【人類】オホーツク人DNA解読 北大研究グループ アイヌ民族と共通性
78 :
名無しのひみつ:2009/07/08(水) 17:23:14 ID:8OVZnJCb
新事実判明
最近の研究では、貝紋人と縄文人が日本の原住系で日本から
チベットやモンゴル方面へとD系種族が散っていった。
おそらく琉球・大和人=貝紋人+大陸人で、蝦夷は縄文人、アイヌは
縄文+オホーツク人であろう。
そしてチベットははるか昔の日系ブラジル人的存在であることが判明。
441 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/07/08(水) 05:38:29 ID:uMKQaI4h0
>>427 日本語の文献では、C3が、日本列島一番乗り!でも、英語の国際文献では違うよ。
インドネシアから来た貝紋人と縄文人が北方勢力を押さえて、日本列島一番乗り!
しかも日本の貝紋人は、日本列島〜ベーリング棚〜北米〜南米、一番乗りの偉業!
シベリアC3は、日本の貝紋人の後から北米に入ったものの、南米まで、よう行かなんだショボ。
縄文人は、大陸から来たのではなく、インドネシアのスマトラから北上、
日本列島〜沿海州〜モンゴル〜チベットへ移動。途中、混血しながら通過したので
いわゆるSOV文法の、昔「アルタイ語圏」と言われた言語を北方アジアに残した。
これが国際学会での最新見解。以下は、National Geographic のサイト。
ページが出たら、スクロールバーを真ん中へんまで下げてみ。脱アフリカ後の
貝紋人と縄文人の、日本への到達マップが図にして有る。
http://www.crystalinks.com/migrationhuman.html
79 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/07/20(月) 10:41:44 ID:IX+ELEyU
おいおい60年日本が歩んできたその体制を改革しようと躍起になっていたのは、
新自由主義者・市場原理主義者の連中だろ。
【ゴーマニズム宣言】アイヌ沖縄台湾チベット等マイノリティ論統合2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/kova/1245311322/15n >15 :回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/07/20(月) 03:01:00 ID:iTmuwiUr
>↓なぜアイヌの先住民族という呼び名に対して違和感があるか?↓
>縄文人とアイヌ民族のワークショップ
>ー平田篤史・結城幸司
>●日時:11月23日(金)
>13:00〜16:00(土笛)
>18:00〜20:00(アイヌ)
>●料金:(土笛)¥2,000 (アイヌ)¥1,000
>●会場:ASABAアートスクエア
>●お問合せ:平田篤史 045-231-2458
>
http://www.kazukoasaba.org/img/asq/07artfes/ainu-02s.gif >縄文の土笛づくりと、アイヌ民族がとり組む世界遺産知床先住民族エコツアーの映像や話をします。
>↑ ↑
>アイヌは先住民族というより、同じ日本人でしかないと言う現状があるからだ。
>確かにアイヌは先住民族だったと思う、思うけど今いるアイヌ系の人々を世界の先住民達と同じように
>見るのは違和感でしかない。
>それとも今でも彼らは”先住民族”であるのか?いいや違う。
>ようするに、一部のアイヌの子孫は「これから先住民族として生きてゆきたい」と言う事なのである。
>そしてDecide One's Fate ◆D/w5oCAtawというコテハンドルネームのような日本人連中は、それが絶対
>正しいかのように「それを認めるべきだ。」と主張しつづけるのである。
>本当にそれでいいのか?俺は現代の反大儀・反権威・反反権力であるゴーマニズム宣言の信奉者であるから
>「やはりそこは認めるべきではないんじゃないか?」と強く思う。
>しかし、アイヌの活動家の気持ちと言うのはどこか現代のナショナリズムや民族を忘れグローバリズムに
>どっぷりのめりこんだ日本と通じるところがあるし、「やはり認めるべきだろう」という気持ちが無いわけではない。
>経済的というか、商業的にはアイヌが先住民族であったほうがその人たちのためではあるが日本と言う国は
>古来よりその内部における2面の勢力がしのぎを削って争うのである、まさにドミニカとキューバのように。
>日本の社会主義者・社会民主主義の連中や共産連中はまさに現代日本の反転であり、彼らは150年日本が
>歩んできたその体制を革新しようと躍起になっているのである、果たしてアイヌは先住民族でよいのか?
