ショーペンハウアーが言った言葉に次の様なものがある。
『我々の世界像は、知性が外から与えられる諸印象を、時間・空間・因果律の形式に
いなおすことによって形成される』・・・と。
つまりだ、君は時間と空間をすべる諸法則を知っているだろう。
ニュートン力学に始まり、量子論、そして相対論などだ。
これらの法則には、決定的なファクターが欠けている。因果律だ。
科学にはな、決定的な欠点というべきものがある。
私達の国・・・日本も含めたオリエントでは、例えば因果応報とか、輪廻とか呼ばれる
概念があるだろう。これらの因果律は、科学の目で捕らえることはできず、
したがって自然科学の特質から中に取り込めずにいたのだ。
この国では古来からそれらの因果律を自らの内的観察、もしくは直感に基づいて既に知覚していた。
因果律というのはな、原因系から結果系へと流れる、ある種の観念のことだ。
時間をも包含する系のことだ。・・・ま、とにかく因果律とはそういうものだ。
上流から下流へ流れる流体のように、因果律も考えることができる。電圧なんかもそうだ。
電位差の高いところから、低いところへと電流は流れるわけだ。因果律も同じだ。
原因系から結果系へと流れてきた因果律は、さらに下流の原因系となり、あたかも流体素片が
移動していくように伝達される。川の流れのように。そこで我々はその流体素片を、事象素子と名付けた訳だ。
因果律の流れとは、事象素子の川を渡って、因果律が伝達される事を言う。
事象素子というのは事象科学で光子の反物質、イマジナリー空間を走るフォトンと定義している。
事象ポテンシャルの高いところから、低いところへと流れる流体素片のことだ。拡張流体力学を当てはめる。
並列世界とは、原因系から結果系が次々と生み出されていくその過程を意味する。
世界が次々と形成されていくってわけだ。原因系が存在している限りな・・・。
想像は難しいが、1つの木構造を考えて欲しい。あたかも根が土の中に張り巡らされるように・・・。
事象科学ではこの木を観念的にとらえることを要求する。「ブリンダーの木」と呼ばれるものだ。
原因系の事象に、あるファクターが与えられることにより、その下方には結果系の事象が成形される。
生成された結果系の事象は、さらにその下方にできるであろう事象の原因系となり、様々な事象を
生み出していくことになる・・・。その原因系の事象に別のファクターが与えられれば・・・
当然、その原因系から、違う結果系の事象を生み出すという事だな。しかし勘違いしてはいけない。
事象というのは時間のことではない。例えば、君が過去に戻ろうとした事象があるとする。
君がどのような行動を行なうかで、事象が様々に分岐する。君が過去に戻ったという事象・・・
そして戻らなかった事象だ・・・。時間をさかのぼったという事実も、この1つの事象に含まれてしまう。
時間をさかのぼったという歴史が、この「ブリンダーの木」に、単に記されるだけでしかない。
「ブリンダーの木」とやらは、黙々と事象を生成し続ける・・・人間が何をやろうとも。
時間をさかのぼることが、歴史を繰り返すことと同義でないのが、理解できたかな。
歴史とは「ブリンダーの木」に記される事柄と、そう定義している。この宇宙のあらゆるものは、
事象をたどっていけば、同じ所へ帰すると言われている。ただ、どの程度のレベルまでさかのぼれば、
同じになるのかは、わからない。
かなり簡略化されたツリー構造を見たに過ぎないが、ある事象レベルを過ぎると、事象の連続化現象が
起きている。大局的に見て同じ事が、何度も繰り返されている。
文字どおり、歴史を繰り返しているという事だ。因果律の伝達速度と事象粘性が、ある比を超えたところで、
因果律の流れが不安定になる。これを因果の渦という。因果の渦とはある原因系が、因果律の流れにおいて、
それ以外の結果系からくるものを言うんだ。原因が・・・それ以後の結果から導かれるってこと。
原因系AがBを生成し、BはCを生成する。ところがCは再び原因系Aを生成する。
A→B→C→A→B→・・・と続いていく。あくまで簡略化したモデルでの話だがな。
細部はかなり複雑で、その挙動はカオス的だ。だが大局的にみて、渦をまいている。
何度も何度も、ほぼ同じ歴史を繰り返していると言える。この「ほぼ」というのは、因果にも慣性力が
働くということだ。ただ、積み重ねられ、繰り返されている歴史は、それを巧みに回避しているのだな。
その辺がかなり微妙なんだ。つまり、毎回毎回、危機的状況が生まれて、それを回避するという
歴史があるってこと。その繰り返しが行なわれている。