自由意志の否定

このエントリーをはてなブックマークに追加
131タイムマシンを可能とする佐藤勝彦氏の解説には矛盾を含む

時間や空間を行き来できるタイムマシンは実現可能なのか。 ずばり未来への移動は可能だ。
むしろ 「 日常的に、あなたも未来に移動している 」。 高速に移動している乗り物の中は時間の進み方が相対的に
遅くなることがわかっている。 つまり 「 光速 」 に近づくほど時間の流れは遅くなる。 ( 佐藤勝彦氏解説 )

.       *** タイムマシンを可能とする佐藤勝彦氏の解説には矛盾を含む ***

今ではタイムマシンや双子のパラドックスの矛盾点を指摘する場合に、どのようなアイデアで論破するのかではなく、
どれ位の “ 文字数の少なさ “ で論破できるか、という段階に来た。 このマクロな現実世界でのタイムマシンについて、
高速運動で生じるとされる時間遅延についてその矛盾を指摘するのなら、それを体験する人間について考慮すればよい。

今から高速運動をする体験者に課題が出された。 それはその体験者が未だ知らない歌謡曲を、高速運動中に覚えろという
ものだ。 体験者は高速運動中に録音された歌謡曲を何回か再生して、地球基準系に帰還するまでにその歌謡曲を覚えた。
問題は体験者が地球基準系で “ その歌謡曲をまともに歌えるか “、ということだ。

高速運動で生じるとされる時間遅延は、例えばそれが10年の時間差が生じるなら、体験者はそれに応じた容姿になる
だろうし、ゼンマイ時計も原子時計もその時間差異を示すだろう。
高速運動体内部では地球基準系に対して時間はゆっくりと過ぎる。 高速運動中に体験者が歌謡曲を覚える過程も、
さらには、体験者が歌謡曲を記憶に定着させるなどの脳思考活動も、地球基準系に対してはゆっくりと行われる。

高速運動中の、ゆっくりと悠長な脳思考活動によって定着させた歌謡曲の記憶を、地球基準系で想起する場合に、
地球基準系に合ったリズムでそれは歌われるだろうか。
もしそれが地球基準系のリズムだとすると、体験者の容姿は時間遅延の過程が残っており、時計も明らかに時間遅延を
示しているのに、体験者の意識や記憶は何の時間遅延も残らないのは矛盾にはならないのか。

もしこの指摘が正しいのならそれは歌謡曲の記憶だけに限ったことでは無い。
高速運動中の、体験者の脳思考活動全般でそれは起きることになる。 ( 投稿、eig35153 )
132相対論信奉者を不安にさせる指摘:2011/10/08(土) 13:58:12.52 ID:aV0ErKWz

.     *** 時間差異は、人間の意識には “ 時間差異 “ を生じさせないのか ***

双子がいて、高速運動系は高速A ・ 静止系にいるのは静止Bとして、高速Aが10時間経過したのに対して
静止Bは20時間経過したとする。  高速Aは、高速運動するロケット内部を記録するため20時間位
記録可能な録画テープを使用して、発進から帰還までの10時間を撮影して帰還した。
さてここで問題です。
・ その記録テープを、元々静止系にある同じ再生機器で全部見ると何時間何分かかるだろうか。

答えは10時間です。 例えば運動系と静止系のそれぞれは同じ録画テープを持ち、テープには1分単位ごとに一マスの
区切りがあり、そこへ1分に1回づつ一マスに点を機械作業として打っていくとすれば、その作業遂行に要する時間は
双方で差違が生じるが、帰還した時点で ” テープ自体に伸縮などの変化は起きない “ ので10時間ぶんの点の数がある。

それではもう一度問題です。 上記と同じ設定で、
高速Aは、高速運動するロケット内部を記録するため、 “ 撮影と同時に生成される録画テープ “ を使用して、
発進から帰還までの10時間を撮影して帰還した。
・ その記録テープを元々静止系にあった同じ再生機器で全部見ることは、それは “ 可能か ”。

実際には “ 撮影と同時に生成される録画テープ “ なるものは有りませんが、これは人間の記憶を考える場合に、
容貌には相応の変化が生じるように、脳も同様に “ 時間差異 “ による変化が生じるなら、記憶などの生化学的過程は
機械のような “ 固定構造による情報定着 “ ではないから、それを喩えれば、
記録機器の内部構造やテープの長さであっても “ 刻々と変化している “ ことになり、運動系と静止系での
脳の思考遂行での脳の各部分の状態は同一ではなく、その中での思考速度や記憶内容には相違が生じると思われる。 ( 投稿、eig35153 )
133自由意志は幻想とする唯物論は完全な誤り:2011/10/08(土) 14:02:32.63 ID:aV0ErKWz

