>>77 >それは、「電子が両方の穴に同時に存在する状態」
>とは違うんじゃない?
それは「電子が両方の穴に同時に存在する状態」を記述する波動関数が
数学的に定義されていて、
その波動関数が、「電子が右の穴に存在する状態」を記述する波動関数と
「電子が左の穴に存在する状態」を記述する波動関数との重ね合わせと
等しくないという意味?
>>76 × 「誰も見ていなければ、そこに月は存在しない」
○ 「誰も見ていなければ、そこに月は存在するとは言えない」
だれも見ていないんだから、存在しないとは言い切れない
>>74 >ということすら、疑うのが実在論の議論するところ。
というのは、確かにその通りだし、
>>70の初めにも断ったけど
科学的実在論の論争でそこまで話を広げると議論が拡大して仕方ないし、
おそらくその論争は(もちろん哲学的には有益であるけど)科学という営みを理解するのには多分寄与しないから、
「知覚で直接認識できるものは実在する」ととりあえず認めるのはとりあえず前提としようと
(実際、そう仮定するのは「自然」なことではある)
哲学は無論必要とあらばあらゆることを疑うものだけど、
必要でないならばとりあえず認めてしまって、重要な論点に労力を集中させるのもよくやること
何の議論するに当たってもいちいちdes Cartesまで戻ってたらお話にならないので
>>75 そういえば、そんなことも過去に書いてたかも
>>78 >暫定的に信じてよかろう
ってのは、ある種開き直りだけど、まあ「自然」な意見としてありっちゃありではある
が、「暫定的」ってことは「やっぱり実在しない可能性もある」って認めちゃってるわけでしょ?
普通科学的実在論の人は、そんな日和った「暫定的」なんて言葉使わないで実在性を主張しようと論陣張ってる
>そもそも「実在」なる概念を人間が獲得し、
>それを重視するようになったのは、
俺は哲学には詳しくないのでその辺の経緯は分かんないけど、
>「われわれの認識と独立してこの世界に存在する」という
>モデルが世界の系統的な認識に便利だからではないのか?
現代の反実在論はvan Fraasenの構成的経験主義なる考えが主流で、
科学理論は実験データを説明するものでありさえすればよく、
世界が「本当にその通りになっている」かどうかはどうでもよいとする
即ち、カロリック説は、現代の観点からすれば「世界の本当のあり方」とは離れているように思えるが、
一応当時は実験データをきちんと説明している理論だったわけだしね
そういう意味で、科学に登場する概念が「われわれの認識と独立してこの世界に存在する」と考えなくとも、
世界の系統的な認識は可能だと思う
>「認識と独立してこの世界に存在するもの」と
>「あたかも認識と独立してこの世界に存在するように完全に振る舞うが、
>実は認識されていないときには存在しないもの」を
>区別することは原理的に不可能なのでないか?
そりゃ不可能なんじゃないの?
ただ、科学的実在論の論争がそういうレベルの話になったということは聞いたことがなく、
あくまで「認識と独立してこの世界に存在するように完全に振る舞う」かどうかが議論の対象になってると思うが
>>82 >そういう意味で、科学に登場する概念が「われわれの認識と独立してこの世界に存在する」と考えなくとも、
>世界の系統的な認識は可能だと思う
うーんと、
「実在」なるものが存在するということを暫定的な指針にして
今手にすることが出来る実験事実を系統的に理解しようとしているんだろう。
当時は知られていた現象の背後に「カロリック」なる実在が存在するのでは?と
考えたんだろうし。
どのモデルが「実在」言い当てているかは、
そのモデルによる解釈がどれくらい現実の現象に妥当するかで
判断するしかないもんね。
そして、モデルを覆す事実がないか永久にチェックし続けるしかない。
神ならぬ人間はね。
科学のユニバーサリティと反証可能性の重視という奴だな。
新しい実験的知見か、もっとよい代替案でない限り、
電子が実在でないと気付くことはできないわな。
それまでは電子が実在すると考えておくしかないのでは?
>>81 >哲学は無論必要とあらばあらゆることを疑うものだけど、
>必要でないならばとりあえず認めてしまって、重要な論点に労力を集中させるのもよくやること
これは自分勝手だね。物理学に対しては、「電子の実在を疑う必要性がないから、
取りあえず認めてしまって、重要な論点に労力を集中させる」というのを禁止するくせに?
なんていうか、物理かぶれ?違うか、言葉が思い出せないが
物理学から距離を置いた位置にいるにもかかわらず
文系よろしく無意味な長文並べるのはなんでだろう
>>83-84 >「実在」なるものが存在するということを暫定的な指針にして
>今手にすることが出来る実験事実を系統的に理解しようとしているんだろう。
要するにだな、反実在論の主張の根幹は「別に電子が実在しなきゃならないなんて考える必要ないじゃん」ってこと
例えば、道具主義なんて考え方は、
別に電子なんて概念が実在していようといまいと、
そういう概念を考えて、それを道具として使って実験データがうまく説明できるのだからそれで充分だとするわけ
実在の仮定は、科学に何ら指針として必要ないとする考え
我々の科学に出てくる理論が実験データを言い当てていることと、
その背後にちゃんと実在があることの間には何ら自明な関係はないから、
実在を主張するならばその間を埋める必要がある
(それを埋める実在論側の有力な論法がPutnamによる「奇跡論法」だけど)
>物理学に対しては、「電子の実在を疑う必要性がないから、
>取りあえず認めてしまって、重要な論点に労力を集中させる」というのを禁止するくせに?