>沖縄は?皆日本人として生きてゆけばよい話ではないのか??
80 :
名無しのひみつ:2009/07/20(月) 15:22:31 ID:W+ynuZJm
北廻りモンゴル人種と南廻りモンゴル人種。この問題を考える為には、
「ツラン文明圏」問題を回避する訳にはいかない。
昭和初年、瀬戸内海の大山祇(おおやまつみ)神社三島敦雄宮司によって
発行された「天孫人種民族六千年史の研究」。この本は、一見南廻りモン
ゴル人種を問題にしているようにも見える。
北廻りモンゴル人種は、日本列島に到着したのは、一万数千年前と推定
される。このことは、国学者苗代清太郎によって解明されている。
南廻りモンゴル人種が、ペルシャ湾からの海流によって、日本列島に到着
したのは、数千年遅れる。つまり、南廻りモンゴル人種が、一番後に到着
したのは数千年後となるだろう。
日本では、このようにして、鹿島・香取神宮において、北廻りと南廻りの
二つのモンゴル人種が融合するまでに、少なくとも、七、八千年の時間が
経過しているわけである。日本は、この二つのモンゴル人種が融合するべく
十二分な歴史的条件が準備されていた。このような条件は日本以外に
未だかつて起きたことはなかった。
南廻りモンゴル人種が、七、八千年遅れで日本列島、鹿島香取に到着する
までに、ペルシャ湾から次にイラン、アフガニスタン、インド、マレーシア、
インドネシア、フィリピン、タイ、インドシナ、中国、台湾、沖縄、九州、四国、
紀伊半島、名古屋、伊豆半島、房総半島、鹿島香取と成る。
従って、日本に到着した南廻りモンゴル人種には、以上の国々の文化的、
経済的、地政学的、言語学的特徴が刻印されている。
81 :
名無しのひみつ:2009/07/20(月) 15:24:46 ID:W+ynuZJm
中国人は、モンゴル人種なのか、そうではないのか。
これまでずっと教科書的世界史では、中国文明は黄河文明に由来する、
と言われて来た。ところがこの二、三十年、驚くべき考古学的大発見を
成し遂げた。この新しい考古学によれば中国最古の文明は、八千年前に
遡る揚子江流域の稲作文明であったと言う。黄河文明は、その五千年
ないし六千年後である。
明らかに八千年前に遡る揚子江稲作文明は、モンゴル人種が造ったもの
である。その五六千年後、西洋人は中国に侵略して、黄河文明を作った。
つまり黄河文明は、モンゴル人種を抹殺したそういう代物であった。
それでは、西洋人によって支配された黄河文明によって粉砕された
モンゴル人種文明は、モンゴル人種はどこへ行ったか?
今、彼らは中国周辺の多数の少数民族と成っている。
中国人と称している人々は、西洋人によって支配された反中国的存在、
反モンゴル的存在と言わなければならない。
中国原住民はモンゴルである。中華文明と自称している勢力は、従って、
西洋人支配系列下の反中国的存在である。このように見なければならない。
82 :
名無しのひみつ:2009/07/20(月) 15:45:55 ID:wpdCcu81
アイヌ人は本州から北海道に追いやられたって話しだったのに、根っからの北方土民ですか?
83 :
名無しのひみつ:2009/07/20(月) 16:54:14 ID:+mloY83z
北海道出身、都内勤務だけど、
道を訊かれる場合、相手の半分以上はチュゴク人だなあ。
そんなにチュゴク顔か、俺は。
たとえば昔住んでいたつくばで英語で案内しても「あんた、日本人か?」
「日本人だけど何か?」的な。
もう移住しようかと思う。
84 :
名無しのひみつ:2009/07/20(月) 22:42:09 ID:sgtVVcsd
目が釣りあがっておればチャンコロと間違えられやすいんだよ
阿部寛みたいな目に整形しろ!
