1 :
ご冗談でしょう?名無しさん:
<図1>
((((● ))))
←
<図2>
{ ? }
図1は水面を移動する水鳥、あるいはプールで泳ぐ人間が起こす水の波だ。
図1はいわゆるドップラー効果であり、媒質があるがゆえの現象である。すなわち、媒質においてエーテルの風とはドップラー効果のことなのだ。
さて、では光が媒質なしで伝わるものならば、そしてエーテルの風が存在しないならば、光特有のドップラー効果の幾何学的模式図があるはずである。
ならば科学者の皆さん、ぜひとも図2の{ }の中にそれを描いて下さい。
もしそれが出来ないと言うのならば、私は相対論を信じることは出来ません。
※ちなみに音響学者も図1を使う。
>媒質があるがゆえの現象である
ここでもう間違ってますから。残念っ!
そんなことよりフェラチオされたい
>>2 >ここでもう間違ってますから。
確かに1は強引な結論を下している。しかし1はこの時点では光に対しては言及していない。
つまり1は「水面上のドップラー効果は媒質があるがゆえの現象」と言っているのである。
それとも2は水の張っていないプールでもドップラー効果が起こりえると思っているのか?。
だとしたら面白い説だw
このスレ全然動かないなあ
やっぱり相対論は間違ってるのか (´ε`)ショボ~ン
まずは相対論のどこが間違っているのか指摘してください
それをみんなが納得したとき初めて「相対論は間違っている」と言ってください
図2{?}は絵にも描けない美しさW
>>6 >相対論のどこが間違っているのか指摘
すること即ち
>相対論は間違っている
と主張していることになるんじゃない?w
俺が相対論に抱くイメージは、いつも媒質の後追いしている周回遅れランナーだ。
つまり、相対論が記述する世界はそのまま媒質の空間にも当てはまる。
例えば重力レンズ
もし現代科学が媒質説によって構築されていたならば、そして重力レンズ現象が観測されたならば、やはり媒質説は正しかったとなるだろう。
実際カメラのレンズは媒質そのもの。スマトラ沖の津波でもレンズ効果による増幅があったと新聞に書いてあったように、屈折は媒質の特性そのものだ。
あるいは光は粒であるという概念。
もし光が粒ならばそれは光=媒質説の決定的な証拠であろう。なぜなら今日原子・分子の概念が確立しているからだ。そして媒質がなんであれ媒質は粒の集合体なのだから。
電子レンジは水が一個二個と数えられる分子という粒だからこそチンできるのであり、競技場のウェーブは一人二人と数えられる離散的な人間によって起きる。ようするに「媒質は粒だから必要なのである。」これが正しい媒質の定義だ。
ならば相対論が媒質を否定することで成立している理論ならば「光の本質は粒でない」ということを証明しなければつじつまが合わない。
今一本の鉄の棒を考える。
普通こんな硬いモノが伸びたり縮んだりするはずはない、と考える。
では真夏の炎天下、レールがぐにゃりと曲がるのはなぜか?という話しになる。さらにその極限として、例えば溶鉱炉の中ではドロドロに溶け、元の形が消失する。
すなわちこんな硬いモノが伸びたり縮んだりするはずはない、と言い張る者は現実主義者を装った非現実主義者に過ぎない。
あるいは膨らました風船は、温度や圧力によっていくらでも大きくなったり小さくなったりする。
昔の柱時計は振り子の等時性を利用したものだ。もし振り子の長さが温度によって変われば時間の進みは早くなったり遅くなったりする。(もちろん実際の柱時計はそれを考慮して膨張率の小さな金属を使うだろうが)
ようするに媒質の空間において絶対時間なるものは流れてはいないのだ。それゆえに温室等で季節はずれの野菜や果物が作られる。あるいは場合によっては水を凍らせることによって、近似的に時間軸を止めることも可能だ。
シベリアの永久凍土に閉じ込められていたマンモスが、遥か時空を超えて万博会場に現れたのは相対性理論へのパロディか!?。
相対論はそれまでのニュートン力学の絶対空間・絶対時間による世界観を覆したと言われている。しかし媒質の空間においてはすでに覆っているのだ。
さて温度というパラメーターにより鉄等の物体は伸び縮みするのであるが、それを速度というパラメーターで伸び縮みさせたのがローレンツだ。すなわち壁にぶつけたトマトがつぶれるならば、エーテルの中を進む物体がつぶれないはずはない!
実際ローレンツはその信念の基に自らの変換式を編み出し、そしていわゆるマイケルソン-モーリーの実験結果を説明したのである。
錬金術って原子核反応のことだろ!!
オマエが相対性理論を信じようが信じまいがいっこうにかまわない。
どんどん恥の上塗りをすればいい。
わかってる人は、それを見て笑いの種にする。
わかっている人、っていうニュアンスはオマイは含まれていないようだな
一緒に笑えるよう勉強汁。
>9-10
ようするに相対論を媒質の理論に置き換えばOKということか?
そもそも伸びる縮む、曲がる歪むという用語はいかにもSFっぽいが、媒質の世界においては日常用語なのだから必然の流れだろうな…。
ただ媒質の存在を前提にすると、媒質に対する運動が定義できるのだから多分相対性の概念が崩れる。
その場合絶対空間ではないが基準(点)が必要になる。
ようするに世界の科学者を敵に回すってことですね!w
オレに言わせりゃ媒質を排することがどういうことか、その重大性を科学者に認識してほしい。
よく人間原理を使って宇宙は人間の都合のいいように造られている、という説があるが、無媒質の空間がそんなに居心地いいのかな?