どっかで禁止してた?
むしろ俺は物理学は実在論争にタッチせず、実験に基づいた議論のみをすべきという立場だけど
無論、この論争が何ら物理現象の理解には結びつかないが、
物理学の基礎づけとして、物理に出てくる概念とはどういうものなのか明晰化してくれるという、
物理学に対してメタ的な理解を与える大きな意義を感じてる
ちなみに、光は実在しないがフォトンは実在すると主張する方がよっぽど苦しいと思うけど、
それでも茨の道を歩きたいなら光とか熱とかの実在性を否定して議論を始めても構わないよ
(議論が苦しくなるのは実在論側だけで、反実在論には全く影響ないので)
>>85 まあ、物理分かろうとする気がないやつがFeynman読んでも、無意味な長文に思えるだろうなあ
俺自身は本職は物理だから、距離置いてるわけでも何でもないし
むしろ哲学の方が正規の教育受けてない分突っ込みどころ満載だと思う
>>86 >別に電子なんて概念が実在していようといまいと、
>そういう概念を考えて、それを道具として使って実験データがうまく説明できるのだからそれで充分だとするわけ
まあ、論文を書くにはそれで充分だね。
ただ、個別の事例をそのときどきの人間の認識に依存させて
場当たり的に説明しているのではなく、
過去も未来も人間とは独立して電子が実在するかのような
モデルを立てて使用しているので
いささか倒錯した感じがしないではないが。
だが、それは心の問題と言えば心の問題だねえ。
>>87 >いささか倒錯した感じがしないではないが。
うん、そういう「不自然だろ」って方向からの反論は筋としては悪くない
が、
>心の問題と言えば心の問題
という通り、圧倒的におかしいってわけでもないから、有力な反論というわけではないのが今のところかな
>>86 >どっかで禁止してた?
「科学の分野では『実在』という語を使ってはいけない」の人なんでしょ?
禁止してるじゃん。
ちなみに俺は「光とフォトンは同じもので、実在する」と考えているから。
あと、実在という言葉をあなたほど高貴なものと考えていないから、
「間違っていれば、それに気づいたときに訂正すればいい」という立場ね。
>>89 >「科学の分野では『実在』という語を使ってはいけない」の人なんでしょ?
>禁止してるじゃん。
ああ、そこのことね
それは禁止する理由の問題だけど
>>81の
>哲学は無論必要とあらばあらゆることを疑うものだけど、
>必要でないならばとりあえず認めてしまって、重要な論点に労力を集中させるのもよくやること
は形而上学の話
実験で検証も反証も不可能な実在に関する命題を科学の文脈で「とりあえず認めたい」ならどうぞご自由に
その代わり科学は単なる形而上学の1つに成り下がるけど
俺が「科学は実在論争に口を出すべきではない」としているのは、科学はあくまで実験に依拠するべきだという考えから
>「間違っていれば、それに気づいたときに訂正すればいい」
これは
>>82にも書いたけど、日和った考えだよね
加えて言えば、悲観的帰納法の名の通り帰納法を用いると、
「天球は科学の発展に伴い否定された」
「フロギストンは科学の発展に伴い否定された」
「(生気説の)生気は科学の発展に伴い否定された」
「エーテルは科学の発展に伴い否定された」
……
「従ってあらゆる概念は科学の発展に伴い否定されると考えられる」
ということになる
だから、
>「間違っていれば、それに気づいたときに訂正すればいい」
に対して「間違っていないものなどないんじゃないの?」という批判についてはどう答える?
>>90 悲観的帰納法というのは詭弁にしか見えないけど。
「フェルマーの最終定理は解くことができた」
「ポアンカレ予想は解くことができた」
……
したがって「どのような数学的命題も証明を与えることができる」?
あるいは、帰納法を用いた結果、誤った結論に至るような事例を複数集めて、
「帰納法を用いた推論は正しくない結論を導く」を導いて見せようか?
悲観的帰納法というもの、これらの同類だね。
>だから、
>>「間違っていれば、それに気づいたときに訂正すればいい」
>に対して「間違っていないものなどないんじゃないの?」という批判についてはどう答える?
物理学的概念が間違っている可能性を完全に排除できないことと、
実際に間違っていることとを混同するべきではない。
「訂正するのは、間違っていることが示されてからで良い」ということだね。
>>91 >したがって「どのような数学的命題も証明を与えることができる」?
