自由意志の否定

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510今の抗精神薬治療で完治しないのは、発症原因特定の完全な誤り
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.    *** 今の抗精神薬治療で完治しないのは、発症原因特定の完全な誤り ***

原因不明の難病としてこんな病気があったらどうだろうか。 それは他人を見ると誰彼かまわず殴りかかる衝動が
起きて、それを実行してしまうという病気だ。 勿論これは仮りの話だが、その患者には病識があるので、
他人への暴力を防ぐために " 拘束具 " を付ける事に同意したとする。

その拘束具を付けた事で、病気が引き起こす患者の生存上の不具合は改善された。 それではその " 拘束具 " は
病気を完治する主因に成り得たのか。 無論それは完全に否定される、その拘束具は病気に付随する主症状を制限
するが、病気の原因に到達して原因を修復した訳ではないから、拘束具を外せば症状は再燃する。

長い話になったが要するに今現在の抗精神薬も、精神疾患に対して " 拘束具 " 程度の治療実績しか無いことを
言いたかった訳で、特に統合失調症などは未だに原因も特定されず、完治しない疾病とされている。

ではなぜ今現在の抗精神薬が拘束具程度かと言えば、
まずその薬理効果は患者の “ 意識活動意欲の全般 “ を減弱させることで、統合失調症特有の思考変容発生をも
抑え込もうという戦略だから、その治療を受ける患者は知的活動全般が低下するので、社会復帰のための職業従事
が著しく困難になる。

今は患者の病院隔離が見直されて職業訓練が勧められているが、いざ就業した患者がかなり短期間で離職して
長続きしないのは、抗精神薬治療による “ 知的活動全般の低下 “ のためである。
では抗精神薬を止めれば症状再発率がかなり高く、これでは統合失調症本態の改善とはとても言えない。

風邪であれば発熱や咳を抑える市販の風邪薬程度では完治せず、原因である風邪ウイルスの殺菌によって風邪は
完治するが、抗精神薬は統合失調症発症原因は不明のまま、精神活動全般を低下させて異常思考の発生を抑え込む
治療形態である。 このため分子薬理学や分子遺伝学や脳形態学まで総動員して、

統合失調症特有の異常思考だけを抑制できる抗精神薬の開発が進められているが、統合失調症の発症原因を
脳の生物的物質変性が原因とする限り、税金を巨額浪費したままの徒労に終わることだろう。
511精神疾患研究団体や製薬業界は、完治治療を故意に妨害している可能性:2013/02/28(木) 17:10:17.08 ID:8gP2FK4U
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.   *** 精神疾患研究団体や製薬業界は、完治治療を故意に妨害している可能性 ***

1952年のクロールプロマジン発見から現在まで続けられている抗精神薬は、しかし精神疾患治療に何を
もたらしたのか。 それはこの抗精神薬治療はかなりの長期治療を必要して、それでも完治することはなく、
それによって患者は多大の犠牲を払わされた。
それは前記したが、抗精神薬は患者の知的活動全般を低下させるので、投薬力価を強力にすると精神暴発する
患者はかなり少なくなり、精神活動意欲も減衰するので、治療者の指示に従順でおとなしい患者ばかりになる。

このことは粗末な治療施設に多人数の患者を押し込めて、少ない看護者で管理しても、患者がそれに反発したり
不満を申し立てることも無く、時に患者が粗末な治療に立腹すれば病勢が悪化したとみなして隔離し、
懲罰目的に投薬力価を最大にする等で管理できることに、治療者は気付いた。
これによって精神科治療は、非常に儲かる治療科目になったのである。

上記の事実は、栃木県宇都宮病院を始めとして数多くの患者虐待事件が日本で起きた。 この事実が日本特有の
事態か否かは定かではないが、フランスのような異端に対する寛容性とは違って、日本など東アジア諸国では
全体統率や均質性を求める国柄だから、
一旦このような原因不明の精神疾患を発症した患者は、かなり過酷な人生を送ったようだ。

日本の精神科治療は、長く続いた病院隔離政策から社会復帰を重点とした回復訓練治療へと大きく変わった。
しかし疾病の発症原因は未だ不明であり、抗精神薬は飲み続けなければならない。 この長期の病院隔離政策
によって多くの患者は、完治の希望も持てぬまま長期に隔離され、高齢化して家族は他界し完治しても
誰も引き取り手が無く、精神病院においてその不遇の人生を終えている。

