日本に原爆を落とした物理学などロクなものではない

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144ご冗談でしょう?名無しさん
●まず最初は、「コンピュータの父」として知られるフォン・ノイマンである。
●次は、レオ・シラードである。彼もハンガリー生まれで、アメリカに亡命したユダヤ人科学者である。
●同じくハンガリー生まれで、アメリカに亡命したユダヤ人科学者にエドワード・テラーがいる。
●同じくハンガリー生まれで、アメリカに亡命して「マンハッタン計画」に参加したユダヤ人科学者に、ユージン・ウィグナーがいる
●ロバート・オッペンハイマーといえば、「原爆投下は日本に警告なしに行なわれるべきだ」と反日的な強硬論を主張した人物である。
彼は、1945年10月に、ロスアラモス研究所の所長を辞任する際、「人類がロスアラモスと広島の名を呪う時が来るだろう」という言葉を残している。
●オッペンハイマーと同じく、ニューヨーク生まれのユダヤ人科学者、リチャード・ファインマンも、大戦中、「マンハッタン計画」に携わり、重要な役割を果たした
●ドイツからアメリカに亡命したユダヤ人科学者、ハンス・ベーテも、「マンハッタン計画」に携わった。
ファインマンとベーテの2人はチームを組んで、爆発を起こすのに必要な核分裂しやすい材料の量など、鍵となる数学方程式を考え出した。
●ノーベル化学賞受賞のハロルド・ユーリーも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。
●1925年にノーベル物理学賞を受賞したジェームズ・フランクも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。
●「近代量子論の父」で同じくノーベル物理学賞受賞のニールス・ボーアも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。
145ご冗談でしょう?名無しさん:2007/07/01(日) 11:34:09 ID:L3jvjOL3
諸刃の剣。
146ご冗談でしょう?名無しさん:2007/07/01(日) 11:39:11 ID:nnpzw/CZ
●ちなみに、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者の中で、もっとも反日強硬派だったのはフォン・ノイマンだろう。
彼は日本人を蔑視し、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張。京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていた
というまさにその理由によって、京都の破壊を求めていたのである。
しかし、ヘンリー・スチムソン陸軍長官の反対によって、京都は原爆のターゲットから外された。彼は、京都の代わりに
長崎の追加を指示したのである(1945年7月22日)。
アメリカ軍部の一部は京都を原爆投下目標とすることを諦めず、空襲を実施しなかった。原爆投下後に
原爆の影響を正確に把握するため、空襲が禁止されていたのである。京都が最後まで空襲されなかったのは、
原爆投下の前に日本が降伏したからにすぎない
●ところで、「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として
激しく差別していたことで知られている。一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた
「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。
これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」
「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」
●当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。
「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。人間と猿の中間にあると言っていい。文明存続のために我々は
最後まで戦いぬかねばならない。日本人を根絶しなければならない!」
147ご冗談でしょう?名無しさん:2007/07/01(日) 11:41:52 ID:nnpzw/CZ
●ところで、「強制収容所」といえば、真っ先にナチスを思い浮かべる人は多いと思うが、
第二次世界大戦中、自由と民主主義の国、アメリカ合衆国にも「強制収容所」があった。
それも日本人と日系人専用のもので、約12万人もの民間人が財産と市民権を奪われて、
カリフォルニア州からルイジアナ州までに広がる10数ヶ所の強制収容所に収容されたのである。
このアメリカの日系人に対する強制収容政策の裏には、白人の有色人種に対する人種的偏見や差別意識が
あったことは明らかである。(この時期、同じ敵国であったドイツ系・イタリア系のアメリカ人は
「お構いなし」の状態だった)。
●この日系人強制収容政策の最高責任者は、前出のヘンリー・スチムソン陸軍長官である。
●さて、最終的に、2個の原爆が日本に「無警告」で投下されたことに満足したフォン・ノイマンは、
戦後のビキニ環礁の核実験に立ち会ってガンになり53歳の短い人生を終えた。
また、全人口に対してユダヤ人口が5〜6%にしか過ぎなかった当時のアメリカで、広島に原爆を投下した
B29「エノラ・ゲイ号」の搭乗員として特別に選ばれた15名のうち、ユダヤ人が7名も占めていた。
機長のポール・ティベッツもユダヤ人である。広島に原爆を落としたとき、彼はまだ30歳だった。
ポール・ティベッツ機長をはじめ搭乗員の多くは、戦後もずっと「全く後悔していない。夜眠れなくなったことも
一度もない。あの時、我々は人類にとって最善のことをしたんだ」と述べ、原爆投下の正当性を強調した。
このことからも、ユダヤ人の中には原爆の対日投下に反対する一方で、日本に対して敵対的な感情を持つユダヤ人が
いたことが伺える。
●ちなみに、アインシュタイン博士は親日ユダヤ人として知られている (1922年に日本に来ている)。
●先に触れたように、アインシュタイン博士は「マンハッタン計画」に参加しておらず、ルーズベルト大統領宛に原爆開発を促す
1952年に雑誌『改造』へ「日本人への弁明」を寄稿。
1955年には、核兵器の廃絶と紛争の平和的解決を求める「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名。
148ご冗談でしょう?名無しさん:2007/07/01(日) 11:54:08 ID:nnpzw/CZ
●アメリカ軍は1944年11月1日から都市空襲を本格化させ、六大工業都市を狙った後、
人口の多い順に日本全国64の都市を火の海にして、焼け野原にした。
1945年3月10日の東京大空襲では、40kuの周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して火の壁を作り、
住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断った。その後、約100万発(2000トン)もの油脂焼夷弾、
黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾が投下され、逃げ惑う住民には超低空のB29から機銃掃射が浴びせられた。
こうして、一夜のうちに10万人以上の民間人(非戦闘員)が生きたまま焼き殺された。
まさにホロコースト状態である (ホロコーストは「焼き殺す」という意味を持つ)。
これが虐殺でなくて一体何が虐殺か?
●対日戦略爆撃を指揮したカーチス・ルメイは、戦後、回想記のなかで次のように述べている。
「原爆を落とすまでもなく太平洋戦争は実質終わっていた」
「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊したのだ。日本の都市の民家は
全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。
木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。女、子ども、
老人も全て戦闘員だった。これをやっつけて何が悪いのか?」
●このカーチス・ルメイは、明らかに東京大空襲を始めとする無差別爆撃および原爆投下の直接の責任者である。
(日本人は彼を「鬼畜ルメイ」と呼んだ)。しかし1964年12月6日、日本政府は彼に対して「勲一等旭日大綬章」(勲章)
を授与した。授与理由は「戦後、日本の航空自衛隊の育成に協力した」からだという……。
日本の100万もの民間人を虫ケラのように虐殺した人物に勲章を与えてしまった日本政府の態度は
卑屈以外のなにものでもない。無残である。この時の総理大臣は、後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作だった。