紙に同じ質量の鉛筆の粉もしくはインクがのっている。
片方は塗りつぶしただけ、片方には感動的な言葉や小説が
書いてある。2枚の紙は同じ質量で運動量は0なのに、
後者を読むと胸を内から衝かれるような衝撃を受ける。
少なくとも、それを読んだときの脳波のながれは明らかに違う。
情報は質量をもたないということが言えるかもしれないが、
電波や音波といったエネルギーを介さない、この情報は何を
媒体として著者から読者へと伝播されるのか、
文字→記号の配列→秩序→時間の流れの記録。
重ねて言うが、2枚の紙の質量および運動エネルギーは等しい。
また、電波や音波を介して伝わる情報もまた、電波のエネルギー
が情報量や情報の中身に比例するわけでない。
天気予報も、歌手の歌も、同じ電波で飛んでくるが、後者のほう
が、胸にじんとくる。
高い温度で暖めたほうが、暖められるほうの温度も高くなるが、
質の高い情報と雑音・雑記の差は、エネルギーで表現できない。
体を構成している、原子。もし、この原子をまったく同じ空間
位置に配列したら、今の心までコピーできるのだろうか?
原子の位置は不確定であるので、まったく同じ位置は無理だと
しても。
長々と書き連ねたことと情報の問題との間の関連性が
どれだけ重要なのか私には分かりかねますが。
情報の定義なんて場合場合に勝手に人間が決めればいいだけです。
情報の有無が判別できるものであれば。
決まった定義なんぞありません。
情報の有無に関わらず、記録媒体の物理的なポテンシャル
が等しいとします。
空のHDDとプログラムの入ったHDDを入れてパソコン
を起動させると、後者のほうはOSが立ち上がります。
でも。1セクタの情報でも抜けていると、もう起動しません。
見た目も、重さもいっしょなのに・・・。磁性体の磁力が
それを決めているのではなく、規則性あるいは秩序がそれを
決めているわけです。
というものですから、規則的に配列された秩序とういうのは、
重力や電磁力といったもので説明できないにしても、何らか
のエネルギーあるいはポテンシャルとはならないんでしょうか。
物理というものが質量のあるものしか扱わない世界であるなら、
哲学板とかのほうがいいのかもしれませんが。
>情報の有無に関わらず、記録媒体の物理的なポテンシャルが等しいとします。
ポテンシャルとは何でしょう?物理での「ポテンシャル」でしょうか?
>見た目も、重さもいっしょなのに・・・。
あなたの目で見分けられないからといって同じではありません。
>磁性体の磁力がそれを決めているのではなく、規則性あるいは秩序がそれを
決めているわけです。
意味がわかりません。磁力によって決まっていると思いますが。
>重力や電磁力といったもので説明できないにしても、
磁気で記録されているので、説明できると思いますが。
>物理というものが質量のあるものしか扱わない世界であるなら、
「情報には質量が無い」ということでしょうか?
質量というのは実際に存在する「もの」に対して
定義されるもので、「量」や「性質」に対して定義されるものではないです。
1cmの直径の玉が速度20km/hで進んでいるとき、
その「1cmの長さ」とか、「20km/hの速度」とかが
情報であって、これに質量があるわけがない。質量は玉その
ものには存在する。
情報の媒体と情報その物を同一視しちゃいかんね
HDDの例えは良くない。例えば、
まったく同じ日本語の文庫本を外人と日本人が読むと、
外人にはさっぱりだが、日本人はそれを読んで、
感動したり、血圧が上がったり、体温が上がったり。。。
外人はもちろんそんなことはない。
体温を上げたのは、それ以前に摂取した食物を燃焼することにより
得られたカロリーなわけだが、読まなければ体温は変化しなかった
はず。もっとも、体内中のカロリーが本を読んで情報を得ることに
よって増えるわけではないのですが、体温を変えたきっかけという
のは、何かあるのでは。何も外から影響を与えないのに、変化がある
ということはありえないので。
それは、情報とは無関係で、読み手側の脳が勝手にきめることなので
しょうか。
それとも、それを見たときに目の中に入ってきた「光」が外からの
影響といえるでしょうか。
光であると、どんな光でも良いわけでなくて、光で、目に送られて
くる信号に規則性がなければならないと思うのですが。
どこぞのわいせつハードディスク裁判を連想させるスレだな
情報の媒体が、まったく同じ情報をもっていないのに、
物理的に同じということはありえない。紙にのったインク
の量が同じでも、インクの原子の位置は違うはずだ。
まったく同じ情報の媒体であるならば、記録されている情報
も同じということになる。
影響をあたえているのは情報の媒体であって、電波,音波,光
といったもので伝えられる。情報とよばれるものには、エネルギー
など存在しない。
曲の入ったCDと空のCDで価格差が3000円近くもあるのは
なぜ?情報って質量はなくてもお金はとるの?