85 :
名無しのひみつ:2009/07/21(火) 06:33:57 ID:fHoPPRuj
86 :
名無しのひみつ:2009/07/22(水) 21:29:13 ID:IrS+YxuF
赤い星に鎌とハンマー印のバッヂを付けてたら、
中国人と間違われたりソ連人と間違われたり。
回帰もそろそろ洗脳が解けてきたか?
【ゴーマニズム宣言】アイヌ沖縄台湾チベット等マイノリティ論統合2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/kova/1245311322/25n >25 名前:回帰 ◆XB7AjTRRiE 投稿日:2009/07/23(木) 06:18:36 ID:cU4dwnJ8
>105 名前:Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw [sage] 投稿日:2009/07/23(木) 02:56:05
>ID:JW1vDSOq
>っつーかマジで俺ってこの熱湯浴うごめく2chに正しい思想を携えて降り立った救世主かも。
>>っつーかマジで俺ってこの熱湯浴うごめく2chに正しい思想を携えて降り立った救世主かも。
>うん、確かにおまえの言ってることや理念、ポリシーは正論だと思うよ。
>おまえは自身で気づいてるのかは知らないけど、真性ゴーマニストだとおもう。
>本来なら小林もお前と同じ論理でアイヌ独立を支持しなければならない立場なんだが
>それをせず小林はアイヌ黙殺を推奨を著してしまってるわけだ。
>じゃあ小林のアイヌ論とは何かを考えると、結局右翼・保守思想でしかないわけだが
>もし小林が商業的な理由で、こうした主張をしているのだとしたらとんでもないペテン師な訳だ。
>ではなぜ小林はあえてそれを選んだのか?
>なぜ小林の最近の著書は「天皇論」などウヨクに転化したのか?
>アイヌを同化してまで、己がゴーマニズムを捨ててまで小林は何が言いたいんだろうかね?
88 :
名無しのひみつ:2009/07/24(金) 05:29:50 ID:yxtBGX9I
日本の京都周辺の人とアイヌとウィグル(東トルキスタン人)はすごくよく似ている。
日本、チベット、ウィグルは人種的にかなり関係性がある。
89 :
名無しのひみつ:2009/07/24(金) 06:33:14 ID:hs2bUYmt
チベットはまだわかるが、ウイグルは関係ねーだろ。
トルコ系の血が濃いらしいんだし
90 :
名無しのひみつ:2009/07/24(金) 07:24:38 ID:HbqFrGD/
阿倍のヒラフだかが北方遠征で戦った相手が、このオホーツク人って説があるな。
91 :
名無しのひみつ:2009/07/24(金) 13:31:15 ID:/mIrTWjk
斎藤清六がひとこと
92 :
名無しのひみつ:2009/07/25(土) 05:45:33 ID:TsjalTFB
>>89 そうおもうだろ?
トルコ系じゃない人はすげーにてるからw
93 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/07/25(土) 10:40:15 ID:TjmPETc+
回帰理論によれば国内の医療・介護問題を取り上げるのは、
日本でアメリカの医療・介護問題に火がつかないようにすりかえるためで、
アメリカは日本の世論の影響力を恐れているということになるらしい。
そして中国国内のチベット・ウイグルは中国外交問題というスタンス。
なんでネトウヨはアイヌ沖縄の分離独立を支援しないの? 3
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1247492262/159n >159 :回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/07/25(土) 05:49:48 ID:qUY8tTDA
>
>>158 >違うだろ、日本でチベットやウィグル問題に火がつかないように
>アイヌや沖縄問題を取り上げ、摩り替えてるってこと。
>中国が恐れているのは日本の世論の影響力もあるだろう。
>NHKは絶対チベットやウィグルに深く突っ込んだりしたことないから。
>NHKはもう「台湾とチベットウィグルは中国国内問題」っていうスタンスなんだよ。
--------------------------------------------------------------------
>>88 >>89 ウイグル族はテュルク化したアーリア人。更に念のために書いておくと、
テュルク人はブリヤート〜モンゴル方面から中央アジアを経てバルカン半島にまで到達した。
95 :
名無しのひみつ:2009/07/26(日) 05:25:59 ID:zoK2rWfn
>>93 >ウイグル族はテュルク化したアーリア人。更に念のために書いておくと、
>テュルク人はブリヤート〜モンゴル方面から中央アジアを経てバルカン半島にまで到達した。
で、どーなの?
