Oea5l0rN
もう10年以上前の大学の講義だが、当て字が一人歩きしてるっていってたな。
漢字で書くからややこしい解釈が生まれるのであって、「邪馬台国」は「やまとのくに」を、中国語で漢字表記する為の単なる当て字である。
こう考えると、邪馬台国がどこにあったのかわかるだろう。って。
さらに、「卑弥呼」は名前ではなく、当時の倭人が言ってた「ひのみこ」すなわち「日の巫女」の当て字だろう、って。
22名無しのひみつ:2009/11/12(木) 12:55:44 ID:ACbNgtON
そもそも邪馬台国は今でいう福建省の東にあるって
魏志倭人伝にハッキリ位置が書いてあるじゃん
位置でいえば今の沖縄より南の位置だ。

その位置ゆえに、魏は蜀の背後にある国の弓月と
呉の背後にある国の邪馬台に金印を与えて軍事同盟を結び
背後から敵対国を脅かす政策に出た。

で、この場所に今でいう奈良盆地が来るわけだ
火山が噴火した際に熔岩が流れ出すが、砂鉄を含む熔岩が固まった際
当時の地磁気の位置がその内部に刻印される。(砂鉄が向いている方角が北)
2000年前の熔岩内部の地磁気を調べてみればわかるが、当時の日本は
九州を北にして倒立してたんだよ(北海道除く)
23名無しのひみつ:2009/11/12(木) 14:35:09 ID:LVZY0IDK
>>2 俺なんか魏志倭人伝読んで、九州説はありえないと思ったよ。
24名無しのひみつ:2009/11/12(木) 15:15:54 ID:7ZkNMz4N
いーや!邪馬台国は巻向遺跡を中心とする大和であーる。
がっはは
25名無しのひみつ:2009/11/12(木) 15:27:11 ID:4oG7ML/u
神武東遷伝説と近畿の祭祀の激変で九州型になった事を
どう説明するんだ。


26名無しのひみつ:2009/11/12(木) 15:28:51 ID:4oG7ML/u
日本人って、まともな思考回路がないのか四


27名無しのひみつ:2009/11/12(木) 16:27:58 ID:ubdrLQlX
神武の東征がある時点で記紀が編纂された当時に少なくとも

天皇家は西国(九州)から来た。

てのは常識的に知られてたんじゃないか?
とは思う。
28名無しのひみつ:2009/11/12(木) 17:50:04 ID:EZmDynt8
3世紀の遺跡ってだけでは決定的な証拠とはならんだろう。
少なくとも倭人伝に記された楼観や城柵が出てほしいものだ。
29名無しのひみつ:2009/11/12(木) 19:15:35 ID:7LJDqr6A
邪馬台国=台湾
30名無しのひみつ:2009/11/12(木) 19:30:24 ID:oFvhpnfE
城柵はでてんじゃん
31名無しのひみつ:2009/11/12(木) 19:58:17 ID:9seQBoda
>>25
九州の神武天皇が近畿の邪馬台国を攻め取ったと考えれば特に矛盾がない
32名無しのひみつ:2009/11/12(木) 22:30:10 ID:COT7yVOa
魏志倭人伝。あんなの役人の作文さ。
まじめに読んだらバカを見る。
33名無しのひみつ:2009/11/12(木) 22:58:58 ID:1aBFGUGK
八幡平
34名無しのひみつ:2009/11/12(木) 23:05:36 ID:cGl5S2A2
魏人が日本神話の太陽女神の話を聞いて実在の女王として記録したのであろう
というのが和辻哲郎説
35名無しのひみつ:2009/11/13(金) 04:46:16 ID:RnrJ6LOJ
>>25
いくらでもこじつけられるよな。
倭迹迹日百襲媛命=卑弥呼の説を取るなら、神武天皇はそれより前だから
倭国大乱の初期に移動したかも知れないし。

個人的には、陸行一月は街道が未整備にしても長すぎるし、
実際には主要路なら踏み固められてるはずだから、一日の誤植じゃないかと思う。
邪馬台国が水運を使ってなかったとは考えにくいし。
投馬=吉備、邪馬台国は難波津から徒歩一日ってのが無難な気がする。

不弥国から先は行程が日数になるのと、
邪馬台国は会稽の東あたりなんだろうと中国人が記録しているのを見るに、
中国人は実際には行ってなく、倭人の申告に依るんだろう。
伊都国に迎賓館があるようだし、そこから陸路で繋がる不弥国までは行けたにしても。

まあ全て空想に過ぎない。
文書は当てにならないよね。1字で大違いになるから。
会稽の東というのが正しく、鹿児島に邪馬台国、南西諸島に狗奴国があったかも知れない。
距離が短里で表現されている、というのは確かに合うのだけど、
一方、女王國まで萬二千餘里って表記が二萬千餘里の誤りだったら畿内説がぴったり。
考古学が解明してくれるのを望むよ。
36名無しのひみつ:2009/11/13(金) 05:09:15 ID:3BY4Oror
あの辺・この辺には古来からヒトが住んでいました。
それ以上のことは何も伝わっていません。
すげーだろ。言葉が無いころから、ヒトが住んでたんだぜ。
37名無しのひみつ:2009/11/13(金) 05:25:09 ID:5jYMTUJ1
邪馬台国って表札がでないとダメ
38名無しのひみつ:2009/11/13(金) 06:33:57 ID:Zu2uFtrd
少し大きな建物跡が出てくると卑弥呼の宮殿とかw
どんだけアバウトな調査やってんだよ
39名無しのひみつ:2009/11/13(金) 07:26:45 ID:NI7493ac
>>32
やっと出会えて嬉しい。
今現在、散々、半島は信用ならんと言ってるわりには
信用し過ぎだよな。
ようは、公金横領旅費流用だな。
対馬までしか来てないんちゃうかな?
卑弥呼は皇女として三人くらい居たんでないかな?
倭姫みたいに巡業していたと感じる。
40名無しのひみつ:2009/11/13(金) 08:42:37 ID:r1GsqMdQ
九州説の人は仮説ばっか出して一つもモノを出してこないって印象あるわ
41名無しのひみつ:2009/11/13(金) 09:30:56 ID:aICqHztY
私の調査では巻向以外に考えられない。
九州なんて…ふふふ
あれ日本か?ぷっ
42名無しのひみつ:2009/11/13(金) 10:23:12 ID:JhDQ4VZb
卑弥呼って天皇の子孫だろ?
43名無しのひみつ:2009/11/13(金) 12:48:31 ID:zBvRusUQ
>>29
刺青、巫女(ノロ)文化、「海に潜るのが得意で魚やあわびをとる」「気候は温暖であり裸足で生活している」

なら沖縄のがよさそうだな。実際素直にとりゃ、少なくとも他と同程度にはあり得ぬこともなさそうなのに何で無視されている。
検索すると、

>読谷村の喜納には「ヤマタイ毛」と言う場所がある。
>邪馬台、読谷

何やら補強もいろいろあるようで。そこまで行くとちょっとこじつけ性も高まるとしても。

実際、本土にあるとすると、「刺青」「女王」、その後の大和系の文化との接続が悪すぎるんじゃないのか。
44名無しのひみつ:2009/11/13(金) 23:19:38 ID:iU3CFXtL
>>43
位置的にほぼ間違いないだろうという北部九州の国々を従えていた国が沖縄にあったってのは無理があるのでわ
45名無しのひみつ:2009/11/13(金) 23:21:13 ID:L59scsWs
学会じゃ場所は畿内でほぼ決まり、あとはどう大和王権につながっていくかって段階なんだがな
46名無しのひみつ:2009/11/14(土) 00:30:59 ID:rowUSyEZ
>>10
対立軸作らないと盛り上がらないから。
47名無しのひみつ:2009/11/14(土) 07:53:20 ID:uPZyYTle
九州に何が残ってるとゆうのかね…ばかばかしい
48名無しのひみつ:2009/11/14(土) 08:06:30 ID:qFvgjq7B
>>47
九州にや吉野ヶ里があるじゃないか。
49名無しのひみつ:2009/11/14(土) 08:35:48 ID:RXwB6Je/
>>15
大和王朝、日本国の成立という意味でなら、7世紀まで待たなければならないだろうが、
ヤマトに首都を持つ王朝=邪馬台国と言う定義なら、問題なくこの国が邪馬台国だろう。
50名無しのひみつ:2009/11/15(日) 00:50:31 ID:WxdmN3ws
これより遥かに時代が下った、13世紀ころ、弘安の役で損害を食らった元がその後、
JAPANを占領したと記録があった。しかし、現実には、占領されていなかった。
だから、これは元のハッタリだという人が多かった。

一方、日本の先生に、当時の元の言っていたJAPANはジャワのことだと頑なに言う人がいた。
実際、ジャワの一部は元の占領を受けている。

で、どうなんだろうと思っていたら、元の時代の中国の日本地図の中に、日本が西南に伸びていって
フィリピンの方へつながる地図があった。

当時の漢民族の全部がそれを信じていた訳ではないだろうが、内陸の民のモンゴル人なら騙せる可能性がある。
日本占領は事実として失敗したが、元から見てJAPANであるジャワの占領は成功したと言えなくもない。

で、それより、1000年くらい前の内陸の漢民族である魏人が日本が西南に伸びていってフィリピンの方へつながると
考えていたとしても不思議ではない。

すなわち、西南に伸びていると思っていた日本が、実は、東北に伸びていたと。
良くいわれる、日数を忠実に解釈すると九州南端を越えるというのは確かだが、
旅行の方向が、西南のつもりが東北だったら当然、瀬戸内海等を通っていくようになって日数に無理がなくなる。

まあ、妄想にすぎんがね。
51名無しのひみつ:2009/11/15(日) 13:44:07 ID:7FuOVbkF
もう帰っていいよ
52名無しのひみつ:2009/11/15(日) 14:38:17 ID:wzskkvEF
宗教観念が古神道と邪馬台国では違い過ぎるというのが、
魏志倭人伝の捏造の可能性が高い理由の一つである。
神道は不浄を嫌うが、邪馬台国では不潔な奴隷を神に捧げる。

また、邪馬台国の人々は全身に刺青をしていたそうだが、
日本書紀には犯罪者に罰として刺青を入れるという記述がある。
刺青が珍しくないのだとすれば、罰にはならないだろう。

さらには、邪馬台国では一年中生野菜に事欠かないらしい。
どうやら邪馬台国が仮に存在したとすれば、それは日本列島
ではなく熱帯地方に有った様だ。
53名無しのひみつ:2009/11/15(日) 15:24:11 ID:mPhHei6+
>>49
福岡にちょいと前まであった山門(ヤマト)郡はじめ
古くからヤマトて地名だった場所なら腐るほどあるだろうに
54名無しのひみつ:2009/11/15(日) 16:34:14 ID:mPhHei6+
でも倭人伝の邪馬台国があった場所は、奈良とか近畿でないことは間違い無い。

遠くにありすぎて国の名前ぐらいしか解らない。とされてる国名の中の
伊邪国・都支国・鬼国・巴利国
が、普通に連想するようにそれぞれ
伊予国・土佐国・紀国・播磨国
だとしたら、邪馬台国から遠くにありすぎて解らないなんてことは無いだろ。
大和国なんてその国名しか解らない国のなかの邪馬国あたりじゃないのか?
55名無しのひみつ:2009/11/15(日) 16:43:49 ID:mPhHei6+
で、伊予も播磨も名前しか知らない。のなら邪馬台国に行くのに瀬戸内海は通って無いと考えるのが妥当ではないか?

土佐も紀伊もそういう扱いだから、四国に面した海は通って無いだろよ

と思うんだが異論は認めるw
56名無しのひみつ:2009/11/15(日) 18:31:40 ID:kvbnv1pI
ちゃんと灰皿片付けておけよ
57名無しのひみつ:2009/11/15(日) 21:00:53 ID:mPhHei6+
>>56
灰皿?
58名無しのひみつ:2009/11/15(日) 21:12:35 ID:mPhHei6+
灰皿ついでに書いとくと伊都国が糸島ならば
邪馬台国はそこから南にないと倭人伝その物の記述が信頼に足らなくなるんじゃないか?
距離や日数は誇大や誤りがあって書かれるとしても、北極星がある限り方位ぐらいは合ってると信じたいな
59名無しのひみつ:2009/11/15(日) 22:24:18 ID:7g9JCb9S
陳寿って九州は愚か帯方郡までしか行ったこと無いんだよな
60名無しのひみつ:2009/11/16(月) 00:17:24 ID:HmDNLpSc
もう九州説は「方位の変更は許さん」だけだな。
まあそれぐらいしかまともな論拠も残ってないし、中国の昔の地図とか見たことない一般人なら何とか騙せるのかな。
61名無しのひみつ:2009/11/16(月) 01:36:33 ID:17ih/7iX
ヤマタイ国とヤマト朝廷は連続性、関連性があるの?名前が似ているけど。
天皇の先祖が卑弥呼とかありえる?
62名無しのひみつ:2009/11/16(月) 01:44:48 ID:41J+zfOo
うん
63名無しのひみつ:2009/11/16(月) 01:51:24 ID:XUzkzCSg
似てるってかどっちもヤマトだからね
64名無しのひみつ:2009/11/16(月) 01:55:12 ID:17ih/7iX
じゃあさ、神后皇后は卑弥呼の時代とあまりに違うから神后皇后=卑弥呼は無理として天照大御神=卑弥呼ってありえる?

65名無しのひみつ:2009/11/16(月) 02:04:40 ID:41J+zfOo
安本美典氏はその説だの
66名無しのひみつ:2009/11/16(月) 08:24:02 ID:WF3dJAX8
ヤマト発進!
67名無しのひみつ:2009/11/16(月) 08:34:34 ID:fhCeRTQ9
>>61
邪馬台国→大和政権
これが連続で続いてた可能性もあるし

邪馬台国からヤマトを乗っ取った勢力が
政権の座に座って天皇家が始まったかもしれない

どちらにしろ奈良に邪馬台国があったのは確かだと思う
68名無しのひみつ:2009/11/16(月) 11:08:55 ID:9nflBSOV
対馬、壱岐、糸東などの地名が有力な根拠なのだから、邪馬台もそういう発音の場所でなければ変だ。
ところが九州説はそれがダメなんだな。
肝心の邪馬台国が九州のどこかも示せない。
69名無しのひみつ:2009/11/16(月) 11:17:12 ID:U2Mt+nC/
70名無しのひみつ:2009/11/16(月) 11:40:04 ID:PHWWg6Jn
>>69
何かでてきたか?
71名無しのひみつ:2009/11/16(月) 14:41:25 ID:Al4t/gfs
何か出てきたかどうか、地名が似ているかどうか、そんなことはどうでも良いことだ。
どっちみち、邪馬台国の証明になるようなものはどこからもでていない。
地名が似ているといってみたところで、そんなものはどこにでもある。
72名無しのひみつ:2009/11/16(月) 14:59:19 ID:U2Mt+nC/
漢委奴国王の金印てさ
>漢が奴国を委ねた王
とか
>漢の委奴国(いと国)王

て意味なんかな?
73名無しのひみつ:2009/11/16(月) 16:50:57 ID:fhCeRTQ9
つうか
邪馬台国が奈良じゃなかったら
奈良の勢力はなんて呼ばれてたんだよってなる
国内最大級の勢力が魏志倭人伝に一切触れられてないって変な話だぜ
74名無しのひみつ:2009/11/16(月) 17:02:06 ID:XUzkzCSg
>>73
畿内に最大勢力があった時点で九州説は破綻してるんだよな
きっちり敵対勢力のクナ国についても記してるってのに畿内については記してないなんてなw
畿内が小勢力だってのならともかく国内最大勢力だってのに
75名無しのひみつ:2009/11/16(月) 17:03:05 ID:izwJ1/UR
倭国というのは九州だけのことなんだよ。本州はまったく別の国だ。
奈良あたりは毛人国かもな。
76名無しのひみつ:2009/11/16(月) 17:04:44 ID:g96AM+1c
一昨日京阪乗ってて、生駒山地を眺めながら、
この向こうに邪馬台国があったのかと感慨深くなるとともに、
なんで大阪平野になかったのかと不思議に思った。
77名無しのひみつ:2009/11/16(月) 17:17:21 ID:U0rgoCrh
>>61
>ヤマタイ国とヤマト朝廷は連続性、関連性があるの?名前が似ているけど
松下見林が
日本は古代よりヤマト朝廷の支配下だから後漢書の「邪馬臺」はヤマトに決まっている(「ヤマ」が共通で臺は「ダイ」だから同じタ行で問題なし!)
だから三国志の「邪馬壹」の「壹」は「臺」の間違いで間違いない(ズボラな中国人なら間違うに決まってる!)
と考えて以来の帝大系論者の伝統文化です
ちなみに三国志はほぼリアルタイムの史書ですが、後漢書は約200年後に古文献を参照して書かれたものです
78名無しのひみつ:2009/11/16(月) 17:35:07 ID:XUzkzCSg
>>75
出雲はどうなるんだよ
そこまでは倭でその先は外国か?無理があるだろ
仮にそうだとしても国境を接してるより大きい国に対して記述なしってのは不自然だろ
79名無しのひみつ:2009/11/16(月) 17:41:10 ID:cgX3DB89
>>74
最大勢力が畿内というのは、飛鳥以降になるんじゃね?
縄文末期から弥生時代を通じて、九州北部に文化的中心があったのは、
考古学的調査で明らかになっているわけだし。
耕作好適地の面積で畿内・瀬戸内海周辺が優位に立っていることを鑑みると、
人口では畿内勢力が優勢だった可能性が高いけど。
80名無しのひみつ:2009/11/16(月) 17:45:08 ID:XUzkzCSg
>>79
それが今回の発掘で纒向遺跡が国内最大の規模であったとわかったわけだろ
それに産業革命以前は人口=国力だろ
81名無しのひみつ:2009/11/16(月) 17:46:57 ID:U0rgoCrh
>>79
現代の国境前提の論は相手にするだけ無駄
8世紀時点でも北部東北は大和朝廷の支配下になかったんだし
82名無しのひみつ:2009/11/16(月) 17:51:20 ID:CLZk8FgX
>>76
当時の大阪平野は海だったんだよ。大和川が今の淀川みたいな感じ。
83名無しのひみつ:2009/11/16(月) 17:52:22 ID:CLZk8FgX
>>79
おいおい考古学調査だと圧倒的に近畿だろ。
84名無しのひみつ:2009/11/16(月) 18:01:17 ID:fhCeRTQ9
>>75
毛人国って関東の方じゃなかったっけ?
85名無しのひみつ:2009/11/16(月) 18:06:30 ID:cgX3DB89
>>80
祭具として銅剣を使う文化である九州北部勢力は、漢の後援を受けて、
少なくとも2世紀前半頃までは最大勢力だったと考えるのが自然だと思うんだよな。

奈良盆地に水稲技術がもたらされたのは3世紀前半と言うことも併せて考えると、
>>1の纒向遺跡を建造した集団が、後のヤマト王朝に繋がる可能性は高いとおもうけど。

銅剣を祭具にしていた集団(九州北部から中国地方西部、四国)と、
銅鐸を祭具にしていた集団(それ以西。後のヤマト王朝?)とは、緊張関係にあったと考えるべき。

>>83
鉄器の出土数。
86名無しのひみつ:2009/11/16(月) 18:17:51 ID:XUzkzCSg
>>85
で、纒向遺跡を建造した集団が邪馬台国という認識でいいの?
87名無しのひみつ:2009/11/16(月) 18:33:14 ID:cgX3DB89
>>86
それは分からない。
状況的に、奈良盆地のどこかの勢力が、いわゆる邪馬台国ではないかという程度か。
88名無しのひみつ:2009/11/16(月) 18:37:01 ID:qYKtvjxf
九州説はもう駄目かもわからんね
89名無しのひみつ:2009/11/16(月) 19:49:13 ID:jKhXkZZS
巻向は生活跡が殆ど出て来てないらしいが
藤原京より大きい規模で、それって有りなのか?

全く無いはずはないと思うのだが
それって人口密度が強烈に少ないということなのか?
90名無しのひみつ:2009/11/16(月) 20:07:58 ID:CLZk8FgX
>>89
王権の中枢部なんだろね
91名無しのひみつ:2009/11/16(月) 20:13:27 ID:OEfGLmLi
クローズアップ現代(邪馬台国か?謎の都市新発見)見た
よく理解出来た
92名無しのひみつ:2009/11/16(月) 20:48:04 ID:bkwIeEtL
>>86
まあ、あとは刺青だとかなんだとか
「どこの南海海洋民族だ。それともアイヌかなんかか?」
的な風習というか風習の話をどうするかではあるね。
いくらなんでも、大和だ奈良だ京の都だの伝統や美意識や風習と連続性を感じないというか。
93名無しのひみつ:2009/11/16(月) 20:53:26 ID:OEfGLmLi
黥利目
94名無しのひみつ:2009/11/16(月) 21:05:16 ID:Mq5NfEBR
>>91
佐賀県の先生の焦り具合にワラタ。
95名無しのひみつ:2009/11/16(月) 22:14:19 ID:wdcCIP87
こういう論争は邪馬台国前提な我田引水が多すぎて楽しくない。
楽しい論争ではあるけど、創造と空想の違いは出来るだけハッキリした方が
おいらみたいな素人にはいいな。

でも、遺跡の話自体は楽しいよね。
弥生〜古墳の境目あたりに(年代というか時期は遡っているらしいね)
でっかい勢力が奈良にあったんだよね。
ただ、つながり不便な気がするんだよねぇ、あのあたり。
琵琶湖とか堺、大阪方面はもう勢力下だったのかな。

まぁ、日本統一(東海以西・関東以西でもなんでもいいけど。)時期との
関わり方もあるだろうけど、歴史に思想を紛れ込まさないとして
巻向の時期には統一されてた?
時期はともかく、北九州・南九州・出雲・岡山・東海・若狭とかの関わり方とか
(北九州に他勢力あったら通行止めだよね)いろいろと、歴史浪漫だよねぇ。

96名無しのひみつ:2009/11/17(火) 00:23:52 ID:AcS2Dddv
>>95
> ただ、つながり不便な気がするんだよねぇ、あのあたり。
> 琵琶湖とか堺、大阪方面はもう勢力下だったのかな。

当時の大阪はほとんど海。
奈良は、海から大和川経由でアクセスできる上、大和川以外は山になってて守りやすいという抜群の立地だったらしい。
97名無しのひみつ:2009/11/17(火) 00:45:11 ID:+u9iz/Ub
ついでに、火山がないとか活断層が近くにないとかで、地震その他天災も少なかったんだと。
近畿圏は台風もそこまで来ないしな。

水運的には大和川で大阪湾へ、木津川で京都・滋賀へ行けるし、立地的には奈良は優良なんじゃないか?
98名無しのひみつ:2009/11/17(火) 01:54:07 ID:yDii1eeD
纒向遺跡中枢域は“水の宮殿” 3方に河川と人工水路
11月16日20時27分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091116-00000591-san-soci

邪馬台国の最有力候補地である纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で見つかった大型建物跡(3世紀前半)の一帯は、
河川と人工水路で3方を囲まれていた可能性があることが16日、桜井市教委などの分析で分かった。
“水の宮殿”を想起させる構造で、
約半世紀後の初期大和政権の大王ともされる崇神天皇の宮の「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」とイメージが一致する。

結局、纒向遺跡は神武東征後に作られた、初期大和王権の都じゃん。
99名無しのひみつ:2009/11/17(火) 02:00:39 ID:WBPS/0KH
>>98
三世紀前半の遺跡って書いてあるじゃん
卑弥呼の時代だよ
100名無しのひみつ:2009/11/17(火) 02:04:40 ID:yDii1eeD
中国の正史である『三国志』(魏志倭人伝)や『後漢書』(東夷伝)によると、邪馬台国の成り立ちは、
「倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。」
とある。

この代々男子王がいたとされるのが出雲で、最初の男子王がスサノオ。
古代日本は、出雲を中心とした、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」=日本であった。
出雲では年に一回、諸国の王が集まり、諸国間の諸問題を話し合いで決めていた。

何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、「葦原中津国」=日本を平定しようとし始め、
それに対し、アマテラス率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。
↑邪馬台国の誕生。これが三国志に記された「倭国争乱」であり、この、アマテラスこそが卑弥呼。

結局、アマテラス=卑弥呼は、大国主命の息子タケミナカタを取り込み、大国主命はアマテラスに、
出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、
アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣する。
↑出雲の国譲りと一大率の始まり。

その後、アマテラス=卑弥呼の死後、次の王に、畿内勢力が男王を立てたが、北九州勢は男王の正統制のなさを提唱して、
卑弥呼の宗女、壱与を女王とし、再び、北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まり、
出雲に派遣されていたニニギの二人の子も、北九州派と畿内派に分かれ、互いを牽制し出す。

このニニギの二人の子が、海幸彦と山幸彦。
つまり、海幸彦と山幸彦は、卑弥呼のひ孫。

結局、山幸彦で表される畿内勢力が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、檄文で畿内勢力を弾圧する壱与を告諭し、
北九州勢力による畿内勢力に対しての弾圧は終止符をうつ。
海幸彦は山幸彦に服従し、その後、山幸彦は、魏との関係が密になり、魏の要人の娘トヨタマビメと結婚して、ウガヤフキアエズという子をなし、
出雲は畿内勢力が実権を握るエリアとなり、それとともに、「葦原中津国」=日本の中枢も次第に畿内勢が占めるようになって、
北九州勢力は一地方勢力へと衰退していく。


ウガヤフキアエズを産んだ後、魏の要人の娘トヨタマビメは魏に帰ってしまい、ウガヤフキアエズは変わりに渡来してきた妹のタマヨリビメ(玉依毘売)に育てられる。
のちにウガヤフキアエズは育ての親のタマヨリビメ(玉依毘売)と結婚し、カムヤマトイワレヒコを産む。
カムヤマトイワレヒコは、畿内勢が実権を握るようになった「葦原中津国」=日本をより良くしようと、北九州勢と相談し、兄とともに、畿内攻略に乗り出し、
畿内勢力は果敢に抵抗し、カムヤマトイワレヒコも苦戦するが、結局破れ、畝傍橿原宮の山麓で即位し神武天皇となる。
↑神武東征・天皇の誕生で、「これ以後につくられたのが瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」=纒向遺跡
101名無しのひみつ:2009/11/17(火) 02:30:29 ID:yDii1eeD
結局さ、橿原市・桜井市周辺の土地は、神武東征の後に開発・発展した土地だから、
そこにもともと邪馬台国があった・・という話には無理があるんだよ。
3世紀前半の日本という世界は、九州北部から奈良の大和周辺までの世界で、
出雲を中心として「葦原中国」と呼んでいた。
その「葦原中国」の西の端が九州北部の邪馬台国で、東の端が大和の豪族。
出雲の衰退とともに、西の邪馬台国、東の大和で覇権争いをして、
神武天皇が邪馬台国の出か、出雲の出か、もともとは大和の出だったのかは別として、
神武天皇が西の邪馬台国をバックに東征して、東の大和の豪族を倒し、
大和の地に大和王権の基礎を築いた
・・・と考えるのが、自然なんだよ。
102名無しのひみつ:2009/11/17(火) 02:34:17 ID:tXszaSG/
しかしこれで九州説は本格的に終わったなw
今後の発掘が楽しみだ
103名無しのひみつ:2009/11/17(火) 02:55:22 ID:yDii1eeD
>>102
畿内説を採るとすれば、
邪馬台国は、畿内から北部九州までの超大国で、
その超大国の、出雲に出雲大社を建てて、一族の有力者を派遣させられるぐらいの力があった北部九州の
一豪族の出てある神武天皇が、
神の啓示(おそらく朝鮮からの渡来人の支援)を受けて東征して、畿内に攻め入り、
それまでの日本=邪馬台国を倒して、新しい日本=大和王権の基礎を築いた
・・としなければならないな。

つまり、吉野ヶ里周辺は、天皇のふるさと・・・・・・・・。

104名無しのひみつ:2009/11/17(火) 03:36:19 ID:QxaZU/vs
>>96
奈良への水路でのアクセスは木津川もあるぞ。 江戸時代大仏殿の再建に使われた柱材は屋久島から瀬戸内海を渡って
大阪湾、木津川を遡って奈良阪を地域民衆の手で搬入された。
105名無しのひみつ:2009/11/17(火) 03:40:28 ID:KCS1Otxq
この程度の出土で邪馬台国と決め付けてる無能学者
106名無しのひみつ:2009/11/17(火) 04:25:53 ID:kaiKEort
考古学も科学ニュースに入れていいんだ。
初めて知った・・・
107名無しのひみつ:2009/11/17(火) 04:50:20 ID:EOoIfinp
>>1
>邪馬台国論争に一石を投じそうだ。

一石どころか、でっかい岩だな、こりゃ!
108名無しのひみつ:2009/11/17(火) 04:57:52 ID:x4Td68PN
>>107
でもテレビ番組のセットみたいな張りぼての大岩かも…
もっと調査や研究が進まん事には何とも言えまへんな。
109名無しのひみつ:2009/11/17(火) 05:09:25 ID:EOoIfinp
>>108
状況証拠だけで決着!
ということだけは、やはり避けた方がいいよね。
110名無しのひみつ:2009/11/17(火) 06:30:37 ID:i1yrTla7
>>108>>109
必死だなw
111名無しのひみつ:2009/11/17(火) 08:08:53 ID:zhdFz2oc
九州説支持してんの九州人だけだろ
112名無しのひみつ:2009/11/17(火) 08:24:13 ID:u8nBYM7r
神武東遷は二世紀後半?前半(それとももっと前)?

