【教育】進化論を授業で教えるべき 米国人の半数「人類は神によって創造」

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560こじつける馬鹿が出現し、それをいまだに信じてる莫迦
>>558 しかし、まさにそのような心こそが、「まっすぐにされなくてはならない道」だったのです。
他人を裁き、見下し、罪に定めながら、自らは決して神の前にへりくだって罪を認めようとしない。
――そのような傲慢な心こそ、まさに「まっすぐにされなくてはならない道」なのです。

「主の道をまっすぐにせよ」と、ここで引用されているイザヤ書の言葉は、もともとは罪の赦しの
預言でありました。ですから、主の道をまっすぐにするとは、罪の赦しという恵みを受け入れる心の
準備をすることに他なりません。「主の道をまっすぐにせよ」とは、救いを受けるために、
まず整えられた立派な人になれ、ということではないのです。そうではなくて、神の前にへりくだって
罪を認め、自分こそが救いを必要としている罪人であると認めることなのです。そのように備えられて、
初めて人は罪の赦しにあずかり、救いに与って、神と共にキリストと共に新しく生き始めることができるのです。