空のCDと曲の入ったCDとでは、記録面の状態が違うだろう。
その違いにお金をはらってるんだ。
記録する媒体をコピーするのには重さのある”もの”が必要だけど、
記録する情報そのものは、いくらでもコピーできるのね。
作曲家や作家が頭の中で創造するものって、結局いくらでもコピー
できるのなら、人工脳がもしできたら、今考えてることもコピーでき
んのかな?
>>13 空のCDを焼くのにもエネルギーがいるよな。
あと、世の中には著作権ってものがあるんだから、いくらでも
コピーはできません。
仮にまったく同じ電力で焼いた違う曲の入ったCDがあっとして、
記録面の状態が違ったとしても、焼く前→焼いた後、に与えられた
エネルギーが等しかったら、物理的には2枚のCDの包括するエネ
ルギーはいっしょってことですか?
曲の最初から最後まで焼くのに必要なトータルの電気エネルギーは
同じでも、それをどういう配分にしたかに、価値があるんじゃない
でしょうか?物理的にこの「価値」に対する定義はないのかもしれ
ませんが。
エネルギーなんてどうでもいいだろ…
どうせ問題にするならエントロピーにしとけよ
音階をどういう順序で並べたか、文字をどういう順番で書いたか、その
配列や規則性の記録が情報でしょう。作者が頭に浮かんだことを書いた
り、演奏したり、その時間の流れ(頭にイメージしたこと)を、読み手
や聞き手が媒体を介して、それを回顧して、作者と近いイメージを得る
ために本やCDがあるわけで。
製作時のその規則性や配列を時間軸から切りとって、音符や文字だけに
限定して保存してるってことじゃないかな。
情報は質量がないのならいくらでも小さく、高密度にできるってことだ
から、
HDDの容量はまだまだ増えるってことですね。
>>18 デジタル情報の場合、0と1の2進数に変換されるので、
情報量が増えると物理的に原子サイズによってなんらかの限界
があると思われる。
>>19 さっきから自分で自分にレスしたりしてるが
一体何がしたいのだ?独り言?
時間とは秩序の崩壊と再構築との繰り返しである
それで?
>>25のリンク先にもちらっと出ていた話だけど。
いわゆる仮想的な「マックスウェルの悪魔」も、エントロピー増大則を破る
ことはできないんだって。理想的な話をすれば、悪魔の動作に必要なエネルギーは
無限小にできそうなのにもかかわらず。その理由ってのが、悪魔が粒子を選別する
たびに毎回最低限1bitの情報を処理しなきゃいけないからなんだそうな。
「前回の情報を忘れる」ことが、エントロピーの増大になるんだとか。
てなわけで少なくとも情報処理は、ある大きさのエントロピー増大をもたらす
ということなんでしょう。その最小値を情報の物理的な単位と呼ぶことも
できるんじゃないでしょうかね?
