1 :
ご冗談でしょう?名無しさん:
人間は眼や耳等の感覚器を通してしか物事を捉えることが出来ず
捉えたデータは脳等で処理される
従って世界の認識は認知システムの構造に依存し
「物自体」に到達することは出来ない
これは我々の認識が誤っているという事を結論しないが、極めて限定されている可能性を示唆している
単なる学生の俺にはなんつーかめちゃくちゃ胡散臭いんだが、最先端の研究をしている院生・研究者の皆さんはどう思われますか?
やっぱ物理学=世界そのものの認識ですよね?
現代の科学がヒトの感覚器のみに頼っているとでも?
3 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/11(月) 13:37
>>2 そうですよね
でも、間接的に感覚器を使ってるって言うんですよ
4 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/11(月) 13:42
放射線なんかも他の物質と反応して光を出さなかったりしたら、分からなかったろうって
ニュートリノのこととか考えましたが、自分自身ニュートリノってなんだかまるで理解できてないので、反論できませんでした(泣
それと物事を認識する時に脳等の認知システムの先天的な構造がどうとかで、アプリオリなカテゴリーがどうこう言ってましたが
私には良く意味がわかりませんでした
5 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/11(月) 20:50
実証主義だっけ?
6 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/11(月) 22:47
>>1 限定されている、それでもいいじゃん。
物理屋の仕事は世界そのものの認識ではなく(それはギリシャ人の仕事)、
今ある世界に対する認識の網目をより細かく、厳密にしていくことだと思うから。
俺自身は、それ以前の物に縛られまくりのサラリーマンだけどね。(w
7 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/11(月) 23:32
>>1 そうだね。物理の理論は基本的に人間の尺度をもとにしてるよね。
電子っていう概念にしても、人間が考え出したものだし本当の
「世界」にはそんな概念はないしね。見えないパラメータは
たくさん転がってると思うよ。科学には限界はある。
8 :
mint:2001/06/12(火) 14:13
ハイゼンベルク著「部分と全体」(みすず書房)をお勧めします。
量子論建設の時代の、主だった人々の対話集のようなものです。
ワイツェッカーは、後にゲッチンゲン(だったか?)の哲学の
教授になる人で、当時はまだ20才そこそこだったと思いますが、
そのころからカント哲学から量子論(量子的な世界の記述)を非常に
真面目に考えていた人です。
そのワイツェッカーとハイゼンベルクの対話だったと思いますが・・、
電子のような微細なものの振舞を記述するのに、人は結局自分の
生活圏内の経験の言葉を用いるしかなく、その言葉を用いると
「電子は波動と粒との二面性を持っている」といった相補的な
記述になってしまう。古典的な言葉で現象を記述する限り、そういう
限界があるだろう。電子を丸ごと説明は出来ないのだ。
(あなたは椅子を見ている。しかし、その椅子について
記述できるのは、いまあなたが見ている背中についてだけであり、椅子全体に
ついて記述することは出来ないのだ、)という議論だったと思います。
(僕は、どうも名無しとか言って、ハンドルを固定しないのは
抵抗があるので、慣例に背かせていただきます。)
9 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/12(火) 19:01
無駄な議論だなぁ
10 :
にーちぇ:2001/06/12(火) 19:19
それいっちゃおしまいよ
11 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/12(火) 19:34
いわゆる科学哲学もどきの質問かな?
そら、そういうこと言うのならそのとおり、というしかない。
でも、だから何だ、というのだろうか?
科学とは、たとえそれが最後は人間の認知に依存するものであっても、極力
客観的に定量化し、理論構築と実験の一致を求めて探求する行為そのものが目
的なのだ。
ときどき、科学の専門書が難しいから読むのを諦めていて、しかしイッパシ
のことが言いたくて大上段に「科学哲学」的な議論を持ち出して煙に巻くヤツ
がいるが、そういう人の主張には、「どうだ、おまえらセンモンテキでコムツ
カしいことはよく知ってるだろうが、こんな基本的なことにだって問題がある
んだよ。知らなかったろう。へっどうだ!」とイキッているような屈折した心
理が読み取れてしまい笑ってしまう。残念ながら、科学を真面目に勉強してい
る人は、その程度の「科学哲学」など先刻承知していて、しかし具体的な科学
の研究にはちっとも役に立たないことを知っているから、そんなバカな話には
首を突っ込まないだけなのだ。
マッハのころ(相対論や量子論誕生前夜)の科学哲学なら最前線の科学者に
も影響を与えていたとは思うが、現在では科学の専門的な勉強をしない人のの
たまう「科学哲学」なるものが科学専門家に影響を与えることなどまずありえ
ないと見てよい。せいぜい社会科学系のエセ学者が自然科学を悪用するのを批
判する目的でしか使いものにならないであろう。
P.S. この文章は、1がそういう人だという意味ではないので誤解なきよう。
12 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/12(火) 19:58
カントなんてさあ 量子論的な話以前に
相対性理論と矛盾した事を書いてたジャン。
リーマン幾何とも反する記述もあったしさ。
物理学者にとって
もう、100年以上前からどうでもいい奴 >カント
13 :
相対論は1910年ごろ?:2001/06/12(火) 20:00
>100年以上前からどうでもいい奴 >カント
年のため
>百年近く前から
に訂正しとくよ。(W
14 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/12(火) 20:06
念のためだろ。そそっかしい奴だな
15 :
mint:2001/06/12(火) 23:31
カントが挙げた「先験的なもの」、つまり時間や空間
が、実は「相対的」(観測者に依存している)であった
ということを、12は言われているんだと思います。
量子論もそれと同じように、因果律に関して最早
「先験的」でないということで、カントの考え方
が最早、古典物理の範囲ではそのまま使えるものの、
現代物理では、ちょっと気をつけて使う必要が
あると言うことだと思います。
16 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/14(木) 14:56 ID:K71NBpu2
17 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/14(木) 21:38 ID:fJC9B0.k
>>1アンケート採って見ろ。どうも思っちゃいねーよ。
いまからここは、
>>1の質問に対するアンケートのスレとなります。
まずはオレ。
どうも思っていないに一票
どうも思っていないに俺も一票。
20 :
終ノ空:2001/06/15(金) 19:25 ID:2EGpfkHg
どうも思っていないにコッチも一票。
カントだかカントン包茎だかはどうでもいいに一票
かりんとうに一票