場の量子論 Part4

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705700 ◆hMEhbRPKcw
>>703 前半
 まず、測度というのは集合から実数への写像のはずで、
ベクトルから実数への写像じゃない。そこはよいでしょうか。
 で、問題は、何に対して測度を定義していて
その測度を使ってどんなことを仮定すれば
観測者の経験について定量的なことが言えるか ということ。
 そのときに、被測定系と観測者を物理系としてモデル化する以上のことが
記述者からの入力として要求されてるんじゃないか? と言ってる。
これは、エバレットの論文で扱われたような
理想的なメモリだったら大して重要な違いではないけど、
もっと現実的な理想的でない観測者も考えようとすると
決定的な違いになってくると思うんだが。

 単に合計のノルムが0であるような成分たちを
無視していい という風に定めてしまうと(和田はそう言ってるように思える)、
モデル化された観測者が観測しようとしたものとは
全く別の基底で展開して、その結果振幅の小さい成分たちを捨てるのもアリになる。
このことも考慮に入れても観測者の経験について結論できるんだろうか。

 エバレットが定義した測度は、状態ベクトル空間の
ある基底(Boとする)を構成するベクトルの集合を考え、
その部分集合に対して実数を対応付ける関数じゃないのか?
でもって、この集合について、測度0の部分を無視して
ほとんどすべての元(観測者の経験に相当)について言えることが
観測者の経験について言えることだという話よね。
ここで特定の基底Boを使ってるんだけど、
これは記述者が設定したものでしょう。
つまり、記述者がエバレット解釈を使うためには、被測定系と観測者を
物理系としてモデリングするだけでは十分でないことになる。
 それとも、Boは何か自動的に一意に決まるとか、
あるいはBoは決まらなくても結論は変わらないとか、
そういった論理構造になっている?