それ、反例があるから帰納法になってないじゃん
(「どのような数学的命題も証明または反証を与えることができる」にしたってGödelが反例構成してるし)
悲観的帰納法の主張は原理的に反例を構成するのが不可能だから、反例を要求するのはアンフェアだけど、
反例とまで行かずとも、どれだけ極端なスケールの実験結果から作られた理論でも、
決して否定されることのない概念が存在すると信じるに足る説明を与えないなら、
悲観的帰納法の「もっともらしさ」を覆す反論には到底なり得ないね
ちなみにこういう反証可能性のない帰納法でもっともらしいものは実際構成できて、
「独裁であるフランコ政権は民主化された」
「独裁であるピノチェト政権は民主化された」
……
「従って独裁政権は民主化されるだろう」
というもの
>物理学的概念が間違っている可能性を完全に排除できないことと、
>実際に間違っていることとを混同するべきではない。
そういうこと言い出せば、
これから先も独裁政権が民主化される可能性があることを完全に排除できないことと、
実際に独裁政権は必ず民主化されるということを混同するべきではない
とかいうことになって、まともな帰納的推論ができなくなる
普通、こういう帰納的推論には、
「金政権はこういう理由で既に民主化された事例とは異なるから北朝鮮が民主化されることはないだろう」
とか反論しないと説得力がないでしょ?
>>92 >反例があるから帰納法になってないじゃん
反例があるから帰納法でないとは、初耳だね。
帰納法について何か勘違いしていないかい?
「猫はネズミを獲る」だって帰納法によって得られる一般命題でしょう。
当然ネズミを獲らない猫はいる。
>悲観的帰納法の「もっともらしさ」を覆す反論には到底なり得ないね
あなたは悲観的帰納法をもっともらしいと思うようだけど、俺には全然もっともらしいとは思えない。
「何時起きるかを告げない占い師の予言」も、ちょうどこんな感じだよね。
>これから先も独裁政権が民主化される可能性があることを完全に排除できないことと、
>実際に独裁政権は必ず民主化されるということを混同するべきではない
この辺は意味がよく伝わらない。比較するなら、
「民主化される可能性を完全に排除できない独裁政権と、
実際に民主化された独裁政権とを混同するべきではない」
になるはずだけど。(日本語として分かりやすいように、ちょっと語順を変えた。)
間違っていると判断されたものと、また間違っているとは判断されていないものを
混同するなということだよ。
電子は実在しないかも知れない。しかし、電子が実在しないことはまだ示されていない。
訂正するのは、実在しないことが示されてからで良い。
>>93 >反例があるから帰納法でないとは、初耳だね。
帰納的推論ではあるけど「帰納法を用いた一般化」の結論は信用し得ないということ
枚挙的帰納法はあくまで、「これまで見つかった全てのXはYである」から一般化の「Xならば必ずYである」を推論すること
「XであってかつYでないものが見つかった」時点で後件否定により「Xならば必ずYである」の否定が当然演繹されるわけでしょ
逆に、「XであってかつYでないもの」が見つからなければ、帰納法による推論結果はそれなりに信頼できる
実際、キミはNewton力学が成立するスケールにおいては、Newton力学を信じているんでしょ?
>あなたは悲観的帰納法をもっともらしいと思うようだけど、俺には全然もっともらしいとは思えない。
もちろん帰納法であって、演繹したわけではないから、信頼性はそこまで高いものではない
だけど、悲観的帰納法を胡散臭いと批判するなら、それより「もっともらしい」実在性を擁護する説明を与えられるの?
それすら与えないで反実在論を批判してるだけなら、
実在論と反実在論を比較すればよっぽど反実在論の方が信頼できるわけ
帰納法だって、人類の智の発展に大きく貢献してるんだから、全く信頼できないわけでは決してない
>「何時起きるかを告げない占い師の予言」
反実在論としては、時期がいつかは分からないがとにかく予言さえ当たれば、
それで充分科学的な概念の実在性を攻撃できることになる
十分時間が経った後に、確率1で対象の科学的概念が否定されるならば、
それは実在していないということが示されるのだから
>電子は実在しないかも知れない。しかし、電子が実在しないことはまだ示されていない。
>訂正するのは、実在しないことが示されてからで良い。
それ、
電子は実在するかも知れない。しかし、電子が実在することはまだ示されていない。
(電子は実在しないという主張を)訂正するのは、実在することが示されてからで良い。
と言い換えても全くパラレルでしょ
こういう時に立証責任があるのは積極的事実、即ち実在を主張する側
哲クズのイカれた妄想をまき散らす身体、は実在する。
身体は細胞で構成される(実験で示せる)。つまり細胞は実在する。
細胞は分子で構成される(実験で示せる)。つまり分子は実在する。
分子は原子で構成される(実験で示せる)。つまり原子は実在する。
原子は電子と原子核で構成される(実験で示せる)。つまり電子は実在する。
子供電話相談室レベルだな、哲クズw
>>94 あなたの反実在論は、対象を「実在する/しない」と二分して考える
思考の枠組みに対する批判だと思っていたけど、どうも違うようだね。
電子は実在しないと考える人だったのか。
>こういう時に立証責任があるのは積極的事実、即ち実在を主張する側
電子が実在しないことを示すような事実の例としては、
「実は電子は陽子のある特殊な状態での振る舞いかただった」とか、
「電子には現在の物理学では理解し難い奇妙な性質がある」とか
いろいろ想像することができるけど、
電子が存在することを示すような事実の例って何がある?