三世紀前半
卑弥呼,百襲姫,崇神天皇

水から火へ
鰐から蛇へ
月から太陽へ
113名無しのひみつ:2009/11/17(火) 12:11:00 ID:Ij1NDLOj
邪馬台国と卑弥呼はこのスレみたいに、フィールドワーク無しでも
延々と妄想が広がるから、論争が続いたんだろうねえ。

本居宣長の時代に2ちゃんねるがあったら、絶対コテつけて
論破wwとか言いそうだわ
114名無しのひみつ:2009/11/17(火) 12:17:45 ID:yDii1eeD
>>112
神武東征は卑弥呼の死後か、卑弥呼が死ぬ直前ぐらいだよ。
政権が安定していた奈良時代の天皇の一代の在位期間が10年なのに、
それ以前の、天皇という地位がまだ確立していない、不安定な時期に、
1人の天皇の在位期間がそれより長いとは思えないし、
その時代の寿命が今のように長いとも思えない。
そう考えると、
西暦586年頃には用明天皇で31代目ってわかっているところからどう遡っても、
神武東征は3世紀後半の出来事で、卑弥呼の時代まではたどり着かないんだ。
それだって、欠史八代の天皇が実在したとして・・・の話であり、
実在したとしても、もしも、2代から9代までの天皇が父子相続ではなく、兄弟相続、または、家系相続
であったとしたら、神武東征は4世紀の時代までずれ込む。

まきむく遺跡が3世紀前半の遺構だとするのが正しければ、神武が北部九州から東征して闘った勢力の都だろう。
それが邪馬台国だったのか、それとも、邪馬台国と並ぶ力がある同時代の別の国だったのかはわからないけど。
115名無しのひみつ:2009/11/17(火) 12:37:12 ID:yDii1eeD
各年代と天皇の平均在位期間

17世紀から20世紀・・・17天皇・・・平均在位22.29年
13世紀から16世紀・・・29天皇・・・平均在位15.63年
9世紀から12世紀・・・33天皇・・・平均在位12.24年
5世紀から8世紀・・・20天皇・・・平均在位10.88年
1世紀から4世紀・・・31天皇
116名無しのひみつ:2009/11/17(火) 12:50:58 ID:Y2f1DoKb
ID:yDii1eeD

お前の妄想は聞き飽きた、何かを語るならソース付きにしろ
117名無しのひみつ:2009/11/17(火) 13:03:08 ID:yDii1eeD
>>116
この時代のことをソース付き??????
んなソースがあれば今頃、邪馬台国がどこかなんて話にゃなってねーし、
人の意見など意味がねーよ。

ソースソース言わないで、自分で考えろ(笑)
118名無しのひみつ:2009/11/17(火) 13:04:45 ID:yDii1eeD
まぁ、ゆとり世代には、
自分で考えて、自分の意見を持つ
ってことが一番苦手なんだろうけどな。
119名無しのひみつ:2009/11/17(火) 14:39:17 ID:KCS1Otxq
頭蓋骨に卑弥呼って名前が書かれた骨が出てこないと信用できない
120名無しのひみつ:2009/11/17(火) 15:34:15 ID:r565517Q
神武東征って実際あったのか?と言うより神武自体存在したのか?
それより上の記事の崇神天皇の方が、実在性はあるんじゃないか。
同時代と言う意味では。
121名無しのひみつ:2009/11/17(火) 16:01:17 ID:X02ttWnD
橿原
122名無しのひみつ:2009/11/17(火) 16:06:21 ID:WBPS/0KH
>>120
崇神天皇より前の9代が創作で崇神が初代だと考えるのが一般的見解。
ただ崇神も実在したかどうかは分からない。東征はあっただろう。でもこれも実際は分からない。
123名無しのひみつ:2009/11/17(火) 16:12:03 ID:QxaZU/vs
地名相似とかから東征はあった可能性は高いだろうが、神武天皇に比定される一人の英雄の仕事だったかどうかもよくわからんのだろう
支配者だけが移動してきたのか、それとも住民共々大移動してきたのかもよくわからないし
124名無しのひみつ:2009/11/17(火) 16:50:51 ID:NpyIpQLJ
専門家が考えてくれるから妄想家は黙れよ
125名無しのひみつ:2009/11/17(火) 17:16:30 ID:qoK5NLp2
test
126名無しのひみつ:2009/11/17(火) 17:44:20 ID:+u9iz/Ub
九州説に必死なバカが一人粘着してるということはよくわかった。
127名無しのひみつ:2009/11/17(火) 18:15:02 ID:E5xwhsvM
倭国大乱の時期に神武東征のような出来事があった可能性は否定できないが、
個人的に神武天皇自体架空の人物で、東征もなかったのではないかと考えている。

というのも、纒向が突然、それまでの国家の形態とは全く違う形態で出現しているため。
纒向は明らかに政治にせよ祭儀にせよ、それまで存在しなかった大規模な国家の首都だと推定できる。
仮に神武東征が事実なら、イズモ族主導による中央集権が行われたとしても、
それまでの国家の形態(邑の集合)から根本的に変化させる必要性がない。明らかに不自然。
魏志倭人伝で言うように、国家連合の代表を共立し、その首都機能が置かれたのが纒向だと考えるのが自然。
蛇足ながら、仮にこの考え通りだとしたら、邪馬台国=大和国ということになるか。
128名無しのひみつ:2009/11/17(火) 18:40:38 ID:di1l7gDs
長い
129名無しのひみつ:2009/11/17(火) 18:41:05 ID:yDii1eeD
まぁ、もしも崇神天皇が初代の天皇で、まきむく遺跡が瑞籬宮で、3世紀前期だとすると、
天皇は用明天皇で31代目ではなく、22代目ということになって、
用明天皇の西暦586年から、3世紀前半・・・つまり、西暦210年ごろまで遡ろうとすると、
(586−210)÷22で、1代目の崇神天皇から22代目の用明天皇までの、
天皇の平均在位期間は17.09年となる。

律令制が確立し、天皇を中心とした中央集権が確立した9世紀から12世紀ごろの、
天皇の平均在位期間が12年、
次に、武士が台頭し、天皇が武士による天下取りの道具とされ軽んじられた
鎌倉幕府以降の13世紀から16世紀でも、天皇の平均在位期間が15年なのに、

それ以前の時期の天皇の在位期間が長いとは、思えないけどなぁ・・・。
130名無しのひみつ:2009/11/17(火) 18:48:29 ID:NziI4vbN
東征とかは実態は親族間の覇権争いだよ、よく読めばわかるから。
九州から地名の移植なんてのも変、大和には他地方の地名だらけだし。
131名無しのひみつ:2009/11/17(火) 18:50:34 ID:yDii1eeD
そして、東征というそのものは無かったかもしれないが、
天皇を中心とした大和王権が、崇神天皇以前に西から奈良にやってきて、
奈良を都にしたという、大まかな流れは事実だと思う。

奈良に邪馬台国があったとすると、その場合、
大和王権勢力は西から攻めてきて、
奈良にあった邪馬台国と戦い、
邪馬台国の体制を滅ぼして、
大和王権を確立したということになるから、
それこそ、当時では日本を二分するほどの大戦だ。

それにしては、日本書紀や古事記での記述がさらっとしすぎているように思う。
132名無しのひみつ:2009/11/17(火) 19:16:01 ID:yDii1eeD
>>130
まぁそうだろうね。

神武東征・・・は、のちに大和王権を樹立する勢力内の権力闘争
ならば、日本書紀や古事記の記述がさらっと流しているのも納得出来るし、
その後の欠史八代も、事態の収拾までの混乱期だろうから筋が通る。
そしてそれが邪馬台国と同時期に起きたとしても、邪馬台国にとってはどうでも良いことだった。
だから神武東征は内紛程度の扱いで済んでいる。

それはなぜかと考えると、導き出される答えは、
1.神武東征の時期には、もはや邪馬台国はなかった
2.邪馬台国はあったが、神武東征の奈良より遠く離れたところにあった
のどちらかしか考えられないんだよね・・・・。

神武東征・・・つまり、奈良で起きた大和王権勢力の内紛は、奈良に邪馬台国が起こる前の出来事
つまり、奈良で邪馬台国出現前に、神武東征=大和王権勢力の内紛が奈良で起きた・・・っていうのも考えづらいから、
神武東征が邪馬台国以前の話だとすると、邪馬台国が奈良だとは考えられない。

邪馬台国が奈良だとするなら、神武東征は、邪馬台国が無くなる寸前か、無くなってから・・しかない。
133名無しのひみつ:2009/11/17(火) 19:24:24 ID:4b6WEX5+
>>132
いろんな可能性がある。君の信じる何かが可能性を狭めてるだけだよ
134名無しのひみつ:2009/11/17(火) 19:42:46 ID:yDii1eeD
>>133
ないよ(笑)
神武東征が邪馬台国が起こる前で、邪馬台国は奈良・・だとすると、

のちに大和王権を樹立する勢力同士が奈良で内紛をおこしたあと、
女王卑弥呼率いる勢力が、内紛後にのちに大和王権を樹立する勢力を倒して奈良に邪馬台国を樹立し、
その邪馬台国を、またまた、のちに大和王権を樹立する勢力が倒して、
奈良に大和王権を築いた・・・とすれば、
日本書紀や古事記は、もっと壮大な話になっている。
135名無しのひみつ:2009/11/17(火) 20:06:50 ID:yDii1eeD
後に大和王権を樹立する勢力が奈良に進出したとされる神武東征が
邪馬台国が起こる前だとすると、邪馬台国は奈良説は無理。

つまり、
神武東征を邪馬台国の後の話にして、邪馬台国は奈良

神武東征は邪馬台国の前の話で、邪馬台国は奈良以外の場所
じゃないと、筋が通らないんだよ。
136名無しのひみつ:2009/11/17(火) 20:11:12 ID:4b6WEX5+
>>134
ところがいろんな人がいてな。応神天皇が東征しただの、崇神天皇も東征組だとか
東征は複数だとかね。そういう風にいう人がいるんだよ。俺は信じないけど。(確たる証拠が出てきたら
別だけどね。)その人たちの頭の中ではそれは真実なんだ。可能性の範囲内なんだよ。
解釈の余地がある古代史に「客観的な可能性の限界」なんてない。

結局は発掘と照らし合わせて可能性を狭めるしかないわけよ。
137名無しのひみつ:2009/11/17(火) 20:31:59 ID:QxaZU/vs
>>136
後世の日記記録だとかと違って記紀って、あちこちの氏族やら何やらの伝説や伝承の寄せ集めだもんな
東南アジアやら東アジアに類型の伝承とかヨーロッパに類型のある伝承すら混じってる。

全部がウソってのも無理があるし、全部事実の反映と捉えるのも無理がある。
138名無しのひみつ:2009/11/17(火) 21:09:06 ID:yEvM6k8U
てす
139名無しのひみつ:2009/11/17(火) 22:51:41 ID:EOoIfinp
「皇紀2600年」って、一体根拠は何なの?
ウソなの?誰が言い始めたの?
140名無しのひみつ:2009/11/17(火) 23:01:26 ID:gU/rNfNA
>>28
昨日、NHKのクローズアップ現代に出演して解説していた飛鳥博物館の白石太一郎館長によるとこの遺跡には
他の他の弥生時代の遺跡に特徴的な周囲を取り囲む堀がないのが特徴だと説明していた。堀がないのは部族間
の争いが終結し、部族間の和睦が進んだ後の遺跡である可能生が高いと述べていた。

大型建物跡の特徴は建物の中央に柱が並んでいる特徴的なもので、同じ、建設様式は伊勢神宮の内宮にだけ
見られる特異なもの。

さらに、この遺跡が邪馬台国の遺跡ではないかという説に対しても、これまでに見つかった証拠は全て状況証拠に
しか過ぎず、邪馬台国であるという証拠はまだ見つかっていないとも述べた。

大型建物跡は狭い地帯に固まって見つかっており、遺跡の東か西側にはより大型の遺跡が埋まっている可能生が
高いとも述べていた。

141名無しのひみつ:2009/11/17(火) 23:19:58 ID:i7uvakKX
皇紀は江戸時代の国学者が使い出した
根拠がないわけではなく日本書紀には神武天皇の即位年が辛酉年となっているので
干支を計算していくと紀元前660年となる
142名無しのひみつ:2009/11/18(水) 00:56:52 ID:yjKJeY0M
【京都】修学旅行中の女子高生(17)が援交で補導される「財布を落としてお土産が買えなくなった」
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1181050412/
143名無しのひみつ:2009/11/18(水) 02:16:49 ID:ugVk7ztF
三瓶説はどなったの?
144名無しのひみつ:2009/11/18(水) 05:32:09 ID:KF9OMfDt
建物の中央に柱が並んでいるという特徴的なもの、同じ建築様式は
145名無しのひみつ:2009/11/18(水) 10:25:22 ID:8TPh1vrW
>>136 >>137
その、応神天皇が東征しただの、崇神天皇も東征組だとか
東征は複数だとか、そういう風にいう人は、

ほぼすべてが、神武東征を邪馬台国の後の話にしている人か、
邪馬台国は奈良以外の話の人だよ。

東征=大和王権を樹立する勢力が奈良に進出した時が、邪馬台国樹立の前ならば、邪馬台国は奈良以外
じゃなければ話がおかしくなるし、

奈良に邪馬台国があったならば、東征=大和王権を樹立する勢力が奈良に進出したのは、邪馬台国が滅んだ後
じゃなければ話がおかしくなるのさ。

東征=大和王権を樹立する勢力が奈良に進出した後に、突如として奈良に邪馬台国が出来て、
それがいつの間にか大和王権に変わったとか、

東征=大和王権を樹立する勢力が奈良に進出した時に、奈良に邪馬台国があって、
邪馬台国勢力と大和王権勢力の全面戦争の末に邪馬台国を破って大和王権が樹立

って話にしたりすると、ちたんに話に整合性がなくなって、説明がつかなくなっちゃうんだよ。
だから、応神天皇が東征しただの、崇神天皇も東征組だとか
東征は複数だとか、そういう風にいう人は、ほぼすべてが、
神武東征を邪馬台国の後の話にしている人か、
邪馬台国は奈良以外の話の人なんだ。
146名無しのひみつ:2009/11/18(水) 11:04:50 ID:8TPh1vrW
事実、まきむく遺跡を邪馬台国があった場所と主張している橿原考古学研究所の仮説も、
まきむく遺跡は大和王権最初の都であるとしており、
卑弥呼が現れた後の新しい倭国の大王都だと主張していたり、
卑弥呼は「倭国の女王」であって「邪馬台国の女王」ではないということも主張している。

大和王権を樹立した勢力が奈良に進出して大和王権を樹立したのはわかっていることだから、
その時や、その前に、卑弥呼が奈良にいた=奈良に邪馬台国という既存の国家があっちゃマズいんだよ。
そうしないと、大和王権勢力と卑弥呼勢力は、必ずガチンコで戦をしなくちゃならなくなるし、
その戦は関ヶ原や明治維新のような日本を二分するほどの大戦ということになるからね。
そんな大戦に大和王権勢が勝利した末に、大和王権を樹立したのならば、
日本書紀や古事記における大和王権樹立までの記述が、あんなにさらっとしたものになっているはずがないんだ。

大和王権勢力は卑弥呼の後に進出したか、進出したときには邪馬台国という既存の国家はなかったことにしないと、
奈良に卑弥呼がいた=邪馬台国があったとは、主張できないのさ。
147名無しのひみつ:2009/11/18(水) 11:17:25 ID:8TPh1vrW
>>146訂正
大和王権勢力は卑弥呼の後に進出したか、進出したときには邪馬台国という既存の国家はなかったことにしないと、

大和王権勢力は卑弥呼の時代の後に進出したか、進出したのが卑弥呼の前なら邪馬台国は奈良以外にしないと、
148名無しのひみつ:2009/11/18(水) 11:52:00 ID:4XnhfXpq
邪馬台国の王権は、各地の有力豪族による連立政権だったが、
次第に天皇家が主導権を握るようになって、
天皇家の権力の正当性を高めるために作った物語が記紀、
だったんじゃね〜かな〜、と個人的には思っている。
だから神武東征は歴史的事実ではない。

そう考えると、巻向=邪馬台国で、連続的に大和王権に続いたとしてもおかしくない。
149名無しのひみつ:2009/11/18(水) 12:15:49 ID:8TPh1vrW
まぁ、東征そのものが歴史的事実だとは思わないけど、
大和王権を樹立した勢力が、西から進出してきて、
それまで奈良にいた勢力に変わって、奈良で大和王権を樹立した
っていうことは、事実だと思うけどな。

そうじゃないと、天皇家の権力の正当性を高めるために作った物語だとしたら、
神の国から直接奈良に天下ったのだと主張すればいいモノを、
我々の祖先は違う場所(西方)からこの地にやってきた勢力だと、
わざわざ自身で主張する意味が無くなってしまう。

150名無しのひみつ:2009/11/18(水) 12:37:21 ID:OWWzeQUx

九州派って記紀に基づいてしゃべれといったと思ったら、記紀は信用できないと言い出したり
都合よすぎ。
151名無しのひみつ:2009/11/18(水) 13:02:37 ID:o6u6HAgC
神武天皇が東征にいくときに西によき国があるそうなので征服してきますと言っているじゃない。
既に西の奈良に豊かな国があったんだろ?
その国が倭国の中心だったいわゆる邪馬台国だろ?どうせ。
152名無しのひみつ:2009/11/18(水) 15:15:42 ID:s5Az7lIJ
西によき国が
153名無しのひみつ:2009/11/18(水) 15:18:45 ID:OWWzeQUx
西って九州
154名無しのひみつ:2009/11/18(水) 15:24:24 ID:8TPh1vrW
>>151
西を征服したのなら東征ではないな。
155名無しのひみつ:2009/11/18(水) 15:29:10 ID:ko12l+Kv
奈良が邪馬台国だじじい!
156名無しのひみつ:2009/11/18(水) 16:17:55 ID:o6u6HAgC
>>154

間違えた西じゃなくて東な
157名無しのひみつ:2009/11/18(水) 16:47:46 ID:VBSokZJ8
倭人はもともと半島南部にもいたよね?半島でワイ、韓、倭が鉄を取っていたよね?

いまだに天皇の先祖が朝鮮半島から騎馬に乗って、鉄器をもってやってきて日本を征服した。
天皇の先祖は朝鮮人と在日が主張するのは何故?
今の朝鮮人の先祖はモンゴルとか中国人で倭人は関係ないのに。
158名無しのひみつ:2009/11/18(水) 18:06:21 ID:Rb02V+fH
それが朝鮮戦争難民クオリティ。
159名無しのひみつ:2009/11/18(水) 18:53:29 ID:8TPh1vrW
>>154
そうなると、東征・・つまり、天皇は邪馬台国の次の時代からということにもなるし、
大和王権勢力と邪馬台国の間で、
関ヶ原や明治維新のような日本を二分するほどの大戦があったことになり、
神武東征のような、さらっとした記述になるのはおかしいよ。

関ヶ原や明治維新のような日本を二分するほどの大戦に大和王権勢が勝利して
王権を樹立したなら、もっと華々しいストーリーになっているはず。
160名無しのひみつ:2009/11/18(水) 19:00:11 ID:98byzl9s
もう帰っていいよ
161名無しのひみつ:2009/11/18(水) 19:33:59 ID:weJyNczK
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/33144977.html
高地性集落の分布 Wikiからリンクされてたとこ。
これ見ると戦乱があったと思われる地域が、時代によって変わってる。
162名無しのひみつ:2009/11/18(水) 20:45:24 ID:lXaciyPL
このスレの人は考古学的見地ではなく、文献上の歴史的見地からのみで語ってる。
163名無しのひみつ:2009/11/18(水) 20:46:15 ID:yykxreh5
>>159
邪馬台国が弱体化していたのかもしらんよ。
あと東征がサラッとしているの?
記紀から400年以上前のことだし分からないじゃん当時の人も実際のところ、でもナガスネヒコとか生駒山の戦いでも激戦だしすごい戦いじゃない?
東征軍を敗北させる軍事力があったし。
邪馬台国と東征軍で日本全体を2分する戦いになるというのが必然だったなんていえないじゃない。
164名無しのひみつ:2009/11/18(水) 21:32:15 ID:pwfaBL9W
そこで白村江の戦いがキーになるんじゃないか?
大和朝廷は唐と国交があったから示し合わせて倭を攻撃して弱ったところで滅亡させたとかね。
165名無しのひみつ:2009/11/18(水) 22:04:10 ID:ozCYcGCn
テスト
166名無しのひみつ:2009/11/18(水) 22:05:09 ID:OWWzeQUx
>>164
頭冷やせ
167名無しのひみつ:2009/11/18(水) 22:09:43 ID:ozCYcGCn
初めてこのスレ覗いてみた
僕も東征がサラッとしているというのにはちょっと違和感ある
よく覚えてないけど神武天皇は苦戦の末に迂回して熊野から太陽を背にして戦ったのでは?
史実とすれば多分かなり長い時間、もしかしたら何次にも亘って何年もかかったんじゃないかな
168名無しのひみつ:2009/11/18(水) 22:15:58 ID:o6u6HAgC
>>164

なに言ってんだよ
高校でているのか?
あまりに倒錯しすぎててどうにも
169名無しのひみつ:2009/11/18(水) 22:23:27 ID:pwfaBL9W
今まで信じてこられた史実が全く違うって可能性はあるんじゃないのかってことなんだけどね。
170名無しのひみつ:2009/11/18(水) 22:35:18 ID:o6u6HAgC
>>169

> 今まで信じてこられた史実が全く違うって可能性はあるんじゃないのかってことなんだけどね。

白村江の前も後も大和政権で倭国ですよ
天皇が唐と結んで天皇家を滅ぼすとか意味わからん。
日本の高校でていますか?
日本が中国と結んで日本を倒すというような意味の通じないことを言っているのですよあなた。

あまりにトンチンカンじゃないか
171名無しのひみつ:2009/11/18(水) 22:39:52 ID:pwfaBL9W
高校で習ったことがどんどん変わってきているのに習ったからそれが真実とは限らない。まあ人から聞いたり読んだことだけ信じて生きてれば
172名無しのひみつ:2009/11/18(水) 22:50:22 ID:o6u6HAgC
>>171

> 高校で習ったことがどんどん変わってきているのに習ったからそれが真実とは限らない。まあ人から聞いたり読んだことだけ信じて生きてれば

誰も白村江の前と後で王朝が変わったなんて言っている奴はいない。有り得ないわけで、ただの有り得ない奇天烈な妄想を真実かもしれないというのは異常だよ

人類は実は太古の昔、火星から移住した者の末裔ですと言っているレベルw
それを失笑されて「いま言われていることは真実と限らない」と言っているのがあなたです。

173名無しのひみつ:2009/11/19(木) 02:36:04 ID:Pf0MrRCL
紀元前後あたりには、各地にかなりまとまった
勢力があって、それを一々武力で屈服させてたら
手間がかかってしょうがない。実際戦闘行為はあっても
初期段階だけで、あとは日本的交渉で決着させたんじゃね?
だから、余所の神話では華々しい要素もあっさりしてるとか。
174名無しのひみつ:2009/11/19(木) 03:50:00 ID:dD4/dxDZ
>>173
神話は華々しいだろ
いや人間臭すぎるか。生々しさと人間臭い神話だよな。
まぁ実際に戦争がなかったのかも知れないが神武東征だと戦争があって神武の弟まで戦死している。
酷い負け戦で逃げて迂回して吉野を回って。それも一日二日のことじゃない。
第一に大阪に乗り込むまで長い期間かかってる。紆余曲折。
それに日本的解決とか日本的〜なんて価値観は後の世のことだよ
血生臭いことばっかりだ。
175名無しのひみつ:2009/11/19(木) 07:01:03 ID:jRfCnRQV
熊野→吉野→磐余、じゃなくて、
紀の川→吉野川→磐余

纒向より南(南東)だね
176名無しのひみつ:2009/11/19(木) 08:45:00 ID:Ifh0eaHv
>>163
邪馬台国が弱体化していたとすると、東征は卑弥呼の次の壱与の時代になるよ。
少なくとも邪馬台国は、卑弥呼と壱与と2代は続いたことがわかっている。
しかも壱与は、魏が張政を派遣し、檄文で告諭するほど、政権当初は力があった。
壱与の時代に東征して邪馬台国を倒し、奈良に王権を築いたとするならば、
卑弥呼が死んでしばらく立ってからで、求心力も弱っているだろうから、
記紀の記述がさらっとしているのも納得いくけど、

そうなると、カムヤマトイワレヒコが東征して最初の天皇になったのは、
卑弥呼が死んで、壱与が次の女王になってしばらくしてから・・・ってことになる。

邪馬台国畿内説をとると、神武東征が邪馬台国より以前という説は、なにをどうやっても両立出来ないんだよ。

邪馬台国は畿内以外で、神武東征が邪馬台国より以前とするか、
邪馬台国は畿内で、神武東征が邪馬台国より後とするか、
どちらかの立場でしか成立しないんだ。
177名無しのひみつ:2009/11/19(木) 10:10:38 ID:4d3rCfcv
ここニュース板
178名無しのひみつ:2009/11/19(木) 12:09:44 ID:fg6fbrlH
ID:Ifh0eaHv
お前の妄想は聞き飽きたよ

まず、今ある遺跡や古墳を考えてから妄想は書け
179名無しのひみつ:2009/11/19(木) 13:01:24 ID:fKpW9Ypc
色とりどりで多様な形状の靴が出土したら卑弥呼の宮殿と証明されたことになるのだが...
180名無しのひみつ:2009/11/19(木) 13:40:23 ID:zE1JP+O7
大和朝廷は大化(645)から元号を制定したが
天皇によっては元号を制定せず、途切れ途切れになっている。

元号が安定したのは大宝(704)から。
大宝律令を撰定し、国家としての体裁が整ったのは
ここからと言える。

ここから妄想
 
トンデモ扱いされているが、記紀や風土記に九州年号と
思われる物が記録されている部分がある。
wikipediaによると500以上の記載が確認されているとのこと。

鎌倉自体の事典である二中歴によると
継体(517)から始まり大長(698)を最後に終わったとされている。

ちょうど、大宝から入れ替わったように見える。

すでに九州王朝は没落し、それ以前から軍事力的には
畿内が圧倒していたのかも知れない。
だが、天皇制のように権力は移っても天皇という権威は
なかなが動かさない傾向にある。

ついに名目共に九州王朝から大和朝廷に変わったのが
大宝の時代からではないだろうか。

そうであれば新たな法体系である大宝律令を制定したのは
大和朝廷の象徴であるともおもえる。
181名無しのひみつ:2009/11/19(木) 13:55:21 ID:pJkWUTla
九州王朝(笑)
182名無しのひみつ:2009/11/19(木) 15:02:37 ID:dD4/dxDZ
>>176
邪馬台国は畿内で、神武東征が邪馬台国より後。
これでいいよ
それ以外ある?

183名無しのひみつ:2009/11/19(木) 19:20:51 ID:mBMHE3OP
邪馬台国(卑弥呼=百襲姫,大彦や崇神の時代)は畿内
神武東遷は邪馬台国より前
184名無しのひみつ:2009/11/19(木) 19:32:47 ID:4Dg00wcr
まず神武東征が史実だって根拠ってあるのか?
作り話なんじゃねーの?
185名無しのひみつ:2009/11/19(木) 19:33:43 ID:+aMntIUS
>>182
神武は存在したとしても邪馬台国以前だろう。ようは大和王権成立以前
の話、邪馬台国は大和王権成立以後の話。
186名無しのひみつ:2009/11/19(木) 19:40:57 ID:pJkWUTla
>>184
一応神話時代のことは解釈の入る余地が多いから、後世の史実の前提とするには事実性が弱い
187名無しのひみつ:2009/11/19(木) 21:16:43 ID:JJ3sXHm7
>>185
それは無茶だよ
3C後半、4Cだろう大和王権は。
188名無しのひみつ:2009/11/19(木) 23:02:10 ID:Ifh0eaHv
>>184
記紀に書かれている神武東征そのものが史実かどうかには疑問が多いけど、
大和王権を樹立した勢力が、奈良に西から攻め入って、
それまで奈良にいた勢力を倒し、勝利した末に王権を樹立した
・・・・という大まかな流れは、事実だと思うよ。

そして邪馬台国が卑弥呼と壱与の少なくとも2代続き、
2代目の壱与も、それまでの卑弥呼と同じく、
当初は魏が告諭するために使者を派遣しなければならないほど、
邪馬台国をまとめ上げる力があったことも事実。

奈良に邪馬台国があったならば、
神武東征で記述される初代の天皇の誕生は、
その壱与の求心力が衰えてからか、
少なくとも卑弥呼の死後、壱与の時代だ。
189名無しのひみつ:2009/11/19(木) 23:24:44 ID:Ifh0eaHv
神武東征を卑弥呼の時代と同時期か、それより前とするならば、
大和王権を樹立した勢力が、奈良に西から攻め入って、倒した勢力は、
少なくとも卑弥呼の勢力ではなく、邪馬台国でもないことになる。

また、卑弥呼の前に一度奈良に進出して、その後に卑弥呼の勢力に台頭され、
卑弥呼が死んで壱与の時代になって、再び大和王権勢力が奈良を奪還した
のであれば、それにまつわる出来事、少なくとも、再奪還のストーリーぐらいは
記述されていても良い。
そして、東征して闘った、または再奪還したのが邪馬台国ならば、相手を束ねる親玉は女王なのだから、
それを匂わす記述も、あってしかるべきだろう。
記紀だけではなく、その地方に古くから伝わる逸話などでも同様だ。
しかし、東征の記紀には、東征そのものがアマテラスという女王に相談した結果実施されたと書かれている。
つまり、相手の親玉が女王なのではなく、東征する側の親玉が女王なんだ。

結局、大和王権の祖が西から奈良に攻め入った神武東征を卑弥呼の時代と同時期か、それより前とするならば、
邪馬台国は奈良ではなく別の場所にあった、
東征の後に出現した邪馬台国も奈良ではない、
ことにしないと、筋が通らない。
190名無しのひみつ:2009/11/19(木) 23:36:39 ID:Ifh0eaHv
だから、奈良に邪馬台国があったとする畿内説の学者は、
そのほとんどが、
大和王権が奈良に進出した(=東征)のは、卑弥呼の時代の後
という意見なんだ。
191名無しのひみつ:2009/11/20(金) 00:18:51 ID:tddjDyt9
畿内説以外の学者はいません
いても恥ずかしくて研究室の外に出れません
192名無しのひみつ:2009/11/20(金) 01:13:37 ID:cBEfMdU3
>>189
いや、別に筋が通らんことはないと思うんだが…

なんか、この論争でよく、無理なこじつけや妄想だけで作り上げた「前提」を当てはめて
「結局、このように考えないと筋が通らない」みたいな感じで自分の好きな結論に持っていきたがる人がいるよね。
193名無しのひみつ:2009/11/20(金) 01:22:36 ID:znZR8/A1
大和王権=邪馬台国でしょう。その前に倭国大乱がある。
東征があったとしたらこの時期。
194名無しのひみつ:2009/11/20(金) 01:54:28 ID:pc/Q3z9g
東征は、ずっーーーと、続いてるんじゃないの?

