自由意志の否定

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225唯物科学はこれらの疑問に答えられない、1

これから提示する物理学あるいは脳科学での疑問点について、唯物科学はどのように答えるだろうか。
外国文献ばかり引用している丸暗記猿真似科学者は、解答の糸口さえ掴めないことだろう。

          *** 私という主体感覚の、連続的同一性についての疑問 ***

物質的脳が行為立案を行う場合、例として “ 水を飲むためにコップを取る “ という行為を物質脳が行なう場合、
“ 脳の物質的属性として意識が成立する “ のであれば、脳内では立案から実行に至るまで物質的な変化によるから
、その変化によって生じる主体意識も “ そのつどの主体 “ が成立していることになる。

物質的属性とした場合の主体意識の “ 連続性と同一性 “ は、変化しない記憶と独立した身体性によって成立すると
主張するなら、固定維持された記憶がそれを担うのであれば、回想される記憶は類似した内容であっても
そこに 時間・空間の “ 差異 “ を認め得るのだから、その時点で成立した主体も当然 “ 差異 “ が生じる筈だ。

意識は脳の物質的属性であるなら、成長による身体変化でも、属性としての主体の同一性が維持されるのは、“ 記憶 “
が変化しないからだ、と主張するなら、物質的な脳の記憶領域及び記憶担体は、全ての “ 決定論的被影響 “ から、
不完全でも独立している必要があるのではないか。
例えば有名観光地の同じ風景を年月を変えて記憶する場合など、それを想起する時に時間差異が認識されるのなら、
その時点でその “ 風景全般 “ を記憶した主体と、現在の主体とには “ 差異 “ が生じている筈だ。
226唯物科学はこれらの疑問に答えられない、2:2012/02/20(月) 16:06:52.55 ID:6rK1s7un

.   *** 光速度不変 ・ 量子観測での対応変化 ・ 生物自律性を唯物論は説明できない ***

それでは生物特徴である個体の自律性、特に人間個体での主体意志による行動選択はどのようにして成立するのか。
その行動選択や思考決定は脳が担うだろう。 それは進化と共に洗練されたものであり、視覚認識ですら外界の表層を
視認するだけのものではない。
それは人間の意識という、自然の表層認識だけでは不可能な汎連続的一体世界が、人間の思考内界には成立しており
これは自然の微細レベル様相である、
観測者と観測対象とを区分する境界が不確定な連続様相が、” 物質的様相と共に “ 認識されることで成立する。

このような微細レベルでの汎連続的様相とマクロレベルでの物質的様相が、宇宙全体あるいは世界総体の運動において、
“ 相律し相克して競合 “ することで、自然世界は成り立っていると考えられる。
このことは人間の自由意志成立を考える場合でも、それがミクロ系の運動理論である “ 量子力学的挙動だけ “ の
原因と考えるよりも、その双方の異質様相が “ 相律し相克して競合 “ していると考える方が自然である。

人間の認識意識が、マクロレベルでの物質的認識と共に微細レベルでの汎連続的様相認識だとする根拠として、
光速度不変の事実がありアインシュタインはそれを原理としたが説明はできなかった。 また
量子力学では観測手段に即応する粒子群の挙動変化や、複合する確率的現象可能性からの現実成立には何が主に関与
するかについて、あるいは生物一般の自律性について唯物科学は全く説明できない。

唯物科学はこの宇宙世界が、有限領域を持った物質で全てが構成されると考えるから上記の問題には答えられない。
その物質の領域境界が不確実になり、汎連続的様相を持つレベルが在るとすれば上記の答えになる “ 可能性 “ がある。
227唯物科学はこれらの疑問に答えられない、3:2012/02/20(月) 16:12:24.12 ID:6rK1s7un

.      *** 決定論的物理作用だけの人工知能に、時間概念が生じるだろうか ***

人間であれ人工知能であれ時間概念が生じるには、” この瞬間の今という事実 “ が認識され実感されねばならない。
それでは人間は時間概念を有していると仮定して、何を基にして ” この瞬間の今 “ を特定するのか。
そして ” この瞬間の今 “ という概念が生じることで、過去 ・ 現在 ・ 未来という時間概念が成立する。