科学者がそんなに媒質が嫌いならば真空容器の中で暮らせばいい。さすれば入った瞬間真実とは何か?という回答を得られるだろう。そして媒質を剥奪された素粒子の気持ちも分かるというものだw
エーテルを復活させるとそれを何に担わせるのか?
その具体的なイメージは?という大問題が発生しますが
それは光子でいいんじゃない。すなわち光子エーテル。
電磁波は光子の集団と言われているし、宇宙空間は背景放射で満たされていると言われている。ならばそれを一般化して空間は光子エーテルで満たされている、とすればいい。
いや、というよりは光子一個は空間(時空)の最小単位と言ったほうがいいかもしれない。
すなわち宇宙は光子一個をドットする大パノラマ。
飛ばすねぇ〜チミィ
スピード違反で捕まるよw
で光子の具体的イメージは?
媒質の空間の最大のメリットは、その本質を実体として把握できることだ。
すなわち同じ媒質である水と光子のフラクタルな関係性を使えば、従来不可知の対象であった光子の粒と波の二重性が説明できる。
水の中の生物にとって水分子一個がそれ以上分割できない空間の最小単位であることは明白だ。
なぜなら水が水素と酸素に分割できるといっても液体水素(酸素)を満たした水槽で熱帯魚を飼うことはできないからだ。
今海の中で水素と酸素の泡粒を混ぜ合わせ点火する。その爆発は海の生物にとって核兵器の炸裂にも相当するだろう。
では水素と酸素の泡粒はどこへ行ったのか?、というとどこにも行かない。水という名の空間となって空間の雑踏に紛れ込んだだけなのだ。
その状況は光子も同じなのだ。われわれは電子と陽電子が対消滅するとガンマ線に変わるという図式をイメージすると、光子は無数に分裂した欠片だと思ってしまう。
しかし対消滅するのはあくまでも電子(陽電子)がもっていた属性であってその実体でないとすると、素粒子物理学は一夜にして化学と同列に扱えるのである。
へーそりゃよかった。で?
そろそろ物理の話をしてくれないか。
1+1=2 であるが
1+(-1)=0 である。
さて、光子を水の分子と同じように実体として扱うと図のようになる。
●陽電子 ○電子
+(−) −(+)
\/
●○
光子(±0)
すなわち互いに反対の性質をもつ電子と陽電子が出会うと互いの物理量は相殺され、一見無となる。それが長い間宇宙は何もない空っぽの真空と思わされてきた要因である。
( )の中の符合は質量であるが、陽電子の質量はマイナスであることに注意。そうでなければ光子の質量はゼロにはならない。
上の図をさらにズームアップすると下の図になる。
陽電子 電子
● ○
●○● ○●○
● ○
\ /
●○
●○●○
●○
光子
↑の図は囲碁を援用したものであるが、実際コウは光子の性質をよく表している。
<粒と波の二重性>
○ → ○
○A○ ○●○
●○● ●B●
● ← ●
コウは対局者がそれぞれA、Bに石を置くことで、実戦を無視すれば無限回往復する。
すなわち白の地であり黒の地でもある。そのどちらでもあってそのどちらでもない、といったまるでパラドックスを絵に描いたようなものだ。
コウは局在しているという意味で粒であり、振動(往復)する能力を有するという意味で波である。
コウは数学的にメビウスの帯(クラインの壺)であり、論理学における嘘つきのパラドックスであり、力学的にバネであり、電子回路におけるコンデンサーである。
http://j.pic.to/1543x
これからしばらく、エーテル理論(光子エーテル)から重力のメカニズムが必然的に導き出されることを説明しようと思う。
ある意味で、もし重力が空間の曲がり(歪み)ならば、重力ほど理解しやすい力はないと言える。
なにしろわれわれにとって一番身近な力なのだから。
よく重力のメカニズムを説明するのに、ゴム膜の上に鉄の玉を乗せる図が使われる。すなわちスリバチ状に歪んだ空間が重力場である。というものである。
しかし空間の歪みが重力の本質ならば、もっとダイナミカルに体感する方法がある。
例えば水面に水の表面張力を利用して数枚の一円玉を浮かべる。そして近ずける。するとあたかも重力が作用したようにくっつく。われわれは日常一円玉同士はくっつかないことを掌のなかで経験している。だが水面上ではくっつくのだ。それは一円玉が水面を歪めたからである。
まさに空間(水面)の歪み=重力なのだ。
さて、水面にアーチ状に湾曲させた短冊形のアルミ(箔)片を浮かべるとさらに面白いことが起こる。
一円玉は水面を一方向にしか歪めないが、アーチ状に湾曲させたアルミ片は水面を2つの方向に歪ませる。
すなわち上と下である。
そして同じ方向に歪んだモノ同士はくっつくが、歪みの方向が違うモノの間にはあたかも反重力が作用したように反発力が働く。ハシのような棒を近づけてもよいだろう。
以上の簡単な実験から2つの仮説を立てることができる。
第一の仮説として、重力は水の表面張力に似た力ではないだろうか。すなわち物質は空間を歪ませる。逆に空間から言わせると空間には歪む能力がある。
それを空間張力(スペーステンション)と呼ぶことにしよう。すると重力とは空間が空間張力を常に最小にしようとする行為に他ならないのである。
第二の仮説として、もしわれわれの宇宙空間が水面(2次平面)のような2種類の曲がりをもっているのならば、一方の曲がりにより正の重力場が形成され一方の曲がりにより負の重力場が形成される。
そして正負を問わず同じ方向に歪んだモノ同士には歪みを最小にしようとして引力が働き、歪みの方向が違うと歪みを保存しようとして斥力が働くのである。
以上述べたことを図を使って説明してみよう。
<正曲率>
 ̄∨ ̄ ̄∨ ̄
→引力←
↓
 ̄ ̄∨∨ ̄ ̄
→←
<負曲率>
_∧__∧_
→引力←
↓
__∧∧__
→←
上の図のように、同じ方向に歪んだモノ同士には正負を問わず常に引力が作用する。そして下の図のように、歪みの方向が違うと斥力が作用する。
__ ∧__
∨
←→
↓
_ __∧_
∨
←斥力→
上の図における正負は便宜的なものである。どちらを正(負)にしようと構わない。ただ一方を正とするならば一方は負である。なぜなら互いに歪みの方向が反対なのだから。
次に実空間における正負の重力場を説明してみよう。
囲碁による光子モデルを立体的に使えば、3次元空間(時間軸を考慮すれば4次元)における空間の2種類の曲がりを視覚的に表すことができる。(図は2次元ですが3次元としてイメージして下さい)
<粒と波の二重性>
○ → ○
○A○ ○●○
●○● ●B●
● ← ●
白? 黒?