何もないんじゃないかな。(あるというのなら書いて欲しい。)
従って、積極的事実とはこの場合「電子は実在しない」であり、
立証責任があるのは、実在しないと主張する側でしょう。
ところで「何時起きるかを告げない占い師の予言」というのは、
悲観的帰納法と同型な論法になるということで例示したんだけど
気づいてくれなかったかな。
予言成就の期限を切らなければ、予言が外れることがないわけだから、
「占い師の予言Aは当たった」
「占い師の予言Bは当たった」
「占い師の予言Cは当たった」
……
と、予言が当たったという事実のみが蓄積される。
あなたは多分、そこから「この占い師の予言はすべて当たる」を帰納するはずだ。
詐欺には気をつけようね。
>>96 >電子は実在しないと考える人だったのか。
まあ、人類の科学の理解なんてのは、所詮有限のスケールの実験でしか得られないわけで、
そのような不十分な理解に基づく概念の実在なんて甚だ怪しいとは思ってるけどね
>電子が存在することを示すような事実の例って何がある?
>何もないんじゃないかな。(あるというのなら書いて欲しい。)
>従って、積極的事実とはこの場合「電子は実在しない」であり、
>立証責任があるのは、実在しないと主張する側でしょう。
別に事実に限らず、電子が実在すると信じるに足る説明を求めてるわけだけど、
その説明が思い当たらないから、従って相手に立証責任を押し付けるという暴論でしかないな
いくら物証の発見が困難な類の犯罪だって、
犯人じゃないことを示す事実の例としてはアリバイがあるとか色々あることを理由に、
物証の発見が極めて困難であるから「○○は犯人ではない」の方を積極的事実とするような、そんなバカげた議論があるか
>ところで「何時起きるかを告げない占い師の予言」というのは、
>悲観的帰納法と同型な論法になるということで例示したんだけど
>気づいてくれなかったかな。
だから、それで構わないんだよ
予言の個数は高々有限個なんだから、その予言が物理法則と矛盾しないならば、
Poincaré recurrenceが起こるよりももっともっともっと長時間経過すれば、
予言は結局は全部当たると思わない?
ここの論争では、時間スケールを問題とせず、とにかくそれが起こるか起こらないかのみが焦点なんだから
そして、その予言が物理法則と矛盾するような荒唐無稽なものであれば、
それを指摘すれば、誰だって帰納法の結果よりもそっちを信じるだろう
そういうような、悲観的帰納法よりもっともらしい批判が、実在論側に可能なの?と問われてるわけ
>>97 >別に事実に限らず、電子が実在すると信じるに足る説明を求めてるわけだけど、
>その説明が思い当たらないから、従って相手に立証責任を押し付けるという暴論でしかないな
あなたが立証責任を回避する方法は、
「○○という事実が示されたならば、電子は実在すると判断できる」と
宣言することだよ。そうすれば、電子の実在を証明するために、
俺に「○○という事実を示す」義務が課せられる。
俺が俺の判断で「これが電子の実在する証拠だ」と言ったところで、
あなたはそれをすべて理屈を捏ねて拒否することができるからね。
俺の言っていることは暴論でも馬鹿げた論法でもないよ。
>予言は結局は全部当たると思わない?
さあ、どうだろうね。ひとつ言っておくべきは、
膨大な時間の経過によって予言の成就を予想するというのが、
帰納法とはまったく別の推論だということだ。
占い師が一つだけしか予言していなかったとしても、
今の論法はそれが当たると推論する。
そんなものが帰納法なわけがない。
「悲観的帰納法」について検索してみたが、
「長時間経過すれば……」という解説は見られなかった。
とすれば、この部分はあなたが独自に拡張したものか?
俺は悲観的帰納法について、本家と分家のどちらを相手にすればいい?
>あなたが立証責任を回避する方法は、
立証責任の回避も何も、相手と一緒になって相手の主張の根拠を一緒に探してやる議論が一体どこにあるのか
仮に譲歩して、あなたの理屈を採用したとしても、
>「実は電子は陽子のある特殊な状態での振る舞いかただった」とか、
>「電子には現在の物理学では理解し難い奇妙な性質がある」とか
というのを見つければ電子が実在しないことを示せるとして、
結局そうなったときに科学は電子という概念を別の概念に帰着させたり、
あるいは電子に代わる新たな概念を発明したりするだけだろう
そうすると、結局その概念についてきっとあなたはまた、それを実在すると考えて、
間違えていたときに訂正すればいいとするんでしょ?
これでは問題の先送りで、実効的な解決としては全く意味がない
あなたが、電子なりそれに代わるものなりの実在性の立証責任を回避する方法は、
「○○という事実が示されたならば、どのような科学的概念も実在しないと判断できる」
とすることにならない?