195名無しのひみつ:2009/11/20(金) 02:04:01 ID:GZov9JG0
>>192
この手の論法って結局自分の信じる結論のために、信憑性のあやふやな資料から都合の良いところだけが正しいとしてつまみ食いしているんだよな。
人文科学系では資料批判をしたうえで、これが正しいと結論づけるんだろうけど、これは実験で確かめられない以上異説があるのは仕方ないと思うんだが
それでも、自分が正しい故に自説は正しい。といった論法を弄する人間は信用できない。
196名無しのひみつ:2009/11/20(金) 02:55:16 ID:tddjDyt9
>>193
邪馬台国は20数国従えていた。
そして出来てから70年くらいして倭国大乱。畿内から九州で争いが起こる。
卑弥呼擁立で安定化。
こんな感じでしょ?
それで邪馬台国=大和王権、かつ東征があったとする場合
どういう組み立てになるの?
197名無しのひみつ:2009/11/20(金) 06:31:30 ID:ICujw8tq
>>196
もしも卑弥呼が九州にいたとしたら、その時期に東征することは容易に筋が通る。
奈良の豪族の出であるカムヤマトイワレヒコが、奈良で実権を握ろうとして、
九州にいた卑弥呼と接触し、その後ろ盾を持って東征して、奈良で実権を握る・・・・。
倭国は、西に卑弥呼、東に神武天皇という主要勢力図の国だった・・・で、ほとんどの話が解決する。

つまり、卑弥呼の時代や卑弥呼の時代の前に東征があったとするならば、
邪馬台国は奈良以外にしないと筋が通らないし、
そう考えるのが一番筋が通るんだよ。

何度も言うけどそうじゃないと、
奈良に卑弥呼がいたなら、東征で神武天皇は卑弥呼と闘ったことになるし、
それで神武天皇は勝利して奈良周辺を平定したのに、2代目の壱与が出て、狗奴国と戦争をしたこと、
魏に告諭されるくらい邪馬台国をまとめる力があったことの
説明も付かない。
198名無しのひみつ:2009/11/20(金) 06:46:08 ID:ICujw8tq
案外、奈良にいた勢力は卑弥呼に対抗する狗奴国で、
もともとは倭国は、西の九州に邪馬台国、東の奈良に狗奴国という構図だったのかもしれない。

そして卑弥呼の命を受けたカムヤマトイワレヒコが東征して奈良の狗奴国勢と闘っている間に卑弥呼が死に、
その母国の混乱に乗じて、狗奴国を打ち破って奈良にいたカムヤマトイワレヒコは天皇となり、
奈良を本拠地にしたのかもしれない。

結果的に、その知らせが2代目の壱与に知れることになり、壱与率いる九州の母国、邪馬台国と、
狗奴国を破って神武天皇となった奈良のカムヤマトイワレヒコの間で激しい戦争になり、
神武天皇が魏に使者を送って、仲裁に入って貰った・・・とか。
199名無しのひみつ:2009/11/20(金) 07:32:12 ID:oRuTo1FN
難民
200名無しのひみつ:2009/11/20(金) 07:59:53 ID:3MABpzLv
>>198
奈良・狗奴国説に立つと
魏志倭人伝の方角間違いを認めることになるけど
201名無しのひみつ:2009/11/20(金) 08:11:55 ID:3MABpzLv
>>197
おれは宋書に書かれてある
倭の五王武の上表文が気になるんだけど

598 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:20:09
倭の五王武(=雄略)の宋に宛てた上表文(5世紀)
「我が封じられた領土は遠く、外に藩を作ってきた。先祖より武力闘争し、山川を越え、休まなかった。
東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した。道は百済を経て,船も使い、ゆくも高句麗に難渋した云々。」


3世紀以降に九州から畿内に東征があってそこを支配したと仮定したら
この宋書の文っておかしくならないか

東征後に西の地方とまた武力闘争したのか?
202名無しのひみつ:2009/11/20(金) 08:14:30 ID:XgCH9Q1P
邪馬台国のあと100年ぐらいまったく記録が無いことを考慮に入れろよ
203名無しのひみつ:2009/11/20(金) 08:43:23 ID:ICujw8tq
せっかくだから、邪馬台国が奈良にあり、神武東征も卑弥呼の時代でストーリーを考えてみた。

卑弥呼の時代に、卑弥呼より命を受けて九州に派遣されていたかなにかで九州にいたカムヤマトイワレヒコは、
邪馬台国をより良くしたいと思い、卑弥呼に反旗を翻して東征を始めた。
東征をしている最中に卑弥呼が死に、カムヤマトイワレヒコは卑弥呼の後の王(=天皇)となった。
しかし、邪馬台国の人々は神武天皇に服さずに邪馬台国は内乱状態になり大勢の死者が出た。
結局、再び女王を立てることになり、神武天皇は王位を退いて、壱与が政権を継承し、国は治まった。
これが魏志倭人伝によるところの、
女王卑弥呼が死ぬと男子の王が立てられた。邪馬壹國の人々はこれに服さず、内乱状態になり1000人が死んだ。
このため再び女王が立てられることになり、卑弥呼の親族の13歳の少女の壱与が王となり、国は治まった。
であり、天皇の欠史八代の期間でもある。

問題はこの後だ。
壱与の時代の邪馬台国、または、壱与亡き後の邪馬台国で、再び天皇家は実権を握らなければならないのだが、
日本書紀で欠史八代の後に具体的な記述が見られる10代目の崇神天皇までは具体的な記述はなく、
崇神天皇の記述でも、四道将軍の派遣ぐらいしかない。

この時期の天皇の1代の平均在位期間を奈良時代と同じく10年とすると、神武天皇から崇神天皇までで80年。
壱与が存命なら93歳ということになるから、崇神天皇の即位の時には、既に壱与は死去していて、
邪馬台国は次に、これといって強力な王も立てられず、従属している国々がおのおの勝手に行動する、
名ばかりの瓦解寸前の国だったのかもしれない。
その混乱に乗じて崇神天皇は四道から進軍して、混乱している邪馬台国を平定して、大和王権を樹立したと・・・。

四将軍の次の大戦となると、天皇自ら討伐に出陣したとされる、12代目の景行天皇の天皇親征だ。
しかしこれは、天皇が奈良から九州に攻め入った話であるので、奈良の邪馬台国を倒すというストーリーにはそぐわない。
神武東征の後に奈良に卑弥呼政権が出来て、卑弥呼の死後、壱与の時代に再び天皇が支配者になるというストーリーだと、
肝心の2度目の政権奪還に関しての記述が、何もないので、かなり主観が入った無理がある話になってしまう(^_^;

204名無しのひみつ:2009/11/20(金) 09:37:26 ID:ICujw8tq
>>203 追記
うーーむ、卑弥呼が死んだのは狗奴国との戦いの最中だから、
九州にいたカムヤマトイワレヒコは、
狗奴国の後ろ盾を得て、奈良の卑弥呼に反旗を翻して東征した・・・・かなぁ・・・。

>>200
倭人伝には、奴国が邪馬台国の端っこで、その南に狗奴国があるとされているから、
卑弥呼の時代の奴国が、大阪あたりに有れば筋は通るよ。

後漢書に記述されている志賀島から出土した金印は、57年に綬与されたものだから、
卑弥呼の時代とは150年以上の開きがあるし、
奴国は倭人伝には2回出てくるから2つあったかもしれない。
205名無しのひみつ:2009/11/20(金) 10:35:50 ID:qQOubkAF
いろんな説でスジが通り過ぎてるなあ。
説をもう少し限定できる有力な手がかりが欲しいね。
206名無しのひみつ:2009/11/20(金) 12:21:43 ID:zeb6S7Ml
邪馬台国は宇佐で決着している
207名無しのひみつ:2009/11/20(金) 12:28:22 ID:eVG3s5ki
邪馬台国は奈良で決定だろ
神武は邪馬台国と別の勢力で日本の空白の年代に
九州から東征してきたんじゃないの
208名無しのひみつ:2009/11/20(金) 13:38:14 ID:yaqSQ3V1
>>204
カム:上・覆う
ヤマト
イワレ:磐余
ヒコ

だから名前の段階で大和の磐余地方の王様じゃね?
209名無しのひみつ:2009/11/20(金) 15:39:43 ID:oLjkm7iO
210名無しのひみつ:2009/11/20(金) 16:00:26 ID:ICujw8tq
>>205
ほんと、なーーんにもないのが不思議なんだよね。

倭・・・すなわち当時の日本は、
海を渡って朝鮮まで行く技術力もあって、
手みやげを持って海を渡って他国の王に謁見する文化を理解出来ている。
百歩譲って、アマゾンの奥地の原住民のように文字もなく、
言葉だけで伝承をする未開人の住むところだったのかも知れないが、
卑弥呼の200年以上も前の西暦57年には金印なんてモノも貰っている。

まさか、ブッシュマンがコカコーラの瓶を手に入れたみたいに、
印を貰っても、それが何なのか、何に使うかもわからず、ただ首から提げていたり、
金ピカだーーなんて言って、ただ眺めていただけじゃないだろうし、
そもそも倭の人間がそんなレベルの人種だったなら、わざわざ金印なんて作って渡すはずもないだろう。
それなりの体裁を整えて謁見したはずだ。

邪馬台国の時代の倭は、それから200年以上経っていて、
壱与の時代に、国と国の争いの調停に張政を派遣するぐらい、魏が無視出来ない国で、
言葉の通訳も中国や朝鮮にいた国。
もちろん通訳は倭国にもいただろう。
なんてったって調停に来るぐらいなんだから・・・しかも、檄文という手紙を持って・・・・・・。
当然、文字や紙も見聞きし、持って帰ったりして伝わっていたはずだ。

そのくせに、書物も残っていなければ、文字を刻んだ石碑の一つも残っていない。
文字や文章が記されている土器すらない。
邪馬台国だけじゃなく、初期大和王権でもそうだ。
卑弥呼や大王のモノが無いのはしかたがないが、地方の役人レベルぐらいのモノで、
文字や文章が記されている土器や痕跡があっても良いようなものだ。

それも無理なら、倭の人間が残していなくても、渡ってきた朝鮮や中国人が、
記念に、石碑や碑文を残していても良いハズなんだけど、それすら無い。
その時期の渡来人にとって、石碑や碑文は、十分身近な存在だったはずだ。
しかし、石碑や碑文どころか、それを元にした伝承すら皆無だ・・・・・。

考えれば考えるほど不思議だ(^_^;



211名無しのひみつ:2009/11/20(金) 18:42:24 ID:3eYLjaZp
文字が残ってないだけでそれ以外は結構出てるけどなぁ
なんだかんだ
212名無しのひみつ:2009/11/21(土) 00:03:41 ID:wz2wj+pi
>>210
多分「紙」が十分にあったんじゃないだろうか。
213名無しのひみつ:2009/11/21(土) 01:33:53 ID:XoXOYUJc
古墳時代あたりまで文字を記録して残す文化が無かったんじゃない?
少数はあったかもしれないけど。
214名無しのひみつ:2009/11/21(土) 02:02:51 ID:Y+9Cw3wI
>>210
文字が残ってないのは、国民の大半が、文字もなく言葉だけで伝承をする未開人だったからだよ。
中国から文字を輸入したわけだけど、このころは鏡の模様としか思ってなかったんじゃないかな。
215名無しのひみつ:2009/11/21(土) 02:34:51 ID:ez6wGTrD
>>214
それはないわ
かなり高度で文化レベルが高かったのに文字が出てこないのが不思議なんだよ。
建築技術、工芸、生活に使う道具なんて精巧だよ
そして渡来人は中国南部の人なのに。
朝鮮半島より高度な水準だろう当時の倭は。
まして稲作は朝鮮より倭のほうが圧倒的にはやく行われている。
市場があり、役人がいて管理をし、酒をのみと史書に書かれている邪馬台国がだよ?
中国に使者を送り交渉し張政が日本に来て戦争の仲裁を行ったりしていた邪馬台国がだ。
216名無しのひみつ:2009/11/21(土) 03:23:45 ID:wz2wj+pi
>>215
なんだ。ようはネトウヨか。
217名無しのひみつ:2009/11/21(土) 03:25:42 ID:5HUXJefd
だから、AD125年の室見川の銘文があるんだってさ。
これは、まだ発見者の原さんが私蔵しているが、日本製の金石文らしい。
発見地は福岡県。
218名無しのひみつ:2009/11/21(土) 03:31:07 ID:Ng4hinYh
魏志倭人伝に文字の使用については明確に
「文字なし、ただ木を刻み縄を結ぶのみ」
と記録されている。この場合の「文字」とは漢字と漢文のことね。
漢文の公文書を残す能力を持った官僚団や統治機構は邪馬台国にはやはり存在しなかったのだろう。

ただ魏志倭人伝の「縄を結ぶ」については色々と議論がある。沖縄には近世に至っても村落レベルには藁算と呼ばれる縄文字があったが、それに似たものが邪馬台国には存在したのでは無いかという議論があるね。
そしてこの沖縄の藁算(ワラザン)、原始的に見えて意外と高度な能力を持った表記システムだった。
物品の数や種類の記録だけでなく、戸籍や商契約、納税の管理までできたらしい。
漢文のように、ストーリー的な物語の記録や、抽象概念(儒教、仏教、政治学など)や韻文(詩歌)の記述までできたのかは不明だけどね。多分そこまでは無理だろう。

漢字漢文が無ければ広範囲の統治機構が無いというわけではない。
219名無しのひみつ:2009/11/21(土) 03:38:04 ID:fiBP0qpX
鬼道を能くし人を惑わす、なら暦を持っていただろうし大陸との交流があれば大陸の暦と比較したりもしてたようにも思うが
220名無しのひみつ:2009/11/21(土) 03:40:02 ID:wz2wj+pi
>>218
ごもっともだが、
越あたりの文化紹介するときの常套句っぽい気もするんだよね。

奈良県あたりで越文化となるとにわかに信じがたい。
著者が他の話とごっちゃになってる可能性もあるかもね。
221名無しのひみつ:2009/11/21(土) 03:42:01 ID:Ng4hinYh
>>215
前述したように邪馬台国に関しては藁算仮説というものがあるが、文字無しでも強力な国家は作れるぞ。
文字が無ければ高度な社会ではないというのは単なる中国的価値観だよ。
たとえば強大極まるモンゴルには、モンゴル帝国成立まで文字は使用されていなかった。
モンゴル独自の文字が無かったというだけでなく、シルクロードの共用語だったウイグル文字の使用すら一部のモンゴル人の間に留まっていた。
モンゴルが文字(ウイグル文字)と印璽の効用に気づいて使用をはじめるのはチンギス・ハーンのナイマン王国攻略後から。
222名無しのひみつ:2009/11/21(土) 03:43:52 ID:ez6wGTrD
>>216
朝鮮人みたいなこと言い出したな
ネトウヨとかw
223名無しのひみつ:2009/11/21(土) 03:46:15 ID:wz2wj+pi
>>222
あんなレスじゃしゃーねえさ。
224名無しのひみつ:2009/11/21(土) 03:53:01 ID:Ng4hinYh
>>220
魏志倭人伝をどこまで文字通り解釈して良いのかという議論になってきますなw
漢文という表記システムそのものの致命的欠陥で、記述した宮廷官僚の身内の功績誇示や美文としての完成度が、現地状況の正確な記録より優先されてしまう。
225名無しのひみつ:2009/11/21(土) 03:53:22 ID:ez6wGTrD
>>223
いわゆる2ちゃん脳なんだよ君。
ネトウヨなんて造語作って当て嵌めて。
可哀相に。

ネトウヨとか日常的に会話で使っているの?
ですぐに誰彼なしに当て嵌めてるの?
ネトウヨの定義は何?
226名無しのひみつ:2009/11/21(土) 03:59:35 ID:wz2wj+pi
>>224
さらに付け加えて政治的状況とかもありますしね。
227名無しのひみつ:2009/11/21(土) 04:10:41 ID:ovPQiURr
>>218
でもさ、文字がない倭に、仲裁のために檄文なんて持ってきたり、
金印なんか渡したりしても、意味がないと思うんだよね。
水戸黄門の印籠みたいに見せられてもただポカーーーンとするだけで何のことかわからないし、
もらっても使い道も、ありがたみもない・・・・・。

それに、倭人にはなくとも、渡来人が残したモノがあってもよさそうなんだよね。
特に、石碑なんかはさ。
碑文とまでは行かないけど、例えば道しるべ的なモノとか、看板的なモノとか・・・・・・。
また、文字がなかったインカみたいに、他の文明との交流のない閉鎖的な文化で有れば
理解も出来るけど、倭の場合はむしろ、他文明との交流は密で、
しかも、相手は何百年も進んだ文明の持ち主。

アフリカの部族や、アマゾンの種族でさえ、西洋文化との交流が密ならば、
文字も書けるようになるし、読めるようになる。

しかも、倭に確実に金印が授与されたのは、邪馬台国の時代の200年も前。
そのときに渡したのが、勾玉や刀、像などの象徴的なモノであれば、
当時の倭はそれぐらいのレベルだと思われるけど、
中国と同じ、印鑑という、いわば事務用品を渡している。

アフリカの部族や、アマゾンの種族の族長から贈り物を持った使者が来たとしても、
言葉もわからず、腰ミノ巻いているような人間に、金で印鑑作って渡すようなこと・・・なんて、
するわけはないと思うんだよね。
少なくとも、邪馬台国の200年も前には、中国や朝鮮が、“相手”として認められるような、
文化と文明があった証だと思うんだよね。

で、それから200年も経っているのに、邪馬台国はおろか、敵対する狗奴国でもいい、
その他の国のものでも、全く日本に残っていない・・ってのは、おかしすぎる。
文字はもっと一般的になっていてもおかしくないと思うんだ。
漢字そのものではなくとも、マークとかね・・・。
せめて、土器に所有者の銘とか、文字やマークが刻まれていてもおかしくはないと思うんだけど・・・・。






228名無しのひみつ:2009/11/21(土) 08:16:48 ID:77CRvSgf
>「縄を結ぶ」
お・・・縄文式土器は実は縄を結んでる模様で意味があるのかも・・・
229名無しのひみつ:2009/11/21(土) 08:48:00 ID:NYL96gSW
縄文式土器の模様のひとつひとつに何かの意味があったとしても、もはや解読不能だw
230名無しのひみつ:2009/11/21(土) 09:03:36 ID:I8BXRNJl
紙が日本で作られるようになるのは7世紀からだし、それまでは高価な輸入品。
当然数も少なかっただろうから、弥生−古墳時代の紙が出土する可能性はまずないわな。
木簡が出土する可能性ならわずかながらあり得るか。弥生時代に木簡があったかどうかは知らんが。

文字らしきものが墨で書かれた古墳時代前期の土器が出土しているから、
それ以前の時代、漢委奴国王の時代にはもう文字が使用されていたのかもしれないが、
日本国内でどの程度、どんな目的で使われていたかはどうにもわからん。
おそらく、外交、交易、政令、呪術などの目的で使用されたのが主ではないか、と言う程度か。
231名無しのひみつ:2009/11/21(土) 10:23:24 ID:U8ZmFuRz
ジャマ台国は、当時日本中の諸国家と交易してたらしいな。
その奈良の纒向遺跡周辺からは相当量の諸国で作られた様々な
土器が出土している。
つうことは、中央集権の原型ができていたということで、
その国王がそこにいたとしても不思議ではない。
また、その国王も女とは限らないだろうな。
232名無しのひみつ:2009/11/21(土) 10:56:49 ID:Emn6X/gH
文字は最初から実用の具だったと思うな。人間の外部記憶手段の一つ。
文字が無い状況では思い出せない事を蘇らせる契機として使えるから、呪術的要素はそこから派生したんだろうな。

>>218
各地に点在する部族社会を武力で従えるだけの原始帝国なら、確かに複雑な文字は必要なさそうだ。
法も各地の慣習法に任せ、貢納品もドンブリ勘定。
布武が終わって各地の交易が盛んになってから、法的トラブル解消や通商の利便性のために情報伝達手段が普及しだす。

>>227
漢の皇帝が使ってるのが玉印で、同時期の楽浪郡は銅印、西域は銀印だっけ。
贈る印鑑によって外国勢力や属領をランク付けしてったのだから、
それなりの勢力だったんだろうな。
233名無しのひみつ:2009/11/21(土) 12:24:37 ID:wz2wj+pi
>>230
610年伝来とか文献にはあるね。
妄言めいているので2chでしか言えないが、紙の伝来はもしかしたら
もっと遡るんじゃないかと思ってね。

まあ、一応根拠だが
@紙の発明そのものがもっと前の時代になりそう
A日本で出土される木簡は短文のものばかり
B紫式部なんか読むとあるが当時既に中国紙より日本紙のほうが品質が良かった。

等々。
234名無しのひみつ:2009/11/21(土) 13:07:29 ID:77CRvSgf
だから縄文土器の文様からパターン見つけろって。スパコン予算削減反対!
235名無しのひみつ:2009/11/21(土) 13:41:32 ID:yVi7C+bJ
米の在庫管理とか貸し借りの管理とか、膨大な事務処理だと思うけど、どうやったんだろう。
236名無しのひみつ:2009/11/21(土) 13:50:04 ID:I8BXRNJl
縄文土器はともかく、銅鐸などの祭具に表されている文様の研究は結構あるよ。
シナ南部や朝鮮半島との関連が見られたり、神道の源流をイメージさせる思想が
読み取れたりして、なかなか面白い。
しかし、文字ではないな。
工の字の原型になったIの字型の祭具を持ったシャーマンらしき人物が描かれてはいるが。
237名無しのひみつ:2009/11/21(土) 16:49:09 ID:5HUXJefd
二世紀中頃の刻書土器の「奉」は「与」に見える
http://www.info.city.tsu.mie.jp/modules/shogaigakushusupotsuka/article.php?articleid=112
238名無しのひみつ:2009/11/21(土) 17:40:40 ID:5HUXJefd
関東でも、3世紀末から4世紀初めの墨書土器「久」が発見されている
筆の存在は確実。
http://www.echiba.org/shoukai.html

239名無しのひみつ:2009/11/21(土) 18:22:44 ID:nvVT9sX1
「さつま」ではないのか?
240名無しのひみつ:2009/11/21(土) 19:41:08 ID:ovPQiURr
>>238
げっ、ウチのすぐ近くだソコ・・・。
発掘していたのは知っていたけど、こんのなが出土していたとは知らなかった・・・・。
筆で墨書していたということは、周辺に渡来人も来ていたし、渡来人が来るような地域形成がなされていたのか・・・・。
案外、こんなに大昔でも、文化の浸透や交流というモノは密で、想像以上に並列化なんだなぁ・・・・。
もっと局所的なモノだと思っていた・・・・・。

貝塚とかはあるけど古墳時代に国があったなんて伝承も皆無な、太平洋側のこの地域で、
100軒かそこらの集落で筆で書くという行為が行われていたのなら、
大都市邪馬台国では、なんらかの形で文字を使っていたのは確実だと思うな。

241名無しのひみつ:2009/11/21(土) 21:34:14 ID:GyEmKD7a
九州だったのなら銅鏡、銅矛や甕棺の事が倭人伝に書いてあるんじゃないのか。
242名無しのひみつ:2009/11/21(土) 21:54:33 ID:AwLxWAOr
大分宇佐(宇佐八幡宮)から京都宇治(宇治上神社)、応神・仁徳天皇の巨大墓建築によって畿内の人々を臣民化させたと考えています。
道鏡が天皇の位を狙った際にも宇佐八幡宮の巫女の意見が尊重された事と京都石清水八幡宮に大分宇佐八幡宮の一部が提供され、皇室の重要な参拝場所になっていたとも考えられます。
邪馬台国の位置は九州・近畿のどちらでも良いのではないかと思います。
魏志倭人伝の記載では、とにかく多くの国をまとめたのが壱与であり、卑弥呼と壱与という邪馬台国王の間に古代戦国時代があった事にも関心があります。

神武東征に関しては、秦の始皇帝の命により不老不死の薬を探しに朝鮮・日本列島を探索した“徐福”という人物の事ではないかと僕は考えています。
魏志倭人伝の記載にもあるように昔の方は百歳以上の長寿であったのであれば、古事記や日本書紀の天皇の年齢も事実ではないかとも思います。
243名無しのひみつ:2009/11/21(土) 22:46:00 ID:Zf6lggeO
出雲から伊勢に入った勢力の気になりますが、壱与が丸く治めて神功皇后と豊臣秀吉が朝鮮出兵してみた事も事実。
壱与以前は一本系譜ではないと思います。大勢力は壱与系と継体系、岡山は吉備・・?
244名無しのひみつ:2009/11/21(土) 23:01:29 ID:PvATozip
>>243
朝鮮人お疲れ様です
245名無しのひみつ:2009/11/21(土) 23:49:34 ID:5HUXJefd
岡山は吉備・・

ってのが、当たり前すぎて何が何だかね
246名無しのひみつ:2009/11/22(日) 01:40:16 ID:n4NpB9B1
>>218
福井だったか新潟だったかの縄文遺跡から出土した正体不明のヒモ束について
結縄文字じゃないかと某縄文学者が口走るのを聞いたことがある
文字を持たずキープと呼ばれる結縄だけで大帝国を建設・管理した例としては
南米のインカ帝国が上げられる
無文字だから未開で統治機構がぞんざいとは言い切れない
247名無しのひみつ:2009/11/22(日) 12:48:06 ID:EJeL+FP7
私は、邪馬台国は九州にあったと思う。
考古学、文献のいずれもがそれを示しているように思える。
以前は安本教授の「甘木朝倉説」に感動して、邪馬台国東遷説を信奉していた。
いまでも教授の視点には教わる事大である。しかし、私は邪馬台国は東遷していないと思う。
大和朝廷にもなっていない。

宮崎から群馬にまで古墳を作っていった「古墳時代人」達は、およそ邪馬台国のもつイメージとは程遠い。
各地の古墳から出土する夥しい馬具や武具は、新羅系、高句麗系といった様式の違いはあるものの、
その殆どが画一である。つまり同じような物が、南九州から北関東にまで分布しているのである。
全国に古墳は15万基とも20万基とも言われるが、一つの県の中に一体幾つぐらいあるのだろうか。房総半島にまである。
そこから出てくる物が、殆ど同じ物なのだ。これらの馬具や武具を、玄界灘の荒波を、馬を携えて渡ってきた連中がただの飾りにしていたとはとても思えない。
彼らは当然これらを使用していたのである。弥生時代を牛耳っていた諸国の有力者を殺し、現地人の抵抗勢力を根こそぎねじ伏せ、食料を供出させて、
従えば許して従軍させ、逆らえば刺し殺して首を刎ね、目玉をえぐり、力づくで倭を支配したと思う。
そこに定住した者、更に東へ東へと移動した者。彼らは大陸・半島の政変で彼の地を追われた、或いは新天地を求めて海を渡ってきた渡来人で、たかだか2,3百年で日本列島を駆け抜けていった。
運んできた馬に乗って、文字通り日本列島を駆け抜けて行ったのである。
倭の五王の一人が中国に送った、「我が祖先は闘明け暮れ、日夜山野を駆けめぐり、寧所(ねいしょ)にいとまあらず。」という状況はこの時代の事を書き残したもののように思える。
当時先駆的な技術であった、稲の栽培法を身につけた北九州の住民達を従えて、彼らは近畿圏にもやってきた。
そして、銅鐸を用いていた民族を屈服させ、銅鐸は急ぎ山腹に隠された。
彼らの中からやがて、近畿圏にあって大和朝廷の礎(いしずえ)を築くほどの力を持った者が現れた。大王である。
彼ら古墳時代人達は、三十の国が集まって一人の女性をたて、それで国中が丸く収まるような心優しい感性を持った民族とはほど遠い。
九州にあった邪馬台国は滅ぼされ、その地の原住民族は、騎馬に乗った新しい支配者達に連れられて近畿まで来た。
それで九州の地名が近畿に多く残っているのであろう。
やがて大和朝廷は、渡来人、元住民を問わず官吏に用い、新しい律令国家に向けての歩みを始めることになる。
その過程で、かって北九州にあって一時代を画していた邪馬台国の記憶は大和朝廷内にも残り、卑弥呼の記憶は「天照大神」として神話に取り上げられた。
これが、今の私がたどり着いた邪馬台国の姿であるが、
248名無しのひみつ:2009/11/22(日) 12:53:13 ID:rAx2V7D7
>>247
どこの馬の骨かわからないやつの書き込みよりも、実際の史学と考古学の先生方
のほとんどが畿内説であるという事実を俺は信じるね。
249名無しのひみつ:2009/11/22(日) 13:35:48 ID:Uvfc8LSu
>>247

