>デカルトが取ったとされている方法的懐疑を自分でも行ってみると我思う云々が導かれるというわけ。
方法的懐疑を誰かが主張したことは認めるんだから、自己以外の認識主体は認めているわけだ。
>>172 例えば世界5分前仮説が真実だと仮定すると、デカルトなる人物の存在は否定されるね。
でも、自分はデカルトが取ったとされている方法で懐疑できる。
この2つは両立し得るけど、どこか論理的でない点でもあるの?
>>173 別に誰もそんなこと主張してなくても、
自分が「デカルトが方法的懐疑を主張した」という幻覚を見ている可能性だってあるよね。
そもそも、自己以外の知的生命体が存在するとしたって、自分と同様に世界を認識している保証すらないし。
自己以外の認識主体が存在しないとするならば、そもそもこの論争自体が存在しないよね。
認識主体の認識が正当であるかどうかが論争になっている。
つまり他者の認識主体自体は前提ということになる。
>認識主体の認識が正当であるかどうかが論争になっている。
どこで??
てか「認識が正当」って一体どういう意味よ。
>>98なんかは、典型的な唯物論観念論論争だと思うけど。
いや、質問をすること自体が自己以外の認識主体の認識を問う、つまり認めていることだよね。
それだけ確認すればわたしは満足。
>デカルトが取ったとされている方法的懐疑を自分でも行ってみると我思う云々が導かれるというわけ
疑惑に思うことは否定しない。
ここであなたは自分でも行ってみると、ということでデカルトという他者の認識主体を認めている。
そして、それが真理だとして、疑っていない。
つまり疑うことじたいは疑っていない。
あなたはデカルトという他者の認識主体は疑っていないし、だからわたしという他者の認識主体の存在を前提にしている。
疑いは疑いのままではなく、なんらかの方法で確認するべきだ。
あなたはデカルト哲学を自分で行うことによって正当だとして、疑っていないのだから。
そしてあなたは自己以外の認識主体の存在を疑いに思い言論で行って、わたしや他者に違う認識を突きつけられて他者の認識主体を確認する。
つまりあなたの疑いである自分以外の認識主体はあなたの行いで確認されたということだ。
単に自分の幻覚の中で問い掛けているだけかもしれない。
仮に問い掛ける対象が存在していたとしても、いわゆるブロックヘッドのような高度な人工無脳で、
世界を認識しているとは到底言えない存在かもしれない。
これだけ論争して、わたしという認識主体が疑われたり、認められないのはさびしいではないか。
デカルトもわたしという認識主体も疑われているのかと墓の中でさびしがっていると思うから、認めてやってくれよ。
>>179 >あなたはデカルトという他者の認識主体は疑っていないし、だからわたしという他者の認識主体の存在を前提にしている。
については
>>175とか
>>180で大体返答は尽きているけど。
>つまり疑うことじたいは疑っていない。
「疑う」ということを疑うとはどういうこと?