日本の精神科治療政策は大きく変化したが、しかし日本の精神疾患治療研究は何ら旧態依然であり、
精神疾患の発症原因を新たな視点から探求することもなく、旧来の完治しない研究方針を今だに固持している。
このような完治しない治療によって製薬会社は大儲けをして、
それはまるで、この疾病が完治することを故意に妨げているかのようだ。
512統合失調症発症原因についての “ 以前 “ の意見:2013/02/28(木) 17:15:13.93 ID:8gP2FK4U
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.     *** 統合失調症発症原因についての “ 以前 “ の意見  ***

投稿者 ( eig35153 )は、統合失調症の発症原因についてかなり以前から、” 独自に探求 “ して来た。
唯物的自然科学が、人間の主体的自由意志を幻想として否定しているが、これは実に不思議であった。
そのため脳実体の ” 独自の探求 “ が進みその中で、脳実質には大きな損傷が無く、さらに脳画像でも症状に
相応した萎縮や欠損が無いにも係わらず、症状が激しい事例も多い統合失調症の発症原因について関心を持った。

.     ***  統合失調症の発症契機は、導入者無き催眠現象ではないか ***

統合失調症の発症原因について最初に関連を疑ったのは “ 催眠 “ である。 催眠は被験者に対して施術者が
かなり簡単に導入することから、外環境の刺激が導入者の役割を代理してしまい個体はそれに気付かないとしたら、
自然な催眠導入がさらに深化して、催眠からの離脱が困難になるのではという一つの仮定である。

.    *** 統合失調症の主症状も、先行原因に対抗する生体本来の精神反応ではないか  ***

次に、花粉症やアレルギーなどの免疫疾患に類推して、統合失調症の主症状とされるものでも、先行原因に対抗する
生体本来の精神反応ではないかとの疑問を持った。
何故なら一般健常者でも徹夜つづきで不眠になれば、幻聴らしきものを体験するし断眠実験ではそれが顕著になる。

陽性症状は主に幻聴や妄想が出現するが、先行原因は全く不明だとしても、陽性症状はそれを出現させることで
何らかの自己回復あるいは自己補完を行っているのではないか。 また統合失調症の陰性症状についても、
生体本来の精神反応として “ 思考を自ら減弱させる “ ことで、被影響性強制感を回避しているようにも思える。
513:2013/02/28(木) 17:18:59.79 ID:8gP2FK4U
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514自由意志を幻想とする唯物科学では統合失調症は完治し得ない:2013/02/28(木) 17:22:36.48 ID:8gP2FK4U
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.     *** 自由意志を幻想とする唯物科学では統合失調症は完治し得ない  ***

統合失調症の発症原因について今現在、主たる原因ではないかと思っているキーワードがある。 それは
イメージ生成は物質過程か ・ 時間概念の成立 ・ 自己という “ 自 “ の起原 ・ 意識とは何か

.         *** 夢 ・ イメージ ・ 意識の生成は物質過程か ***

( 疑問点1 )、意識を持つ人間と、岩石など非生物を含む全ての認識対象物の相互について、確実な絶対的独立状態が
存在しさらに、どこに至るまでも異質な固有状態であるのなら、それを生物が認知感覚器官によって知る場合の、
その知覚像は “ 絶対的な異質な差異 “ を保持し続けているのか。

( 疑問点2 )、上記したように観測に際して疑問点1 のような状況であるのなら、人間が日常での観測対象の認知と
それによって得られる認知内容が、その人間の思考上において “ 馴染む “ ことが果たして可能なのか。

疑問点1、と疑問点2、を検証するための問い。  読者のあなたに質問です。

まずあなたの身近に有る存在物、例えばコップがあるならそのコップを充分に見て、そのコップから視点を外してから、
知覚し記憶したそのコップを想起する。 そうするとコップのイメージあるいはコップの印象心像が浮かぶと思うが、
ではその時のコップのイメージなり印象像は、あなたが意志し作り上げた内的な思考世界に “ 属して “ いるか。
それから、得られた認知内容があなたの思考において、“ 属しかつ馴染む “ ための絶対条件は何だと思うか。