日本人とウィグル人のつながりは?
日本人とウィグル人が似てるという事は、日本人は弥生人化したアーリア人ってことか?
96 :
名無しのひみつ:2009/07/26(日) 07:05:19 ID:O3P7XUjD
トルコ系はアラル海周辺にいたのがバルカンまで来たんだよな
97 :
名無しのひみつ:2009/07/26(日) 09:14:23 ID:16hqGMzy
モンゴロイドが陸路で氷結したベーリング海峡を渡って、
北米南米大陸に何万年もかかって拡がっていった。
なんて説が罷り通っているのが不審しいと思わなくちゃいけねえよ。
あれは太平洋を船で渡って、何百年何千年単位で北米南米にパラレルで拡がっていったんだ。
そう考えた方がよっぽど合理的なのに、陸上移動説を覆す証拠がないから、誰も疑わない。
縄文人の造船技術なめんな
98 :
名無しのひみつ:2009/07/26(日) 09:33:20 ID:zoK2rWfn
99 :
名無しのひみつ:2009/07/26(日) 10:04:14 ID:qUwLTluS
最新の遺伝子(y染色体)研究+考古学での日本人男性のルーツは、3か4派で構成される。現在の構成比は
C1が1%、D2が40%前後。C3が2〜3%、Nが1%前後。O3が25%。O2bが30%前後。
1)3.5〜4万年前:後期旧石器(局部磨製石斧・台形石器→ナイフ型石器・一部は木葉型尖頭器へ変化)
スンダランド(東南アジア)からハプロタイプCとDが直接渡ってきた。そして2万年前後にCはC1、
DはD2という優勢な突然変異によるサブグループに変異した。故にC1もD2も日本にしかいない。
彼らは基本的に森の民で、主に太平洋側の落葉広葉樹帯で木を削った槍で小動物・魚の狩猟、海産物・植物や
木実果物の採集で生活したが、寒冷期に南下、一部中部山岳地帯草原で大型の動物を石槍で狩るものも現れた。
2)1.5〜1.2万年前:細石器(石刃技法細石器 ← バイカル湖周辺で発生した細石器)
氷河期の海面低下で大陸と繋がった北海道と九州西部経由(朝鮮半島経由の北九州ではなく、長崎辺りで
草原となった黄海・東シナ海経由)でハプロタイプCから2万年前にC3へと変異したグループと、九州西部
からハプロタイプNが日本に渡ってきた(C3はツングース系、Nはアルタイ系を代表する遺伝子)。
彼らは草原に住む大型動物を追って、寒冷期に南下した植物相に伴い動物を追って、内海化した日本海で
乾燥化した裏日本の草原にまで遺跡を残した。温暖化に伴う植相変化で北方へ去ったが、一部日本に取り残
されたグループは大型動物を取り尽くすと森の民に同化され、細石器文化は1.2万年前くらいに消滅した。
3?)1万年〜7千年前:米・麦等の栽培植物をもたらした?