"Colorless green ideas sleep furiously"のような、文法的には正しいが現実には実現不可能な文章のように思える。
>>181 まあ、そういう認識主体が存在することは直観的に極めてもっともらしいし、
その点では
>>137に個人的には同意するが、
(あくまで個人的には独我論を代弁しているだけで、心の底からそう思っているわけでは当然ない)
少なくとも「そういう認識主体が存在する」という命題が、
全く自明でなく、疑いを挟む余地が十分あることは認識されなければならない。
あと、
>>180の
>いわゆるブロックヘッドのような高度な人工無脳で、
>世界を認識しているとは到底言えない存在かもしれない。
は
いわゆるブロックヘッドのような高度な人工無脳で、
世界を認識しているとは直観的には到底言えない存在を仮定できるが、
そのように知的にやりとりはできるが世界を認識することのできない存在かもしれない。
に訂正。
話が難しくてついていけん・・・。
NHK並のアホだな
>>183 難解そうで内容はばかばかしいだけだから、理解できなくて良いよ。
自己以外の存在は怪しいとする哲学にそんなこと寝言だからと科学は進展した。
その科学の成果であるパソコンを使って、未だに自己以外の存在は本当に存在するのかどうかと、頭をひねっている。
な、どうでも良いことだから、寝たいた方が有益だろう?。
186 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2009/07/25(土) 22:52:15 ID:mdjgNwUZ
君の意識を生み出したのは神である私だよ。
君は私の意思で動いているに過ぎない。
神がいるなら頼みたい、とりあえず景気良くしようよ
サクット政治変えてさ
>>186 いやいや、君の意識を生み出したのは神である私だよ。
君は私の意思で動いているに過ぎない。
189 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2009/07/27(月) 00:14:17 ID:a5yfEJFf
190 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2009/07/27(月) 02:26:20 ID:uzo3lUGO
たとえば体の調子が悪くなって医者に診てもらう。
盲腸で手術が必要だと言われる。
あなたは医者の実在を疑っているし、当然診断も疑っている。
では何で真偽が決まるのだろうか。
手術をしない、する、という現実的な行為でその真偽は決まる。
わたしたちは日々このような現実での行為で他者の存在を確認しているのではなかろうか。
疑うのは重要だが、その真偽を確認する手段を科学は確立した。
足長おじさんに出てくる哲学者がたしかこんなんだったな。
たしか漱石が小説の中で、認識主体が認識しなくとも存在しない例を挙げていたな。
それはともかく、疑問に思うことは大切なのだが、真偽を確認する手段を考えることはもっと重要だ。
科学は自然に問いかける手段、つまり実験をもってその認識の正否を確認する。
意識は物質を産み出すのかどうかは、実験すればわかるし、そんな例は存在しない。
最終的にはやってみろ、というだけだろう。
193 :
訂正:2009/07/27(月) 08:59:19 ID:???
たしか漱石が小説の中で、認識主体が認識しなくとも存在する例を挙げていたな。
雪山で遭難して冬眠から目覚めた季節外れの飢えた熊に襲われて食われる夢を見た
恐かった
195 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2009/07/27(月) 10:13:11 ID:K8dw37Yt
>>192 >意識は物質を産み出すのかどうかは、実験すればわかるし、そんな例は存在しない。
あなたの目の前には、パソコンがあるでしょ。
ほら、意識がパソコンを生み出したじゃないの。
実験って、ある状態の対象を意識し認識することでしょう。
対象とは意識されたもののことです。
世界はいつも意識とともにあります。
意識とは常に世界を生み出し続ける運動のことです。
>>195 目の前にある何かを「パソコン」と認識するのは意識なんだけど、
意識以外の要素はこの世に存在してないと推定するのは妥当なのかねえ
>>194 どうせエアコンかけっぱなしで
臍出して寝てたんだろ
>>196 意識は単独で意識であることはできませんよ。
意識は「何かに対する」意識であって、
常に対象とともにある。
だから、意識以外の要素がない、ということもあり得ない。
>>195 なんだ、遊びなのかよ。
って、はじめからまじめに読んでいたわけではないけどね。w
私はどこまでが私なのかは分からないが、あなたとは分けることはできるような
気はする。なぜならば、分けることができないと、矛盾を起こすからだ。多分、
あなたと私は相対的な関係だからだと思う。
>>200 例えば分離脳なんかは、両方とも同一人格?
ベトちゃんドクちゃんはどこまでがベトちゃん?
そんなに自明な問題じゃないよ、それは。
>>198 じゃあさ、
まず、その「意識以外の要素」から意識が形成されて、
その「意識以外の要素」のことを「分子」だとか「脳」だとか
分節化して認識しているだけでないの?
君の言う「世界」とは、
単に意識により分節化して認識して作り上げられた「世界観」であって、
意識は世界を作り出す(意識と意識以外の「対象」を生成する)というより
「世界」という認識を作り出しているだけではないのか?