以上の問いに対してごく一般的な回答として、
得られた認知内容であるコップのイメージあるいはコップの印象心像は、観測者の内的思考で作られたものであり、
かつ特別な異質感は無く “ 思考に馴染んでいる “ と言える。 またそのことは自明 ( あたりまえ ) であり、
コップのイメージあるいはコップの印象心像が、現実的印象や独立感を持つことは無い。 ← 一般的回答
515外的認知内容がその人間の思考に馴染むための絶対条件は何か:2013/02/28(木) 17:27:19.17 ID:8gP2FK4U
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.      *** 外的認知内容がその人間の思考に馴染むための絶対条件は何か ***

ところが統合失調症の原因を考える場合に離人症を例とすると、離人症とは論理などの高次思考能力は
問題無いことが多いが、その人の現実実感であるとか存在実感が希薄になったと訴える症例である。
離人症 → http://www13.atpages.jp/seisinsoma/hrijin.html

この離人症は統合失調症群の基本症状だと思われる。 これは外界から得られた認知内容がその人の思考世界に
完全には属さずに、何らかの異質様相が認識内容に残存して、そのイメージ心像やそれ以上に、その人の
精神世界である意識に投影される現実外界までもが、以前の “ 連続的一体感 “ を喪失したのだと仮定する。

では人間の意識を構成する外界像が人間の思考に親和的であり、外的認知内容がその人間の思考に馴染むための
絶対条件とは、人間と認識対象相互との物質レベルにおいて、何らかの “ 連続的一体性 “ が在るのだと仮定する。

.      *** 光速度不変は、観測者と対象という対分域の不成立によって生じる ***

マイケルソンとモーレイが実証した、光速度測定者の運動状態とは無関係に光速度が一定であるという事実から、
光など微細状態の観測認識では、観測者と被対象物という対分域あるいはその境界があいまいになり、そのために
光速度は一定との測定値を得たのだと仮定する。

これは前記したコップの印象心像で言えば、コップを構成する微細粒子などの微細レベルの運動状態が、それを観測する
観測者の物質的微細レベルにおいて、何らかの “ 連続的一体性 “ が在ると主張することであり、そしてコップの
微細レベルが観測者の “ 認識イメージの成立に参加する “ と言うことだ。

これはイメージ生成が “ 人間の脳活動だけ “ に依ることを否定する。 人間の夢知覚では、実在しないイメージが
明瞭な心像として認識されることがあるが、夢知覚のイメージが睡眠時の脳活動暴走による思考生成だとすると、
展開はランダムであっても、夢知覚イメージ像の明瞭さや夢知覚像の現実類似した構成像について説明が出来ない。
516時間概念の成立と、自己という “ 自 “ の起原について:2013/02/28(木) 17:31:18.61 ID:8gP2FK4U
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.      *** 時間概念の成立と、自己という “ 自 “ の起原について ***

この、人間と認識対象相互との物質微細レベルにおいて、何らかの “ 連続的一体性 “ が在るのだと仮定することは、
時間概念の成立と、自己という “ 自 “ の起原について、解明の端緒を与える。
あなたが夜空を見上げて無数の星が輝く宇宙を眺めているとしよう。 この観測者と宇宙との間に物質微細レベルにおいて、
何らかの “ 連続的一体性 “ が在るということは、物質微細レベルにおいて “ 世界の同時的一体性 “ が在ることだ。

.      *** 決定論的物理作用だけの人工知能に、時間概念が生じるだろうか ***

人間であれ人工知能であれ時間概念が生じるには、” この瞬間の今という事実 “ が認識され実感されねばならない。
それでは人間は時間概念を有していると仮定して、何を基にして ” この瞬間の今 “ を特定するのか。
そして ” この瞬間の今 “ という概念が生じることで、過去 ・ 現在 ・ 未来という時間概念が成立する。

それは微細レベルでの汎連続的様相が、“ 人間の思考意識成立に参加する “ から可能になるのではないか。
何故なら時間とは観測対象全般の “ 変化 “ によって成立すると思われるが、その時点での観測対象の変化を
検出する思考担体が、対象外界と同様の唯物的物質構造を持った検知装置であるとしたら、
そのような物質的構成の人工知能が、自発的に “ 異質様相 “ な時間概念を持つだろうか、ということだ。 