それをしない限り、何か一つでいいから科学的概念で実在するものがあるとあなたは主張せねばならない
>ひとつ言っておくべきは、
>膨大な時間の経過によって予言の成就を予想するというのが、
>帰納法とはまったく別の推論だということだ。
全くその通りだよ
帰納法による「この占い師の予言はすべて当たる」という結論は、
詐欺でも何でもなく極めてリーズナブルだという説明を別の論法で与えているわけ
「長時間経過すれば……」というのは、悲観的帰納法では
「十分極端なスケールでの実験結果(必ずしも人間に可能かは問わない)を持ってくれば……」となる
本家も分家も何も、悲観的帰納法は「任意の概念に対して、これを否定するスケールの実験が存在する(だろう)」という主張のはずだけど
それがリーズナブルでないとするならば、「その予言は物理法則と矛盾する(ので十分時間が経っても成立しない)」というように、
何度も繰り返すけど十分極端なスケールの実験結果を持ってきても否定されないような概念があると、
そう信じるに足る説明を与えないことには話が進まないわけ
>>99 横からすまないが
「電子は存在しないと確信を持っている。だが、それを証明するのはいやだ」
と言っているようにしか見えないんだけど
そして、それはこのスレにとって無駄なレスとしか言えない
氷は実在するの?
水素結合の介在する水分子の結晶だから、
水分子の「ある特殊な状態での振舞い」だよね?
で、水分子も原子核と電子の「ある特殊な状態での振舞い」だよね?
原子核も素粒子の「ある特殊な状態での振舞い」。
電子ももしかするとスーパストリングスの「ある特殊な状態での振舞い」かも。
だからといって氷は実在せんの?
氷が実在すると言うなら、同じレベルで電子は実在するといっていいのでは?
>>100 まず最初に断っとくけど、この議論では何かを「証明する」ことは最初から求められてない
実際、こういう形而上学の議論では何かを証明することは極めて難しいし、
仮にできたとしてもそれはおそらく公理系の選択が恣意的なだけだろうし
この議論で求められてるのは、どれだけ説得力のある説明ができるかということ
それを踏まえて、
「電子は存在しないと確信を持っている。だが、それを説明するのはいやだ」
というのならば、それはむしろ相手の方では?
一応こちらは悲観的帰納法といわれている議論を持ち出して、電子が存在しないと考えることにそれなりの説明は与えているが、
帰納法という推論方法に問題があることは指摘しても(そしてその指摘に対して答えているけど)、
それより説得力のある代わりの説明を一向にしようとしない
>>101 >氷は実在するの?
氷は直接五感で知覚できるし、その実在性は認めるとして、怪しいのは
>水素結合の介在する水分子の結晶だから、
>水分子の「ある特殊な状態での振舞い」だよね?
こことか
>原子核も素粒子の「ある特殊な状態での振舞い」。
こことか
確かに現代の科学ではそういうことになっていて、それは実験データを非常によく説明するけど、
本当にこの世界で、標準理論の通りに素粒子が原子核というものを構成している保証はないでしょ?
(我々はそう認知しているけど)
誰か女の子が生まれたら電子って名前つけろよ。
それで問題は解決だ。確実に実在する。
>>102 >氷は直接五感で知覚できるし、その実在性は認めるとして、怪しいのは
人間の五感で知覚したら、それを直接実在を確認したといっていいのか?
眼鏡はかけてていいの?
じゃ、顕微鏡は?
他の測定装置はなぜ駄目なの?
なぜ誰だかか知らない人間による記録だけが
測定装置による記録より重視されるのか?
それに、そもそも「実在」は、
「われわれの認識と独立してこの世界に存在する」
ってことでなかったか?
それが誰かの五感だけが頼りとは。
怪しくね?
>>99 >立証責任の回避も何も、相手と一緒になって相手の主張の根拠を一緒に探してやる議論が一体どこにあるのか
これは、主張の擦り合わせを拒絶するという宣言かな。
俺には「電子が実在しない」と主張を変える用意があるけど、あなたには「電子が実在しない」と主張を変える用意がない、と。
>これでは問題の先送りで、実効的な解決としては全く意味がない
>あなたが、電子なりそれに代わるものなりの実在性の立証責任を回避する方法は、
>「○○という事実が示されたならば、どのような科学的概念も実在しないと判断できる」
>とすることにならない?
すべての科学的概念の実在性の否定?
俺は、「光」は「フォトン」と同じもので、それは科学的概念でもあると考えている。その「光」についての実在性に関しては、あなたからの譲歩があるようだけど。
科学的概念とは何かを議論する必要があるかもね。
ある科学的概念「X」を考えよう。科学的概念「X」について、その内容を俺はあなたに何も説明しない。
しかし、あなたの悲観的帰納法は、あなたが「X」に関して何も知らないにも関わらず、実在しないことを証明してみせる。
変だと思わないかい? 最初に「科学的概念は実在しない」ありきな人でないと、こんな論法は使わないだろう。
>>102 >「電子は存在しないと確信を持っている。だが、それを説明するのはいやだ」
>というのならば、それはむしろ相手の方では?
ちょっと横レスするよ。
子供の頃に乾電池や豆電球で遊んだことはない?
そのときに、ビリッと感電した経験とかない?
そのビリッとさせたものは何?
