茂木健一郎氏の、『脳とクオリア』・第9章6節での自由意志否定の論拠は、
アメリカ軽薄哲学界の著名人であるジョン ・ サール氏の自由意志否定論拠の引用で始まる。
茂木健一郎 『脳とクオリア』・第9章6節 アンサンブル限定のついた自由意志
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http://anond.hatelabo.jp/20090812065712 たとえ量子力学が自由意志の起源になり得たとしても、その自由意志は、本当の意味では「自由」ではない。
何故ならば、量子力学は個々の選択機会の結果は予想できないが、集合のレベルでは完全に決定論的な法則だ。
. *** 自由意志を量子的不確実性と仮定しても、説明不足では意味が無い ***
それでは一人の人間の意志決定に、その量子力学的不確実性が “ どのように作用する “ のか。
サール氏と茂木氏の自由意志否定論拠の説明には、この最も重要な核心部分が抜け落ちている。
これは量子力学の自然の内奥に存在する、決定論とは対極にあるような挙動運動が、
人間の自由意志を仮定するのに都合が良いからと、実に安易に説明されたのではないか。
茂木健一郎氏の自由意志否定の説明にも、 ↓
一人一人が何歳で結婚するかという問題を考えて見よう。 私たち一人一人は何歳で結婚するかを、自由意志に
基づいて決定していると思っている。 確かに、ある人が何歳で結婚するかは完全に予想することは不可能である。
だが、社会での人々の集合 ( 集団動向 ) をとってくると、人々が確率的に何歳で結婚するかについては、
厳密な社会科学的な法則が成立するように思われる。 つまり、個々人の選択機会は
自由があるように見えるのに、そのような選択機会の集団傾向では、その振る舞いは決定論的で自由はないのである。
↑ それはそうだろう。 人間個々人は自然的なものとして、老化や結婚適齢期を “ 前もって知っている “、
さらに “ 人間個々人の自由意志 “ を語るには、そのうえでの自由意志を語らねばならないのに、
人間集団の統計分布のある年齢層にピークが有るからその集団動向は決定論的というが、しかしそれを理由に
人間個々人の自由意志は否定できるだろうか。 それは “ 自由意志を含めた “ 自然の動向ではないか。