外界変化を検出する装置自体あるいは変化検知部分が、外界の決定論的物理作用とは異質の様相を帯びていなければ、
そのような異質性は検出できないのではと思われる。
恐らく人工知能は ” この瞬間の今 “ と、過去とを何で区分するのか悩むことだろう。

人間が時間概念を持つのは、微細レベルでの汎連続的様相が “ 人間の思考成立に参加する “ からであり、その
微細レベルでの汎連続的一体様相によって、人間個人と世界との一体感覚である “ 世界の同時性 “ が感知される
のではないか。 そしてこの “ 世界の同時性 “ は、” この瞬間の今 “ と同意味でありそれを認識させる。
つまり物質的時間系列からは異質であり無時間的であるような、微細レベルでの汎連続的様相が、時間概念を生じさせる。
517ご冗談でしょう?名無しさん:2013/03/01(金) 10:54:30.19 ID:???
で?(鼻くそほじりながら
518.:2013/03/01(金) 13:10:59.50 ID:DXNsE/uA
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519ご冗談でしょう?名無しさん:2013/03/01(金) 13:20:37.64 ID:???
メコスジ道の肯定
520意識は脳の物質的属性とする場合の矛盾点:2013/03/01(金) 13:28:53.89 ID:DXNsE/uA
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.          *** 私という主体感覚の、連続的同一性についての疑問 ***

物質的脳が行為立案を行う場合、例として “ 水を飲むためにコップを取る “ という行為を物質脳が行なう場合、
“ 脳の物質的属性として意識が成立する “ のであれば、脳内では立案から実行に至るまで物質的な変化によるから
、その変化によって生じる主体意識も “ そのつどの主体 “ が成立していることになる。

物質的属性とした場合の主体意識の “ 連続性と同一性 “ は、変化しない記憶と独立した身体性によって成立すると
主張するなら、固定維持された記憶がそれを担うのであれば、回想される記憶は類似した内容であっても
そこに時間・空間の “ 差異 “ を認め得るのだから、その時点で成立した主体も当然 “ 差異 “ が生じる筈だ。

意識は脳の物質的属性であるなら、成長による身体変化でも、属性としての主体の同一性が維持されるのは、“ 記憶 “
が変化しないからだ、と主張するなら、物質的な脳の記憶領域及び記憶担体は、全ての “ 決定論的被影響 “ から、
独立している必要があるのではないか。
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521意識は脳の物質的属性とする場合の矛盾点:2013/03/01(金) 13:33:06.55 ID:DXNsE/uA
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.           *** 他者は私の見る世界と同じものを見ているのか ***

人間の思考器官が物質的脳だと仮定して、その活性により属性意識が生じる場合、その物質的脳で外界認識をする時、
外界から視覚器官に到達する光信号を生体電位に変換する過程や、
神経線維を走る信号強度やシナプス間での神経伝達物質の、濃度や受容感度には “ 個体差がある筈 “ だ。

さらに戦争や事故で脳実質に損傷を負った事例は相当数あるが、その事例について外界認識がどのように変化したかを
調べると、視野欠損や視野狭窄などがほとんどであり、外界が以前とは異質にように見えるなどといった、
外界そのものの変容を訴える事例は皆無の筈だ。

そのような過程を経て外界イメージが形成されるなら、人間各個体の外界はそれぞれ違ったものになる筈だが、この、
外界認識において “ 他者は私の見る世界と同じものを見ている “ という素朴な信念は、何を根拠にしているのか。

この人間個々人の外界像の同一性についても、微細レベルでの汎連続的様相が “ 人間の思考成立に参加する “ から
と思われる。  人間個々人の外界認識はこれにより同一性が成立する。 さらに成長段階の幼児の意味認識発達が、
人工知能に比較し得ないのは、微細レベルでの汎連続的様相が “ 人間の思考成立に参加する “ からであり、
この参加によって、親の教育という外界影響だけではなく、幼児の自発意志の成立が思考発達を促進させると思われる。
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522行為主体としての主体的自由意志の成立について:2013/03/01(金) 13:38:21.26 ID:DXNsE/uA
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.       *** 自己という “ 自 “ の起原と、主体的自由意志の成立について *** 