妄想
250名無しのひみつ:2009/11/22(日) 13:51:33 ID:n4NpB9B1
※水田稲作は弥生中期(紀元前後)にはすでに現青森県まで伝播し
大規模水田跡である垂柳遺跡等を形成している
251名無しのひみつ:2009/11/22(日) 14:09:46 ID:41IBgm8i
今は一般のそれほど邪馬台国興味無い人達も、最近のニュース等で畿内
纒向って認識だろうな。もう九州説は考古学的に何か出てこないと
覆すのは難しい。文献だけでは何時まで経っても前に進まないし。
252名無しのひみつ:2009/11/22(日) 14:15:44 ID:4K0Pj1af
>>248
ならば、畿内説を提唱する実際の史学と考古学の先生方のほとんどが
天皇の誕生は、卑弥呼・壱与の時代以降であるという事実も受け入れなくちゃね。
253名無しのひみつ:2009/11/22(日) 14:29:27 ID:rAx2V7D7
>>252
どうして?その必要はない。
254名無しのひみつ:2009/11/22(日) 16:51:04 ID:Uvfc8LSu
>>240

東京近辺の人間にとっちゃ、流山市に筆で字を書いていた人がいたというのは
うれしい驚きだよね
255名無しのひみつ:2009/11/22(日) 17:15:51 ID:spHN0PlX
とういうか騎馬民族がやってきたとか笑うしかない
256名無しのひみつ:2009/11/22(日) 17:18:40 ID:nv0X18xH
朝鮮人の妄想が爆発するスレになってきたなwww
257名無しのひみつ:2009/11/22(日) 17:25:06 ID:Rt6X2ZhS
>>253
邪馬台国=大和王権にしたら騎馬民族が半島からやってきて倭人を支配したという根拠のない架空の話を喧伝できなくなるからに決まってるだろうが
258名無しのひみつ:2009/11/22(日) 17:57:13 ID:4K0Pj1af
>>253
悪い悪い、言い方がマズかったね。

ならば、
「畿内説を提唱する実際の史学と考古学の先生方のほとんどが
天皇の誕生は、卑弥呼・壱与の時代以降であると言っている」
・・という事実も受け入れなくちゃね。

だ。
なんたって、どこの馬の骨かわからないやつの書き込みよりも、
畿内説を支持している実際の史学と考古学の先生方が、
天皇の誕生は、卑弥呼・壱与の時代以降であると言っている
・・・んだからね。
259名無しのひみつ:2009/11/22(日) 18:00:13 ID:0Q2En1M9
「〜であろう」論で成り立つ考古学の分野って、思い込みで組み立てた砂の城みたい。
260名無しのひみつ:2009/11/22(日) 18:06:17 ID:4K0Pj1af
>>254
ホント、うれしいというより、ただただビックリだよ。
古墳時代の日本の中心は西日本で、流山なんて、縄文時代と
たいしてかわらない未開の土地みたいな感覚だったから、
そこに、文字をかける人がいる国というか、都市というか、があった
・・・なんて、とても不思議な気分。

もしかしたら、邪馬台国の卑弥呼って存在が記されて残っているだけで、
邪馬台国が当時の日本を代表する大国であったワケじゃないのかも知れない。
案外、邪馬台国は当時の日本の国の中では小国で、
小国であったからこそ、魏の後ろ盾が必要だったのかも知れないね。
261名無しのひみつ:2009/11/22(日) 18:07:17 ID:KSsXlQ0l
というか邪馬台国=プレ大和王権の可能性はさかんに議論されているわけで
なんらかの繋がりは想定されているじゃないか
262名無しのひみつ:2009/11/22(日) 18:46:46 ID:n4NpB9B1
千葉は木更津(君去らず)の地名がヤマトタケル伝説に関して残ってるぐらいで
伝説そのままでないにしても大和政権と関東のつながりは深い
埼玉の稲荷山古墳や千葉の稲荷台でも漢字銘入りの剣が出てるし

そーいや千葉にある国立歴史民俗博物館長の平川南氏は木簡や墨書土器の
古代日本文字文化が専門ですな
263名無しのひみつ:2009/11/22(日) 19:23:55 ID:4K0Pj1af
>>262
うん。
少し調べていてわかったんだけど、
大化の改新の後には、もう、千葉や茨城は、大和王権の勢力下にあって、
奈良に税?を納めるための役所が置かれていたんだねぇ・・・・。

東日本はもっと野放しだと思っていたから、ビックリだよ。
264名無しのひみつ:2009/11/22(日) 20:24:33 ID:S8qxzhp1
卑弥呼は、世界初の萌えキャラ
邪馬台国は、ブランド
265名無しのひみつ:2009/11/22(日) 21:11:09 ID:Yd933u6c
纒向がプレ大和王権というのはほぼ間違いないだろうな
箸墓古墳から前方後円墳が権力者の墓として全国に拡がっている事からも伺える
ただ現時点では邪馬台国=纒向かどうかは分かんないが
266名無しのひみつ:2009/11/22(日) 21:35:40 ID:jtwkGW84
>>265
日本にはない当時かなりの貴重品の紅花が出てきている
かなりの権力者が中国から輸入していたということもすごいよね
邪馬台国でほぼ間違いないだろう
267名無しのひみつ:2009/11/22(日) 22:35:00 ID:2HBwwYIK
出雲の国譲りが倭国大乱
日巫女が宗主になる
その後、九州勢の進出で乱れて
神武が宗主に
征服した数だけ神様も増えたのかねぇ
268名無しのひみつ:2009/11/22(日) 22:47:07 ID:bTBfOWa1
>247
魏志倭人伝には倭国大乱をまとめたのは壱与と記載してありますよ。
269名無しのひみつ:2009/11/22(日) 22:50:52 ID:M9Pxz9Wm
>>267
神さまはもともと多いじゃないか
3神、2神、10神の最後にイザナギイザナミ。
ここから無数に生まれて、さらに天照、ツクヨミ、スサノオ
天孫降臨の時点で既に神は気が遠くなるくらい多い。
国譲りはこれよりさらに後のこと。
また征服したから無数に増えたという訳ではない。増えることは増えるがね。

270名無しのひみつ:2009/11/22(日) 23:08:26 ID:RayLuIY1
>>267
天照の孫のさらに子孫が神武だよ
国譲りはオオクニヌシから天照大御神だよ
国譲りが倭国大乱とするなら卑弥呼がアマテラスで譲ったのが倭国大乱を起こした者(出雲系豪族)になるじゃないか
さらにアマテラスの子孫である神武が東征して譲られたアマテラスの卑弥呼の邪馬台国を征服したというなら無茶苦茶という以外ないw
何をいっているのかすら分からない
どういうストーリーなんだ?時系列を飛び越えた無茶苦茶な兄弟喧嘩か?
271名無しのひみつ:2009/11/22(日) 23:08:37 ID:BqSe73QO
邪馬台国の首都は九州(宇佐)にあって、倭国大乱後に首都を畿内に移し「大和朝廷」になったというのはどうですか?
272名無しのひみつ:2009/11/22(日) 23:25:03 ID:O+yWvqLb
倭国大乱終了後に朝鮮出兵した事と応神・仁徳天皇の巨大陵墓建築の知恵は渡来人ではないですか?
273名無しのひみつ:2009/11/23(月) 00:10:24 ID:3N7ZuYHB
>>272

倭国大乱と神后皇后の三韓征伐は時代が違い過ぎます。
あと当時の半島の人は現在のいわゆる朝鮮民族とは関係がありません
別民族です。
朝鮮というと語弊が生じるでしょう。
あと仁徳天皇、応神天皇の墓は特定されていません。
また日本の古墳と半島の古墳では作りが違い、日本の古墳のほうが古い時代のものだと分かっており、また日本の方が規模も大きいものとなっています。
さらに卑弥呼の時代から大規模な古墳が建造されていることから既に日本に建造技術があったのでしょう。
当時の渡来人は中国からの人が主です。

ただ応神天皇の時代に当時、半島にいた人(いわゆる現在の朝鮮民族ではない)が日本に渡りたいと再三、申し出、応神天皇が承認し船を出し回収し日本に連れて来て彼らを受け入れました。
そういう人が古墳の建造の労働使役に借り出された可能性はあるでしょう。

274名無しのひみつ:2009/11/23(月) 09:10:09 ID:g6s3DsVC
>>273
箸墓古墳(でかい前方後円墳)は、諸々の年代測定により、
卑弥呼の時代に建造されたことが明らかになったんじゃないの?
275名無しのひみつ:2009/11/23(月) 09:19:56 ID:3N7ZuYHB
>>274

そうですね
276Wood:2009/11/23(月) 10:46:30 ID:Fqg9y+rq
>>274
> 箸墓古墳(でかい前方後円墳)は、諸々の年代測定により、
> 卑弥呼の時代に建造されたことが明らかになったんじゃないの?

千葉県佐倉市の国立歴史民族博物館の放射性炭素による瓶の底に付いていた隅の測定では、240年ー260年の時代のものだという。
つまりこれが瓶底の炭がついた年代。一方、この瓶は箸墓古墳の堀から出土したから、箸墓が作られた後(の時代)に置かれたものであることは明白。
卑弥呼の死去は247年頃。

このことから、
1.この瓶が使用された年代は、箸墓建造より後の時代だということ。
2.この瓶が置かれたのは、箸墓建造後どれくらい時間が経た後か不明。
3.この炭素年代測定結果は、箸墓の建造年を決めるものではなく、むしろそれより以前に建設された「年」を決定しているのみ。
4.この瓶と箸墓古墳の関係が不明である。

極端に言うと、この瓶は、箸墓ができてから相当な年月が経た時、この近くで煮炊きをし食事をした名もないグループが、堀に使用後の瓶をポイ捨てしたものかもしれない。しかし箸墓は、この炭素年代より相当前の年代に建設された可能性もある。
277名無しのひみつ:2009/11/23(月) 12:31:48 ID:1HfwHJEU
九州に決まってるだろ。日本を統一するような軍事力がその時代にあるわけない。
278名無しのひみつ:2009/11/23(月) 12:49:13 ID:8h+HSaSv
>>277
統一ではない、共立。大和王権しか無い。九州は論外。
279Wood:2009/11/23(月) 13:35:50 ID:Fqg9y+rq
>>277
> 九州に決まってるだろ。日本を統一するような軍事力がその時代にあるわけない。

幕末に長州藩が、密輸したライフル銃を多用して、幕府軍を倒したように、新兵器の登場は一瞬にして、勢力地図を塗り替えることがあると思う。

弥生時代の新兵器は鉄器(鉄刀等)であり、それによる軍団の進行は、防ぎがたいものがあったと考えられる。

弥生時代の鉄器(武器)の分布は九州地方が圧倒的に多く、奈良にはほとんどない。
もしも、そのときに奈良に政治力(首都)があったとしても、それだけでは日本の中心都市としては成り立たないように思う。したがって、奈良の文化圏は、九州などの西の勢力に圧倒(征服)されたのではないかと推測される。

高地性集落の分布も鉄武器の登場で、その分布の変化の途中のどこかで、内容(勢力)が塗り替えられ、ひろがっていった可能性もあるのではないか。
<a href="http://yamatai.cside.com/tousennsetu/206katana.htm">http://yamatai.cside.com/tousennsetu/206katana.htm</a>
280名無しのひみつ:2009/11/23(月) 13:57:31 ID:eOcuRKF/
>>279
鉄製の剣と青銅製の剣には、さほどの優劣の差は無いよ。
まして、戦場の主要兵器である矢のやじりでは、優劣の差は全く無い。

ここでは関係ない話だが、初期の鉄器は強度不足と錆びやすさに悩まされていた。
そのため、金、銀などの失われない金属に対して、失われる金属と言う意味で“鉄”という字が当てられた。
青銅器から鉄器への移行は、原材料の銅と錫の不足が主因。
281名無しのひみつ:2009/11/23(月) 15:40:28 ID:oODFJnP6
奈良大勝利wwwww

最初から九州(笑)なんていらんかったんやwwwww
282名無しのひみつ:2009/11/23(月) 15:42:01 ID:3nFBxLPR
もはや畿内説支持の学者は9割以上だもんな

283名無しのひみつ:2009/11/23(月) 15:56:15 ID:V7htERvB
邪馬台国・卑弥呼 は神秘的だが
大和国・日巫女 は神秘的ではない
284名無しのひみつ:2009/11/23(月) 17:05:26 ID:8h+HSaSv
>>283
神秘もロマンも在ったもんじゃないが、普通に大和で確定。
285名無しのひみつ:2009/11/23(月) 17:09:01 ID:PSxnI1vx
中学校で歴史を習った時、「卑弥呼=天照大神なんじゃね?」って直感的に思ったけど、
まんざら間違っていたわけではなさそうだな。
286名無しのひみつ:2009/11/23(月) 18:10:59 ID:o9gMdkwI
>>270

ご存じとは思うけど、あえて、つっこませてもらうと、書紀や伝説でも
アマテラスとモモソヒメ、神功皇后 または
スサノオ、神武、崇神、日本武尊 も混同されているフシがあるよ。

287名無しのひみつ:2009/11/23(月) 18:12:10 ID:hEAu+xMB
神武東征って、どの程度裏付けあるの?
マキムク=邪馬台国を否定するレスでは、神武東征との矛盾を指摘するレスが多いみたいだけど。
288名無しのひみつ:2009/11/23(月) 18:41:02 ID:V7htERvB
決着はついていない。
289名無しのひみつ:2009/11/23(月) 18:52:01 ID:TZ7+NYU2
>>287
マキムクが邪馬台国ではないという時点で苦しいな
神武東征自体が事実かどうか何も分からない
神武東征を支持した上で、それとの矛盾でマキムクが邪馬台国ではないと持っていくのも酷いな



290名無しのひみつ:2009/11/23(月) 19:04:37 ID:V7htERvB
今の時点でマキムクが邪馬台国だと断言するのは無理。
291名無しのひみつ:2009/11/23(月) 19:09:54 ID:gIXj6xdV
中国の正史である『三国志』(魏志倭人伝)や『後漢書』(東夷伝)によると、邪馬台国の成り立ちは、
「倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。」
とある。

この代々男子王がいたとされるのが出雲で、最初の男子王がスサノオ。
古代日本は、出雲を中心とした、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」=日本であった。
出雲では年に一回、諸国の王が集まり、諸国間の諸問題を話し合いで決めていた。

何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、「葦原中津国」=日本を平定しようとし始め、
それに対し、アマテラス率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。
↑邪馬台国の誕生。これが三国志に記された「倭国争乱」であり、この、アマテラスこそが卑弥呼。

結局、アマテラス=卑弥呼は、大国主命の息子タケミナカタを取り込み、大国主命はアマテラスに、
出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、
アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣する。
↑出雲の国譲りと一大率の始まり。

その後、アマテラス=卑弥呼の死後、次の王に、畿内勢力が男王を立てたが、北九州勢は男王の正統制のなさを提唱して、
卑弥呼の宗女、壱与を女王とし、再び、北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まり、
出雲に派遣されていたニニギの二人の子も、北九州派と畿内派に分かれ、互いを牽制し出す。

このニニギの二人の子が、海幸彦と山幸彦。
つまり、海幸彦と山幸彦は、卑弥呼のひ孫。

結局、山幸彦で表される畿内勢力が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、檄文で畿内勢力を弾圧する壱与を告諭し、
北九州勢力による畿内勢力に対しての弾圧は終止符をうつ。
海幸彦は山幸彦に服従し、その後、山幸彦は、魏との関係が密になり、魏の要人の娘トヨタマビメと結婚して、ウガヤフキアエズという子をなし、
出雲は畿内勢力が実権を握るエリアとなり、それとともに、「葦原中津国」=日本の中枢も次第に畿内勢が占めるようになって、
北九州勢力は一地方勢力へと衰退していく。
292名無しのひみつ:2009/11/23(月) 19:10:51 ID:gIXj6xdV
ウガヤフキアエズを産んだ後、魏の要人の娘トヨタマビメは魏に帰ってしまい、ウガヤフキアエズは変わりに渡来してきた妹のタマヨリビメ(玉依毘売)に育てられる。
のちにウガヤフキアエズは育ての親のタマヨリビメ(玉依毘売)と結婚し、カムヤマトイワレヒコを産む。
カムヤマトイワレヒコは、畿内勢が実権を握るようになった「葦原中津国」=日本をより良くしようと、北九州勢と相談し、兄とともに、畿内攻略に乗り出し、
畿内勢力は果敢に抵抗し、カムヤマトイワレヒコも苦戦するが、結局破れ、畝傍橿原宮の山麓で即位し神武天皇となる。
↑神武東征・天皇の誕生

神武天皇の死後、北九州勢力は、神武天皇が北九州に来たときにアヒラヒメ(阿比良比売)との間に作った子、タギシミミを次の天皇にしようと企てたが、
この企みを、東征の際に畿内の豪族の娘との間に作った子、カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が破り、
ここで、「葦原中津国」=日本の中枢は、ほぼ完全に畿内勢が占めることになった。
↑タギシミミの反逆・大和王権の始まり・日本の誕生。


魏志倭人伝によれば、西暦239年、中国の魏に日本からの使いがやってきた。
そして邪馬台国という国があり、卑弥呼という人がいたと書いてある。

それでは239年という邪馬台国が存在した、あるいは卑弥呼が魏に使いを出した年というのは、
いったい何天皇の時代であったのか。

天皇は用明天皇で31代目で、それが西暦586年頃。
王の平均在位期間は、日本のみならず、世界的にも、時間をさかのぼるほど短くなるから、
奈良時代の700年も前の弥生時代の平均在位期間を、奈良時代の平均在位期間で考えたとしても、
1代目の天皇が即位したのは、586年の310年前。
つまり、西暦276年前後。

神武天皇以後、全ての天皇が実在すると考えても、
神武天皇の活躍した時代は280年から290年くらいにしかなりません。

つまり大和朝廷の一番初めは、邪馬台国の時代に届かないことになります。
大和朝廷の始まりは、邪馬台国以後であるということになるわけです。
天皇の出現は、卑弥呼後、壱与の時代の後期。
293名無しのひみつ:2009/11/23(月) 19:47:50 ID:77aTUa+N
>>292
それって在位期間が平均通りになった場合だけだろ?平均とるにはサンプルが少なすぎ。
長いやつがいたら完全に崩れるから、それを確定的に言うことはできんよ。
294名無しのひみつ:2009/11/23(月) 20:06:12 ID:qbaKnJSW
>>292
こんなにも長くて中身のない文章は久しぶりに見ました。
まさに駄文。

邪馬台国とプレ大和王権はなんらかの繋がりはあるだろうな。
簒奪したのか、同一主体だったのか分からないが、簒奪よりは同一主体のほうがシックリくるけどなぁ。どうだろうか?
神武が突如現れたわけではなく、神武の先祖も卑弥呼の時代よりもっと前に日本に住んでいたのだから。
神武の先祖が邪馬台国の主要なメンバーだったのかもしれんな

上記の駄文と同じ妄想レベルだけどww
295名無しのひみつ:2009/11/23(月) 21:50:33 ID:o9gMdkwI
>>292


日本書紀の記述のうち、信頼できる年代の上限は、安康3年(456年)と考えて
よいでしょう。これは、それ以前の年月日の干支が、後の時代の儀鳳暦で算出
して書かれているのに対して、安康三年八月の記録は、最新の元嘉暦で書か
れていることによります。

南宋において元嘉暦が制定された元嘉22年(西暦445年)からそう下らない、450年
に百済が宋に遣使していて、翌451年に倭王済が宋から安東大将軍に任命され
ているので、この時日本に伝わったか、その前年に百済経由で日本に伝わった
ものと考えらます。

これは、翌457年が雄略元年となりますから、稲荷山鉄剣銘文の辛亥年が、
雄略十五年(471)と考えられることで矛盾しません。

安康天皇以前の天皇を遡って考えてみても、卑弥呼の弟王を、神武=崇神と
考えることはそう無理な話ではありません。
296名無しのひみつ:2009/11/24(火) 00:09:45 ID:ygnQq9uR
出雲神話は根の国の話を見てもわかるようにあくまで神代の時代の神話
国譲りも神話上の天つ神と国つ神の交渉と見るべき
出雲が強力な勢力を持った特異な地であることは確かだが
国譲りを現実の歴史の反映と見る傾向には賛成できない
297名無しのひみつ:2009/11/24(火) 01:20:12 ID:nwhArxrS
宮崎県の話はあんま出てないな
298名無しのひみつ:2009/11/24(火) 03:04:12 ID:szvwciih
九州?
( ´,_ゝ`)プッ
299名無しのひみつ:2009/11/24(火) 04:24:51 ID:DlcCMaVe
>>292
なんで5世紀から6世紀中頃までの在位期間の平均で計算しないの?
300名無しのひみつ:2009/11/24(火) 05:13:11 ID:ktPSo/AZ
もうそろそろ邪馬台にヤマトと振り仮名ふっていいんじゃないかな
そもそも1文字1音に充てるのが当たり前なんだし
301名無しのひみつ:2009/11/24(火) 09:46:24 ID:Mmc86DTN
目出度いのう
302名無しのひみつ:2009/11/24(火) 10:55:42 ID:dp0ADd10
記紀に対応する何かしらの出来事は有ったかも知れないけど、その内容をそのまま史実に当てはめる事は駄目だろう
303名無しのひみつ:2009/11/24(火) 11:19:06 ID:CCdmoFSU
>>295
うーーん・・・・
『宋書』孝武帝紀、倭国伝によると、宋の孝武帝は、
462年に、済(=允恭天皇)の世子の興(=安康天皇)を安東将軍倭国王としているから、
その安康天皇の同母弟である、雄略天皇が即位したのは、少なくとも462年より後じゃないかな。
304名無しのひみつ:2009/11/24(火) 11:46:11 ID:CCdmoFSU
>>294
オレも邪馬台国と大和王権は同一主体・・というか、
初代神武天皇の即位には、邪馬台国が深く関係していたと思う。
即位の後ろ盾になったか、後見人になったみたいな・・・・。

そう考えると、神武は奈良に攻め入って即位しているわけだから、
奈良に邪馬台国があったとなると、矛盾してしまうんだよねぇ・・・・・。

そしてもう一つ引っかかるのは、当時の国の物理的な範囲と中国・朝鮮への玄関口の関係。
日本から中国・朝鮮へ渡るには、その出口は、どう考えても九州北部が出発点になる。
もしも奈良に邪馬台国があったとすると、邪馬台国は、北九州に、海を渡るための船や船乗り達を抱えていたことにもなる。
当然、それに関連する施設も置いていただろう。
友好関係で通して貰っていたというレベルじゃないし、奈良から九州北部までを、圧倒的な勢力で制していたことになるんだ。

もしも、北九州が邪馬台国以外の国だったなら、奈良から北九州までの国は、完全に屈服して、
国とはタダの地域の呼び名でしかない江戸時代の藩みたいになっている、
つまり、想像以上に中央集権化して、武力で広範囲に及ぶ地域を制しない限り、
邪馬台国の使者が、中国や朝鮮に渡ることを黙ってみているわけがない。
戦国時代に京都に上洛するのを邪魔しあったみたいに、通さないか、自分が行って朝献すると思うんだよね。

この時代に、そんな広範囲を支配出来るほど、邪馬台国は大国だったんだろうか・・・・。
もっとこぢんまりしていると思うんだけどなぁ・・・・・・。
305名無しのひみつ:2009/11/24(火) 12:03:26 ID:oEHL2H25
「それで、意味はどれくらいあるんですか?」
306名無しのひみつ:2009/11/24(火) 12:19:39 ID:JC5f0bNf
>>304
古代の倭は小勢力に違いないっていう固定観念が強すぎじゃないか?
こじんまりとした勢力が金印をもらえるわけがないだろう
307名無しのひみつ:2009/11/24(火) 12:23:10 ID:9AjqJ4Z6
魏志倭人伝でも邪馬台国は沢山ある国の中のひとつとされてるでしょ。
それに出土品の研究でも3世紀以前の日本列島には、大きく分けても北九州、近畿、関東以東で
異なる文化が見られる。
308名無しのひみつ:2009/11/24(火) 12:39:05 ID:rZEjZBnv
どうして、伝説と民間信仰の寄せ集めでしかない記紀を資料として議論ができるですかー?
309名無しのひみつ:2009/11/24(火) 12:41:25 ID:JC5f0bNf
それは江戸時代もたくさんの藩に分かれてて北と南じゃ文化が違うから
一つの国じゃなかったって言ってるのと同じレベルだぞ
310名無しのひみつ:2009/11/24(火) 13:41:26 ID:9AjqJ4Z6
3世紀以前に大統一王朝があったなんて新説をここで発表されても、こっちは戸惑うばかりなんだが・・・
巻向以前と以後で集落の形態ががらりと変わってしまうことからも、ある程度の規模の国家が出現したのは
巻向の時代からと考えるのが当たり前で、それに反論するにはよっぽど強力な証拠がないと難しいと考えるけどね。
弥生時代では、邑=クニというのが基本的な考え方でしょ。
311名無しのひみつ:2009/11/24(火) 13:54:19 ID:b81KA1sA
>>310
新説どころかずっと前からそうされています。
312名無しのひみつ:2009/11/24(火) 13:59:50 ID:JC5f0bNf
>>310
誰が大統一王朝なんて言ってるの?
少なくとも畿内から北九州にわたる国々をまとめる邪馬台国が奈良にあり
魏に使者を送ることができたという事実を言いたいだけだよ
あまりにまとめるのを難しそうに言ってるから君のほうこそクニを勘違いしてるように読めたぞ?
313名無しのひみつ:2009/11/24(火) 14:08:24 ID:NAXw8dbC
倭国大乱まではそれぞれの地域で国があって、交流したりしてたんじゃない。
で、各地で争いが起こった結果、卑弥呼を今の天皇のような存在にしたのかな。
実際の政治は、各地域から大和へ有力者が来て合議制みたいな形になったと。
だからルーツを辿ると、九州だったり、出雲、吉備等の祖先を持つ有力者が
居たんではないだろうか。
314名無しのひみつ:2009/11/24(火) 14:23:26 ID:UyhYIWJm
>>2
いまだに九州王朝説なんか信じてるやつ居るの?
315名無しのひみつ:2009/11/24(火) 14:29:33 ID:hyqVfDcx
ここで一つ基本的事実を。

有史以来、貿易取引/GDPは、一貫して低下している。
経済活動が活発になればなるほど、貿易額以上のペースでGDPが成長する
ので貿易の比率は下がっていく。もちろん戦争などで貿易が減少して、
復興期に貿易が復活するなど、短期的に増加に転じることはあるけど、
そういう例外を除けばほぼ一貫して貿易の比率は下がっている。

この事実を歴史をさかのぼって逆に適用していくと、古い時代ほど貿易
依存度が高いという事になる。歴史の用語を使うなら、交易の依存度が
高いという事。
316名無しのひみつ:2009/11/24(火) 14:32:09 ID:JC5f0bNf
奴国が金印を受けた時点である程度の連合国家はできてたと見るのが自然だわな
金印なんて一地方の部族がもらえる代物じゃないしな
それまで盟主だった奴国の力が衰えたために倭国大乱がおこりそれを収めたのが邪馬台国と

周代には倭はすでに朝貢していたようだがそのころはどうだったんだろうな
317名無しのひみつ:2009/11/24(火) 15:05:53 ID:tnmIv3ms
>>316
奴国という一地方の部族が中国に遣使していたというほうが凄いことだからそれでもいいよ俺は。
318名無しのひみつ:2009/11/24(火) 16:40:33 ID:EUEu7B9j
九州に決まってるだろ。
魏の使節が無事に近畿まで到着できるほど、国内が統一されていたはずがない。
319名無しのひみつ:2009/11/24(火) 16:47:17 ID:+1wwjZWt
>>318
魏の使節は直接邪馬台国までは行ってなかったんじゃなかったっけ?
320名無しのひみつ:2009/11/24(火) 17:46:44 ID:qgNR2fKf
>>318

なんでいまだに九州って言ってるの?
九州に住んでいるから九州に存在していたことにしたいの?
無理があるって。正直に、客観的に、中立に勉強してみたらいいと思う。
九州九州と百回唱えても九州ではない。

321名無しのひみつ:2009/11/24(火) 17:48:37 ID:LAVtQYAc
なんでデカイ遺跡が見つかると、すぐ邪馬台国と結び付けようとするのかがわからない。
邪馬台国=大国とは限らないでしょ。
奴国のようなしょぼい国でも中国と外交しているし金印も貰っている(なぜ金印をもらうほど厚遇されたのだろう?)。
天正遣欧使節がローマ法王に謁見したからといって大友宗麟が戦国の覇者ではない。
倭人伝の記載にある邪馬台国の規模、権力構造、卑弥呼擁立のいきさつ、風習、卑弥呼の墓の大きさ等は全く当てにならない。
中国側もいい加減で、たとえば、豊臣秀吉の下に明の使者が来日したときでも、各武将に与えた明の間官位では、小西行長のほうが徳川家康より上だった。
20世紀でさえ北朝鮮を「地上の楽園」などと書いた新聞があるくらいだし、現在の金正日の権力把握状況や後継者問題は皆目わからない。

「新聞で正確なのは日付だけ」というジョークがあるが、中国や朝鮮半島の史書については、
「中国または朝鮮半島で」
「いつ」
「何が起きたか」あるいは「どんなニュースが届いた」などは、信用性があると思う。邪馬台国に当てはめれば
「帯方郡に」
「238年頃から」
「朝貢使節を送ってきた」等は信用してよいと思う。しかし「遠い国のできごと」は「中国側はそのように認識していたらしい」程度に信じるべきと思う。
322名無しのひみつ:2009/11/24(火) 18:00:31 ID:qgNR2fKf
>>321
ズコー
そりゃ単なる無知じゃないか
もう少し勉強した方がいい
無知で判断なんてできないし。
そうしたら畿内説を学者の9割以上が支持していることの理由がみえてくる。
でかい遺跡だけが理由ではないのも分かる。
323名無しのひみつ:2009/11/24(火) 18:09:31 ID:02XRvBPz
畿内説のほうがあらゆる観点から邪馬台国の蓋然性が高いのにそれをすっ飛ばして根拠のほとんどない九州説を支持する人は
結局雑誌の血液型占いとかマイナスイオンとかのニセ科学を信じてしまうような人なんだよ
つまりゆとりだよゆとり
324名無しのひみつ:2009/11/24(火) 18:12:57 ID:b81KA1sA
今や九州説にはキチガイかバカか嘘つきしかいない。
325名無しのひみつ:2009/11/24(火) 18:16:55 ID:lnkne7Ch
>>324
といいますか、絶滅寸前の九州説の研究者も内心では九州ではないな、苦しいなと分かっている。
326295:2009/11/24(火) 19:02:52 ID:BfzRs2io
>>303

