【考古】8世紀の須恵器片を発見 弥高寺の本堂跡で=米原市教委調査

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建物の礎石も出土した弥高寺本堂跡(米原市弥高)
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米原市教委は20日、伊吹山の中腹にあったとされる同市弥高の弥高寺の本堂跡で、
山岳仏教が8世紀(奈良時代)に行われていたことを裏付ける須恵器の破片3点が
見つかったと、発表した。

山岳仏教は8世紀以降、各地で興っていたことは文献などで明らかになっているが、
同市教委は「弥高寺でも考古学的にそれを裏付けることができた」としている。

出土した須恵器の破片の裏に9世紀以降には見られない、模様を作る際に
できる渦巻きがあり、8世紀のものと推定できる、という。

また、本堂の構造が推定できる15世紀ごろの礎石(直径約90センチ)9点も確認された。

奈良時代の山岳仏教の遺物は、栃木県の日光男体山と奈良県の大峰山で
確認されている。

市教委によると、弥高寺については、米原市内に残る同寺復興のための戦国時代の
「勧進帳(かんじんちょう)」に、泰澄上人が765年から767年にかけて再興した、
との記述があり、今回の須恵器の破片と時期的に一致する。

調査は、弥高寺本堂の規模などを調べるため、約130平方メートルを今年7月末から
発掘していた。

現地説明会は23日午前10時半から行われる。
集合場所は同8時半、同市春照の伊吹薬草の里文化センター。

■弥高寺
標高715メートルに位置する。悉地院(しっちいん)=米原市上野=所蔵の戦国時代の
勧進帳によると、673年に役行者(えんのぎょうじゃ)が開き、8世紀半ばに泰澄上人が
再興した、と伝えられる。

本堂は1499年に焼失、再建されたが、1512年に再び焼失したとされる。

ttp://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006112100047&genre=M2&area=S20
2名無しのひみつ:2006/11/21(火) 18:35:16 ID:TMO7x8QA
かわらけ
3名無しのひみつ:2006/11/21(火) 18:46:14 ID:mZxi47W8
また半島起源のネタを提供したな。
4名無しのひみつ
思ったような埋蔵物が思った場所から見つかる。これは神の手口に違いない。