この、人間と認識対象相互との物質微細レベルにおいて、何らかの “ 連続的一体性 “ が在るのだと仮定することは、
自己という “ 自 “ の起原と、主体的自由意志の成立について解明の端緒を与える。
自然全体の中で、その個体内の志向性によって自律運動をする生命系と、その個体内には自発要素を持たずその運動は
外部からの “ 被影響 “ によるとみなされる物質系に二分される、というのが一般的解釈である。

.         *** 行為主体としての主体的自由意志の成立について ***

そのことをふまえて生物としての、行為主体としての主体的自由意志の成立について考える。 これは人間と認識対象
相互との物質微細レベルにおいて、何らかの “ 連続的一体性 “ が在るのだとすれば、その “ 連続的一体性 “ は
宇宙全般を指すことであり、なおかつ
宇宙全般は常に躍動しておりそこには躍動する動因が在るから、生物の主体的自由意志は当然その動因に依ることになる。

.      *** 物質構成だけの人工知能自身が、独立実体だと認識できるだろうか ***

外界他物と人間の思考内界とが分かち難いような汎連続的実体性が、生物一般の活動原則として生物内界に出現するとは、
端的に言えば微細レベルでの汎連続的様相が、“ 生物の思考成立に参加する “ ということである。
しかし人間個体は “ マクロ系にも “ 属しているから、人間の脳活動は、その異なる実在様相からの
“ 相律し相克して競合 “ が起きるだろう。
そして汎連続的全体様相を感知することで初めて、それとは異質なマクロ的独立実体の認識が可能になるのではないか。

この、人間の普通に生じる外界認識に対して、外界変容感とか現実感喪失といった意識障害が生じるのは、人間と認識対象
相互との物質微細レベルにおいて作用する、何らかの “ 連続的一体性 “ が消失することで、人間の自然な意志行使が
自己の主体性からではなく、不可解な他者性からの支配のような “ 決定性の様相 “ を帯びてしまうのではと考えられる。
523.:2013/03/01(金) 13:45:45.90 ID:DXNsE/uA
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524統合失調症の本態と症状形成:2013/03/01(金) 13:49:48.35 ID:DXNsE/uA
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.            *** 統合失調症の本態と症状形成 ***

この、人間の普通に生じる外界認識に対して、外界変容感とか現実感喪失といった意識障害が生じるのは、人間と認識対象
相互との物質微細レベルにおいて作用する、何らかの “ 連続的一体性 “ が消失することで、人間の自然な意志行使が
自己の主体性からではなく、不可解な他者性からの支配のような “ 決定性の様相 “ を帯びてしまうと考えられる。

特に統合失調症ではこれが症状の本質原因と考えられる。 脳活性の過剰あるいは意識活動が過剰になると、その個体での
マクロ的 ・ 微細的な領域の、自然な “ 異質同在 “ のバランスが崩れそのどちらかに偏移するのだろう。

統合失調症とは、自己意識の起原となる “ 連続的一体性 “ が意識から薄れるために、それは本来において
同時に意識されるべき、“ 未来は不確定 “ とする自然の非決定的可能性の“ 実感 “が薄れ、
現実の現象は “ 強い決定性を帯びて “ 生起していると実感されてしまうことである。
それはまさに自由意志の喪失であり、おそらくこのことは統合失調症の本態であると考えられる。

さらに統合失調症の主症状とされるものでも、先行原因に対抗する生体本来の精神反応と理解するべきである。
何故なら一般健常者でも徹夜つづきで不眠になれば、幻聴らしきものを体験するし断眠実験ではそれが顕著になる。
また統合失調症の陰性症状についても、生体本来の精神反応として思考を自ら減弱させることで、
“ 被影響性強制感 “ を回避しているようにも思える。

陰性症状は薬物治療の効果が弱く慢性経過の比率が高いとされるが、この症状群の傾向として自発的な精神活動抑制が
憶測されるために、自由を制限された精神病院での長期治療では、完治どころか在院によって症状は悪化するのである。
525自由意志を幻想とする唯物科学では統合失調症は完治し得ない:2013/03/01(金) 13:53:28.54 ID:DXNsE/uA
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.           *** 統合失調症の本態としての精神疲労 ***