ハプロタイプOから1万年前にO3に変異したサブグループが陸稲米と麦を持って日本に渡ってきたかもしれない。
もしそうなら、縄文人は以上の3派の渡来人が交じり合ったものだと考えられる。そして土器の「縄文」も
彼らがもたらしたかも知れない。
ただし、土器自体は1.6万年前に日本で自然発生した無紋土器、次に九州西部から細石器文化と一緒に入って
きた豆粒文土器、そして「縄文」以前に隆線文土器や爪形文土器が有る。
4)紀元前1世紀:水耕田技法もしくは田植え等の画期的技術をもたらした弥生人。
Oから派生したO2の、そのまたサブグループのO2b(2800年前に発生)が中国戦国時代の混乱期に江南地方から
海を渡って日本と韓国南西部へ渡ってきた。
水耕田の稲の遺伝子はもともと日本にあった陸稲米遺伝子と同じで、日本の水耕田は2800年前くらい前まで
遡れる。一方、O2bは百越の特異な遺伝子であり、その大多数は百越が亡びた紀元前334年以降に日本に入って
きたと思われる。しかも日本で優勢を保ったのだから、何らかの生産性増大技術を持ってきたと思われる。
上記O3はこの時O2bと伴に日本へ入ってきたものかもしれないが、それにしては日本でのO3の比率が多すぎる
と考えられる。
100 :
名無しのひみつ:2009/07/26(日) 11:58:24 ID:qUwLTluS
>>97 氷結したベーリング海の氷の上を歩いて渡っていったわけではない。海面低下の海退で草原化したベーリング
陸橋を移動してアメリカ大陸へ渡っていった動物を追って行っただけ。
注意しなければいけないのは気候の最寒期と氷河の最大期は時事がずれる事。最寒期は2〜1.8万年前だが、
氷河の最大期は1.45万年前後だと考えられる。
最寒期に向かって氷河が北アメリカ大陸を覆い始めると、氷は太陽光線を反射し、最寒期を過ぎても氷河は
さらに拡大・増大していく。最寒期は乾燥化することが多いから、返って温暖化し冬に豪雪が降ったほうが
氷河は大きくなる。
つまり、動物と人類がベーリング陸橋を通ってアメリカ大陸へ渡った頃には既に気候は温暖であった。一方、
氷河は最大期で海面後退は最大化した。
動物も旧石器時代の人類も無目的に移動するわけではない。動物は途中に食料となる植物がある場所を移動し、
人類もそれを追って移動するのであって、冒険の為にアメリカ大陸へ行ったわけではない。
ついでに、海面後退の最大時でも水深140mの対馬海峡が朝鮮半島と陸続きではなかったらしいので、
草原の大型動物を追って日本に来た源遊牧民が海を渡ってきたなどという馬鹿な考古学者がいるが、有りえない。
彼らは集団で狩りをして生き延びてきた。船など見たことも作ったことも無い草原の狩猟民族が、女子供を
含めた一族で大木を遠くの山から切り出して筏や丸木舟を作るなど有り得ない。それとも皮袋水筒を浮きにして
一族郎党が対馬海峡を渡った?w。漁労を生業にしていた種族なら話は別だが・・・。
もう一つ、食料獲得・嗜好と住み分けについても深く考えない馬鹿学者も多いので注意。
101 :
名無しのひみつ:2009/07/26(日) 12:11:41 ID:zoK2rWfn
>>100 樺太と千島と北海道と、そして本州は繋がってたのでしょうか?
>ついでに、海面後退の最大時でも水深140mの対馬海峡が朝鮮半島と陸続きではなかったらしいので、
>草原の大型動物を追って日本に来た源遊牧民が海を渡ってきたなどという馬鹿な考古学者がいるが、有りえない。
>もう一つ、食料獲得・嗜好と住み分けについても深く考えない馬鹿学者も多いので注意。
こういうのって、古い学説とかを教えているような教育や、主にテレビなどのメディアで
そう言う学者が出演し、その学説が現代の常識であるかのように垂れ流されちゃったりしてるのが
なんかもうホント残念です。
>>100 モンゴロイドがアラスカからカナダを経てロッキー山脈を越えて、
さらに南米大陸までたった一本のルートで広がっていったと考えるのは、どうかと思うけどなぁ。
103 :
名無しのひみつ:2009/07/26(日) 14:19:38 ID:qUwLTluS
>>101 樺太と北海道を繋ぐ宗谷海峡は最深部で水深が56mしか有りませんので結構簡単に繋がります。更に、
間宮海峡に至っては15mしかありません。千島列島はそれぞれの海峡が意外に深くて繋がりません。
参考までに、津軽海峡は130m、対馬・朝鮮海峡140mで、1.45万年前の最大海面低下の海退期でも
本州とは繋がっていなかったのでは?、とも言われています。(最近では最大海面低下が120mだとか?)
