<広島原爆>感光レントゲンフィルム 60年ぶり発見
1 :
鬱猫φ ★:
2 :
名無しのひみつ:2005/08/04(木) 17:54:47 ID:7eC5k6tZ
まさか未現像じゃないよな?
3 :
名無しのひみつ:2005/08/04(木) 17:59:57 ID:iqVNMbIw
4 :
名無しのひみつ:2005/08/04(木) 18:13:07 ID:Q0uB+CtE
原爆4さまにおとせ
5 :
名無しのひみつ:2005/08/04(木) 18:26:54 ID:e3uyHfeT
>>3 ソースを最後まで読んでみぃ。当時、「放射線によって感光したフィルムがあ
れば爆弾は原爆」という仮説が立てられて、病院にあったX線フィルムは手当
たり次第に現像されたんだ。黒くなったのが感光していて、白いのは未感光。
6 :
名無しのひみつ:2005/08/04(木) 18:43:14 ID:Hg2jZaZ3
その他にも、
箔検電器により、地上の放射線レベルが異常に高いことから、
原子爆弾であると思われた。
電柱の碍子に絶縁材として使われていたエボナイト中の硫黄に
中性子が当って出来た放射能を検出。
電線の線材中の不純物の放射化測定。
7 :
名無しのひみつ:2005/08/04(木) 18:57:11 ID:rMufphsv
それでこの60年前のレントゲンにガンは写っていたのか?当然手遅れだよな?
8 :
名無しのひみつ:2005/08/04(木) 19:21:37 ID:etCdIrm8 BE:75715946-##
>7
たぶん未使用フィルムだったと思うが。
もし撮影済み・未現像フィルムが混じっていた場合。
当時のレントゲン撮影の主な目的は結核検診。
1945年8月6日の前日時点で結核を撮影された人がいたとしたら、
戦後数年で急速に抗生物質治療が進歩したので
それに間にあって完治し60年後まで生きている、可能性もある。
8月6日前後に「他の理由で」亡くなっていなければ、だが。
9 :
名無しのひみつ:2005/08/04(木) 21:50:43 ID:LAAplbuX
原爆を落とされてから公式発表までの間に原爆と断定できるってことは
日本も原爆の研究をしてたってことですか
10 :
名無しのひみつ:2005/08/05(金) 02:42:21 ID:/g2LgE58
11 :
名無しのひみつ:2005/08/05(金) 06:19:36 ID:0oqMh03T
何で原爆関連ってこの時期に「発見」が相次ぐんだろう?
12 :
名無しのひみつ:2005/08/05(金) 18:31:17 ID:NuSTa5LW
今夜のテレビ番組
TBS 18時55分〜
〜戦後60年特別企画〜
“ヒロシマ”…あの時 原爆投下は止められた…いま、明らかになる悲劇の真実
▽ドラマと証言で描く命の物語▽原爆投下への分かれ道…アメリカの計算と日本の誤算▽惨状の記憶…悲痛な愛 綾瀬はるか号泣▽原爆を落とした男が被爆者と初の対話▽筑紫哲也手記朗読…吉永小百合ナレーター…森本毅郎テーマ曲…平原綾香・久石譲
13 :
名無しのひみつ:2005/08/05(金) 20:57:05 ID:hPIFdDGE
14 :
名無しのひみつ:2005/08/05(金) 22:26:01 ID:7tSj7YUL
教授の机の上が汚かったんだろw
15 :
名無しのひみつ:2005/08/06(土) 07:16:51 ID:d8FVa6F9
落した直後に、アメリカ大統領の名で、原子爆弾であること、その威力、
製造にかかったコスト、。。。。を全世界に向けてラジオ放送した。
日本側もそれを傍受していた。しかし陸軍はそれはデマ宣伝であろうと
強硬に主張。それで調査の為に依頼されて東京から飛行機で、仁科博士が
現地に入って調査している。その結果報告の東京に届く前に長崎に原子
爆弾を投下された。
16 :
名無しのひみつ:2005/08/06(土) 07:24:35 ID:Uz+c8Lik
その写真に貞子が写っていた
17 :
名無しのひみつ:2005/08/06(土) 08:21:13 ID:aPk6suNN
>>11 時期が近づくとなんかネタはないかと探し始めるから
18 :
名無しのひみつ:2005/08/06(土) 11:04:35 ID:8Jl74odi
使わないと無駄な予算を使い込んだ事による責任問題になるからな。
19 :
名無しのひみつ:2005/08/06(土) 23:29:11 ID:xfu2Bt47
ギギギ
20 :
名無しのひみつ:2005/08/07(日) 22:14:52 ID:2ny2kMWC
21 :
名無しのひみつ:2005/08/07(日) 23:24:05 ID:F/o+SEkM
>>9 ソースにある仁科博士が開発(研究か?)してる。当事者。
22 :
名無しのひみつ:
>>9 つか、濃縮ウランの製造試験やってました。
六フッ化ウランまではなんとか作れて、
それから海軍は「超遠心分離法」で、陸軍は熱拡散法で濃縮を試みていました。