コウは白と黒の地を無限回往復するのであった。その意味でコウにおいては対称性が保存されていると言える。
しかしそれは天秤が釣り合うような状態ではなく、互いに相手に対し優位に立てる、そういう意味である。(非平衡的平衡)
さて、囲碁の実戦においてはコウを取られた側は一度他の場所に石を置いてからでなければコウを取り返せない、というルールがある。
もしこのルールがなければ対局者は、盤面に一度コウが出現すると宇宙が終わるまでコウを取り合わなければならない。少なくとも対局者がコウにこだわる限り。
そして物質(クォーク)の回りの光子も非対称に励起されるとすれば、それが空間張力(SPACE TENSION)のメカニズムである。
正の質量
○
○ ● ○
●○●
●
(+)
負の質量
●
● ○ ●
○●○
○
(−)
囲碁において、コウを取られた側はすぐにも取り返したいという欲求が常に働く。その意味でコウは力をもっていると言える。
コウは振動する能力を有するのだから力学的にバネであり、コンデンサーである。
_ ┏━┓
: ┃ ┃
:↓↑┃ =
: ┃ ┃
■ ┗━┛
バネ コンデンサ
自由空間におかれた光子は常に正負(電子と陽電子)の間を揺らいでいる。
しかし、物質(電子及びクォークとその反粒子)の回りの光子は非対称に歪むのである、そしてそれが空間が歪むということなのだ。
陽電子 電子
●(−) ○(+)
\ /
●○(±)
光子
※注-( )の符合は質量
水面のような2次平面は正負の2種類(上と下)の曲がり(曲率)をもっている。
それと同じように、われわれの実空間も正負の2種類の曲がりをもっている、と考えるのは極めて自然であろう。
そしてその曲がり(歪み)を担っている最小単位が光子なのだ。
以上からの帰結として、陽電子及び反クォーク、さらに反物質は負の質量をもっていなければならない。
すなわち物質と反物質は質量のレベルにおいてもその物理量は反対なのである。
その意味では極超対称性といえよう
http://b.pic.to/149oa0
重力と反重力の関係はニュートンの万有引力の法則が役に立つ
すなわち重力は近づけば近づくほど強くなるのであるが
M1M2
f=G━━━━
R(2乗)
それと同じように反重力も、近づけば近づくほど急激に強くなる
_
_ MM
f=G━━━━
R(2乗)
負の質量、マイナスのエネルギーを持ちだすとトンデモ理論の代表と思われがちであるが、媒質の世界においてはトンデモ失格だ。
ところで、何故物理学は負のエネルギーを否定しているのか?
それは(基礎)物理学の論理を図で表すと分かる。
≪物理学の論理≫
負の ┃正の
世界┃ 世界
←―●┃←―○
━━━╋━━━―
-5 0 5 10
上図のように正の領域にある物体のベクトルはゼロ点を向いている。リンゴが地面に落ちるのはそのためである。
では負の領域が存在するとどうなるのか?
するとそのベクトルはマイナスの絶対値の大きな方向を向いているである。
それゆえもし負の領域が存在すると、われわれの見るもの全てがゼロ点を越え、−∞に落ちていくことになる。
もちろんそのような現象は存在しないのだから負の領域は存在しない、というのが物理学の論理である。
次に媒質の世界を考えてみよう。
例えば音波は空気の疎密であるが、図で表すと次のようになる。
≪媒質の論理≫
負の ┃正の
位相┃ 位相
疎(−)┃密(+)
●―→┃←―○
━━━╋━━━―
-5 0 5 10
上図のように、この地上においては正負を問わずそのベクトルはゼロ点(1気圧)を向いている。
なぜなら媒質においてはゼロ点が最も安定だからだ。
すなわち、全ての道はローマへ続く、ではないが、全ての力はゼロ点に向かう、のである。
それゆえゼロ点から遠ざけるためには正負を問わず力を加えなければならない。
つまり、その意味で媒質にはゼロ点という(絶対)基準が存在する。
さて、もしマイナスのエネルギーの世界が存在すると、プラスのエネルギーはマイナスのエネルギーのほうが安定だから皆マイナスの世界に落ち込んでしまう、という論理が正しければ、
地上に音波が発生する度に大気圧は減少してしまう。
海は波立つ度に海水が減少する。しかしそのような事実はないのだから、≪物理学の論理≫は普遍的でない。
‖独り言‖
このスレ俺一人しかいないみたいだね
誰か止めなければこのまま突っ走るよ
いいのかなあ
>>34 ちょっぴり応援したい気分。
サゲのまま1001目指せ!
>さて、もしマイナスのエネルギーの世界が存在すると、プラスのエネルギーはマイナスのエネルギーのほうが安定だから皆マイナスの世界に落ち込んでしまう、という論理が正しければ、
そこが正しくないと言うことになぜ気付かないかな?