>>203 意識と対象というのは、もともと一つなんだけど、
それを引き裂くことで対象を世界の中に位置づけることが可能になるんです。
まず最初にあるのは、感覚であり、現前です。
見て触り世界が構成されていく中で、逆に意識するものの中心としての自己が形成されます。
だから世界というのは今生きているこの現実そのものです。
>>204 物理は自然哲学なんですが、
なんか著しく文系哲学的、発達心理学的ですなあ。
でも、そりゃあ、
単に生まれてからの心的発達過程を推定しているだけでないかい?
主客未分の発達段階から哲学を開始するなら。
どうせ「感覚」「現前」「引き裂く」なども
人間の勝手な分節による概念とか推定を
アプリオリ的なものとして利用して
何かを「説明」しようとしているに過ぎないわけだ。
ならば、「物質」なり「物理法則」なりを
出発点にして「世界」を心のなかで再構築しなおしても、等価だよね。
どっちを公理にしてどっちを定理にするかみたいなもんだろ。
実際のところ、個人の発達心理から出発するより
その人の意識が生まれる前から
見て触られる対象からなる「環境」が存在していて、
別の人が別の分節の仕方をしてそれぞれが「世界」として認識していた
と推定する方が、物理を展開しやすいと思うけど?
人間の思考には癖があるからね。
>>204 >意識と対象というのは、もともと一つなんだけど、
>それを引き裂くことで対象を世界の中に位置づけることが可能になるんです。
意識が見て触ったものを、引き裂いて考えなければ、
そもそも「物質」という認識も概念も存在しないので、
その場合、物質なぞ存在せず、何かの「対象」に過ぎない、
ってのは、言っている本人の主観的な哲学としては
意味があるかもしれないけど.....。
それを大勢の他人からみれば、
「いやあ、お前がどう思うおうと、お前が生まれる前から
物質はあったし、たとえお前の意識が壊れても、
俺が見る世界が壊れたりはしないなあ。
そもそも、俺から見れば、
お前の意識なんて宇宙に比べて無いに等しい誤差だし、
そんな「誤差」レベルのものと「世界」と天秤にかけられても
著しくバランスを欠いた独りよがりでないかい?」
ってならないか?
世界の存在の根幹に、自分の意識があるというモデルは、
個人の認識とか、人間の誤謬について考えるときには有効だが、
世界のモデルとしては歪でないか?
>>205>>206 発達心理学的という見方はできるでしょうね。
でも、現前から出発しようとすると、
この世界に投げ込まれてしまっている以上、
言葉にして表すには
「感覚」とか「引き裂く(というより勝手に引き裂かれてしまっている)」とか
言うしかないかな、と思うわけです。
私という主観が世界から規定された幻であるように、
主観を排除した客観世界というものもあり得ないと思います。
だれも神ではない以上、個別の主観を通した世界しか実際にはあり得ないのですから。
だれにも知覚されず認識されない宇宙なんて、存在ですらない。
「この世界に投げ込まれる」というのは、ハイデガーあたりだったっけ?