それは微細レベルでの汎連続的様相が、“ 人間の思考意識成立に参加する “ から可能になるのではないか。
何故なら時間とは観測対象全般の “ 変化 “ によって成立すると思われるが、その時点での観測対象の変化を
検出する思考担体が、外界と同様の物質的変化による検知装置であるとしたら、
そのような物質的構成の人工知能が、自発的に “ 異質様相 “ な時間概念を持つだろうか、ということだ。 

外界変化を検出する装置自体あるいは変化検知部分が、外界の決定論的物理作用とは異質の様相を帯びていなければ、
そのような異質性は検出できないのではと思われる。
恐らく人工知能は ” この瞬間の今 “ と、過去とを何で区分するのか悩むことだろう。

人間が時間概念を持つのは、微細レベルでの汎連続的様相が “ 人間の思考成立に参加する “ からであり、その
微細レベルでの汎連続的一体様相によって、人間個人と世界との一体感覚である “ 世界の同時性 “ が感知される
のではないか。 そしてこの “ 世界の同時性 “ は、” この瞬間の今 “ と同意味でありそれを認識させる。

つまり物質的時間系列からは異質であり無時間的であるような、微細レベルでの汎連続的様相が、
時間概念を生じさせると思われる。
228唯物科学はこれらの疑問に答えられない、3:2012/02/20(月) 16:18:10.72 ID:6rK1s7un

.   *** 物質構成だけの人工知能自身が、独立実体だと認識できるだろうか ***

外界他物と人間の思考内界とが分かち難いような汎連続的実体性が、生物一般の活動原則として生物内界に出現する、
とは、 端的に言えば微細レベルでの汎連続的様相が、“ 生物の思考成立に参加する “ ということである。
しかし人間個体は “ マクロ系にも “ 属しているから、
人間の脳活動は、その異なる実在様相からの “ 相律し相克して競合 “ が起きるだろう。 そして
汎連続的全体様相を感知することで初めて、それとは異質なマクロ的独立実体の認識が可能になるのではないか。

この、人間の普通に生じる外界認識に対して、外界変容感とか現実感喪失といった表現が使われる意識障害がある。
発症頻度はそれ程多くなく社会生活が困難になる事例はさらに少ないようだが、現代医学でも原因不明とされる。

離人症性障害   DSM-IVの診断基準
→ http://www.geocities.jp/makibow0306/ladies/rijin/syoujou.htm

自分の精神過程または身体から遊離して、あたかも自分が外部の傍観者であるかのように感じる持続的または反復的体験。
離人体験の間、現実検討は正常に保たれている。
離人症状は臨床的に著しい苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
離人体験は、他の精神疾患や神経疾患の経過中にのみ合併して起こるものではなく、物質(例:乱用薬物、投薬)または、
その他の一般身体疾患(例:側頭葉てんかん)の直接的な生理学的作用によるものでもない。
229唯物科学はこれらの疑問に答えられない、5:2012/02/20(月) 16:23:36.42 ID:6rK1s7un

             *** 言語の相違と認識の同一性 ***

人間の思考器官が物質的脳だと仮定して、その活性により属性意識が生じる場合、その物質的脳で外界認識をする時、
外界から視覚器官に到達する光信号を生体電位に変換する過程や、神経線維を走る信号強度やシナプス間での神経伝達
物質の、濃度や受容感度には “ 個体差がある筈 “ だから、
そのような過程を経て外界イメージが形成されるなら、人間各個体の外界はそれぞれ違ったものになると思える。

また、人間が対象を認識した際のそれに意味名称を付けて、他者との意志疎通手段に使用する言語に、
日本語や外国語あるいは各地の方言のような相違があるのは何故だろうか。
この疑問には、人間の生活環境の差異によって生じたと考えれば説明は付くが、それならば
外界認識において “ 他者は私の見る世界と同じものを見ている “ という素朴な信念は、何を根拠にしているのか。

この人間個々人の、言語の多様性と外界像の同一性についても、微細レベルでの汎連続的様相が “ 人間の思考成立に
参加する “ からであると思われる。  人間個々人の外界認識はこれにより同一性が成立するが、
言語起源は脳のマクロレベルの結果 “ でも “ ある。
しかし成長段階の幼児の意味認識発達が、人工知能に比較し得ないのは、
微細レベルでの汎連続的様相が “ 人間の思考成立に参加する “ からであり、この参加によって、
親の教育という外界影響だけではなく、幼児の自発意志成立が思考発達を促進させると思われる。