そうかも知れません。しかし、
http://library.nao.ac.jp/naoreport/11-34-1.pdf
http://library.nao.ac.jp/naoreport/p145.pdf

この谷川らの論文でも、説明されているように小川清彦氏の暦計算から
考えてみると、雄略の実即位に誤差があっても、元嘉暦の日付干支の計算が
あっていることは、当時の記録を元にしていると思われ、後世の計算とは
思えません。



327名無しのひみつ:2009/11/24(火) 19:10:19 ID:yRZAmL8h
なんで邪馬台国だけこんな論争になるの?
古さでは奴国のが古いし
金印があるぐらいだから漢の公式文章にも詳細な記録は残ってるはず。
328名無しのひみつ:2009/11/24(火) 19:15:54 ID:NAXw8dbC
>>327
単純に言うと「邪馬台国」って名前だから。
これが「大和国」なら問題にならなかった。「ヤマタイコク」なんて
頓珍漢な読み方をしたやつが元凶。
329名無しのひみつ:2009/11/24(火) 20:00:43 ID:Uz9j6DVq
>>328
国学者、本居宣長がヤマトと読まずに無理にヤマタイとよんだからでしょ
ヤマトで問題なかったのにね
330名無しのひみつ:2009/11/24(火) 20:05:58 ID:b81KA1sA
>>327
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
倭国の南の果てだし。倭王ではない
331名無しのひみつ:2009/11/24(火) 20:17:35 ID:pAzissGQ
>>330


俺は>>327じゃないんだけど時系列を示すと

漢書地理志(紀元前1世紀)

夫れ楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国と為る。歳時を以って来り献見すと云う。
(倭は100余国が分立し、なかには漢に朝貢する国もあった。)

後漢書東夷伝

建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。
(紀元57年、倭の奴国が朝貢した)

安帝の永初元年、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願ふ
(107年に倭国王の帥升が生口を献上した)

桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐して歴年主なし。
(147年〜189年、桓帝〜霊帝の時代に倭国で大乱が起こり、盟主がいなかった)

三国志魏志
卑弥呼うんぬんかんぬん(省略)


紀元前の段階では国が分かれていた。
57年の時点でそれなりに力のある国が存在し後漢に朝貢する奴国があった。
107年の時点で帥升は倭国をまとめているような立場の倭国王という表現でよばれている
147年〜189年、いわゆる倭国大乱

邪馬台国ができて70年〜80年してから乱が起こって卑弥呼が立てられた。

そうすると帥升が邪馬台国の王だったと考えられるわけ?
もしくは邪馬台国の王ではなく倭国の王だったと考えられるわけ?
332名無しのひみつ:2009/11/24(火) 20:56:25 ID:JC5f0bNf
その当時の倭国王というのは奴国王のことだろ?
自分で倭国王に封じたんだから
333名無しのひみつ:2009/11/24(火) 21:03:15 ID:b81KA1sA
>>331
後漢書が書かれたのは5世紀の南宋の時代です。
334名無しのひみつ:2009/11/24(火) 21:04:29 ID:b81KA1sA
>>332
倭国の極南の1国です。
335名無しのひみつ:2009/11/24(火) 22:42:27 ID:2Bwa38y8
>>333
それがどうしたのですか?
336名無しのひみつ:2009/11/24(火) 22:56:44 ID:CCdmoFSU
>>306
3世紀末(280年-290年間)に書かれた魏志倭人伝には、
倭からはそれまでに、30ヶ国が使者を通わせていると書かれている。
つまり、邪馬台国は31ヶ国目の倭の朝献国なんだよねぇ。
もちろん、57年の奴国も、この30ヶ国のひとつ・・・・。
この全ての朝献した国に金印を渡したわけではないだろうけど、
邪馬台国にしたって、邪馬台国の首都?は、約7万戸の集落・・・というから、
東京で言えば日野市とほぼ同じだねぇ・・・・・・。
倭国の首都が邪馬台国と呼ばれる集落だったのかなぁ・・・・・。
女王国はこれら20数カ国を支配していたというけど、この“国”というのは、
今の県や地方なんかではなく、もっと小さな市や村、集落レベルだと思うんだよね。

九州の北部に倭の国のとっつきである一大国があったとして、卑弥呼のいる都市に至までに、
通る“国”というか都市は、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国の5つ。
特に、末盧国、伊都国は500里、伊都国と奴国と不弥国はそれぞれ100里しか離れていない。
また同じく、倭という国は、ぐるっと回ると5千里あまりの地域だとも記されている。
その、ぐるっと回ると5千里あまりの地域の中の一つが邪馬台国なわけだ。
そうすると、どう考えてもこぢんまりしたものと考えざるを得ない。

倭人伝に記されている、「女王国の東、海を渡ること千余里の彼方に、また国がある。」
のこの国こそ、奈良なんじゃないだろうか・・・・。
337名無しのひみつ:2009/11/24(火) 23:00:00 ID:XDwdiu94
卑弥呼は、中世のローマ法王みたいな存在だったんだろな。
邪馬台国がバチカン市国みたいなもん。
その下に国津神々が集まることで、
倭国(和国)が成立してた。

338名無しのひみつ:2009/11/24(火) 23:25:49 ID:CCdmoFSU
>>337
うーーん、倭人伝では、邪馬台国に至までに通過するそれぞれの“国”
を納める人を、王や女王ではなく、官、副官と記している。
それが何を意味するかというと、邪馬台国がその地を治める人間を派遣していたか、
任命していたか、ということで、
末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国とかの“国”はあきらかに国家ではなく、地方・地域の意味での“国”だと思う。
邪馬台国も、邪馬台国という国家なのではなく、邪馬台国という都市の名前、地方の名前なんじゃないかなぁ。
339名無しのひみつ:2009/11/24(火) 23:28:16 ID:JC5f0bNf
>>334
だからその一国が倭をまとめてたということだろ

>>336
そんな想像でぐだぐだ考え込んでも答えなんか出るわけないだろ
金印を受け取ってる時点で邪馬台国は魏からみて東夷とよぶ地域(半島含む)でもっとも国力を持ってたことは確かだ

340名無しのひみつ:2009/11/24(火) 23:33:49 ID:b81KA1sA
>>339
そんなことはどこにも書いていません。
341名無しのひみつ:2009/11/24(火) 23:38:13 ID:ktPSo/AZ
昔から倭と貶められることに相当に強く反発している。
倭 → 和 → 大和 (さらにこれをヤマトと読ませた念の入れ様)
ところが倭人伝にあるごとく、ヒミコには卑弥呼、ヤマトには邪馬台と当て字された。
金印にもそう彫ってあったんだろうと思う。これにも相当腹を立てた。
が、当時としては九州を制圧してなかったので中国の権威も必要としたんだろう。

この経過を知らないと後の聖徳太子の日出づる処の天子、書を日没する処の天子は出てこない。
ケンカ売ってるとしか思えない言葉である。
太子が金印を潰して捨てただろと思わせるほどだ。「日没する処の天子」は対等なんて表現では済まない。
すなわち、邪馬台国と大和朝廷と継続性がないと、こんなケンカ文にならない。
邪馬台=大和でないとこれを理解できない。

またこうしてみると「日」にたいする思い込みは昔から強かった。日ノ本ニッポンを名乗るくらいである。
すると、ヒミコとは日御子だったのかもしれないとさえ思わせる。それをけしからんと卑弥呼と当て字されたのかもしれない。
で、それたいする返しだから、もう一度言うけど、俺ら「日」出づる処の天子だからと。

また、卑弥呼が金印を貰っていたとしたら聖徳太子らはそういった歴史はむしろ抹消していただろう。
日出づる処の天子が過去に中国に朝貢していてはならないからだ。
日本側古書に全くでてこないのには蓋然性があるとさえ言える。
342名無しのひみつ:2009/11/24(火) 23:39:30 ID:JC5f0bNf
>>340
君は金印紫綬を甘く見すぎ
343名無しのひみつ:2009/11/24(火) 23:43:58 ID:b81KA1sA
>>342
実際に書いてないことを言われても困る
奴国王は倭の中の奴という一国であるというのは日本の史学の常識。
344名無しのひみつ:2009/11/24(火) 23:54:27 ID:maMO8M8m






福沢諭吉 「脱亜論」 (明治18年 西暦1885年)

 日本の不幸は中国と朝鮮だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。

「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである








345名無しのひみつ:2009/11/25(水) 00:01:26 ID:MaE1d2U7
文書資料が無いと確定はしようがないんだよな。
おそらく畿内だろうという事は言えても。
346ココ電球 _/::o-ν ◆tIS/.aX84. :2009/11/25(水) 00:03:50 ID:A+D/5F9z
曲学阿世 畿内論者
347名無しのひみつ:2009/11/25(水) 00:07:13 ID:JzTEqO0t
>>339
いやいや、邪馬台国が、当時もっとも力を持っていた卑弥呼の都だということは
否定はしないけど、それが、奈良から北九州までの広範囲に渡るものだったのか
となると疑問だということ。
もっとこぢんまりと、九州北部だけの勢力であったとしても、魏から金印を貰えると思うよ。
事実、倭人伝には、倭の国はぐるっと回ると5千里あまりと記されているし、
その5千里あまりの範囲内の邪馬台国に金印を授けている。
もしも、倭というくくりが、奈良から九州北部までに及ぶので有れば、
ぐるっと回ると1万里あまりと書かれているはず・・・・。
348名無しのひみつ:2009/11/25(水) 00:13:23 ID:JzTEqO0t
>>345
ホント、倭人伝には、
男は、大人も子供も、みんな顔にいれずみをして体に文字を書いている。
と書かれているし、伊都国の一大卒の役割として、

女王の使いが魏の都、洛陽や帯方郡や韓国から帰還した時、
また、郡の使節が倭国へ行く時は
みな津で文書とか送り物とかを点検し、
不足や食い違いがないようにしてから女王のもとに運ばせる。

とも書かれている。
文字や書類のたぐいがない文化だったとは、思えないんだけどねぇ・・・・。
349名無しのひみつ:2009/11/25(水) 00:20:35 ID:w3xpJHcd
>>347
金印紫綬を外臣の王に賜った例は漢代を通じてわずかに3例、はっきりいって小国に与えるものじゃないから
350名無しのひみつ:2009/11/25(水) 00:25:02 ID:MoiB5CIF
>>349
奴国が日本統一していたと本気で思ってるの?
351名無しのひみつ:2009/11/25(水) 00:30:57 ID:3p3LfPnN
>>349
いくら吠えても奴国王は奴国王で、倭国王ではありませんです。はい。
352名無しのひみつ:2009/11/25(水) 00:31:32 ID:w3xpJHcd
統一なんて一言も言ってないが馬鹿正直に奴国一国を治めて金印紫綬をもらったと本気で思ってるのか?
西域でいう烏孫と同じレベルなんだぞ?
まあ連合国家だろうがある程度の版図はもってたとするのが自然だろ
353名無しのひみつ:2009/11/25(水) 00:34:04 ID:MoiB5CIF
>>352
想像で言われても困ります
354名無しのひみつ:2009/11/25(水) 00:37:43 ID:w3xpJHcd
>>353
金印紫綬は想像じゃないよな?
そしてそのことからある程度の勢力を誇ってたことまではわかるよな?
俺が言ってるのはそこまで、金印紫綬をもらっても九州の一部しか治めてない!と想像で言ってるのが君だろ?
それとも贋作説を採ってる人かい?
355名無しのひみつ:2009/11/25(水) 00:40:38 ID:MoiB5CIF
>>354
>俺が言ってるのはそこまで、金印紫綬をもらっても九州の一部しか治めてない!と想像で言ってるのが君だろ?
金印紫綬をもらった事は本当でしょう。でも九州全土を治めていたというのは書いていません。

>贋作説を採ってる人
いいえ。
356名無しのひみつ:2009/11/25(水) 01:46:58 ID:o+9F9nbq
奈良じゃ駄目なの?利権があるわけ?
357名無しのひみつ:2009/11/25(水) 02:00:51 ID:d7Pw7XAF
>>352
奴国の版図は最大でどれくらい?
仮に奴国がでかくても後の時代の邪馬台国より大きいなんて思っている学者なんているの?
奴国は後の邪馬台国ではないだろうし、国力も奴国<邪馬台国だろ?

奴国が邪馬台国よりでかい場合にのみ奴国が金印を貰えて邪馬台国が金印を貰えなかったこととの整合性がとれるんだろうけど。
まぁ金印は他に理由があったんだろう。
だってさ、奴国が日本全体を支配していたとしても金印を授けるには不釣り合いだよ。
なのに日本全体を支配していなかっただろう倭の中の奴国が金印を貰っている。
他に理由があるんだろう。


話は変わるけど邪馬台国はほぼ畿内で決定だろうな。
358名無しのひみつ:2009/11/25(水) 02:57:22 ID:w3xpJHcd
>>357
版図の具体的範囲になると完全に妄想だから言えることはないけど、もちろん邪馬台国より小さいと思ってるさ
帥升は倭国王とされてるわけでそれは自分たちが金印を与えた奴国の王以外にありえない
倭国王帥升は奴国の王でその後盟主としての奴国の力が衰えたために倭国大乱、それを収めたのが邪馬台国
つまりかるい王権交代があり主導権が九州から畿内に移ったとみてる、無理あるか?
359名無しのひみつ:2009/11/25(水) 03:36:14 ID:d7Pw7XAF
>>358

> 帥升は倭国王とされてるわけでそれは自分たちが金印を与えた奴国の王以外にありえない

倭国王帥升が倭の奴国王だったかどうかは諸説あって、むしろ同一だったと言ってる人の方が少数だろ?
倭国王の帥升が邪馬台国の男王をだったと考える人もいるし。違うといういう人もいるけど。


>主導権が九州から畿内に移ったとみてる、無理あるか?

そこまでそういう風に考える人は少ない。
あくまで奴国は九州の小国と考えられているから。
九州に邪馬台国よりは小さいがかなりの大国があったと考えるにはあまりに突飛なんだよ。
大和王権や邪馬台国のように他の国を支配していた、かなりの権力を想像させるものはないから。
例えば同一の陵墓や土器とか銅境をばらまいたとか紅花のような当時の貴重品が出たとかないし。

倭国王とされる帥升が本当に倭国の王的に立場だった(盟主的存在だった)なんて何をもっていえるの?何もないんだよ。
君のいうように金印を貰えるくらいの大国なのにそれを類推させる物は何もないじゃない。
だから踏み込みすぎな意見に見えるよ。

とはいえ、金印なんて大国じゃなくて貰えるだろうけど。
実際には中国は倭の情報はないに等しいし興味もなかっただろう。
本当に奴国が大きいのか金印に相応しいのか情報もないし確認もとれない。
海の向こうからはるばる来たくらいの認識だよ。

小国だったと学者が認識している奴国が金印を貰っていることからもいえることだけど。
360名無しのひみつ:2009/11/25(水) 04:02:19 ID:w3xpJHcd
>>359
>倭国王帥升が倭の奴国王だったかどうかは諸説あって、むしろ同一だったと言ってる人の方が少数だろ?

諸説あるのはわかってるさ、その中で腑に落ちるものをあげてるわけでそのための掲示板だろ?
何の前触れもなく倭国王と言ってる事から金印を授けた奴国の王を指すのが自然だと思ったわけさ
初出の国で金印を授けた奴国を差し置いて倭国王を認めるならその国に対する記述があるのが自然だろう

ただ奴国の規模に関しちゃモノがでなきゃ話になんないのはわかってるけどね

>とはいえ、金印なんて大国じゃなくて貰えるだろうけど。
>実際には中国は倭の情報はないに等しいし興味もなかっただろう。
>本当に奴国が大きいのか金印に相応しいのか情報もないし確認もとれない。
>海の向こうからはるばる来たくらいの認識だよ。

>小国だったと学者が認識している奴国が金印を貰っていることからもいえることだけど。

この辺はすべて前提がおかしいだろ、倭には興味ないに違いないという想像の下に金印の価値がおかれてるぞw
普通は「興味ないと思われてたが金印が出てきたためそうじゃなかったんだ」と考えるもんだろう
大体金印しか種類がないならともかく銀印銅印あるなかでの金印の意味を考えないのか?
ちなみに小国で金印紫綬を貰った例を教えてくれよ
361名無しのひみつ:2009/11/25(水) 04:51:33 ID:EZ//M4wQ
>>304
往時のヴェネチアみたいに、瀬戸内航路の停泊拠点だけを飛び石状に確保してたかも?
362名無しのひみつ:2009/11/25(水) 05:35:24 ID:d7Pw7XAF
>>360

> 何の前触れもなく倭国王と言ってる事から金印を授けた奴国の王を指すのが自然だと思ったわけさ

別に自然だと思わない。
倭国王は倭国王。奴国王は奴国王。

中華にとって倭は興味ないよ。後の世でも倭などは中国にとっては数ある国のうちの一つの国に過ぎない。辺境僻地の認識。朝鮮でも辺境だからな中国的には。実際に辺境だったけど。
奴国が倭国全体を支配してても金印は不釣り合い。
まして九州の一部の国に過ぎない国がさ。
国力という観点から考えると金印はない。
中国は奴国の国力について正確な情報もないし確認もできないが
数ある朝貢国のうちの奴隷くらいしか献上するものがない文化のない土人国家という差別的認識だろうな中国的には。
中国とは常にそういう国だ。

実際にどこにあるのかさえ正確に認識していた訳ではないだろう、海の向こうは中国の興味の範囲外だからな。
国力以外の点で金印を与えたのだろう。

魔物が住む東の海を越えて朝貢にきたことを評価し金印を与えるに足ると考えたのかもしれない。
文化的に、国力的に金印が相応しいとは考えられないだろ?
奴国が本当に金印に相応しい国な訳がない。それを裏付ける巨大な遺跡がない。
何故だ?
邪馬台国には盟主に相応しい遺跡があるのに。
金印を出発点に話を組み立てすぎなんだよ。
高校のテキストレベルでさえ奴国が小国として扱われている現状を考えて欲しい。
そこまで言えたらいいのだけど現状は小国として扱うほかない。
363名無しのひみつ:2009/11/25(水) 05:58:02 ID:3p3LfPnN
というか中華思想からすれば倭に中国がいかに影響を及ぼしたか、
書きたいだろうが、もし奴国=倭ならそう書いていたはず。
それを分けて書いてるから有り得ない。
また漢倭奴国王ってのは漢の領土だって事だ。
奴国の王が倭国の王と本気で思ってるやつは九州の売国奴ぶり喜んでるのかね?

比べて邪馬台国の場合は朝貢していても
「親魏倭王」であり、待遇が少し違う。

364名無しのひみつ:2009/11/25(水) 06:04:50 ID:MoiB5CIF
「中国様に金印貰って認めて貰ったから倭国を支配していた。どうだ九州偉い」って
・・どんな奴隷根性のスネオだよw
多くの国が乱立していた時代で奴国が倭王として倭に君臨していたとはとうてい考えられない。

ちゃんと傘下の国があって君臨している邪馬台国の卑弥呼とはレベルが違うんだよ
365名無しのひみつ:2009/11/25(水) 06:17:02 ID:gEyMBUn/
委奴でヤマトと読む説もあるがね。
金印にこれだけ強力な権威を認める奴が、2000年も経ってもいるというんだから、
支那の外交術も大したものと言うべきかね。
366名無しのひみつ:2009/11/25(水) 06:22:29 ID:MoiB5CIF
>>365
奴国という国が存在するからそれはありえんだろ。説だけならいくらでも作れるが
いかに説得力があって正史とされるかは、状況証拠が揃わないと別。漢の倭の奴国王というのが定説。
367名無しのひみつ:2009/11/25(水) 08:16:02 ID:un95/x/X
九州じゃないの?吉野ヶ里には楼観や城柵も出てるし。
368名無しのひみつ:2009/11/25(水) 09:46:48 ID:uXTKQ4AL
橋墓掘れば金印出てくる可能性はないの?
369名無しのひみつ:2009/11/25(水) 11:11:08 ID:SV50HWZz
>>368
副葬品として葬られる性質のものではないから、まずない。

神道の思想で、金印を廃して朝貢国から脱するのであれば、聖別された土地に埋めるだろうね。
だから、どこかの山とか神社に埋まっている可能性はある。
370名無しのひみつ:2009/11/25(水) 12:31:52 ID:cVwIKLnl
金印は正当な属国と認めた証で
やたらな国には渡さないはずだ。
当時の文明や国力の差は漢と倭連邦全体でも違いすぎるのに
倭の中の奴という国では格が違い過ぎて金印を授かるような直属の属国になるのも不自然だよな。
371名無しのひみつ:2009/11/25(水) 12:58:32 ID:vwSCbf8Q
当時は漢としても情報量が極小だったろうから、交渉に当たった人物の能力で大きく左右されたんだろう
つまり、奴国や邪馬台国の派遣した人物が優秀だったと。
372名無しのひみつ:2009/11/25(水) 13:01:12 ID:/2MIXK5+
>>367
時代的に邪馬台国のある頃はかなり衰退してるから、可能性は限りなく低い。

金印の話は個人的にはどうでもいい気がするな。仮に箸墓から出てもそれを
もってそこに邪馬台国があった証明にはならんし。
373名無しのひみつ:2009/11/25(水) 13:15:24 ID:EZ//M4wQ
>>371
産品の量や珍しさ、勢力の強さによって印鑑の材質変えてたようだから、
口先一つで金印やるかといえば疑問だ。
374名無しのひみつ:2009/11/25(水) 14:14:50 ID:3p3LfPnN
>>373
遠い国は大事にして近い国と事を構えるのが普通でな。
本当に大事な国ならもっと登場してる
375名無しのひみつ:2009/11/25(水) 15:03:08 ID:KupYTX3f
>>336
当時の7万戸がどんだけのもんだと思ってんの?
江戸時代だって世界で100万都市は江戸とローマと長安だけだって言われてるのに
376名無しのひみつ:2009/11/25(水) 15:15:08 ID:2VR/opLR
>>374
遠交近攻ね。漢も鮮卑とかと対決するために鮮卑とかの背後に漢に忠誠を誓う
国が必要だったんだろ。倭の最極南という位置にある奴国はぴったりだ。
いざとなれば水軍の拠点にできる。
ただ奴国はただの九州の1国をおさめただけの小国に過ぎなかったろうね。
何の証拠もないし、倭のある程度の勢力をおさえていたなら「倭の極南界」なんていわずに
倭国といっていただろう。いずれにしても記録がない。
>>368
ないだろうな。大体志賀島なんて周辺で何ら遺構らしきものが発見されていない場所だ。
よって滅ぼされて逃げるときに落としたか、移されて隠された結果だろうね。

親魏倭王の印の場合も、魏が続いているときなら意味があるが滅びてしまえば何の意味もない。
すでに溶かされているかも知れない。
377名無しのひみつ:2009/11/25(水) 15:45:20 ID:a08iv5CZ
江原なんとか先生に卑弥呼と霊界通信してもらって聞けば即解決だろ

無駄な時間と費用使ってるんじゃねーよ
378名無しのひみつ:2009/11/25(水) 16:40:05 ID:JzTEqO0t
いやね、魏志倭人伝には、
倭・・・つまり、当時の中国が認識する範囲の日本について、一番最初に、

倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいる。山の多い島で、国や村で成り立っていて、
もとは百余りの国があって漢の時代には朝貢する者もいたが、
今は使者や通訳など通ってくるのは、30カ国である。

と、邪馬台国の時代にすら、倭から中国に使者や通訳などを派遣している国は邪馬台国を含めて30ヶ国あると言っている。

つまり、57年に漢倭奴国王という金印を渡したときも、奴国以外にも数十ヶ国に及ぶ倭国の“国”が、
中国に使者や通訳を派遣していて、その派遣していた数十ヶ国の倭国の中のひとつである奴国が
倭国の主要国として漢王より、漢の国を名乗って良いと認められた・・・金印を渡したと言うことであって、
奴国が倭を統治する倭の国王だということとは、少し意味合いが違うんじゃないだろうかね。

もしも中国が、倭の国王としてある国を認定していたり、倭国自身で一つの国家を王として従属していたら、
中国に朝献するのは、全て倭国や倭国王よりと、一本になるはずだ・・・。

邪馬台国も、倭人伝に寄れば、20ヶ国ぐらいを支配下に置いていたとあるから、
それらの国は勝手に自国の名前で朝献はしていないし、邪馬台国もさせていないだろう。
もしもそれらの国が朝献するときは、邪馬台国からの使者という話になるはずだ。

とすると、邪馬台国と支配していた20ヶ国以外に。当時の倭には30ヶ国近くの中国に朝献する国があったことになる。
邪馬台国と支配していた20ヶ国で、近畿から北九州までをしめていたとすると、
倭国はちょっと、狭すぎることになる。
379名無しのひみつ:2009/11/25(水) 17:01:45 ID:iFhatUhs
百年後も所在地論争してそうだな
日本の考古学は邪馬台国で止まったままで一向に前進していない
380名無しのひみつ:2009/11/25(水) 17:05:03 ID:uJIG9s8P
>>379
いや、前進しまっくているし九州、畿内と論争なんてない。
畿内でまとまっている。
研究者から世間が3周遅れでいまだ論争しているという感じ。
381名無しのひみつ:2009/11/25(水) 17:07:39 ID:SV50HWZz
>>379
お前が無知なだけだ。
ゴッドハンドのせいで旧石器時代の研究は白紙に戻っちまったが、
発掘調査などが広く行われて、着実に研究は進展している。
各地の墳墓の発掘調査も出来たら、もっといろんなことが分かるだろうけどな。
382名無しのひみつ:2009/11/25(水) 17:41:45 ID:/2MIXK5+
天皇陵等が発掘出来たら古代史の微妙な部分がもっとはっきり分かってくる。
畿内説とか九州説の前に、ここをクリアしないと先に進めない。
俺としては、もういいかげんに天皇陵発掘しろよ!って言いたい。
383名無しのひみつ:2009/11/25(水) 17:45:28 ID:KJv57v5Y
それにしても、、、
歴史講釈を垂れかます中国人の解釈は頓珍漢すぎる。
痛いレベル。
倭奴国と邪馬台国を同一視してるし、時系列メチャクチャで、
下手すれば『三国志』すらまともに読んでないのがバレバレ。
文革で焚書抗儒みたいな事ばかりやって、学問を疎かにしたつけだろうか?
非常にムカムカして、不愉快であると同時に憐れである。
384名無しのひみつ:2009/11/25(水) 18:26:32 ID:spS3Zmax
何らかの新規の文書が見つからないと、
どれだけ考古学的発見があっても、
邪馬台国がどこかっていう事は確定し無いぞ。
385名無しのひみつ:2009/11/25(水) 18:32:39 ID:cVwIKLnl
なんで邪馬台国の所在地にこだわる意味があるんだかさっぱりわからない。
漢が認めた倭の中の国が奴国で恐らく北九州にあり
巍志に認められる倭の代表的な国は邪馬台国で恐らく奈良にある
で何か問題があるのか?
386名無しのひみつ:2009/11/25(水) 18:34:55 ID:JzTEqO0t
>>380
畿内説でまとまってなんかいないよ(笑)
畿内説にもまだまだ高いハードルがある。
387名無しのひみつ:2009/11/25(水) 19:02:31 ID:iFhatUhs
日本の考古学は邪馬台国て停止したままだな
388名無しのひみつ:2009/11/25(水) 19:18:20 ID:/2MIXK5+
>>387
それ以前のと言うか、その後の時代の天皇陵で既に止まってる。
389名無しのひみつ:2009/11/25(水) 19:21:33 ID:JzTEqO0t
>>385
倭人伝に寄れば、邪馬台国は20ヶ国ぐらいを支配下に置いていたとある。
と同時に、
邪馬台国があった時代、倭から中国に使者や通訳などを派遣している国は邪馬台国を含めて30ヶ国あると言っている。

とすると、邪馬台国と支配していた20ヶ国以外に。当時の倭には30ヶ国近くの中国に朝献する国があったことになる。
邪馬台国と支配していた20ヶ国で、近畿から北九州までをしめていたとすると、ちょっと、狭すぎることになる。

邪馬台国の説明で出てくる支配していたとされる“国”は、国家ではなく、おそらく地方か集落の呼び名。
邪馬台国という名も、卑弥呼がいる7万戸あまりの集落、都市?の呼び名だろう。
卑弥呼が納めていた地域は、畿内から北九州までなどという広範囲ではなく、もっと狭かったはず。
390名無しのひみつ:2009/11/25(水) 19:34:31 ID:JzTEqO0t
つまり、邪馬台国の時代まで、日本は連合国家と言うよりも、都市国家の様相が強く、
都市を“国”と呼んでいた。
つまり、国は今よりもずいぶんと狭かったんだ。

それぞれの都市国家は、より広大な国家としての中国の後ろ盾を得て、
他の都市よりも優位に立とうと、おのおの中国に使者や通訳を通わせて、
なんとか中国の王の目にかけられるようしのぎを削っていたんだろう。
その、互いにしのぎを削りあう都市国家が邪馬台国の時代には、邪馬台国を含めて30ヶ国あった。
結局、その中から邪馬台国が気に入られて、親魏倭王卑弥呼という称号を貰ったんだ。

