自由意志の否定

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140自由意志を幻想とする唯物論は完全な誤り

           *** 自由意志を幻想とする唯物論は完全な誤り ***

リベットの実験によって、人間の自由意志は幻想だの錯覚などと言う唯物論者の論理の破綻は、次の点に見て取れる。
“ モニターの指点がそこに来た時に、その意志が生じたかを被験者に後で教えてもらって・・・ “
実験は時間解像度の高い脳活動計測や筋電活動計測によって計られるが、人間の自由意志開始も同様の計測によって測定可能という、
単純な神経系の励起である筋電位と複雑な脳活動である精神の始発とが、唯物論者ならではの物質的同一視座から考えられている。

説明は全て物質的決定論からの知見に基づいたものであれば、論証には極めて大きな不合理が生じる。
理由として実に簡単なことだが、一定時間内の被験者の任意の瞬間に指を曲げる、という課題について、指が曲がり始める際の、
筋収縮や筋伸張を刺激する神経系は特定されており、複雑ではない。 しかし自由意志を否定した上での “ 任意の行使 “ では、
唯物的なあらゆる物質的影響が関連するだろうし、それは “ 実験環境内の雰囲気 “ すら排除できない。

そのような機械計測に掛からない要素を含めて、” 唯物論での自由意志 “ は開始されるだろう。 すなわちそれは “ 指曲げ “
に係わる過去の記憶あるいは今現在の身体姿勢や実験環境の変化など、諸々の情報が “ 加算総和 “ されて計測電位がピークに
なれば、それが脳前頭活動の準備電位となるかも知れないが、しかしそれより先行する被影響を唯物論は無視できない。

さらに、白熱した議論での即答応酬などのように、相手の論点を理解しその応答として言明を組み立てて即答で発話する場合や、
ピンポンのような俊敏さを必要とするスポーツでの瞬時の判断など、リベットの実験からはこのことを全く説明できない。 ( 投稿、eig35153 )