そのビリッとさせたものについて、詳しく調べた人が世の中にいて、その人たちがそれを電子と名付けた。
その詳しく調べられた内容に不備があり、実はビリッの正体は電子ではなく別の何かだったということになる可能性は常に否定できない。
しかし、あなたは電子の実在を否定し、電子に替わる概念の実在をも否定する。
それはまるで感電した経験自体が実在しないと言っているように映る。
あなたは経験を土台にしていないから、今の主張ができるんじゃないかな。
書き間違いがあったので訂正します。
>俺には「電子が実在しない」と主張を変える用意があるけど、あなたには「電子が実在しない」と主張を変える用意がない、と。
↓
俺には「電子が実在しない」と主張を変える用意があるけど、あなたには「電子が実在する」と主張を変える用意がない、と。
結局は、人間の五感だって、
肉体に埋め込まれた天然の測定装置からのデータが
脳に流れ込んでいるのが基本なら、
五感だろうが、機械測定のデータだろうが、
多少の程度の差こそあれ、似たようなもんでしょ。
なんでもかんでも少しの疑いでもあれば否定するというのであれば、
「実在」なんて辿り着けないでしょ。
ホントに「実在」してても、観測を挟んでいるからね。
だけど、実際は確からしさの程度の差があるわけで、
電子が電子として実在すると強く推定されるんだろう。
電子が実在しないとか、全否定で断言するなら、
そもそも人間には「実在」かどうか判定する能力はないと言うべきでは?
人間の感覚を物理論文の幹にしたら笑われちゃうよ
機械的測定はそれを数値として研究者に客観的なデータを提供する
それに対して感覚は人が感じた主観的な感情から言葉に変換して伝えられる
でしょ。
じゃ、今の科学的データに基づく限り、
氷の実在性と同程度には電子が実在性を認めないとなー。
電子はマイナスの電荷を持ち、原子核のプラス電荷を相殺する事が出来る
電位を生み出せば導体内を電子が流れる
原子レベルのサイズになると、"直接見る"事は不可能、シルエットしか観測できない
光子の様に粒子性と波動性を持つものは実験の工夫で軌跡を観測する事は出来る
中学か高校レベルだと思うんだがな
これ以上何を以て存在する証拠を出せと言うのか分からない
話をすり替えてるだけで議論になってない気はするが
>>107 > そもそも人間には「実在」かどうか判定する能力はないと言うべきでは?
Yes
実在論はまさにそういう議論に近い
十把一絡げでもないが、特に電子だけがという話ではない
>>103 問題そのものをなかったことにする発想が東洋哲学的で面白いね
(もちろん、科学という営みの理解には何ら結びつかないけど……)
>>104 最初に断っとくけど、
>それが誰かの五感だけが頼りとは。
>怪しくね?
ってのは、それが気に入らなければ氷すらも実在するか定かでないところから電子の実在を論じても構わないよ
>>84にも書いたが、それは極めて(ここの本質とは関係ない部分で)苦しくなるだろうけど
>なぜ誰だかか知らない人間による記録だけが
>測定装置による記録より重視されるのか?
これは極めて経験論的な発想だけど、
測定装置による記録であろうと何であろうと、結局人間は自らの五感でしか認知できないから
結局科学的計測ってのは「電圧計の針が5Vを指しているのが見えた」という形で、
よくわからない概念を人間の五感で直接感知できる形に落とし込むことが肝なわけ
そうすると、間に色々挟まってるよりも、五感で直接認知した方が信頼できるでしょ?
>>104 >人間の五感で知覚したら、それを直接実在を確認したといっていいのか?
>眼鏡はかけてていいの?
>じゃ、顕微鏡は?
>他の測定装置はなぜ駄目なの?
ここは極めて重要な論点で、かつ有効な反論なんだけど、
(「AはPだけど、Bは非Pである」という時には、線引き問題を問うことがかなり有効な攻撃手段)
俺なりの回答としては、実在性ってのは単純に線引きできるものではなく、
実在性の「確信度」ってのはグラデーションで変わるものだと考える
例えば、眼鏡かけずに物を見て(あるいは「鏡に反射した」とか最悪「ガラスを通して」でもいいけど)、
その後に自分の肉眼で直接物を見て、それを突き合わせることで一致していることを確認できる
それが可能なスケールでは実在性は信頼していいと考えて問題ないだろう
顕微鏡とか望遠鏡もそういう行為が可能なわけで、比較が可能なスケールでは実在しているとみなせる
ところが、月とか(まああれは直接人類が降り立ったとされてるけど)木星とかだと、
直接肉眼で見て突き合わせることは不可能なわけ
それだけをもって実在性を否定するまでには至らないけど、
ほんの少し疑わしくなるというか、確信度が下がってしまう
(それでも月とか木星はたぶん実在すると考えていいだろうけど)
それで、例えば電顕とかSPMとかで見た物は、光学的顕微鏡で見た物と突き合わせてみて、
一致することを確認できる物は、実在性について光学顕微鏡で見た物と同程度の確信度がある
だけど、そうすることが不可能な物はやっぱり確信度が下がってしまう
だから、STMで原子が「見える」から、ひょっとしたら原子は実在するんじゃないかなとも思えるが、
たぶん実在するだろうというには自信がない
そういう風に間に色々挟んでいけば行くほど実在に関する確信度は下がるわけで、
しまいに電子とか光子くらいになると、これはもう信頼できないと考える
>>105-106 >俺には「電子が実在しない」と主張を変える用意があるけど、あなたには「電子が実在する」と主張を変える用意がない、と
そういう用意があるのは分かったけど、「あらゆる科学的概念は実在しない」というように変える用意はあるの?