どういうこと?
39 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2005/06/23(木) 23:31:30 ID:nK39TY1l
馬鹿スレ上げ
しかし
>>1のカムバック激しくキボンヌ
エネルギーが低い状態が安定というのは正しい考察だと思うけど、
マイナスの数値というのは小さければ小さいほど絶対値が高い。
ゼロの状態が最も安定とせずにマイナスに「なればなるほど」安定と考察した理由は何だね?
とかいいつつ
>>38が
>>1のレスならもう絶望的バカ
エネルギーのゼロ点なんかどこでもとれるだろ。アホか。
41 :
ガバチョ:2005/06/24(金) 01:08:56 ID:???
ヽ( ゚д゚) ヽ<ガバチョ!
>>39 「マイナスのエネルギーの世界が存在すると、われわれの見るもの全てがマイナスの世界に落ち込む」
というのが科学のパラダイムであると認識している。
しかし現実の世界にマイナスの世界が存在したならば、そのパラダイムは適用できないと述べたまで。
>>40 だから絶対を( )付きにしている。
しかしだからといってゼロ点を勝手に動かせるというのはそれほど自明でない。
ゼロ点の一つの見方として、ベクトルの反転する境界といえるかもしれない。
例えば気象において、高気圧は下降気流(↓)低気圧は上昇気流(↑)であるが、ゼロ点が任意ならば明日の天気図のゼロ点を思いっきりずらしてくれないか
>ゼロ点を勝手に動かせるというのはそれほど自明でない。
積分定数知らんのか?
ちなみに気圧のゼロ点ずらしたって天気図は何も変わらんぞ。
凾oは変わらんのだから。
そもそも動かす必然性がわからんのだが…
われわれの現実世界には正負の量が満ち溢れている。
例えば経済の世界も例外でない。
≪経済学の論理≫
マイナスの┃プラスの
世界┃ 世界
(−)┃ (+)
●―→┃←―○
━━━╋━━━
-5 0 5 10
上図のように正の領域の数値はポテンシャルをもち、各種支払いをしたり何らかの品物を購入できる。
しかしもらった給料がいつの間にかなくなるように、そのベクトルはゼロ点を向いている。
では負(借金)の領域のベクトルは?というと媒質の世界と同じくゼロ点を向いている。
それはそうであろう。
なぜなら車や家のローンは月々、そのマイナスの絶対値の数値を減らさなければ最悪の場合手放すはめになる。
もし経済の世界においてマイナスの絶対値の大きな方向が安定ならば、借金すればするほど豊かな生活を送れるという、まるで夢のような天国が出現する。
しかし借金は基本的に返さなければならない。
例え太陽が昇らない日があったとしても、期日にはしっかりと銀行口座から引き落とされるのだ。
> そもそも動かす必然性がわからんのだが…
便利だから。
>>1が可哀想だよ。
潰さないでもう少し引き出して上げてもいいんじゃない?
物質創成
●○
←●○●○→
●○
↑
光子は← →を軸に、↑を基点に回転できるとする。さて、高エネルギー状態に励起された光子がちぎれんばかりに回転すると、光子は← →の方向に引き伸ばされる。
●●○○
●○○●●○
●●○○
← →
●●●○○○○
○○○●●●●○
●●●○○○○
引き伸ばされる長さは加えられるエネルギーに比例する。
●●●○○○○○
○○○●●●●●
●●●○○○○○
← →
やがて引き戻される。
●●●○○○○○
○○○●●●●●
○○○●●●●●
●●●○○○○○
→ ←
●●●○○○○
○○○●●●●○
○○○●●●●○
○○○●●●●○
○○○●●●●○
●●●○○○○
→ ←
そして衝突
→×←
○○○
○●●●○
○●●●○
○●●●○
○○○
●●●
●○○○●
●○○○●
●○○○●
●●●
最終的にクォーク?の泡粒が創られる。
http://c.pic.to/17n840
50 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2005/07/01(金) 14:12:45 ID:/kPQkD5D
増えてますよ、お父さん
51 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2005/07/01(金) 18:55:48 ID:TYyXz3Wq
*時間の逆流する世界*
<図1>
≪物理学の論理≫
負の ┃正の
世界┃ 世界
(−)┃ (+)
←―●┃←―○
━━━╋━━━
-5 0 5 10
私は物理学の論理は普通的でない、と述べたが、図1を図2に置き換えればある意味正しいのかもしれない。
すなわち負の重力場に置かれた物質は反発する。
<図2>
負の ┃正の
重力場┃重力場
(−)┃ (+)
←―○┃←―○
━━━╋━━━―
-5 0 5 10
※ただし○は正粒子●は反粒子を表す。
ならば図2を反転させると図3になる。
<図3>
負の ┃正の
重力場┃重力場
(−)┃ (+)
●―→┃●―→
━━━╋━━━―
-5 0 5 10
すなわち正の重力場に置かれた反物質は反発する。
それゆえこの地上において、コップに反水を注ぐと(対消滅は無視する)床にではなく天井にこぼれる。
それゆえ反水が入ったコップはテーブルの下にあたかもコウモリのように逆さに置かねばならない。
さらに通常の水は、例えば氷に熱湯を注ぐとやがてぬるま湯になるのであるが、反水は自然に氷と熱湯に分離する。
すなわち正の重力場に置かれた反物質は時間が逆向きに流れる。
それゆえ反物質は因果律を破るのか?