その後、奈良の都市国家だった大和王権が初めて、西は九州、東は福島周辺までの都市国家を制圧し、
初めて、中国と同じような国家としての形態を持ち、聖徳太子が隋に国書を届けるまでになった。
391名無しのひみつ:2009/11/25(水) 19:34:54 ID:N9upc/fA
九州説の学者が1割(ただし、積極的肯定者はほぼいない)
畿内説の学者が9割

これが研究者の実態な

392名無しのひみつ:2009/11/25(水) 21:30:45 ID:HD72uz57
一割もいねーよwww
393名無しのひみつ:2009/11/25(水) 22:45:56 ID:qWG9vNqL
大和朝廷になっても宇佐八幡宮を重要視していた面で、宇佐は皇室に関係有りだと思います。
目先の発掘にしか意識すべきではないかと思います。
394名無しのひみつ:2009/11/25(水) 22:49:06 ID:LapdMcS4
邪馬台国はどこかってとこに、こだわるのが素人にはよくわからん
その時代のどの場所にどんな規模で、どういう人達がいて、
どんな風に暮らしてたのかが分かればそれでよくね?
395名無しのひみつ:2009/11/25(水) 23:00:00 ID:GfFKFZLQ
>>393
日本語でたのむ。
396名無しのひみつ:2009/11/26(木) 00:08:57 ID:D1OaPNPn
>>394
邪馬台国という名は有名だから、経済的価値が大きいのですよ。要するに利権。
397名無しのひみつ:2009/11/26(木) 00:37:09 ID:kMZ1m8vS
>>396
吉野ヶ里遺跡は中国との共通点が非常に多く特徴的な遺跡でした。
人骨の特徴が中国南方の民族と似ているなど興味深いものでした。

しかし、在日朝鮮人がこれに目をつけ、日本に渡来して技術、分化を持ち込んだのは私たちだ、日本は感謝しろ
と言いたいのでしょう。

無理やり、半島との共通点を作りあげ、昨今では半島で吉野ヶ里展を催し、吉野ヶ里遺跡故郷に帰るというフレーズであたかも朝鮮人の
遺跡のような刷り込みをしています。日本を作ったのは朝鮮人という間違った啓蒙をしているのです。
日本の一般人も騙されるでしょう。
しかし韓国からの観光客も見込めるということで利権でもあるのでしょうか、もはやそっくり作り変えられてしまったということがあります。

いまだに騎馬民族説というような荒唐無稽な話を吹聴する在日朝鮮人が沢山います。
困ったものですね

398名無しのひみつ:2009/11/26(木) 02:11:11 ID:iy3zhGg3
>>397
まじでそんな事やってんの!?
399名無しのひみつ:2009/11/26(木) 06:35:51 ID:TU7eKJ06
>>397
> いまだに騎馬民族説というような荒唐無稽な話を吹聴する在日朝鮮人が沢山います。

はい。
これ特に、近年中国語圏でも急速に広まっています。
恐らく、在中韓国人や、VANKのごときが全力でこの手の説を広めているからだと思います。
日本では既に、騎馬民族征服説は電波扱いですが、韓国・朝鮮人の全力の工作により世界中で、
「日本史の隠された真実」扱いにされてしまっています。
ついでに、「天皇朝鮮人説」め有力視されてしまっています。
はっきり言って、日本は、お百姓さんの国ですよ。
天照大御神て、どんな神様でしたっけ?
近代になるまで、「馬」のごときも、木曽馬の様な小型のものばかりでしたしね。
邪馬台国→大和朝廷という説が確立されれば(殆んど確立されているようですが)、
朝鮮信者を黙らすことが可能です。
400名無しのひみつ:2009/11/26(木) 09:16:33 ID:Rnt/7/SJ
【日韓】壱岐・安国寺の寺宝は「韓国の国宝」になっていた!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1128772214/
【日韓】日本から盗まれた高麗仏画は今…[05/10/08]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1128775896/
【日韓】韓国人が日本の文化財を窃盗
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1097688344/
【日韓】仏画の掛け軸を盗み韓国で売却、韓国人男で起訴
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1097672339/
【日韓】韓国検察、盗難仏画の捜査を放棄
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1111165457/
【日韓】文化財が盗まれても犯人が韓国籍ならマスコミは沈黙
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1129823243/
【奈良】法隆寺で国宝・西室の格子壊され、文殊菩薩像盗まれる
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1139118999/
【対馬】経典170巻盗まれる 対馬の西福寺、長崎県文化財も
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1138267687/
【韓国】盗難文化財を買入れ、堂々と展示[10/19]
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2006101902628
【日韓】日本の重要文化財47点を盗んだ一党が検察。韓国政府は行方不明と。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2004101424038
【韓国】「愛国者?」日本の寺院から文化財盗んだ窃盗団逮捕。韓国政府は返す義務なしと。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/10/13/20041013000087.html
【文化財】「日本最古とされる日の丸」などの文化財を盗んだ男に懲役7年 奈良地裁
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3500/1129852035/l50
〔03/30〕 秀吉の碁盤や重文発見・奈良県警、元古物商ら逮捕
http://plaza.rakuten.co.jp/machikoMizutani/diary/20051010/



壱岐・安国寺の寺宝は盗まれたものに似ているから調査させてくれと韓国政府に要請。
韓国政府は由来や経緯を調べず異例の速さで国宝認定。
401名無しのひみつ:2009/11/26(木) 09:17:19 ID:Rnt/7/SJ
94年、長崎県壱岐島から国の重要文化財指定の「高麗版大般若経」が盗難

翌年、なぜか韓国の国宝284号に指定

98年、大阪府太子町から高麗仏画「楊柳観音像」(重要文化財級) を含む仏画32点が盗難

韓国で存在確認

2001年、愛知県豊田市から阿弥陀如来の極楽浄土を描いた,県指定の重要文化財「絹本著色阿弥陀仏曼荼羅」など7点が盗難

韓国人による犯行

2002年、兵庫県加古市から国指定の重要文化財「絹本著色阿弥陀仏三尊像」など8点が盗難

韓国人による犯行

2005年、島根県出雲市から「紙本墨書後醍醐天皇御願文」など国指定の重要文化財4点を含む,仏画や経典13点が盗難

韓国人の犯行

いずれも高麗仏画を狙った計画的犯行で、盗品は全て韓国に渡っている。
盗品のなかには韓国の寺院や韓国の国宝に指定されているものもあり、営利的で政治的な
意図を持った窃盗事件である。

なお、98〜02年の窃盗事件は韓国人の金と黄という2人の犯行であり、彼らによる日本側
の被害は3億円にのぼる。韓国のメディアは彼らを「愛国者」と賞賛し、韓国世論も「彼ら
に報奨金を出すべき」などと盛り上がる異常事態となった。
韓国政府も「韓国民法の『善意の取得』を適用すれば法律上の問題は無い」として盗品の
返還に一切応じていない。

402名無しのひみつ:2009/11/26(木) 09:53:34 ID:VQKd52cX
巻向に朝鮮人は関係ないんだから、変なコピペ落とすな。うざいんだよ。
403名無しのひみつ:2009/11/26(木) 13:00:59 ID:GEnb5aDG
>>399
それホントなんだよねえ。英語版wikipeの日本古代史の関連記事で朝鮮人が騎馬民族説と天皇朝鮮由来説を力説しまくってる
日本人のユーザーはほとんどいないし英語へたくそなやつらばかりだから反論してもアラシ扱いw
上智で古代史を教えてた外人教授がそれ見てブチ切れてたw
404名無しのひみつ:2009/11/26(木) 13:04:46 ID:iXmUrLQQ
>>403
その上智の先生に頼めないものか
405名無しのひみつ:2009/11/26(木) 15:52:56 ID:/yZhvW1T
以前天皇陛下が桓武天皇の母が百済の血を引いていたことに言及したのを紹介した
ニューズウィーク記事が騎馬民族説を取り上げている
ttp://www.asyura.com/0304/bd26/msg/320.html
「天皇は朝鮮半島由来」というのは朝鮮人のみならず白人にもお気に召す説らしい
考古学者の中にも欧米マスコミから
「天皇陵発掘を許可しないのは天皇が朝鮮半島由来であることが証明される物が
出てくると困るからではないのか」と聞かれた人が居ると耳にしたことがある
また、共産主義者でもある松本清張がやはり天皇陵発掘不許可の理由はこれじゃないか
と書いていた
韓国・朝鮮人だけの仕業じゃないよ
406名無しのひみつ:2009/11/26(木) 16:00:50 ID:210qvxn9
所謂当時の百済と今の朝鮮人とではDNAレベルで違う民族だったんでしょ?
何も不都合な事は無いと思うんだけど
407名無しのひみつ:2009/11/26(木) 16:04:43 ID:k8IBp7kt
今の日本人は朝鮮から渡ってきた人種、で合っているだろう。
今の朝鮮人は当時朝鮮にいた人種とは違う、というのも合っている。
408名無しのひみつ:2009/11/26(木) 16:08:43 ID:/yZhvW1T
でも朝鮮人は古代朝鮮人と現代朝鮮人は違うなんて思ってないんだなぁ〜
409名無しのひみつ:2009/11/26(木) 16:30:36 ID:2b3EFK5w
>>407
そういう人も中にはいるだろうが、主は倭人と縄文人だろ?
倭人は中国南部の越人だろ?
金員も蛇だし、文化、遺跡の中国との共通点を考えても。
その倭人は日本だけでなく半島南部にもいたというのは史書にある。




410名無しのひみつ:2009/11/26(木) 16:33:44 ID:aMUsRAi5
>>407
更新世に渡って来た人縄文人は半島経由じゃないよ
411名無しのひみつ:2009/11/26(木) 16:38:23 ID:BAb192l6
日本に稲作を伝えた渡来人も縄文時代に中国南部から来た人達だしねぇ
412名無しのひみつ:2009/11/26(木) 16:48:33 ID:2b3EFK5w
>>410
日本の更新世の化石人骨は5例。
浜北人
湊川人
山下町洞人
ピンザアブ人
下地原洞人

浜北人以外は全部沖縄から発見されているというのも興味深いですよね
南西諸島を渡って日本に到達したんでしょうね
413名無しのひみつ:2009/11/26(木) 17:07:21 ID:iXmUrLQQ
日本人は南西諸島や長江域から渡ってきた縄文人+大陸からわたってきた人との混血だろうね。
時代が弥生時代後期になると今度は氷河期が終わって現代より海面が上昇していたから
今よりも渡りにくくなってるから、急激な人の移動はなく、緩やかであったろうと思われる。
414名無しのひみつ:2009/11/26(木) 17:23:05 ID:GEnb5aDG
>>405
もう欧米では事実として広まってるな。ガーディアンとナショナルジオグラフィックの記事にも書かれてる
http://www.guardian.co.uk/world/2007/sep/21/japan.justinmccurry1
http://news.nationalgeographic.com/news/2008/04/080428-ancient-tomb.html
>>404
その先生は「バカがうつるし時間の無駄だから一切wikipeには触れるな」というスタンス
http://www.guardian.co.uk/world/2007/sep/21/japan.justinmccurry1
「これらの説は反日謀略をもくろむ人々により広まっている」とさえ言ってるwまあそのとおりなんだが
415名無しのひみつ:2009/11/26(木) 17:24:25 ID:GEnb5aDG
http://www.t-net.ne.jp/~keally/Reports/wikipedia.html
最後のリンク違った。これね
416名無しのひみつ:2009/11/26(木) 17:25:46 ID:BAb192l6
ああいう民族相手だと一々論破していかないと駄目なんだよね
嘘も百回付けば本当になると思ってる奴等なんだから
417名無しのひみつ:2009/11/26(木) 17:26:35 ID:+yQiCYJv
>>413
氷河期が終わって、今以上に気温が上がって海面が上昇していたのは
縄文時代だよ。その後、若干寒冷化して海面が下降している。
418名無しのひみつ:2009/11/26(木) 17:43:42 ID:TU7eKJ06
>>414
今回の宮殿発掘により、邪馬台国畿内説がますます有力になったわけだけど、
欧米や韓国の親韓反日分子は、どのように反応するかね?
419名無しのひみつ:2009/11/26(木) 21:36:04 ID:wT9XzNST
大和朝廷は畿内だけど邪馬台国まで畿内とする事には少し疑問です。
過去の日本は分国体制でしたので各地に点在していたはずです。
神武天皇を畿内に置いた事も昔の首都が京都だったため、何でも畿内を中心にすればという考えだったのかも知れません。
それは大和朝廷によって、しかも飛鳥奈良時代に編纂された古事記・日本書紀を基本にしている点もあるかと思います。
大和朝廷はともかく邪馬台国まで畿内仁まとめる考えには疑問です。日本各地に多くの小国が点在していたはずです。邪馬台国もどこか解りませんがその一つだと僕は思います。

稗田阿礼の記憶や舎人親王のこうだという記載以上の考古学に期待しています。
420名無しのひみつ:2009/11/26(木) 21:53:18 ID:8QVU8wXM
今現在、大和朝廷以前の事まで畿内にまとめようとする感じには疑問です。
421名無しのひみつ:2009/11/26(木) 23:05:36 ID:iXmUrLQQ
>>419
>神武天皇を畿内に置いた事も昔の首都が京都だったため
昔っていつのことですか?

>過去の日本は分国体制でしたので各地に点在していたはずです。
古墳時代の開始年代を従来より早める説が有力となってきてるので
統一の時期も以前考えられていたよりも早まっています。
422名無しのひみつ:2009/11/26(木) 23:12:34 ID:oaEh5TUq
>>419
お前も懲りない奴だなぁ
朝鮮人ははやく帰りなさい
素人丸出しの知識で取り繕っても駄目だよ
423名無しのひみつ:2009/11/26(木) 23:20:32 ID:TU7eKJ06
>>406
日本の天皇家は、百済人じゃなければいけないんですか?
中国の古文書には、半島南部に倭人が住み着いていたらしき事が書かれていますが。
残念ながら、天皇家は倭人(列島土着の弥生人)の可能性が高いんじゃないでしょうかね。
中国の古文書にも、百済人が日本で王になった事は、たぶん書かれていませんよ。
支配者の言語や民族が、庶民と違うとも書かれていない。
列島に住む人々は、「倭種」とひとくくりにされています。
424古代史:2009/11/26(木) 23:57:20 ID:Z12HXNyB
同じようなレスここでも見かけたな・・・

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!41
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1258380299/
http://www1.atchs.jp/most/
425名無しのひみつ:2009/11/27(金) 01:20:45 ID:xPhGeEXG
>>423
いや、自分に聞かれてもわからないw
>>405までの流れとそのレスを見て、例え当時の朝鮮半島から来てたとしても
”現在の”朝鮮半島に住む人種とは違うから結局はどうやってもそいつらが望んでるような
「半島起源説」には成り得ないってことを言いたかった。
もしこじ付けで百済人と現代の朝鮮人が同じ人種だとしても、
それって結局自分達は既に古代レベルで日本の属国だったという歴史的事実と
その上嫌っている(古代)日本人の血が自分達にも流れてますよって認めることにもなるわけだから
かえって真の意味でプライドが傷つくのはあちらさんじゃないってこと。
426名無しのひみつ:2009/11/27(金) 01:44:02 ID:05T+01kD
記紀の記述からして天皇家は自分たちの祖先は九州から来たと認識していた。
国生み神話をみても古代の日本人は、自分たちの国は島国と認識していたとわかる。
大陸から来たと認識していたならそういう神話になっていたはず。
427名無しのひみつ:2009/11/27(金) 06:20:06 ID:teuP8Ha8
こんな万年所在地争いばかりしてる無能考古学の予算は削減して他の分野に回したほうがいいな
428名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/27(金) 07:44:33 ID:xp+jxEwh
邪馬台=ヤマド=ヤマトは地名が政権名になり国名になったのだろう、
ヤマトは山の麓という意味か?それとも生駒山を越した先という意味か?

九州に政権が在ったとしても2世紀頃まで、
頼朝が鎌倉に幕府を開くまで約千年、
大和の地から大きくは政権は動かなかったわけだ。
429名無しのひみつ:2009/11/27(金) 08:15:53 ID:Q91yy0ec
>>426
記紀の記述からすると全く逆。自分たちの祖先は日の昇るところであるという意識が強い。
国生み神話は大陸の意識とは関係がない。単独でもそういう記述になるはず
ととらえている。神武は高天原から九州に降臨しただけで、意識の中では高天原>>>>九州
である。大和(大倭国)を攻めるときでも、難波津から攻めず「我々は天孫であるのに、東、つまり日
に向かっていくさをするのはまずい」ということでわざわざ和歌山から迂回している(難波津からの
方向には高天地方つまり葛城・金剛山系がある)
また日本を中つ国(中心地)とし、大八州と呼ぶ。日本は神国であり中国や朝鮮の大陸など「
日の沈む国々」でしかないのだ。
430名無しのひみつ:2009/11/27(金) 11:57:48 ID:+BFOkLab
>>428
そんな駄洒落を言っていると良識のある人達からは馬鹿にされるよ。
431名無しのひみつ:2009/11/27(金) 12:44:19 ID:TkRTC0cu
>>430
邪馬台国の読みはもともとヤマトだったんだよ。
それが江戸時代の国学者の本居宣長がヤマタイコクと造語を作って読み方をかえた。
日本が中国に朝貢するわけはない。
そういう中国に隷属する邪馬台国のような国が大和王権の前身であってはいけない。
あくまで別の国だった。読み方もヤマトではなくヤマタイコクと呼ぶんだと主張した。

九州説、畿内説の論争も彼らによってはじめられた。江戸時代の話だ

まぁ、現在の定説は邪馬台国=プレ大和王権だから本居宣長が間違っていたんだよ
432名無しのひみつ:2009/11/27(金) 13:08:56 ID:009jzi/A
>>429
それいいだしたら神武東征アウトじゃん。
雄略の「東は毛人五十五〜〜」もさ

倭を「日本」と改名するしたいがために
文章捏造しただけじゃねえかね。
433名無しのひみつ:2009/11/27(金) 13:10:29 ID:009jzi/A
だいたい妙なナショナリズムで歴史を語っちゃいかん。
434名無しのひみつ:2009/11/27(金) 13:20:08 ID:6aArgztJ
うーーーん・・・・、邪馬台国がプレ大和王権だとして、
奈良から北部九州までを支配下に置く大国だったとしたら、
狗奴国はどこなんだ??????

奈良から北部九州までを支配下に置ける大国と、ガチで勝負する国が、
九州南部とか、紀伊半島南部なんていう、狭い地域の国だとは、到底思えないけど・・・。
435名無しのひみつ:2009/11/27(金) 13:20:07 ID:bbYvn8k3
>>433

だいたい妙な反日史観で歴史を語っちゃいかんも追加な。

436名無しのひみつ:2009/11/27(金) 13:22:51 ID:009jzi/A
>>435
うるせーんだよネトウヨぶぜいが。
韓国の学者も任那とかみとめたがらんのよな。

一緒だよおまえら。
437名無しのひみつ:2009/11/27(金) 13:28:07 ID:bbYvn8k3
>>436

韓国の学者が任那を認めないのは韓国のナショナルリズムと反日史観だよな
中国も日本も認めているのに。

日本の学者はいたってノーマル。

438名無しのひみつ:2009/11/27(金) 13:35:07 ID:Q91yy0ec
>>432>>433
>それいいだしたら神武東征アウトじゃん。
意味不明
>雄略の「東は毛人五十五〜〜」もさ
雄略の時は記紀できてないし高天ではない。

>だいたい妙なナショナリズムで歴史を語っちゃいかん。
さらに意味不明。俺は>>426が「記紀の記述からして」とか
いってデタラメいったから、「記紀の姿勢」というのはナショナリズムである
と正しただけ。
439名無しのひみつ:2009/11/27(金) 13:57:13 ID:6aArgztJ
魏志倭人伝によれば、女王が住む7万戸に及ぶ都=邪馬台国より、北にあったのは、
末盧國・伊都国・奴国・不弥国・投馬国の5つで、
それら、中国に朝献するためのルートに当たる国々は、伊都国一大率という指令官を置いて、監視させている。

それ以外、つまり、南か西か東にあり、交易ルートから外れていた国は、
斯馬国・已百支国・伊邪国・都支国・弥奴国
好古都国・不呼国・姐奴国・対蘇国・蘇奴国
呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・鬼奴国
邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・鳥奴国
奴国の21ヶ国。

また邪馬台国はどのあたりにあるかというと、
「まさに、会稽(=中国の揚州東部・長江下流域)の東治の東にあたる」とも書かれており、
邪馬台国から
東へ千里ほど海を渡って行くと、別の国があって、
南には狗奴国があり、さらにその先四千余里には小人の国があって、
東南の方角へは、船で一年ほどで、裸の国や、黒い歯の国があり、

邪馬台国はむろんのこと、それらの国々も含めた倭という地域はどのぐらいの範囲なのかと聞くと
海の中にある島々の上に絶在していて、くっついたり、離れたりして、
周旋すれば=ぐるっと回ると五千余里ほどだとも言っている。

邪馬台国が奈良から北九州までの大国だとすると、邪馬台国を含めた倭の国々は、
とてもじゃないが、ぐるっと回ると五千余里ほど、の範囲の中には収まりきらない。
440名無しのひみつ:2009/11/27(金) 14:12:01 ID:6aArgztJ
つまり、魏志倭人伝や卑弥呼の時代に、倭と呼ばれた日本の範囲は、想像以上に狭い範囲で、
北部九州の島々を含めた奈良までの範囲だったんじゃないだろうか。
そして同じように、倭人伝に書かれている“国”も、現在の県よりもかなり狭い、せいぜい市町村レベルぐらいの範囲で
とてもじゃないが、奈良に邪馬台国があり、大陸との連絡の拠点の末盧國が北九州にあって、
卑弥呼が奈良から九州北部までを勢力下に置いていたとは思えないんだけどなぁ・・・・・。

もしも奈良に邪馬台国があっても、せいぜい、大阪府・京都府あたりまでがその勢力下で、
その玄関口の末盧國は、京都の日本海側のどこか。
邪馬台国の使者が、北九州を大陸との玄関口にはしていなかったと思うんだけど・・・。
441名無しのひみつ:2009/11/27(金) 14:15:59 ID:VJtsAiTi
>>405
桓武天皇に韓国の血が流れていたのを日本はあいまいにしていたやら
皇室の祝詞は古代の新羅で使われていた言葉に似ているやら
10万人の百済からの難民が来たやら

目もくらむ電波だな、天皇=韓国から来た説を刷り込みたい記者の意図がはっきりしすぎていて気分悪いわ。
442名無しのひみつ:2009/11/27(金) 14:22:48 ID:teyfoW+V
>>436のレスに注目すべきである。

反日史観で歴史を語るのが問題であるのは至極当然のことなのにそれを指摘したらネトウヨと言い出す始末。
馬脚を現したということだろうか。

まともな脳をしているとは思えないわけだが、注目すべきは一環して不自由な日本語であるという点。
理論的な思考も苦手なようだ。
ネトウヨという言葉を使っている点。
風情をぶぜいと間違えている点に注目してもらいたい。

日本人が風情をぶぜいと間違えるだろうか?ありえない間違いをしている。日本語に不自由な点。
日本の歴史に無知なレスを繰り返している点。

>>419>>420>>402>>393>>387>>379>>272>>247>>243>>216
このあたりのレスにも注目してもらいたい。
なにかが見えてくるのではないでしょうか?
443名無しのひみつ:2009/11/27(金) 15:16:53 ID:009jzi/A
大騒ぎだなwくだらねえ。
よほど図星だったみてーだな。

いいから東亜版かえれよ。最近見苦しいんだよなこのスレ。
444名無しのひみつ:2009/11/27(金) 15:39:01 ID:JEV18G7W
>>443
どうして風情をぶぜいって間違えているの?中卒なの?

445名無しのひみつ:2009/11/27(金) 16:48:01 ID:oxAZD9Ih
たぶん、間違いなく卑弥呼とは関連性がないと思います。
446名無しのひみつ:2009/11/27(金) 16:53:11 ID:h57RUYy9
>>445
理由を述べよ
447名無しのひみつ:2009/11/27(金) 17:04:38 ID:nFQRqVfC
>>272
箸墓古墳も渡来系ですか?
あの墓はデカイですよ。
448名無しのひみつ:2009/11/27(金) 17:17:16 ID:nFQRqVfC
>>405
違うと思うね。
朝貢していた事実がより明らかになるのと、天皇家の歴史が、
より現実的な長さまで縮む可能性があるからです。

449448:2009/11/27(金) 17:21:37 ID:nFQRqVfC
昔、文化財調査のバイトをしていた時に、学芸員逹が茶を飲みながらそのように話してました。
450名無しのひみつ:2009/11/27(金) 17:48:41 ID:7Q6pnzOX
>>448
意味が分からない
どこがどこに朝貢していたんだ?
>>405は朝貢など一言も書いてないんだが。
何を言っているんだ?
451名無しのひみつ:2009/11/27(金) 17:59:16 ID:1UOFOj+h
>>448
嘘を百回言っても事実にならないから。
逆で、最近では大和王権の成立が以前考えられていたより古くなっているんだよ。
邪馬台国=プレ大和王権。
考古学の研究の成果だね


452名無しのひみつ:2009/11/27(金) 18:07:39 ID:tuMMJVC/
>>443
否定しないってことは該当のレスも図星だったんだな。
こいつこそ教科書レベルの基本的な歴史・考古学知識も無いくせに
話題に入ってきたかと思えば唐突にネトウヨなどというレッテル貼りを始めて、
スレを変な方向に持って行っていこうとする邪魔者じゃないか。
簡単な漢字も打てない日本語不自由な低学歴、てめーこそ東亜版帰れよw
453名無しのひみつ:2009/11/27(金) 18:13:09 ID:Q91yy0ec
>>419って日本の歴史が根本的に分かってないみたいなんだけど?
454名無しのひみつ:2009/11/27(金) 18:33:18 ID:OamCrs8A
>>453
こいつはこういうレスを続けているんだよ。
>>448とかもそうだろうな。
歴史の無知というレベルじゃないからな。
まったく酷いよな。

例えば、>>448
朝貢しているのが分かれば天皇家の歴史が短くなる←因果関係がない意味の通らない文章だからな。
もはや釣りレベルだよ。

455名無しのひみつ:2009/11/27(金) 18:39:18 ID:wqmBaNee
そこを調べるのが考古学者だ!!
456名無しのひみつ:2009/11/27(金) 18:41:10 ID:wqmBaNee
頑張れ!!
457名無しのひみつ:2009/11/27(金) 18:47:16 ID:K7GPCAvQ
まあチョンは言い返せなくなったらすぐ「ネトウヨ、ネトウヨ」を連呼するからな
458名無しのひみつ:2009/11/27(金) 20:45:10 ID:nFQRqVfC
>>451
私に言われても困る。
天皇家の歴史は長大で、先祖は神様、といったロマンチックなものではなく、
より現実的なところに落ち着くだろうというよた話をしていたという事。
459名無しのひみつ:2009/11/27(金) 20:48:02 ID:3zL6gqen
宇治茶で少しくつろぎましょう。
460名無しのひみつ:2009/11/27(金) 20:52:43 ID:nFQRqVfC
天皇家の歴史は、西暦紀元前660年からて話になっているけど、
さすがにそれよりは縮むだろうという話ですよ。
あと、宮内庁がでたらめ認定してたのがバレるとか、
そんなこんなで闇雲にお墓の調査をするのは難しいらしいです。

461名無しのひみつ:2009/11/27(金) 21:16:29 ID:5y+t6lcC
出鱈目つーか、宮内庁指定天皇陵の元になっているのは
前方後円墳の名付け親である江戸時代の学者蒲生君平が
享和元年(1801年)に書いた『山陵誌』の記述
蒲生はいい学者だが、なんぼなんでも調査時代が古すぎ
新技術で新たな調査をするというのは世間的にも悪くないとは思うね

ただ、以前S石T一郎氏が
「宮内庁指定の現祟神天皇陵は当たっている可能性が高い」
とか言っておられたが
462名無しのひみつ:2009/11/27(金) 21:41:03 ID:thpyCf5g
>>460
お前、本当に右も左も分かってないんだな。

皇紀は神武天皇起源のことで江戸時代の国学者が主張したんだよ。
記紀では神武天皇の即位は辛酉年だから計算したら紀元前660年になる。
当時は江戸時代だ。もちろん、皇室が言い始めたことではない。

これを歴史学者で史実と考えている奴は誰一人いない。
嘘がバレルなどということではないのは常識だろうが。
神代の天皇は実在しないというのが当たり前の認識。
それでだ、崇神天皇からが天皇家の始まりじゃないかという考えが定説なんだよ。
しかし実在が証明されていない、また邪馬台国との関係、これらのことが論点なんだよ
素人丸出しの朝鮮人のたわごとのようなことをいうな。
宮内庁が嘘をばれるから発掘させないというのは荒唐無稽の単なる都市伝説だよw
朝貢したら〜というのはどういう意味だよ?まったく意味不明の読解することすらできない文を書くなカス。
いまだにこの程度の四方山話を吹聴する奴がいるんだな、お里が知れるぞ。

いいか明治時代に考古学が発展する前のことだから科学的調査などしようにもできない。
当時は歴代の天皇の総括ができていなかった。現在、天皇とされていても当時は天皇の扱いを受けていなかった。
廃帝になったり、権力争いの犠牲になって天皇にカウントされてなかったりした
それではいけないということで当時の学者が歴史を研究し天皇として扱うとされたりした。
崇徳天皇などは天皇とされていなかった。国家元首たる天皇の歴史を総括し体系付ける必要性があったからだ。
それと天皇の墓とされる陵墓が全国に存在する。この実態がよく分からない。
もちろん、神聖な天皇の墓を気安く興味本位に調査するわけにもいかない、墓を暴くという行為になるからな。
それでも調査したり、伝承の類を丹念に調べて、誰の天皇の墓かを特定していった。
天皇の墓が荒らされたり野ざらしになったら問題だという判断だ。
調査したからといって朝鮮人が歓喜するようなことは出てこないし、
調査は少しづつ行われている。
逆にさまざまな調査で大和王権の成立は早まっているのが現状だよ。









463名無しのひみつ:2009/11/27(金) 21:57:27 ID:M5sS4M1R
462さん、ご苦労様です。貴殿のように親切に教えてあげれば、460さんも
単に無知なだけで、現状がわかるようになるかも知れませんものね。

横レスですが、例えば、先だって再発掘された、桜井茶臼山古墳の被葬者は、
景行天皇かもしれないことなども、460さんにお伝えしておきます。

464名無しのひみつ:2009/11/27(金) 22:01:43 ID:MZgCHnpo
>>460
卑弥呼が初代だという馬鹿がここに居ますが日教組ですか?
465名無しのひみつ:2009/11/27(金) 22:09:10 ID:MZgCHnpo
>>462あらここにも日教組…

崇神天皇の頃からが
いわゆるホコラが出現してきて
それまでは、イワクラが祭場だったのだから

遺跡なんて出てきようがないだけ。

むしろ、人為的な建造物があればそこは祭場でもない。
禁則地の森や山体や山頂。


建造物にしか時代を見いだせない馬鹿が学界を牛耳ってますから
そろそろ祟られて死ぬんでしょうから早く、神霊を敬う世代に交代してほしいね
466名無しのひみつ:2009/11/27(金) 22:12:38 ID:5y+t6lcC
※聖徳太子の陵墓(叡福寺)に明治時代に修復調査が入った例があるので
陵墓調査は全くのタブーではない
467名無しのひみつ:2009/11/27(金) 22:13:24 ID:nFQRqVfC
>>462
茶飲み話だって言ってるだろう。
何で、ムキになるんだ!
468名無しのひみつ:2009/11/27(金) 22:14:09 ID:thpyCf5g
>>463
あと最後に付け加えておきます。
天皇陵と認定されたもの以外の陵墓が全国に無数存在します。
これらの中には天皇の陵墓だと考えられているものがあります。
これらの陵墓は天皇陵に認定されていない訳ですから調査が行われ様々なことが分かっているわけです。

この点だけでも天皇陵を調査されると不都合だから調査させないという理屈はまったく通らないことになります。

しかも不都合なことは出てこないというのが現状な訳です。
しかも不都合なことは出てこないというのが現状な訳です。
しかも不都合なことは出てこないというのが現状な訳です。

既に様々なところで真の天皇陵が調査されているわけです。そして日々、進展しているわけです。
1例をあげておきましょう。

大阪の茨木市の大田茶臼山古墳が継体天皇の陵墓として認定され管理されています。
この陵墓は当然、神聖な領域とされていますから調査はできません。
しかし、真の継体天皇の墓とされる今城塚古墳は天皇陵ではないために何度も調査されています。
しかし真の天皇陵が適切に管理されず、自治体である高槻市の思惑で公園にされる計画まであり困ったことになるわけです。

このように不都合だから調査させないというのはまったくナンセンスなこじ付けに他ならないということです。




469名無しのひみつ:2009/11/27(金) 22:23:29 ID:M5sS4M1R
>>467
茶飲み話にしては、趣味が悪すぎだよ。

天皇陵ではないにしても、4世紀前半の闘鶏山古墳などは無盗掘の状態で
発掘されているんだから、都合の悪い物など隠しようがないでしょう。
470名無しのひみつ:2009/11/27(金) 22:23:29 ID:nFQRqVfC
与太ばなし=馬鹿話
日本語分かりますかね?