別に俺も、再三主張してるように、
何度も繰り返すけど十分極端なスケールの実験結果を持ってきても否定されないような概念があると、
そう信じるに足る説明があれば納得するけど、それを出されないことには何とも
>すべての科学的概念の実在性の否定?
(前のレスの趣旨からいうと、「全ての」というと若干があるけど)
基本的にはそうだよ、電子だけ否定しても、その代わりが実在しますっていう主張を擁護したって、あまり意味はない
だから、俺が要求してるのは、
少なくとも何か一つ科学的概念(かつそれは我々の五感から遠く隔たっている物)が実在することを擁護する説明
>>105 >科学的概念とは何かを議論する必要があるかもね。
分かった、確かにそこは詰める必要があるかもしれない
科学はあくまで実験科学である以上(そしてその実験結果は究極的には五感に帰着させるわけだけど)、
概念の定義はあくまで実験に基づくのがよいだろう
例えば、「ああいう実験をしたらああいう結果が出て、こういう実験をしたらこういう結果が出て……」という事実がある時、
それを「電子が存在する」と定義すること(操作主義的定義)によって、
(まあ「存在する」という単語にも定義が必要なことはおいといて)
何やらわけの分からない「電子」という概念を定義することができる
この定義法からして、対象となる概念の実在性は一切問わない
もちろん実在が明確である(と前提においた)(可視)光とか氷にも可能だし、
ここで議論になってる電子とかフォトンとかにも可能だし、
あるいは実在するとは考えられないカロリックやエーテルにすら可能
(だし、カロリック理論なんかはその定義を前提にしてたわけだけど)
可視光とフォトンの操作的定義には重なる部分もあるが、もちろん一致はしない
(フォトンはその他の電磁波も含むし、さらに量子化されているという要件が加わる)
定義が一致しないのだから、光には対応する実体があったとしてもフォトンにもある保証はない
こうやって操作的に定義した概念を「科学的概念」とよぶことにして、
それに対応する実体が存在するかどうかが論点
特に、可視光とか氷とかは実在性が明確になってるわけで、
議論の焦点はあくまでフォトンとか、操作的定義が五感から遠く離れたものになっているから、
特別断りがない限り「科学的概念」と単にいうときには、
可視光や氷のように五感で直接知覚することが容易な物は含まない
そういうことでOK?
>>105 >そのビリッとさせたものは何?
凍傷させるものが「分子の運動がのろい状態」というように、ちょっと実在というには程遠いことはおいといて、
>>70で書いた通り、自然界に内在する秩序の存在はあくまで認めてるんだけど、
端的に言えばその秩序そのものは永久に不可知であるという考えが主張の裏側にある
だから、我々人間が、電子が否定されたらその次に、それが否定されたらそのまた次にと、
次々に提案する概念はやはり次々に否定されていくだろうと考えるけど、
それは自然界に何らの実在がないことを主張しているわけではなく、人間が提案する概念なんて所詮当てにならないよってこと
>>107>>111 >肉体に埋め込まれた天然の測定装置からのデータが
>脳に流れ込んでいるのが基本なら、
そこは逆、あくまで人間の五感による経験が先に来て、
その後で「肉体に埋め込まれた測定装置からのデータが脳に流れ込んでいる」と人間が認識してるだけ
>なんでもかんでも少しの疑いでもあれば否定するというのであれば、
>「実在」なんて辿り着けないでしょ。
別に少しの疑いがあるから否定してるわけではなく、その疑いに打ち勝つほど実在論に説得力がないから否定してるわけ
>電子が電子として実在すると強く推定されるんだろう。
どういう根拠に基づいて、強く推定されるの?
>> そもそも人間には「実在」かどうか判定する能力はないと言うべきでは?
>Yes
「判定」の定義がよくわかんないけど、たぶんそういうことであってると思う
白か黒か決着つけるって類の話じゃなく、どっちがもっともらしいか
>>108 別に自然科学の話じゃないので、根本的に批判の的がずれてるというか
>>109 確かに認めてもそれが直接的に強い違和感が生じるわけではないけど、
(だから違和感をえぐり出そうと反実在論は色々議論を提起してる)
それから即「認めないとな」ってことにはなり得ないんじゃないの?
>>110 別に、実験的に実在する証拠を出せっつってるんじゃないの、そんなの無理なことは承知の上
実験結果が何らかの自然界の秩序のシルエットであることは疑いないとして、
そのご本尊が我々が思ってる電子そのものなの?っていうのには疑いがあるよね
>>115 >そういうことでOK?
大体良いような気はするが、一点、気になるところがあるのでそこを詰めておきたい。
>特に、可視光とか氷とかは実在性が明確になってるわけで、
ひとつ。可視光は、盲目の人にとっては実在性が明確ではない。
実在性の確信度は人それぞれで良いのか。
ふたつ。氷は温めると水になり、さらに温めると水蒸気になる。
実在性とは消失したり出現したりする対象に付与しても良いのか。
ついでに、あなたが
>>115で提案した枠組みに従うなら、
融解熱の概念を知らず、0℃の氷は少しでも熱を与えれば溶けると
考えている人にとっては、「氷」に対応する実体は存在しないことになる。
結局、五感を通して把握させる対象も、実在性が明確なわけではない。
それらと科学的概念との区別など存在しないというのが俺の意見だ。
横からすまん
人間の五感はすぐダマされるし、
脳に入力された信号を加工処理しないと認識は産まれないので
既にある概念やものの見方に大きく左右される。
厳密な意味では実在に誰も到達できないでしょ。
実在性の確信度は人それぞれになりがちだし、
そうなると議論が紛糾するので、
なるべく共通の認識が得られるように、
科学的な手続きや枠組みが発達したんでないか?