というとそんなことはない。
そもそもマイナスのエネルギーの世界が存在すると、プラスのエネルギーを有するものは皆マイナスの世界に落ち込む、という論理が正しければ、その前に、マイナスのエネルギーを有するものがわれわれの世界に落ち込んでくることを心配しなければならないだろう。
なぜならわれわれは自らのエネルギー形態を便宜上プラスと呼んでいるのであるが、反対世界からはマイナスと呼ばれているかもしれないということを覚悟しなければならないからである。
ようするに私の言いたいことは、正と負の2つの重力場があったなら、それぞれの場に適した形態が存在している、ということなのだ。
物理学は基本的に正の重力場、すなわち正のエネルギーというただひとつの場で成り立っている。
それに対し、われわれの生命系においては最低限相反する2つの場から成っている。
例えば本来中性である水は電離して酸性の場とアルカリの場に分離し、それぞれの場に適した形態が生息する。
あるいは人間のように酸素を第一義的とする形態がいれば植物のように炭酸ガスを第一義的とする形態もいる。
そして重要なことは、それぞれの場においては時間軸の向きが互いに反対だということだ。
しかしだからといって、生命系において因果律が破れているとは誰も思わないであろう。
動物 →
O2 CO2
← 植物
すなわち、時間を担う対象それ自体は基本的に不可逆であるが、空間それ自体は可逆なのである。
つまり、時間を担う対象は、ある意味で空間の片割れなのだ。
よくモノの本に、時間はマイナスの方向に行けないが空間はプラスの方向にもマイナスの方向にも自由に行ける、と記述しているのを見かける。
しかしそれは必ずしも自明でない。
なぜならそれはあくまでも正の領域の任意の点を原点にとり、右に行く方向をプラス左に行く方向をマイナスと定義したに過ぎない。
しかし真の対称性におけるプラス・マイナスとはそのようなものではない。
例えばあなたが男だったとして、銭湯に行った場合、女湯に入ったら大騒ぎになるだろう。
動物であるあなたが炭酸ガス過剰の領域に踏み込むことは窒息死するということである。
冷戦下、東西を隔てる壁を不用意に乗り越える行為は背中を銃で撃たれる可能性があるということである。
すなわち、空間のそちこちにはまっている鏡の向こう側はあなたにとってそれほど自由ではないのだ。
さて、光子エーテル説に従うと光子一個は空間の最小単位であった。
さらに光子一個は時間の最小単位でもある。
囲碁による素粒子モデルによれば光子はコウであった
○ ○
○A○→○●○
●○●←●B●
● ●
コウには2つの自由度がある。すなわち黒が取り返す行為と白が取り返す行為である。(時間の矢)
そしてそれは時間の順逆に対応する。
すなわち時間とは何か?という問いの最終解答は
“コウを取られた側がコウを取り返す行為”なのである。
光子自身は絶えず正負の間を揺らいでいる。
しかし空間全体としては正負の時間の流れが相殺され、一方的な時間の流れは生じない。
空間に時間の流れが生じるのは空間に異物が発生した時である。
すなわち正反物質は空間を歪ませる。空間が歪むという現象は、光子において正負の間を往復していた時間の流れがどちらか一方に固定されるということだ。
つまり時計でいうならばゼンマイを巻き上げた状態である。
そして物質は物質が空間を歪ませている分の時間の流れを獲得する。
そして時間の流れる方向は、空間の歪む方向によって2種類存在することは明らかだ。
物理学は力学の基礎方程式の正負の解の一方を否定している。
だとしたら例えばエネルギーと時間がワンセットならば、そしてマイナスのエネルギーを否定したならば、そもそもマイナスの時間を考えること自体無意味だ。
それゆえ無理にマイナスの時間を導入すると必然的に因果律の問題が発生する。
それに対し生命系は、力学の基礎方程式の正負の解に完全に対応した世界といえる。
すなわち生命系においては相反する2種類の場とそれぞれの場に適した形態が存在し、そして互いに正負の物理量を担っている。
その意味では物理学とは生命系の一部であるといえるのかもしれない。
それゆえ生命系が物理学を語れたとしても、物理学が生命系を語ることは原理的に疑問である。
動物である人間は酸素を吸い込んで炭酸ガスを吐き出す。
もしその様子をビデオに撮り逆回しすれば、人間が炭酸ガスを吸い込んで酸素を吐き出し、だんだん若くなっていくという奇妙な映像になる。
しかし時間の逆流を植物に担わせるならば、何ら不思議はない。
すなわち植物は炭酸ガスを利用して光合成を行い、余分なものとして酸素を吐き出す。
つまり一方の時間が流れるということは一方の時間を巻き戻すということである。
ようするに動物は酸素を吸い込んで炭酸ガスを吐き出すというリズムを刻む。
逆に植物は炭酸ガスを吸い込んで酸素を吐き出すというリズムを刻む。
結局時間の流れの順逆とは位相共役のことなのだ。
__┏┓_
/未来 過去
/○___↓-t
/ ↑t ●/
過去 未来 /
_┏-┓___/
サッカーの選手がボールをキープすると一方的な方向性(ベクトル)すなわち時間の流れが生じる。
それは相手のゴールポストの中にボールを蹴り込みたいという欲求からきている。
それゆえわれわれがこの宇宙において何故時間が過去から未来へと流れ、未来から過去へは流れないのか?という問いを発することは、
サッカーの試合中ボールをキープしている選手に、あなたは何故相手の陣地に攻め込むのですか?あなたは何故相手のゴールポストめがけてボールを蹴り込むのですか?と質問するのと同じである。
__┏┓_
/未来 過去
/○___↓-t
/ ↑t ●/
過去 未来 /
_┏-┓___/
ひいきのチームの選手にとっては相手のゴールポストの中にボールを蹴り込むことが目的なのだからこちら側から向こう側が未来の方向だ。
しかし、相手側がボールをインターセプトした瞬間事態は一変する。
すなわち今まで得点への期待感を込められていたボールが、得点されるのではないかといった不安、恐怖の対象となってこちら側に向かってくるからだ。
ところで物理学の書物に、反粒子の一つの解釈として反粒子は未来から過去へと走る、と記述されているが、相手チームの選手(ボール)はまさに未来の方向からやってくるのだ。
もちろん彼等自身は過去から未来の方向に向かっているのは言うまでもない。
※ただし、反粒子は正粒子が時間を逆行したモノ、という解釈は意味がちょっと違う。
物質・反物質ともに現在の物理法則を満たす。
当然反重力も持たない。
ちゃんと勉強しようね。
現代物理は負のエネルギー解の粒子を、正の質量(エネルギー)をもつ反粒子と再解釈したブロック(ピース)で構築しているのだから、その枠組みの中で物理法則を満たすのは当たり前。
しかし、それが現実の世界(宇宙)と対応しているかが問題。
ああ、じゃあまだ見つかってもいない粒子の話なんだ。
しかし、それが現実の世界(宇宙)と対応しているかが問題。
>まだ見つかってもいない粒子の話なんだ。
微妙だなーw
鯨を魚の大型種と定義すれば未確認生物。
しかし鯨を哺乳類と定義すればすでに発見されている。
ようするに、なんで負のエネルギー解の粒子が正の質量の粒子に化けるの?