ついでにベーリング海は60m、黄海は最深部でも100m、東シナ海は殆どの部分が100〜150m
以下です。だから1.45万年前に九州へ入ってきたC3は、黄海・ベーリング海経由で長崎の近辺からでは
ないかと思われます(遺跡も長崎近辺に多い)。
北海道と樺太は1.8万年前くらい前に陸続きになったと思われています。そして、C3もその頃北海道に
入って来て、黒曜石の細石器を残しています。
ただ、北海道の黒曜石の石器は最古のものが2万年位前のものですが、それとC3の残した細石器は系統が
違うようです。多分、D2が2万年以前に頃津軽海峡を渡って北海道に入ってきて、その後、黒曜石を見つけて
後で入ってきたC3と何かとの交換で渡したものかとも思われます。
火山地帯に黒曜石が出るとは知らない草原の民C3が、北海道にぽっと入って来て直ぐに山奥の黒曜石を
見つけるなどという芸当は簡単には出来ないでしょう。しかし、元から日本にいたD2なら、本州での
経験もあり、黒曜石を探すコツを知っていたかもしれません。
>>そう言う学者が出演し、その学説が現代の常識であるかのように垂れ流されちゃったりしてるのが
なんかもうホント残念です。
全く同感です。考古学者は遺伝子の系統図を深く考えず、一方、遺伝子病の研究の片手間で日本人の
ルーツを探す医者の方は考古学や動物学や史書を考えずに本を出しているようですね。
このスレについても、オホーツク文化自体は否定しませんが、北大のDNA分析も怪しげですね。何より、
アイヌの80%以上を占める遺伝子D2の記載が無いようですね。
「アイヌの20%・・・」から、彼らの分析・発見したのはC3のようですが、C3はもともと1.8万年前に
北海道へも入って来たツングース系を代表する遺伝子だから有って当たり前です。一方遺伝子交流が有った
と言うならアイヌを圧倒的に代表する遺伝子D2は現地で見つかったのかなw。
参考:
昔はC3は、アフリカにいたCの一派が中東経由でバイカル湖へ向かい、そこでC3に変化したものと思われて
いました(先に出発したCとDは東南アジアのスンダランドへ向かい、そこに残ったCはC2に、メコンとか
長江伝いにチベットへ向かったDの一派はD1とD3に、日本へ来たCとDはC1とD2に変異)。
しかし最近では、C3もスンダランドに向かったCがその辺りから北上し、モンゴル高原で遊牧狩猟民に変わり
そこからバイカル湖辺りへ向かってC3に変異し、その後北回りで日本に入って来たのではと思われています。
一方、日本へ3.5〜4万年前に日本に入って来たCが、一方ではC1に変異すると伴に、別の部族のCがC3に
変異して、2万年以前に北海道に渡り、そこからシベリアへ向かったという説もあります。もしそうなら、
細石器は最初は黒曜石から作られた物で、発祥地は日本の北海道ということになりますが有力説では無いと
思います。
104 :
名無しのひみつ:2009/07/26(日) 14:26:16 ID:qUwLTluS
実家(田舎)の近くにネイティブ・カナディアンの知り合いがいるが、
溶け込んでてわからないね。某エラ民族よりも日本的だ。都内歩いていたら完全にわからん。
つーか、このDNA採取、まさか吉崎教授の隠してた北方民族の人骨からじゃあないだろうな。
講義ではおもしろいおっさんだったが、ほったらかしにして定年退職したのは感心しない。
逆に日本人の骨が某エラ半島に放置されっぱなしだったと想定するとかなり頭にくるよね。
106 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/07/29(水) 10:56:35 ID:x0vlxSVD
107 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/07/29(水) 20:29:05 ID:x0vlxSVD
108 :
名無しのひみつ:2009/07/31(金) 12:36:09 ID:J2EOWOxD