>>117 >そのご本尊が我々が思ってる電子そのものなの?っていうのには疑いがあるよね
その実験で示されたシルエットから想像されるものを、我々は"電子"と呼んでいるんだよ
>>118 >ひとつ。可視光は、盲目の人にとっては実在性が明確ではない。
>実在性の確信度は人それぞれで良いのか。
もっといえば、可視光や可聴音の周波数は人によって違ったり(モスキート音とか、それ使ったので有名だけど)
そこのところは極めて大きな問題だと思うし、俺も解決は知らないけど、
科学的概念の実在を論ずる上では、(知覚が一切不可能な人間でない限り)前提を誰の基準に合わせても、
実在論を唱えるにしろ反実在論を唱えるにしろ直接関係してこないのでは?
>ふたつ。氷は温めると水になり、さらに温めると水蒸気になる。
>実在性とは消失したり出現したりする対象に付与しても良いのか。
それは、そもそも氷と水と水蒸気は現代の科学では同じものが別の形をとっているだけと認識しているけど、
本当に同じものかという保証はないからね
氷も水も水蒸気も、操作的定義は大きく重なるけど無論異なる部分もあるので、
氷や水に対応する実体があるからといって、水蒸気にもある保証はない
>融解熱の概念を知らず、0℃の氷は少しでも熱を与えれば溶けると
>考えている人にとっては、「氷」に対応する実体は存在しないことになる。
ごめん、ここちょっと意味分からないのでもう少し説明してくれないだろうか?
>結局、五感を通して把握させる対象も、実在性が明確なわけではない。
それはその通りだと思うが、
>それらと科学的概念との区別など存在しないというのが俺の意見だ。
そういうことを主張しても、科学的概念の実在性が不明確だという結論が出てくるだけで、
科学的実在性の擁護には全くなってない
(そして、五感を通して知覚できる対象の実在性を論じても、あまり科学という営みの理解には結びつきそうにない)
>>119 >厳密な意味では実在に誰も到達できないでしょ。
「厳密な意味で」というフレーズをどういう意味で使ってるか分からないけど、
「科学と同等の信頼性をもって」という意味であれば実にその通り
(まあ、科学における結果が信頼できることを擁護するのもそれはそれで骨の折れる仕事だけど)
>実在性の確信度は人それぞれになりがちだし、
>そうなると議論が紛糾するので、
>なるべく共通の認識が得られるように、
>科学的な手続きや枠組みが発達したんでないか?
とりあえず、そういう形而上学的な(ある種「不毛」な)議論に立ち入らずに自然現象を理解するために、
科学的手法が発達してきたというのは完全に同意する
が、これは別に科学自体をやってるわけではなくて、
科学という営みが一体どういうものであるのかをメタ的に理解する一つの手段として、
実在論争という形而上学的議論を積極的に活用しているものだと理解してる
>>120 ご本尊はあらゆる自然界の秩序の総体として存在することはまあ疑い辛いけど、
その中の一部の振る舞いだけを取り出してきて「電子」とか実体を想定するのが適切かどうかは分からない
現に、熱の実験から我々は「カロリック」なる幻想を勝手に想像/創造してたわけね
>>121 五感で直接把握できる対象の実在性を擁護しているわけでないのならOK。
五感で把握される対象と科学的対象の間にダブルスタンダードを設定するつもりに思えたから。
>ごめん、ここちょっと意味分からないのでもう少し説明してくれないだろうか?
簡単に言うと、要するに「融解熱が0J/gの氷は実在しない」ということだよ。
人は、対象を知覚したとき、その対象に意味を与える。
そこには、あなたの言う「科学的概念と、それが対応する実体」と
同じ関係性が発生している。
与えた意味が不完全であれば、意味と対象との間に食い違いが生じる。
食い違いが生じる場合には、その「意味」に対応する「実体」は実在しない
という裁定を下すのが、あなたの提案しているルールだろう。
しかし、認識対象の完全な理解なんて不可能だから、
氷のような身近なものでさえ「実在しない」ことになる。
さらに人の認識できる対象はすべて実在しないという結論に
至るだろうことも容易に予想できる。
ひとえにこれは、あなたの提案するルールが厳しすぎることが原因だと思われる。
>現に、熱の実験から我々は「カロリック」なる幻想を勝手に想像/創造してたわけね
ちょっと参考までに聞かせてほしい。
あなたがカロリックを実在しないと考える根拠は何?
126 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2009/09/27(日) 18:03:21 ID:rrSqbv3w
電子のスピンがあることから、少なくとも1次元以上の構造は実在していると考えていいのでは?
∋∋126
電子なんか存在しないよ!