すでに発見されている陽電子等の反粒子を、そのまま素直に負の質量をもつと読み解けば、自ずと反重力を許容する物理法則が導かれる。
>すでに発見されている陽電子等の反粒子を、そのまま素直に負の質量をもつ
>と読み解けば、自ずと反重力を許容する物理法則が導かれる。
だから現実はそうじゃないんだってば。
ディラックの海辺りを自分の都合のよいように誤読してるんだろうが。
67 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2005/08/09(火) 22:24:14 ID:q+JcwCrL
夏の変態さん晒し上げ
現実はそうじゃないと言われても…
陽電子の質量が負であるとすると、例えば光子がエネルギーをもっていることとその質量がゼロであることが難なく説明できる。
そもそも現代科学が無限大の困難を抱えているのも惜しげもなく負の解を捨て去ったからではないのかな
それゆえあらゆる科学理論は
GAME OVER
すなわち誰も見向きもしなかった負の(エネルギー)解こそが次のステージへの扉を開く鍵ではないのか!
<図1>
電子の回りの(仮)の電子・陽電子対
○電子
●陽電子
○● ○ ●○
\
● 電子
○
<図2>
陽電子の回りの(仮)の陽電子・電子対
●陽電子
○電子
●○ ● ○●
\
○ 陽電子
●
上の図は真空が分極することによる電荷と質量の遮蔽を表している。
図1は普通に科学書に載っているが図2はあまり見かけない。しかし陽電子は実在しているのだから図2のようになるだろう。
ところで、図1と図2の質量が同じ符号ということがありえるのだろうか?、あるいは質量のレベルでは両者は区別することはできないというのだろうか?。
<図1>
+イオンの回りの水分子
○水素+
●酸素−
○● ○ ●○
\
● +の
○ イオン
<図2>
−イオンの回りの水分子
●酸素−
○水素+
●○ ● ○●
\
○ −の
● イオン
上の図は誘電体である水が分極することによってイオンを中和(遮蔽)する様子である。
※ただし実際は水素原子は2個、念のため
水分子の分極による中和作用により、正負イオン間の引力は元の数値の1/100以下になると言われている。
なにやら素粒子物理の繰り込みと似た構図だ。
繰り込み理論は無限大になる量を逆符号の無限大で引く(足すと言うべきか)らしいが、ならば負の質量(エネルギー)を実在のモノとみなせば完璧ではないか。
test
そもそも負の質量(エネルギー)をもった粒子(物質)は、最初から存在できないようにイメージされている。
それゆえ科学は負の質量を導入した時点において破綻する。
しかし注意すべきは、破綻するのはあくまでも科学のパラダイムであって、世界そのものではない、ということだ。
なぜなら現実の物理世界に負の質量が存在したならば、それなりの合理性をもっているはずだからだ。
正の質量をもつ通常の粒子はエネルギーを失うと減衰し、やがて停止する。
それに対し負の質量をもつ粒子は、エネルギーを失えば失うほど益々元気になると定義されている。
もしそれが本当ならば、賢明な物理学者が負の質量を無意味なモノとして無視しているのもうなずける。
しかし、そこに落とし穴がある。
正負の質量(エネルギー)を気象における高気圧・低気圧に置き換えて考えてみよう。
高気圧がエネルギーを失うということは、その数値を減らす過程である。
それに対し(熱帯)低気圧である台風(ハリケーン)がその数値を減らすと、すなわち950hpaであった気圧が900,850,800 となり、秒速何十bという風が秒速何百bという話になる。
つまり、負(圧)のエネルギーによって駆動されている台風は、エネルギーを失えば失うほど益々元気になる、といったまるでモンスターのような存在になる。
しかし言うまでもないが、低気圧がエネルギーを失うということはその数値を増やすことなのだ。
実際台風は、大暴れしたあとやがて温帯低気圧に変わり、何事もなかったようにそこら辺の空間に埋没し、そして消え去るのである。
__┏┓_
/ 負のベクトル
/○___↓-v
/ ↑v ●/
正のベクトル /
_┏-┓___/
通常物質は押すと押した方向に運動する。
それに対し、もし仮に負の質量をもつ物質が存在したならば、押すとこちら側に向かってくると言われている。
ならば相手チームの選手(ボール)は負物質の定義そのものである。
なぜなら彼らは押す押さないにかかわらずこちら側に向かってくるからだ。
さらに相手チームの得点はマイナスであることも明らかだ。
今、ひいきのチームが1対0でリードしていたとしよう。
そして相手チームが得点したとする。
その場合実況していたアナウンサーは、『ゲームは振り出しに戻りました』と言うかもしれない。
すなわち相手チームが得点することによって、ひいきのチームは同点であった過去の時点に引き戻されたのだ。
そしてそれは相手チームの時間の向きが逆流しているからに他ならない。
次に野球の試合を見てみよう。
│
│ ←
├──┐
│ │
↓│ │↑
└──┴───
→○
今、ひいきのチームの選手がヒットで出塁したとする。
当然ランナーはダイヤモンドを駆け回ってホームへ帰ることを目指している。
ではなぜランナーはすぐさま二塁に走らないのか?