最近ではTVなどで統合失調症の理解を広く周知させるために、統合失調症になられた人が実名や顔を公表して
闘病中や社会復帰の苦労などを話されることが多くなったが、その中で印象に残ったのは単一型と思われる人の
話だった。 幻聴などの幻覚・妄想 ( 陽性症状 ) の体験は一切無いが、
対人接触の場では理由の分からない疲労によって、とにかく疲れると話されていた。

通常での人間の思考や意志行為は、かなりの自由裁量という “ 多くの選択可能性 “ を伴っていると考えられる。
しかし統合失調症の本態ではこの思考や意志行為が、何らかの “ 大きな制約 “ を受けているようであり、
それは生物本来の自由度が原因不明な何らかの制約を受けることによって、思考や意志行為が自己の主体性から
ではなく、不可解な他者性からの支配のような “ 決定性の様相 “ を帯びてしまうのではと考えられる。

これは人工機械での行為決定が人間の指令であるように、本来であれば自然な “ 無意識的 “ な主体意志による
行為決定が、何らかの被受容的な様相を併せ持ってしまうために、
次々と起きる行為決定の場ではその一つ一つの決定について常に“ どうするかを考えねばならない “ 意識性が
生じて、このことが理由不明な精神疲労の原因ではないかと考えられる。

.      *** 自由意志を幻想とする唯物科学では統合失調症は完治し得ない ***

上記の指摘は文字どおり人間の自由意志であり、それによって多くの選択可能性を有していると言える。
しかし何らかの理由によって、人間と認識対象相互との物質微細レベルでの “ 連続的一体性 “ が減弱すると
したら、たちまちマクロな決定論的推移が思考活動にも反映されて、
そのため自由裁量や多くの選択可能性は消失して、“ 決定性の様相 “ を帯びてしまうのではないか。
526自由意志を幻想とする唯物科学では統合失調症は完治し得ない:2013/03/01(金) 13:57:47.75 ID:DXNsE/uA
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.      *** 自由意志を幻想とする唯物科学では統合失調症は完治し得ない ***

通常での人間の思考や意志行為は、かなりの自由裁量という “ 多くの選択可能性 “ を伴っていると考えられる。
しかし統合失調症の本態ではこの思考や意志行為が、何らかの “ 大きな制約 “ を受けているようであり、
それは生物本来の自由度が原因不明な何らかの制約を受けることによって、思考や意志行為が自己の主体性から
ではなく、不可解な他者性からの支配のような “ 決定性の様相 “ を帯びてしまうのではと考えられる。

↑ この部分は非常に重要であり、統合失調症発症原因の核心部分に迫る。

“ 人間の意志行為はかなりの自由裁量と多くの選択可能性 “、これは文字どおり人間の主体的自由意志を指す。
しかし従来の精神疾患治療は物質科学の視点から続けられており、なおかつ唯物科学は人間の主体的自由意志を
全く説明できないから、自由意志は幻想であるとしてこの問題をとりあげなかった。

それでは人間の自由意志はどのように成立して、その不全によって “ 決定性の様相 “ を帯びてしまうのか。
前記では、人間と認識対象相互との物質微細レベルにおいて、何らかの “ 連続的一体性 “ が在るのだと仮定
することは、自己という “ 自 “ の起原と、主体的自由意志の成立について解明の端緒を与える、 と記した。

この物質の微細レベルについては量子力学によって、従来の決定論的唯物性とは異なる様相の存在が示された。
その異なる様相とは、まず微細レベルでの各々の粒子の運動状態は、基本的に存在確率で表される非決定性であり、
人間の観測によって一意決定性へと収束する。 さらに明瞭な個有領域を持つとは言えず非局所性を持ち、状態
によってはそれによって遠方相関が表れる。

この物質の微細レベルでの様相が、人間の意識成立に参加するのだと仮定すると何か言えるのか。 それは
人間の生体活動でのマクロな決定論的推移と共に、
思考活動においては非決定性による ( 多様状態の現象可能性が潜在 ) していると考えられ、そのことは
自由裁量と多くの選択可能性が、 “ 仮想的実在 “ として存在していると言えるのではないか。