1〜25までの紙をもった25人が5人×5列で並び、左右前後の人と紙を交換
する。4〜5回繰り返してばらばらになった紙を、もう一度逆の順序で戻しても
らおうとすると、ばらばらにするときの何倍も労力をはらわなければならない。
これは時間というものについて説明するときの簡単な実験で、新聞で読んだ話。
考案した博士(名前忘れた)はこれを秩序の崩壊と表現した。では、そのばらばら
になった紙をさらに4〜5回交換してから、また4〜5回前に戻そうとするとどう
なるか、やはり無作為に交換した過去から未来へも未来から過去へともどるときの
ほうが労力がかかる。これは一度崩壊した4〜5回目の秩序が次の4〜5回の交換
に対する新しい秩序となっていることでもある。
生卵を割るのは簡単だが、割れた卵はもとにもどせない、割れた生卵の白身と黄身
を目玉焼きにすると、もう生にはもどせない。
殻に入った卵は割れた卵の秩序。
割れた卵は殻に入った卵の秩序が崩壊したもので、目玉焼きに対する秩序でもある。
では、次に25人の人にNoをつけ、その人が何回目に左右前後の誰と紙を交換
したのか、表に記入する。こうすると、紙を交換した後、再びその表をみて紙を
もとの状態に戻すことができる。人が別の25人に代わっても、紙がプラスチック
の板に変わっても、数字の移動に限定すれば、それはいつでも再現し、逆行させる
こともできる。つまり数字の移動という部分に限定した秩序が時間の流れから独立
したことになる。
次に卵を割るシーンを撮影したビデオをテレビで映し、これを巻きもどす。
テレビの中に映る卵は殻に入った状態にもどる。解像度の違いはあるが、
テレビを見る人の目に入る光と割れる前の卵を見ていたときに目に入る光
はかなり近い。光に限定した時間の切り取りである。これが音波の場合だと
音楽CDになる。道具は違うが絵画やオーケストラの楽譜も、それが光や音
の秩序あるいは規則性を時空をこえて伝えるものだ。
しかし、それはある限定したものである。例えば紙を交換し、それを表を見て
もとに戻したとしても、紙は何人かの手を渡ることでふちに皺ができる。紙の
位置はもとに戻っても紙の皺はもとには戻せない。テレビは解像度に限界があり、
楽譜は演奏者が違えば、近い音波しか再現できない、CDも分解能の制限がある。
けれども、ビデオやレコーダーは光や音に限定され、完全に正確に一致はできない
にせよ、タイムテレビジョン、あるいはタイムレコーダー、であり、過去の光や
音の規則性をある程度保存し、再現してくれる。タイムマシンは未だ夢の乗り物
だが、ある限られた時間、方向、範囲においてのタイムテレビジョンはすでに手元
にあるのだ。
ここで、記録されているものすなわち情報とは、このような話筋からすれば、
一定の時間の中でおこなわれた秩序の崩壊と再構築を、言い換えれば光や音
や位置の規則性を、限定し、変換(文字、磁気etc)し、その秩序の崩壊
と再構築の大河の流れから、コップに汲み取ったもののように思われる。
無作為に交換した紙はそれを何度も何度も交換しているうちに、またもとの
位置にきて1〜25までの数字が綺麗に並ぶことがあるかもしれない。誰でも
1〜25までの数字が綺麗に並んだときの状態に、それがばらばらになっている
ときよりも整理された心地よい印象を受けるのではないだろうか。
作家や作曲家の創作活動は無作為ではないけれども、そうした万人の脳に一致する
ある規則性を見出すための行為なのかもしれない。名画と呼ばれるものは思考
錯誤の中で得られた1〜25に綺麗に並んだときのようなものかもしれない。
また、並べ替える順序そのものが美しいような場合、これが名曲のようなものかも
しれない。
今、気づいたのだが25人だと、ひとり交換できない人がいる。よって手前の話は
16人で4人×4列にでもしてほしい。多分、このままだと誰かが気づいてつっこむ
ので。
では、感動的な文字とただ塗りつぶしただけの情報は何が異なるのか、前者は結局
著者の脳に浮かんだイメージが記録された規則性であり、後者はそうでない。した
がって心に浮かんだ旋律や像が、楽譜や絵となっているのだから、作者の心の一部
を限定して切とって時間軸から独立したものが作品となる。
だから、音楽CDや絵はコピーできるのだから、人の心もコピーできるのかという
疑問がわいてきたのではなかろうか。
しかし、その作品に感動するしないは、作品(情報)が決めるのではなく、観測者
が決める。それは、日本語のわからない人に日本語の感動的な本を読ませてもちんぷん
かんぷんなこと、WINDOWSの入ったHDDをiBookに入れても動かないこと
から明らかである。極論だが、宇宙人が来て2枚の紙を見たら、塗りつぶした図形を
見て、感動して涙するかもしれない。本スレのテーマと思われる情報のもつ価値というか
、力というのは、情報自身にあるのではなく、観測する側のシステムがどんな規則性に対
して呼応するかによって決まるものと思われる。
情報と情報の力とを混同されていたようだ。
情報とは?→時間をある限定された範囲条件で保存したもの。
情報の力とは?→観測者に支配される。情報ソースは、観測者のシステムに一致
する情報をつくろうとする。
2枚の紙はどう違うのか?→保存された情報が違う。読んで感動を受ける受けない
は読むほうの問題。多分、ほんとは期待していた、精神
エネルギーみたいなものは一切含まれておりません。
情報を保存するのに質量はいらないのか?