http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html これまで黄河文明は中国古代文明の代名詞とされてきた。・・・・・・・・・
だが近年の中国考古学の成果は、黄河流域以外の地域にも存在した多様な地方
文化の実態を明らかにし、中国文明の起源を一元的にみなしてきた旧来の解釈は
すでに過去のものとなっている。・・・・・・・・・
日本には、約2500年前に稲作の技術を身につけた人々が朝鮮半島から渡来して
水田稲作が始まったとする考えが、土器や石器あるいは人骨の研究から有力であった。
しかし、見てきたように最近では、稲のDNAの研究によって、中国中南部から直接
渡来したという考えが提唱されており、また、縄文時代にすでに陸稲の稲作が一部に
あったとする説が定着しつつある。
1万年近く前の長江の中・下流域の遺跡からイネ資料が集中して発見され、その
DNAを分析してみると、ジャポニカという品種で、これは日本の弥生時代の遺跡で
も多数確認されている。
縄文時代前期(約6000年前)の遺跡からも、イネのプラント・オパール(土壌中の
イネの葉の細胞のガラス成分)が検出されているので、縄文人の中にはすでに食材
の一つとして米を用いていた人々がいたと考えられる。
そして、やがて温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの混合により耐寒性のある早生
ジャポニカの品種が誕生したと考えられているのだ。
109 :
名無しのひみつ:2009/07/31(金) 12:39:01 ID:J2EOWOxD
ttp://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/image/yellow.jpg 2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、
中国科学院遺伝研究所の王瀝 WANG Liらは、約2500年前の春秋時代、
2000年前の漢代の臨シ(山東省、黄河下流にある春秋時代の斉の都)
遺跡から出土した人骨、及び現代の臨シ住民から得たミトコンドリア
DNAの比較研究の結果を発表した。
それによると、三つの時代の臨シ人類集団が異なる遺伝的構成を
持つことが明らかになった。約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民
の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、約2000年前の前漢末の
の遺伝子は現代の中央アジアの遺伝子と非常に近く、現代遺伝子は、
現代東アジア人の遺伝子と変わらないものであった。
この研究により、2500年前にユーラシア大陸の東端に現代ヨーロッパ
人集団と遺伝的に近縁な人類集団が存在していたことが明らかになった。
また、2500年前から2000年前の500年間に臨シ集団に大きな遺伝的
変化が生じたことから、過去に人類集団の大規模な移動があったこと
を示唆している。
現在の中国語には、互いに外国語であるかのような種々の方言が存在し、
北方方言と南方方言に二大別される。この南方方言の分布域が、黄河
文明と対峙する長江文明の栄えた領域と大まかに重なり合っている。
しかも、伝説上の南方の支配者蚩尤の統治領域ともほぼ重なる。
そして歴史時代における中国文化は黄河文明を源流とするものであり、
史書もまたはっきりとそのように記している。
一方、ミトコンドリアDNAの研究が示しているのはユーラシア西部に
起源を持つ人々が黄河文明の南端付近にいたがその後現代のような
「黄色人種」である漢民族に徐々に置き換わっていったという事実である。
これらの諸事実を統一的に説明する仮説は以下のようになろう。
「長江流域にモンゴロイドが稲作を基礎とする文明を築いていた。
一方、西から移動してきた麦作と牧畜を基礎とした文化を携えた
コーカソイドが黄河流域に定住した。武力に勝る北方黄河文明の