それは相手ピッチャーから牽制球が飛んでくるからである。すなわち相手チームの選手(ボール)は負のベクトルをもっているのだ。
しかし意を決して盗塁したとする。するとキャッチャーから矢のような送球が飛んでくるであろう。
あるいはランナーが二塁にいたとして、もしバッターがヒットを打ったならば、ランナーはホームベースに全速力で突進するだろう。
しかし外野手から矢のような(レーザービーム?)が飛んでくる。
つまり、われわれが野球(その他何であれ)を見るということは、正と負のベクトルの重ね合わせを見るということなのだ。
さて、今ひいきのチームが3対0で勝っていたとしよう。
ところで、もし時間の逆流とフィルムの逆回しを同一視するならば、そして野球場において時間が逆向きに流れたならば、ひいきのチームの選手が後ろ向きに三塁ベースに向かって走り出すことになる。
すなわちそれは過去へ向かって走ることを意味し、3対0であった得点が2対0になり、1対0になり、そして0対0になる。
≪フィルムの逆回し≫
│
│→
├──┐
○│ │
↑│ │↓
└──┴───
←
ところが、時間の逆流とフィルムの逆回しは(物理的には)何の関係もないのだ。
すなわち実際の野球場において時間が逆流するということは、相手チームの選手●がダイヤモンドを駆け回ることなのだ。
そしてランナーがホームベースを踏む毎にマイナス1点,2点と加算されるのである。
≪リアルワールド≫
│
│ ←
├──┐
│ │
↓│ │↑
└──┴───
→●
ひいきのチームの立場からすれば相手チームが得点するということは、それまでせっせと積み重ねてきた得点(差)が減ることなのだから、数学的には過去の時点に戻されることと等価である。
80 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2005/09/24(土) 20:53:12 ID:/hDreb4n
独り言ワロス
81 :
ご冗談でしょう?名無しさん:2006/03/09(木) 00:26:09 ID:Wec8dQWz
{(★*★)}
これが現実
>>68 媒質の世界においては音の量子がエネルギーをもっていることと、その質量がゼロであることとは整合性が保たれている。
つまり音波の密と疎を粒子と反粒子に対応させると、
密の位相は加圧(圧縮)された分重くなり、疎の位相は減圧された分軽くなり、全体としてはプラスマイナスゼロである。
すなわち音の量子が(正負の)エネルギーをもっていることと、その質量(圧力-基準値)がゼロであることに本質的矛盾はない。
翻って、もし光子が電子と陽電子の複合粒子とするならば、
陽電子の質量は負であるとしなければ、エネルギーを有する質量ゼロの光子はありえない。
現代科学は、宇宙(空間)は実は何もない空っぽの状態ではなく、
正粒子と反粒子が絶えず対で生まれては消えるダイナミカルな空間である、と記述している。
反粒子 粒子
●←―0―→○
+ (対生成) +
●―→×←―○
+ (対消滅) +
しかし質量のレベルではどちらもプラスである。
ならばそれはスポーツにおいて、ひいきのチームの得点も相手チームの得点も
互いにプラスである、と言うようなものである。
負の質量、マイナスのエネルギーがハードSFの専売ならば、
われわれが生きている現実世界はSF小説を超えている。
例えば誰かが住宅ローンを利用して家(マンション)を購入したとする。
負債 資産
●←―0―→○
− (対生成) +
●―→×←―○
− (支払い) +
すなわち手持ちの資金が無いにもかかわらず、何千万という資産を手に入れることができるのだ。
もちろんその代償として負債が対で発生する。
そして金を貸した者と借りた者の間で支払いという名の対消滅が行われる。
予算不足の国家が国債を発行することにより、何十兆という金を捻出するのも上と同じ図式だ。
すなわち無からの宇宙創成ならぬ無からのマネー創出である。
さて、普通客がコンビニ等で買い物をした場合、その場で決済する。
しかし分割払いのように、長期に渡る支払いもある。
そして債権者(+)と債務者(−)の関係はその数値がゼロになるまで保たれる。
すなわち支払いを+と−の数値が相殺する対消滅の一種と考えると、
経済の世界においては制御された対消滅もあるということである。
物理学では、物質と反物質が出会うと莫大なエネルギーを放出して対消滅し、跡形もなく消えてしまうと言っている。
すなわち有無を言わせぬ対消滅である。
もちろんそれは実験(観測)事実としても、経済の世界を物理学に参照するならば、
制御された対消滅もあるのではないだろうか、
そしてもしあるとしたら、そしてそのメカニズムは反重力しかありえない。
すなわち制御された対消滅:反重力のバリアである。
物理学が指針としているのが対称性だ。
すなわち物質の材料である粒子が存在するためには粒子は反粒子と対で生成されなければならない。
では対で生成されたはずの反粒子は何処へ行ったのか?という問いが現代科学の最大級のテーマである。
その問いに対し科学者は2つのシナリオを描いている。
(1)粒子と反粒子は対で生成されたのであるが、何らかの対称性の破れにより粒子だけが生き残った。
すなわち反物質からなる世界は存在しない。
(2)対生成された粒子と反粒子の間で何らかの分離機構が働き、われわれの世界は物質だけで成るが、
どこかに反物質で構成された宇宙があるかもしれない。
そして現在は(1)が優勢である。