世界に広まってる騎馬民族だの天皇朝鮮人説に対する突っ込みですよ。

471名無しのひみつ:2009/11/27(金) 22:26:29 ID:M5sS4M1R
突っ込み迷惑。
472名無しのひみつ:2009/11/27(金) 22:29:14 ID:thpyCf5g
>>465
まぁ日教組のような意見に見えるのは仕方がない。
俺は若干左側を意識して書いたからさ。

でもさ、例えば伊藤博文が言った一言。

条約改正を達成し、一等国になるために欧米に無比な万世一系の皇統を有する日本において
所在のわからない山陵があるのは外交上信を列国に失ふ。
このように国家元首たる天皇陵の体裁を整える政治上の必要性があったのも事実。
万世一系であるのは疑いようのないことだが、といいつつ陵墓が分からない、陵墓らしきものがないために体裁を整える
必要があったというのも事実なんだ。
しかしだ、だからといって天皇の権威が落ちることはないし、それをもって翻って邪推して天皇家が朝鮮から来たのがばれるから
調査をさせないwwwwなどという荒唐無稽な四方山話を流布する民族には吐き気がするとだけ言っておく。
473名無しのひみつ:2009/11/27(金) 22:39:07 ID:thpyCf5g
>>470
あぁそうかすまないね
474名無しのひみつ:2009/11/27(金) 23:23:44 ID:MZgCHnpo
>>472
この時代以前の事は
本気で神という霊と向き合わななきゃ見えてこないと思う
また、正しい解釈からもズレるし本物の発掘へ縁が出来ない。
発掘が無いから神武はデタラメだという輩をそろそろ叩き出さないと
否定心を持った輩に墓という腑を晒すわけがない、また祟るでしょう。

私は、宮崎県の山々、奈良の山々を見渡すと
2600年?うそだろー!26万年の歴史の間違いでわ?と感じます
475名無しのひみつ:2009/11/28(土) 07:27:09 ID:Roqc1WYh
>>434
魏志倭人伝が指し示す邪馬台国の方角が間違ってたら
狗奴国が南にある必要は必ずしも無いよね
畿内説の人はこの間違いを指摘しているので問題ないけど
狗奴国が南になくて困るとしたら九州説の人かな
476名無しのひみつ:2009/11/28(土) 08:09:39 ID:4evjoNla
>>474
そう思いますよ。
お墓というのは、ご遺体が埋葬されている場所なので、誰であれ神聖な場所です。
例え一般人でも、発掘する際は、神主さんでも呼んで、
墓の主に断るべきだと感じますが、実際にはやりません。
私は専門家じゃないから、与太ばなしとして聞いてもらいたいですが、
バブルの時代には、地方の文化財調査センターにも沢山学芸員がいて活気があったようです。
不景気になってからは、真っ先に予算が削減されてしまい、
遺跡の調査もかなり乱暴なものになったみたいです。
当然お払いもしませんし、お墓の周辺に重機を出動させてバリバリと掘り進むといった、
罰当たりチックな光景が散見されたようです。
「金も時間もないから、早く掘れ」て事なんでしょう。
本音では、学芸員も、もっと慎重にやりたいらしいんです。

で、「調査がままならないから、もたもたしてる隙にあちらさんが、何でも半島起源にしちゃうんだよなー(笑)」
て、学芸員さん逹が笑いながら話していた事があったゎです。

477名無しのひみつ:2009/11/28(土) 09:53:02 ID:gYFG0VIe
>>476
俺だけイライラしてるのかと思ったら定説だった↓
http://i2ch.net/z/-/9K/FwKMA/i
昨夜、このスレ見つけたわ…。
近年色々と神道や古代史を立ち読みするようになり
「勿論、神武東征が史実ではない」と決めつけた書籍ばかりで
こいつら頭狂ってる!と感じていた。
武内宿禰などの長寿も宿禰は非議秘伝を宿禰の子孫に伝え
同じ霊力、同じ魂、同じ霊性を持って天皇にお仕えした"とよむべきであり
霊的視野なくては、紐解けないのが日本の古代史。
478名無しのひみつ:2009/11/28(土) 09:58:51 ID:PCrwe1vd
悪いが
誘導に携帯専ブラのURL貼る奴はアホだと決めつけている
479名無しのひみつ:2009/11/28(土) 10:33:07 ID:VbUlVwIv
>>475
畿内大和説の場合、多くの人が倭人伝の方向は約90度の誤り(誤認)としているし、そうせざるを得ない。
しかし、約90度の誤り・・つまり、方向を90度修正して東を北とすれば、
倭人伝の「女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、みな倭種」の記事を畿内大和説はどう説明するのか。
近畿地方の北は日本海であって、倭種の国々を比定すべき陸地がない。

また、「南は東の誤り」とすれば、狗奴国の位置について、和歌山県熊野説・南九州説は設立しない。
また最近の説として狗奴国濃尾平野説・関東毛野説がある。
しかしそうなると、東にあるそれらの地域が南と記されていることには整合性があるが、
今度は、魏から奈良の邪馬台国に至までの行程に置いて、方向の誤りに整合性が無くなり、奈良にはたどり着かない。

魏志倭人伝が指し示す邪馬台国の方角が間違っているとしている畿内説論者は、とーーーっても困っているけど(^_^;
480名無しのひみつ:2009/11/28(土) 10:36:36 ID:gYFG0VIe

見やすいよ〜
リンク先途中にエロサイト広告も無いし
サクサクです
481名無しのひみつ:2009/11/28(土) 10:47:00 ID:VbUlVwIv
つまり、畿内説は、魏志倭人伝が指し示す邪馬台国の方角が間違っているとして、
狗奴国が南にある必要は必ずしも無いと、狗奴国の問題を解決しようとして、
肝心の畿内に、魏志倭人伝の行程では、たどり着かない・・と証明してしまっている。

邪馬台国は奈良盆地ということに囚われすぎていて、ひとつの矛盾を解決するために、新たな矛盾を自ら作りだしている。
邪馬台国を取り巻く
・狗奴国、
・女王国の東、海を千余里渡ったところにある倭種の国
・女王国の南、四千余里の侏儒国
・侏儒国の東南に船行一年で至る裸国・黒歯国
などについて、魏志倭人伝が指し示す方角が間違っているとしている畿内大和説者からは、まともな説明を聞いたことがない。
482名無しのひみつ:2009/11/28(土) 10:49:02 ID:i1btoSit
483名無しのひみつ:2009/11/28(土) 11:03:33 ID:VbUlVwIv
畿内説に措いて唯一説明に整合性が採れるとするならば、
それは、邪馬台国は奈良にあり、その勢力は、奈良・大阪・滋賀・京都であったという説。
つまり、卑弥呼の国は、奈良から北九州までという広大な範囲ではなく、関西圏に留まる・・と言う説。
日本列島への取っつきである末盧國は、京都府から兵庫県までの日本海側海岸にあり、そこから奈良の邪馬台国まで南下した。
その上で、狗奴国は、紀伊半島に広がる勢力であるならば、卑弥呼とガチで勝負したというのも、どうにか納得がいく。

しかし、それですら、
・女王国の東、海を千余里渡ったところにある倭種の国
は、東海・関東の国々としたとしても、

・女王国の南、四千余里の侏儒国
・侏儒国の東南に船行一年で至る裸国・黒歯国
については、説明が弱い。

奈良の南には太平洋が広がるのみである。
484名無しのひみつ:2009/11/28(土) 11:06:47 ID:UYdZfh2w
もう「伝説」なんだから、事実・史実と結びつけるのはムリだと、
素直に考えようじゃないか。女神様のストリップショーは大好きです。
485名無しのひみつ:2009/11/28(土) 11:09:33 ID:BXto3m32
確かに特定地域にこだわりすぎではないですか?
畿内以外の地域に邪馬台国ではなくても良い古代国はあったのではないでしょうか?

とりあえず古代の宇治川は途中に天ヶ瀬ダムがなかったので遡れるのではないかとも思えるので、宇治川をさかのぼり琵琶湖を見つめた景観は壮観だったのではないかと思います。
琵琶湖周辺は昔も今も穀倉地帯ですので、琵琶湖周辺部は古代から豊かな方だったのではないかと思います。
邪馬台国ではないかもしれませんが、その辺りの古代史も由緒が有りそうではないでしょうか?
486名無しのひみつ:2009/11/28(土) 11:15:19 ID:UYdZfh2w
>琵琶湖周辺は昔も今も穀倉地帯ですので、
>琵琶湖周辺部は古代から豊かな方だったのではないかと思います。

さあね。今現在の感覚を古代に拡張するのはよくない、かもよー。
487名無しのひみつ:2009/11/28(土) 11:21:32 ID:gYFG0VIe
伝説のほうが史実なんですが…
とくに口伝
その口伝をまとめたのが古事記ゆえに
遺跡発見は古事記を立証していく物証としていく精神が大切
その過程での参照程度に擬視倭人伝を位置付ける。
海外の役人の対馬延長滞在中の伝記を元に考察するなんて馬鹿げてる
台国まで行った事にしなきゃ褒美が貰えなかった役人の公金横領。
488名無しのひみつ:2009/11/28(土) 12:25:22 ID:4evjoNla
こういう長々とした議論を見ると、学問分野の予算は増やすべきだと思いますね。
もう数年前ですが、当時大した遺跡でなくても、国や県が絡んだ調査は、
半年や一年と余裕を持った調査が可能でしたが、地方だと予算の関係から、
同規模でも、1〜2ヶ月でさっさとやれ、さもなくば無かったことにして適当に調査を終えろ、
てな感じだったようです。
予算がつかないから、古墳周辺を重機でバリバリ、てな事になるんでしょう。
貧すれば鈍するです。
邪馬台国論争に終止符が打たれる事を切に願います。
489名無しのひみつ:2009/11/28(土) 12:53:33 ID:jG5B4mas
箸墓の主が卑弥呼=モモソ姫で
稲荷山の鉄剣の上祖ヲオヒコがあの四道将軍の大彦なら
一気に崇神の実在と、更には欠史八代の実在性まで大きくなってくる。
なんせ年代的にモモソ姫も鉄剣のヲオヒコも3世紀中期から後半だと推定されるからな。

古代の謎が一気に開きそうでオラわくわくすっぞ!
490名無しのひみつ:2009/11/28(土) 13:34:43 ID:HPymVwyP
>>479
一律90度に修正する必要ってあるの?
倭人伝は複数の一次資料から構成されてるんでないの?

>>481
小人の国とかほんとにあると思ってます?

>>483
>邪馬台国は奈良にあり、その勢力は、奈良・大阪・滋賀・京都であった

それでよし。

>つまり、卑弥呼の国は

西日本。
491名無しのひみつ:2009/11/28(土) 14:10:10 ID:lBVRN6O7
奈良って結構未開の地だったんだな・・・・

そっちのほうに驚いた
492名無しのひみつ:2009/11/28(土) 16:31:26 ID:VbUlVwIv
>>490
そんな、ココの記述は東が北で、ここの記述は東が南・・・とかじゃ、なんの裏付けもない妄想になっちゃうだろ(笑)
そして、邪馬台国は奈良にあり、その勢力は、奈良・大阪・滋賀・京都であった・・・とすると、
記紀では天皇は東から攻め入って、奈良周辺にいた勢力を倒して天皇となった・・と書かれているから、
大和王権を樹立した勢力・・・つまり、現在の天皇家の系譜は、遡ると、九州北部の勢力ってことになるよ?
493名無しのひみつ:2009/11/28(土) 17:21:24 ID:HPymVwyP
>>492
伊都国の記述は東南が東北、郡使もしくは中国商人あるいはもっと以前の記録。
海を渡った倭種の国は東、魏使の報告。侏儒国やら裸国・黒歯国なんぞ伝説だ。

卑弥呼の国は倭国で邪馬台国はその首都。

>天皇家の系譜は、遡ると、九州北部の勢力ってことになるよ?

まずその信憑性から説明してもらおうか。
494名無しのひみつ:2009/11/28(土) 21:50:53 ID:NLxRQSZW
>>490
> 小人の国とかほんとにあると思ってます?

その当時に実在したかとか程度問題はともかくとして
「小人の国とか呼ばれかねない国」は存在してもおかしくはないと思うが。
495名無しのひみつ:2009/11/28(土) 22:03:54 ID:HPymVwyP
>>494
>その当時に実在したかとか程度問題はともかくとして

?。 その当時もそれ以前も以後も、実在はしないでしょ。

>存在してもおかしくはないと思うが。

「呼ばれかねない国」とは何で、「おかしくはない」のはどうして?
496名無しのひみつ:2009/11/28(土) 22:18:37 ID:5fWtkM1I
魏の使者から見れば、卑弥呼はいかがわしい巫女で邪馬台国は馬好きではない国。邪馬台は大和(奈良)とも読める。
壱与(壱を与える)をまつりあげたのは魏の使者の方針ではないでしょうか?
卑弥呼は魏から見ればイヤな奴でも、若い壱与は卑弥呼の親戚でも魏の使者の操り人形・・。
しかし魏の使者のバックアップを受けた壱与の存在の前には、諸国の男王はまとまりざるをえなかった。

神功皇后のラインが宇佐から宇治であり、神功皇后が仮に壱与であるならば渡来人の知恵も得て、戦乱後の諸国に外征を指示し統一を確かなものにし、息子の応神・仁徳は畿内において王というカリスマを強化するために巨大陵墓を建造した。

魏の使者は倭国を属国にしようと画策するが、中国本国では何度も国替えや王が変わり、聖徳太子の時代には隋の皇帝に対して「日本」として使者を送る事にした。
大和朝廷の元で編纂された古事記・日本書紀は発祥を大和、畿内に求める事にした・・。
497名無しのひみつ:2009/11/28(土) 22:32:16 ID:0kWC5u+F
小学館の漫画「日本の歴史」で卑弥呼と壱与を同世代とする箇所が修正された事は、卑弥呼と壱与の間に期間があるからではないか?

奴国は四国(死国?)・・?
498名無しのひみつ:2009/11/28(土) 22:41:00 ID:fsCK04WT
四国の人々は淡路島を通り、本州に入った。
499名無しのひみつ:2009/11/29(日) 14:36:22 ID:UNqv89KF
纒向の発掘で記紀の崇神=卑弥呼が同時代の可能性が高くなったのが大きいな。
今後はここを基準に考えて文献等も見ていった方が良い。
そういう意味では「魏志倭人伝」の役割はもう終わった。
500名無しのひみつ:2009/11/29(日) 14:44:23 ID:qjQ1XI5m
>>490
>小人の国とかほんとにあると思ってます?

っ 小人閑居して不善をなす。
501名無しのひみつ:2009/11/29(日) 19:32:26 ID:plEz1/1L
アマテラスが卑弥呼でいいじゃない
502名無しのひみつ:2009/11/29(日) 21:32:02 ID:hT1qtPqq
ここみとった

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!41
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1258380299/
503名無しのひみつ:2009/11/29(日) 22:53:06 ID:7SVuhbef
卑弥呼の死で弱体化した邪馬台国を魏の使者のカリスマをバックに壱与が宇佐から畿内に入った?
壱与=神功皇后なら宇治で様子見をして、大和に入った。で、子の応神・仁徳は巨大墳墓建築により大和朝廷の再固めをした・・?
504名無しのひみつ:2009/11/30(月) 00:00:33 ID:UCbklDKZ
>>499
纒向で見つかった3世紀前半の大型建物跡が、
初期大和政権の崇神天皇の宮の「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」だったら、
邪馬台国は奈良ではないことが確定するね。
505名無しのひみつ:2009/11/30(月) 00:14:31 ID:6NF7k66S
>>504
どうして?
506名無しのひみつ:2009/11/30(月) 00:41:56 ID:m7b2fhJZ
>>504
今回の発掘で卑弥呼が同じ時代、同じ場所に居たって可能性がさらに
高くなった。初期大和政権=邪馬台国。
507名無しのひみつ:2009/11/30(月) 01:53:02 ID:7rSo8f8T
>>502
やっぱレベルが違うなそこはw
「議論する奴はここ見とけ」ってURLが、
漢語の原文どころか、文書のスキャン画像とかだもんなw
508名無しのひみつ:2009/11/30(月) 04:42:43 ID:AXjfg1tl
古墳を作った当時には、埋葬者の名前を彫った石碑みたいなものが盛り土の
上に建てられていたのじゃないかと思うが、長い年月の間に樹が生い茂り、
埃や火山灰が積もって地下に埋まってしまっていたりしないのかね。
509名無しのひみつ:2009/11/30(月) 04:48:36 ID:xEAVZ0xo

- ' ゛    `` ‐ 、_,,,,,
   ,r'          /=ミ
  /           彡ll',''´
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【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
510名無しのひみつ:2009/11/30(月) 15:34:31 ID:UCbklDKZ
>>505 >>506
崇神天皇は、記紀で初めて国家体制を具体的に記述されている天皇。
奈良の瑞籬宮から、大彦命を北陸道に、武渟川別を東海道に、吉備津彦を西道に、丹波道主命を丹波(山陰道)に将軍として遣わし、
従わないものを討伐させて、それらの地域に及ぶまで戸口を調査し、課役を科してもいる。

そんな天皇の都のすぐ至近に、卑弥呼・壱与と2代続いた都・邪馬台国を主国とする独立勢力があるわけがない。
もしもあったとしたら、力の差が有りすぎで、卑弥呼や壱与は魏に朝献すら出来ないよ(笑)
511名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:17:57 ID:i6yfSTzp
>>510

卑弥呼=天照
神武=崇神
ヤマタイ=プレ大和王権
ヤマタイ→3c半頃
プレ大和王権→3c後半
別々にしなくてもこれでいいじゃん。
512名無しのひみつ:2009/11/30(月) 16:38:40 ID:UCbklDKZ
>>551
纒向で見つかった大型建物跡が、3世紀後半の遺跡で、
初期大和政権の崇神天皇の宮の「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」だったら、
それでいいけど、

3世紀前半の遺跡で
初期大和政権の崇神天皇の宮の「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」だったら、
奈良に天皇の都の瑞籬宮と、卑弥呼の都の邪馬台国の、
2つの都があることになるから無理だよ。
513名無しのひみつ:2009/11/30(月) 17:06:34 ID:i6yfSTzp
纒向で見つかった大型建物跡は3世紀前半の遺跡

崇神天皇の宮の「瑞籬宮」は3世紀後半。

514名無しのひみつ:2009/11/30(月) 19:58:03 ID:P3B3JawD
日本書紀によるとかつて八咫鏡は宮中にあり天照大神の祭祀を行っていたが
疫病が流行したため宮中から出して倭の笠縫邑で皇女に祭らせたのが祟神天皇のとき
(後、垂仁天皇のときに伊勢に鎮座し伊勢神宮となった
祟神はそうした祭祀形態の基礎を作った天皇でもある)
祟神以前は宮中で(皇女による?)女神祭祀が行われていたわけで
魏志倭人伝はその記録とも読み得る

例えば古代日本の巫女祭祀形態をよく留めているといわれる琉球王国では
神女の長である聞得大君(多くは王の姉妹)が首里城内で祭祀を行っていた
巫女長と王は並存していてもおかしくはない
515名無しのひみつ:2009/11/30(月) 20:20:45 ID:WkdLhrgC
>>514
伊勢神宮じゃなくて前伊勢じゃないか?
垂仁天皇時代ということになっているが伊勢神宮は天武天皇の時代だろ
516名無しのひみつ:2009/11/30(月) 21:08:34 ID:DuENNs6n
卑弥呼の時代の統治は室町幕府と同じ感じで、まだ分国的であった?
その反省から神功皇后以降は強力な体制で大和朝廷は整えられた?
517名無しのひみつ:2009/11/30(月) 21:27:47 ID:P3B3JawD
>>515
うん
なんかついはしょってしもうた
518名無しのひみつ:2009/11/30(月) 23:07:03 ID:hRW61SRF
文体だけならば卑弥呼が播磨稲日大郎姫、壱与が伊那毘若郎女、景行天皇が卑弥呼の弟って感じが似てないですか?
それで景行天皇の時の大和朝廷が邪馬台国と書かれてしまったって感じで?
519名無しのひみつ:2009/11/30(月) 23:11:45 ID:WW/vMT8H
卑しい巫女
邪悪な馬の国

中国が嫌ってたのがよくわかる
520名無しのひみつ:2009/11/30(月) 23:16:01 ID:WW/vMT8H
宮崎の天孫降臨の地って、何の根拠も無い話では無く。

中国から筏か何かで漂流すると、海流の関係で
あの辺に漂着するそうだ。
521名無しのひみつ:2009/11/30(月) 23:23:23 ID:kAeW+42J
で、ヤマトタケルというのが(中国の意を背にかけた)騎馬軍団の長官って感じで、結局ヤマトタケルは聖徳太子以降に編纂された書物の上で日本寄りにアレンジされた?
522名無しのひみつ:2009/11/30(月) 23:37:09 ID:kAeW+42J
>520
多分、暖かい所から少しずつ進化していったのでしょうね・・。
523名無しのひみつ:2009/11/30(月) 23:39:05 ID:kAeW+42J
高千穂峰の天之逆鉾は機会があれば、見に行きたいとも思います。
524名無しのひみつ:2009/12/01(火) 00:17:56 ID:tkMVZVtU
纒向遺跡は、垂仁天皇(11代)の「纒向珠城宮」や景行天皇(12代)の「纒向日代宮」である可能性はないの?

崇神天皇が、近畿とその周辺の覇権を確立し、景行天皇のときに九州への進出が始まった。大規模な宮殿を造っても不思議ではないのでは?
525名無しのひみつ:2009/12/01(火) 06:11:14 ID:a7w34qqC
>>519
邪馬台国は、最恵国待遇。
半端でない可愛がられ方です。
馬はいません。
526名無しのひみつ:2009/12/01(火) 06:38:35 ID:a7w34qqC
馬はma。
マレーシアも中国語では、馬来西亜と表記します。

527名無しのひみつ:2009/12/01(火) 06:44:25 ID:hgXL5063
だいたい古代中国は辺境に変な字使うんだよ
つまり中国から見て辺境ていうただそれだけ
528名無しのひみつ:2009/12/01(火) 06:52:14 ID:zeRXskBh
序列とか格で中国本土は周辺国を卑しく表現しなければならない事情があったんだろ。
国力も文明も当時は比較にならないし。
529名無しのひみつ:2009/12/01(火) 07:31:28 ID:a7w34qqC
卑弥呼は斎王(未婚の皇女が、天皇の在位期間中伊勢神宮などで祭祀を行った。)
のようなもので、実際の政治は、弟が真の権力者として辣腕を振るっていたと思いたけれど、
ばかでかい墓が造られたようなので、表向きには完全に「卑弥呼の国」だったんでしょう。
実際に、優れた政治家だった可性もあるね。
以前、マクモニーグルとかいう霊能者が、卑弥呼はシャーマンで、
部族長達に乞われて王になったと豪語していたらしいけれど、
「部族」とは、共通の言語や文化を持つ、未開原始の小規模グループで、
「民族」と同義で使われる場合もあるから、ちょっと違うんじゃないのか?
卑弥呼は、キョエーーッ!と叫びながら泡吹いて倒れる様な、
アメリカ人が想像するような「シャーマン」や「いたこ」ではなくて、鏡を有り難がったり、
かなりしっかりした「太陽信仰」の体裁が整っていたんではなかろうか?
シャーマンというよりは、「神職」兼国王。
530名無しのひみつ:2009/12/01(火) 15:31:32 ID:QohUXLIp
もしかしたら、実際には弟(おとと)ではなく大臣(おとど)の通訳者の誤訳だったと思ったことはないか?
それ以降の今日に至るまでの歴史をみるに

物部・蘇我・藤原・平氏・征夷大将軍・関白・国会議員に至るまでこのシステムだろ?
531名無しのひみつ:2009/12/01(火) 22:03:23 ID:L5lG7Rfb
邪馬台国論争に一石?
中身は「それっぽい」というだけ。
やっぱり考古は科学じゃねぇな。
532名無しのひみつ:2009/12/01(火) 23:12:02 ID:8cRDjeEx
親魏倭王の金印が見つかれば、多分確定だと思います・・。
533名無しのひみつ:2009/12/01(火) 23:27:05 ID:kQM5LyA3
>纒向遺跡は、垂仁天皇(11代)の「纒向珠城宮」や景行天皇(12代)の「纒向日代宮」である可能性はないの?