でも、投げ込まれる前から世界が存在するみたいなニュアンスを覚えるから、
ここでは使いたくない言葉やね。
今目覚めました。
世界が生まれました。
わたしも生まれました。
認識されないのですから当然です。
常識的にはわたしが寝ているから認識されていないだけで存在するのですが、そんなことはありません。
認識されない世界は存在ですらありません。
いや、寝ているわたしは認識していないから、寝ている間、というのも存在しないわけです。
ん?なんかおかしいが、気にしないことにします。
寝ている間に泥棒が入ってもぬけの殻になっていました。
お金が入っていた財布ごとありません。
しかし認識されるたびに生まれるのがこの世界ですから、泥棒も存在せず財布はもともと無かったのでしょう。
警察に届けないことにしました。
今日も世界を認識し存在させました。
神のような気分です。
わたしの好きな女性も存在させました。
しかしわたしの認識できない男、つまり存在しない誰かと結婚するようです。
もしかするとわたしが幽霊なのではないかと思ったりしますが、やはり認識できない、つまり存在しないのですが男が幽霊なのでしょう。
さて、そろそろ窓を開けて太陽を存在させてやるか。
あれっ、雲を存在させてしまった。
>>208 世界内存在ですね。
気がついたら投げ込まれていた、というか、
世界の中の一部として関係を取り結んでいた、というか、
純粋な意識なり主観なんてのはねーよ、という意味で使ってますが。
世界が意識より先にあったわけではない、というのはそのとおり。
>>209 おはようございますw
今目が覚めました。
と思ったのですが、「今」なんてないんでしたね。
時間軸上の一点が特別な意味を持つはずがありません。
物事は客観的に考えるべきです。
部屋はもぬけの殻です。
妻はドロボーだ、ケーサツだ、と騒いでいますが気にしません。
僕はいつだって大金持ちです。
だれにも見えないし触れないけど、ちゃんとここにあるんですよ。
金銀財宝、いっぱい詰まった大金庫がね。
発見できないからといって、存在を否定してはいけません。
ちょっと散歩に出てみましょうか。
あれま。猛スピードで自動車が私に向かってきますね。
でもあわてないことにしましょう。
私がどう思おうと世の中すべて物理法則で決まってしまってるんだし、
私が別のだれかと何かちがう特別な存在というわけでもありませんしね。
212 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2009/07/29(水) 19:04:01 ID:MXKN360G
意識、に着目しすぎ・・・。
記憶違いは多々あれど、今というナイフで痕をつけた、過去を記憶しています。
その過去より、推測違いは多々あれど、未来を予測できます。
人間には過去も未来もあるのです。
ねーよ!
近い未来が見えるのは認識の遅延だ、過去は記憶だ、意識は脳が神経へ神経物質を送った時に発生させる反応なんだ。
この神経物質の量が少なければこの世界で意識はできない。
多い者程世界を認識してしまう。ゴキブリや蜘蛛にはそういう意識という物はないが、発達した脊椎動物は意識を持つんだ。
意識を持つことで自己処理が可能になり、この世界を自分で感じ、運命を作り上げることができる。
この意識がピークになる頃には無意識という概念がなくなり、衰えると無意識的に行動するの。
虐待や犯罪を犯す人間の一部はこの意識が低く、一定以上のストレスを抱え込むと、神経物質が分泌されにくくなり、キレて無意識化するんだ。
215 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2009/07/29(水) 21:56:03 ID:0hFHHOnY
>>214 をい、ちょっと待て。
穴がありすぎるw
時間の定義だな。
今、ここ、と、指示すると、今、ここ、は飛び去る。
だから量でしか認識できない。
今というのは運動の異称だけどね。
未来も過去も自然には存在しないが、人間の頭の中には存在する。
>>214 未来ってのが、具現化された物質的な世界とするならないが
もともと未来と過去が人間の意識と記憶上の物とうならあるといえる
過去があるから文章が読め、未来があるから文章が書ける
ようするに人生はオンラインゲームと同じ質だな。
人間が言葉を発した時、遅れて相手に伝わる。目もおなじで遅れて伝わる。
時間に集中すれば時間がゆっくり進むように認識できるし。
何かに集中すれば時間に集中しにくくなる。
つまり動物には時間的概念がないから、生きている時間も一瞬なのか。
何をどう要約したらその要するにの後の主張が生まれるんだ?
221 :
宇宙連邦より愛をこめて:2009/08/19(水) 23:24:58 ID:sc9bEeQy
物質はデジタル。精神はアナログ。フーリエ級数でデジタルを無限に重ねればアナログに
無限に近くなりその逆もしかり。
漏れ is different
223 :
ご冗談でしょう?名無しさん:
そもそも自分に自由意志があるなんて考えが間違いだ。