→情報を保存できるものに変換し、保存する媒体が必要なので、その質量は必要。
情報の質(多くの人にうけるかどうか)には影響されないが、情報の量によって、
媒体の質量は影響を受ける。
AGE
時間の定義ってこれでいいのでしょうか?なんか哲学的でよくわからなかったのですが。
>>35 質量なんて情報の本質と何の関係もないって言えばすむ話では
>>27〜
>>34 長々とご苦労さんだが、こいつエントロピーという言葉を知らないのか?
明らかに知らない。
シャノンの情報理論で、エントロピーの減少分を情報量
として定義しているが、それは本来聞きたがっていた、
受け手によって意味があったりなかったりする情報その
ものの性質の答えにはならないと思うのだが。
また、物理で情報と聞けば、負のエントロピーだの、平均長NH
の2進信号だの、と、物理屋の土俵で話をもってきたくなる気持ち
もわかるが、それならそれで、まず素人でも理解できるように平易に、
本来の質問やこれらについて、まず説明してみせてほしいぞ。
エネルギーを介さずに情報が伝達するなんて勘違いもはなはだしい。
文字情報が光で紙面から目に伝わってることなら、最初から読んでけば
わざわざ言わなくてもわかるじゃん。うっとうしくてとても読んでられないと思うけど。
シロートです、スイマセン。要するに情報の入った紙は落書きの紙よりもエントロピーが大きいってことですか。
>>44 熱力学的なエントロピーは、ほとんど変わりません。また、そのものの
情報エントロピーは、熱力学的なエントロピーには影響を与える可能性は
きわめて小さいと考えてよいでしょう。
情報科学で言うエントロピーと熱力学・統計力学で話されているエントロ
ピーはまったく違う概念です。情報理論で情報量をあらわす式が統計力学
でのそれと考え方・表式が類似しているために、エントロピーと呼ばれて
いるに過ぎません。
たしかに情報を読み解く所までのエネルギーとかを考えれば情報が正確に
記述された紙のほうが、熱力学的なエントロピーが少ない(=読み間違える
可能性が少ない分、同一情報量を少ない仕事量で伝達できる)可能性が高い
と考えられます。でも、これは純粋に熱・統計力学の範囲で考える問題
です。
46 :
シロート:2001/08/07(火) 09:40 ID:???
>>45さんへ
丁寧な返事をありがとうございました。m(__)m
47 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/08/08(水) 20:16 ID:lUwXuyRQ
情報エントロピーでも、
A 感動的な本
B Aの文字をランダムに入れ替えた本
C Aを文単位でランダムに入れ替えた本
D Aを段落単位でランダムに入れ替えた本
これらを区別するのはAとBくらいなら出来るけど、
他は無理。
>>47さんへ
思いつきで、まったく自信はないのですが、
文字を規則正しく並べ替えたら、全て同じ情報になり、余計な文字が混ざってない
のだとしたら、符号化処理における段階で、この場合、C>D>Aの順で、送信信号の
不確定度が高くなっていると考えらるのではないでしょうか。
これを妥当な順にならべかえる受信側の作業を「復合化」とすると、基礎情報理論
の概念にあってくるような気がします。
ちなみに関係のない文字や言葉を文章に混ぜる場合は、「雑音」に相当し、これは
通信路での効率低下となると思います。
また、感動的な話というのは確立Pが低い(希少性が高い)ので、情報量が大きい
というふうにとらえることもできないかなぁと思いました。
スレの中で読み手が日本人か日本語の解らない異人かという問題もあったようですが、
それも送信側の不確定度で定義できるのではないでしょうか。
間違ってたらスミマセン。