支配者は、人口においては優勢な長江文明の人々と戦い勝利した。
人口に勝るモンゴロイドは政治的軍事的文化的には敗者であったが、
遺伝子的には黄河文明の人々を凌いで現代漢民族は『黄色』になった。」
さらに追加するならば、戦士である長江文明の男たちの多くは殺されたが、
残った女たちのミトコンドリア遺伝子が引き継がれていったことも大いに
寄与したと思われる。また、中国の南方では長江文明を担った人々の
言語の影響を未だに受けているのである。
でもまぁ、大雪山を越えられなかった訳でもないのに、
何故に夏でも寒いオホーツク海沿岸にとどまったのかな
111 :
名無しのひみつ:2009/07/31(金) 22:01:45 ID:b6RkcHvu
>>111 縄文時代は現代よりずっと暖かいらしいよ。
113 :
名無しのひみつ:2009/08/01(土) 14:28:32 ID:8+xfPfTf
>>112 あ〜なるほどね、樺太で十分やっていけたわけだ。
>>84 それが、俺は垂れ目の丸顔なんだよ。
( ´∀`)←まさにこの顔
アレックス・リー・チャンみたいな顔だったら納得するんだがなあ。
なぜチュゴク人に間違えられるか?タイワン帰るほうがよろしか?
115 :
名無しのひみつ:2009/08/02(日) 20:02:14 ID:hG4vTHIv
>>15 西日本は、縄文時代に極端に人口密度が低かったからだな。
推計では、東日本の10分の一以下という説も。
116 :
名無しのひみつ:2009/08/02(日) 20:19:50 ID:c4V5MVl5
オホーツク人もサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチも
北海道のアイヌも単にオホーツクサハリン北方民族ということで OK。
特に世界史を動かすほどの民族史の履歴はないし、その分布自体、地域的了解内だろ。
117 :
名無しのひみつ:2009/08/02(日) 21:01:43 ID:SesxrWOx
お笑い芸人のQ太郎て縄文人そのままだよね
118 :
名無しのひみつ:2009/08/02(日) 21:39:32 ID:Nj9NyylK
>>114 まあ、日本人男性の半分は中国人と同じ男系をルーツに持ってるからな。
女性に関してはおそらく90パーセント大陸移民の子孫だし・・・
119 :
名無しのひみつ:2009/08/02(日) 21:41:17 ID:Nj9NyylK
>>117 奴とかおかっぱのコスプレした男の太っちょの奴とかw
120 :
名無しのひみつ:2009/08/02(日) 21:42:26 ID:Nj9NyylK
× 女性に関してはおそらく90パーセント大陸移民の子孫だし・・・
◎ 女性に関してはおそらく90パーセント大陸移民の繁殖した子孫たちだし・・・
オホーツクにロケットで突き抜けろ
>>109 後の調査結果だと白人系じゃないという結論になった気がするけど。
まあ、一部に白人系の部族はいたようだけど、黄河文明の主力は黄色人種。
123 :
名無しのひみつ:2009/08/13(木) 04:25:14 ID:3gZvVBeP
アイヌの人が写った動画をある西洋人がみて、
「トルコ人に似てる」とか言ってたな・・・
124 :
名無しのひみつ:2009/08/13(木) 15:29:22 ID:nMGcKl1d
>>123 あまり知られていないが、日本人自体も弥生系を抜かせば
中東人やトルコ人、イスラエル人にどこか似ている。
>>123 江戸時代、蝦夷にやって来たロシア人は、アイヌを見てギリシャ人(の末裔)だと思ったそうな。
126 :
名無しのひみつ:2009/08/16(日) 19:48:27 ID:xuU/sRAH
>>125 あながち間違いじゃなかったりしてなw
それなら日本神話(アイヌ神話)とギリシャ神話の関係も
どこか重なるとは思わんか?w
まあ推測だがw
トルコ人の祖先は中央アジアにいたんじゃなかったか?