さて、制御された対消滅:反重力のバリアという概念を使うと、
反物質は何処へ行ったのか?という問いに対し第3のシナリオを提出することができる。
すなわち物質と反物質の共存説だ。
http://r.pic.to/67mz8
ただし物質と反物質の共存と言っても、
われわれが普段見慣れている物質と同じように反物質がそこいら中にある、という意味でも
太陽系のすぐ隣に反太陽系がある、という意味でもない。
いや、ある意味でもっと身近な存在なのだ。
すなわち私のいう物質と反物質の共存説とは、
物質の薄皮一枚剥がせばその裏には反物質がべったりと張り付いている、
そういう意味なのである。
物質と反物質が出会うと莫大なエネルギーを放出して対消滅してしまう、
それゆえ反物質は存在しない、というのが現代科学の合い言葉だ。
しかし発想を転換すると、
物質と反物質が出会うと莫大なエネルギーを放出するならば、宇宙がそれを利用しないはずはない。
というのが物質と反物質の共存説(量子宇宙論)のテーマである。
物質と反物質の対消滅も燃焼の一種とすると、そもそもモノを燃焼させるためには点火エネルギーがいる。
それが地上に太陽を造りだす事を困難にしている要因だ。
重力は4つの力の中で極めて弱い力である。
しかしミクロの世界のような高エネルギーの世界では逆に強くなると言われている。
つまり重力が強くなるということは必然的に反重力も強くなるということである。
ようするに本来粒子と反粒子は水と油のように混じり合わない。
そして点火エネルギーを与えられた状態が例えば加速器の内部なのだ。
かつて太陽の輝きを石炭の燃焼で説明していた時代もあった。
もちろん現在はそれは核融合の灯であることが分かっている。
太陽が水爆と同じ原理で燃えているならば何故今にも爆発しないのか?
というとそれは制御された燃焼だからである。
さて、では銀河レベル、あるいは大宇宙を突き動かしている力は何なのか?
もしそれが核融合レベルというならば、それはかつての太陽の輝きを石炭の燃焼で説明していた
今では笑い話に過ぎない歴史の繰り返しだ。
すなわち宇宙を突き動かしている力は何か?と問われれば、それは物質と反物質の対消滅以外有り得ない。
ようするに物質と反物質が対消滅すると莫大なエネルギーが解放されるならば、
宇宙がそれを利用しないはずはないのである。
http://q.pic.to/qa6f http://p.pic.to/60qjt
WORM HOLE
A面/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
↓ ▼ ▼
/ : :
━━━┳━━┳━
↑ ┗━━┛
B面BLACK BLACK
HOLE HOLE
上の図はいわゆるワームホールであり、BHとBH(WH)を繋げたものだ。
しかし、それはあくまでもA面の世界での話しであり、B面は何の係わりもない。
QUASAR
┏━┓
┃ ┃
┃ ┃
↓ ̄┃ ̄△ ̄
/▼ : :
/ : : :
━━┳━┳━━━
┗━┛ ↓
BLACK WHITE
HOLE HOLE
上の図はA面とB面を繋げたものであり、いわゆるクェーサーである可能性がある。
§回折は粒の特性である§
従来、回折は波の特性とされてきた。
実際光や電子の回折現象を観測することにより、それらは波の性質をもっているとされる。
ところが、実は回折は粒の特性なのである。
≪粒による回折のイメージ≫
図1 ●
↓
──┐●┌──
──┘ └──
//| \
●● ● ●
<不規則>
図1のようにスリットめがけてボール(粒)を落としたとする。
もしボールが上手く通り抜けたならば真下に落ちるだろう。
しかしスリットの縁に触れ、方向を曲げられたならばあちこちに分散する。
しかし規則性は説明できない。
ゆえに粒的なモノによる回折の説明は困難である。
≪実験事実≫
図2 ● L
↓
← →
──┐●┌──
──┘ └──
/|\ M
波動
(2次的)
さて、実際に上の図のような実験を行うと、けっして図1のようにはならない。
(ただしスリットの間隔は、ボールが通れるか通れないかの幅である)
すなわちボールがスリットの縁に触れると、ボールは激しく振動する。
理想的に振動したボールはすっかり位置エネルギーを失い、
ボール自身はスリットを通り抜けられない。
(ボールがもっていたエネルギーは音として通り抜けられる)
もちろんボールは床に落ちる。
しかしそれはMの位置エネルギーによるものであり、L によるものではない。
すなわち回折の主役はあくまでも粒であり、波動は2次的なのである。
回折が粒の特性ならば、波による回折はどう説明するんだ?
と思われかもしれない。実はこの場合も粒の立場から説明できるのである。
図3 ○密
●疎
──┐ ┌──
│○←圧力高い
──┘ └──
/↓\
拡散
そもそも波とは山と谷が交互に移動して行くものであり、その半波長は粒の性質をもっている。
そしてスリットは半波長を選択するのである。
図3は音波の例であるが、スリットに密の位相があるとしよう。
すると周りよりも圧力が高いため、拡散しようとする。
図4 ●疎
○密
──┐ ┌──
│●←圧力低い
──┘ └──
/↑\
収束
上の図は図3とは逆に、疎の位相がある状態である。
すなわち周りよりも圧力が低いため、収束しようとする。
結局スリットは発振装置なのであり、回折は発振作用なのだ。
101 :
ご冗談でしょう?名無しさん:
test