.     *** 時間差異が生じるなら、高速運動開始以前の同時的履歴はどうなるのか ***

高速運動開始前の、高速系Aと静止系Bの頭には原子時計が付けてあり時間は一致している。
高速運動開始直前に、高速系Aと静止系Bは 1月30日の12時00分に握手をしようと “ 口約束 “ をする。
時間遅延差は 24時間になるように高速系Aは高速運動を開始して、地球に1月28日の12時00分に帰還した。

今現在、静止系の時間は1月30日の12時00分である。 高速系Aの時計は 1月29日の12時00分を指している。
高速系Aにとっては未だ握手の時間は来ていないが、静止系Bにとっては握手の約束時間である 1月30日の
12時00分が来たので握手をしようとした。  この時高速系Aは、静止系Bと握手をしようと “ 口約束 “ した
ことを思い出して、静止系Bと握手を “ 同時的 “ に実行するだろうか。

        *** 時間差異は、意識を含めた生体全体に起きるはずだ ***

この指摘の最も重要な点は、高速系Aがそれ以前に静止系に存在していたのなら、静止系に帰還して再びその静止系
時間世界に “ 同期 “ する時、高速系Aは “ 意識を含めた全てにおいて “ 時間差異が生じているはずであり、
その “ 記憶全般 “ においても時間差異が生じるのなら、高速運動開始以前から静止系世界と高速系Aの双方について、
継時的に成立するはずの “ 全履歴的な同時性 “ に差異が生じることであって、これは単に記憶の問題に留まらない。 

つまり高速運動開始前に、高速系Aが地球帰還後に静止系Bと握手をしようと “ 口約束 “ をした、その高速運動
開始前の同時性は、高速系Aの記憶だけではなく地球帰還後の高速系Aの時間系の中では既に破綻している。

それでも高速系Aが、この帰還した世界は私よりも24時間早く進んだ世界だと “ 知り得るためには “ 、
静止系にいる人と全く同じ ” 高速運動開始以前から続く依然として静止系のままの客観的 “ な時間尺度を、
意識を含めた生体全般において時間差異が生じているその人が “ 同時複合して持つ必要があり “
これはかなり大きな矛盾になるような気がする。  “ 意識は脳の物質的属性 “ とするなら、なおさらのことだ。 ( 投稿、eig35153 )
134丸暗記バカがその知識を適用すればよい時代は終わった:2011/10/08(土) 14:08:50.53 ID:aV0ErKWz

中国でも昔科挙を実施していたが現代の理論系科学研究者を例としても、その適任者として選任するまでの段階では
かなりの注意が払われる。 しかし一旦選任されてしまえば、本来の目的である科学的成果を出せなくても生涯に渡り
税金で生活保障がされるため研究自体の緊張感がほとんど無いに等しい。
さらに税金を支払う側の国民も間抜けなので、無能な公的執務者は追放せよという意見も大勢にはならない。

.       *** 丸暗記バカがその知識を適用すればよい時代は終わった ***

日本の明治期より、西欧の科学技術に追いつけとの掛け声のもとに、その知識詰め込み教育は始まった。 その時代は
PCなど人間の記憶能力を代理するものが無く、とにかく西欧が得ている知識を吸収して “ 歩く百科事典 “ になること
が求められた。 これは精密技術などの分野で、西欧を追い越した現在もなお続いている日本の教育現状である。

しかしそれは東洋人の “ 収集の強欲 “ のために、教育段階であるにも係わらず競争が持ち込まれた結果である。
丸暗記した知識を適用するだけの、そしてたかだか数時間の試験点数が、人生の将来まで決めるというシステムなので、
その強迫的スピード進学競争のために、
子供なりの “ 覚えた知識を噛み砕いて身につける “ という創意工夫の過程が、あっさりと省かれている。

今迄東洋でその人口比に対して、歴史に残る学問的成果が出ない原因はその “ 収集の強欲の性癖 “ のためである。
理論系の日本の学者にしてもアメリカの主要研究所にいる中国系の学者にしても、数学的な記号操作の多くをよく記憶して
いるが、その思考様式は電卓に記憶された柔軟性の無い固定プログラムに似ており、それでは学問の冒険的発展には寄与しない。

東洋的な基礎科学について言えるのは、科学全般について数学的厳密性を重視しているように見えるが、それは西欧文化の
論理実証の猿真似に過ぎず、さらに東洋の数学は “ 依存的な過度の絶対視による儀式 “ である。 
これは自然を人間の記号論理に無理に適合させる努力であり、その背景となる想像性、言い換えれば自然像を新しい視点から
再構成する冒険的探究心が全く欠如しているためで、部分の詳細をいくら追及しても全体像は見えない。 ( 投稿、eig35153 )