おおあり。
むしろ、邪馬台国云々より先に、こちらのほうを先に言うべきでしょう。
534名無しのひみつ:2009/12/01(火) 23:29:11 ID:kQM5LyA3
なにしろ、魏志倭人伝には巻向の地名は出てこないのに、
日本書紀、古事記には、古代の宮のあった場所として出てくる。
535名無しのひみつ:2009/12/01(火) 23:34:29 ID:NSZjEoEo
三世紀以降の遺跡であり、ここより大きい遺跡はなく、卑弥呼の墓らしき箸墓がある、ここが大和王権の遺跡なら
ヤマタイ国=大和王権確定だな。

536名無しのひみつ:2009/12/02(水) 00:12:47 ID:NlzXkWWf
>>533
邪馬台国云々は歴史学とは別次元の我田引水ゴッコですから。
箸墓が卑弥呼の墓だとか、学問とは到底言えないなんとなくの推論も罷り通る世界。
537名無しのひみつ:2009/12/02(水) 08:20:47 ID:EKwRPqt/
>>536
なぁ箸墓の何を知っているんだ?
教えてくれ
詳しいのだろうから
538名無しのひみつ:2009/12/02(水) 11:29:31 ID:ht4yuTeL
阿蘇とか火山のふもとにあって、噴火の際に火山灰、土石流、溶岩などに
覆われて消えてしまった村落もあっただろう。(でも焼けない石や
金属などの遺物がそのまま残ってる可能性もある。)
539名無しのひみつ:2009/12/02(水) 11:59:02 ID:K649nWtN
>>510
九州南部は熊襲・隼人の勢力地
九州北部は小国が分立

九州には
畿内の巻向みたいな纏まった勢力はなかったんじゃね?
540名無しのひみつ:2009/12/02(水) 12:07:44 ID:RCwhRGy3
>>539
この時代、九州北部にはだいたい2つの勢力があったとされてるが。小国分立ではなくて。
有明海を中心とする勢力と、博多あたりを中心とする勢力。
どちらもツシマ国を通じて大陸と活発な交流があったと推定されていて、出土品からもそれは確認できる。
日本列島と大陸との接点と言う地政学的な優位によって、2世紀前半までは非常に強い勢力だった。
541名無しのひみつ:2009/12/02(水) 12:42:16 ID:XZrMdf8i
半島の倭人と交流してたんだろうな
半島南部に倭人がいて鉄を取っていたり交易していたと史書にあるからな。
でも2Cの初期までだからね九州が盛んだったのは。
3C半ばの卑弥呼の時代の100年前までは九州が力があった。
542名無しのひみつ:2009/12/02(水) 13:21:56 ID:4BHOcxq5
あれ?ヤマタイ国って40年くらい前に何とかジーグに滅ぼされてなかったっけ?
543名無しのひみつ:2009/12/02(水) 14:19:46 ID:mMrql+FU
>>536
いつ内部調査したんだ?
544名無しのひみつ:2009/12/02(水) 17:14:27 ID:2f1DsxnQ
>>536
それ言ったら、宇宙学も宗教戦争な意味あい強いぞw
545名無しのひみつ:2009/12/02(水) 21:45:52 ID:GLgWqqTU
卑弥呼=姫巫女 説というのもあるな。
546名無しのひみつ:2009/12/02(水) 21:49:19 ID:GLgWqqTU
ちなみに姫巫女というのは皇族の内親王のことね。
今でさえもたまに使ったりする用語。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B
内親王(ないしんのう、うちのみこ、ひめみこ)は親王宣下を受けた女子の皇族。またはその身位、称号を指す。
平成21年(2009年)現在、皇太子徳仁親王の娘である敬宮愛子内親王と、秋篠宮文仁親王の娘である眞子内親王と佳子内親王の合計3人がその地位にある。
547名無しのひみつ:2009/12/03(木) 01:33:12 ID:TwVMo8bg
金印を作成して、古色を出して、どこか九州の水田にでも埋めてくればOKよ。
548名無しのひみつ:2009/12/03(木) 04:58:01 ID:mcmecX51
昔掘り方のバイトしてたんだけど、ここのみんなも掘ってみようよ。
たまに適当に掘ってて大事そうな物を「あっ」って壊して、教育委員会の人から「あ、…。まあ仕方ない…」と言われるのも乙さ。
ちなみにハケなんて滅多に使わないから。
大体がしがし掘ったり、地面をちょっとずつ削ってたりてのがメインだから。
549名無しのひみつ:2009/12/03(木) 09:14:34 ID:rNjAsAR9
>>547
不純物や同位体比率で馬脚を現さないか?
550名無しのひみつ:2009/12/03(木) 10:08:13 ID:eKzJnvgR
日本の考古学者は、縄文時代の石器が旧石器時代の地層(しかも火砕流堆積層)から出ても、
捏造と気づかないから大丈夫。
551名無しのひみつ:2009/12/03(木) 15:05:59 ID:glrSDZtU
出て来たものを科学的に調べるのが常識だよな
552名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:20:01 ID:KtFNQrzR
中国から古代の竹簡と言って売り込んできた竹の断片調べたら
飲み屋から貰ってきた焼き鳥の串と同じ時代が出た
と東○大学の奴から聞いたことがある
553名無しのひみつ:2009/12/03(木) 22:32:07 ID:Dm47fx1D
>>552
東工大学?東和大学?東亜大学?東海大学?
554名無しのひみつ:2009/12/04(金) 00:44:10 ID:/mJA3B9b
>>552
さすが中国。

古代の竹簡を焼き鳥の串にしてリサイクルしているのか。
555名無しのひみつ:2009/12/04(金) 01:45:42 ID:cIMM43Ra
万里の長城のレンガも、建築資材としてリサイクルされているからな。
556名無しのひみつ:2009/12/07(月) 08:37:55 ID:bW0P7UZy
奈良だったら、邪馬台国→大和で面白いのに
557名無しのひみつ:2009/12/08(火) 21:35:12 ID:bLydkoyZ
>>552
何で飲み屋の焼き鳥の串のデータ持ってるんだよ
558名無しのひみつ:2009/12/08(火) 22:35:12 ID:TcaZt6ua
比較試料として同時に検査したからです
559名無しのひみつ:2009/12/09(水) 03:09:15 ID:sqOh9OnV
焼鳥屋が、古代の竹を、串に使っている可能性はないのか。



560名無しのひみつ:2009/12/09(水) 14:20:43 ID:7aaAzx38
>>559
お前頭いいな
561名無しのひみつ:2009/12/11(金) 13:12:55 ID:RwNN3xNG
何か続報無いの?
562名無しのひみつ:2009/12/12(土) 20:52:57 ID:anWvmlHQ
無い
563名無しのひみつ:2009/12/12(土) 20:56:35 ID:/osfI4Ap
>519
魏志倭人伝は中国からの騎馬軍団を牽制するために、倭国の位置を曖昧にするための記述だったのではないでしょうか?
景行天皇や成務天皇、仲哀天皇の頃の政策は大陸からの独立を目指している様に思われます。
564名無しのひみつ:2009/12/15(火) 02:05:29 ID:vJw5vv7B
馬は神経質なので、当時の船で日本に騎馬軍団を送るなんて無理だろう。

565名無しのひみつ:2009/12/17(木) 18:53:14 ID:kc/4oLzP
卑弥呼の時代の大和地方は、まだ湖があったはずだが
義士倭人伝には、湖のことは出てないだろ。
つまり邪馬台国は九州ってことw
566名無しのひみつ:2009/12/18(金) 10:41:00 ID:jdBblpcM
そんなあやふやな話より、北九州に上陸して南へ行ったら近畿はない、ってことだろ。
567名無しのひみつ:2009/12/18(金) 14:29:24 ID:qQCqa83S
畿内で決着しつつあってほぼ確定に近いし九州なんて言っている人はいないからな。
逆につまらないよな。

九州にあったとか妄想できるほうがいいよな
568名無しのひみつ:2009/12/18(金) 14:37:52 ID:cAXAtRg1
畿内説って、「邪馬台国の時代に都市があった」
というだけが根拠なんだな。

だから、邪馬台国をやたら大国とし
出土物は無視し
中国書はでたらめとするのだ。
569名無しのひみつ:2009/12/18(金) 15:44:42 ID:vefdNKa2
【話題】 コーエー人気ゲーム、デモムービーの地図で「日本海」が「朝鮮海」に…修正求める声が殺到★6
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1261095249/
570名無しのひみつ:2009/12/18(金) 20:35:08 ID:9I1UPM3k
>卑弥呼の墓らしき箸墓がある、

墓らしきって、誰が何の根拠があって言ってるんだ。
伝言ゲームはヤメレw
571名無しのひみつ:2009/12/19(土) 00:22:24 ID:GOz2EVqU
だからさ、邪馬台国なんか無かったってことで
572名無しのひみつ:2009/12/19(土) 02:16:51 ID:w4IoXN53
何の根拠もない九州はどうなるの?
墓らしいものはなにもない九州

573名無しのひみつ:2009/12/19(土) 03:28:54 ID:5OMkH4FR
卑しい やつらの呼び とかいう意味じゃないの カブト虫とか
574名無しのひみつ:2009/12/19(土) 03:31:38 ID:5OMkH4FR
マルコ・ポーロいわく
日本人は 誘拐で 身代金を要求して 身代金が はらえないと
人質を 食べてしまうとか 言ってたな。
575名無しのひみつ:2009/12/19(土) 03:33:37 ID:5OMkH4FR
 奈良とか 紀伊半島では 筋肉の病気にかかる とか言ってたな
576名無しのひみつ:2009/12/19(土) 03:36:18 ID:5OMkH4FR
新潟とかも 筋肉の病気の多いとか言ってたな なんでだろ
新潟美人も形なしだな
577名無しのひみつ:2009/12/19(土) 03:47:45 ID:5OMkH4FR
反社会的行動家とか勝手にファームウエア書き換えて 自動的に
bure-ray DBDプレーヤーを 書き換えて アドレスかして組んだな
終身 雇用 だとか 人に知られちゃ まずいことも 高級技術者で
電子部品は 会社にそろえてます アキは場rには行きませんか
たこでもナンでも 社会に同調して いくんだな
キリストが 同調すると思ったらおお もち が異だぜ 
578名無しのひみつ:2009/12/20(日) 05:48:57 ID:fplXbT7W
統失か
579名無しのひみつ:2009/12/20(日) 22:28:18 ID:0BhmxdJp
「邪馬台国はなかった」という本を読んだことある?
580名無しのひみつ:2009/12/21(月) 00:28:49 ID:3kCrU5AW
>>574
それは朝鮮人について書かれた記載だよ。

魏志倭人伝自体、日本に行ったことがあるよと言う人の噂話を纏めたものだろう。
ガリア戦記のように、書いた人が実際に現地を転戦してガリア(フランス)の風土を
調べたものというわけでもあるまいし、一字一句に拘りすぎている感があるな。
581前をあたえないでください:2009/12/21(月) 04:25:34 ID:rReBOsnA
「国内最古」の堂ノ後古墳 掘ってみたら5世紀後半 奈良
582名無しのひみつ:2009/12/21(月) 10:26:52 ID:bxeSSjMy
声のでかい方が勝ち、みたいな話だな。
派閥の勢力を根拠にしてるだけのレスがやたら目につくが。
そういうスレの流れ含め科学ニュースじゃないよなコレ。
くだらね。
583名無しのひみつ:2009/12/21(月) 11:39:36 ID:MAf5L51w
>>580
編纂者の陳寿は帯方郡までしかいったことがなかったんだっけ
584名無しのひみつ:2009/12/21(月) 14:22:42 ID:pJEfEVZg
「国内最古」の堂ノ後古墳 掘ってみたら5世紀後半 奈良
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/338013/
地中レーダー探査によって国内最古の3世紀前半の前方後円墳とされていた奈良県
桜井市の堂ノ後(どうのうしろ)古墳について、市教委が実際に発掘したところ、出土
土器などから5世紀後半の築造だったことが20日、分かった。同古墳の近くには、卑
弥呼の墓との説もある箸墓(はしはか)古墳があり、邪馬台国との関連が注目されてい
たが、200年以上新しいことが確実となった。

これとの関連は?
585名無しのひみつ:2009/12/21(月) 15:14:19 ID:HialJVFb
いわゆる邪馬台国とか女王卑弥呼は「無かった」として
いろいろ調べよう・考えようじゃないか。
(あれは、辺境に遣わされた哀れな役人の作文。困ったことに
役人も、少しは頭脳優秀なので、ウソでもホントといいつのる
だけの能力は持っていたのさ。信じられるだろ)
586名無しのひみつ:2009/12/21(月) 16:51:12 ID:vn9UL7TP
 築造時期については、須恵器と呼ばれる土器や円筒埴輪(はにわ)
鶏形埴輪などが見つかり、いずれも5世紀後半のものだったことから
堂ノ後古墳は、ホケノ山古墳より200年以上新しいことが分かった。
これによって、最古の前方後円墳は、ホケノ山古墳をはじめ
約1キロ北西にある纒向(まきむく)石塚古墳などに絞られることになった。
産経の記事より。
587名無しのひみつ:2009/12/21(月) 23:37:39 ID:bxeSSjMy
>>584
年代が近く当時の首長クラスの墓であるという事以外学術的な関連など元々なかった。
箸墓が卑弥呼の墓だと言うのはただの妄想浪漫だから。
588名無しのひみつ:2009/12/22(火) 15:23:50 ID:bNZmhv52
どっちの説が正しいか分からんし、別に機内説確定でも構わないが、これが機内説の確定だとか、
より可能性が高まったとかはまったく思わない。
なんか凄そうな遺跡や遺物が見つかったからそれが証拠、論拠だなんて、誰がどう見ても
論理的に無茶があるだろうに。この関係者以外は。それとも考古学ってみなこうなのかね。
589名無しのひみつ:2009/12/22(火) 21:17:19 ID:ekpXWmdE
>>588
中立とってる考古学者は少ないよ
何故なら予算貰ってチームとして動いてるから
会社と同じで方針を打ち出して、それに沿ってみんな動くからね

間違ってる可能性もあるということも本人達は十分自覚してるし
慎重に調査するだろうけど
やっぱり良い成績残さないと予算貰えないし
って事で学者は予算(スポンサー)に弱いのは大昔から変わらん
590名無しのひみつ:2009/12/24(木) 14:11:33 ID:AbVcN8sS
卑弥呼って鬼道がつかえて黒髪ロングの綺麗で神秘的なイメージ持ってるんだけど、描写されてる文献とかないかな?
591名無しのひみつ:2009/12/24(木) 14:47:42 ID:YfrkSvqj
>>590
ヤマタイカでも読んどけ。
592名無しのひみつ:2009/12/24(木) 15:18:08 ID:7hMyPY9t
ヒミコを書いた小説漫画なdのフィクションは数あれど、大抵善悪はっきりしてるよな。
どっちがというと悪か、あやしげなイメージな場合が多い気がする。
大抵その場合は昔は美人だったかもしれないが、話の上ではオバサン、オバアサンだがw
593名無しのひみつ:2009/12/24(木) 20:39:00 ID:6ioz8g/8
むかーし東京新聞の企画で由紀さおりが卑弥呼のコスプレをしていた
学者の連載対談でイメージが近かったとかで
594名無しのひみつ:2009/12/25(金) 20:15:03 ID:F2OWKg0C
使者が卑弥呼に特別サービスを受けていても、それは省略されているだろう。
595名無しのひみつ:2009/12/26(土) 00:48:45 ID:KItH2Ro4
>>584

九州説が確定だな。
時代が全然違うからなw

596名無しのひみつ:2009/12/26(土) 18:22:03 ID:K6uBF4F6
まあ、見てると、無罪がわかりきった事件を先輩の面子を保つために、
証拠を捏造までする検察、警察と同じように見えるw

80年前ぐらいだったのか、出土が乏しく、分析科学も未発達だった当時、
直木とか言う京大の先生が三角縁・・・説を出しちゃった(w)

直木の弟子が直木を守り、直木の弟子の弟子はその師を守る・・・
うそにうそを重ねて
これが80年近くくりかえされてきた

考古学教室は京大にしかない
大手新聞の記者も含めて日本の考古学関係のポストは
全て京大の考古学教室が握っている
「茶色の巨塔」とでもいうべきか

考古学教室が東大にもなかったのが日本の不幸をもたらした
東大も、昔、法医学教室が同じワルさをしたが
京大考古学教室、厚生省、検察、東大法医学教室・・官僚という意味で何の変わりはありはしない

まあ、当分は、このまま世の中をだまし続け、
あと何10年たってホトボリがさめるころ
九州説がいつのまにか当然になってるんだろう

NHK教育なんかで、今やっと昔の三鷹事件の無罪の証拠が少しづつひっそりと語られ始めている

597名無しのひみつ:2009/12/26(土) 18:33:02 ID:NSfDnlBl
近畿説論者も九州説論者もお互いがお互いを「ウソでウソを塗り固めた面子のための説」と言い合っているのが面白いな。
科学論争とはほど遠いから科学+でやらないでどこか別の板で罵り合いするほうがいいんじゃね
598名無しのひみつ:2009/12/26(土) 18:42:59 ID:K6uBF4F6
>>597
違うだろw
近畿説捏は動機が大あり
近畿説をとらないとお飯の食い上げだw

九州説はそういった束縛、拘束がない
昔の和辻、ややくだって清張、そして、今の森・・・
少なくとも「何かのために」ということはありそうもない

また、俗的な「何かのために」ということはないだろうが、
人間には、「いったん、思い込んだ物への執着」というもももある
和辻、森なんか、至ってその辺はない
599名無しのひみつ:2009/12/26(土) 18:51:27 ID:K6uBF4F6
>>597
598 だが、では、すまんが、ほとんど素人の俺に説明してくれ
「マキムクが巨大人工都市]がなぜ近畿説につながるのか
3行でいい
600名無しのひみつ:2009/12/26(土) 19:00:02 ID:OKXHTllC
>>599
もっともな疑問ではあるがその質問を>>597にぶつけるのは明らかに筋違い。
601名無しのひみつ:2009/12/26(土) 19:48:32 ID:K6uBF4F6
>>600
598だが、たしかにそうだ
597のように「客観的立場]の人に俺の素朴な疑問をぶつけてみたかった
602名無しのひみつ:2009/12/26(土) 20:19:42 ID:m1Kk7Dlx
>>100

天照大神は、かなり昔は男神だったんだが。
603名無しのひみつ:2009/12/26(土) 20:52:12 ID:l0InODOO
>>602
天照が男性神とされたのは中世の神仏習合時代
大日如来と同一視されたため男性神とされた
仏教の影響のない古代には女性神
604名無しのひみつ:2009/12/27(日) 03:04:47 ID:O2tiPSFX
国際政治学とか地政学上からみれば漢にお墨付きをもってた九州の王権が
フロンティアの東部、この頃は吉備とか出雲を開拓し、大和を開拓、征服
というかある程度戦闘の後融合していったんだろ。血筋の良い貴人の王子を
天族として先遣隊にして、現地勢力と婚姻重ねていくって、古代でも見受け
られる形だろ。源平なんか案外短期間で特に武力を用いず関東に支配権を
確立していっている。すでにひな形があったからだろう。

漢が乱れれば当然楽浪郡あたりは、今でいうピョンヤンや南北境界線に当たるから、
一挙に前線が崩れ当時鉄を取っていた南鮮辺りが戦乱になり、九州、さらに出雲や
吉備へ混乱が拡大していたのだろう。さらにこれら山陰・山陽の砂鉄産地で産鉄
出来るようになったことで九州に都を構えるひつようも無くなり富の移動が行われ
生産性が上がり、大陸からの混乱に備えて大和地方に首都機能を移したんだろ。
当然多くの人口を養えるのは畿内から尾張にかけて東国なのだから、本家筋より
分家筋が力を持って、さらに本家筋の王子を呼んだんだろ。記紀を素直に読めば
あまり無理なことが書いてないのだが。

大体タラシが数世紀後にある名前だからと言って、景行天皇の実在を無視する
ことがおかしい論理だろ。英雄やそれを輩出した家名を冠に着けた一族が、
一度失権した後数世紀後、また実権を握ったと考えれば不思議でもなんでもない。
景行やその数代前後を実在したと見れば、別に神功皇后が卑弥呼、この場合
宗女のトヨが卑弥呼、もしくは日巫女を名乗ったとしても不思議ではないし
敢て、皇孫が自ら天(あめ)が名字で筑紫から出て大和に来たと言っている
のを否定することもないだろう。普通に考えれば魏がどのような意図をもって
使者を送ったにしろ、送る以上は邪馬台国が相当な武力を持っていて、半島に
非常に大きな影響力をもっていると考えていたことは確かであろうし、
そう考えた時、邪馬台国なる国は既に尾張から東国まである程度支配していたと
しか考えられない。その場合、首都としてはある程度、後方というか開拓ベクトル
に対して中央より東が考えられる。また大陸からの圧力を考えれば当然大和盆地は
当時としては最も首都として適合地であることは当然である。必然的に九州の本家
筋と大和の分家筋、もしかしたらこちらが本家かもしれないがどちらも、この時
邪馬台国を名乗っていたのではないか?
605名無しのひみつ:2009/12/27(日) 10:52:55 ID:btcPKsl+
近畿説は風前の灯火だなw
606名無しのひみつ:2009/12/27(日) 10:53:09 ID:mpiPGtAk
古来、日巫女という名称は巫女のトップという意味で、複数の方が名乗っていたのではないでしょうか?

それを疎ましく思う中国からの使いが卑弥呼と名付けたのではないでしょうか・・?
607名無しのひみつ:2009/12/27(日) 10:57:37 ID:fGSPE7AS
南方系が日巫女系で、大陸系が徐福や継体天皇・・?
608名無しのひみつ:2009/12/27(日) 13:00:57 ID:EAEinNan
九州って邪馬台国の話題さっぱり無いねw
609名無しのひみつ:2009/12/27(日) 13:46:24 ID:Kv0NAyE8
意気消沈中ですww
610名無しのひみつ:2009/12/27(日) 20:49:01 ID:vEKZbzHs
当時中国では男性支配の社会で、王権も当然男のもの。
中国の生活と異なる事柄は蛮族の証しであり野蛮で原始的なものめずらしい
風習として相手を見下しつつ、面白いこととして記述されたのだろう。
 異民族の生活習慣を見下すことが意識せずに極自然にできることこそが、
支配側の資質要件だから。
 日本側も、いずれ女が王や祭司の長では、中華圏では物笑いのネタに
されることに気が付いて、体面上男性中心政治にしたわけだが、
生活は母系家族のままであり、貴族でも通い婚が続くわけで。 
611名無しのひみつ:2009/12/27(日) 21:41:53 ID:fBeS5+Ag
>>608
もしかして畿内には邪馬台国に繋がる目新しい発見があったとでも思ってますか?
612名無しのひみつ:2009/12/28(月) 01:36:34 ID:icsL0XV9
>>577
どこを縦読みすればいいのか
613名無しのひみつ:2009/12/28(月) 06:17:27 ID:hnJf5Z45
ヤマタイ国がヤマト朝廷だったってことだろ。
614名無しのひみつ:2009/12/28(月) 06:47:54 ID:cpAXgyNm
最大級の王朝の位置はとりあえずわかった。
あとは金印をもらった国がヤマトか九州の王朝かの論争だろ
615名無しのひみつ:2009/12/28(月) 09:13:12 ID:6NrUHxLg
>>614
そう。
>最大級の王朝の位置はとりあえずわかった。

その事をして邪馬台国が畿内だとする整合性のないロジックが罷り通る日本の考古界。
三世紀の遺蹟が数多く出土したから何?という話なんだが。
つくづく人文は科学じゃないと思わされるんだよな、この論争見てると。

個人的には「ヤマト」と「邪馬台」を切り離して論じるのは不自然に感じるけどね。
616名無しのひみつ:2009/12/28(月) 11:36:21 ID:j7a0/kw6
>>584
ホケノ山は増改築を繰り返し、200〜300年間祭祀が行われていた。
617名無しのひみつ:2009/12/28(月) 13:19:22 ID:ahLb+CFG
>>615
じゃ九州なのか?って話。現時点では畿内の方が可能性高いだろう。
それだけのこと。俺は逆に「邪馬台国」は切り離して考えた方が健全
だと思うわ。遺跡等から出てくる物の年代の各地域の整合性を積み重ねて
いけば、結果として「邪馬台国」が見えてくる。
618名無しのひみつ:2009/12/28(月) 14:36:40 ID:XdR64P0U
とっとと誰か
箸墓古墳に盗掘に入れ
フヌケドモ
619名無しのひみつ:2009/12/28(月) 23:18:47 ID:ExxiKdT/
「オッカムの剃刀」ってやつか。

蹄の音が聞こえたらシマウマではなく馬と思え(ギルバート・グリッソム)

大規模な遺跡が見つかったら邪馬台国ではなくクニだと思え
620名無しのひみつ:2009/12/28(月) 23:41:52 ID:hnJf5Z45
畿内に見つかったんだからヤマトのクニだろ。倭と書いてヤマト、
大和と書いてヤマト。記紀の記述では、この遺跡の時代の天皇三代前後
の大きな皇宮が巻向にいくつかあったとされてるんだからそちらに比定
して研究すればいいのに。実在しないと勝手に抹殺してしまった垂仁、景行、
仲哀とかヤマトタケル、神功皇后なんかが実在する可能性が出てきてしまって
るわけだろ。巻向に日代の宮とかがあったと記載してあるんだし。
大体、邪馬台国を当時の発音で正確に読めたとしても、もとの
日本語はヤマトだと思うぞ。アメリカ人が日本語読んだらかなりずれるし、
反対にカタカナ英語なんて、はっきり言ってかなり発音ずれてて一瞬もとの
英語を原語で思い返すまで意味わからないことが多いぞ。英語のマクドナルド
と中国表記に対して日本語のカタカナ・マクドナルドなんて、もう殆ど別の
言葉だよ。逆にヤマタイでも何でもいいからそんな表記に科学的分析なんか
出来るわけがないだろ。むしろ大和朝廷が既に全国支配をゆるい豪族連合から
直接支配化し出した痕跡が出土したと発表するべきだろ。邪馬台国なぞ
その仮定で結局大和朝廷だってことがわかるだけ。
621名無しのひみつ:2009/12/29(火) 00:01:50 ID:derDzTux
邪馬台国は九州で決まりだな。
622名無しのひみつ:2009/12/29(火) 00:06:09 ID:t3MolYdP
神様が地上に降りて来て 人間になり そうして アダムとイブに
なり その子孫が 増えて日本人として今に いたるのです
623名無しのひみつ:2009/12/29(火) 01:04:02 ID:O01vgLep
ところで「考古学」って科学なのか?
624名無しのひみつ:2009/12/29(火) 02:52:56 ID:Q0w6H+Nf
著者は司馬懿の功績を水増しする必要があった。
倭が西のクシャーナ朝並の大国でないとマズイ。
倭人伝が曖昧なのは多分このためだろう。ことさら広く見せる必要があった。

んで文化みるとありゃ越の文化だな。
倭国=越つうのも成り立つが、著者が越と勘違いしてる恐れもあるよな。
625名無しのひみつ:2009/12/29(火) 02:59:56 ID:Q0w6H+Nf
神功皇后とか、ありゃ古事記とか書いたやつが
魏志倭人伝見てた可能性大きいよな。まあ間違いなく読んでたろう。
辻褄あわせっぽい。

まあそんなこんなで文献は眉唾もんばっかなんで
掘るしかねえね。
626名無しのひみつ:2009/12/29(火) 03:05:43 ID:Q0w6H+Nf
ただそれでも鬼道ってのはきになるな。
蔑の語源は、目を彩って力を与えた巫女がいっせいに敵を見つめ呪う
ってとこからきてる。やくにたたなかったら殺される。殷時代な。

でまあ、亀甲占いは天皇家にのこっとったんだよな。
まーやりかたはすっかり忘れてしまってたようだが。

山海経なんぞみてると倭とでとるしな。
随分前からシナは倭をしっとったろう。
627名無しのひみつ:2009/12/29(火) 03:06:44 ID:Q0w6H+Nf
>蔑の語源
これ静ちゃん説だから異論は認める。
628名無しのひみつ:2009/12/29(火) 03:20:24 ID:Q0w6H+Nf
まあ酔ってるしこんなもんか。
629名無しのひみつ:2009/12/29(火) 15:54:43 ID:cx/jVybb
もし仮にマキムク遺跡から金印が発見されたら、かなりの証拠となりえるの??
630名無しのひみつ:2009/12/29(火) 22:21:25 ID:W5OHuHt3
>>624
おっ、岡田説だね。
だけど曹爽失脚以後、外交記事が失くなるのはナゼ?
631名無しのひみつ:2009/12/29(火) 22:26:39 ID:W5OHuHt3
>>629
2chでは奴国王の金印も論議の対象になるからなあ。

でも、仮授だから返さなきゃ。
632名無しのひみつ:2009/12/30(水) 03:48:38 ID:ZOpds6T4
>>630
うん。
>曹爽失脚以後
なんかあったんじゃね?
633名無しのひみつ:2009/12/30(水) 03:52:23 ID:ZOpds6T4
おいら独特の説を言おう。
多分卑弥呼の「鬼道」は殷由来じゃないかと思う。
もちろん決め手となる発掘物はないけどね。
634名無しのひみつ:2009/12/30(水) 06:23:23 ID:IFbafQeo
鬼とは支那にあっては霊魂や死者などのこと。精霊も含む。
だから、鬼道=シャーマニズムと考えて良い。
そこから、神道の原型の一つ、又は一部ではないかと考えることは許されるだろう。
殷は関係ないだろうね。

ちなみに日本の礼法は周由来であるという説を、昔の支那の学者が唱えたことがあったりする。
真偽は不明だが、新井白石などはこの説に疑問を投げかけているので、怪しい。
635名無しのひみつ:2009/12/31(木) 01:42:57 ID:LbkYg0It
>>634
うーん。天皇家のルーツが結局邪馬台国にあったって仮定しての話なんだけどね。
不思議とよーのこってんだわ。殷の風習がさ。
636名無しのひみつ:2009/12/31(木) 01:58:26 ID:56RMDg8v
クローズアップ現代で個の建物の内部再現模型作ってたけど、
それを見て、卑弥呼って個人名じゃなくて役職名なのでは?と思うようになった
卑弥呼って個人であるって断定されてるんだっけ?
637名無しのひみつ:2009/12/31(木) 03:33:46 ID:LbkYg0It
>>636
そらありえるな。
まあでも結局は掘らないとわからんだろな。
638名無しのひみつ:2009/12/31(木) 13:12:32 ID:biel2N2F
日本史板のスレ見てると、今は殆ど畿内前提の議論をしてるな。
時々九州説の書き込みあっても「あー、はいはいw」って感じで。
639名無しのひみつ:2009/12/31(木) 21:43:49 ID:lPHaGbVJ
卑弥子が固有名詞のわけがなかろう。
多分、日(の)巫女、おおひるめのむち、そのあたりの事でしょ。
大陸からみたら変わった「未開の」習俗に見えたから殊更スポットが当てられたわけで。
640名無しのひみつ:2010/01/01(金) 17:28:09 ID:KFVkGS95
邪馬台国山陰説なんてあるがどうなんだ?
山陰に住んでる経験から言わせると冬は寒くて一年中温暖じゃないし
冬はダイコンやネギなどを育てるから一年中同じ野菜が取れないわけだが
641名無しのひみつ:2010/01/02(土) 00:53:05 ID:S2iiEOPd
>>639
じゃあ毎年国中から(主にルックスで)選ばれた数え14才の娘が勤める神聖な職
って妄想しても笑われない?
642名無しのひみつ:2010/01/02(土) 09:51:43 ID:lN6zfiGA
写真もない時代に国中の娘のルックスを比較するのはむずかしいよーな
643名無しのひみつ
>>642
村一位→県大会→全国大会と相場は決まってる